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【昔話 兵(つわもの)の掘る穴ー真実その5・前編ー】

"グロー・ブバルディア"がロブロウに"賓客"としていついて2週間が過ぎました。


ピーンが、思ったより遠方にいた"決起軍"が潜伏している地に、わざとらしく"迷い人"の情報を流した後。


ロブロウに、領民見た事が無い程の日に焼けた肌に緑の瞳をもった美丈夫がやってきました。

"グロー・ブバルディア"事、グロリオーサ・サンフラワーが領主の賓客としてロブロウに迎え入れられてから、数日。

余所者には色々と煩い土地柄ではあるのだが、グロリオーサのカリスマ性と、執事のロックにはけんもほろろだった愛嬌は、2日という時間で、領主の賓客を受け入れる事に成功させていた。


またどうやら、この豪快で豪胆な賓客は、方向音痴だという事も判明する。

もともと複雑な造りであるのだが、古い領主の館でグロリオーサはよく迷ってしまっていた。

そんな時は、とりあえず迷ったら目印にしている屋敷の中庭にある噴水へと出ている姿を、執事が発見し保護しては、貴賓室に案内していた。


その迷子の延長で地下牢に捕らえてある賊とグロリオーサが遭遇した時、たった1人の刀を持った、"鬼みたいに強い奴"が賓客であることも判明もする。

グロリオーサを見た途端に、多いに怯えたと見張りの領民から報告が領主の元に来る。


"何をしたんだ?"と領主が尋ねれば

"ちょっと大木を、一刀両断しただけ"


という返事が迷子になるよりはと、料理人のマーサに頼み込んで手伝わせて貰っている、さやえんどうのヘタを少し折り、筋を引っ張って取るという作業の間から返ってきた。


少しばかり危惧していたのは、結束すると最近では特に扱い難い4人の娘達だったが、そこはピーンの杞憂に終わりそうだった。

男女の距離感に関して色々と煩い、ロブロウの土地柄も今回は幸いしたらしく、ピーンの娘達がグロリオーサに対して興味を持つが娘の誰一人としても尋ねては行かない。

興味があるので、母に尋ねても黙って微笑み話を逸らす。

少し威勢のいい娘は、執事に尋ねるも、"ロブロウ領主"にだけ従順なロックは、ピーンを悩ますようになった娘達には冷たく微笑むだけだった。


そこで、唯一グロリオーサと口を効いてもおかしくはない、兄であり弟であるバンを娘達は仕向けた。

しかし、それはピーンも見越していた事でもあるので、尋ねられてもグロリオーサに口裏を合わせて貰った


"息抜き先の場所で、助けてもらった"

を決まり文句として言って貰って、済ます手筈は整っていた。


ただ直接グロリオーサと口を聞いた長男は、それとなく察してはいたのだろう。

身体が少しだけ弱く父譲りの読書家の跡取りは、幼いながらも気を使い、思慮深い所もあったので、グロリオーサの返事を聞いてあっさりと引いた。


"グロー・ブバルディア"と口を効いたのに深く追求しなかったバンを長女以外の姉妹が、ぎゃあぎゃあと攻められるのを、グロリオーサが偶然にだが目撃してしまい逆に気を使う。

散々責められた後、連れだって行ってしまう姉妹を見て、バンは小さく嘆息していた。


1人になって歩き出すバンを見て思わず、グロリオーサの方から大丈夫かと声をかけてしまう。


すると自分の背を遥かに越える、父の賓客にバンは薄く微笑んだ。

『我慢強いのには、自信がありますから御心配なく。

領主として父の場所を継いだなら、4人の小娘以上の領民の声を聞かなければなりませんから。

―――お客さんも、色々とあるようですがご無理をなさらないようにしてください。

それでは失礼します』



10歳以上は年が下であろうロブロウ領主の跡取りは、礼儀正しくグロリオーサに頭を下げていってしまった。

グロリオーサは呆気にとられたが、バンという少年の"我慢強さ"は、彼の父や母を越える物があると密かに感心していた。


(父親のような鋭いと言った賢さはないが、落ち着いた知性をしっかりと持っている)

