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【少名毘古那神/ルイ】

少名毘古那神すくなびこ

この神が単独ではなく、必ず大己貴命オホナムチと行動を共にすることから、二神の関係が古くから考察がつづけられている。

大己貴命の命によって"国造り"に参加したとも。

大己貴命と同様多くの山や丘の造物者であり、命名神である。

そして何より『悪童的な性格を有する』とも記述される文献を、これを見て、私は少名毘古那神をロブロウの土地神にしようと決めた。

――ピーン・ビネガーの備忘録より



アプリコットが高らかに指笛を鳴らそれがロブロウの渓谷に響き渡り、打ち合わせの為に蔵で聴いた囃や歌声がルイの耳に入ってくる。


(こっから、俺たちの役目なんだよな)

少しだけ、緊張して膝に置く握り拳に力が入る。

その時、逞しい腕が背中にまわり、大きな掌でドンっと叩かれ見上げると、日に焼けた巨体を同じ儀式の装束姿と姿勢で構えているグランドールが、頼もしく笑っていた。


「頼むぞ、ルイ」


おおらかな師の声に、少しだけあったルイの緊張は抜ける。

いつもの八重歯を見せる笑顔を作る事も出来た。


「うん、オッサン!」

そして全く同じタイミングで、右膝の前に置いてあった扇子を手に持ち、グランドールとルイは立ち上がった。


同じ所作で国を代表する英雄でもある男とその弟子である少年は、浄められた渓流に"竜神"を招きもてなす為に舞う。

グランドールとルイの舞の中で"動き"に乱れはなかった。


『ルイ君、この能楽での舞で心得えて整えるのは相手――マクガフィンとの心の調子。

しかし舞う相手と全く同じように"対等"に舞いながらも、個は別にあるという事を忘れない事』




(舞の動きや、調子に関してはオッサンに合わせるの難しくはないんだよなぁ)

アプリコットからの言葉を振り返りながら、少年は最終的に予行練習でも完璧に合わせて舞うことが出来た舞を、今、本番でも舞ながらそんな事を考える。


無論グランドールという"出来た大人"が、生意気盛りの自分に調子を合わせ易いようにしてくれているのは、ルイだって百も承知である。


(同じように舞うことが"対等"でいいのかな?)

そこまで舞ながら考えて、少年は一度気を引き締めた――グランドールが"謡詞"を朗ずるのが始まる為である。


《時に大地を震動するは、いかさま下界の竜神の出現かやと、人民にんみん一同に雷同せり》

ネェツアークとはまた違った様子で、グランドールの声には荘厳な響きがあった。

そして、何より惹き付けられる。


(オッサン、良い声してるんだな)


予行練習の時も完璧に舞う事は出来ていたが、正直、真横でグランドールの声が響いた時、軽く"痺れた"。


ネェツアークが良い声だとからかうように言うと、グランドールは渋い顔をしていたが、予行練習に参加いた一同は同じように"良い声"と感じているのがルイには分かった。

高い笛の音色の後、グランドールが再び口を大きく開いて謡う。


《時に大地震動するは、下界の竜神の参会か》

"囃子"と"良い声"に身を委ねるようにして、ルイはグランドールと同じ動きで舞う。


(ここで一旦注意しないと―――な!!)

舞台の床を足袋を履いた足で"同時"に鳴らし舞う箇所に差し掛かる。

"同時"に踏み鳴らす事に関しては、グランドールとルイは身体の大きさが余りに違うので、ここはルイが合わせる。


尊敬するグランドールの動きなら、簡単に覚えてタイミング揃える事はルイには容易だった。

音が揃って鳴ると目に見えない"何か"が、渓谷の谷間で大きく蠢めいた。


《百千眷俗属引き連れ、引き連れ、

 平地に波乱をたてて、

 神の会座に出来して、み法を聴聞する》

人の心とそれ以外の"何か"をも惹き付けてやまない声で、グランドールが謳いながら舞う。


また2人同時に床を踏み鳴らす場面に差し掛かり、師弟は見事にタイミングを合わせた。

踏み鳴らした振動が舞台を揺らし、その揺れは大気へと繋がり広がる。

そしてまた"何か"が蠢く。



グランドールが確かな手応えを感じて、穏やかな優しい笑顔を弟子に向けて、また謡う為に口を開いた。

《竜女が立ち舞うは波乱の袖。

 竜女が立ち舞うは波乱の袖。

 白妙なれや、和田の原の、波浪の白玉。

 立つは緑の空色も映える海原や。

 沖行くばかりに、月の御船の、佐保の川面に、浮かみ出ずれば、――八大竜王》

そこまでグランドールの"謳"を聴いたルイは、緊張すらあまりしなかったのに、気持ちは昂りは止まらず痺れるような高揚が身体に満ちる。


「いくぞっ、ルイ!」

「―――うんっ!オッサン!」

高揚と痺れに揺らぎながらも、"舞う"為の意志をしっかり保てている少年は、師にあたる男に確りと返事をし応えた。


竜神が威勢を誇示し讃える為の師弟による連舞が、激しい囃と掛け声と共に始まった。

激しい動きながらも、2人の舞はもう何度も練習を重ねてきたかのように狂いなく舞台で披露される。

それを護衛の為に舞台の端に控え、"鑑賞"するアルスは、思わず唾を飲んでしまっていた。


「グランドール様もそうですけれど、ルイ君の動きも凄いですよね。

本当に、今日初めて数度練習をしただけなんですか?」

儀式の為に設えられた舞台の予行練習で、アルスは初めてグランドールとルイの舞を見た。


異国の"能楽"が何たるかも解らないアルスであるが、ゆったりとした動きにしても、素早い所にしてもグランドールとルイは精霊石に収められたいた"囃子"という音楽に合わせて見事に舞っていた。

そして細かい動きの部分になるであろう、姿勢や腕の角度など、もしも師弟の身体の大きさが一緒ならば目の錯覚で、1つの物が二重に見えているように思えたかもしれない。



それほど、グランドールとルイの動きは息が合い、揃っていた。

アルスにとって見るのが2度目となる今は、それに加えて前回にも増して、グランドールとルイの連なる舞が苛烈になっているように感じられる。

少年は、初めてネェツアークとアプリコットの連舞を見たルイと同じように、心を鷲掴みにされたように、2人の舞を観入っていた。


「領主殿、マクガフィン殿の弟子に"仕込み"をなさっておりますね?」

アルスの横に立つディンファレが、グランドールとルイと同じ儀式の装束を纏った姿で、今は舞台の端で、銀色の仮面を外し、ケロイドの素顔を晒しだして出番を控えているアプリコットに尋ねる。


「あれ〜、ディンファレさん。私と話してくれるの?」

「ゲコッ!」

儀式に参加するという金色のカエルを頭に乗せ、アプリコットが先程連れなくされた"仕返し"かどうかは解らないが、儀式に使っている"囃子"を奏でる精霊石を手にしながらも、ディンファレに些かふざけた様子で返事をする。



「―――」

アプリコットの言葉に無言になるディンファレから出される圧力に、アルスはヒヤヒヤとしながらも、やはりロブロウ領主が自分の護衛対象となる"ウサギの賢者"に似たもの感じずにはいられなかった。


(領主様、本当にウサギの賢者殿に似ているなぁ)

