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【儀式】

様々な儀式の支度が、ロブロウの関所を拠点に始められていました。





「ネェツアークさん、遅れるんですか?」

治癒術師としてリコリスから

「身体は大丈夫ですね」

太鼓判を推され、晴れて儀式に参加となった軽装備のアルスが、グランドールに尋ねる。


「ああ、何だか儀式にまだ使うもんがあったらしい」

尋ねられ引率者の立場を押し付けられたグランドールは、白い装束の姿で苦笑いを浮かべて腕を組ながら答えた。


ロブロウの関所の入り口。

そこは儀式本番がが近づくにつれて、賑わい始めていた。

関所の中では立体地図を使って、仮面と儀式の為の装束に身に付けたアプリコットがムスカリを傍らにおき、領民達に指示を出している。

領民達はいつも代表だ何だと威張り腐っているムスカリが、全くでしゃばらないで、いつも寡黙な代理の領主がテキパキと指示を出される事に最初困惑していた。


そして困惑を引き摺ったまま説明を聴いているのに、仮面の領主は気が付き、軽く溜め息をつく。

正気付かせるように、アプリコットが柏手の要領で、パンパンっと手を打ち鳴らすと困惑をしていた領民は、ハッとしてやっと今回の指揮者の方に意識を集中させた。


グランドールはその様子を見てもまた、苦笑を浮かべていた。

儀式の陣頭となるリコは、青い衣を纏って、ライとディンファレと共に関所の大きな扉をすぐ開いた先にいる。


大きな門は大きく開けてあるが、今は開放を留めておくための留め金がなされていない。

アプリコットの指示で儀式が終わったのなら、直ぐに閉門が出来るようにとの事だった。

そしてリコは胸の前に手を合わせて、目に見えて緊張しているのが解る。


「にゃ〜、早速色んな精霊が集まってきているにゃ〜。リコにゃん、東の国の具現化した精霊、面白ろ可愛いにゃ〜」

「あっ、えっ、そうなの?ライちゃん?」

ライが小造で形の良い鼻をスンスンとして、少しふざけた様子で言うが、いつもなら、優しく笑顔で親友のおふざけに応えてやるのに、今のリコには出来る余裕がない。

ライは自分の励ましが不発に終わり、うにゃ〜、と声を上げた。


(リコリスの実力なら充分やれると思うが)

ディンファレは緊張して、また降臨の際の文言を口にする後輩を、比較的優しい眼差しで見詰めていた。


「あっ、リコさぁーん!」

儀式の装束姿のルイが、大きな黒い長方形の盆に何かを乗せ、それを抱えてやって来る。


「あ、はい、なんですか!?ルイ君!」

これにもリコは、ライとディンファレが軽く驚く程ビクリとしてから、返事をする。


「オッサンが儀式にに使う道具の確認してくれって。リコさん、もしかしかすると、すっごく緊張しているんすか?」

凛としている印象ばかりのリコが、かなり硬い様子で振り返ったのに、ルイも驚いている。

やんちゃ坊主が抱える盆の上には、ガブリエルと"水"を象徴する"青い"布で何やら色々とくるまれて置かれていた。


「かっ、確認ですね、解りました!」

どうやら緊張の余りに"確認"の言葉しか、リコの耳には届かなかった様子で、盆に乗っている道具を、ぎこちなく確認を始めた。

そんなリコを心配というよりは、"助けてあげたい"という気持ちが溢れる瞳で、ライが黒い瞳で見てめている。

それから気がついたように、リコと同じく儀式では結構な大役を担う事になる少年に、猫の様に素早く首を動かして尋ねる。


「にゃ〜、ルイ坊は緊張してないにゃ〜?」

「オレだって、それなりに緊張はしてるっすよ」

心外だなぁと言った顔でルイがライに向かって答えてから、瞬きをして"いたずらっ子"のように口の端を上げた。


「無駄に緊張はしても、自分が疲れるだけっすよ。

優秀な王族護衛の騎士さんなら、スマートに儀式にだって参加しますよね」

異常に緊張しているリコの前でわざとそんな事を言って見せて、更にに八重歯を見せながらニカッと笑う。


「え、ルイ君、何か言いましたか?」

リコはルイが持ってきた儀式の道具の確認に気を取られているのと、やはり緊張のあまり、ルイが発したからかいの声にも気に止める事は出来なかったらしい。


「あ〜、オレの励ましも不発か〜」

どうやら敢えて"生意気な少年"をやって、挑発のようなものをみせ、ルイは怒りで以てリコの緊張を解そうとしていたらしいが、これはライと同様に不発に終わってしまった様子だった。


「あっ、そうだ確認しなきゃ」

リコは再び、彼女の綺麗な青い瞳と同じ色にくるまれた儀式に使われる道具の確認に気持ちを向けていた。


そして確認する白い手は、緊張の為に細かく震えている。

それを見たルイは盆を抱えたまま、小さくため息をついて振り返った。

すると、その視線の先には関所の中からこちらの様子を眺めるグランドールとアルスがいる。

ルイが盆を支えたまま、グランドールに向かって激しく首を横に振ると、日に焼けた大男は小さく頷いて、関所を出てルイの横ににやって来る。

グランドールの後ろにアルスが"護衛"として続く。


アプリコットが、立体地図の前に説明をしながらその様子を一瞥をしていた。

リコはグランドールが側にやって来た事にも気がつけないでいて、ルイが持ってきた道具を確認している。

気配を消すこともなく、ザッとグランドールは足音もたてたのだが、リコは振り返る事はなかった。


「リコリス、偉く緊張をしているみたいだのう」

例の上司の様な口調になって、彼女の名前を短くせずに呼び、グランドールは親友の代理を担う女性騎士に語りかける。


「グ、グランドール様、いつの間に此方に!?」

リコは手に儀式の道具を握ったまま、青い瞳を眼を丸くした。

今度は苦笑いをしないで、好漢と呼ぶにふさわしい笑顔で屈託なくグランドールは口を開く。


「来た時間をいうならば、今来たばかりだ。で、儀式に使う道具はどうだ?。アルセンの使っているヤツのままでいけそうか?。

もしダメなら、リコリスに合うようにワシが調節を行うから、気兼ねなく言ってくれ」

そう言って幼い子どもの頭を撫でるように、ポンと日に焼けた手をリコのシルバーブロンドの髪に置いた。


「すみません、どうしてだかこの場所にきてから異様に緊張してしまって」

リコは顔を紅くし下を向いて俯いて、ふとグランドールが来てから緊張が緩むのに気がついた。


大きな手からを触れられた頭からなど、更にスッと緊張が抜ける。


(え、どうして?!)

リコが急に抜ける緊張に驚いていると、精霊達のさえずりが聴こえてくる。


《コノ"人"ガイルカラ、ガブリエル様ノ器ノ人二マチガエナイヨ》

(この人、"グランドール様"?)


リコが日に焼けた大男を見上げると、精霊達は更に囀ずる。

《ナンダ、イツモト少シ違ウカラ、契約者ガカワッタノカト思ッチャッタ》


(私、いつの間にか精霊達に見定められていたの?)


リコはそれなりに治癒術師としての自信があった。

勿論その自信は、余暇さえあれが全てを自分が治癒術師として苦しむ人々を救う為に努力して培われたものである。



だから決して自惚れていた訳ではないが、精霊の語る言葉を、特に得てとする、治癒を司る"水"の精霊達の声を聴き逃す事などないと思っていた。

だが神格化に近い状態にまで浄められた、気高くなった水の精霊の長、ガブリエルを奉ろう精霊達をグランドールの"補助"が入るまで、見定められている事すら気がつく事が出来ていなかった。


(私は、まだまだ精進が足らないのね)

リコが自分の努力不足に落ち込んで、上げていた顔を下に向けると、またグランドールがその頭を撫でる。


するとリコの身体から、緊張を産み出していた原因となったであろう水の精霊達が、ブワっと一斉に抜け出した。


《リコリスが、精進が足りんという事はなかろう。

神格化すると精霊の"個性"も出てくる。

特に水はどんな小さな"隙間"さえあれば入り込む。そしてまた気がつかない内に"染み込む"。

個性を持った精霊に拒絶反応を起こさずに、リコリスの感情が乱されたのが"緊張"だけで済んだ事。

それは極めて優秀な事だと、ワシは思うぞ》


《グランドール様》

嘗て大戦で活躍した英雄といえども、現在は農業に従事する人物と王族護衛騎士。


分野が違いながらも、まるで弟子を励ます優しい師のような言葉にリコはグランドールに深く頭を下げた。


《アレ、ドウシテイツモ側二イルノニ御祓ノ時ニハイナカッタノ?。

"器"ガ変ッタカト思ッテ、緊張シテシマッタジャナイ》

水の精霊達は降臨の際に器の側、"アルセン・パドリック"の側に常にいるグランドールが側にいなかった事に対して文句を言っているのが解って、リコは思わず両手を口に手を当ててしまっていた。


