【昔話 兵(つわもの)の掘る穴ー真実その8・後編ー】
『自由はないかもしれない。
それを不満に思う時も正直ある。
それでも、私はこの場所を守りたいし、守らなければならないと思っているんだよ、ロック』
『―――』
背中に隠れる"懐かしい感覚"達が、ロックの身体にへばりつきながら、何かを盛んに訴えているけれど、一番聞きたい人の声に心は集中する。
『私はこの領地の領主の息子に産まれなければ、お前にも、カリンにも出会うことはなかったんだ。
この場所に生まれなかったら、私はお前をこの"国"から助ける事もできなかった。
ロブロウという場所がなければ、ロックはピーン・ビネガーと共にある事は出来なかった。
そして、ロックはここにいる事はなかった』
そこまで言われた時、身体にへばりついていたものは、本当にすごすごと言った具合に執事の影に戻る。
ドンッ
戻った瞬間、執事の影を賢者はかつてと同じ様に、踏み躙る。
―――私が生きてる限り、"匣"の蓋を何度でも閉め直してやる、とっとと引っ込め。
鋭い視線で語る賢者が、親友とは違った意味で"強い"とアングレカムには確信できた。
ロブロウ領主が、執事の影を通じて何かを"踏み躙った"た後、ロックは酷く気が遠くなる感覚に体が包まれる。
先程まで、あれこれと頭の中で考えていたのに、今はすっかり抜きとられたように、身体が軽い――というよりは、"感覚"が抜け落ちてしまっていた。
気分も、気持ちが悪いとか、体調が悪いとか、まず感じる事が"鈍く"なる。
ただ、ただ、今は何だか全てが"遠く"感じていた。
―――よっと。
大切な主の声が何とか耳に入るけれど、それもまるで2部屋ぐらい間を空けたような、離れた場所から聞こえてくる感じだった。
だから、自分の主が本当は自分の真隣で、日頃なら行儀が悪いから止めて下さいというような仕種―――。
先程まで、ピーンが給仕の為に使っていた、今はロックが使えば良いとアングレカムから進められた椅子の脚を爪先にひっかけて、絨毯の上をズッと引き摺って執事の膝の裏に軽くぶつけるようにして当てられた。
その衝撃の反動に力の入らない執事は逆らわず、腰は重力に従い、ストンと椅子に腰掛ける。
椅子に座った事で、安心して動かなくなった掴んだままだった執事の腕をピーンは離した。
ロックはたまに幼い印象を与えてしまう、少しばかり大きめな瞳を瞼を伏せ半眼になった状態で、椅子に座ったまま動かない。
倒れ込むというわけではないが、どうやら、ロックの意識が遠退いているのが、途中言葉を挟んだ客人にも解った。
『―――ロック君は何か御事情があって、賢者であるピーン殿が"保護"していると私は考えてもいいのでしょうか?』
賢い領主に心酔して、執事になった優秀な青年とばかりに考えていたアングレカムは、当たり障りがない言葉で尋ねる。
その時ピーンは離した腕をもう片方の腕と共に、椅子に腰掛ける形になった執事の膝の上に、行儀がよく見えるように揃えて膝の上に置く。
それから執事の正面に立って、大きな両手で執事の顔を包み込んで、グッと持ち上げるようにして見つめる。
先程、ロックの影を踏み躙った時と同じ様に鋭い視線に変えて、睨みつけるようにして執事を観察してながら、アングレカムの問いに口を開いた。
『一応、私が頼み込んで同意の上でロックは雇われてくれている。
人材としては優秀な部類に入るのは、私が保証するよ。
まあ、保護と言うよりは"囲った"と表現した方がいいかな〜』
ピーンの口振りは軽いけれども、椅子に脱力した状態で腰掛ける執事の事を、丁寧に見ているのがわかった。
仕上げという具合に、鋭い視線のまま"視界"を切り換えて、魔術的なものでも執事の身に、今以上の変化がないかピーンは確認する。
(―――大丈夫だな)
どうやら執事の意識が遠退いたのは―――急激にロックを取り込もうとした闇の精霊が抜けたことでの虚脱感の為起きた事。
それ以外は、執事の身体にも何も異常はないようだとわかった。
賢者は鋭い視線を産んでいた眼を大きく息を吐きながら閉じて、開くと、そこには何時もの理性的な瞳に戻る。
『―――まあ、私とロックの場合は国やら政治やら全く別枠の"問題"だから、アングレカムは気にしないでいい。
とは言っても、国じゃなくて、枠は"世界"に広がってしまうんだけどね』
『それでは、賢者殿が決起軍には参入するということは』
ピーンの口ぶりや態度から、参入を取り止めるといった物腰は感じられない。
しかし、アングレカム自身が、ロックという人が、ピーンと引き離すという形の話をこうやって進めたなら、これまで学んだ事のないような″現象″に取り込まれる様子には、考えさせられるものがあった。
『それは、先程言った通り。"別枠"な事だ。
で、枠が世界規模とでかくなったなら、それを扱う時間も比例するらしくてな、大きくなる』
『―――時間もですか』
何気無く語ったつもりだったが、賢い美丈夫は、ピーンがそこまで説明しただけで、何を言わんとしているかがわかった様子だった。
アングレカムがそれとなく理解してくれている事を自分の中で気持ちを整理させるつもりと、ついでに賢者の中である目論見も口にする事にする。
『この世界は"人基準"で動いて―――まあ、繁栄やら文化なんか持っている生物が、人なだけな話だけどな。
そしてロックと私が、今こうやって扱っている事が何か問題のなりそうな"時"が、このピーン・ビネガーやロックと呼ばれる人が生きている間に起きるという確証もない。
まあ、起きてしまったなら"世界"を巻き込むくらいの……世界中の各地にある突拍子のない"昔話"みたいな事が起きてしまうかもしれない。
アングレカムなら、そんな昔話の1つぐらいは聞いたことがないかな?。
ああ、一番身近なのに、うちの国の英雄の話があったか』
身近な具体的な例え話として、この国の宗教でも教典の一部に"昔話"として扱われいる話を思い出し、アングレカムに話してみた。