アルスですら肝を冷やすディンファレから醸し出される圧力にも、アプリコットは口角を上げている。


「そう怒らないで。で、ディンファレさんの御察し通り、ルイ君には"仕込み"をしているわ。

うちのロブロウの"土地神"様を納めて、奉らせて貰っている。

けれど、彼、ルイ君とマクガフィン殿の舞は2人の力によるものだよ。

そして2人とも、能楽を舞ながらにして次の支度に無意識に入り始めているんだけど―――」


アプリコットはそこで一旦言葉を止めて、ケロイドに覆われていない滑らかな肌がある口元を手で覆い、少しだけ考え込む。


「どうやら、ルイ君は"対等"の意味に、ちょっとだけ戸惑っている節があるわね」

考え込んだ末のアプリコットの奥歯に物が挟まるような言葉に、アルスが振り返った。


「その、魔術とかに不得手な自分が意見をするのは烏滸おこがましいかもしれませんけれど、こういう儀式をやる上で"戸惑い"みたいな物があっても、舞う人は大丈夫なものなんですか?」

遠慮がちにではあるが、ルイへの心配を隠さずにアルスが尋ねる。


滑らかな素肌である顎を革手袋を嵌めた指で掻きながらアプリコットは、目を細めて首を小さく横に振った。



「良くはない、けれど全く駄目という状況でもない、というのが現状かしらね。

今、共に舞っているグランドール・マクガフィンという"英雄"なら、弟子のちょっとした心の戸惑いぐらいで揺らぎもしないし、それがあっても、この儀式は失敗で終わる事はないでしょう。

でも、完璧を望むなら」

「この儀式は、完璧をを望む物なのですか?」

そこでディンファレが言葉を挟んだ。

冷静な女性騎士な言葉に、アプリコットは今度は苦笑いを浮かべながら又、首を横に振った。


「リコさんとライさんのお陰で、十分ロブロウ自慢の渓流は最大限に浄められている。

マクガフィン殿とルイ君いう2人の興味深い舞で、浚渫を手助けしてくれる精霊や東の国でいう"八百万神やおよろずのかみ"も沢山集まってくれています」

アプリコットはそう言ってから、ケロイドの中にある眉を潜めて、音を奏でる精霊石を手にしたまま腕を組み、幾分悔しそうに口を開く。


「ただ、出来れば私は、ルイ君に"対等"に関して助言をしてあげて、この儀式において"完璧な状態"という物を経験させて、学ばせてあげたい。

こういった事を"学べる"チャンスは滅多にないから」

そう言うアプリコット達の前でグランドールとルイによる、激しい囃の音色と共に、腕を上げ、足を鳴らし、時に舞台を周る竜神の"偉大さ"を誇示するための舞は続けられている。


「如何せん止めるタイミングも掴みづらいし、多分もうこちらに―――」

そう言ってアプリコットは、空を仰いだ。

それと同時に手にしている精霊石が、高い笛の音色が奏でられ、竜神を称える掛け声が渓谷に響く。


《八大竜王は八つの冠を傾け》


「こちらにもう、おみえになられたみたいだしね」

黒い瞳の中に僅かにある深緑の色の瞳孔を、"招き"に応えてやって来てくれた存在の輝きによってアプリコットは縮めた。


8つの光の球が、ロブロウの渓谷の空から、曇天をすり抜けて、先ずは浄めあげられた渓流の水面に舞う。

その様子は魔術に鈍感だと自負しているアルスにも、はっきりと視ることが出来たし、その光の球体が達が大層高貴な存在なのも感じとれる。


「"戸惑い"と見つめ会うチャンスはないか。

でも、龍神の方々も大層ここを気に入っているし、充分に協力をしてくれそうな雰囲気だから、今回は諦め―――」

アプリコットが残念そうに言って、組んでいた腕をほどいている内にも、8つの光の球体は、グランドールとルイが舞っている舞台の側の川面に留まる。


「―――領主殿、指揮を執るネェツアーク殿が不在ですので、代わりに采配をなされた方がよい事態が起きたみたいですよ」

不意に、黙して水面を見つめていたディンファレが、静かに通る声でまだ残念がっているアプリコットにそう告げる。


「へ?」

「ゲコッ?」

かけられた言葉に、アプリコットに続き使い魔である金色のカエルも、結構な気の抜ける声を出して反応する。


「あっ、1つが?!」

アルスも水面の方を視線を向けたまま驚きの声を出したので、8つの光の球体が留まっているはずの浄められた渓流の水面をアプリコットは見つめる。

すると8つの内の1つが水面を滑るようにして、川下、西の方向に下って行く。

アルスが確認するように言った時、アプリコットの頭にネェツアークから伝言が届く。


《少し此方に"1柱"貸して貰うよ、アプリコット殿》

返事をする前に、ネェツアークからの通信は途切れたが、ケロイドの領主はこの"チャンス"に―――笑った。

胸元から銀色の仮面を取り出して、身につける。


そして、仮面の下で集中力を高める為にケロイドを消し、仮面をつけたままの素顔で舞を続けている師弟に呼び掛ける。


「マクガフィン殿!ルイ君!。

多少時間を稼ぐ必要が産まれました。

ただ儀式自体は順調ですので、安心してください!」

アプリコットの呼び掛けに、師弟の2人は舞ながらも同時に頷いた。


「これから時間を稼ぐ部分を、精霊石の中で舞囃子を調整して音を戻して繋ぎます。

流れる囃しと、振り付けは変わりません。

取り敢えず、次の仕上げに繋がる前までの繰返しになりますが宜しくお願いします。

多分、一度の繰り返しで済む事だと思います」

この呼び掛けにも、師弟は同時に頷いた。


グランドールとルイの師弟が頷くの見て、アプリコットの仮面の中の滑らかな顔は微笑む。


「折角ルイ君が、"戸惑い"と向かい合うチャンスを見つけたのだから、使わないとね」

舞囃子を奏でる精霊石の操作しつつ、音を止める事無く、アプリコットは繋げる箇所を探しながら小さく呟いた。


アプリコットの呟くような言い種に、ディンファレは珍しく驚いた顔をして、振り返り仮面をつけた領主を見つめる。


(この領主様、賢者殿とどれだけ意志や情報を疎通しているの?。

それとも領主様の本来備わっている、性格からでた言葉なの?)


"チャンスは活かさなきゃね"

ディンファレが、今でも敬愛している2人の女性が言っていた言葉によく似ていた。


そしてもう1人の護衛になるアルスは

(多分、ウサギの賢者殿も同じ事言って、ルイ君から戸惑いをとってあげようとするだろうな)

と穏やかに考えて、今回は少しだけ振り返り微笑んだ。


仮面をつけたアプリコットは、驚きと微笑みの視線を受け止めて、凛々しく口元を引き締める。


「それでは繰返しの部分に繋ぎます。

最初の冒頭の部分になりますが、あくまでも繋ぎとなります。

囃子は奏でられますがマクガフィン殿が謳わなくても良いので、ご安心ください」


"謳わなくてよい"という仮の指揮者の言葉に、グランドールは苦笑の表情を浮かべつつもまた、師弟同時に頷いた。

最終の局面に入る前に、アプリコットは能楽の囃子が納められている精霊石を音が途切れないようにして"巻き戻す"。



(さあ、もう一度"戸惑い"と向き合ってみなさい。

戸惑いと向き合って、"考えて"、ルイ君を成長するチャンスを与えるのが、私のせめてものお詫びだから)

聴いたことがない囃子の音が僅か奏でられて、すぐに冒頭の演奏に繋がった。



ルイはグランドールから目配せを受けて、2人は直ぐに最初の位置に座する。

そして、グランドールと動きの調子を合わせて、完璧に動きを合わせながらも、ルイは囃子を聞きながら"戸惑って"いた事を思い出す。


(そもそも、オレとオッサンが"対等"っていうのが変な感じだよなぁ。

オッサンと対等っていったら、やっばり)