グランドールは何とも言えない顔になって、儀式の為に髪が結われて強く掻けない為、頬を掻く。


「にゃ〜?、リコにゃん緊張が一気に無くなってしまったにゃ〜!?。

しかも普通の時みたいになってるにゃ〜?!」

リコの事の事ならどんな人よりも理解している気持ちのあるライが、直ぐに変化に気が付いた。


「本当だ、さっきまで儀式の道具を確認する手まで震えていたのに。

オッサン、リコさんに何かしたのか!?」

ルイも気が付いたらしく、リコの落ち着いた様子に驚いている。

そうやって驚かれいるリコだが、彼女自身も自分から抜け出た精霊達が、未だにはグランドールに対して、

《イツモ器ノ側二イナサイヨ!》

と、更に文句を言い始めたに事態に、思わず笑いが込み上げてしまい、両手を当てていた口から笑いを浮かべてしまう。


ライとルイにしてみれば、リコが突然笑いだしたので、互いに顔を見合わせて激しく瞬きをして、急にリラックスをした治癒術師を瞳を丸くして見つめた。


グランドールに文句を言っていた、水の精霊達は器になるリコが笑った事に、気を良くしたらしい。


《ホラ、コノ"人"ガイルカラ器ガ笑ッテイル。

ヤッパリガブリエル様ノ器ノ、人二間違イナイワ!》

断言するような精霊の声がリコの頭に響いてから、リコはまた微笑ましい気持ちが抑えきれなくなっている時、グランドールからテレパシーが送られてくる。


《まあ、ワシ込みで"ガブリエルを降臨する器"を見定めている精霊達もどうかと思うがな。

これからは偶に単独で、降臨のトレーンングをした方が良いかもしれんな》


《いいじゃないですか。

いつも一緒の人を見定めるなんて、微笑ましくて、可愛いですよ、精霊もグランドール様も》

リコのが返したテレパシーにグランドールが、目を丸くして見返す。


産まれてこのかた、グランドールは女性から"可愛い"など、言われた事がない。


リコもリコで自分がまた天然でやってしまった事と、"可愛い"と伝えた相手が相手なので、

「すみません!!」

と、速やかにグランドールに向かって深く頭を下げた。


笑っていたと思っていたら、今度はグランドールに頭を下げるリコに、ライとルイは本当に訳が分からない、といった様子で今度は顔を見合わせてから互いに首を傾げていた。


「やはり緊張の責任は、リコの所為ではなかったようですね」

そう言った諸事情を知らないディンファレが、何にしてもリコの調子を狂わせたのは、グランドールに責がある。


それをありありと感じさせる口調で、腕を組ながら眉間に皺を作り、褐色の大男を見上げた。


「ああ、その様子だな。

ワシがちゃんとしとらん所為で、儀式前のリコに、お前さんの大切な部下に余計な負担を与えてしまってすまない」

グランドールはあっさりとディンファレに向かって頭を下げた。


確かに彼女の優秀な部下の本領を発揮出来なかったのは、自分の存在に関係があることに間違いはない。


それを申し訳ないと感じ、謝罪を一片も恥じる事なくグランドールはディンファレに頭を下げた。


「ディンファレ様!グランドール様が悪いというわけではありません。

私も初めての事ですし、精霊達も器の違いに戸惑ったというだけで」

自分の不調でグランドールが頭を下げる事になるとは、思ってもみなかったリコが再び慌てて、責めるのも謝罪をするのも双方を止めるように、間に立った。


「リコが困っているようなので、これまでに」

「ああ、これでまたリコリスが困っても、元の木阿弥でしかないからのう」

責めるにしても、謝るにしてもにリコが困るだけと気がついた上司と英雄は直ぐに止めた。


「何にゃ!?緊張はリコにゃんの所為じゃなかったにゃ?!」

「何でオッサンがディンファレさんとリコさんに謝っているんだよ!?」

だが先程から"おいてけぼり"をくらっているライとルイにしてみれば、理由わけが分からない内に話を纏められているような感じでスッキリしない。


なので、揃って不満を含んだ声を出していた。


「ちょっと、ルイ君もライさんも落ち着いて!。―――ハックション!!」

そんなライとルイを落ち着かせるようにアルスが割って入った時、大きなくしゃみをした。


当然、全ての視線は突然大きなくしゃみをしてしまったアルスに集中してしまう。


そして、全員が度肝を抜かれた表情を浮かべる。

その周囲のあまりに驚いた顔に、今度はアルスが頭を下げ、謝罪の言葉を口にしていた。


「す、すみません!急に物凄く寒気がしてしまって。

何か、自分が一番話の邪魔してしまいました」

側にいる5人はアルスの謝罪の言葉が耳に入りながらも、それに応える事が出来ない程驚いていた。


「それだけ"引き寄せて"おいて、寒気だけなんですか?」

リコがやっとの事で、信じられないという気持ちを含んだ声で、アルスに言葉をかける。


今しがた、グランドールが側に来たことによって精霊の姿、特に水の精霊達が顕著にに見えるようになったリコは、アルスに最早"愛おしい"とい言った様子で擦りよっている様子に驚愕する。


ライ、ルイ、そしてディンファレも、リコや恐らくグランドールの様に顕著には見えていないだろうが、魔術の素養がある人物には、アルスに水の精霊がまとわりついている事は十分に分かるだろう。



《    様、コンナ所二イタンデスカ?!》

精霊達がアルスの周りで次々とさえずった。


(今、精霊達はアルス君の名前を何て呼んだ?)


リコの耳に水の精霊達の声が、アルスを別の名前で懸命に呼び掛けるのが確かに聞こえたはずなのに、認知出来ない。


(違う、確かに名前を聞いたハズなのに、私は)


"精霊達がアルス君を呼ぶ名前"を記憶することが出来ない?。


疑問を孕んだ視線でリコがもう一度アルスを見つめた時。


――――パン


空気を波の様に揺るがす渇いた大きな音が、アルスの側から響いた。


「どうだ、アルス?寒気は飛んだか?」

何時の間にかアルスの背後に回ったグランドールが、寒気がするという少年の背を大きな手で叩いていた。


グランドールに背中に叩かれた瞬間、水の精霊達が多少恨めしい視線を叩いた人物に送りながら、へばりつく様にしていたアルスから離れて行っていた。


そしてリコの側にやってきて、落ち着ちつくと何か精霊達は囀ずるが、リコには細かすぎて聞き取れない。


しかし、まだ多いにアルスに対して未練があるように意思をリコやアルスに訴えかけているが、やはり当人には全く精霊に気が付く様子はない。


「あ、はい、グランドール様ありがとうございます。

不思議ですね、一瞬で寒さがなくなりました」

水の精霊がまとわりついていた事に気がつく事なく、まるで無視する様な形になって、"寒気"を飛ばしてくれた敬愛する人の親友に礼を述べた。


「アルセンから、アルスに怪我をさせないようには頼まれたが、風邪をひかれても多分アイツは心配するからのぅ、よろしく頼むぞ?」

グランドールからそう言われて、アルスは照れた様子で頭を掻いた。

そんな会話をするグランドールとアルスを見て、ライがヒソヒソといった感じでルイに話しかける。


(アルスちん、あんなに精霊につかれたのに気づいてないにゃ?)

(そうみたいっすね)

いささかあからさまな内緒話に、グランドールが溜め息をついた。


「コラ!、ヒソヒソ話するにしてもバレないようにするのがマナーだろう」

少しばかり厳つい声で、グランドールがライとルイを叱りつけると2人とも特に悪びれていない。


「だって聞こえるように言ったにゃ〜。別に悪口でもないけれど、本人には訊きづらい事だからオッチャンが反応するのを待ってたにゃ〜」

「オッサン、オレも不思議だよ。アルスさんに多分精霊なんだよな?それがあんなにまとわりついていたのに、全く気が付いている感じがしないなんて。

まあ、オレもあんまし見えない方だけどさ。

でもそのオレですら分かるのに、アルスさんに見えないってのが何かすんげー不思議で仕方ないんだけど」

今までグランドールから、意図的に魔力を貯めないようにされていたルイだが、マーガレットのチョコレートを食べてから魔術に関しては、才能が種子から芽が出てしまっている。


まだリコやライといったクラスには雲泥の差があるが、素質は充分にある事がルイを"拾った"時からグランドールには分かっていた。


(これからは、ルイにも魔術の基礎も躾ないといかんな)


殻を破って出てきてしまった"芽"を戻す事はグランドールには出来ない。


芽吹いてしまったのなら"害"を生まぬように育てるのが責任だとグランドールは苦笑しながら、不思議そうな顔をする義理の息子にするつもりの少年を見た。


もう、ルイは魔術と無縁の生活は送れない。


(さて、それにしても、どうしたものかの)

グランドールは困りながら、精霊にあんなに愛されながらも、全く気が付く事が出来ない親友の教え子をみる。


アルス自身はライとルイの言葉に傷ついた様子など微塵もないが、本当に酷く困った顔をしていた。


「その、軍の学校でも言われていた事なんだけどね。

自分はどうしてだか、精霊にとても好かれるらしいんだけど。

どうしても気がついてあげられる事ができないんだ。

前にリリィやウサギの賢者殿が精霊を具現化してくれたりして、やっと見えるくらいなんだ。だから、ゴメンね」

アルスがそうやって、気がついてあげられない事に対して、精霊たちに"謝った"。


アルスが謝罪した途端に、リコの中にある感情が流れ込んでくる。


(精霊達が、悲しんでいる)

《謝ラナイデ、気ニシテイナイ》

リコの頭と心に訴えて、精霊の感情が揺れるのも解る。


グランドールにも、精霊達がリコを介して、それを訴えようとしているのが解り、少しだけ不安がもたげる。


(せっかく精霊が落ち着いたかと思っていたが。

この様子だと、降臨の際に不具合が起きるかもしれんな)

精霊達が"アルスが落ち込む事"を気にしているというのが、グランドールには俄に信じがたい出来事でもある。


ライとルイは精霊にあんなに懐かれているのに、全く気がつかない"気がつけるという事が出来ない"のに驚いて、また不思議そうにアルスを見つめた。


「人には、得手・不得手がある。

それでアルスは、剣術には秀でているが、精霊に関して偉く鈍感だ。

ライにルイ君、それだけの事で話はすませられないのか?」

そこに割って入ったのは凛々しい女性騎士ディンファレだった。


凛とした口が言葉を続ける。

それはアルスを庇うというよりは、公平な事実をただ述べている、そんな感じだった。

そしてアルスにしてみたら、下手に庇われるよりはディンファレの言い方が物凄く有り難かった。


有り難みを感じるアルスの気分を精霊達も察するかのように、悲しみを伝えていたものが落ち着いたのがリコとグランドールにも解った。


「アルスも"自分は精霊術には鈍く、魔術も才能がない"と諦めるのは君の指針かもしれない。

しかし、あそこまで精霊に好かれて性質を持っているなら」

そこで一度言葉を切って、ディンファレは真っ直ぐにアルスを見つめた。

アルスは少し頬を染めながらも、淡い気持ちを抱く彼女のからの視線から逃げなかった。


「こうやってライやルイ君の様な疑問を持つ人がいる事を忘れない事だ。

この世界では『精霊に愛され、好かれてている事』は、そのまま精霊術の素養があると思われがちだ」

ディンファレからの鋭い忠告に、アルスはしっかりと頷いた。


ライとルイはいつの間にか、"アルスが精霊に気がつけない事がおかしい"という片寄った考えをもっている事に気がついて少しだけ、申し訳なさそうにアルスを見て、少し頭を下げた。