『"英雄"?。それは、もしかして《大地の女神》と《天使》と《旅人》を代表とされる、教典に記されている旅人の話のことになるのでしょうか?』
賢者の話始めた"英雄"という言葉にアングレカムは馴染みがないが、思い当たる所があったので、その事を口に出してみた。
ピーンの方も、そう言われて「内容は変わりありません」と領地の教会から、ロックとの"2人旅"が終わった時に新しく国から配布されたという教典の事を思い出した。
さらっと流し読みをしたら確かに"英雄"が《旅人》になっていたが、内容は本当に変わりがない。
それにピーンからしたならば"英雄"という表記の方が馴染み深いので、1度流し読みしただけで、《旅人》という記憶の塗り直しは行われていなかった。
『ああ、そういえば呼称が変わっていたんだったな。
最近は"英雄"ではなくて、《旅人》というのかな?。
確かに元はただの世界を旅をする"人"だった。
今の国教の本には、そういう風にかかれているんだよな、アングレカム?』
いつのまにか、すっかりアングレカムの名前を呼び捨てで呼ぶことに、ピーンは馴染んでしまっている。
だが、アングレカムの方は特に呼び捨てにされることに違和感はないらしく、ピーンから尋ねられた質問にあっさりと頷いて肯定してみせた。
『はい、私達が教会から与えられた教典にはそのように書かれていました。
私が直ぐに"英雄"の事を《旅人》だと思い至れたのは、故郷にいた賢者殿が昔の、とはいっても、賢者殿が子供の頃を使っていらしゃったという古い教典を、みせていただきました。
でも、それは確か子供向けに書かれた絵本のような造りでした。
「親友にもらったんだ」
と懐かしそうに話されていて、思い出してみたならその中では確かに《旅人》の扱いのなる登場人物ところに、"英雄"という扱いで扱われていました。
賢者ピーンが仰る"英雄"が行った事は、私達の世代が扱っていた教典では《旅人》が行った事にあたるようです。
……で、賢者殿が言う事が本当なのだとしたら、それは本当に枠というか、スケールが世界規模な物になりますね……』
アングレカムの知っているだけでも、【お伽噺】だから受け入れられるような話が載っていたような気がする。
【日が落ちる西の土地に住むに、高い場所に住む年老いた王様。
大切な友だちと、愛する妻を不条理な事で失った事に嘆き悲しむのを"旅人"が"常しえ"に待つ方法を教えて貰い、その代わりに人に場所を譲り渡して、王様は姿を隠した】
【美しい声を持っているが、小さな声しか出せない歌姫、その歌姫に恋する商人。
その歌姫に惚れ込んだ商人が狡いウサギに翻弄されながらも、最終的には"旅人"から知恵を貰って"焔の城"という場所を教え貰う。
そこから共に薬を手にいれて、商人と歌姫が添い遂げるのを見届ける話】
【南の島の荒ぶる海の神々を、鎮める為に日々祈る呪術師の兄弟。
その神々を鎮める為に、仲違いをしている土地の呪術師の兄弟を仲直りさせて、"旅人"と共に祈りを捧げる。
そして海を穏やかな状態に戻し、南の島に安寧をもたらす話】
【"旅人"が愛した大地の女神だと詐る、他の世界からやってきた可哀想な小さな女の子。
その女の子と大地の女神と引き合わせて、詐る事の悲しさを説いて、最後には女の子と女神は友達になる話】
『賢者殿とロック君がどういった場所と箇所で、その話に関わるかはわかりませんが、確かにその内容で考えたなら、世界規模の話になります ね』
まだ、東の国の話だったり、この国の代表的な祭典に繋がる《旅人》に関する教典に記された話をアングレカムは思い出せる。
しかし、とりあえず話を先に進めるために思い出す事に、区切りをつけた。
《旅人》の活躍が、ピーン・ビネガーの言う通り"英雄"という言葉に当てはめてもおかしくはない事に気がついた。
(いえ、《旅人》がこなした事は賢者殿が仰る通り、こなした活躍を考えたのなら"英雄"という言葉で"彼"を表現した方が、確かに当てはまる。
――――何より)
"英雄"という表現を《旅人》と変えたのは、教会に命じたのは今の暗愚と呼ばれる国王が即位してからだった。
参謀が僅かに眉を潜めた所に、賢者が声をかける。
『アングレカムは、私が言っていることが本当だと信じるのか?。
イタズラ好きな賢者が、少しばかり賢い青年をからかおうと、最もらしく教典の話を重ね合わせる荒唐無稽な話だとは思ったりしないのか?』
ロブロウを統治もしている優しい領主で、イタズラ好きで有名な賢者でもある柔らかな、優しい笑みを浮かべている。
―――傍目にはそんな笑顔をしているように見せていたが、目も口許も注意深く観察をしていたなら、鋭さを隠らせている、それが判るピーンの顔つきだった。
『疑いませんよ』
そんな顔をするピーンに、あっさりと、アングレカムがそう言いきった。
こちらは一般の御婦人方が見たなら、うっとりしそうな綺麗な笑みを浮かべて、客人は、賢者に返事をしていた。
それから、まだ虚脱状態にある椅子に腰掛けた執事の青年に、綺麗さに優しさ加えた緑色の瞳を向ける。
『―――私は、自分の安らぎを犠牲にして、安らぎを与えてくれる闇の精霊を踏み躙じる。
そこまでして、自分の執事を―――ロック君の事を、"枠"から極力引き離す努力をして、"普通"に留めうとしていた、ピーン・ビネガーの表情や行動はの気持ちは本物だと思えましたから』
魔術に堪能な青年には、先程言った"枠"の話を含ませなくても、何らかの理由があって保護もしているが、"大切"にしているのだろう執事の為に、賢者と闇の精霊との間にできている確執に気がついていた。
『寧ろそんなことまでして、自分の事を疑うように嘯いた物言いをする意味がわかりません。
それに私は賢者ではないから詳しくはわかりませんが、賢者と言う人々はそう言った枠の"事情"があるから、国を越えて活動する事を許されていると考えてもかまいませんか?』
『―――そういった話は、世話になった賢者殿に聞かなかったのか?』
"賢者"となった時に、色々な約束事もあったが、確か特に"英雄"―――《旅人》に関しては話の制約といったものはなかったはずだった。