あの少年なら、普通の人なら根負けしそうな罵詈雑言を聞き流して上手い具合にこの領地を治めるだろうと、久しぶりに"王族"としての考えを持っていた。


――そうして正体不明ながらも、領民や領主邸の使用人達とは上手くやっているグロー・ブバルディアを尋ねて1人の青年が、ロブロウの関所にやって来る。


"アルセン・パドリック"と名乗る、日に焼けた、褐色の肌に緑色の瞳をした美丈夫は、関所に入った時点で、ロブロウの領民達を驚かせていた。



『すみません、こちらに"グロー・ブバルディア"という図体がデカイ黒目と黒髪の男がお世話になっていると風の便りに伺ったのですが?』

綺麗な顔ながらも、圧倒的な威圧感を醸し出しながら、関所の番人をしている領民に尋ねていた。



『"アルセン"は"アングレカム"の偽名だ。

決起軍を始める前で、俺の姪っ子のバルサムに出会う前に、"子どもがもしも出来たなら"つけようと考えていた名前らしい』

グロリオーサが紅茶を飲みながら、ピーンに答えた。


『どうして、子供に付けようとした名前を使う前に、"決起軍に参加する前"と、いう前置きが付くのですか?』

グロリオーサの話を聞いた限りでは、子供に付けようとした名前をアングレカムがまるで"もう子どもには使わない"ように領主夫人には聞こえたので、それを尋ねる。


『私は"グロリオーサの姪っ子さんに出逢った"と、いう前置きが"アルセン"にどう繋がるかが気になるなぁ』

夫であるピーンは、"姪っ子"の方に興味を持った様子で妻の質問に続いた。

グロリオーサは黒い目を左上の方に向けてから、少し考える。


"ちょっと長くなるけれど構わないか?"という今度は賓客の前置きに、領主夫妻が快く頷く。

それを確認してから、グロリオーサは特にアングレカムから止められてはいないが、話すのを躊躇った親友の生い立ちを話始めた。


『あいつは農家の次男坊でさ、この国全体がだいたいそうだけれども、俺達の育った田舎でも長男が全ての財産を引き継ぐ。

それ以外の奴は、小作農ていうのかな?。

食う分には困らないけれど、労働力として家に組み込まれて、自分の意志とか全く無視されているような状況だった。

で、アングレカムは変な所で冷静というか、それはそれで構わないみたいな所があった。

俺が決起軍に無理矢理誘うまでは、"晴耕雨読"ってのが人生の方針とかも言っていた』


『私は読みたい時には、晴れてても本を読むがな』

『領主様、グロー様が真面目に話てくださっていらっしゃるのに』

カカカカッと老人みたいな笑いをして話に茶々入れるする白髪の中年の夫を、妻が諌める。


『―――いや、アングレカムも本当ならピーンみたいに時間さえあったなら、出来る限り本を読みたかったと思う。

けれど真面目な奴だし、他の農家の奴らも"小作農"が本を読むなんて生意気だって。

結構煩かったから、仕事をこなして誰からも文句を貰わないようにしてからしか、決して本を読まなかった。

俺とジュリアンがたまにこっそり手伝ったりした時は、素直に喜んでくれた』


『―――いいですわね、男の子同士でそうやって協力するのは』

カリンは1人息子が、大人しくて多くの姉妹に振り回されてはいないが、煩わしいと大人びた表情を浮かべる様子を思い出して、憂い帯びた瞳をする。


―――出来ることなら、目の前にいるような夫の賓客の如く闊達な"やんちゃ坊主"な友人がバンに欲しかった。

若しくは、夫のようにイタズラ好きな元気な"兄弟"を、カリンは1人息子に与えてやりたかった。

周りからも"女児ばかりでなく、もう一人男児を"と遠回しに、妻を大切にする夫と執事がいない間に、それとなく何度も言われもした。

物心がついた娘達は遠回しの母親に語りかけられる言葉ながらも、それとなく"領主の子供として求めているのは男児"という意味を察する。

するとこれまで以上に結束して、さらに"拗ねた"。


満遍なく子ども達に接しようとする母を毛嫌いする事はなかったが、その矛先は身体が弱い"兄弟"が病気なった時にだけ出てくるように見える父親のピーンに向いていた。

ただ研究に多忙ながらも、カリンが気持ちが臥せっている事や、娘達がやけに拗ねている事に気がついた夫と執事は、あっさりと原因は突き止めていた。

そして表だった場所で、これ以上カリンが苦しまないように"これ以上子供を作るつもりはない"と宣言してからは、カリンに遠回しに言ってくるものは居なくなった。


飄々としていて領民にも優しい領主でもあるが、軽く怒気を孕んだ"宣言"は、煩い臣下を黙らせるのに十分な威厳を持っていた。

ただ、娘達と父親の間に大きな隔たりが出来て、修復は未だにかなっていない。

カリンが憂える表情を見て、姉妹に喚かれながらも落ち着いていたピーンの息子をグロリオーサも思い出して口を開く。



『奥方殿、その、落ち着きがない俺が言うのもなんだが、ご子息のバンについては心配いらないと思うぞ。

あの息子殿は、確かに大人しいかも知れないが、とても芯が確りとしている』

グロリオーサからそう言われると、カリンは少しだけ瞳を潤ませて目を伏せて″礼″の意識を表した。


ピーンは何も言わずに静かに見守る。

カリンが子育てに悩んでいるのが判ってもいる。

しかし、"身近にいすぎる"夫である自分が言う言葉より、外から来た人物に言って貰ったほうが効果的な言葉があるのを、賢者は判ってもいたから、グロリオーサに委ねていた。

グロリオーサは少しだけ、カリンの礼に慌てて話を戻そうと大きな手をパンっと叩いた。


『えっと―――話を戻そうか。

アングレカムはさ、何ていうのかな、"自分に与えられた権利"みたいなのを、間違わずに使う奴なんだよな』

賓客の話の戻し方にやや強引な感じは否めないが、"グロリオーサ"なら仕方ない。

そう思ったピーンは、その戻し方に乗って、話が続きやすいように引き継いだ。


『グローにしては、中々に難しい言い回しをするな。

カリン、グローが言ったのはニュアンスで捉える意味だとは思うが、判るかい?』

妻にも話を振って、多分少しばかりだろうが落ち込んでしまったであろう、彼女の気持ちの切り換えを誘った。

カリンは数度瞬きをすることで、潤んでしまっていた瞳を案外簡単に納める事が出来て、ホットする。

そして賓客と、夫の言った言葉の意味を考えてゆっくりと口を開いた。



『ええ、それは何となく。

でも、そうだとしたらかなりグロー様のご友人の"アルセン様"はとてもストイック(自分の欲望を抑え情念に動かされることなく幸福を得ようとする、などの意味)な方なんですね』

だが妻の発言に、ピーンは苦笑してグロリオーサは"ムムッ"と言った様子の顔をする。



夫や執事に影響され、それなりに語彙(ごい)が堪能になってしまったカリンは、例えとしては的確かも知れないが、"グロリオーサ・サンフラワー"の理解の範疇を越えたストイックという言語を出してしまっていた。

しかし意味は分からないながらも、領主夫人の声に籠る感情と調子で彼女が"正解に近いことを言った"ということは判った男は頷いた。



『ストイックの意味は分からないんだが、多分奥方殿が言った事は正解に近いだろうな。

ええっと、具体的に言うなら"自分の中でこうしたい!"て気持ちが、アングレカムなら"農家の作業なんかしないで、ずっと読書をしていたい"って…"欲"が確かにあるんだ。

けれども、自分のしたいようにだけ振る舞っていたなら、多分誰かに迷惑をかけてしまう。

それがもしかしたら、自分と同じ様に、したくもない我慢を誰かにさせてしまうかもしれない。

だったら、"自分に与えられた役目をこなして、遠慮なく手に入れる事が許される物は手にいれよう"って考えていたみたいなんだ。

で、その遠慮なく手にいれようとしたものの1つが』


『自分の"家族"と言うわけですね』

グロリオーサの話を聞いている内に、アングレカムという"人"を、大分知ることが出来たような気持ちになったカリンがそう言うと、賓客は頷いた。


『アイツも"次男坊"っていっても、何か色々複雑みたいでさ。

実家の農家の家族自体はすげえ大人数なんだけど、何か距離をおいていたな。

それと日に焼けてはいるけれど、顔が兄弟の中でも…というか、住んでいた田舎で一番整っている奴だから、それも複雑なのを更に難しくしていたのかも。

まあ、アングレ……"アルセン"曰く

「長男以外を大事にはしない文化の国なんだから、不満を抱いたとしても、私1人がどうこう言っても今更変わりませんからね。

なら私に"許された権利"で、私が自分の人生を満足させればいいだけです」

ってな。

その1つが奥方殿がいう通り、自分だけの家族を持つことだったらしい。

で、"自由"に付けられる子どもの名前を、たまにキツくなる農作業の時に考えて気晴らしをしていたんだそうだ』

グロリオーサの話を、"アングレカム"という人へある種の尊敬の念を持ちながら、カリンは先程落ち込んだ気持ちを忘れつつ、微笑みながら聞いていた。

それからまた1つふと思い浮かんだ、質問を口にする。


『―――あら、でも、"アルセン"は聞いた限りでは男の子の名前ですわね。

"アルセン"さんは、男の子の名前しか考えていなかったのかしら?。

それとも偽名に使ったから"男の子"の名前なだけであって、女の子の名前もグロー様の御友人は用意をしていらっしゃるのかしら?』

続けるような問いかけの答えに、グロリオーサはあっさりと首を横に振った。


『うんにゃ、女の子が産まれたなら、名前は"奥さん"になってくれた女性(ひと)に付けさせるつもりだったらしい。

まあ、今のアイツは"決起軍の事で忙しい"から家族なんて持つつもりはないらしいから、折角考えていた名前を今使っているみたいだけどな。

ああ、これが1つ目の"前置きの答え"構わないか?』

考える事が苦手な男は、そこまで言うと大きく息を吐いた。

それから側にあった自分の分の甘い茶菓子を全てモグモグと食べ、ホッとした顔をする。


『―――トレニアの時には、随分と"子どもを持たせてやりたい"と懸命な様子だったのに、男の友人には素っ気ないな』

ピーンは批判するつもりはないが、眉間に皺を寄せながらそんな事をいうと、グロリオーサはカリンが差し出してくれた茶菓子にも手を伸ばして答える。



『そりゃトレニアと"アルセン"とじゃ、度合いが違うからな』

『それは、アルセンさんが子供が欲しいという度合いが、トレニアさんよりは、低いと言う事ですか?。

口振りからすると、子供のお名前を考えるまでなさっていた割りには、その度合いは大変低い様に聴こえますね。

どうぞ、遠慮為さらずに全部食べてくださって結構ですから』

一応グロリオーサなりに遠慮して半分くらい残していた茶菓子も、領主夫人は優しく微笑みながら差し出す。



『すまん、どうも頭を使うと腹が異様に減るんだ。

それで、"度合い"については、うん、その通りだ、奥方殿。

……しかし、菓子は本当に、旨いなこれ』

ピーンは"度合い"の話を続けたそうだが、グロリオーサの気持ちはどうやら完全に焼き菓子の方に向いている。


(これはカリンの分も食べ終えてからだな。

グロリオーサの"頭"も栄養を求めているみたいだし…小休止だな)

領主は一息ついて、自分もカリンが言うには、副竈番であるマーサが作ったという新作の菓子に手を伸ばした。


(お、これは?)