頭を下げられたアルスは、アルセンがするような優しい苦笑いを顔に浮かべて、"気にしていないよ"と言う風に首を横に振る。

関所の中の方で、少しばかり動きがあったように聞こえたが、アルスはまだディンファレの方に注意を向けていた。


そしてそれはリコ、ライ、ルイも同じようである。

グランドールだけ腕をくんだまま振り返り、少しだけ眉をあげて小さく口を開いて「やっと来たか」と聞こえない程、小さな声で呟いた。

ディンファレは"後輩"となる少年にとって、これからも良い未来が待っていて欲しいと願ってまた言葉を続けた。


「もし今の配属先で落ち着いて余暇が出来たのなら、不得手、"精霊、魔術に関しては鈍いから"と解ってはいても、苦手なりに向き合ってみるといい。

一度でも苦手と向き合っていることがあれば、きっと生きている内で後悔をする事が1つ位は減るだろうから」

後輩にあたる少年の澄みきった空色の瞳を見つめながら、ディンファレはアルスと同じ年齢のだった時の自分を少しだけ思い出す。


丁度アルスと同じ様に、心の底から尊敬して憧れている人がいた。

相手に"幸せになって欲しい"といつも思いながら、言葉を口にするような人だった。


だから、泣いてでも叫んでも、その大好きな人の為に、世界を敵に回さなかった"過去"を後悔する自分が大嫌いだから、ディンファレはアルスに後悔しないようにと助言する。



「はい、そうします」

深い意味など、まだ理解しなくていい。

"後悔しないように"と心にと小さく思っているだけでも、大事な場面に出会った時に少しはマシな選択が出来るだろうから。

そして、ディンファレに、しっかりとアルスが返事したのを見計らったように、姿を現した人がいた。



「先輩の騎士殿からの話。

きっとトラッド君の為になるでしょうから、よく聞いておくとよいでしょう。

そして後悔の少ない人生はとても良い事です。

後悔まみれの人生を過ごしている私が言うんですから、間違いありませんよ」

冗談にばかり取られそうな明るい口調で、緑色のコートを纏ったネェッアークが、アプリコットと共に颯爽と儀式のメンバー元にやって来ていた。


その姿をを見て、ネェツアークの正体を知らない少年2人は、その"緑色のコート姿"に既視感を抱く。


「ネェツアークさん、コートは着替えられたのですか?」

アルスがまずそう驚きの声をあげ、ルイもコクコクと小さく頷いた。

ただ既視感はあるのだが、どこの"誰の姿"なのかがアルスもルイも中々結び付く"人物"が思い付かない。


「ええ、このコートは大切な親友に仕立てて貰った私の"勝負服"ですから。

それなりに、精霊の加護もしてもらっていますからね」


ネェツアークは自慢気にニッと笑みを浮かべて、一目で上等に仕立てられている事が解る、緑色のコートの襟に長く器用そうな指を当てた。


「いいにゃ〜、王族護衛騎士隊も、キングス様に服を作って貰いたいにゃ〜」

かつてアプリコットの寝室で国最高峰の仕立屋"キングス・スタイナー"により、英雄の為にだけ作られた被服の素晴らしさを目の当たりにしているライが、心底羨ましそうに、ネェツアークの緑色のコートを見つめて呟く。


「一応我々は"騎士"だからな。

軽装とはいえども必ず鎧を身に付けねばならない。

キングス様が仕立てられるのはあくまでも"被服"だから身に付けられるとしても、精々肌着くらいなものだぞ、ライ」

ライががネェツアークのコートに余りにも羨望の眼差しを送るので、先程の凛とした態度から優しい雰囲気に一変させて、ディンファレが腕を組んで苦笑いを浮かべてライを宥めた。


「あ〜!?キングスさんて、あの照れ屋のお面のキングスさんか!」

ルイが律儀にも、未だに盆をリコの前で抱えたままで"キングス"という人物を思い出して驚きの声を上げた。


「マクガフィン様、クローバー君はキングス、さんと面識があるんですか?」

ネェツアークが(聞いていないぞ)と多少不機嫌そう声色で、グランドールの方を見ながら尋ねる。


一方のグランドールはしれっと何でもない風に、鳶目兎耳えんもくとじのネェツアークの質問に答える。


「ああ、前に英雄用の服を定期的に手入れをしてもらう為に、フィッティングも兼ねて行った時、ルイもキングスのアトリエに連れていったんだ」

「ちょっと、変わってるように見えるかも知れないけれど、とっても優しい人だよなキングスさん。

『仕事で色んな国回ってるからどうぞ』って色んなお菓子もくれたし、オレは好きだなあの人。

顔もちょっとだけ見たけど、ちょっと釣り目の、アルセン様と違った感じで、スゲー美人だったし」

ルイが八重歯を見せて笑い、かつて一度だけ出逢った優しい美人の仕立屋について語った。


仕立屋の話を聞いて、アルスは配属されたばかりの頃、国一番の仕立屋が友人であると"ウサギの賢者"が話して貰った事を思い出す。


「そのキングスさんは、もしかして賢者殿の親友の仕立屋さん、―――あ?!」

「ああ、そうだよ。アルスさん―――ん?!」

アルスがウサギの"賢者"の名前を出した途端にルイも反応した。


「賢者殿だ!!」

「それだ、アルスさん!!」

アルスとルイは顔を見合わせてから、ネェツアークを見ると、平常通りの不貞不貞ふてぶてしい笑顔を浮かべている。



ネェツアークの身に付けているコートのデザインが、"ウサギの賢者"が身に付けている、緑色のコートと似ている事に2人は気がついた。


「そんなに驚いて、トラッド君もクローバー君も、どうしたというんですか?。私の親友から特別に仕立てて貰ったコートが、そちらのティンパニさんのように羨ましいのですか?。

それとも、トラッド君のお世話になっている賢者さんのお名前が出ていますが。

もしかして、"私の親友のキングスさん"が、どうかされましたか?」


やけに"親友"という部分を強調しながら、ネェツアークはアルスとルイを見比べていた。


そしてネェツアークの"正体"を知っている面々は、"白々しい"と言った視線を遠慮なく"ウサギの賢者"と同一の存在である人にぶつけていた。


「え、いや、その。自分が護衛していて、お世話になっている賢者殿が、キングスさんと親友と仰っていたのを聞いた事があったもので」

アルスは"賢者がキングスと親友"と口にすると、ネェツアークの視線が瞬く間に、鋭くなったのに気がつく。


それこそ獲物を狙う"鳶"のような視線で、ネェツアークはアルスを見詰めてくるので、新人兵士の言葉尻は徐々に小さくなっていってしまっていた。

言葉がすぼむのを見ると、鋭い視線をあっさりと引っ込めて今度は、ニッと笑いながらネェツアークはアルスの目の前に歩いて行く。


あまり人を怖れる事をしない、ならず者相手でも物怖じしないアルスでもあるが、この時の鳶色の人が醸し出す圧力には思わず唾を飲み込んでいた。


「そうですか、では私はトラッド君のお世話になっている賢者殿に面識がありません。

これからも会う予定はないでしょうから、伝言を1つお願いします」

アルスの眼前に長い人差し指を立てて、伝言を頼むと言う。


「何でしょうか?」

逆らってはいけない、本能的に、直ぐに了承の言葉をだしてしまっていた。


アルスが今まで見た人の中でも、一番不貞不貞しい笑顔を浮かべ、ネェツアークは伝言を口にする。



「簡単な事です。

"キングス・スタイナーの一番の親友はネェツアーク・サクスフォーンという人物だ"

という事を、トラッド君の護衛する賢者殿に伝えて欲しいだけです。お願いしますね」

「―――わかりました」

そう答える賢者の若い護衛騎士を確認すると、ネェツアークは満足そうに微笑んで今度はリコの方へ歩き出していた。


(ネェツアークさん、よっぽど"キングスさん"ていう仕立屋さんが気に入っているんだなぁ)