ルイの頭には、綺麗な金髪に軍服姿の美人が直ぐに浮かぶ。


そして舞いながらロブロウに来るまでのあれこれを、少年は振り返る。

考えてみると"オッサン"ではなく"グランドール"という面を初めて見るきっかけになったのも、ロブロウに来る事が関係していた。


数週間前、グランドールの"先輩"で、見習いパン職人と名乗るダン・リオンという人物が、農場のミーティングに突如現れて、笑いながらグランドールを引っ張って行く。

グランドールが苦笑いを浮かべながら、ルイにだけついて来いと手招きをして、色々と農業の段取りが分かっている"あにさん"達に



"後は任せたぞ"

と視線で指示して、農場を出ると、直ぐに王都の軍施設と併設されている図書館にまで、ダンに連れて行かれた。


そこでロブロウの事を調べようとルイは自身、産まれて初めて入った図書館でオッサンの"親友"に初めて出会った。

良い意味でグランドールとタイプが真逆で、肌の色など真っ白で並みの女性よりアルセンの方が余程綺麗に見えて、ルイは大層驚いた。


(うーん、でも対等っていうのはちびっと違うかなぁ)

舞う所作は完璧ながらも、今回は色々と興味深く右横で舞う"師"となる壮年の日に焼けた男をルイは改めて見る。


("対等"ってのは、オッサンとアルセン様では言葉が違うような気がする。

"対等"と"大切"って、意味が違うよな?)

ルイから見たのなら、グランドールとアルセンの関係は信頼は当たり前だが、互いに"大切"に思いやっている部分の方が強いような気がする。


(オッサンと対等って言えば"ウサギの旦那"になるのかな)

ロブロウに来るまでの間で、魔法屋敷や馬車での1匹と1人の会話を思い出して、"対等"な関係に見えなくもないのだが、如何せんグランドールの対等の相手の姿が"ぬいぐるみ"とあってルイの中でしっくりと来ない。


"舞う相手と全く同じように"対等"に舞いながらも、個は別にあるという事を忘れない事"

そこで今度はアプリコットに注意されていた事を、ルイは思い出していた。


(舞は"対等"に舞えている)

グランドールの聞き惚れるような声が無い分、今は尚同じ様に舞っている自覚がルイにはある。


そして、ルイが舞ながら戸惑い"考えている姿"を、今は7つになっている光の球体が興味深気に観察している。

その事にアルスと、考えている当人であるルイ以外の人物が気がついていた。


グランドールは舞に集中しながらも、懸命に思案する"弟子"に興味を持っている異国の高貴な精霊達、竜神達を、こちらも興味深く見守る形を取っている。

そして舞台の端の方で控えるアプリコットは、安堵の息を漏らしていた。

やんちゃな少年は"チャンス"を掴むのには至ったと、分かって優しい笑みを口元に浮かべたが、直ぐにまた引き締める。


チャンスは掴んだが、モノに出来るかどうかはまだ決まっていない。

だが、どうやら状況としては良い方に流れているらしい。

今は7つの光である龍神達ですら、この後、大己貴命おほなむちとなり舞う男より、"少名毘古那神"というロブロウの土地神の役割をこなして舞う少年に興味を向けていたから。


「―――良かった。龍神達もルイ君を含めて、うちの土地神様にも興味を持ってくれたみたい」

繰り返しの舞囃子を奏でる精霊石を調整しながら、神妙な顔をしながらもアプリコットの声は嬉しさを滲ませていた。


「"仕込み"をなさった大農家殿のお弟子と、ロブロウの土地の神が何関係があるのですか?」

ディンファレによってされたは質問に、仮面越しにでも分かる切ない眼差しをアプリコットはルイに向けて頷いた。


少名毘古那神スクナビコという神様は、文献に記載されている際にどうしても大己貴命おほなむちという、東の国を造ったとされる東の神様とワンセットにされがちで。

ある意味、大己貴命という存在があって、初めて少名毘古那神が登場するくらいなんだけれど。

大己貴命は、色んな名前を持っている神様で」

アプリコットは、そこまで言って一度口を閉じる。


それからルイに向けていた視線を瞼を閉じる事で、止め、少しばかり考える。

そして、目を開いた時。

"親友だった人"の兄のような人物、グランドールの背を見つめながら再び口を開く。


「私の恣意的しいてきな解釈の話になるのだけれど、マクガフィン殿と大己貴命、ルイ君に少名毘古那神の関係は少しばかり似ているかもしれない。

大己貴命もそうだけれど、マクガフィン殿も、結構呼ばれ方、"呼称"が数度変わっておられるのよね?」

このアプリコットからの質問に、ディンファレは答えない。

ディンファレにしてみたら、"好漢"と呼ばれる男も憎くてたまらない男、ネェツアークを尤も擁護している人物の1人でもある。


尊敬には値するが"好き"な気持ちは微塵もない。

好漢と呼ばれながらも、戦場においてはそれこそ"敵"になった相手には容赦がなかったと話に聞いた事もある。


(私が語ると、"グランドール・マクガフィン"に悪い印象を与える言葉ばかり出しそうだ)

"自分が語るよりは"とディンファレはアルスを見つめた。


「私の口から語るよりは、アルスの口から、"グランドール・マクガフィン公爵"について語って貰った方が公平な話になるでしょう。

アルス、頼んでも良いか?」

「え、あ、はい。わかりました」

ディンファレに突然に"グランドールの説明の話をしろ"と振られて、アルスは激しく瞬きをしながらも、しっかりと請け負った。


アルスは一般的に知られて言われている"グランドールの別称"を思い出しながら口にする。


「えっと、自分が知っているのは3つ位なんですけれど。

英雄なる前のまだ大分若かった頃に"一騎当千のグランドール"。

英雄になってからの"大戦の四英雄の1人・大剣のグランドール"。

あと、今一番世間で知られているのは"大農家のグランドール・マクガフィン"だと思います。

この3つですね。

もう王都では、誰もが"大農家"といえば、グランドール様の事だとわかる感じですね」


アルスがそこまで言うと、アプリコットは"ありがとう"という様子で、教えてくれた少年に向かって頷いた。

そこにディンファレが一応という気持ちで"追加"を挟む。


「貴族社会での呼称も付け加えるとしたら、"夜会嫌いのマクガフィン公爵"でも有名ですね。

一応あの方は大戦での活躍で、"公爵"という地位をも賜ってもおいでであられますから。

ご本人は貴族になるのは死ぬほど嫌だったと、仰っていたみたいですけれど」

アルスの説明に、ディンファレがそう付け加えた。

そんな"マクガフィン公爵"の話にアルスが目を丸くする中で、アプリコットが視線を当のグランドールに向けると、丁度横顔が見えた。


褐色の顔に、苦笑いを浮かべている。


(苦笑いをしているのはディンファレさんの言う事が、概ね当たっているって事かしらね)


謳う事をしないのなら、舞を舞いながらも、囃子の中から音を選り分けて、待機しているこちらの話を聴くことも、グランドールは出来てしまえるらしい。


("図体がデカイ割りに、グランドールは細やかな魔術や作業が得意だよね")

契約の為に共有する記憶の中で、ネェツアークがグランドールをそう評しているのを"発見"したアプリコットは、仮面の下で思わず感嘆の為に眉を上げる。


(やっぱり、ただの"優しい大男"ってわけじゃないんだなぁ)

