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【昔話 兵(つわもの)の掘る穴ー真実その7・前編ー】

嫌な奴が喜ぶのと


好きな人が涙を流すのと


貴方はどちらを見るのが辛い?。

妻に抓られたお陰で、"人の思いやる気持ちを眺めて、互いに困っているのを面白がる"という、少々趣味と人の悪い事をしている"自分"にピーンは気がつく事になる。

それは何気ない一般の日常の中の一幕や、賢者のピーン・ビネガーには許される事かもしれないが、"領主"としてのピーンには許される事ではない。

国からロブロウという領地を預かるビネガー家の当主として、領民守り安寧の日々という時を与えるのを"任"とし、代わりに、汗水を流し作られた農作物を税と納め貰う。


そんな領民となる人々――ロックやマーサが困っている気持ちを"楽しむ"事は、領主としてあってはならない。


(ありがとうカリン。

私は領主として元より、信頼を預けて貰っている人達の困っている所を見て楽しもうとする――最低な事をする所だった)

テレパシーでそう返すと、妻はホッと安心したように微笑んだ。


(……たまにふざけたくなる気持ち、判らなくはありません。

"ふざける事"を想像して、領主様が時に恐ろしい顔をなさる事も判っています。

でも、いつもちゃんと"想像"する範疇で、心の闇を納めて扱っているのも知っています。

そして、特に親しい人だからこそ、抱えてしまいそうな闇の恐ろしさや、必要な"遠慮"や思いやりを私に教えてくれたのは領主様です。

今日は、待ちに待ったお客様がきたり、グロリオーサ様の猛々しい所を拝見されて、きっと気持ちが昂ってしまわれたんです。

だから、いつもイタズラ好きで治まっている領主様の気持ちも、イタズラの域を越えようとなさっていたのですよ。

気になさらないでください)

領主である夫が、自分が語る気持ちを読んでくれると信じてカリンは語り、また優しく微笑む。


その微笑みに、"困る人見て楽しむ"自分が消えて行く。

(―――今日はロックとカリンに助けられてばかりだな)


思いやってる同士の者達が困る事がないように、今度は考えを纏めるのではなくて、更に"考える"。

口許から手を離して三竦みを打破すべく三者を見比べた。


(―――この領地を信じている人達に私がするべき事は)

皆が黙ったままで障子紙を通して日の当たる部屋で、どうする事が一番良い形になるのか更に考えを熟考する。


そして、結論を出す。


――――ピーン・ビネガーはピーン・ビネガーらしくあれば良い。

人の気持ちも考えて行動するが、自分の気持ちも行動に必ず含ませる。


最後に決して"誰かの為に行動した"(など)とは、言わない。

全ては自分の責任として、受け止める。

そう決めてから先ず見たのは、気に入っている副竈番だった。

マーサは喋らないまま、落ち着かないのか、今はまた動き出し、取り敢えず領主に言われた通りに片付けの続きを始め、もうすぐ終わりそうだった。


(マーサは恐らく、芽生えたばかりの"人を好きになる気持ち"の扱い方に戸惑っている)

次に、アングレカムへの返答を明瞭にしないまま、修繕に使っていた道具を片付けを始めているロックを見る。

行動はテキパキとはしているがはっきりと言って、顔色は冴えない。


(本当に優秀だが、何故だかグロリオーサに苛烈な嫉妬を抱いて戸惑いながら、懸命に理性で抑えている)

そのグロリオーサはロックの為を考えてマーサを誘う旨の発言をしたら、親友に睨まれ、不思議そうな顔していた。


アングレカムはロックの返答がない事と、仲間の鈍さに軽く苛ついている。

グロリオーサはテレパシーを使うと、激しい頭痛を伴い、暗に伝えるという手段が取れない。

それも美丈夫には、苛立ちと悩みのようにも見える。

だが、実はグロリオーサもアングレカムにおおっぴらにはしたくはないが、"ロックが自分に苦手意識を持っているらしい"事を伝えたいと考えている。


(グロリオーサは、ロックが自分に対して出来れば避けようとする意識を持っているのに、気がついている。

アングレカムはその事に気がついてはいない。

と、言うよりは"想像もつかない"んだろうなあ)

ロックは確りしているし、グロリオーサは本当に人を引き付ける天性のカリスマを持っている。


その2人が合わない、とアングレカムが気がつくには出会ってからの時間が短過ぎる。

―――"使用人を代表する執事が、領主の大切な客人を毛嫌いする"。


そんな話を口に出し、万が一にでも他の使用人に広がったのなら、ロブロウの中でもロックの評価が下がるという事を、グロリオーサなりに気にしていていた。

そして、ロックが気を使わなくていいようにしたくて、マーサに声をかけているが、それには気が付いた親友から咎められるような視線を送られた。



(ここは、私がいつも通りの"非常識"になった方が早いかな)

場の空気を読まずに、思うがままに言って、回りが着いてこれなくなるようにして―――。


(三竦みになっている3人を、とりあえず書斎から引き離すとするか。

グロリオーサは兎も角、マーサとロックは1人にさせて落ち着かせてやりたい)

時折、領民が自分の考えるペースの速度に戸惑いを覚えることは、ピーンにも解っている。

それが、自分という人間を風変わりという印象を与えてしまっていることも、重々承知いていた。


(まあ、"ピーン・ビネガー"が突拍子のないことを言うのは、いつも事だからな。

できれば、カリンやロックやマーサには前もって知らせてから言いたかったが……。

2人にテレパシーを同時に送っても、その反応でアングレカム殿には気がつかれる可能性は高い)

特に今から"やろうとする事"に気がつかれて、勘ぐられても障りはないのだが、どうせなら新鮮な"リアクション"が見れるなら、ピーンは見たかった。



『とりあえず、こちらも寡廉鮮恥(かれんせんち)の上で、宣言しようか。

アングレカム・パドリック殿。

貴方と話をしたい事がある――というか、話をしてもらおう。

ロブロウ領主として、この領地に迷い込んだ、"国を代表するレジスタンスの代表"とそれを探しにきた参謀の事を"国"に連絡しない代わりに、ここに数日留まって欲しい事を要求する』