緑色のコートの後ろ姿を見ながら、キングスという人物に出逢った事はないが、どうやらとても魅力的な人物なのだろうとアルスは想像する。


アルスは失礼だと分かっているのだが、ウサギの賢者にルイ、そして鳶色の髪と瞳を持った緑色のコートを纏った男にしても一癖、二癖ありそうな人物達だと思う。

そして、そんな"個性あく"の強い人達から信頼や好感を抱かれているのは、余程"人間"が出来ていないと、あり得ないことだとアルスは考える。


「やれやれ、面倒くさいが」

「まあ、悪い"手"でもないわね。あ、アルス君少しいいかしら?」

ネェツアークの言動の一部始終を眺めていたグランドールが、呆れるように言い、似たような儀式の装束姿になっているアプリコットも呆れながら笑ってから、アルスを呼んだ。

少年がグランドールとアプリコットの元に行ったの察しながら、緑色のコートの男の歩みは、今度はリコの前で儀式の道具を盆に載せて抱えるルイの前で止まる。


「クローバー君、私が儀式の道具の確認を引き継ぎましょう。

それに、儀式についてリコリスさんと話したい事が、私もあります。

クローバー君も、マクガフィン様ともう一度連舞の方のお復習さらいをなさっては如何ですか?。

それに連舞が終わってからの神楽舞の方も、アプリコット殿と今一度打ち合わせをなさった方が良いでしょうから」

滑らかにネェツアークがそう言って、返事を聞く前にルイが持っていた盆を受けとるべく器用そうな手を差し出していた。


「あ、そうっすね」

先ほどのキングスに対するネェツアークの強い執着らしきものを見て、ルイは鳶色の男に少しだけ畏怖感を持ってしまっていた。

だからやんちゃな少年は素直に、ネェツアークに儀式の道具を載せた盆を渡して、何やら話し込んでいるグランドール達の方へと行った。

ルイが離れてから、リコが正体を知らない2人の少年に聞こえない様にしながらも、呆れた様子でネェツアークに意見をする。


「"ウサギの賢者殿"も"鳶目兎耳のネェツアーク殿"も同一の存在なのに、一体何をなさっているんですか?。

無駄にアルス君やルイ君に圧力をお掛けになって。

むやみやたらに緊張感を与えたら、気の毒ですよ」

先程まで精霊の所為ではあるが、やたら緊張していたリコの少年達を思いやる言葉に、ネェツアークはニッとまた笑うだけだった。


 

「にゃ~、でも"自分に自分で焼きもち妬いてる"みたいな事を言って変にゃ~。

まあ、鳶目兎耳な賢者殿が、王国一の仕立屋さんのキングス様が好きなのは、よ―く分かったにゃ~」

リコに続いてライも、ネェツアークによる理由のわからない行動に小さな声で呆れていた。


鳶色の男が"ネェツアークとキングスが仲が良い"を印象づけたいのは、リコもライも判る。

しかし、"ネェツアーク=ウサギの賢者"になるわけで、"ネェツアークが《キングスの親友の座》に関してウサギの賢者に対抗心を燃やしている"ように振る舞う意味が分からなかった。


ライが例える通り、《自分に自分で焼きもち妬いてる》ようにしか見えないので、不可解で仕方ない様子だった。

当の"不可解な行動"をするネェツアークは鼻歌を歌いながら、片手で盆を支えて、ガブリエル降臨の儀式の道具を眺めたりと何処吹く風と言った感じである。


「鳶目兎耳のネェツアーク殿が『キングス様の親友』という『ウサギの賢者殿へ、対抗心を燃やす態度』を取った事で、《アルスとルイ君から、よく似た緑色のコートを纏っている存在がいる事から気を逸らす事》が出来た」

ディンファレが、腕を組ながら語る言葉に、リコとライは、ハッとした表情をして自分達の上司ん見つめ、ネェツアークは口元だけで笑った。


「続けてくれ、ディンファレ」

ネェツアークが至極楽しそうに言いながら、儀式の道具をまた1つ手に取って眺めている。

ディンファレは冷めた目で呆れながらも、ネェツアークの"策"を認めている声を出しながら続けた。



「そして、アルスとルイ君が"とてもよく似ているコート"について疑問に思ったとしても。

ネェツアーク殿がキングス様との"親友の座"への異常にも捉えかれない執着心を見せつけた。

それによって、"ウサギの賢者殿のコート"と"着替えた鳶目兎耳のネェツアークのコート"が似ているを尋ねにくい状況を作った。

"キングスの親友の座に異常に赴きを置いている、ネェツアーク殿が、同じ様なコートの存在を知ったならば、酷く機嫌を損ねるかもしれない"

"ネェツアークの正体を知らない2人の少年"が、そんな風に考え至るように振る舞った。

これで、"酷似した緑色のコート"に関してはネェツアーク殿に、アルスとルイ君は尋ねる事はないように、仕向ける事は成功した"

そんな感じの解釈で宜しいのでしょうか。

ネェツアーク殿?」

鳶色の男はディンファレの"解釈"に大変満足そうに頷いた。


「"ネェツアーク"は儀式の後にはすぐに姿を消す。

もしアルス君とルイ君が、尋ねるとしてもウサギの姿に戻った"私"にぐらいにしか、"そっくりなコート"については尋ねる事は出来ない。

だから、何とでも誤魔化すことも出来る、そう付け加えたらパーフェクトかな」

そう言って儀式の道具の点検を全て終えて、まるでの優秀な教え子を見つめるような眼差しで、ネェツアークは栗色の美しい髪を持った女性騎士を見つめていたた。


「そのやり方では"ネェツアーク・サクスフォーン"という人物が、1人の人間にかなりの執着をする、そのような印象をアルスとルイ君に与える事になりますが、いいのですか?」


ディンファレは今までみたいに、鳶色の男に敵意を剥き出しにしている様子ではなかった。

ネェツアークとディンファレの会話に、リコとライは言葉を挟む事が出来ない。

この2人には何らかの確執あるのが分かるが、その根は深く長すぎるようだった。

ただ確執があるにしても、その中に信頼は残っている。

ややこしすぎる関係を目の当たりにしながら、リコとライは策に関して意見を交わし会うネェツアークとディンファレを眺めていた。

そして鳶色の男は質問に、少しばかり渇いた瞳でこたえていた。


「いいさ、私は何を敵に回したとしても大切な者をを護れなかったネェツアークという人間が"大嫌い"で仕方がないのだから。

嫌いな者を貶めても、ちっとも心は痛まないし、揺れない。

だから、この後の儀式に支障を来す事はないから、安心してくれ」


"自分という人間が大嫌い"


ネェツアークが自分と似た様な気持ちを抱えて生きていると聴いて、ディンファレは悲しそうに微笑んだ。

そんなディンファレにリコが声をかけようとすると、急に一変したカラッとした調子になって、ネェツアークが口を開く。


「それに人間の姿の時の私は、キングスが照れて真っ赤になるぐらい固執しているのも"真実"ではあるからね。

お嬢さん達3人ともキングスと縁が出来たとしても、私以上に仲良くなったらヤキモチやいちゃうからね〜」

「にゃ〜、真面目な雰囲気ぶち壊しにゃ〜」

漸く喋れる空気にはなったのだが、あまりにもふざけ気味の賢者の態度にライが呆れた。


「ネェツアーク、降臨の儀式の道具はどうだ!?」

鳶目兎耳だろうが賢者だろうが、呼び方を変えないグランドールが手をあげながら親友に尋ねてきていた。

そのおおらかで低い声は、ガブリエルの降臨を主とする側の緊張は更にほぐされていく。


『多分、ネェツアークの策は頭にくる方法もあるだろうが、ワシは付き合ってやる。

お前が練ったまま、思うがままやって見ろ』

昨夜言われた頼もしい言葉を思い出して、心から安心して背負っている物を委ねる事の出来る友がいる有り難みをネェツアークは感じていた。


「マクガフィン様、1つか2つ、リコさんに合わせておいた方がいいものがあります。

それは私が調整出来る範囲ですので、そちらはそちらの調整や打合せを、どうぞ優先させて行ってください」

"鳶目兎耳"であくまでも領主の友人で助勢者という立場から、敬語を使って言葉を返す。


そんな親友に苦笑しながらも、グランドールは2人の間で"了承"の意味を表現する手をこぶしにして、返事をした。


「おう、分かった。そちらは任せるぞ」

器用に盆を抱えたまま、ネェツアークも手を拳にして掲げ、一番縁の長い親友に応えた。


「にゃ〜、おとこの友情にゃ〜♪」

その様子を見てライがからかうように言うと、グランドールとネェツアークは照れる事もなく同時に笑っていた。

同じタイミングに掲げていた拳を下げて、互いに自分の"為すべき事"と向かい合う。


「さて、漢の友情を決めたところでリコさん、最終調整と参りましょうか」

「はい。それで、どれですか、ネェツアーク様?」

もう一人の親友の、勤勉な代理人は早速指導を仰いだ。


「そうだね、これと」

ネェツアークは大分リラックスした様子で、リコに合わせた方が良いと思われる道具を手に取る。

それから、ふと気がついたら感じでライとディンファレを見た。


「そうだ。2人共、まだ楽に、というか今の内に休んでおいてよ。

後は本当に、儀式の護衛だけを頑張って貰う予定だから」

ネェツアークが護衛役の女性騎士2人にそう呼び掛けた。

ライは人指し指を顎に当てて、リコをとディンファレを見ながら口を開く。


「にゃ〜、リコにゃんの調整や"降臨"のお勉強の邪魔になりそうなら、ワチシはディンファレ様と大人しく待っているにゃ〜」

「2人きりの方が集中出来るというのなら、私はライ共々席を外しておこう。

キングス様にご執心なネェツアーク殿なら、リコを口説くという事もなさそうだからな」

珍しくディンファレが、彼女なりの冗談を口にすると、リコが赤くなって口をアワアワとさせている。


だがそういう"優しさ"に触れる事で、リコを器とほぼ認証している水の精霊たちも喜んで、周囲を舞っていた。


(いつもの"グランドールとアルセン"を、自分とリコさんに置き換えてやってみせて、精霊達を更に落ち着かせて、安定させているというわけか。

流石ディンファレといった所かな)