外はサクッとしていて口当たりが良くて、それでいて口の中の水分を取りすぎる事もなくて、何より甘いようでいてその甘さがしつこくないので、――ピーンの好みにあっていた。


菓子を口に含んだ途端に"美味しい"といった顔をして、無口になってしまった夫を見て、前以てマーサから、「領主様とグロー様の好みを合わせて、追究して作ってみました」と報告を受けていたカリンが微笑んで、説明を始める。


『グローさんが、よく厨房の手伝いをしてくれたからありがたかったそうですよ。

時には重たい物も、いつもマーサ1人で運ぶのに強引に手伝ったりした事もあったそうです。

グロー様のお友だち間もなく到着なさる話をロックから聞いて、その礼にとマーサが特に頑張って作ってくれたそうです』

客人でも厨房に入ったなら容赦なく使いこなす小娘は、どうやらレジスタンスのリーダーも上手いことあしらっていたらしい。


共に闊達過ぎる2人は相性も良かったのか、旧領主邸で良く一緒にいる所を、領主であるピーンも、連日行っていたある"会議"の間に良く見かけた。


『そうか、じゃあ後でキチンと礼に行かないとな。

……多分、もう手伝いをすることはかなわないからな。

マーサとは、良い友人になれると思ったんだが…』

多いに寂しさを黒い瞳に浮かべ、"友マーサ"が作った卵と牛乳がふんだんに使われた品良く控えめな甘さを持つ、丸い焼き菓子の最後の1つを大切そうに摘まんで見つめた。


そして大口を開けて、グロリオーサは"友"が作った傑作のお菓子を、領主夫人の分まで見事にたいらげる。

それを共に"菓子が美味い"と感じた領主が、ある可能性に気がついたピーンは、僅かに切なそうに見つめてから一度瞳を閉じてから、"ある切なさ"を心に押し隠して話を再開させる。


(後でそれとなく、慰めにいってみるかな?)


『―――では、先程も軽くしてくれてはいたが、"アルセン"殿の度合いの話をもっと具体的にして貰おうか?』

ロブロウ領主も副竈番が作った新作の菓子を見事に完食し終えたの満足そうに見てから、グロリオーサは軽く頷いて話を始める。


美味いお菓子を見事に平らげてしまった夫とその友人を見て、カリンは紅茶を再び淹れる為に立ち上がるが、2人には見えないところで思わず"あんなにお菓子に夢中になって、可愛らしい"とクスクスと笑ってしまっていた。

そんなことは露程もしらずにグロリオーサとピーンは話を再開している。


『"アルセン"はさ、どうにも自由に出来ない中で、自分に出来る自由を大切にしてはいた。

けれど、"限れてばかりの自由"に執着はしていなかった。

もしも、妻になる女性を迎えて、家庭を持って、子供が産まれて、育てるなら、子どもの気持ちを優先はさせてあげたい。

だけど所謂(いわゆる)小作農の自分の子供には、精々自分が味わったような、《不自由な、自由》しか与えてやることしか出来ない。

それぐらいなら、いっそ持たない方が良いって、そんな希望も持ってはいたりもしたんだ』

決起軍に"誘った"というよりはそれこそ"金の力で横の物を縦にする"といった感じで、アングレカムを"農家のパドリック家"から、まるで毟りとるように参入をさせた時。



彼は最初に驚いてグロリオーサと、「金で動くかもしれないよ」唆したジュリアン(後に冗談だったけれど、グロリオーサが真に受けたんだ!と主張)を叱り飛ばす。

それから、親友達にだけに見せる本当の笑顔をして、笑い、腹が痛くなるまで涙を見せるぐらいアングレカムは笑った。



《友人の為に、自分の財産の半分以上を出すなんて、何て馬鹿で――有難い友人を、私は持てたんでしょう》

――産まれて初めて、自分に価値があるような気持ちを与えて貰った。


それは世間一般で"汚い"と思われがちな"金"ではあった。


だけど"魔法が得意で、頭の回る小作農の自分"ぐらいの価値を見いだせないなかで、グロリオーサの出した金とその"量"は露骨過ぎる程、解りやすかった。


《次男だから》

《アングレカムに与えられた"人生"は、こういったものだから、享受しなければいけない》

不満を抱きそうになる度に、賢い少年は自分に言い聴かせていたのに、友人はそれをあっさりと、自分に与えられた"財産"を使って、取っ払ってしまった。


国王の庶子として、グロリオーサに与えられている財は決められていて、減ることはあっても、増える事は決してない物を、惜しげもなく使われた。

日に焼けた美丈夫は、心の内で手の指に満たない回数だけれども、グロリオーサの身分に"嫉妬"してしまっていた事もあった。

そんな自分を大いに恥じて、それならば彼の"野望"の為に、自分の今生を捧げる事を密かに誓う。

また彼が自分に使った金は、それは"税金"でもあるのだから、それに見あった活躍をしたいという"欲"も出た。


今はまだ途方のない目標でしかないが、グロリオーサの野望が叶い、彼が国を納めるという事になったら。

親友の納める国の民が、今の傾き始めたの国の中で、疑心を抱き戦々恐々として税を納めるのではなく、安心して任せて"税を納める国"を実現させて見せる。



("グロリオーサ・サンフラワー"、貴方をセリサンセウムという国の歴史に関わらず、世界に通る名高い名君にするのを私の"野望"と"誓い"にさせて頂きます)

その誓いを、アングレカムは口には出さなかったが、とりあえず国をグロリオーサが目指す平定にたどり着くまで"家族を持つつもりはない"と宣言をしていた。

その時、相変わらず物事を深く考えないグロリオーサがどうしてだ?と尋ねると、これには少しばかり済ました様子で答えてくれた。



"正直、このままの生活で家庭を持ったとして、子供が生まれて、その子が、私のようにすぐに見切りをつけるような性格ではなかったら、きっと私とその子は喧嘩をするでしょう。

向上心がある子に、"家の事情で諦めなさい"というのは親として情けない限りです"


更に苦笑いをしてアングレカムは、グロリオーサにも解りやすいように"平定を終えるまで家族を持たない"理由を口にする。


"けれどもね、農家の次男である私の"許される自由"の中に、"家庭を持つ事"が折角あるのなら、それを希望にしてもいました。

トレニアが本当に幸せそうに、子どもや赤ん坊を慈しむ姿を見たなら、子供を授かり育てる事が酷く魅力的で、幸せそうとも感じました。

しかし、幸せとも感じたんですが、私はどちらかといえば、彼女みたいな優しい人達がそうやって過ごせる時間を作りたいと思ってしまいました。

併せて慈しみたい相手や、自分の妻とした人や子供に、私が味わった"絶望"にも近い気持ちを――"幾ら頑張っても無駄なんだ"なんて気持ち味わせたくもなかったんです。

こうやって決起軍に"入った"のなら腹も座りました。

グロリオーサが国の平定望むのなら、その平定がなされたこの国で、私はどんな居場所や立場にいたとしても、諦めず動いたのなら、伸し上がるチャンスを掴める国にしたい。

まあ、私は引っ張り上げて貰った立場ですけれども"


最後は田舎の女性達を虜にしてきた、綺麗な笑顔を浮かべてアングレカム・パドリックは決起軍の"参謀"として"参入"した。




具体的に金の話はしなかったが、友人を"不自由な自由から解放した"という話と、"アングレカム・パドリック"が決起軍に入って宣言した内容を話すと、カリンは軽く感動して、ピーンは感心していた。


『しかし、他人事ながら"アルセン"という人物がとても良い友人を持てたみたいで羨ましい限りだ』

『ええ、それはもう』

夫の言葉に妻は微笑みながら頷き、賛同した。


正直にいって本能や勘で動き回り、あまり誉められるどころか、時には正座をさせられ説教までされる王の庶子でもある男は、ロブロウ領主夫妻に誉められて多いに照れてしまう。