『―――!』

グロリオーサに向けていた厳しい視線を、ピーンに向けたが、領主は気にせずに言葉を続けた。


『マーサ、お客様は必ずここに数日は逗留"させる"から、急いで戻り、これからの食事の予定の変更を厨房に伝えなさい。

ロック、アングレカム殿が宿泊するとなると、女性の使用人は揉め事に繋がる。

これからお客様が逗留の間、アングレカム殿のお世話の一切をお前がこなしなさい。

決して、ビネガー家の恥となるような振る舞い、アングレカム・パドリック殿に見せることがないように。

―――これ以上、私の面をあのような泥で汚させるな』

『畏まりました、旦那様』

意識して東の国の術である"言霊"を使って圧をかけて、命令する。


書斎の空気が更に張り詰めて、夫の厳しい面と、声の重圧な響きを体感、目の当たりにする気の弱い妻は少しだけ息苦しそうにさえ見える。


(スマン、カリン)

厳しい表情を保ちながら、言葉を続ける合間に妻に短く詫びた。


(いいえ、続けてください。

私も、よく理由はわかりませんが、マーサとロックは1度書斎を離れて、慣れた仕事をして、気持ちを落ちつかせる事は間違っていないと思います)

自分の"意"を汲み取ってくれる妻の返事に、心内に喜びを隠しながら、ピーンは厳しい言葉を続けた。


『――つけ文をしたメイド達は、態度を改めて直す猶予など与えなくていい。

全員、全て暇を与えなさい』

先程、ロックは使用人達の処分は、メイドの花形である仕事からは降格する程度の言葉だけに止めていた。


しかし、今、主は解雇を口にする。

それ以上は予断をさせる間もなく、はっきりとピーンがそう言うと、まず動き出したのは執事だった。

無言で恭しく頭を下げて、修繕に使った工具の入った箱を持ち上げる。

そして、職場仲間であるマーサを真っ直ぐと見た。


(行きましょう、マーサ。

旦那様の命令です、従うのが私達の務めです)

職場の仲間から、そうテレパシーを送られ、副竈番は最初こそ戸惑っていたが、直ぐに頷いて、片付けがすんでいた紅茶のセットを、抱えた。


マーサも殆ど初めてに近い、ピーンの苛烈な物言いだが、言ったことは今の自分の気持ちにはとても有りがたいものだった。

そして、ロックとマーサは連れだって「失礼します」と、執事が代表して言い、書斎を出ていった。


書斎の扉が閉まってから、アングレカムが口を開く。


『人の良さそうな、優しい領主の振る舞いをしておきながら、領民の生きる糧となる職を容赦なく恥をかかせたから、奪う。

それは、話をしないなら、国にグロリオーサや私の事を報せる事を脅す為の方便と見てもよいわけですか?』

『軽く脅してでも、ロブロウ領主は、レジスタンスの参謀のアングレカム・パドリック殿と話したい事があったのだ伝わったなら私の中では、目論見が成功したに近い。

ただ、解雇するのは本心だ。

色恋は素晴らしい事は私も認める所だが、それで仕事を蔑ろにして、他に懸命に働いている者と同じ足を貰おう等とは、雇い主として認めるわけにいかない』

そこで張り詰めていた空気を弛めるように、ピーンは口角をあげて、腕を組眉を上げて、ニッと笑った。


『まあ、色恋に走った者が、アングレカム殿に対して、本当に幼少の(みぎり)から一目惚れした相手だったというなら、処分の仕方を考えんでもないがな』

ピーンのこの言葉を聞いた瞬間、形容するのなら、"間の抜けた"時間が経過する。



ギッとアングレカムがグロリオーサを睨むの同じタイミングで、グロリオーサはサッとその視線から逃げ、親友に後頭部を向けた。


しかし、アングレカムは視線から逃げた親友の後頭部に結われている黒髪を根元から、"むんず"と掴んで、力業で振り向かせ、顔を向かい合わせて――笑顔を浮かべる。


『グロリオーサ、助けて貰ったとはいえ、もしかして貴方の姪のバルサムの事まで話していらっしゃるんですか?』

グイッと少しばかり黒髪を握りしめる手に力を入れながら、アングレカムが"詰問"する。


『いや、仲良くなったら、家族とか生い立ちとか、話すじゃないか。

で、俺の家族と言えば、姉上と姪っ子のバルサムぐらいなもんじゃないか、それで』

実際のところは、"アングレカムの子供の名前"の(くだり)で、説明も詳しくする前に名前を出した位なのだが、グロリオーサにしてもピーンがまるで詳細を知っているような口ぶりに大層驚いていた。

そんな情報がないアングレカムは、当然グロリオーサが天然無双で、姪っ子と親友の話を色々(盛って)話しているものばかりと勘違いをする。



『それで、どうして領主殿が恋の話を絡めた延長線上に意味ありげににやけながら、"本当に幼い頃から一目惚れした相手だった"と、絡めてくるんですか?。

その単純明快な頭で言葉を拵えて、話していただけますか?』

『いだだだだ!!!!。

頭皮に爪が食い込んでいる!!。

髪が、もげる、抜ける、禿げる!』

『大丈夫ですよ、貴方は毛根もバカみたいに強いですから。多分』


俄に始まった喧嘩に、こういったケンカを初めて見る妻であるカリンが、はらはらとした様子で夫のコートを引っ張った。

ピーンもこういった男同士の喧嘩は珍しいから、暫く眺めたかったが、グロリオーサが涙目になっているのと腕をジタバタとさせているので、早々に助ける事にした。


『グロリオーサが私にバルサム嬢について話してくれたのは、つい先程。

まあ、私が聞いた話から色々推考して、ある意味カマをかけてみたら、大当たりみたいな感じだっただけだ』

アングレカムは尚もグロリオーサの後頭部に指を食い込ませたままだが、力を弱めて笑っているピーンの方に顔を向ける。


『と、いうわけで、グロリオーサへの後頭部へ被害を与えるのはやめて貰おうか。

将来"仕えたい方"に、変な禿が出来た原因が私になっても嫌だしな』

『仕える方……ですって?』

そこでアングレカムはグロリオーサの後頭部から、手を離した。


(国に報告すると言ったり、将来仕えたいと言ったり―――本心は何処にあるんでしょうか?)