なので決起軍の若者達を世話したという賢者から、この勤勉な青年がそういった話を訊かなかった事は、疑問にピーンは感じられた。
そこでアングレカムは自分の顎に拳に手を当てて、少しだけ考え込む。
『―――私達が世話になった賢者殿は、知恵を欲する向上心がある人には、惜しみ無く自分の持っている知識や情報を与えてくれました。
ただ、何気にご自分の事に関しては語ってはくれませんでした。
その最もたるところは、決起軍の誰一人としても、賢者殿の名前を存じてはいません』
だがアングレカムの"賢者の名前を知らない"という話を聞いても、ロブロウの領主で賢者である男は、驚きはしなかった。
どちらと言えば"そんなこともあるだろう"と言った様子で、美しい客人と同じ様に、顎に手を当てていた状態になり、小さく頷いて"納得"をしていた。
『―――成る程、確かに固有名詞で特にそれで支障がなかったのなら、"賢者殿"で済ませて良い話だものな。
田舎の村に2人も賢者はいないだろうし。
それに――、まあ、これはいいか』
今、ピーンがもっとも興味を持って研究している東の国の術の中に、名前を"呪"という形で使うことで行われる呪術がある。
(その賢者も、名前の呪術を知っているのなら、安直に自分の名前を晒したりはしないか。
まあ、このセリサンセウムという国に名前の呪術を知っている者なんて、早々いないだろうが)
アングレカムに魔剣の術を教えたり、ジュリアンに銃という武器を造り与えたり、魔術をいやがるグロリオーサに有り余る力を別の形で昇華させる術を教えたり。
伝聞で話を聞くだけでも、深く広く知識も情報も持っているらしい賢者という事が伺えた。
『さて、それでは決起軍にピーン・ビネガーが参入するかどうかに話を戻そうか。
さっきも言った通り、私はロブロウ領主として、おいそれとして承諾できる話ではない。
またそう言った態度を崩してはいけないとも、考えている。
そうでないと、ロブロウ領主として生きる事にした私に付いてきてくれる、伴侶となってくれた女性と、多くの才能を持ちながら、それを全てに"匣"に閉じ込めて追いかけてくれる執事に申し訳が立たないんでね』
落ち着きのある声で、椅子に腰掛ける執事の頭を優しく撫でながらそう言いきった。
しかし誘いの言葉をかけて、"おいそれと承諾出来ない"と言われ、中には"匣"という知らない言葉を出されても、参謀に焦りの雰囲気は全くない。
そして言葉を挟む様子もなく―――まだ、ピーンが語るのが続くのが判っている様子だった。
アングレカムが判って黙っていると解った賢者は、小さく息をついて、執事の肩を優しくポンポンと安心させるように叩いてから、深く眼と口を閉じる。
『――ただ私個人"ピーン・ビネガー"としては、是非とも参入したいものだ』
決起軍の参謀に、言葉明朗に静かにそう語り、椅子に座る執事から手を離し、背を向けた。
この主の言葉を聞きながらも、虚脱が身体を占め、執事は未だに身体を動かせない。
ただ遠くに感じていた距離は大分縮まり、その感覚は、広い同じ部屋の端と端にいるぐらいのものになっていた。
そして、「ピーン・ビネガー"としては、是非とも参入したいものだ」という言葉を耳にしたならば、半眼の瞳に滴りそうな程泪が集まって来ている。
心では、泪を止めたいとおもうけれど、どうしうようも出来ない。
力を自由にいれる事も出来ない目元から、頬を伝い滑り落ちて、容赦なく一滴、先程重ねる様に自分の腿の上に置かれたた執事の白い手袋の上に、泪は滴った。
自分の体温を持った泪は、布越しになっても、熱を動かす事が出来ない身体に伝える。
泪が滴った事は、今は背を向けるピーンにも、会話に集中しているアングレカムには知られないのが、幸いだった。
そんな"恥ずかしい"という気持ちをもっていながらも、それ以上に沸き上がる気持ちがある。
――――どうか、私を、置いて、行かないでください、我が"主"。
全ての感情を上回る勢いで、心が壊れそうなくらい、そんな気持ちで、動かない身体の中でも胸を震わせ、考えながらも思いを口に出せない。
口に出せないのは、まだまだ体に力が入らない虚脱の状態の為もあったが、口に出さない事で、自分が保てなくなりそうなくらい程、ピーン・ビネガー依存している事をを改めてロックは自覚した。
ただこうやって力が入らない状態にあることで、身勝手にしか思えない考えを口に出せなかった事に、安堵する自分にもロックは気がつく。
そうしてそんな風に考える自分という人に、呆れてもいた。
(―――私は……"僕は"、どんなに旦那様が大事だと言っても、やっぱり、結局、自分の事しか考えていない。
旦那様がいないと、自分というものが保てない。
少しも、成長する事ができてもいない。
結局、僕みたいな存在が、優しい旦那様の自由の足枷になっているじゃないか)
昔、出会ったばかりの頃、今は背を向けて立っている"主"となっている人を、主と定めて良いのかもわからず、不安にまみれていた時にだけ使っていた、幼い一人称になる程心が退行し、ロックは不安だった。
(ごめんなさい、旦那様)
漸く僅かに力が身体に廻り入る様になった時、執事は両方の瞼をまず一気に閉じた。
今度は、両方の目と頬を泪が伝い落ちて、また手袋の上に落ちて温かい滲みを作った。
(―――成長してないことはないさ。今は、私に全てを委ねようという考え方に"恥ずかしい"という気持ちを持ってはいるんだろう?)
自分の頭の中に響いた主―――ピーン・ビネガーの声に、ロックは心の底から驚いた。
けれども、驚きで頭を持ち上げられる程までの力は戻ってきていない執事の体は微動だにしない。
ただ思考はもう随分近い場所から――――今実際に現実にいる場所と、変わらない距離から聞こえてくる。
だが驚いたのも束の間で、ロックの中で膨らみきっていた"不安"は、別の種類の"不安"として、急速に成長を始めていた。
(旦那様、その、すべて、私の心の内を、聴かれていたんですか?)