ただ、親友であるアングレカムを不遇から救いたいという正義感ばかりで動いたわけではない。


『そんな立派でもないんだ。

アングレカムの才能なんだろうけれど、農家離れし過ぎた賢さと魔力があったからこそ、誘った下心が勿論ある。

決起軍をいざ作ろうとしたのなら、俺が接近戦が得意で、あの頃はジュリアンがもう仲間になってくれる事は決まっていた。

それで、あのスリングショットの遠距離で後方支援だとしても、やっぱり"魔法が得意"な奴が仲間に欲しかった。

あとは本当に自分勝手な考え方なんだけど、俺がアングレカムの立場だったら絶対やってらんねえって思えたんだ』

アングレカムを農家の次男坊という、何も彼の力が発揮できない場所にいる事にもどかしさが、グロリオーサには耐えられなかった。


あの頃、そんな親友を思うグロリオーサを見て、一番気軽に口が聞けて、器用で智恵はないが、"気は回る"ジュリアンが上手い例えを云ってくれた。

"アングレカムが小作農でいることは、才能の無駄遣いというよりも、"飼い殺し"だな"

"飼い殺し"という表現を聞いて、アングレカムを強奪するような形にしたとしても、農家の次男から解放しようとグロリオーサは決心した所もあった。


『でも、"アルセン"は俺の方が凄いみたいな事言うから、不思議なんだよな。

何だっけかな、

"民という人の心を治めるのに、一番治まりがいいのは《智》じゃなくて、《徳》で収める事です"

とか何とか言って、それで俺には《智》はないけれど、それを余裕で凌ぐ《徳》があるとかないとか―――』




そんな事を言われたのは、決起軍を作ったばかりに訪れた田舎の村で、村人同士の諍いがあった時。

キザなジュリアンが村娘達に話しかけて、皆アングレカムの方を向き、見事に完膚なきまで敗れた姿に同情した子ども達が、理由を話してくれた。

簡単に言うならば、どちらにも非があって、どちらにも互いに責める権利がある、そんな諍いだった。

これには幾ら心が読める"魔女トレニア・ブバルディア"でも、どうしようもない。


"あっちが謝るまで、こっちは引かない!"


(互いに"意固地"になっているから、冷静になる糸口を見つけないと、キリがないわ)

と、テレパシーが苦手なグロリオーサを除いて、トレニアは2人の仲間に、諍いを起こしている当事者の気持ちを伝えた。


ジュリアンは気障たらしくはあるが、呆れながら腕を組み、トレニアはテレパシーの苦手なグロリオーサの為に耳打ちをしている最中、アングレカムが前に出た。

村の女達をまず虜にした美丈夫は、群がる村娘達に冷たく微笑んで諍いの現場に入った。

当事者達はいきなり現れた日に焼けた美丈夫に驚かされた後に、更に()り気無く押し付けがましくなく出される意見に驚く。

そして当事者達に(しこり)が残らないよう、アングレカムは質問や意見を出して話を進め、最後は両者が互いに引く形で諍いを収めて見せた。

解決する様子を遠巻きに見ていたグロリオーサ達だったが、然り気無い仲間の"智恵"の手腕で諍いの当事者が、互いに引くのを眺めて、リーダーである男は素直に喜んでいた。


(やっぱりアングレカムは頭が良いなぁ)

そんな事を頭の中で幼い子供のように思い浮かべると、トレニアが"優しく"笑いながら口許を押さえている。


どうやら、グロリオーサの"声"は思いっきり聞こえてしまっていたらしい。

照れ笑いを浮かべて黒髪の頭をボリボリと掻いていると、諍いで出来た人盛りが、解決した事で散り散りとなって、アングレカムが戻ってくる。


"やれやれ"といった様子の親友に、諍いを治めた見事な手腕を手放しでグロリオーサが称賛すると、親友は今度は呆れたようにして肩を竦めた。


"そこまで誉められるような"やり方"でもありませんよ。

本当なら民という人の心を治めるのに、一番治まりがいいのは《智》じゃなくて、《徳》で収める事です、《リーダー》"

綺麗な顔に、親友達にだけに見せる笑顔を浮かべて、キョトンとしてしまった親友にアングレカムは自分の持論を述べる。


"今回の諍いだって、民である人を《智》の言葉で説得して理性で抑えるようにするのは、上策とはいえません。

諍いを起こしたもの同士が、互いに心から"此方が控えよう"という気持ちを引き出させる《徳》の方が、後腐れ等が出来なくて余程いいんですよ。

そして、グロリオーサ、貴方は思慮深い"智"はないかもしれませんが、それを十分に補える"徳"を、私では及ばないほど持ってはいるんですよ。

今回の事も私でなくて、貴方が出ていたなら「仕方無く引く」ではなく、「引いた方がきっと良い」と自ずとなっていたかもしれません"


アングレカムがそう答えると、ジュリアンが

「だったらグロリオーサを行かせれば良かったのに」

と言うと、日に焼けた美丈夫は首を横に振った。


"《徳》があるというのは、カリスマがある事。

印象が残る事も含まれます。

これから本格的にレジスタンスの活動をするのに、早速決起軍の面割れや"戦力"解明がれては敵いません。

だから印象に残りやすいグロリオーサが諍いを片付ける前に、私がさせて頂いたまでですよ。

印象的に語る《智》の言葉はなくても、側にいて頷くだけで意見を伺いたくなる《徳》は持っていらっしゃいますからね、我等のリーダーは"


(アングレカムの色男ぶりも十分、印象に残ると思ったんだけどなあ)

この事を思い出す度に、整いすぎている親友の澄ました顔をグロリオーサ思い出す。





『仮にも自分達のリーダーに据えた男に、"智恵"がないとは容赦ない言い様だな』

軽く驚いたピーンの声で、自分が思い出に耽ってしまっているのにグロリオーサは気がついて顔を上げた。

自分を保護しくれているロブロウの領主殿は、ムウっと言って顎に手を当てる。


『いや、幼馴染みだからこそ、それくらい言葉に容赦ないものかな?。

こういった時には、幼馴染みという親しい友人を作ってないのが悔やまれる。

感覚が分からない』

そんなことを言ってはいるが、"《智》を遥かに凌ぐ《徳》がグロリオーある"というアングレカムの言葉には、賢者も多いに頷ける言葉であった。


ただそういった話を聞くと、やはりアングレカム・パドリックの"知性"は、軍略よりも治世の善き為政者向けだともピーンには思えもする。

これまでの策や、平定後の協定を結ぶ内定のやり方を密かに観察していたピーンにしてみると、"悪くはないが、時間と手間を丁寧に用いり過ぎている"といった感想を持てた。


(決起軍の中で主だって活躍する人数も4人な訳だから、役割を割り振りをするにしても限界があるだろうが)


ピーンの予想でしかないが、もし平定を成しえたなら、恐らくは"宗教"に関しては仲間になっているという神父、福祉や子供の教育に関しては恐らくトレニアが。


そして目の前にいる、徳とカリスマ溢れる黒い髪と瞳を持った男は、恐らくは"王"として形や言葉にならないが(なにがし)の多大なる仕事を持つ事となるだろう。


(そしてアングレカムと御仁は他の一切の事も考え、"頑張れるだけ、頑張っている"状態。

戦場に置いては、悪魔のアングレカム・パドリックと世間から喚ばれるように振る舞ってはいるが、戦後処理の丁寧過ぎるやり方も伺える。

彼の中身はグロリオーサの話を聞く限り、優しい人にしか聴こえんな。

だが、それはアングレカム自身は親しい者にしか出してはならないと、自分に言い聞かせている―――)


『あら、領主様、領主様には何でもしてくれる執事がいらっしゃるではありませんか?。

そこは"グローさん"と、"アルセンさん"の間にあるものと同じように私には感じますけれども』

考えている途中に、カリンからやんわりと返された言葉に、ピーンは瞬きを激しく繰り返した。


妻はどうやら、夫がグロリオーサの話を聞いて"幼馴染や親しい友人がいない"、という発言を不思議に思っていた様子だった。

品良く口許に手を当てながら笑う。


『領主様とロックの関係も、主従の関係にあって"友"の関係とは、表だっては言ってはいけないのかも知れません。

だけれども十分領主様とロックは、幼馴染みには時間が合わないかもしれませんが、"親友"に近いのものはあるように私は思います。

だって、研究に没頭する余り、連日続けて食事をとるのも忘れて、研究をしている領主様の口の中に、見計らってチーズが挟まったパン、サンドイッチを放り込む事が出来てる執事なんて聞いた事がありませんもの』