アングレカムがそんな事を考えている間、グロリオーサは、未だにイタタタ、と小さく呟きながら掴まれた為に、モジャモジャとなった長い黒髪をほどく。


髪を結んでいた紐をほどいて、グロリオーサは手櫛で結び直すが、随分不恰好な仕上がりとなっていた。

あんまりなので、ピーンが妻を見てから口を開く。


『―――カリン手伝ってさしあげなさい。流石にな?』

カリンもグロリオーサの髪の仕上がりに、優しい苦笑いを浮かべるくらいは気になっていたらしい。


『ええ、畏まりました。領主様、それでは』

カリンが微笑んで立ち上がり、グロリオーサの側に行き胸元から櫛を取り出した。


『失礼します、グロリオーサ様。紐を貸して頂けますか?』

『ああ、奥方殿。スマン。

鏡があれば、それなりには自分でも出来るんだが―――』

グロリオーサの手から、渡された紐は出来合いものではなく、丁寧に糸から糸へと編み込まれ、出来たものだった。


(もしかしたら、"トレニア"さんから頂いたものなのかしら)

また優しく微笑んで、まるで逞しい大きな息子が出来たような気持ちで、カリンは櫛を黒髪に通して整える。


最後にグロリオーサの髪を先ほど預かった紐が、黒髪に栄えるように整えて結わえた。

グロリオーサの髪型が整った事で、ピーンがまた思いついたように口を開く。


『アングレカム殿の防具の整備も大方終わってしまった。

後は本当に話すこと以外、アングレカム殿がこの土地にいる理由はない。

しかし、グロリオーサが、挨拶を済ませていない。

髪型も整った事だし、今からでも50人の友人達に、別れの挨拶をしてくるといい。

カリン、グロリオーサは方向音痴だから、案内をしてやってくれ』

粛々と場をレジスタンスの参謀と、地方の領主貴族の2人きりになる為に、話を賢者は進めていく。


『案内の役目、分かりました。

それでは外に出ることになりますから、色々と支度しなければいけません。

その前に、軽く片付けておきますね』

櫛を胸元にしまいながら、カリンは夫の言うことに素直に従う返事をする。


先程こしかけた繕い物をしていた場所に戻り、静かに手際よく、アングレカムの修繕に使った裁縫道具の片付けをした。

序でに、今は不在となった執事に代わって、ほぼ修繕を終えたアングレカムの防具を簡単に整頓して並べておく。


いつものロックならこういった事にも気がつき、先回りをするように片付けてしまう。

ピーンに強く言われ為もあるのだろうが、普通なら確りとするの事に手をつけていない所に、執事が冷静でなかったことがカリンにもよくわかった。


(早く、気持ちが落ち着ければ良いのだけれども)

少しだけ"手抜き"をした状態でおいて、ロックが戻ってきたならば、"完璧"に整頓する隙を作っておく。


気の回し過ぎだと自分でも思うのだが、"ピーンに依存している"と初めてあった時に教えて貰った時、執事になろうという少年が僅かに怯えた表情をしていたのを覚えていた。

本当なら、ピーンの影のように傍らにいたいのだろうけれど、今はいれない"弟"のような執事が早く調子を取り戻すことだけを、姉のような気持ちでカリンは願う。


『領主様、修繕の仕上げ、ロックとよろしくお願いしますね』

『ああ、カリンも細かい針仕事を、有り難う。

それじゃあ、グロリオーサ。

一応案内ではあるが、カリンの護衛の役目も頼む』

『わかった。奧方殿、それではいこうか。裁縫道具の箱は部屋の入り口まで俺が持とう』

『有り難うございます。では、エスコート、宜しくお願いしますね』

グロリオーサとカリンが自然に連れだって書斎を後にしようとする、後ろ姿にピーンが微笑む。


(思えば男女に関して五月蝿いうちの領地にしては、珍しい光景だな…)

客人をもてなす領主夫人でなければ、ロブロウという土地ではまずあり得ない様子だった。


仕事としても、極力男女は分けられて行動するので、領主邸の朝礼の打ち合わせでも分かれて整列するぐらいなのである。

遠い未来に、この領地でも客人と妻のように"友人"てして男女が並ぶ日が来るのだろうか、そんな考えが不意に頭を過った。

そんなことを考えている内にロックによって手入れを怠われる事なく整備された扉が、静かに閉じると、領主はくるりと扉の方には背を向ける。



『―――今日は天気も良いし、馬もグロリオーサが一緒なら使えるだろう。

でも、50人という人数は今日1日では恐らく回りきれないだろうなあ。

まあ、保育所の20人にはあっという間に出会えはするだろうが、多分"1日は付き合え"とばかりに子ども達がよってくるだろうがな』

扉とは真逆の位置にある今は窓ガラスが割れた為に、和紙が貼られた窓辺を見つめながら、ピーンが呟いた。

やはり和紙越しの光の雰囲気が良くて、いずれ何処かの部屋にでも設えたいと考える。


『―――領主殿は、レジスタンスの参謀の私と何を話したいというのですか?』

アングレカムはピーンの世間話に誘うような物言いには一切乗らずに、腕と脚を組んで目を閉じて尋ねていた。


『折角2人きりになる時間となったんだ、そんなに急ぐこともないだろう?』

ふざけているようにしか感じられないピーンの言葉に、アングレカムは明らかに機嫌を損ねた表情を浮かべ、眉間にシワを寄せていた。


『疑問に疑問の言葉で返すのは、失礼だとロック君に言われたことはありませんか?。

それに私の立場にしてみれば、ロブロウ領主殿に、脅して時間は毟りとられたと表現しても差し支えがありませんからね。

なら、毟られた分は有効に使わなけれ勿体ないので、簡潔にお願いしたいばかりです』


(―――時間に些か"囚われ"過ぎている様子が、アングレカムに"も"あるみたいだな)


『――グロリオーサの率いる決起軍は、"巧遅(こうち)拙速(せっそく)()かず"というのをモットーにしているわけかな?』

この言葉にアングレカムは閉じていた綺麗な緑色の瞳を開いて、ピーンを睨む。

その緑色の瞳の中に、悔しさが滲んでいるのも見てとれる。


『グロリオーサや、仲間達は懸命にやっています。

もしもロブロウ領主殿が、決起軍の活動が速くとも稚拙(ちせつ)と感じたのならば、それは私の考えた策がなっていないだけのことです』


(この言葉の意味が解ったか)

"賢者"はニヤリと笑う。

ピーンが賢者として集めている、異国の兵法として文献に載っている言葉を出して、それに反応できることに実は少しだけ驚いていた。


(グロリオーサ達の"世話"をした賢者は、本当に惜しみ無く与えていたのだな)

そして、先程アングレカ述べた言葉は決起軍の参謀となっている人物には結構な"皮肉"となる言葉でもあった。


《巧遅は拙速に如かず》

「巧遅」とは、出来はよいが、仕上がりまでが遅いという意味。

「拙速」とは、出来はよくないが仕事が早いという意味。

"如かず"を後ろにつけ合わせて使った場合、ぐずぐずしているより、上手でなくとも、迅速に物事を進めるべきだという意味になる。


ピーンの言い方を簡単にいうならば、決起軍の平定の進め方は―――


参謀アングレカム・パドリックの策は"出来映えは良くはないが、結果を出すスピードだけはある"と言っている事になる。

文献に載っている言葉で、ある意味遠回しの皮肉を言ったなわけなのだが、グロリオーサが"賢い"という親友は、ピーンが口に出したのなら直ぐに意味を理解したようだった。

それは(ひとえ)にアングレカム・パドリックの読解力と理解力もあっての事だとも分かる。


(グロリオーサやアングレカム、トレニアと去ったという仲間に、"智恵"と技術をと、武器をを与えることに、彼等の故郷に隠遁していたという賢者は、恐れはなかったのだろうか?)