ディンファレが言っていた呼称も合わせれば、"グランドール・マクガフィン"という人は表現するだけでも、4つも名前を持つ事にアプリコットは純粋に敬意を抱いた。


「流石は、マクガフィン殿といった所なんでしょうね。

それで、アルス君の言う通り、今は英雄とよりは"大農家"という穏やかな呼称が一番メジャーで、マクガフィン殿自身も、好んで使っている呼ばれ方みたいね」

そうやって、身近な所から例えを列挙させた後に、今度は"大己貴命"側からの、"グランドールが似ている部分"を説明する為にアプリコットは大きく息を吸う。


大きく息を吸う仮面の領主に、アルスは不思議そうな顔をして、ディンファレは嫌な予感とデジャヴを抱き、額に浅くシワを刻む。

そのディンファレの顔を見ると、アプリコットの中では生真面目で向上心に溢れた、まだ少女とも呼べる騎士が鳶色の賢者を諌める声を出している姿を今度は"見つけた"。



『いくら必要な説明だとしても、長たらしい言葉で、煙に撒くような印象しか与えないやり方は如何かと思います。

策を練る賢者殿に理解出来ていたとしても、策を実行する手足となる私たちが、理解する必要がないみたいな説明の遣り方は止めて頂きたいです』


今まさにアプリコットがしようとしているのは、ネェツアークの記憶の中にいる"少女の騎士ディンファレ"が言ったような事だった。


(理解する必要がないなんては考えてはないけれど。

分かりやすいようにと言っても、"こういう風に"しか説明が出来ないからなぁ)

"記憶の中のネェツアーク"と全く同じ気持ちになりながら、アプリコットは説明を続ける事にする。


「マクガフィン殿がこの後する"神様"がもっている名前は、先ず大国主神おおくにぬしのかみ大穴牟遅神おおなむぢ

先ず2つ言ってからアプリコットはまた、息を大きく吸い直して口を開いて続ける。


大穴持命おおあなもち

 大己貴命おほなむち

 大名持神おおなもち

 八千矛神やちほこ

 葦原色許男神あしはらしこを

 大物主神おおものぬ

 大國魂大神おほくにたま

 宇都志国玉神うつしくにたま

 国作大己貴命くにつくりおほなむち

 伊和大神いわおほかみ

 所造天下大神あめのしたつくらししおほかみ

 幽冥主宰大神 《かくりごとしろしめすおおかみ》、

 杵築大神きづきのおおかみ

これが儀式の後に、マクガフィン殿がやる神様が"持っている"名前の一例。

まあ諸説色々あるんだけれど、全部"同じ神様"を表現する名前ね」

アプリコットが述べた呪文のような言葉は"異国の神様の名前"であるという。


自分の国の宗教にすら、余り信仰心を持てないアルスは、まるで幼い子供の様に空色の瞳をパチパチとさせて、アプリコットが"唱えた呪文"に呆然とも言える顔をする。


辛うじて意味が理解出来、予感は当たり、過去の苦々しい思い出を思い出したディンファレは、この場にはいないくせに、いるような存在感を与える賢者にある意味理不尽な怒りを抱く。

最終的には浅く額に刻んでいたシワを、美しい女性騎士は深く刻み直していた。


「えっと、グランドール様が次の儀式で神楽舞でする神様が凄いって事を、自分は理解しておけばいいんでしょうか?」

ディンファレが、説明を受けた事で更に怒っているのが察する事の出来た新人兵士は、助け船のような言葉を出してくれる。


「ああ、うん!。ざっくり言えばそういう事だし、アルス君は"そこさえ知って置けば事足りる話でもある"」

アルスによる"説明をする側にとって、有難い反応"にアプリコットは思わず飛び付いた、が


(あっ、またやらかした)


すぐに、仮面の領主は記憶の中でアルセンがアルスと同じ様に、ネェツアークにしたら有難い言葉を出した際に、ディンファレが、激昂した姿が出てくる。


ネェツアークの共有する記憶の中でも、"奥"の方に仕舞われていたのでもしかしたら、賢者にとっては"苦い記憶"なのかもしれない。


「解りました、仮の指揮者の貴方がそう言うならなら、私達は護衛に専念しましょう。

アルス、私の代わりにマクガフィン様の説明をありがとう」


ディンファレは額にシワを刻みつつも、それ以上は口を閉じて舞台の方を向き、アプリコットに背を向ける形となる。

ディンファレが、ネェツアークからの記憶の中での態度とあまりに違うもの、言うなれば"大人の対応"をしたので、アプリコットとしては偉く拍子抜けをした感じを受けた。


(あ、そうか)

ある事に気がついて、アプリコットは仮面の下で苦笑いを浮かべる。


(ディンファレさんが、あくまでもあそこまで"ムキ"になるのは、相手がネェツアーク殿だからなんだな)


"感情を隠さないのは、こちらを信用しているからだ"


かつて不貞不貞しい賢者が喪って、心が壊れるまで愛した女性が言ったという言葉て先程のやり取りをアプリコットは思い出していた。


(この女性の騎士さんは、ネェツアークの奥さんがこの言葉に含めた"もう1つの意味"。

まだ気がつけていないのかもしれない)

怒りの感情を出すのは、その怒りを気持ちを伝えたのなら、その気持ちが理解してもらえるという"希望"があるから。


ディンファレは、賢者なら"ネェツアークなら"、ちゃんと広く分かるように伝える力とすべを持っていると未だに"信頼"している。

でも、目の前にいるのは"賢者ネェツアーク・サクスフォーン"ではないから。


(まだ知り合って間もないアプリコット・ビネガーには、言っても駄目と、諦めているってわけか)

本の少しだけ、"寂しい"という感情を持ちながらも、同時に"身軽さ"もアプリコットは味わっていた。


("信頼"されすぎて重たいなんて、贅沢な悩みなのかもしれないし)

"信頼"という言葉で表現するのが適切なのかどうか解らないが、同じ"女"であると理由と、娘という理由から母シネラリアの愚痴を、アプリコットはよく聞いていた。


それは顔が"ケロイド"に包まれ仮面を着けるようになってから、アプリコットがある程度分別がついて、物事が理解出来、尚且つ聞き役に徹する事から更に過度なものとなった。

アプリコットからすれば、"以前"に比べれば、比較的穏やかな親子関係になったと思っている。


傍目から観たのなら、数日前の晩餐会のようにシネラリアがアプリコットを"下げる"ような発言を繰返し、それを仮面の下で苦笑いで過ごすような歪に見えかねない関係になっただけなのだが、それでもアプリコットの気持ちは幾分楽になっていた。


"子ども"にしてみれば、どんな原因であろうと母親を悲しませる原因が少しでも減ったのならそれで良かったから。


例え、それが自分の顔をケロイドで失う事になっても。

自分の顔を見ることで泣いて苦しみ悲しむよりは、だらだらと流されて発散される泥のような愚痴の"重み"の方がまだ、アプリコットにはマシだった。

だから、こうやって"呆れられて"何も期待されないという体験は仮面の領主にとっては新鮮なものとなって、思わず"楽しむ"という感じになってしまってもいる。


(期待されないのは、身軽だけれども、書物に書いてある通り、どこか物悲しいし、寂しさが伴うんだな)