カリンが微笑みながらいうと、書斎の扉が音もなく開いた。



『旦那様、"グロー様お迎え"のお客様は本当に中庭でお待ちにさせて宜しいのでしょうか?。

奥様、グロー様、如何されましたか?。それとも、私の顔に何か?』

ノックしないで書斎に入ってくる事を許されている執事が、扉を開いて入ってくると同時に口を開いた。


そして本来なら関所からやって来たという、"日に焼けた美丈夫な傭兵"の扱いについて領主であるピーンに答えを聞いて、判断を仰ぎたい執事である。

しかし、書斎に入った途端に、正に"穴が空くほど"自分を見つめる賓客と、微笑み見つめる奥方に、思わず私情を出してしまっていた。


寸の間、時間が止まったようなものを崩したのは、この領地の主だった。


『ああ、中庭で構わない。

―――遠路遥々こちらに"呼んで"おきながら、客人を待たせては悪いな』

妻や賓客が"穴が空くほど執事を見つめる理由"を

――ロックを"友"と思っても良いのだという旨に、軽く動揺したのを察せられるのを避ける為――

話される事から半ば逃げるように、ピーンは身軽く椅子から立ち上がった。

執事は自分が見つめられた理由は分からないままだが、主が動くのを見て音もなくピーンの側に寄り、領主として出逢うための支度を手伝い始める。



『ロック、すまないが何時ものではなくてカリンとロックが仕立てたあのコートで客人と面会しようと思う。

部屋の隅に掛けてあるから、持ってきてくれないか?』

『―――畏まりました』

『あ、ピーン。"バルサム"の話はいいのか?』

ロックが静かに迅速に書斎の中を動き回る中、グロリオーサも約1ヶ月ほど離れていた仲間と会う為に、立ち上がり、尋ねる。


アングレカム・パドリックが"アルセン"という自分の子どもに使うはずだった名前を、今偽名に使っている理由。

1つは平定を終え、どんな居場所や立場にいたとしても、諦めず動いたのなら、伸し上がるチャンスを掴める国になるまで、自分は家族を持つつもりがない。

ある意味それは"一生物"の仕事になり、忙殺され伴侶を迎える時間もない程になり、恐らく"アルセン"という名前をもつ家族を持つことはアングレカムにはない。

だがまだ年若い頃、考え、僅かに"希望"も持っていた名前でもあるので、折角なので偽名として使っている。


そして、もう1つ理由にあげられた《グロリオーサの"姪っ子"バルサム》。

その女性の名前に領主は、ああそれか、と言ってから高い背と両手を頭の上で組んで更に上に伸ばす。

伸ばし終えた頃合いを見事に見計らって、ロックが持ってきた紅黒いコートにピーンが袖を通しやすいように後に立っていた。



『そうだなぁ。それは私が直接"アルセン・パドリック"にきいてみたくなった。

グロリオーサの説明も端的で分かりやすくていいが、彼自身がなんというか尋ねてみたいんだ。

これまでの話を聞けば、家庭を持ったことがない、そして親にもなった事がない青年が、これ程考えていたとなると、恐れいる限りだな。

きっと"智"も持っているのだろうが"仁"、相手を思いやるを持っている。

"悪魔の参謀アングレカム"と名前を広めてはいるが、中身はどちらと言えば天使なみに優しいのかもしれない。

そしてそこにバルサムというお嬢さんがどう関わってくるのか、実に楽しみだ』

そんな事を言いながら、ロックの用意してくれているコートに袖を一気に通した。


失礼します、と執事が静かに短くいってピーンの前に回る。

襟元や袖口の細かい箇所をチェックして、最後に立ち上がって伸びをした際に少し乱れた領主の白髪の前髪に、胸元から出した櫛をとしてから、小さく頭を下げてピーンの傍らへと立つ。


『それではお客様に会ってこようかな。ああ、"グロリオーサ"』

本名で呼び掛けられて、少しばかり驚く。


『ん、何だ?』

腰に帯剣もして、すっかり支度を整えている賓客に、ピーンは苦笑いを浮かべる。


『すっかり支度をして貰った所を悪いんだが、初めに一応領主として面会を望む客と、一対(いっつい)となって応対したいと考えている。

少しばかり待っていてもらえるかな?。申し訳ない』

『あら、グローさんをお連れにはならないのですか?』

カリンが驚いた様子で、腰をあげてしまっている殿方3人を見上げ、どうやら自分と同じように驚いている賓客に目を止めた。


『アルセンと"サシ"で話をするという事なのか?』

てっきり自分も行くものかと考えていたグロリオーサは、領主夫人と同じように驚きの声を出した。

それから自分を見つめているカリンに気がついて、互いに思わず顔を見合わせてから、紅黒いコートにを纏う領主を見つめる。


『いや、サシではないかな。此方は執事のロックを傍らに置くことになる』

ピーンが今度は何かしら意味を含んだ様な笑みを浮かべて、傍らにいる執事の肩をポンッと叩くと、ロックは珍しく澄ました顔をして1歩前に出た。

それから右足を引き、右手を体に添え、左手を横方向へ水平に差し、執事は領主夫人と賓客に恭しく頭を下げる。



『グロー様を尋ねてロブロウにいらっしゃった、お客様は帯剣をなされておりますので、私が万が一を考えてお客様の剣を預からせていただきます』

下げた頭を上げながら、正面の位置にいる二人にそれぞれに向けた感情をのせて視線を向ける。




――カリンに対して"旦那様の事は、私がお守りいたします"と。

――グロリオーサには"例え賓客殿の迎えのご友人であるとも、ビネガー家を害するものは、この私が許しません"と。



『何、グロリオーサがアングレカム・パドリックの頭が良いと誉めるものだから、"老獪の賢者"としては気になってね。

1つ、智恵比べをさせてもらおうかなぁと』

サラッとピーンがそんな事を言う。


『え、ピーン、あんた賢者だったのか?』

三度目の驚いた顔をしたグロリオーサに、思わず口を空けて、どうして賓客を置いていくのだろうと困惑するカリンと、澄ましているのを放棄せざるえなくなったロックが、不貞不貞しく笑う二人の"主"でもある賢者を見つめた。



『『賢者と言うことを、仰っていなかったんですか!?』』

『アッハハハハハ!大成功♪』

カリンとロックの声が揃って耳に入った途端にピーンは書斎を小走りに駆け出し、領主様!、お待ちください旦那様!、という大好きな二人の声を後方で聞いた。



(やっぱり、カリンとロックの驚きのリアクションは最高だなぁ〜♪。

凝りに凝って仕込んでいた下準備を使って、イタズラをした甲斐がある)

後ろから聞こえてきた、2人の声を思い出して、またピーンは笑うが、今度は子どものように無邪気なものだった。



ちなみに"ロブロウ領主が賢者である"という事を、別段隠しているわけではない。

隠しているわけではないのだが、ピーン自身が賢者よりは"ロブロウ領主の仕事"に重きを置いている姿勢だった。

その為に領主邸の家族は妻を筆頭に、使用人は執事も頭として、"仕事"に関する事以外ではなるべく領主を"賢者"として、接しないように始める。

それが自然淘汰するようして、"ロブロウの賢いイタズラの好きの領主様"のイメージが先行して、昨今の若い者では領主が"賢者"である事を知らない者もいるらしい。

だから今回迷子になったグロリオーサを保護をし、ロブロウ領主は大層仲が良くなっていた。

なので執事も奥方も、ピーン・ビネガーが"賢者"である事を、さっさと自分で明かしているとばかりに考えていた。

ところが、イタズラ好きの賢者は、一番親しく最近では驚かす事が難しくなってきた2人に、グロリオーサに出逢うきっかけになる前の"嬉しい驚き"を与えられから考えていた。