自分の視線から逃げず、睨み返す青年を見つめながら賢者は更に考える。


"知識"を含めて"技術"与えるにあたって、相手を慎重に見極めてから気を付けて与えなければいけないと、ピーンは考えている所があった。

そう言ったものは、薬や毒薬と同じ様なものと捉えているロブロウ領主兼賢者は、極力領民には本当に必要としない限り、魔術も知識も請われても教える事を控えていた。

それに加えて自分から学ぶ分には構わないのだが、簡単に技術や、やり方を教えろという考え方事態が単純に好ましくないとも思っているのもある。

なんの努力も労せずに、"(すべ)"を手にしてしまったのなら、スゴいのは"術"の方なのに、それを扱う側の"自惚れ"に繋がりそうで、それも恐ろしかった。

知識と技術は扱い方次第で、扱う側の心を過信させて、増長し、勘違いを起こさせて、結局扱う側の"人の世"を乱す。ただ大きな、恐ろしい効果をもたらす知識や技術も、扱う側さえ確りしていれば本当に素晴らしいものとなるのも、ピーンも解っていた。


―――結局は扱う"人"に、責任も結果もかかってくる。


(少なくとも、決起軍の若者達は過信は全くしていないところは、術を与えた賢者の"慧眼"という所だな。

出会うことはおろか、名前すらも知らない決起軍の若者達に智恵と術を与えた賢者に仄かに、まるでライバルに対するような気持ちがピーンの胸の内でもたげる。


そしてロブロウ領主は、アングレカムが"皮肉"を理解したと分かった上で、更に言葉を続けた。


『参謀アングレカム殿の策が云々は、後で話すとして――。

現実の話として変な政策に日常を乱され、落ち着かない世の中は国民は嫌だろうな。

そして"上手で丁寧、だが遅い平定をもたらす決起軍"

よりも、

"下手でも、今の嫌な王政をさっさとぶち壊してくれるレジスタンス"を国民が求めているのは、確かだし、否定出来ない。

ロブロウみたいに小賢しい領主がいる領地や、主だった取り締まる領主がいない土地では、まだ比較的何とか"日常"を保ててはいるが、他は結構な被害が出ている。

特に、王政に対して"素直で穏やだった領地や領主"が目立って"不幸"と呼ばれる結末を迎えている話を、実際に私も領主として耳に入ってきた』

本来協力しあう、領主と領民が互いに(いが)み合う形にして、結果的に"両方を潰す"という結末は、国の方々で起き始めていると、新たに領主を任されている貴族の間のネットワークで回って来ていた。


ある意味堅実に、直向きに日々を送ることしか望まないような人ばかりが犠牲になっている惨状になってきている事に、ピーンは領主として苛立ちを抱えていた。

そして何とか智恵を回して、政策の"罠"にはまらなかった土地の領民達もやはり"潰された領地と領民"の話を聞いてしまうと、穏やかではいられなくなる様子が広がり始める。

普通である日常の治安のレベルが多少悪くなったとも、連絡もあった。


(これはこれで、まるで、真綿で首を絞めるようなやり方に見えない事もない)

国の民たる領民の"不安"を見事に煽っている。

そんな事を考えた時、徐にアングレカムがピーンから視線を逸らさぬまま口を開いた。


『領主殿が仰る通り、決起軍が――私の練った策にのっとり、国の平定を急いでいるのは、事実です。

国を愁いている事もありますが、それは仲間内での事情があった上でもあることも認めます』

決起軍の参謀は、脅されるように始まったロブロウ領主との"会談"で言われた事を認めた。


『ついでに、"稚拙な策"で有ることも、認めてはくれないのかな?』

意識して意地悪くそういうと、アングレカムはまた悔しそうな表情を浮かべて、形のよい唇を強く噛んだ。

だが悔しくそうではあるが、不思議とそこに"怒り"の感情は殆どないに等しい。


策を貶されてた悔しさはあるが、顔に怒りの色を浮かべない事に、賢者はアングレカム・パドリックの中にある潔さを感じて取れた。


("策士、策に溺れる"という言葉は、アングレカム殿には無縁のようだ)

綺麗な男の浮かべる"悔しい"という粘りのある表情が、賢者には嬉しく、そして頼もしい。


(自分が練った"策"を以上に良い策がないか、常に考えている。今やっている事に自分の考えた策に、"この方法を取るしか出来ない"と執着も、諦めてはいないという事か)



《自分が考えた"策"を否定された事が悔しいわけではなく、今行っている策以上の、"上策"を考え出せない自分が悔しい》

アングレカムが浮かべている悔しさは、自分に対してのもの。

フッと目元から"意地悪さ"を抜いて、ピーン・ビネガーは微笑んだ。

そのピーンの微笑みは、自分の策を"稚拙"と呼ばれた今のアングレカムには、不敵なものにしか見えない。

なので次に出されたロブロウ領主の言葉に、随分と驚かされる事になる。


『だが、アングレカム・パドリックの出発が、大望を持つことが困難な妾腹の農家の次男で、それでもひねくれる事なく、拗ねる事もなかった心根は私的には、尊敬・賞賛に値する。

緩急伴う農家の仕事の合間、友の助力を得て、隠遁の賢者から学び、身心を鍛えて、決起軍に入ったという境遇から推し量れば、今行っている"策"は《よくやっている》という評価が本当は、妥当なのだろうな』

そこまで言われ、噛み締めていた唇の力が抜けて美丈夫はまだ"不敵"にしかみえないロブロウ領主を見つめる。



(このピーン・ビネガーという人物が、私という人を誉めているのか、貶しているのかが区別がつかない)

アングレカムには、ピーンにしてみたら穏やかに微笑んでいるものが、まだ不適に微笑んでいるように見える中で更に考える。


(多分この方は、グロリオーサが世間話をした以上の情報を、持っている)