身体の中の体温が、別の種類の不安―――"気恥ずかしさ"の為に一気に上昇し、鼓動がドクドクとしているのすらロックは感じている。
恥ずかしくはあるのだが、とりあえず、今は一番そこが執事には気になっていた。
依存における自己中心的な考えを持っていた、自分を恥じている事も勿論あった。
それ以上に依存に含ませてもいた"慕う気持ち"を、聞かれてしまってやないか―――。
―――いや、多分絶対、聞いている。
(無理矢理ロックの身体についていたものを引っ剥がしたからな。
で、今回はお前は身体動かせなくてるみたいだから、もしも、御不浄にでも行きたくなったら困ってしまうと思ってだな)
"屁理屈"で、虎視眈々と何かと執事の気持ちや話の方向を誤魔化そうとしている様子が、テレパシーでも判る。
いつも弁えている礼節さより、恥ずかしさが勝っている内に、執事は――今度は何とか動くようになった口元を引き締めて、旦那様に重要な事を尋ねる。
(だから―――ど こ か ら 聞 い て い た ん で す か、旦那様)
(その……すまん……全部というか、思いっきり「どうか、私を、置いて、行かないでください、我が"主"」
を聞く前に、心が聞こえる処置をした)
―――完璧に、一番恥ずかしい場所を聞かれていた。
(早めに言えば良かったんだろうが、思いの外、こちらも感動したというか、何というか―――)
『なので、間を取ろうと思っている』
恥ずかしさの為に返事も何も出来ない執事に反して、テレパシーを使いながら、客人にピーンは言葉を返していた。
『間をとるとは?』
"間を取る"というピーンの発言はアングレカムには勿論、音は正確に聞こえる様になったロックにも解釈が難しいものだった。
ロックからの"どこまで聞いたんですか"という追及も、ピーンにはこれ以上向けられない。
アングレカムと同じ様に沈黙しているのは、自分の発言に疑問に思っている事が解ったので、ピーンは言葉を続ける。
『"ロブロウ領主ピーン・ビネガー"は、決起軍についていくことは出来ないが、"賢者ピーン・ビネガー"なら参入にする事は可能だと、私は目論んでいるわけだ。
加えて、"執事"じゃなくて、"秘書付き"でな』
"秘書"付きという言葉に、執事は今まで動かせはしなかった身体を、ビクりと痙攣させるように動かすほど驚いた。
動けなくなっていた執事の青年が動いた事と、中々処理しにくい、賢者の色んな事を含んだ返答。
この2つ共に驚いたアングレカムは、精悍な緑色の瞳をパチパチとさせた。
『―――ロック君、大丈夫ですか』
とりあえず、気になる方の比重が重たい方に、決起軍の参謀は声をかける。
しかし、背の高い白髪の賢者の肩越しにいる、今は椅子に腰掛け頭を垂れる執事に声をかけても、返事はないし、動かない。
頭が垂れている状態なので、やや長めの後ろに流していた前髪は降りていて、ロックの目元も覆われていて、アングレカムからの位置からは表情らしいものが見えない。
(どうやら、賢者殿の変わった発言はロック君にも初耳で、それで驚いて、動けない身体でも思わず反応してしまった―――という具合なのでしょうか)
アングレカムはおおよそ当たっている予想を考えながら、ロックからその主となるピーンの方へと視線を移した。
『ロック君も、決起軍に参入させるということですか?。
それが、あなたの意志と、ロック君の為になるという事ですか?。
でも、グロリオーサの事が確か苦手だと―――』
そこで参謀は眉間に縦皺を刻んで、口を閉じる。
『―――すみませんが、考えを纏めるために、少しばかり時間をください』
再び口許を押さえて、指先の閉じた掌を見せて、態度でも″待って欲しい″いう伝わりやすい表現をアングレカムはピーンに見せた。
それに、ピーンは大層人の良さそうな笑みを浮かべて了承する。
『ああ、アングレカムの都合のいいように纏めてくれ。
それでは私は、ちょっとロックの様子を見よう』
相変わらず"イタズラ"が入ったのなら、見事な演技力―――自然な振る舞いでアングレカムに背を向けて、再び"秘書"の役割を与えようとしている執事に向かって正面に立つ。
そして椅子に座する執事の前に膝をついて、頭を下げた形になっている顔を下から見上げるもの姿勢と賢者はとる。
(思えば、10年以上の長いつきあいだけれども、ロックの泪なんて初めて見せて貰ったなぁ)
先程と同じように、身体の調子を見るかのように、執事の顔を大きな両手でピーンは包み込んだ。
(―――)
執事は返事を返しはしないが、瞳は残っていた泪で潤んでいて、動揺に泳ぎ、口は真一文字で、顔は真っ赤になっている。
持てる力の全てを以て照れているのが解った賢者は、これ以上は照れないように、泪に関してそれ以上は言わない。
静かに、顔を包むように添えていた両手の両方の親指で、執事の泪とその跡を拭った。
(ありがとう、ロック。
依存という事もあるかもしれないが、とりあえず私は、自分の事を必要とされる事は嬉しい類いの人間らしい。
偶にではあるけれど、
"領地を見事に庇護してくれ力があるから、ピーン・ビネガーはロブロウ領主として必要とされているだけなんだ"
と、拗ねた考え方をしている私には、どんな立場でも構わず、私だけを必要としてくれるお前の気持ちは、本当に嬉しいものだよ)
ゆっくりと主から感謝の気持ちをテレパシーで伝えられると、ロックの気恥ずかしさは消せないが、膨らみ渦巻いていた不安の方は萎んでいった。
(旦那様……)
何かしら言葉を返そうと頭の中で、ロックが考えている内にピーンが更に言葉を続けてきた。
(だから、頼みがある。
恐らくはロック共々これから参加する決起軍で、独りが気楽と言いながらも、私の中にある身勝手な"孤独"を埋めてはくれないか?)
(旦那様が、"孤独"だというんですか?)
執事は、動かせない身体の内を再び大きな驚きに包まれたが、今度は身体を動かす事はなかった。
ただ身体を全く動かせないながらも、信じられないといった具合で瞳の中にある瞳孔を最大限と思われるぐらいに開いて、自分に頼み事をする主を見つめる。
主が抱えているという、"身勝手な孤独"といものが、執事にはまだ思い付くができない。
自分の事を思って"何かを言わなければ"と、無理に口を動かそうとしているロックがわかった。
ピーンは、ムニっと包み込んでいる挟んでいる手で、両方の頬を引っ張って口を開くのを止めた。
――――これも、ある意味滅多に拝めない、なかなか面白い顔だな。
(旦那様!!)