《何かかしら、驚きを返さねば》

感謝しつつ風景画を描きながらそんな風に頭を巡らせていたその直後に、渓谷から"降ってきた"グロリオーサを、今回のイタズラに丁度良いとばかりに利用したのだった。


そうして"才能の無駄遣い"が上手くいった事を悦に入れながら、ピーンは中庭に向かう。

後から執事のロックが追いかけてくる足音と共に、軽い"怒気"も感じながら、自分の足取り軽く中庭に向かって、小走りをして角を曲がるとピタリと足を止める。


『んっ?』

その理由はビネガー家の屋敷の中では、至極珍しい光景が、中庭に続く扉の前で見えたからであった。


『おや、うちの使用人達にしては珍しい光景だな』

その時、背後から迫ってくるロックの足音には気がついてはいたが、"光景"が本当に珍しくて、ピーンは"興味"をもってしまい、考え込んでしまう。


『旦那様!お待ちくだ……えっ?、わっぷ!?』

ドンッ、と思わず足を一歩踏み出すくらいの衝撃がピーンの背中にくる。


『おっと!』

角になっている為に、まさか"旦那様"がそこで止まっているとは思っていなかった執事は、足早に追いかけて勢いそのままで、ピーンの広い背中に激突をしてしまっていた。

結構なスピードもあったので、思わずピーンが声を出して少しだけ体勢を崩して驚きの声をあげる。


すると"ビネガー家での珍しい風景"

――領主邸に仕える年若いメイド達が、中庭に通じる扉を競って覗き込む様子――

は、領主邸の"主"と主に忠実過ぎる執事がいることを見たことで、正しく蜘蛛の子を散らすように、メイド達は慌てて持ち場に戻った事で終わってしまった。


『あたた、しかし、いつも領主邸に勤めている事で御澄ましさんが多いのに、中庭に(こぞ)って集まってどうしたんだ?』

背中を擦りながら、不思議そうに呟いてから、後ろから何も反応がないので心配になって呼び掛ける。


『ロック、大丈夫か?。

その、結構な勢いで私の背中に激突をしたみたいだが?』

ピーンが器用に首を捻って振り返ると、ロックはキュッと眉間にシワを寄せて目を閉じて鼻を押さえて俯いていた。

どうやら、鼻を強く打ち付けてしまった様だった。


『ロック、本当に大丈夫か?』

首だけを振り返っていたのを、身体全体で振り返って正面から執事と向き合う。


『あれだ、ちょっと見せてみろ』

鼻を押さえるロックの右手首をグイと掴むと、執事も器用に手首を捻って(これもピーンから仕込まれた体術の1つで)、捕まれた手首から主の手を外し、掌をみせた。


『大丈夫です、―――申し訳ありません、旦那様』

『どうしてロックがあ謝るんだ。

急に止まっているのも申し訳なかったが、イタズラの延長でこんなことになってしまって、本当にすまない』

"イタズラはしても人は決し傷つけない"という信念を持っているピーンは至極申し訳なそうに、白髪の頭の後頭をボリボリと掻いてから素直に執事に謝った。

この言葉に、執事はまだ眉間にシワを刻みながらも口の端を上げた。


『大丈夫ですよ、旦那様』

執事の優しい声に、チクリと賢者の胸が痛む。


正直な所、大切な相手にイタズラをした後に"無傷な相手に力一杯叱られる"より、"傷ついた相手に許される"事の方が物凄く辛い。


『旦那様のイタズラ好きは、今に始まったことではありませんから』

優しい声が尚も続き、漸く押さえていた鼻から手を離して、背の高い主を見上げる。

鼻の痛みの為に、執事の瞳が潤んでいるのを見ると、ピーンは再び頭を下げた。


『本当に、すまなかった』

尚も謝る主に、執事は潤みが大分引いてきた瞳で、苦笑いを浮かべる。


イタズラ好きな癖に、変なところで素直で真面目なところがあるピーンを、よく"ターゲット"にされる領主夫人共々、執事は知っている。

滅多にない事だが、イタズラが行きすぎたのなら、十分過ぎる謝罪をした後に、更に深すぎる反省をするので、謝罪された方はそれ以上文句が言えなくなる。


(こうなってしまったのなら、話を切り換えてしまった方が旦那様にとっても、こちらも気楽だな)

そしてカリンと良く話した上で"旦那様の扱い方"も知ってはいるので、経験に従って行動を起こす。


『それよりも旦那様。

私が"申し訳ないと"言っているのは、先程のメイド達の事です。

こうやって足を止められたという事は、旦那様も"あの光景"を不思議に思われたのでしょう?』

執事は謝る主の言葉を遮るようにして、話題を変えた。


執事の言葉に、ピーンは自分が興味を持っていた事を思い出し、謝罪の気持ちばかり浮かべていた表情を、素早くあっさりと引っ込めた。

カリンやロックは、このピーンの切り替えの早さに慣れているが、一般的な領民や臣下が、これに似たような場面に遭遇すると、多少戸惑うこともあるぐらいの早さでもある。


"立ち直りが早い"――気持ちの切り替えが上手い事は良い事だとは思うのだが、"感情"はそう簡単にはかえれるものでもない。

なので"ロブロウ領主は賢いが変わり者"という言葉が、密かに言われてもいた。

そして切り替えの早い主は、理由を知っていると見える執事に尋ねる。


『ああそうだな、いったいどういう理由(わけ)だ?。

確か中庭で待っているのは、賓客の"グロー・ブバルディア"を迎えに来たという"アルセン・パドリック"ただ1人の筈なんだよな―――ん?』

そこでグロリオーサが、迎えに来た人物"アングレカム・パドリック"について語っていたことを思い出した。


"日に焼けてはいるけれど、顔が兄弟の中でも…というか、住んでいた田舎で一番整っている奴だから"

どうやらその整い過ぎている顔の持ち主"アルセン・パドリック"は、早速ロブロウの領民の女性の心を掴んでしまっているらしい。

ピーンは腕を組んで、"何とも言えないが楽しんでいる"表情を浮かべていた。


『領主邸の仕事を放り出しても拝みたい色男か―――、これは興味深いな』

ただ使用人達に指示を出す役目になっている執事のロックには、悩みの種にもなっている様子だった。


領主邸内の使用人の規律が乱れてしまっては、屋敷の中の事が上手く回らなくなり、結果的に主であるピーンに対して何かしらの不具合が起きかねない。

使用人が勝手した事によって出来た仕事の"穴"は、使用人同士や、若しくは叩き上げで"長"となっているロックなら埋める事は、簡単には出来る。

しかし、"散らかし魔のピーン・ビネガー"の世話を一番効率的にやけるのは今の所、執事のロックだけである。


過去に1度、

"ロックだけ休めないのは如何なものか"

という意見が、他の使用人達から出たので、領主で雇い主であるピーンも

"それもそうだな、3日ぐらい休むといい"

と強制的に、どことなく"休む事に不安"な顔をした働き者の執事を休ませた。


そして、いざ他の使用人達がピーンの仕事の補助という名の"片付け"の為に書斎に入ったのなら、白髪の男の"散らかす"スピードに、片付けが追い付けない。

そんなこんなでの結果。


3日休暇を貰った執事は、休暇の翌日から睡眠以外の2日かけて、ピーンの書斎や研究室を片付けつつ、他の使用人の指示を出す事になってしまっていた。

勿論、その片付けの2日の間にもピーン・ビネガーは研究と仕事の大義名分の名の元に、散らかし続けていた。


ただやはり、ロックが不在な事で、整頓して片付けていた間よりも、研究の能率も下がってしまった事もあり、領主の散らかし度合いについていけない使用人、揃ってロックが不在になるのは困るという、結論が導きだされた。