先程、"情報が入ってくる"と言っていたのは、恐らくは領主を勤める貴族間の情報網みたいな物があるのだろう、とアングレカムは考えていた。


しかし、情報網があるとは言っても、"それだけ"で今でこそ国に知らないものを探す方が困難な決起軍のメンバーではあるが、元は国の端にある田舎の村から始まった。

そして神父バロータが仲間に加わり、"銃の兄弟ジュリアン・ザヘト"が、メンバーを抜ける事になった出来事から、決起軍の活動は"4人"と縮小する。


元々大きな組織を作るつもりもなかったが、本当に信頼できる者――"強い者"だけで構成しなければ、また話に聞いただけだが、バロータ神父の村であったような"悲劇"がまた起きる。

それを危惧したアングレカムは、グロリオーサと話し合って小隊にぐらいになりそうだった"決起軍"を、解体する。

それからの活動は本当に4人の"少数精鋭"で行われ、"決起軍の名前"は知れ渡っていても、グロリオーサ、アングレカム、トレニア、バロータの詳細な情報は世間には回らなくなっている。


(―――その筈なのに?)

先程のバルサム話に始まり、裏の内情まで知っているようなピーンの口振りは、アングレカムに本当の意味で戸惑いを与えていた。


ただ、戸惑いを与えられながらも、このように自分達の気持ちや行動を見透かされたような経験―――"似たような感覚"を何処かで感じた記憶もある。


『しかし、領主殿は私の策を"稚拙"と仰っている』

"記憶"を中を探しながら、アングレカムはロブロウ領主の真意を探る。


『そうだな。"賢者"としては、"平定後"の事を優先しがちになってしまっている参謀には、ここは稚拙と言わねばならないところではある。

しかし、決起軍としての活動を推し進めながら、その後の事を考えているのは、為政者としては素晴らしいものだと言っている』


『―――貴方は、賢者だというのですか?』

貶されて誉められた事等、どうでも良くなる。

しかし、感覚の記憶の方ははっきりした。


『―――まあ、"賢者"としては新参者の方だがな』

"賢者"でもあるという、ピーンの浮かべる笑みが、ようやく不敵なものから"穏やか"なものだと、アングレカムは思うことが出来るようになった。




自分の人生は周りや、家族すら"不遇"だと聞こえるように囁かれても、考えまいとしていた、多感な少年時代。

明るい友人達にも恵まれて、更に人目を盗んでは自分の仕事を手伝ってくれていた。


"有り難い"と思いながらも、そんな優しい友人達にすら"自由な時間"があるのに自分には無いことを恨み、僻み、妬みそうになった時期があった。

友人達は自分の自由な時間を使って、自分を手助けをしてくれるのに、賢い少年は年齢は同じなのにどうして、こう自分は農業の仕事に追われて、自由な時間がない事に気がついて、苛立った。


そしてアングレカムが成長して労働力が上がるほど、それに上乗せするように仕事の量も増えていた。

勿論、"親友"達もそれに伴って、成長し影ながら手伝うことも子供の頃の比にならぬほどうまくなっていた。

そうやって確保をしてももらえる大好きな本を読む時間が、嬉しくもあったが今度はその事を少しばかり惨めに考え始め時。

そんな負のジレンマに落ち込みそうになった時に優しい親友が紹介してくれた――"助けてくれた"人は、年齢不詳のいつのまにか自分達の村に隠栖していたという賢者だった。


《私は本を枕にして寝てしまいたいくらい好きなんだ。

君も凄く本が好きそうだから、上手に"時間を作って"本と付き合っていけば良いよ》

そんな言葉と共に、アングレカムに、本当に"時間の作り方"を教えて、何よりもまず"時間"を作ってくれてみせた。


親に"この子は労力としても役に立つだろうが、それに合わせて魔術も使えたなら、パドリック農場の役に立つ"と手紙を書いてくれ、渡すように言われた。

更に後押しするように、隠栖をしているという立場のはずなのに、わざわざ家にやって来て、親を説得してくれた。

説得の後は、親は"賢者殿が素養があると仰ってくれるのなら"、とあっさり時間をアングレカムに与えてくれる。

賢者は、アングレカム・パドリックに必要になりそうな"智恵"を選りすぐり、適した知識を惜しみ無く与えてくれる。


そして、これはグロリオーサには伏せられていることだが、"金"でアングレカムを王族の自分の従者として"譲って欲しい"と言われた時、実は両親は賢者に相談していた。

特に母親は、夫が囲っていた女に産ませた魔術も使え、智恵もあり労力にもなる次男を、小作農ではあるがいずれは長子の補佐となれたのならと、アングレカムを育てていた。

しかし、王の庶子が出すという金の多さに正直に言って戸惑い、揺れていた。



父親は、付き添いで来ていたかの如く、特に何も言わなかった。

アングレカム自身は、グロリオーサが金で自分の身を自由にしようしてくれているのは、本当に驚いたが嬉しかった。

だが自分を育ててくれた"家族"にも感謝はしてもいたので、育て親がダメだと言ったのなら従うつもりという気持ちもあった。

自分だけ外腹なのにも関わらず、特に仲良くなるような事はなかったけれども、あからさまな苛めなどは大人数の家族の間では全くなかった。


それは単にそんな事をする暇がないほど、農家の仕事が忙しいという背景もあったかもしれない。

ただ、幼い頃は長子は多少傲慢な素振りもあったが、世話を焼いて貰った記憶がある。

そして自分も、頑是無い、半分しか家の繋がりのない弟や妹の世話を一緒にやいたりもしていた。

成長した今でも長子は傲慢な素振りはみせるが、彼なりに他の小作農に気を使っている事に、賢者に学ぶ時間を与えてもらえた事で気がつけた。

自分の容姿が整いすぎている事と外見が違うことで、揉め事が起こらぬように、努めて冷たく振る舞い、仕事だけは確実にこなしていた。


グロリオーサなどは単純なので、傲慢に振る舞う兄を多少悪く取っていた部分もあった事には苦笑を浮かべた。

しかし、賢者から学ぶ機会を与えられたアングレカムは、長子の兄は兄なりに、苦労をしていると気がつくことができていた。

彼にも"農家の長子としていきるしか自由がない"という、不自由さを抱えながらもそれを享受して生きている。


(もしかしたら、諦めのよいところは兄弟として"父親"に似ているところかもしれませんね、"兄さん")

学び、人の気持ちを推し量れる事ができることで、長男、次男、本妻の子、妾の子、"無用"な価値観で感情を乱すことは思春期が終わる頃には、アングレカムには全くなくなっていた。