テレパシーにはしていないのだが、どうやら、考えていた事が露骨に表情に出していてしまったらしく、ロックから文句の言葉がピーンの頭の中に響く。
(スマン、ゴメン、悪かった。
追々話させてくれ。
私に依存しているお前が聞いたら、呆れてしまう孤独かもしれないが、宜しく頼む)
この言葉に、執事は僅かに動かす事ができる眉を動かして"怒り"の表情を作ってみせた。
(私、"ロックが旦那様に呆れられる事"はあっても、"ロックが旦那様を呆れる事"なんて絶対にありません)
心からの、本当の気持ちで、当たり前のようにロックは返事を主に返す。
その"返事"に驚いてロブロウ領主が小さく丸く、口を開けた所を、瞳すら満足に動かせない執事には見ることは出来なかった。
ただ見られていない事に領主は――賢者は少しだけホッとしながら、静かに口を閉じて、その両端を本当に嬉しそうに、上に上げていた。
(はは、そんな事を言われたなら、まるでロックの方が、どんなピーン・ビネガーすら見捨てない慈悲深い神様みたいだな。
でも、ありがとう。
必ず、ロックにはロブロウ領主という"仮面"を外したピーン・ビネガーという人の話をするからね。
これからも、宜しく頼む)
再び執事の泪の跡をしっかりと拭って、今は考え込む客人には十分誤魔化しが効くようにしておく。
(身体が動かせる――落ち着いたら、声をかけてくれ。
私は立ち上がったら、もう心の内が覗ける魔術は解くから。
何より、無理はしないこと。わかったか?)
(はい、判りました、旦那様。
多分―――あと少しすれば、私も身体の調子も戻ると思います)
不安の時を抜けてにか自分の"僕"という一人称が"私"に戻っている事に、気がついて、ロックは心の中で微笑んだ。
身体を動かして返事が出来ない執事からのテレパシーと、"微笑んだ"感情を感じて、ピーンは頷き、包み込んでいるようにしていたロックの顔に触れていた手を離した。
『ロックは、まだまだ力が入らないらしい。
アングレカム、また私の淹れた茶ですまないが付き合ってくれ』
小さな声で、お気になさらず、と応えてまた考えを纏める事を続けていた。
ゆっくりと立ち上がったのなら、紅茶のセットが置かれている台車に向かって、自分の執事にも客人にも、ロブロウ領主は背を向ける。
執事に比べたなら、大分雑把な手つきで――ティースプーンから、茶葉を溢すのは当たり前――紅茶の支度を始めながら、自分の中にある、"身勝手な孤独"を考える。
――グロリオーサと"対峙"した時に感じ、自分の中に溢れた喜び。
自分と"対等"に話して―――戦ってくれる人。
そして妻からの何気ない一言の驚き。
"領主様とロックは、幼馴染みには時間が合わないかもしれませんが、"親友"に近いのものはあるように私は思います"
―――私は、臣下として来てもらった人に、親友になっても、良かったのだろうか。
(私は"守らなければ"と強く考えるあまり、本当は同じ居場所にいてもよい人を、護るという言葉を免罪符にして、"ピーン・ビネガーに依存している者"として、庇護の牢獄に閉じ込めていたのかもしれない)
指を弾いて、火の精霊をポットの周りに呼び出した。
呼び出された小さな炎のトカゲは、円らな深紅の瞳で自分を呼び出した賢者を見上げながら小さな舌をチロチロと出している。
『温めてくれ』
火のトカゲに短くそう言って、ピーンはまた小さく自分を笑った。
(―――私は、勝手に孤独ぶっていたのかもしれない)
直ぐにポットの小さな口から湯気が出始めて、口の広いカップを温める為に、沸かした熱湯を注いだ。
注いだ側から、暖かい上がってきている湯気越しにまだ椅子に腰かけている執事を見つめた。
(私のしようとしている孤独の埋め方はきっと、身勝手なものだ)
自分の傍らにただ居たいといっていた存在を、相手が望んでもいないのに勝手に同じ居場所まで持ち上げようとしている。
"影"のように、ひっそりと側にいたいとただ言っているだけなのに。
『アングレカム!何とかしてくれ!』
バタンという客室の激しい開閉音と共に、グロリオーサが正しく突如といった具合に、頭の黒髪を白い手拭いで覆い、腕捲りの状態で部屋に慌てる様子で戻ってきた。
考え込んでいた、ピーンもその突然の"帰還"に驚きつつも、熱湯を扱っていることもあってポットをしっかりと安定する場所に置く。
火の精霊は、突然戻ってきた人が"強い"人物と判ったらしく、ヒョイと小さな頭を上げ、チョロチョロと動き向かおうとした所を、ピーンが指を弾いて元の世界に戻した。
『―――グロリオーサ、貴方のいつものその調子なのはわかりますが、部屋に入る前は一応ノックぐらいしなさい。
それに太刀は外して来なさい、いくら賓客扱いとはいえ、失礼になります。
あと、頭に巻いてる手拭いも外しなさい』
突如として帰ってきた事にアングレカムが特にはふれないのは、グロリオーサという人が本当に"突如"としてこのような行動を取ることが多いのだろう。
顎に当てていた手を額にあげて、溜め息を吐き出しながらも、スラスラ親友に失礼な振る舞いを取らせまいと、忠告の言葉を口に出していた。
まだ入り口にいたグロリオーサは、とりあえず忠告は耳にいれているらしく、部屋の入り口の剣の安置場所に太刀を置く。
それから頭の手拭いを鳥ながら、スタスタと立ち上がったままの親友と友人の側に急ぎ足にやって来る。
そんな客人達のやり取りを見ながら、この領主邸の主でもある男は、時計を見上げていた。
『何だ、時間は予定を過ぎているわけではないだろう。
それにどうやら、例の菓子作りの途中から抜け出してきたみたいだな』
戻ってきた客人の衣服からは、菓子を作る時に使ったのだろう粉がついていたり、ほんのりと甘い香りもしている。
(色々と話を飛び飛びでしていたが、結構な量を話をしたし。
ロックとの予定外のアクシデントもあったから、思っているのと、感じている時間の進み具合が違ったか?)