執事はこうなる事は予測出来ていたようで、3日の休みの間にはロブロウの中にある唯一の雑貨屋に新しい整頓道具を作る為に、外出を1度だけして、部屋で木工をしていたという話がオマケのようにあったという。


――自分がピーンの世話をやけない状況になるのは、何かと困る事になる。

"色男過ぎる客人"が悪いわけではないのだが、優しそうなのが特徴の顔の眉間に、ロックは縦ジワを刻んでしまっていた。


『ロブロウの領民なら、外からのお客様が珍しいしのは解ります。

私も中庭まででしたが、ご案内させて頂きましたが、確かに"アルセン・パドリック"様は美丈夫という表現がしっくりくる方です。

目を見張り、見つめたくなる気持ちが分からなくもありません。

しかし、ロブロウの領主の館、"ビネガー家の使用人"たる自覚が欠けてもしまっている様子です。

それにこの"ロブロウ"とい土地は、元来男女の接する事に奥ゆかしさがある事を誇る土地でもあるのに。

女性の使用人が、領民として名誉ある領主邸の仕事も、ロブロウという土地の誇りも露骨に放棄するとは。

接客態度が、旦那様"ピーン・ビネガー"の評価に繋がるというのに。

幾ら物語から出てきたような美丈夫の方とは言っても、あんな風に覗き見る事になるとは、人としてもはしたないです』



どうやら、既に美丈夫の来客を領主邸に迎えてから、領主の指示で中庭に案内するまでに、使用人の間に何かしらあったらしいのをピーンは察する。

眉間に尚一層に深い縦ジワを刻んで、ロックがここまで憤慨するのも珍しいので、ピーンはそれも興味深げに見つめていた。

ただこのままでは、賓客のグロリオーサだけではなく、客人アングレカムと執事の間にまで、あまり面白くない亀裂が入っりそうだったので、ピーンは頭1つ半ほど低い位置にあるロックの頭を、ポンポンと優しく軽く叩いた。


『ロブロウの領主邸の屋敷の評判が下がらないのは、ロックが自分の評判を気にしないで、使用人の仕事に厳して、効ける融通を利かせて規律を守ってくれているお陰だよ。

今じゃ、産まれも育ちもロブロウの領民よりも、余程この土地の事の長所も短所も解ってくれている。

それに、保守的な土地柄で領民が受け入れてくれるのが難しいのに、自分から打ち解ける努力も怠らなかった。

だからってわけではないけど、珍しいお客さんが来た時ぐらい、少しぐらい規律が乱れても構わないだろう』


片付けは全くできないが、領主として十分に優秀で、屋敷の中でも使用人にも"優しい主"と言われているのは、ロックが尽力を尽くして屋敷を仕切ってくれているからだと、ピーンにはわかっている。

いつも仕事に厳しい執事の間に、優しい主が入ることで、使用人からの信頼をピーンは得る事が出来ている事も分かっていた。

謂わば"厳しく嫌な役"を、執事は領主の信頼を使用人達に向けるためにやってくれてもいる。

ロックは主がそれを解っていて、感謝もしてくれていることだけで、十分報われているような気持ちになれていた。


『―――』

『ロック?』

しかし、今回は俯いたまま口を閉じて、執事は動かない。


(何やら迷って―――まだ何かに"怒っている"様子だな)

いつもならこれで"ロックの不機嫌"は大概収まるのだが、どうやら今回は塩梅が違うらしい。


(ロックが怒るのは"ピーン・ビネガーの面子"を汚された時だけだと思ったんだが…?。

屋敷の中の規律が乱れたとは言え、そこまで怒ることがあっただろうか)

幼い頃、偶然ではあるが助け時から、ロックという"人"は深く"ピーン・ビネガー"に依存をしているのを知っている賢者は、頭を撫でるようにポンポンと叩いたきり、俯いたままの執事を見つめる。


主から注がれる視線に気がついた執事は、上目使いで1度だけ申し訳なさそうに目を閉じた。

それから深くため息を吐いて、言うべきか言わざるべきか迷っていた事を非礼と分かっていながらも、伏し目のまま自分の主に報告する。



『先程と内容が幾らか重複しますが、お許しください。

メイドを含め屋敷の使用人に限らずに、ロブロウの領民で女性の方は、"アルセン・パドリック"様を見かけた方々殆どが、頬を染めていらっしゃいました』

そう言ってから、伏し目がちの目を開き、ようやく顔を上げた執事の顔は苦り切ったものだった。



『―――それ程素敵な方ですので、それで誰がお客様にお茶を出すかどうかで、使用人のメイド達の間で軽い取っ組み合いの喧嘩が起きました』


『取っ組み合い!?』

驚きの余り、ピーンはおうむ返しに言葉を繰り返しがら、

(取っ組み合いの喧嘩が軽いのか?)

と少し路線の外した事を疑問に感じたが、とりあえず執事の報告を小さく頷いて黙って、話の続きを待つ。


『結局、メイドの誰がもっていくかで収拾がつきませんでした。

少々手荒ですが、取っ組み合いをしているメイドを魔術で威嚇して、離して落ち着かせました。

結局マーサだけが、女の使用人の中で冷静だったので、昼食の支度に勤しむ彼女に頼みこんで、メイドでもないのに"アルセン・パドリック"様の接客をしてもらいました』

『ああ、マーサなら相手がどんな美丈夫だろうと、領主だろうと大丈夫だろう』

朗らかに笑いながら、ピーンは領主である自分にも容赦のない副竈番の娘をそう"称えた"。


(ただ、いい大人なのに"迷子"になるような優しい鬼神には、少しダメかもしれないがな)

表には出さないで、心の内で密かに勘づいた事をこっそりとピーンは呟いた。


まだ憶測でしかないが、"あの潔いの良い料理人のタイプはもしかしたら、グロリオーサに…"という考えがピーンの心の隅にあった。

はっきりと"恋"と心の内でも断言しないのは、多分マーサ自身もまだ芽吹いた事に気がついてはいない様子が伺えたから。


(出逢って一週間では、気持ちが"恋"にもまだなっていないんだろうしなぁ…)

ロ主の見事な"仮面"の内側で考えている事に気がついた様子はなく、"マーサなら大丈夫"という言葉に、ロックは笑顔で頷いた。



『本当に、流石マーサですね。

料理に情熱を傾けているので、他の女性の使用人が客人の方にもうっとりとするなかで、ただ一人本当に冷静に礼儀正しくしてくれました。

お客様も、冷静な媚のないマーサの接客態度が嬉しかったみたいです。

品のない言い方になりますが、他の女性の使用人のように興味を持った目で見ないので、客人の方もリラックスされていた様子でした。

使用人の長をさせて貰ってはいますが、彼女は私みたいに旦那様に依存もしていないし、ある意味では私より確りとしていますね』

主であるピーンや、優しい姉の様に慕っているその妻であるカリンとは全く別の形で、マーサを"全面的に信頼"しているのを感じさせる笑顔で、ロックは主に頷いてみせた。


依存されていて、こちらは"絶対的"な信頼を寄せられている事に悪い気持ちは全くないのだが、こうもマーサを誉めるロックの様子に、一抹の何とも言えない感情がピーンの中に湧く。

そしてまた"仮面"の中で小さく、あまりにもマーサを誉める事に、軽く嫉妬してしまっている"自分"に気がついて呆れて、溜め息をついた。


(出逢った頃には、ロックとマーサを添わせてみようと考えていたくせに、私は何を今更な事で感情を乱しているんだか)

ロックもマーサも、互いに相手に対して"恋愛"の感情を持てていない。



この事は旅から帰ってきて

"この少年をいずれは、領主となった自分の屋敷の執事にするつもりで、連れて帰った"

と、言って使用人達の前で紹介した時から、それとなく判った。


"この2人では友情以上のものは、互いに持てないだろうな"