だから、そうしてやがて、グロリオーサが自分の財産の6割を出して、アングレカムを欲しいと言った時に、親が、特に血の繋がりがない母親が、躊躇った事には本当に驚いた。


―――産まれて初めて、自分に価値があるような気持ちを与えて貰った。


それは、グロリオーサの金の事もあったが、親が躊躇った事にも含まれている。

グロリオーサの財産の半分以上だという金を差し出したのなら、親は――特に血の繋がりがない母親は、アングレカムをパドリック家から、"放逐"するものだと考えていた。

だから例え僅かでも"親"が、自分を手離す事について迷ってくれた事が嬉しかった。

僅かでも迷ってもらえるほど、気持ちをかけてもらえていることを、アングレカムは産まれて初めて実感させてもらった。


そして"結果"的には、アングレカムは農家の次男という立場から解放される。

賢者が《彼は農場残るよりは、今は金銭をいれた方が、跡を継ぐ長子の為にも、アングレカムも為にも(いず)れなるだろう》とアドバイスを出しならば、それに従った。

アングレカムが、決起軍に参加となるまでの時間的に言うならば、きっと短い。


―――意を決したグロリオーサが王族の姿をして、パドリック家に訪れ、アングレカムを従者に欲しいと申し入れた。


"直ぐには返事が出来ません。折り返し御返事しますので、お待ちください"

と、同い年の息子の友人ぐらいに考えていたグロリオーサを先ずは返して、その日は周りの小作農と同じように畑に出ていた次男を呼び戻す。


直ぐ様、父と義母がアングレカムを伴って、いつもように昼寝をしている賢者の住まいである洞穴に、尋ね、相談する。

相談自体は夕刻の前には終わり、グロリオーサに返事を出したのは日が沈む前なのだから、大層速いものであった。

なので傍目から見たのならば、父と義母は"金であっさりとアングレカムを手離した"と周りが誤解しても仕方がない形にはなっていた。


(グロリオーサぐらいには、"真相"を話そう)

―――新しい本を仕入れたんだ、ちょっと寄って読んでみないか。

相談が終わり、そんな事を考えながら親と共に戻ろうとするアングレカムを、賢者がそう言って呼び止めた。


父親がアングレカムに向かって無言でただ頷く。

寡黙な父がそうやって頷くことが、"賢者に従いなさい"と言っているのが判ったアングレカムもまた静かに頷いた。

頷き返す息子を確認した後、義母は何も言わずに父の後に付いて、洞穴を出ていった。


―――じゃ、本を仕舞っている穴の方に行こうか。

アングレカムの親が出ていくのを確認した後に、賢者は後頭部に両手を組んで洞穴の本を仕舞っている部屋へと進み始めた。

その後ろ姿を見つめながら、不意にアングレカムの中に疑問がもたげた。


(思えば、親は賢者殿には"従わなければならない事情"でもあるのでしょうか?)

判断がつかないときは、経験豊富で賢い人に相談するという道理はアングレカムにも判る。


けれども、こうやって自分の親と賢者が"相談"は、まるで"アングレカムの人生の岐路の処遇を賢者に判断を委ねている"ようにも感じられた。

賢者は村の大人達にも何かと頼りにされていたり、相談事を解決したりする話はよく耳に入るので、多分"おかしい事"ではないはずだった。

ただ自分の"父親"という人は、この地域を代表する大きな農場を切り盛りする人物で、良くも悪くも"ワンマン″でもある。


(父が王族のグロリオーサが、アングレカムを従者にと引き抜きに来たことで、義母までつれて賢者殿に相談をすることなのか?)

もたげた疑問が、アングレカムの中で確りとした形と言葉になった時、その賢者に呼び掛けられる。


―――アングレカム、止まってないで早くおいでよ。今日は帰って明日からの準備とかあるんだろうからさ。

まるで、アングレカムが疑問を確りと形作るまで待っていたかの様なタイミングだった


失礼しました、と一言言ってアングレカムは後に続いて、"図書室"と言い張る沢山の本が積み上げられている穴蔵に進んで行く。

穴蔵に進む事は、外と世界を遮断する事で、明かりは賢者がある程度進む度に指を弾いたら灯る、備え付けられ蝋燭の明かりだけだった。

やがてアングレカムには結構見慣れた"図書室"へとたどり着く。


《―――グロリオーサには、今日の昼の出来事を話さない方がいい》

新しく手に入れたらしい本を手にとり、パラパラと開いて中身を確認しながら、賢者は、アングレカムの先程考えていた事を見越したように、徐に口を開く。

何時もとは様子が違い、重々しい雰囲気を賢者は纏って喋っていた。


《グロリオーサは、拘りがないようでいて、誰よりも"家族"を大事にする"人"だ。

もし、アングレカムが"グロリオーサが考えているような生い立ち"でないと知ったのなら。

家族と上手くいってないというのが、誤解だと理解してしまったのなら、決起軍にはアングレカム・パドリックの居場所をグロリオーサは作らない》

いつも何事にも囚われないような、軽やかな口振りで話す賢者が、重々しく語る言葉にアングレカムは驚いた。

そして賢者が語ることは、"真実"なのだとも気がついた。


《もしも、グロリオーサについて行きたくないのなら、今先程の出来事を話してしまえばいい。

それで農家の優秀な次男アングレカムが、王の庶子グロリオーサに金での従者として引き抜かれる話は"御破算"になる。

そうするかい?》

その言葉には、直ぐに頭を左右に振った。


―――いいえ、親に莫大な金と私の身を比べた時に、僅かでも迷われたことだけでも、私はそれで十分です。

"薄情"という言葉も当てはまるのかも知れないが、本当に"迷って貰った"、それだけで、アングレカムにしてみれば、育てて貰った親への気持ちに区切りがつけてしまえていた。


―――それよりも、グロリオーサに多大な"金"を、税金という民の血税を私を自由にする為に対価として払われた事で、やってみたかった事に挑む腹が括れました。


自分が学んだことが、興味を持ち、それが何処まで"国の為に活かされる"かやってみたかった。

ただその前に、国を平定するという"大仕事"をこなさなければならない。

自分がやってみたかった事は、"大仕事"こなした後でなければ、取り組めない事でもあった。


(幸いにも、私もグロリオーサには及びませんが戦える力を持っている)

そしてグロリオーサが苦手とすること、多分彼自身も、不得手とする"魔術"や"(さか)しさ"を、補って欲しくてアングレカムを求めている事は判っている。



《―――アングレカムは、真面目だなぁ。

でも、真面目なこと全く恥じていないところが、私は大好きだよ》

口調を軽やかなものに戻してそんな事を言う賢者と、アングレカムの影が少しばかり揺れたと思ったら、蝋燭の炎が揺れていた。

アングレカムが賢者を見れば、本を未だに弄びながら笑っている。


(気持ちと魔術でつけている炎が、繋がっているんですね)