『賢者ネェツアーク、こう言った工夫はどうでしょうか?』

何時も状況を向上させようと、弛む事ないディンファの姿勢は、ネェツアークの古傷をなぞる。


まだ彼女が"少女"と呼べる時代に、尊敬と少しだけ憧れの念を持たれていた事に気がついていたけれど、気が付かない振りをしていた。

それが正しかったかどうか、今でも分からない。


「では、私たちは関所の方で待つとしよう。リコの側にいると、どうしても気になってしまう」

「ディンファレ様、ワチシもそうするにゃ〜♪。

ワチシもリコにゃんが好きすぎて困るにゃ〜」

別れる前の抱擁と言わんばかりに、ライがリコに抱きついていた。


「もう、ライちゃんたら」

リコは困った顔をしながらも、嬉しそうにライを抱き締め返して、黒い艶やかな癖っ毛の髪を撫でてやる。


ライはリコに抱きついたまま、見上げる背の高さになったネェツアークを黒い瞳で見つめた。


「オッサンの漢の友情をみせつけられたなら、次は女の友情みせつけるにゃ!」

「アッハッハッハッハ。オッサンとしては、美女2人が戯れるのは目の保養にしかなりませんよ?」

「ライ、見せつける相手が悪い。……そろそろ行こう。リコ、頑張れよ」

最後に励ましの言葉をかけて、ディンファレはライを連れ、行ってしまった。


少女から、国一番の女性騎士とまでなった後ろ姿を見ながら、リリィを介し、再び始まってしまった彼女との縁に、ネェツアークは詫びる気持ちしか湧かない。


「ネェツアーク様、それではよろしくお願いします」

ルイのいる時といない時で確りと呼び方変えるリコの声で、ネェツアークは見送るのを止めてリコに向き直った。


「それでは、始めましょうか」

リコはアルセンから教わったものとは、少しばかり違う儀式の道具の仕様の違いをネェツアークから教わり、真摯に受け止めている。


(ごめんね、リコさん、アルセン)

秘かに、心の中で謝罪した。


「それでアルセンに教わった事を踏まえて、リハーサルといきますか」

明るい様子の声をだして、ネェツアークは笑顔を造り盆を抱えて、大体仕上がっているガブリエルを降臨させる為の舞台へと、リコをいざなった。


彼方あちら側も本格的に始めた様ですし、こちらも今度は軽く2つ目の神楽舞の方をやってみましょうか」

簡単にグランドールが謳う部分を確認お終えてから、素顔を知らないアルスがいる為、アプリコットは仮面をつけたままで打合せを続ける。


「アプリコット様もオレとオッサンみたいな装束つけているけれどもさ、動かないんだろ?」

「ルイ、ちゃんと話を聞かんか。

領主殿は"動かない"じゃなくて、"動けない"だろう」


グランドールが、軽くルイの頭を小突くのをアルスが苦笑いしながら見ていると、

"ポテリ"

頭に何かが乗っかる感触があった。


「あれ?、何だろう」

思わず口に出して、アルスが自分の頭の"ポテリ"とした辺りに手を伸ばすと、プニプニとした感触の物体に手を触れた。


「ゲココッ♪」

アルスの革手袋をした指先がプニプニとした物―――ウサギの賢者の使い魔である金色のカエルに触れた瞬間に、使い魔は大層嬉しそうな鳴き声を発した。


「あら、使い魔のカエルさん。

賢者殿から"多邇具久たにぐく"の調整をしっかりとして貰ったみたいね」

視線をアルスの頭上に向けながら、アプリコットが言うとクツクツと今度は喉を鳴している。


「何か、そのカエル。アルスさんの頭の上が凄く気に入っているみたいだなぁ。身体と同じ金色だから、落ち着くのかな?」

ルイがグランドールに小突を食らった頭を撫でながら、アプリコットと同じようにアルスの頭の上の方にいる金色のカエルを眺めて言った。


「そんな可愛い理由かのう」

ルイの"同じ色だから"という言葉を聞いて、グランドールだけは見下ろす形でアルスの頭の上にいるウサギの賢者の使い魔に、白い手甲を嵌めた掌を差し出した。


金色のカエルは横長の瞳で、名残惜しそうにアルスを見つめながらグランドールの掌にピョンと跳び移った。


「ゲコッ」

「おう、お疲れさん。しかし、確か、文献では多邇具久はひきがえるの姿の筈だが」

使い魔にも仲間のようにグランドールは呼びけ、掌に鎮座する金色の姿のままのカエルに少しだけ首を傾げた。


「蟇は蟾酥せんそという毒を持っているとされているから、直前まで金色の使い魔のカエルでいるつもりなんじゃないかな。

カエル"君"の役目の多邇具久(たにぐく)にしても、神楽の中で"大己貴命おほなむち役"のグランドール殿に、ルイ君が演じる神様の名前が分からないから、

『"案山子かかしの姿をした久延毘古くえびこなら知っているでしょう』

と教える役だから。

あと、もしかしたらカエルが苦手な人がいるかもしれないから、気を使っている事もあるかも」


そう言って、アプリコットはグランドールの掌の上に乗る金色のカエルを見つめながら説明をするのを、アルスは興味深そうに聞いている。


「それは、異国のお話なんですか?」

アルスが儀式の話に興味を持った事に、アプリコットは嬉しそう口の端を上げた。



「そうね、異国、東にあるという島国の昔話。

そういえば、今回の儀式には出て来ないのだけれど、その儀式に使う前の話に、少しだけれどもウサギも出てくるのよ」

アプリコットがウサギと言ってから、あっ、と小さく呟いて急に口元を押さえ笑いを堪えるので、アルスとルイが顔を見合わせた。


「アプリコット様、何すか?。思いだし笑いですか?」

ルイが少しだけ距離を取るような感じで尋ねると、アプリコットはコクコク、と頭を縦に振った。


グランドールは掌から、白い装束の纏った大きな肩に金色のカエル置いて腕を組む。


「ああ、確かに"その話"なら笑ってしまう話かもしれんなぁ」

今度はグランドールまで苦笑いながらも、笑いを堪えるアプリコット見ている。


「何だよ、オッサン。オッサンも解ってるなら勿体ぶらないで教えてくれよ」

「お前から"教えてくれ"なんて言葉が、仕事と武術以外から聴けるとはな」

ルイをからかうようにグランドールが、頑丈そうな歯を見せて今度は本当に笑った。


「自分も良かったら教えて欲しいです。"ウサギ"がどうしたんですか?」

アルスもグランドールに向かって尋ねると、肩に鎮座する金色のカエルが水掻きのついた手で、日に焼けた髭面をペチリと触る。


「ゲコッ」

まるで"早くアルスに教えてやれ"といった様子にも見えた。

「やれやれ、アルスは精霊だけではなく使い魔からも好かれるようじゃのう」

グランドールが呆れるように言ったが、"呆れ"はアルスに向かってと言うよりは、彼の肩に乗る"カエル"に向けられて発言したようにも響いて聞こえた。


"ウサギの賢者"の使い魔であるカエルは、両生類特有の瞳ながらもけんを感じさせる視線で、自分が座っている肩から、グランドールの日に焼けた顔をチラリと見る。

見詰められたグランドールは、珍しく"好漢"イメージとはかけ離れた冷めた表情をしていた。


「―――ゲコッ」

まるで拗ねるように一声鳴いて、金色のカエルはグランドールの逞しい肩から跳んで、ちゅうを水中を移動するように泳ぎ、結局またアルスの元まで行って、軽装の鎧の肩当ての部分に座ってしまっていた。


それから先程グランドールに一瞬でも向けていた嶮をあっさりと引っ込めて、機嫌が良さそうにクツクツと喉を鳴らし、すっかりアルスの肩に落ち着くつもりの様子である。


「何がそんなにいいんでしょうか?」

精霊と同じ様に、どうしてこんなに好かれてしまっているのか分からないアルスは空色の瞳を丸くして、肩に止まる主人の使い魔に呆れた視線を注ぐ上司の親友に恐縮していた。


「まあ、嫌われて憎まれるよりは良いんじゃないの?。

さっきディンファレさんも言っていたみたいに、余暇があった時にでも精霊と合わせてカエル君に好かれる理由を探ってみたら?」

関所の中に移動したディンファレとライを見て、アプリコットがアルスに向かって、仮面をつけていても口元だけで十分わかる笑顔を向けて提案をする。

それはまるでグランドールと使い魔の"カエル"の間を取り成すように、アプリコットによって挟まれた言葉でもあった。


「そうだよオッサン。それに、使い魔はもういいからさ、ウサギの笑える話を教えてくれよ!」

ルイもアプリコットの言葉に乗って、先程から止まってしまっている"ウサギ"の話をせがむ。

アプリコットは、ルイも間に入った事に内心でホッとしていた。


ネェツアークと共有する記憶の中の一部と、グランドールの使い魔の"カエル"に対する態度で僅かに気になる所があったが、今のアプリコットには、突き詰めて考える時間の余裕はない。



数時間前、中庭で客室を見上げながら、ビネガー家の執事だった者が鳶色の男に尋ねていた事。





"―――あの2方は気がつかれていないのか?"