そう考えてピーンが時計を見たならば時計の長針が丁度1回半。
短針は45度ばかり動いていて、アングレカムが注文した時間の丁度中程―――1時間半が過ぎた時刻だった。
『そうなんだ、ピーン、そのとおりなんだが、ええっと。
―――あれ、ロック君はどうしたんだ?』
胸元に手をゴソゴソといれながら、答えつつ、椅子に項垂れるように座り込んでいる執事の青年を見て、グロリオーサは逞しい首を傾げる。
『ロック君はを心配する気持ちはわかります。
しかし、話がややこしくなります。
なのでとりあえずは、まずは貴方が、マーサさんを置いてまで、グロリオーサが戻ってきた理由を話してください』
『判った!で、戻ってきた理由はこいつだ』
グロリオーサが引き続き胸元をゴソゴソしながら取り出したのは、―――アングレカムに持って行く事を"強要"されたあの古い、立派な絵本だった。
『貴方が持っていながら、マーサさんの魔力を吸おうとでも言うのですか?』
眉を上げて驚いた表情をしてから、グロリオーサの手の内にある古い絵本を見た。
絵本は、アングレカムが見る限り、何時もの"彼"が側にいる時の"大人しい"時と変わらない。
『と、その前に―――』
アングレカムがチラリとピーンを見ると、察しのよい賢者は小さく白髪の頭を横に振った。
『マーサに魔術の"凄い"素養はないし、魔力があるというわけでもない。
精々、料理をするのに便利なぐらいの――さっき、私が呼び出した火の精霊位を"招く"ぐらいのもんだな。
でも、乏しい相手でも遠慮なく吸いとろうとするのか?。
何か、気紛れに吸いとるみたいに話を聞いていたが』
この質問には額に当てていた手を、アングレカムは口許に戻して、こちらは小さく頷いた。
『ええ、大体が気紛れに吸いとるんですが…。
吸い尽くす程の力があるとは思いますが、先程の私みたいに身体に、絵本が側にあったなら直につけていれば"所持者"が動き回る程度の自由は"与えてくれる"みたいですね。
でも、どうやら絵本が吸いとろうとしているのは、グロリオーサの様子を見ると……』
チラリと言った具合に、横目で困りきった顔の親友を美丈夫は眺める。
『何故だが知らないが、マーサの"記憶"を吸いとろうとするんだ。
"魔力"の方なら、抑えを効かせる具合が判るんだが、記憶の方ばかりを吸いとろうとしている感じだから。
菓子を一緒に作ってて、マーサの側に近づく程、吸いとろうとす……?。
ピーン?』
ヒョイとグロリオーサの持っている絵本を、ピーンは取っていた。
『―――ふーん、"気紛れ"か。アングレカム、ちょっといいか?』
絵本を持っていない方の指で、チョイチョイと招く。
『何でしょうか、賢者殿?』
言葉に出さずにテレパシーを使う事もできたが、それではグロリオーサには会話に参加出来ない。
それに、今の状況――頼られているのに、会話に参加出来てない――わけがかわからず話が進んだなら、多分面白くないだろうと、賢者と参謀は自然は言葉を口に出して会話する。
『とりあえず、私の話のなかで、細かいところはともかく――――』
指先で呼び寄せたアングレカムが来たことで、グロリオーサから取り上げた立派な絵本を眺め始めながら、口を開く。
『今後の大凡な流れは、決起軍の参謀としてもう、考え始めているだろう』
絵本を開いたり閉じたり、上に掲げたりと様々な眺めかたをしながら、賢者は尋ねていた。
そしてそんな事をしながらも、絵本が僅かではあるが、賢者の魔力を吸いとっているのが、アングレカムには判った。
『はい。正直に言って、賢者殿が参入してくれることを前提に、これからの方針を考えているところがありますね』
"賢者の参入"という言葉を聞いて、厳つい眉の下にある漆黒の瞳を丸くしながらグロリオーサは、会話をする2人を見比べた。
『―――それに、ロックの参入を加えては考えているか?』
ピーンは瞳だけ動かして、項垂れるように座る執事を見たと同時に、グロリオーサは今度はパチパチと瞬きを始めて親友と友人と―――友人の忠実な執事を見た。
『はい、それも先程の話を聞いてから、ロック君を組み込ませていただいています。
ただ、領主として、ではなく賢者として参加したいという言葉の意味と、解釈の仕方に多少戸惑っています』
ウンウンという具合に、アングレカムの言葉に頷いてピーンは小脇に絵本を抱えた。
『そうか。悪いが、今暫く……。
あと一時間半程、私たちを加えた"6人"で考えるのを止めて欲しいんだが。
勿論、私達は参加する。
ただ、戦力的には"1人"に2年ほど休養を強いる事……いや、休養をじゃなくて安静になるのか、この場合は。そうなるかもしれない腹積もりで、考えを進めるならしておいてくれ』
『俺達の仲間で、休まなきゃいけない奴なんていたか?』
話に割り込むつもりは全くなかったのだが、流石に"休養・安静"という言葉を並べられたのなら、リーダーという立場にいるグロリオーサは気になるし、しなければならない。
『んー、まあ私の目論見が順調にいったらの話だからな』
『賢者殿の、目論み?』
"賢者"という存在に絶対的な信頼をおいているアングレカムではあるのだが、なんだか物凄く、"とんでもない事"を"ピーン・ビネガー"はしでかす―――そんな予感が、利発な頭の中で警鐘を鳴らす。
『なあに、安静も養生も"病気"の為にさせるものじゃない予定だから、安心してくれ、グロリオーサ、アングレカム』
ピーンにしてみたら、大きなヒントをこの一言で与えたつもりだった。
しかし"ヒントを答えに結びつける経験のない若人"には、これでは賢者の考えいる目論見の一端にはたどり着けなかったらしい。
グロリオーサとアングレカムは2人で目配せをして、2人とも小さく頭を横に振っていた。
少しばかり"知らない"事に微笑ましい気持ちになりながら、頭を振る客人達を領主として眺める。
(この2人の人生の中でも、体験しておいて欲しいことではあるのだがな)
絵本を脇に挟んだ状態で、腕を組んで、2人に向かってニッとピーンは笑ってみせた。
(―――あと出来れば、グロリオーサの生育記録みたいな物を確認出来たならいいが)
そこまでいったなら、アングレカムの方は目論見に気がつくかもしれない、ピーンの頭の中だけでそう考えて、客人にあたる2人の若人には自分の考えを一端も述べなかった。