《―――口に出したなら、賢者といえども国軍にしょっぴかれるような事だろうけれども、私はグロリオーサを始めとする、"今は"ジュリアンを入れて3人か。

この3人なら、時間はかかるがきっと"出来る"事だろうと思うよ。

どちらにしろ……》

揺れが治まった中で、賢者は断言するように言った後に、最後の方だけ言葉を濁した。


―――グロリオーサは賢者殿に何か相談されたのですか?。

これには賢者が頭をフルフルと振るった。



《いいや。あの坊やは、相談するにしても、"この国の賢者"である私にはしない。

するとしたら、ジュリアンではないかな。

決断するにしても、自分で考えて、自分で決めて、自分で動いている。

"王様には賢者は叶わない"》

最後の言葉が、今までのどの会話にも繋がりが見出だせなくて、アングレカムは賢者に対しては珍しく、眉間にシワを寄せて眉を潜めた。


―――?。最後の方に仰られた言葉、どういう意味ですか?。


ある意味では、血のの繋がる父親以上に尊敬もしている賢者に対し、口にも出して質問する。

蝋燭の灯火だけが明かりとなる部屋で、賢者はここ数年で背を追い越した、褐色した肌の青年緑色の瞳を見上げた。


《―――こうなってしまうと、グロリオーサが"魔法が嫌い"で助かった》

アングレカムの問には答えず、再び重々しい雰囲気を醸し出して、話続ける。


《もしも、グロリオーサが魔法の才能に長けている自分の事を受け入れていたなら、今ごろは上級魔術である心を読み取る術だって覚えていたかもしれない。

もし身に付けていたのなら、仲間として引き抜こうとするアングレカムの心をきっと覗いてしまう。

そして今のアングレカムの気持ちを知ったのなら、グロリオーサは意地でも家族を分けてまで、参戦させる事は絶対にしないだろうから。

アングレカム自身が、志願したとしてもね》

薄く笑って、さらに賢者は更に言葉を続ける。


《そうなると始まりが2人の"決起軍"になってしまったかもしれないしなぁ。

可能・不可能で言うならば、可能な事なんだろうが、人にとっての時間は限りがある。

ジュリアンに銃という武器を渡したにしても、2人の一生を費やさないと出来ない事になってしまう》

そうやって長たらしく賢者が喋るときは、"詳しくは話したくはない"という遠回しの意思表示なのだと判っているアングレカムは、口を(つぐ)む。


例え他の人にはこの意思表示が伝わらなくても、賢者は次々と巧妙に話題を持ち出してはすり替える。

そしていつの間にかに有耶無耶にする所をアングレカムは何度もみてきたので、先程の言葉の追求はあっさりと諦めた。


《アングレカムは、優しいね》

弄んでいた本をパタリと閉じて、自分が教えてきたなかでも、類に見ない程とても勤勉な青年を見つめる。


―――真面目だ、優しいと誉められても、私は賢者殿に何も恩返しは出来ないのが申し訳無いです。

整った容姿のおかげか、見つめられる事に慣れている美丈夫には、少しだけ照れながらも、賢者の視線を受け止めていた。

そしてアングレカムは、自分に向けられた言葉には、確りと返事を返す。


《失礼な。これでも恩返しや、御礼を目当てに、向上心がある青少年達に余計な世話を焼いたつもりは1度もない!》

その返事には、やや芝居がかった怒り方をして、本を持ったまま腕を組賢者はフンっと鼻を鳴らした。

蝋燭の炎も、それに合わせるかのように僅かに大きくなって揺れた。



―――それは失礼しました。

しかし、本気で怒っていないことは百も承知しているので、アングレカムはごく親しい人物にしかみせない困ったようにも見えるという、彼の本当の笑顔を浮かべる。

それから"つと"整った顔を引き締めて、綺麗な緑色の瞳に精悍なものにした。


―――これからは、もう、こうやって賢者殿を尋ねる事は、頻繁には出来なくなるのですね。


"賢者に学ぶ事を進められた農家の次男"だからこそ出来た、四季の間にある僅な農閑期に朝貸し出して貰った本を、夕方に返すような事はもうないのだと、考えると少し、胸が痛くなる。


精悍な瞳で腹を括ったと言いながらも、そういったやり取りが急に打ちきりになる寂寥(せきりょう)の気持ちが、不意にアングレカムの心の中に込み上げてきた。

この田舎に隠遁している賢者は、本人が望み、意志があるならば、平等にチャンスの手を差し伸べて"学び成長する"楽しさを与えていた。

アングレカムは自分もその内の一人に過ぎないと解ってはいるのだが、賢者の存在は本当に有り難かった。

年の近い、やんちゃの出来る友人同性の友人も、世話焼きの優しい異性の友人もいたけれど、彼らとこうやって今でも友人を続けられるのは、賢者の存在があってこそだとアングレカムは考えている。


彼が惜しみ無く貸し与えてくれた本達は、アングレカムに"考える力"を培わせてくれた。

もし、賢者がこの村に訪れていなかったのなら、ただの知識だけを豊富にもった頭でっかちの人間になっていただろうと、自分でも思えた。


知識があるばかりで、その使い方を知らないことがどんなに間抜けな事なのかもわからなかった事だとも思う。

賢者はアングレカムが自分と会えなくる、"寂しそうな"顔をする事を防ぐ為に瞼を強く一度閉じた。

アングレカムと同じく、自分という人は"情"が薄いと考えている賢者も、こうやって軽口が聞けるある意味"良くできた教え子"との会話出来る時が減る事は、確かに惜しい事でもあると、実感する。