ネェツアークの記憶に残る"ビネガー家の執事"だった者が、アプリコットの血の契約者に尋ねた言葉がアプリコットの心を揺らした。


(2方はマクガフィン殿とパドリック殿)


"―――さあ、改まって聞いた事なんかないから。

それに私は吝嗇だから、言うのも野暮だし、面倒くさいよ。

ただ、あの2人は互いに思い合う"親友"だ"

"――そうか、今でもか"


(ネェツアーク殿は敢えて答えを誤魔化していたけれど)


"血の契約"の魔術を行えば、同じ様な技術と共に記憶も共有する事が出来る。

でもそれはあくまでも"今の肉体"が培ってきた記憶だけである。


そしてアプリコットが共有する"ネェツアーク"の記憶には、グランドールという人物がこの国の英雄という"記録"しか見ることは出来ない。


(本当に、前世やら過去からの因縁なんて真平ごめんだからね)


そういった類いの話は、アプリコットは大嫌いだ。

銀色の仮面の中で、アプリコットがしかめ面を作った時

「ゲコッ」

使い魔のカエルは"ウサギの笑い話"を急かすように、鳴き声をあげた。


(まっ、今は"ウサギの笑い話"で気持ちをリラックスさせて――少名毘古那神の器となってくれている少年のモチベーションを上げますか)


"大嫌い"な話よりも、自分が護りたい物の為に協力してくれる人達のモチベーションを上げる方を、アプリコットは選択する。


「マクガフィン殿、それでは私が"ウサギ"については二人に話してもいいかしら」

「ああ構わん。ワシは、舞台となる場所を見ながら、もう一度能楽の方を復習さらっておこう。

ルイ、話を聞いた後で来い。最後にもう一度合わせよう」


「うん。オッサン、分かった。話を聞いたら直ぐに行く!」

ルイが快活に返事をすると、満足そうに微笑んでグランドールはネェツアークやリコもいる方の儀式の舞台へと向かって歩く。


アプリコットがアルスとルイに話始める声を最後に、グランドールは周りの音を意識して遮断する。


そして自分が謡う文言が、友人の癖字によって(したた)められた紙を見ながら、溢れそうな河川とこの領地が誇る渓谷の間に造られた道を進んだ。


(珍しく胸騒ぎがするわい)

少しだけざわつく気持ちをを抱えていると、今度は背後に気配を感じてグランドールは振り返った。



「―――どうされた、ムスカリ殿」

グランドールが振り返る。


そこには、これまでみたいな虚勢を張るような無駄に華美にも見えた服装ではなく、普段している服装なのだろう、多少土にまみれてはいるが、動きやすそうな服装をしたムスカリが立っていた。


(ワシには、こちらの姿の方が余程威厳を持っているように見えて、好印象だがな)

グランドールが好印象をもっているとは露程も知らず、ムスカリはウサギの話をしているアプリコットを多少気にしながら、静かに頭を下げていた。


「何か、ワシ個人に話があるのかな?」

グランドールが低い声で訊ねれば、ムスカリはまた静かに頷く。


「出来れば、もう少し離れた場所で。

代理領主、いいえ、領主様の耳には御入れしたくはないのです」

もうアプリコットを侮る事は、出来なくなってしまったロブロウの農家代表は、怯えを含んだ声で訴えた。


「領主殿に聞かれたくはないんだな?」

グランドールが怪訝な顔をして確かめるように声をかけると、ムスカリは躊躇ためらう事なく頷いた。

「では、舞台の方で伺おう」

ムスカリはまた黙って頷き、グランドールの横より少しだけ下がって追随する。


儀式で使う舞台は完成しており、ロブロウに領民達は準備の為に使った道具を撤収することに、追われていた。


グランドールとルイが使う舞台は、関所の巨大な門から結構な距離のある場所に設置されていた。

そして、その舞台から手前、"ガブリエル"が守護するとされる西の位置にもう1つ小さな舞台がある。


舞台は青を基調とした造りで、その上には一番最初に儀式、"降臨"をする為の打合せをネェツアークとリコがいた。

リコが少しばかり戸惑いながら、ネェツアークの指導に従っているのが見える。


どうやら、アルセンと指示されていたものとは、また違う方法をリコに教えているらしい。


(あいつはまた、何か仕出かそうとしているな)

アルセンと何時も共に"降臨"の訓練をしているグランドールには、少し違うニュアンスで精霊がリコの側を舞っているのが解る。


(ライがフォローに入るから、また別な形にするつもりか)

丁度通りすぎる時、ネェツアークは舞台の上からニッと笑って手をグランドールにあげ、リコは丁寧に頭を下げる。


グランドールも手を上げ、ムスカリは舞台の上にいる二人に慌てて頭下げて

「ロブロウの為にありがとうございます」

と、声に出し"礼"をした。


ムスカリの"礼"の声が聞こえたリコは、最初少しだけ驚きながらも、優しく美しい微笑み浮かべてそれに応えた。


リコの横に立つネェツアークといえば、何とも言えない表情をしてからムスカリに笑ってみせていた。


しかし、普段のネェツアークならサッと対外的なそれなりに整った笑顔を浮かべるのにそれをしない事に、グランドールは眉を上げる。


(ネェツアークにしては、微妙な笑顔だったな。ああ、そういえば、領主殿と契約中か)

まだ、アプリコットとの意識の"繋がり"ある。


そして、人のタイプは似てはいるが、どうやら"アプリコット"側の影響を受けて、ムスカリという男のあまりの変わりように感情がついて行けていないのだろうと、グランドールは察した。


つい先程まで"傀儡の代理領主"と、高慢な接し方をされていたのに、アプリコットの荒業で"膿"を抜かれてムスカリという男は、周囲が驚くほど謙虚になってしまっていた。

それは、荒業で膿を抜いた当人も驚き覚える程の、謙虚ぶりという事でのネェツアークの反応なのだろう。


(まあ、ネェツアーク自身、"本当に真面目な人間"には優しいからな)

変な具合に根性が曲がっている鳶色の親友は、"真面目"という事に対しては何故か五月蝿い。


もし、"仕方なく真面目ぶっている""真面目にやる事を馬鹿らしい"等の振る舞いをする人物に出会でくわしたのなら、全力投球でもって、おちょくるのをグランドールは過去に数度見てきた。


今のムスカリは、ネェツアークからもからかう気持ちが起きもしない程、愚直なほど真っ直ぐで真面目といった具合らしい。

しかし、膿を抜いたとはいえ、ムスカリのあまりの変わりようにはグランドールも多少何か落ち着かないものを感じていた。


(この土地に、やはり何らかの因果があるかもしれんのう)

そんな事を考えている内に、最初に舞う為の舞台へと辿り着いた。

ロブロウにきた当初、グランドールを尊敬すると口にしながらも、居丈高なムスカリから、年間に二度程祭事の際には舞台を設え、神々や精霊の恩恵を讃える舞を奉納している話を聴いていた。


なので、こういった舞を舞う為の舞台を設置するのは、領民にとっては慣れたものらしい。

グランドールは衣装に合わせた履き物である草履を脱ぎ、足袋を履いた足で板の階段を登り、舞台に上がる。

キィ、と大きなグランドールの身体が乗った事で床が鳴った。


(長年使い込まれているが、それを充分労うような丁寧な手入れや整備が行き届いている。

良い"付喪神"もその内宿る事だろう)


「立派な舞台だのう」

色んな思いを込めて"立派な"という一言に纏めてグランドールが言う。

「お褒めの言葉、ありがとうございます」

ムスカリが舞台の下で、慇懃に頭を下げた。


「誉めではない、事実だ」

また苦笑いをして、グランドールはこの男が今まで"膿"を溜め込んでいた事が、残念に思えて仕方なかった。


(もし、この男が昔から"今"の様子だったのなら、領主が不在の時でも、補填ほてんの役割はこなせただろうし―――)

そこでグランドールは考えるのを止める。


("過去"を羨んでもどうにもならんか)

まだ幾分風が強い舞台の上から、"ロブロウ"を眺めた。


儀式を舞台は、丁度道の中央に設置されてある。

西の方角、ロブロウの入り口となる関所の方を向いて見れば、左に昨夜の豪雨で水嵩みずかさが増した河川、右手に絶壁がそびえている。


「で、ワシに話したい事とは何なんだ」

聳え立つ岩肌を見上げながら、グランドールは未だに舞台には上がらず、階段の側に地に膝をついているムスカリに尋ねた。


(前のこの男だったのなら、何が何でもワシの横に立とうとしただろうに)

気付かぬ内にグランドールもムスカリのしおらしさに、調子を狂わされていることに気がつき、また苦笑いを浮かべていた。


「実は、話を聞いて貰った上で、大農家殿に、英雄でもあるグランドール・マクガフィン様に、お頼みしたい事があるのです」

「やれやれ、英雄の方で名前を呼ばれるとは、何だか穏やかな願いではないという感じだの。

しかし、頼まれごとも内容によっては、ワシではどうにも出来ない事かもしれんぞ?。

儀式が始まったのなら、そちらに集中するからな」

グランドールが振り返り、視線だけをムスカリに向けていると、ロブロウの農家代表は両方の掌を、まだ湿っている大地へと着けて、頭を下げていた。


「いえ、儀式に協力してくださるグランドール・マクガフィン様にしか、出来ない頼み事であります」

ムスカリは掌を大地にべたりとつけて、そして今は額も大地つけ、震えていた。


「何をそんなに震え、恐れている?。

先程の件なら、この儀式で汚名を返上して、名誉を挽回すれば良いことだ。

領主のアプリコット殿も、この儀式で活躍すれば、領主を自分を亡き者にしようとしたことすら、不問にすると言っていただろう。

それに儀式に関して言えば、先程言った通りで舞台の支度もしっかりとしている」

グランドールが先回りをして、ムスカリが不安に抱いていそうな事を列挙し、口にし気がつく。


自分が言った言葉の中に、今になって頭を下げる男が頼む事など特に無い。


仮にアプリコットが不問にすると言った件を、信用しておらず(本来なら領主の一存で処断されても仕方ない罪ではあるが)、助けて欲しいと言うにしても、今の彼には、そこまでする浅ましさがグランドールには、感じられない。


(もしかしたら"膿"が抜ける前に、アプリコット殿1人にやらせようとした儀式の内容の無謀さを気にしているのか)