『アングレカム、あと1つ尋ねておきたいことがあるんだ』
(まあ、あとは直接"当人達"を見てから行った方が良いだろうな。
それにこの場で尋ねるにしても、それは性急過ぎる)
口に出すこと頭で考えていることは見事に別事ながら、賢者は自分がやるべき事をスムーズに進めていく。
もう"決めた"事は行うつもりでいた。
―――《決起軍のこれから》を考えたなら、必ず必要となる下準備を賢者は手伝う事を決意していた。
賢者の頭の中で繰り広げている謀は、一概なもので、"普通"なら「なんて身勝手な考え」だと余裕で思われるものだと、ピーン本人でもわかっていた。
しかし、まだ誰の意見を聞いたわけでもないのだが、頭に浮かんだ考えで物事を進めた方が、座りが良いと思えて仕方なかった。
(まあ、賢者の行動に関しては本当に屁理屈な事で話を進める事にはなるんだがな)
『はい、何でしょうか』
『過去に、この絵本が"気紛れ"に、さっき話したグロリオーサに芽生えた"芽"を摘んでしまうことはなかったか?』
遠回しの表現にはなるし、グロリオーサがいる手前で、確認するのはどうかと思った。
しかし多分、これからピーンが行おうとする事で、絵本が"気紛れ"をする事は恐らくは"格段に減ること"になるだろうから、敢えてこういった方法を賢者はとってみせていた。
アングレカムは先程のグロリオーサの様に、こちらは綺麗な緑色の瞳を丸くしたが―――直ぐに思いあたる事があった模様で、頷いた。
『―――ええ、確かに数度あることは、ありましたが……まさか、"気紛れ"ではなくて……?』
それからハッとするように正しく"思い出した"と言った態で、ピーンを見た。
(どうやら、グロリオーサの言っていた通り、こういった事は2人揃って朴念仁というのは、本当らしいな)
(―――そこについては認めます。
でも、私は縁遠くなるように、努めていますからね)
からかいの調子でテレパシーでそんな言葉を送ると、参謀もここは決まりが悪いのか、賢者という存在に敬意を払う青年にしては少しばかり素っ気なく返事をしていた。
そんな所にアングレカムの"若々しさ"を感じながらも、少しばかり杞憂かもしれない不安を抱いた。
『奇貨居くべし』
だから朴念仁を自負しているだろう、2人の青年に賢者はある言葉を送ることにする。
グロリオーサはともかく、勤勉な参謀もこの言葉をは知らないらしく、不意にゆっくりと言葉を紡ぎだした賢者の顔を同時に見つめていた。
どうやら賢者が格言らしい言葉を使ったのは、2人とも把握はしている。
そして、どういう意味があるのかも興味を持った様子だった。
彼等を指導した賢者を意識したわけではないが、出し惜しみすることなく、これから共に過ごす仲間にピーンは言葉の意味を解説を始めた。
『奇貨居くべしは、"得がたい機会は上手に利用しなくてはならない"という意味の言葉だ。
「奇貨」というのは、大切にしまっておけば、やがて大きな利益を生んでくれる価値ある珍品の意味だな。
そして、私が「奇貨」を使った意味で言いたいのはある"経験"だ』
『"経験"?。えーと、それは俺もアングレカムもしたことはないのか?。
というか、俺にはどういったのがピーンが言っている"得がたい機会の経験"なのかもわからないんだが―――』
("解らない"と言う割りには、言葉が表現している内容を上手く纏めて、理解をしているな)
グロリオーサが、解らないながらも要点を掴んだ素直な反応に賢者は思わず微笑んだ。
その反面、アングレカムは褐色の肌を少しばかり赤くしていた。
こちらはピーンが言う"経験"の名前を解った上で、どうやら"照れて"いるらしい。
『アングレカムは、私が言う経験に察しがついているらしいな』
賢者は容赦なく参謀の照れて―――恥ずかしがっている事を、グロリオーサにも分かるように口に出した。
ピーンの言葉で側にいる親友を見てみれば、赤くなっているのにグロリオーサは大層驚いた。
『ん?。アングレカムが、恥ずかしがるような経験ということか。
毒舌で腹黒で、喧しい婦人を黙らせる為に、本当に一肌脱ぐような事までするのに、一体今さら何を恥ずか―――イダダダダダ!!』
『余計な事まで言わなくてよろしい』
赤くなりながらも、グロリオーサの頬をアングレカムは見事に捻りあげ、ピッと勢いをつけて離した。
『で、どういったのか教えてくれないかピーン?』
"戒め"に頬を捻られるのは馴れているらしい。
捻られた頬を撫でながら、"怖いもの知らずと思っている幼なじみの親友"が、恥ずかしがることが思い付けないグロリオーサは、ある意味天真爛漫とも見える笑顔を浮かべて賢者に尋ねた。
その様子に呆れて、アングレカムは観念したように自分の口から説明を始めた。
『多分賢者殿が仰有っている経験とは"恋"ですよ、グロリオーサ』
『コイ?』
だが、今度はグロリオーサにはアングレカムが"恋"を語るのが結びつかなくて、"コイ"という2文字だけを黒髪の頭の中に浮かべていた。
"コイ"とグロリオーサに鸚鵡返しされた時点で、アングレカムは理解してないと、察して溜め息をついた。
(放っておいたなら、昔故郷の池でよく釣り上げた淡水魚に結びつけかねない)
アングレカムそう考えた瞬間には、黒髪の親友は釣り上げるジェスチャーを賢者にしようとしていた。
『色恋の、男女間や……慕う相手に使う、"恋愛"の"恋"です、グロリオーサ』
その言葉を聞いた途端に、グロリオーサは固まってしまっていた。
そんな親友を見たならば、アングレカムはまた大きくため息をついて、賢者に向き直る。
『―――先程も言いましたが、私は"恋"に関しては経験しないように避けているんです。
朴念仁ですし、元から縁がないこともかもしれません。
極力関係をなくしたい事でもあるんですよ、賢者殿。
何より恋をするよりも、私にはなすべき事と目標がありますから。
それに私が目標てしている世は、そういった事が気軽にできる世相でもあります。
だから―――』
《理論武装》を始めた参謀の前に、小脇に抱えていた絵本を賢者がヒョイと出したなら、アングレカムの口は動くのが止まった。
『―――まあ、そう言うな。