腕を組み、王族護衛騎士の中で"美しさと剣の腕前は一番"と評されるディンファレの後ろ姿を眺めながら、アプリコットは"初めての経験"に感じ入っていた。


"領主の孫娘"、"領主の娘"、そして"領主"をこなしてきた女性には"友人"と呼べる存在が、エリファスを除けば皆無に等しかった。

それでも幼少期に禁術を施され鈍くなった感性の中でも、祖父が残してくれていた蔵書を読み、世話焼きの竈番のオバサンの話を聴き、物静かな祖父にだけに忠実な執事からそれとなく指導された処世術から、自分なりに対人コミュニケーションを身につけた。


そうやって何とか学んだコミュニケーションで、成人した後は短い期間であったが父のバンが勤めた領主の仕事を手伝い、そして言われるがままに領主の仕事についていた。

アプリコットからしてみれば不思議なもので、書物に書かれている"人の物語"と同じように、実際の人が動く事の方が人を観察する上では多かった。

そして、稀に書物書いてある事と外れたりもするのだが、また違う書物に記されている事と内容が合致したりいて、禁術によって感情が鈍感になっていた事も関係するかもしれないが、どこか人間の考えよりは、書物に記された事に、重きを置くようになってしまっていた。

ただ、こうやってディンファレのように


『しっかりしているようでいて、相手によっては、幼い子どものような甘えにも似た怒りをぶつける』


というのは、本当に初めてで、アプリコットは好奇心と興味がディンファレに対して溢れ出てくるのを、感じずにはいられなかった。


(ディンファレさんて興味深いかも)

アプリコットが不敵に笑う横でまたしても、軽く緊張感を持つディンファレの状態に、アルスは困った顔をして佇んでいる。

少年の困った顔を見て、ディンファレに対するアプリコットの興味は尽きないが、このままアルスが気を揉むのも悪いと気がつく。


(ディンファレ殿について知りたいなら、次の"機会"があるように私が努力すればいいか)

この後に控えている大事おおごとを含めて、それでもディンファレという人物に抱いた興味は尽きなかった。


アプリコットは話を戻すべく、革手袋を嵌めた手で精霊石を見詰めながらアルスに話かける。


「さて、じゃあ大己貴命おほなむちをやるマクガフィン殿。

そして、少名毘古那神すくなびこをやるルイ君の説明の続きをしましょうか。

それでアルス君は、マクガフィン殿が舞うことになる大己貴命が、物凄い神様って事は了解してくれたんだよね」

革手袋の中に握る、能の舞囃子を奏でる精霊石の調子を確認しながら、アプリコットはアルスに尋ねる。


「はい。それはあの多くの名前を聞いた事で自分なりにですが、解ったつもりです」

アルスはそう答えながら、呪文にも思えるような多用な名前を持つ神の役をする事になる、グランドールを眺めて苦笑する。


それから、とりあえず今の所は1つだけの名前の神様を"スクナビコ"の役をするというルイを合わせて観た。

国を代表する農家の師とその弟子は相変わらず、見事に調子を合わせて舞っている。


「マクガフィン殿がする神様が、どうしてああも名前が沢山あるのかと言えば、まあ長生きというべきなのかどうかわからないんだけれど、活躍する期間が長いわけなのよね。

ルイ君が役をこなす神様に比べて、マクガフィン殿がこなす神様、ここでは、スクナビコが活躍した時と同じ名前、オホナムチにしておきましょうか。

オホナムチは産まれてから始まり、さっき話した兎の話も含め、国を造って、年をとってまで、それはもう長い歴史もあって、出来事の度に名前が変わる。

そこは、マクガフィン殿と重なる部分と考えて貰っていいかしら?」


「グランドール様が、"一騎当千"から"英雄となって"大農家"と呼ばれる流れみたいな感じと、考えればいいんですよね?」

アルスの回答にアプリコットは精霊石を握っていない方の手で、思わずグッドサインを作り、仮面に覆われていない唇の口角は思いきり上に上げられた。


「アルス君、打てば響くみたいに理解力があってくれて有り難いわっ」

思わずそんな言葉をアプリコットが出すと、ディンファレもどうやら"気に入った後輩"が誉められたような感覚になり、微笑みとはいかないまでも、嬉しそうな雰囲気を漂わせる。


「アルスは新人兵士ですが、彼を教育した軍学校でもでも秘蔵っ子扱いでした」

ついでにと言った感じで、アプリコットに振り返らぬまま"後輩"の自慢話を口にする。


「剣術の腕もさる事ながら、謙虚な態度と努力を怠らない心構えで上の方からの覚えも良い。

同期生からも、飾らなすぎる心根故に、何かと心配りを受ける。

そして何よりグランドール・マクガフィンに並ぶ英雄、"魔剣のアルセン"の御気に入りの教え子でもありますから」

「えっと、その、ありがとうございます」

いきなりの"誉め殺し"状態にアルスは顔を赤くして、俯いてしまった。

その後輩の様子も振り返る事もなく察して、ディンファレは言葉を続ける。


「これはアルスは知らない事ですが、うちの王族護衛騎士隊へと、騎士隊隊長がも自分の権限を使ってアルスを引き込もうともしていたらしいです。

まあ、結局は今回休養中の英雄の方に"出し抜かれた"形で、将来有望な新人兵士の配属先は決められたのですが」

そのディンファレの説明によって初めて知った事実に、アルスは俯いていた顔を上げて驚いたが、アプリコットは納得が出来ている様子だった。


「確かにあの賢者殿にアルス君なら"大賢たいけんは愚なるが如し"で、やってる仕事はリリィちゃんの荷物持ちと護衛で、穏やかと日常をおくりながらも、しっかりと学ぶことは学ぶ日々が過ごせそうよねえ。

って、農業研修と偽って土田舎の領地の内部調査を手伝わされるわ、こんな儀式に付き合わされてもいるから、"のほほん"からは程遠いかしらね」


アッハッハッハと何処かの誰かを連想させる笑いをする領主は、再び説明を始める。


「まあ、アルス君みたいに有能と言われても、いざ解りやすい呼称にするとしても、今はまだないわけで。

だから、スクナビコも神様としての"呼称"があるだけでも立派なものだとは感じられるとは思うんだけれども。

オホナムチとスクナビコで列べて見たとしたら、どう思う?」


「それは、話だけを聞いた側の意見ですけれど、オホナムチの方が立派な神様なんだなと言う印象です」

アルスは再び、アプリコットが望む答えを口にしていた。


少年の"有難い言葉"を耳にしながらも、話を進める為に有難い言葉を"否定"するような事を考えている自分を、性格が悪いと自覚しながら仮面の領主は口を開く。


「でもスクナビコは、そんな偉大なるオホナムチと"自分は対等だ"と思わなければならない。

次に行う神楽舞では、互いに尊敬はあっても良いけれど、力が均等でないとしても"思いやってはいけない"の。

それが、次の舞をする上での一番必要な心構え」

その説明に、アルスは絶句してしまう。


優しさを美徳と思っている少年からすれば、力が等しく無いものに対して"思いやるな"というのは、かなりの無理難題に見えて仕方なかった。


自然と自分に置き換えて考えたみた瞬間に

「色々言うより、アルス君には"貴方はアルセン・パドリックと"対等"に振る舞える?"。

そんな風に訊いた方が、話が速かったかもしれないわね」

まるで考えを読まれていたように、先回りをしてアプリコットに言われた。


「"僕"には、無理です」

一人称を"気弱"な時のものとし、アルスはやっとそれだけを答えると仮面の領主は、今度は静かに微笑んだ。


「賢者殿に伺ってる。パドリック殿は英雄だし、力量で敵わないのは当たり前なんだけど、まず恩人であるから、アルス君は稽古と解ってない限り、彼に剣を向ける事はないだろうって。