「儀式に関していえば現在支度している方法なら、本当に心配はいらないぞ。

河川を浄める役割の術者は初めてではあるが、優秀な人物だ。

指導する人物に補助も付く。

ある意味、失敗するなという方が難しい案配になっているぐらいだ」

「ぎ、儀式の装束を纏ったア、アプリコット様が久延毘古クエビコ、不動の農の神を模した"案山子"をなさるのですよね?」

グランドールが安心するように言い切るすぐその後に、地につけていた額を上げて、ムスカリは尋ねた。


ロブロウを代表する農家だけあって、農の神である"久延毘古"の名前をムスカリは知っている様子であった。


「ああ、そうだな。

あそこ、水を浄める為に降臨を行ってくれている女性騎士の隣にいる、眼鏡をかけた鳶色の髪に緑のコートの男が今回の儀式に関して指揮をしている。

"配役"はアプリコット殿と2人で決めたらしいがな」

グランドールがそう言うと、ムスカリは失礼しますと立ち上がり、履き物を脱いで舞台に上がり、グランドールの一歩手前で立ち止まる。


そしてそこから、リコに何か指導を続けているアプリコットの旧友ネェツアークを見つめた。


丁度長い指を弾いて、精霊を一度に数体も具現化させてリコを驚かせていた。


「あの方は、王都からいらしているアプリコット様のご友人にあたる方なのですよね?。

その魔術や武術に関しても、優秀な方であられますよね?」

この質問には、苦笑いを浮かべそうになるのを堪えながらグランドールは頷いた。


「そうじゃのう、"優秀"ではある」

"優秀"どころか、各国の王達すらの一目置かれる立場の男の実情を知るグランドールは、そう言葉を濁した。


「あの方も、御祓や支度には参加されていますよね?」

まるで一縷いちるの希望を確認するように、また声を震わせて尋ねる。


「ああ、一通りはやっている。

だからあの男の役目は全体の補助と、儀式が終わった後、アプリコット殿との後始末らしい」

ムスカリは、グランドールの言葉の最後の方は耳に入ってはいない様子であった。

失礼な振る舞いにも見えるが、それ程何か気にしている事があるのだと気がつく。

そして質問をされた内容から鑑みると、"アプリコットに儀式に参加させたくない"というムスカリの思惑をグランドールは察する。


「出来れば、アプリコット殿に儀式に参加して欲しくない。

そして出来ることなら、あの男をネェツアークをアプリコット殿の代理にして、儀式はして欲しいといった具合かな?」


グランドールが察した事を言葉に出すと、ムスカリは今度は舞台に膝をつけ、掌もつけ、激しく頭を縦に振った。


そして、そうして欲しいと黙って懇願をする。


理由わけを、話して貰おうか」

言い方は優しいが、威圧を感じさせるグランドールの声に、ムスカリはまた頭を下げて舞台の木目を見つめ、肩を戦慄わななかせながら口を開く。


「私は、マクガフィン様の息子殿から考える事を教えられ、アプリコット様からの声を漸く自分の虚飾の権力と、小さすぎる器に気がつかされて、恥じ入る事も出来ました。

そして、気がつく事が出来たのがつい先程の事です。

その前の私は、自分で自分を殺したくなるほど、愚かでした、いえ、今でも愚かです」

「"愚かだった時の後始末が自分では出来くなってしまった"と、そういうわけか?」


また、黙ってムスカリは、頷いた

増長したままの時、稼働させてしまった仕掛を、自分では止められなくなってしまっている。

愚かな時、止める必要がないとばかり"仕掛"をもってある事を成功させる為に、儀式の情報を伝えてしまっていた。


「アプリコット殿が動けなくなるタイミングを、昨日"炎の猪"グリンブルスティを送りつけてきた相手に教えてしまったというわけだな?」

グランドールが声をかけると、ムスカリはガクリとしながらも、頷く。


先日、グリンブルスティの襲撃が失敗に終わり、歯痒い思いをしていたら、予期しない豪雨がロブロウを襲った。

そして河川は時期外れの雨の為に、氾濫はしないが危うい状況では確かにあった。


"ロブロウを護る為に儀式を執り行って犠牲になった、代理の女領主"

その考えが我ながら傑作にしか思えなくて、見習いの執事を叩き起こし、明け方前からアプリコットに儀式を急かした。




「まるで、転がり落ちるように、下らない考えに心がはまっておりました」

4人の喧しい女達は自分が手を汚さずに、その血縁の小娘が領主として勝手に片付けてくれた。


小娘をアプリコットを代理領主に据えてから、自分こそが"影でロブロウの地を支えている"と、信じ込んでいる男は、代理とはいえ"女"が領主である事に不満を覚え始めていた。

そして単純に、どうせ傀儡にするにしても女より男――バン・ビネガーがいい。


そう考えて、"出来れば女性が領主であるべきではない"と考えを持つ者と手を組んで、アプリコットを領主の座から外そうとしていた。


ただ違ったのは、ムスカリはアプリコットが領主の座から離れる事に、彼女の"生死"に拘っていなかった事だった。


(この男の膿抜きが終わったのは、本当につい先程のことだったな)

グランドールは改めて思い出す。


男の態度が殊勝過ぎて、少しばかり調子も狂う感じをうけもしたが、殊勝なのではなく、『許してくれたアプリコットを更に"裏切る"事態』が起こりそうになり――本当に、心の底から怯えていただけなのだ。


折角罪を不問にされているのに、その直前にしかけた罠が稼働し、しかも自力では止められない。


「儀式の間に、アプリコット殿が襲撃される。

それは、確実で取消が出来ない事なんだな?」

グランドールの言葉に頷きながら、ムスカリは口を開く。


「お恥ずかしい事に、今の今まで自分1人で画策していたつもりでおりましたが。

よくよく考えて見れば、私が手を組んだ相手が殆ど算段をつけておりました」

ムスカリは自分が懸命に工面したつもりの策が、赤子の手を捻るように利用されているのに今更ながらに気がついてもいた。





「先日"炎の猪"を送ってきたのは、他国にいる魔術師です。

その魔術師と渡りをつけたのも、私と手を組んだ"相手"でした。

そして、私の力ではその魔術師と連絡を取り付ける事が出来ません。

思い返せば、浅学で人並みにしか魔術が使えない私に手を組んだ相手にとって、都合の良い策を思いつくように資料や情報を、私に流していたようにも思えます」

ムスカリははその"人物"を思い出し、頭を振るった。


「成る程、バン・ビネガーの他に、ムスカリ殿を利用していた"人"がいたわけだな」

ロブロウを影で牛耳るっているつもりの男は、その実、様々な思惑に表だって関わりたくない"黒衣くろこ"達に利用されていた。


しかし、どうもグランドールからしてみれば昨日の炎の猪の辺りからは、"策"が多少稚拙ちせつにも感じられるし、1つ疑問が浮かんだ。


「先程ムスカリ殿は連絡がつかないと言っていたが、儀式で"アプリコット殿が動けない"という情報をその魔術師に流したのだろう?。

それとも、連絡が一方通行という事なのか?」

グランドールが顎に手を当て、舞台にひざまずくムスカリを見下ろした。

グランドールの言葉に、またしっかりと頷いた。


「それに関して言えば、私が恥を晒す事になりますが、ロブロウでの協力者が魔術師から、急ぎの伝達用にと、軍で使う道具を貰っておりまして」

「それはもしかして、"紙飛行機"の事か?」

グランドールが多少驚いて尋ねる。


「はい、左様です。何でもこの国一番の賢者が開発したものらしく、私のような並みの魔力を持たぬものでも、扱う事ができる大層な魔法の道具でございます」

そこまで話を聞いて、ふと風がグランドールの頬を撫でたので顔をあげる。


するとムスカリの言う"大層な魔法の紙飛行機を開発した、国一番の賢者"のネェツアークは、何かふざけ過ぎたのか、ガブリエル降臨の舞台の上でリコに頬を捻りあげられているのが見えた。


(何をやっているんだ、アイツは)

ただムスカリの懺悔にも思える"告白"を聞いて、重くなっていた気持ちは多少軽くなる。


まさかその大層な道具の開発者がこの土地にいるとは思いも寄らない男は、グランドールに告白を続けた。


「その紙飛行機を私が、その協力者が不在の時を利用して一枚くすねておきました。

そして、今朝早く、儀式の詳細を書いて飛ばしたのです」


 

「成る程、そこにアプリコット殿が儀式の時、久延毘古を模する間は動けないから、その隙をという事か」

グランドールがそこまでいうと、ムスカリはまた頭を下げたまま頷く。


「その相手に、もう1枚飛ばす事は出来ないか?。

もし道具が無いと言うならば、その紙飛行機なら一応ワシも数枚は持って来ている。

後、今休んではいるが、アルセンならば軍属であるから、もっと性能を改良したものを持っているかもしれんぞ?」

グランドールの思いやりのある言葉に、ムスカリは申し訳なさそうに頭を横に振る。


「その"紙飛行機"はどうやら、私の協力者に渡す際に魔術師の方から一手間をかけられている様子でした。

万が一、私の愚かな目論見が失敗成功するにしても、儀式の"事故"で片付けられなかった時には軍が調査に乗り出しても、身元がばれないようにと。

だから、マクガフィン様やパドリック様に紙飛行機を頂いたとしても、私には送り先が解らないのです。

そして先程、マクガフィン様が皆様をこちらに引率する前に協力者の部屋に、返信が届いておりました」

ムスカリは土に汚れた衣服の胸元から、紫色に染め上げられた紙飛行機を取り出した。


グランドールはそれを見て、ふとある人物を思い出す。


やけにネェツアークを目の敵にして、最後には国から去っていってしまった人―――。


("悪い奴"じゃあ、なかったんだが)

グランドールのはそんな事を考えながら受けとり、広げると"承知"と定規で引かれた文字がこの国の言語で記されていた。


「やれやれ、筆跡が解らんようにする為か。念のいったことだ」

「私は日が昇る前に、儀式の詳細を書いた紙飛行機を飛ばしていました。

そしてルイ殿との朝食の一件があって、可能なら私のやってしまった事を中止するためにもう一枚、協力者に魔術師に連絡する為の道具を貰おうと、部屋に向かいました。

しかし、不在だったのでどうしたものかとしていたら、窓辺にその返信の手紙が届いたのです。

それで、もしこの国一番の賢者様が作った魔法の道具を使った紙飛行機を飛ばしても、連絡が間に合わないと思い、どうしたものかと考えておりました」


(早朝から姿が見えない人物だと?)