不思議な事なのだが、気の強いまだの料理人の一人でしかなかった小娘と、自分が連れて帰ってきた痩せ気味な少年を並ばせてたなら、自然にそう思えた。


どうやら当事者同士も、最初から互いに"職場の仲間"以上の感情が持つことが出来ないのは、会わせて時から解っている様子だった。

しかし恋愛感情は皆無だが、"非常に気の合う仕事場の仲間"として、スタートして、2人の関係は友人であり仲間となり、領主邸の事を中から支える存在になっていた。

ロックはビネガー家の執事として、マーサは竈番として、各々(おのおの)が"確固たる目標"を持っていたの事もあったかもしれない。


『もしマーサ興味が料理でなくて家事の方に向いていたら、ロックはあの娘が"家政婦(ハウスキーパー)"となって、その下で働いていたかもしれないな』

少しばかり調子の戻ってきた賢者は、からかう調子で執事自身も誉める副竈番の少女を、当人の承諾無しに更にもちあげて言ってみる。


これくらいの"軽口"は、マーサは笑って許してくれる事が勿論解っていて言っている。

ただそれには、ロックも品よく微笑みで執事の笑みではなく、仕事に仲間を思い出した笑顔で頷いた。



『ええ、それでも構いません。

寧ろ、その方が良かったかもしれませんね。

彼女なら今回のお茶を出す事への揉め事も、私みたいに魔術を使わずに大きな声で、一喝しておしまいだったかもしれませんね』

あっさりと自分のビネガー家の使用人の"長"という立場を放棄しても良いという発言に、ピーンは少しだけ、大きく目を開き、やれやれと声を漏らす。


『申し訳ありません、旦那様。

旦那に依存している私は、別に、執事の仕事に固執をしているわけではありません。

でも、仕事を疎かにしているつもりはありませんし、真剣にとりくんでいます。

ただ、それは旦那様の傍らにいる為の、正当な理由としているだけです。

ビネガー家の執事の役目と、旦那様が賢者としての仕事をするに当たって欠かせない整頓の仕事は、有り難いことに、今の所は私が適任と、皆さん認めてくれていますからね』


『ああ、あれは"悪夢の三日間"と"奇跡の二日"として、(まこと)しやかに領民の間で広まっていると噂できいたぞ』

そんな領主からの茶々にはのらずに、執事は話をすすめる為に続ける。


『私は本当に、旦那様の傍に居場所を与えて貰えて、役に立てればそれで構いませんから。

マーサは…彼女の場合は誰にも依存なんてしていませんし、"料理を作ってビネガー家の人を楽しませる"事にしか、執着していませんからね』

どこまでも料理人マーサの"強さ"を信じている様子に、ピーンは取りあえずは口を挟まない事にした。


(マーサも、ロックに信用され、頼りにされる自分に"誇り"を持っているかもしれないし。

2人の友情に私がどうこういう権利はないしな)

"友人"への信頼の気持ちを語り終えた執事は、ハッとして何時もの勤勉な執事の顔に戻った。


『さ、客人の方がお待ちです。

折角マーサが客人殿の機嫌を良くしてくださったのですから、急ぎましょう旦那様。

今はいいでしょうが、また隙を見て使用人達が"アルセン・パドリック"様に近づこうとするかもしれませんから。

ああ、でも、あしらいには慣れていらっしゃるみたいですけれどもね』

滑らかにそう言って、執事服のポケットから数枚の折り畳まれた跡のある、開かれたメモらしき紙切れを、自分の主に向かってロックは主に差し出した。



"文字があったら、取り敢えずは読んでしまう"ピーンは早速、細かい文字が記されたメモに目を通す。

『これは、何だ?メイドの名前と……うちの領地の場所の名前?』

ただ最近、どうやら老眼が軽く始まりかけている領主は、渡されたメモを少し距離を取って目を細目ながら何とか読んだ名前は、雇用する際に見たことがある名前だった。


ちなみに使用人の雇用に関しては、ロックと女主人に当たるカリンに任せており、ピーンは最終的に雇用決定する為のサインをするだけなので、本当に知っているのは名前と、どの部門で働いているのかという事だけである。


『後程、今月の給金を渡した後に、メモを渡した使用人には、仕事を今のものから給金も下がる※ハウスメイドに変えると告げます。

その上で、彼女達にまだこの屋敷で働き続ける意志があるかどうか尋ねます』

ロックが冷ややかな顔をして、屋敷の主に断言する。


(これがここまでロックが怒っていた理由の1つか。

で、客人に色目を使った制裁というわけだな)

ロックが屋敷の中庭にまで、アングレカムを案内する役目を引き継ぐまでの間。


最初に客人を通す客間で応対した※客間(パーラー)メイドを始めとして、彼を見かけてしまった、容姿に自信がある使用人数人からどうやら、様々な誘い文句が書かれた"メモ"を隙を見ては渡していたらしい。

そして客人である美丈夫は、笑顔で受け取り――それを彼女達がいない時に、右から左へと流すように上司に当たる執事の青年に渡してしまっていた。

上司に当たるロックにしてみれば、こうやってメモを返されたは"アルセン・パドリック"――アングレカムがお誘いを「迷惑にしか感じていない」と明確に伝えられたに等しかった。

そしてロックにしてみれば、何よりも大切な"ロブロウ領主ピーン・ビネガー"の沽券に関わる事でもあった。


『なるほど、"アルセン・パドリック"殿は女性のお誘いを断るのも慣れているご様子だということか。

しかし、皆澄ました顔をして使用人をしていたのに、結構情熱家な女性が多いんだなぁ』

色気付いたメイドや使用人のお陰で、"沽券"に泥をひっかぶった当人は、面白いものを発見した時と同じ様にして、執事から渡された"誘い文句"と落ち合う場所が書かれたメモの内容を、読み比べたりして楽しんでいる。



『―――なあ、ロック。

仕事や給金の降格ではなくて、どうせなら朝のミーティングの時にでも、メモを渡した使用人達の名前と誘い文句を読み上げた方が、色んな意味では効果的ではないか?。

かなり面白い誘い文句だぞ、これは』


『……旦那様は何時も優しそうでいて、爽やかに相手の傷口に、塩と香辛料と砂利を刷り込むような事をさらりと仰いますね』

ロックは何時もの処罰を降さねばならない時、その前に一度、必ずピーンには報告する。

その度に、毎回ロックの考えている処罰の斜め上に"酷い罰"を老獪の賢者という言葉が似合うようになった主は言ってのけていた。


ただこのピーンの斜め上な発言のお陰で、ロックは自分でも最初は厳しいと思っていた罰を、良心の呵責を全く受けずに、"ピーン・ビネガー"に泥をひっかぶせた使用人に処罰を告げる事が出来ていた。

罰を伝えた際には、素直に項垂れ受け入れる者もいれば、強気なものでは恨みがましい目でロックを見つめる者もいる。

ただ執事が領主仕込みの体術や武術、そしてこの時期には苦労の末あって再び人並み以上となった魔術の力。

そんな勤勉で"強い"執事の事を殆どの領民なら、知っていることなので、反抗的なのはあくまでも"態度"までであった。

加えて、給金の降格も職場の移動もしないが、"屋敷の主が考えた罰"とは告げずに、その罰を代案にして口に出すと、皆ロックの課した方を素直に従い受け入れてくれていた。

なので"皆が避けるような罰も考えるロック"が、優しい顔をしながらも、とても厳格で性格の悪い執事という風に屋敷の使用人の間では表向きには思われているが、"性格が悪い"部分の噂の張本人はピーン・ビネガーが原因であった。


『旦那様の提案は、有難く拝聴します。

ですので、私の考えた処罰を告げた後に、彼女達に旦那様の提案を話した後にどうするか決めます。

さっ、お客様がお待ちの中庭に参りましょう』


放っておけば処罰を下す立場のロックが、同情したくなってしまうような"罰"を口にする紅黒いコートを纏った主の背を、少しだけ衝突の際に出来た赤みの残る鼻のまま押した。




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