《何、グロリオーサの姉上が言うことには行動に一区切りがつく度、戻ってきて報告にはくるつもりらしい》

会えなくる"惜しさ"を誤魔化すように、自分以上にアングレカムと会える時間が少なくなることに"悲鳴"をあげそうな人物の名前を賢者は出す事にする。


《それにそうでもしないと、あそこの可愛いお嬢さんが、"アングレカム様を連れていくグロリオーサ叔父さん"に飛び蹴りをかます事になる。

だから、アングレカムがいう通り頻繁ではないけれど、また会える事はあるだろうさ》

アングレカムは、賢者の誤魔化しの為に出した話に乗る。

いつも明るく、変わった事をいう賢者が寂しそうな顔をするのは、アングレカムにも辛かった。



――バルサムはそんなお転婆なことはしないでしょう。少なくとも、"アングレカム・パドリック"前では。

親友の可愛らしい姪っ子に関しては、委細承知の上でそんな言葉をかけると今度は賢者が笑っていた。


それから弄んでいた本を、アングレカムにぽんっと手渡した。

どうやら、話したいとう口実の為だけではなく、本当に本を渡したかったらしい。

しかしその本は、どうも婦女子――どちらかと言えば年若い女の子向け、丁度バルサムぐらいの年代の女の子が読むようなマナーブックだった。


―――これを私に?ですか?。

《アングレカムなら、マナーはもう読めば解るだろうが、君が今から"王様"にしようとする坊やには、"読んで聞かせて"やらないと、到底理解が出来ないだろう。


時間が間に合えば、その本の中身を全てグロリオーサが理解できるぐらいの頃には、"平定"が出来ているのではないのかな?。


そして、それと平行してアングレカムなら"やりたかった事"。

国の民が、安心して任せて"税を納める国"の下準備も出来るのではないかな?》


―――賢者殿、まだ仲間に正式に参入したわけでもありませんし。

―――それに、これからやろうとすることは簡単には出来ませ


《グロリオーサを王としたならば、出来ること、アングレカムが、自分がやりたいことをやればいい》

途中で言葉を遮られて、賢者は教え子に言葉を伝える。


《君が親友を"王"として目指す国は、きっと良い国になると、私は信じているよ》

アングレカムの言葉を抑えて、賢者は"教え子"を励ますように言葉を続ける


まるで、別れの言葉もようにも聞こえた。


(ああ、違う。もう"為し遂げる"までは、本当にもう"別れの言葉"となるんですね、賢者殿)

この洞穴を出たならば、アングレカムはもう家に帰って支度をしてグロリオーサの元へと向かわなければならない。


グロリオーサが金でアングレカムを従者として引き抜いて、近日中にと行動を共に始めたなら、洞窟出た瞬間に、世間的にはもう"勤勉な農家の次男"の立場はなくなる。


―――今の"国王の賢者"の立場として、農家の次男に"国の愚痴を語っても良い"が、レジスタンスとなる青年に"国を争乱に繋げる"発言をしてはならないのですね。


それぐらいの事が思い至る分別は、"教え子"にはついているのを賢者は見越しているようで、薄く笑って、村娘達が宝石のようだとも例える緑色の瞳を見上げた。


《そうだ、アングレカム。

もし、君が恩返しをしたいなら、1つだけいいかな》

問いに答えず、急にいつもの軽やかな口調に戻って、アングレカムの左の肩甲骨の辺りを人差し指でトンとついた。



―――私に出来ることでしたら、どうぞ。

突かれた指先を見つめながら、渡されたマナーブックを胸元に仕舞いながら、アングレカムは頷く。



《それでは、遠慮なく》

教え子の"快諾"を聞くと突いていた、人指しを外して再び腕を組んだ。


《もしも、"坊や"が作る決起軍というレジスタンスに、"賢者"が何らかの協力する形で関わったのなら、例え不貞不貞しくて、ムカついたとしても受け入れてやって欲しい》



―――"賢者"が、グロリオーサのやろうとしている事に、協力する可能性があるのですか?。

賢者が協力するという話の旨には大層驚いたが、口にだした当人はまるで何かを予見しているような雰囲気を醸しだしていた。

その様子は魔術的な才能というものではなく、経験や知識で先を見通している、そんなものを強く感じさせる。


《私を含めて、自ずから"賢者"なろうとしてなったものは、殆どいない。

ある"縁"に出逢ってしまって、自分のやりたいこと、知りたいこと、そんな事を突き詰めて行ったのなら、なし崩しに"賢者"になってしまっていた》


―――自分の"意志"でなるものでは、ないのですか?。

教え子にそう尋ねられた時、賢者は滑らかに言葉を続ける。


《私は、王都を離れて、賢者として田舎の才能ある子供達に才能を芽吹かせる事は、"国"に許してもらえた。

しかし、レジスタンスとなった人――なろうとする人と、政治的に関する話を許して貰ってはいない》

再び、"詳しくは話したくはない"という遠回しの意思表示が始まっていた事にアングレカムは気がついた。


―――判りました。それでは、本有り難うございました。

―――確かに、グロリオーサにはこれぐらいから慣らしたほうが良いでしょうね。

もう、"国"に関して賢者と話すことは、万が一を考えても憚れる。


―――"同業"の方が、もしもグロリオーサのしようとする事に賛同しようというのなら、ご助言どおり私は受け入れる事を、ここで誓います。

預かった本をが仕舞われている胸元に、手を当てながらアングレカムは、揺れる炎の明かりの中で、賢者に誓った。


―――それでは、失礼します。賢者殿が仰った通り支度がありますので。



《君達に与えた物は、すべて"国の発展に繋がりそうな人材"として造り譲渡したことになっている。

何かの際には、賢者を丸め込んで手に入れたとでもしておいてくれ。

"傾国の賢者"として、扱ってくれたなら、"汚名挽回"をしたい私の面子も潰されてありがたい》

えっへん、とわざと言葉の"誤用"をして胸を張る賢者に、アングレカムは思わず声を出して笑った。



―――賢者殿は、どこまでいっても賢者殿ですね。

―――判りました、私の武器に関してはそう触れ回っておきます。

恐らく、ジュリアンの"武器"に関しても、賢者がなんらの形で出鱈目な事を自分で流布している事だろう。



―――それでは、また会う時までご健勝である事を願っております。

一礼をして"教え子"だった、少年は図書室を出ていった。

賢者は洞窟内に仕掛けている、精霊石に"気"を巡らせて、アングレカムが完全に出ていったのを確認してから、ある"画集"に手を伸ばす。


《これで、いいんですね?"クロッサンドラ・サンフラワー"》

自分が"賢者"となってしまったきっかけとなる、彼の娘が"恋人"と共に王都に持ち帰った画集あるページを見開いた。


そのページには"大地の女神"が存在せず、天使と旅人の2人しか描かれていない。

コートを頭から被り身につけていても、傷だらけになっているのが解り、俯せに倒れている鳶色の髪をした旅人と。


そして、12枚の羽を背に持つ、金色の髪と空色の瞳をもった、旅人に手を差し伸べる天使。


"この世界の成り立ちが仕込まれている"

そんな画集の絵に指をなぞらせて、賢者は目を閉じると同時に、住まいとなる洞穴の中の蝋燭の灯火は、全て消えていた。


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