それに"憧れて"いるから、対等になんて出来るわけがない。

そして、それは多分パドリック殿も同じ。

アルス君を大切な弟のようにも思っている。でもね―――」

ダンッと、舞台を踏み鳴らす音が渓谷に響いた。


「グランドール・マクガフィンとルイ・クローバーなら"出来る"の」

まだ能の舞囃子を奏でる精霊石を握りしめながら"ルイ"に聞こえるように、アプリコットは奏でる音楽の間を縫う、初めて聴いた時のような、優しく高いそんな声色で言葉を紡ぎ出す。


「でも、ルイ君はグランドール様を凄く尊敬していて」

アルスが尚も信じられないと言った様子で、もうすぐ繰り返しが終わる舞をする農家の師弟を見ながら言った。


「ええ、ルイ君はマクガフィン殿を尊敬しているのは、2人をみれば解る。

それに、マクガフィン殿はルイ君を養子にしようと決めているぐらい、可愛がってもいる。

それくらい信頼しあっているし、互いを知っている。

そして互いに、何を最優先するかもわかっている」


そんな2人だから対等になれる。


(オレの最優先?そんなもの"リリィ"に決まってるじゃえねえか)


アプリコットの言葉が耳聡く届いた時、少年は尊敬する人と共に舞ながらも純粋にそれだけを考えた。

水面に揺れる7つの光の球体、龍神達も舞台にいる2人の人間の内"悪童"にしっかりと興味を向けた。

共に国を造ろうとするオホナムチには劣り、身体は小さいのに、遠慮も何も抱かずに、対等にあろうとする生意気な少名毘古那神。


"悪童"、やんちゃ坊主に雄々しい神々は興味を持つ。


ルイは力も知識も何も及ばない上に、恩人であろうグランドールより何もかも劣るであろうが、遠慮はしない。


注意をされれば従いも反省もするが、"リリィ"に関しては義理も恩もなくなる。

何においても、引けない部分だった。

グランドールもそれを承知していた。

そしてオホナムチ、グランドールにも"最優先"があるが、それが"儀式の舞台では登場しない"上で、ネェツアークが仕組んだものでもあった。


浚渫を行うという事が第一での目的であるが、"少名毘古那神をロブロウの土地神として、龍神にも認めさせる"為の"舞台"でも、あるから。

ルイとグランドー ルの信頼は"最優先"を互いに承知しているから、成り立っている。

心を重ね合わせて舞っている様に見えていて、もしも"最優先"するものが何かあったら、あっという間に"敵"同士として振る舞える。



『大剣のグランドール・マクガフィンとやんちゃな生意気盛りの少年だから、それが出来ます』


まだ暴風豪雨が吹き荒れる数時間前。

人の悪い顔で賢者が、鮮血の文字が舞うの契約を結ぶ領主の部屋の中で、互いの指を重ねを交え一番効果的に"浚渫"を行うために、神々の興味を惹きもてなし、楽しませる"見世物"の領主に提案する。


『東の国の神々は感情豊か。

スタンダードな舞いも良いでしょうが、やんちゃな悪戯小僧そんな振舞いを提供するものも、神々にロブロウの土地神少名毘古那神を認めてもらうのに宜しいかと。

何かと雄々しい神々には、元気な悪ガキを見て希に気持ちを解す事もあります。

清廉をばかりを求められている神々にも、奔放を見る事で晴れるものがあるのではないかと思われます』


賢者の"提案"は、領主にも酷く魅惑的なものに聴こえたものだった。


"何にも囚われずに、やりたいことやり、護りたいものだけを護る"


『それは、代理の私からしても、魅惑的な神様なんでしょう。賢者ネェツアーク』

血の契約の最中、賢者と領主の"血文字の契約文"に囲まれながらアプリコットの中で最大級の誉め言葉を口にする。


丸い眼鏡のレンズに、領主の姿と血文言を写す出すその奥にある鳶色の瞳を細めて、賢者は笑む。


『ええ、この土地を愛さねばならない領主殿が、心胆から惚れ抜くような神。

初代の領主様が支度をして置きながら、志半ばでもって記憶の備忘録に記しながらも、出来なかった神。

その神を新しい領主邸の礎とし、浚渫の際に招いた竜神の方々に"ロブロウの土地神"と改めて承認をして頂きましょう』


"血の契約違える事がないように、身命を賭して、この土地をに相応しき神を、奉る。これも契約の1つとし"


「互いに協力しあいながらも国造りをしながらも、個を忘れない自由と強さを。

それをマクガフィン殿とルイ君なら、次の神楽舞で以て、見事に演舞する事が出来るでしょう」

アプリコットがそう宣言する声が響き、アルスは驚き、舞っているルイは対等の意味を完璧に"消化"した。


(何だ、結局いつもの"オレとオッサン"で言いわけじゃねえか)

弟子が八重歯を見せてニィと笑うとグランドールもそれを見て笑う。

そして舞ながら、師弟は同時に笑顔を浮かべていた。


圧倒的な安定と力を持つ神を差し置いて、落ち着きなきやんちゃな少年の意味を持つ少名毘古那神を、閉鎖的で保守的なロブロウの土地神と据える。


【これは、おもしろい】

7つの光の龍神達が完璧に興味を"少名毘古那神"に向けた。


その直後、ネェツアークにより呼ばれていた最後の光の1つ――8つ目の光の球体が、西の方から渓流の水面を滑るようにして戻ってくる。



「マクガフィン殿、ルイ君。このまま招き、もてなす為の舞囃子を佳境へと持っていきます」

最後の光の球体が、7つの光の球体と合流したのを確認したのを見てアプリコットが、グランドールとルイに、次の指示を飛ばす。


7つの光が、合流した最後の光、龍神が龍神に、興味深いと少名毘古那神の事を話しているのがアプリコットには解った。



「このまま能の舞が終わったのなら、そのまま"国造り"の神楽舞いへと移ります」

アプリコットが凛とした声を出し、アルスとディンファレにそう伝えると、2人の護衛騎士は互いに軽く見つめあい黙ってしっかりと頷いた。

2人の頷きを見計らったように、先程の繰返しの箇所を過ぎてグランドールが謳う声が響く。


《所は呂奉楼ロブロウ。月の三笠の雲に上がり。

 飛火の野守りも出でて見よや。

 留まるべし、渡天は如何に。渡るまじ》


グランドールが謳う間ながらも、まだ"指揮者"となるネェツアークが戻ってきていないので、アプリコットは引続き仮の指揮者として最終確認のように、2人の護衛騎士と、ラストスパートに向けて舞う師弟に段取りを伝える。


「この舞が終わったなら、先程から言っている通り、マクガフィン殿が大己貴命おほなむち

ルイ君が少名毘古那神すくなびこ。そして―――」

いささか好き勝手をし過ぎて、主であるネェツアークに反省の意味もあって置いてきぼりにされ、多少ふてくされている使い魔の金色のカエルを、アプリコットは自分の頭に隠れていた所から、摘まみあげる。


「この使い魔のカエル君をひきがえる多邇具久たに ぐくに見立てて、私は不動の久延毘古くえびことなり、国造りの神楽舞が始まり、龍神達の力をかりて、渓流に"浚渫"を施します」