それにそういう風に"恋"を避けていることは、裏返したならアングレカムにとってはそれほど"珍しい機会"になるわけだろう』
聡い青年でもある参謀は、いくら理論で武装をしても、《賢者》という存在は、切り崩せないところからでも、言葉をねじ込んで"武装"の意味をなくしてしまう事に直ぐに気が付いた。
なので、これ以上無駄な武装するのを止めて、賢者が続ける言葉を待った。
『得がたい機会は、上手に利用しなくてはならない。
人に与えられた期限は生きている間には無限のように感じさせる癖に、いざ間際に死の間際になったなら、容赦なく"有限"な事を感じさせる。
繰り返しになるが、大切にしまっておけば、やがて大きな利益を生んでくれる価値ある経験となる。
そう、"戦"をする上でもな』
"戦の上"でもという言葉に、アングレカムの中で少し考えるところがあるようで、1度深く眼を閉じたが直ぐにまた開いた。
『私には、賢者殿が仰る"恋の経験"とやらが、どうして戦に結び付くのかがわかりません。
それに得難い経験とは言いますが、世の中にはしなくても"良い経験"というものもあると考えています』
武装を解いて論破をされようとも、自分の納得させられる話をされようとも"恋"の話題をしたくはないと、アングレカムははっきり言っているに等しかった。
この頑なな参謀の反応に、ピーンもこの話題については深く追うのは止めにする。
(折角のアングレカムの中に"同業"が築いてくれた、"賢者に対する信用"を私が崩すのもなんだな)
特に感じ入るつもりもないが、こうやって話しているうちに、どちらかいえばアングレカム自身が
"恋を避けている"
というよりは、何か別な事があって
"恋をしないように、制約している"
ような印象が強くなった。
(もしかしたら、自分も"恋をしない"と決めた上で、義理立てている部分もあるかもしれないな。
後は、例の"バルサム"ちゃんが、ちゃんと初恋を終了するまでと、考えていてもおかしくはないか)
そうやって、今こういう決起軍の代表する2人がこの土地に訪れる"状況"になった原因を思い出して、アングレカムなりの"配慮と優しさ"を感じて、賢者は柔らかい笑みを浮かべる。
(さて、それではアングレカムは"避けている"にしても……)
そして男女間の恋愛と聞いてから、黙りこくっているグロリオーサに賢者は視線を向けていた。
("当事者"として、どんなものだろう。
避けているつもりはないだろうが、どんな気持ちで向き合っているのやら)
『―――存外、避けているアングレカムはともかく、グロリオーサは、体験に近い事をしてはいるんだと私は思うんだがな。
しかも、ロブロウに訪れる……というよりは、迷いこむきっかけにもなっている』
強くて素直過ぎるグロリオーサに、きっと今まで誰もこんな風に語った事はなかっただろと思いながらピーンは言葉を吐き出した。
そして言われた当人は、僅かに不安そうな表情を浮かべている。
(意外だな、照れる位の反応はすると思ったが)
魔力を吸い取られながらも、絵本をまた小脇に抱えて腕を組ながら予想外の反応に、ピーンの方が眼を丸くする。
狼狽える親友を、見てはいられないといった様子で参謀は視線を逸らしていた。
『ああ、まあ、その、恋っていうか、ピーンはさ、俺から色々な話を聞いて―――迷子の原因の話とか聞いて、俺が"トレニアを好きだ"って思っているんだよな?』
『―――ああ、まあそうだな。
でも、どちらかと言えば、恋をしているというよりは"大切にしている"といった印象が強い』
話を聞いた上で、感じたままを言ってみると、グロリオーサも頷いた。
『好きか嫌いかで言うなら、はっきり言って好きだけどさ。
―――これは"恋"っていうものにしても良い気持ちなのか?。
ただ、守りたいから、笑っていて欲しいから、それでどんな事があっても、大切にしたいって気持ちは"恋"としてもいいのか?』
真剣に、グロリオーサが自分に伴侶を持っているロブロウ領主ピーン・ビネガーに尋ねているのが判った。
顔には余裕で微笑んでいるように見せているが、実は"恋の説明をどうしよう"という気持ちが賢者の中にはある。
(考えたなら一般的な恋に関しては、私は上手くは説明できない)
親が決めてきた縁を受け入れて、妻を伴侶として、全く後悔はしていない。
それにどちらかと言えば、グロリオーサが言ったような"守りたい、笑っていて欲しい、大切にしたい"という気持ちは、ピーンの中ではカリンと日々を共に過ごす事で芽生えたものだった。
そして今は"何が何でも大切にしたい"とは、はっきり言える。
(寄り添い支え会う家族になるためのきっかけが、"恋"である必要でないのは確かだな。
で、私はよくは知らない事を、さも知っているように語って、グロリオーサにトレニアへの"恋"を気がつかせなければならない)
多分、グロリオーサとピーンの抱えている感覚は似ている。
違うといえるのは、ピーンは"大切と思えるようになった"女性を伴侶として迎えて、間に子どもをもうけていること。
(貴族の結婚は、個人の意志がないかもしれないが夫婦の相性さえ悪くなか ったら、そこまで悪いものではないと私自身が感じている所ではあるが。
"自由に恋愛をして伴侶としてよりそう"という事は、案外難しい事なのかもしれない)
領主の仕事をしていて、領民の冠婚葬祭の話を聞くなかで"婚"の部分では"子どもが出来たのをきっかけに"と夫婦となったという話は珍しくなかった。
勿論、前々から交際はあった仲というものが殆どだったが、"家族"となるきっかけは子どもを授かったというものが多い。
(いかん、また考える事が飛び飛びになりかけている)
グロリオーサが"賢者"の答えを待っているのが、判った。
いくら理詰めや、共感できるような例え話をしたとしても納得しないことも判っていた。
(まあ、納得はしなくても良いとして……。
ただ「奇貨」を"恋"が与える経験が、グロリオーサの中で役立つ経験だと思わせれば、それでとりあえずは)
自分の繰る事になる言葉に、些か危うさに苦笑を浮かべそうになりそうながらも、ピーンは小脇に抱える絵本に心で語りかけた。
《どうしてグロリオーサとトレニアの"恋の記憶"は吸い取らなかった?》
【"まだ"悲恋ではないからさ】
返事が、あった。