アプリコットがそういう間もグランドールの謳う声は続き、能楽は終盤を迎えようとしていた。


《尋すぬまじや。

 尋ねても尋ねても、この上嵐の雲にのりて、竜めは南方に飛び去り行けば。

 竜神は猿沢の池の青波、蹴立て蹴たててその丈、千尋の大蛇となって。

 天に群がり。

 地にわだかまり、池水に返して、失せにけり》


最後までグランドールが謳い終えた時、待っていた言わんばかりに8つの光の球体が舞台の上にあがり、ルイを少名毘古那神すくなびこを取り囲む。

そんな不思議な情景を目の当たりにしながらも、アルスは鳶色の男が此方に戻ってくるであろう、渓谷と渓流にある細い道を空色の瞳で見つめていた。


「ネェツアークさんは、神楽舞を始めるまでには、間に合わないみたいですね」

そしてアルスが多少離れた西の場所にある、大天使の降臨の舞台を空色の瞳で見つめながら独り言のように呟いた。


アプリコットの手の中に精霊石が奏でる音が、グランドールの謳う声が終わると共に窄むようにして一旦静寂が訪れる。

農家の師弟は静かに動き、一番最初に舞を始めた場所に戻り、同じ姿勢でまた膝をついて座する。



「領主殿、次の神楽舞に移ろう。

招いた龍神達もどうやら少名毘古那神の活躍を、早くみたいし、手伝いたいらしい」

グランドールが舞台に座している所から立ち上がり、自分の隣に座り、8つの光球体囲まれて、激しく瞬きをしている弟子を見て、仮の指揮者になるアプリコットに謳った余韻の為なのか、伸びやかで良い声で進言する。


「そうですね。私は不動の久延毘古くえびこになりますが、口が動かせない訳ではないから、進めましょう。

龍神達が、ロブロウの土地神様に大いに興味を持っている内にやった方が負担が少ないでしょう」

グランドールの進言にアプリコットは納得出来るように頷いて、再び手の中に納まる精霊石に意識を集中させると、今度は人の声はなく楽器だけで奏でられる"囃"だけが聞こえてくる。


「それではマクガフィン殿の大己貴命(おほなむち)が、ルイ君の少名毘古那神すくなびことの出会いから早速始めましょうか―――」

アプリコットがそこまでいった時、舞台の下から足音がする。


"チッ"


(ん?)

ごく僅かだか、舌打ちのような音をアルスは耳にしたような気がして、アルスは周辺にいる"仲間"を見る。


すぐ隣にいるディンファレ、後ろに護衛をする為のアプリコット、舞台の中央に8つの光の球体に囲まれてたまま、まだ驚いている様子のルイ。

そして舞台の中央に立つ、自分の敬愛する人と、上司となる賢者の親友である"英雄"グランドール。


(グランドール様?違う、か)

アルスがそう思ったのは、グランドールがとても穏やかで優しそうな笑顔を浮かべて、足音がした方を見つめていたからだった。


(囃の拍子なんかが、舌打ちみたいに聞こえたのかもしれない。

自分の気のせいか)

アルスはそう自己完結して、仲間と同じ様に再び足音がした舞台の下を見つめる。

実際にはアルスの"勘"は外れてはいなかった。


「お待たせしましたぁ~。あー、昨日から走りっぱなしだ」

口ではきつそうに言っているが、額には汗もかいていない。

そんな今回の儀式の指揮者、ネェツアークが緑のコートをはためかせて戻ってきた。

その指揮者となる男で親友に舌打ちをしていたのは、アルスが"気のせいか"と考えていたグランドールで外れていなかった。


「そんなに急がんでも、アプリコット殿ならネェツアークと同じように役目を果たせる。

あちらで頑張ったリコリスやライヴを労って、"後始末"まで待機で構わなかったんじゃないか?、ネェツアーク」


グランドールがネェツアークを舞台から見下ろしながら、少しだけ意味深にもとれる発言をする。

カッカッと踵を鳴らしながら、今回はにこやかに笑いながら"指揮者"は舞台に上がってきた。


「いえいえ、飄々とした身軽自慢の私にも、国王から任された一抹の責任がございますから。

それにリコリスさんもライヴさんも、体力と魔力を消耗したあまり動けない状態でもあります。

とりあえず、結界を張って微力ながら回復が早まる処置はこなしてきましたので、御安心ください。

それとも、マクガフィン様は何か私が不在の間に、儀式を済ませたかったのですか?」

まるで演劇のようにやや大袈裟に両手を広げて、肩を竦めながらネェツアークはグランドールにこちらも意味深にとれるような印象を与えながら問い返す。


「ああ、友人が独りで留守番しているんでな。

ワシには、なるべく早く儀式も"後始末"も済まして戻ってやりたいという気持ちがある。

勿論全員、何事もなく」

ネェツアークもグランドールも表情は、穏やかに笑顔すら浮かべているようにも見えるが、互いに醸し出している雰囲気は半端なく"重圧"と感じられるものだった。


《儀式を進めようとしてくれた事は有難いけれど、グランドールが、珍しく何を腹黒い事を並行してこなそうとしているのさ?。

それに私のどんな"策"にでも、つきあってくれるんじゃなかったっけ?》

笑顔のまま、とりあえずテレパシーをネェツアークを親友に飛ばす。


《ネェツアークの"策"にはしっかりと付き合ってやるわい。

お前さんの策はムカつく時もあるが、まあ大体いい形で物事を治めてくれるからのう。

ただ、ネェツアークの策よりも"最優先"との約束事があるんでなぁ》


「私にも待たせている方がいるので、マクガフィン様が仰有る通りに急ぎましょうか」


ネェツアークはグランドールの"最優先"が解ってはいるが、今回の儀式を早に進めようとした理由は他にある事も察した。


(とりあえず、儀式を進めるか)

ネェツアークは中指で眼鏡を上げ、親友に背を向けた。


 

「それでは、改めて儀式を始めましょうか。

アプリコット殿、申し訳ありませんが今一度、神楽の囃子を最初から」

「にゃ~」

仕切り直そうとするネェツアークの身体から、可愛らしい鳴き声がコートの生地越しに聞こえ、一斉に視線が集中する。

よくよく見てみれば、小さくではあるが指揮者の男の緑色のコートのポケットには僅かに膨らみが確認出来る。


「この鳴き声って、猫ですよね?」

鳶色と、褐色の男達から出されている重圧な雰囲気を、一気に払拭するような可愛らしい鳴き声に、アルスが直ぐに反応した。


「ああ、こちらにくる途中で道脇で子猫が1匹でいるので、保護したんでした。

もしかしたら何かあって、儀式に巻き込まれるかもしれませんからね」

優しい事を言っているようだが、棒読みにも感じられるような口ぶりで、ネェツアークが膨らみのあるコートをのポケットを開くと、黒い子猫がまずニュッと顔を出した。


「にゃ~」

一声鳴いてから身軽に、トンっとネェツアークのコートから飛び出した。

トコトコと歩き、丁度全員の見えるに位置に座る。


「うおっ、子猫だ。ちびっこいな」

「親猫とはぐれたんですかね?」

光の球 体に囲まれたルイと、アルスが次々と"子猫"の感想を述べる中、子猫を保護したネェツアーク以外の"大人"達はギョッとする。


「大丈夫なのか?」

「にゃ~」

まずディンファレが腕を組ながら、まるで子猫に確認をとるように言葉をかけると、すぐに鳴き声を返す。


「そうか、ならいいが」

そして今度は子猫の言葉にディンファレが返事をするので、アルスとルイが顔を見合わせて、互いに激しく瞬きをした。


「この子猫はどうするんだ」

グランドールが、険しい顔つきで子猫を見下ろしていた。

子猫はそんな事お構いなしに、トトッと小さな足音を舞台の上に立て、グランドールに近づくと"上った"。


「あ、おい!?」

ルイが驚きの声を出したが、グランドール自身は大した反応もしないで肩に座る子猫を見る。

すると子猫は愛嬌たっぷりに"にゃ~"と鳴く。


「猫は可愛いと思うが、ワシは犬派なんですまないな」

そんな事を言いながらも、グランドールは逞しい指で自分の肩に鎮座する子猫の顎の下を撫でてやっている。


「にゃ~♪」

(前から、おっちゃんの肩に乗ってみたかったんだにゃ~。

にゃ~、やっぱり景色いいにゃ~、絶景にゃ~)

子猫の、"ライ"の上機嫌な声を聞くと、グランドールは思わず苦笑を漏らした。


「私も可愛い子猫に触りたいし、肉球を揉みくだしたいけど。

儀式の間はどうする?。

確かに一緒にいた方が、置き去りにされているよりは安心だけれども。

その"子猫"さんが、絶対邪魔なんてする事はないだろうけれど」


「にゃ~」

(あったり前にゃ~。ワチシはアッちゃんを応援しにきたにゃ~)

ライの言葉に仮面の中で、アプリコットは目を丸くしながら、神楽舞いの囃子を奏でる精霊石を調整する。


グランドールの肩にいる為、ライを見上げて形になりながら指揮を執るネェツアークにアプリコットはまた尋ねる視線を送っていた。


アプリコットも、やはり子猫の正体には気がついている。


「え、でもこれからドッカンドッカンみたいな感じで激しい儀式になるんすよね?。

ここに置いといたら、子猫、ビビって逃げないかな?」

ルイは8つの光の球体が自分の回りを浮いていなかったら、手を伸ばしてグランドールの肩に止まる子猫に触れたそうな様子で意見を述べた。

子猫を心配するルイの言葉に、アルスも同調する。


「そうだよね、"浚渫"って確か川底の土を浚って深くすることから結構な大きな音もするだろうし。

誰かが抱えていても音や、川の底をさらう震動で怯えませんか?」

どうやら少年2人は"完璧"に子猫の正体には気がついていない。

純朴に心配もしているので大人達の方が何となく申し訳ないような気持ちになって、最初に言葉を聞いた時は4人で顔を見合わせてしまった。


そして特にネェツアークとグランドールは少し気まずそうに、1人は鳶色の髪をボリボリと掻き、もう1人は髭の生えている顎をボリボリと掻いた。

どうやら互いに相手に黙って何やらはかりごとを進めているので、素直すぎる少年達の様に面映おもはゆい気持ちになってしまったらしい。


「相変わらずお二人は変な所で、面倒くさい方々ですね」

小さく口の中で、"珍しく揉めている2人"に対する感想を述べ、この状況を打開したのは、ディンファレだった。


「失礼します」

そう言ってディンファレは一礼をして、カッカッカと踵を鳴らしてグランドールの正面に立った。

籠手をつけた腕を伸ばし、手を儀式の装束を纏うグランドールの子猫がいる肩の方に差し向ける。


「こちらに来なさい」

命令するようにいうと、黒い子猫は短く鳴いてから、少しだけ名残惜しそう日に焼けた顔を見て、逞しい肩から素直にディンファレの手の中に移った。


「スゲー。ディンファレさん、猫の扱いが上手いんすね」

ルイが感心して、ディンファレの腕の中に移った子猫を見ながら言う。

感心する少年の声に、女性騎士は美しい栗色の髪を左右に振った。


「私は動物を飼った事がない。

口で言って、従ってくれるこの"子猫"がお利口なだけな話です」

「ディンファレさんが、子猫を保護しておくんですか?」

ディンファレの揺れる栗色の髪に思わず反応する子猫を見つめながらアルスが尋ねると、女性騎士は頷いて、軽装の鎧の胸元の留め金をパチリと外す。


「ああ、少しばかり狭いだろうが、私の胸元に入って貰おう。

儀式では護衛としての参加だが、動く事はないだろうから」

「にゃ~」

(羨ましいだろう、青少年達にゃ~。

ディンファレ様の魅惑のデコルテ独り占めにゃ~)

揺れる自分の髪に反応するのは仕方がないとしても、発言がふざけ過ぎていると感じる"部下"の小さな鼻をチョンと人指し指で押さえてから、ディンファレは子猫を胸元に入れた。


黒い子猫は少しばかりモゾモゾとしたが、上手い具合にディンファレの胸元から小さな頭だけ出して、にゃん!と短く鳴く。


「さあ、子猫はこれで大丈夫ですから。

鳶目兎耳のネェツアーク殿、浚渫の儀式の続きを」

キリッとした感じでディンファレが言うが、胸元に可愛らしい子猫がニュッと顔を出しているので、ネェツアークとグランドールは思わず同時に吹き出した。


《ディンファレは、"この"はとてもしっかりしているようで、たまにやってくれるのう》

思わずグランドールがネェツアークに向かってテレパシーを送ると、ネェツアークは無言で頷いてから返事をする。


《本当、こういう時の"この"の絶妙の間の抜け方は》

ディンファレの天然ボケと言うよりは、ネェツアークとグランドールの"ツボ"が同じような位置にあるというべきなのだろう。


それは残り二人の英雄アルセンと、ネェツアークの妻だった女性にも共通していた事でもあった。


「オッサンもネェツアークさんも、何がそんなに面白いんだ?」

"ツボ"がわからない者の代表してルイが声を出し、アルスは首を傾け、アプリコットは再び"ケロイド"の面をしてから銀色の仮面を外して懐にしまった。



「全くです。いったい何がそんなに面白いのやら」

過去に数度このように国の"英雄"と呼ばれる4人に、好意的な笑みを浮かべられた事を思い出して、ディンファレは少しだけ赤くなっている。


「でもまあ、お陰さまで大分空気はほぐれたみたいだし」

仮面を外したアプリコットがポンポンと、ディンファレの肩当てを叩き正面に回り、我慢出来ないといった感じで子猫に触れる。


「にゃ~」

(アッちゃんどうしてケロイドの仮面しているにゃ~?。

ルイ坊とアルスちんがいるからにゃ~?)

ライがそう"鳴く"と言葉の意味が出来る大人で、アプリコットの事情を知らなかったディンファレは正面にいる"ケロイドの仮面"を纏った女性を少しだけ瞳の見開いて見つめた。

「しかし可愛い子猫ちゃんね~。

これは美人さんになりそうだわ~」


《ディンファレさん、今さら驚かないでよ。

中庭じゃぁ、私の仮面外した時でも動揺なんかしなかったんだから。

これが素顔じゃないって事の方に、そんなにびっくりされたら、私の素顔の立つ瀬がないわ~》


《すみません》


アプリコットのテレパシーにディンファレが動揺して素直に謝り、胸元にいる子猫のライが驚いた様子で見上げた。

そのライに向かって、今度はテレパシーを送る。


《ライさん、その通り。ルイ君は知っているけれど、何か察して黙っていてくれてる。

あとは、一応領民が見ているといけないからね。

あの顔は、"アプリコット"より"エリファス"としての方が知名度も高いから》


口では短く障りのない言葉を口にしながらも、テレパシーでは結構重要な事をさらりと、アプリコットは聴こえる者達に伝えていた。


「にゃ~」

《ワチシは、アッちゃんでしかアッちゃんの顔を知らないにゃ~。だから》

《ありがとう》


鳴き声が終わる前に、アプリコットは言葉を被せて優しい子猫の頭を撫でた。

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