「"執事のロック"が、ムスカリ殿の協力者だというのか」


与えられた情報で思い当たる人物の名前を、信じられない気持ちでグランドールは口に出した。


信じられないが、それならばムスカリがアプリコットに話を聞かれたくないと言った、道理は合う。

アプリコットが産まれる前からビネガー家に仕える、心から信頼していた執事のロック。


その彼が代理ながらも漸く落ち着いた領主の座から、アプリコットを降ろそうとしていたと知ったのなら傷つく事がわかるから、ムスカリは彼女には聞こえない場所でグランドールへの相談を望んだ。

考える事を怠らなくなった"ロブロウの農家の代表"は、もう傍若無人には振る舞う事が出来なくなってしまっていた。


「確か、あの執事殿はロブロウという領地をビネガー家が平定を終える前らの忠臣だと話を聞いているぞ?。

どうして、阻むものを除いた後に―――」


"夢の中で、『頼む、    を、この子と、大切な人達の"悲しい心"をあの地から解き放ってやってくれ』て子供の名前と、大切な人達が誰だか解りませんが、助けて欲しいと言っていました"


ロブロウについた最初の晩。

晩餐会が終わった後に、アルスが馬車の中で見たという夢の話を、思い出す。


(夢の中の言葉は、ロックのものではないのだろうが、"領主の座"がそういう風に捉えていたのなら)


それが"権力や威光"ではなく、"かせ"にしか見えないのなら。


「そうか別にロックはアプリコット殿を、害しようというわけではないのだな」


"領主という"枷"から自由にして上げたい"



「忠臣であるが故に、初代領領主ピーン・ビネガーを望んだ直系の跡継ぎを阻む4人の親戚貴族を代理領主様が処断した後。

初代様の望みである、直系であるアプリコット様が継いだ。

そうしたなら、ロックは初代様が死ぬ間際にまで、気にしていないフリをしてはいたが、"アプリコット、ビネガー"という個人の幸せを願っていた事を思い出したそうで。

アプリコット様を領主の座から降りて、いえ、領主の座から"解放"してやりたいと。

その為に助力を自分から、私に言ってきました」


「やはり、そうか」


稀に"英雄"や"好漢"という枷に囚われそうになるグランドールには、何となくではあるが、解るような気がした。


(ワシが英雄であり好漢でいられるのは、"じつ"を理解してくれる仲間と友がいてくれるからに過ぎないからな)


「理由を話して、アプリコット殿自身から降りてもらい、再びお父上のバン殿に領主になってもらう。

そんな流れにはならなかったのか?」

ロックならまずそうするだろうと、考えて尋ねるとムスカリは頷いた。



「勿論、ロックは提案をしました。

しかし、アプリコット様は先代のバン様――"お父様がお疲れだろう"と。まだ暫くは、ご自分が領主をお勤めになるとロックに」



『領主を軽んじ更にはあだなそうとした事。

国の法では大罪でもある人拐いにも、荷担していた事。

貴族の恩沢で減罪したとしても、苦しまない形のと処刑にあたる毒杯。

それをあおって頂いたのは、父上自身の血の繋がった姉妹。

そして、毒を呷がせたのは"領主"という立場の自分の娘。

そんな事を仕事とする"領主"を直ぐに父上にお願いするのは、流石にね。

暫くは、そっと休ませてあげたい』


「そんな風に、ロックに仰っていたそうです」

「―――そうか」

先程までルイやネェツアークの前での振る舞からは、想像もつかないアプリコットの"健気"にも感じる言葉に、彼女がまだ"家族"を大切にしたい気持ちをもっているのが分かった。


「ただアプリコット様からそう言われても、ロックは4人の貴族を処断した1ヶ月位前からは、特に一刻も速く、領主の座から離れて欲しいように考えているようにも、私には感じました」

「4人の貴族の処断からか」


(やはりそこが、何かの鍵になってはいるらしいな)


「愚かな私は、アプリコット様を領主の座から外したがっているロックを利用しようとしていました。

彼がかつて、昔初代と共に平定の4英雄と並ぶ活躍をした程の術者だと知ってはいたので、それを利用してやろうと」

そこで舞台に広げていた掌を、ギュッと拳にして項垂れる。


「しかし、私はやはり利用しているつもりで、利用されていました」


「ムスカリ」

グランドールが低い声で、初めて名前を呼び捨てた。


「お前が"利用する""利用される"という言葉をそうとられているのなら、これからその言葉をお前が使う時には、ずっとそのような気持ちが付きまとう事になる」

グランドールが何を謂わんとするかが判らず、ムスカリは項垂れていた頭をあげた。


「利用は元々、"役に立つように、うまく使うこと"という意味だ。

利用の中に頻繁に"欲"が入るから、悪く意味をとられがちだがな」


「役に立つように」

いつも、"自分"が利用される立場だったというのなら、ムスカリという人は"役に立つ人"だったかどうかを考える。


「言葉は使う側の都合で、形や役割を変えてしまう。

丁度、儀式で使う文言と同じだ。

使っている側がそれを認識していればいいが、時に人は使っているはずの言葉に"呑まれる"。

今のお前は、"利用した・された"にという言葉に呑まれているようにしか見えんのでな。

しかも、本来の意味とは違う意味で。

それを踏まえてもう一度尋ねよう、ロックはお前を"利用"していたか?」

グランドールが諭すようにも語る言葉に、ムスカリはここ一ヶ月程"同じ目的"で共に過ごしていた老執事の行動を思い出す。


ムスカリがするような"止めてしまいたい"方法ではなく、搦め手で"アプリコットが領主をせずとも良い"と感じられる様に仕向けていた。


前領主バンにそれとなく仕事をもちかけ、ムスカリと連絡を取らせる事を増やし、話し合う回数を増やした。

バンの戦駒の相手になる事を増やして、領主の仕事の方に意識が向くように唆した。

アプリコットには前領主が得意とする仕事をさりげなく向け、父を頼り話し合う機会を増やして、父親に領主という仕事を返しても、もう大丈夫なのだと思えるように。

出来れば誰もが自発的に動き、傷つく事がないように。



『今回の農業研修、ムスカリ殿に接待を委ねましょう。

それが、ロブロウと"農家の代表"という人の役に立ちますから』


そんな言葉でアプリコットを説得して、そしてムスカリがこう言った状態になる事を見越したように、グランドールの接待と案内役を取り持った。


「ロックは、ロブロウとビネガー家の為に、本当の意味で私という人間を、そしてマクガフィン様をも"利用して"いました」

まるで最初から準備をされていた"道"を歩かされていたように。


「その言葉を聞くと、ロックともっと話してみたい気持ちになるな」

だが、今その執事は姿を消した。


そして、エリファスも。


(儀式が、終わった後、いったいどんな後始末をするつもりだ、ネェツアーク)


「マクガフィン様、実は」

グランドールの少しばかり険しい瞳を見て、丁度1日前に、同じように優しい表情ばかりしている老執事の、珍しく険しい顔を見たこと事を思い出したムスカリは、それについて語るべく口を開いた。


 

「実を言うと、炎の猪をアプリコット様とマクガフィン様のお連れ様に襲撃をさせる件については、ロックは乗り気ではありませんでした。

主に、恥ずかしい話ですが、私がロックに頼み、渡りをつけてくれていた、魔術師に無理強いをした形になります」

「渡りをつけたというが、確か、ロックはその前に心労で体調を崩していただろう?」


アプリコットが炎の猪と襲撃される前日に、アルスとリリィが伝達の不備で、地下の座敷牢に向かう途中、危うく命を落としかけた。


その事で心労を起こしたロックは、新領主邸の廊下で塞ぎ込んでいたのをグランドールが発見し、介抱をされて自室まで戻っていたはずである。


「はい、心労で床につきながらも、

『アプリコット様を領主の座から、比較的に穏便に降りて貰うチャンスでもある』

と、珍しくロックの方から私を呼び出して、話しておりました。

ただ、ロックに関して言わせて貰えいますと、本当に誰も傷つかずに、"領主として経験不足"をアプリコット様に感じてもらい、バン様に領主の座を自発的に戻すよう仕向けていた様です」


「ああ、それについては思い当たる所がある」

ルイが"暴走"した時の処罰に関しては、ロックは全てにおいて前領主であるバンビネガーに賛同して、アプリコットの穏便なやり方を、生温いとさえ評価するような態度だった。


グランドールも穏健派と思っていたばかりの執事の、冷徹な態度に多少驚いていたからよく覚えている。


どうやらそういった"思惑"があった事を、話を聞いて察した。


「あと、今更隠してもどうかと思いますので申します。

あの時、マクガフィン様のお連れ様への伝達の邪魔をしたのは、異国の魔術師でした。

最初、私が金を払えば危険な魔術を施してくれると聞いて、ロックの魔術の力を借り、こちらからコンタクトをとったのですが」

ロックの険しい顔を思い出す"ついで"のように、ムスカリはある事を思い出す。


"序での序で"の気持ちで、ムスカリはそれをグランドールに伝える事にした。



「ロックに渡りをつけて貰った魔術師に、アプリコット様と動向する女の子の姿や特徴を魔術師が聴いた途端に何故だか彼方側が、えらく乗り気になりました。

是が非でも"ウサギのぬいぐるみを抱えた少女"を襲う役目の術を自分にさせてくれと」

「"ウサギのぬいぐるみ"に、魔術師は反応したみたいだな」


 

「ああ、そうですね。今思えばお連れのお嬢様の特徴を話した時。

グランドール様の仰有る通り"ウサギのぬいぐるみ"の事を伝えた途端、姿を見せない魔法鏡でも、判るほどの過剰の反応を魔術師はしていました。

言葉の端々も憎々しげ雰囲気が」

ムスカリはグランドールの言葉を聴いて、当時の様子を確りと思い出した様子で何度も頷いていた。



(やれやれ、"鳶目兎耳えんもくとじ"に拘っていた事もあったから、諜報活動は得意で、ネェツアークの" ウサギのぬいぐるみ"の事情も把握しているかもしれんな)

どうやら、グランドールも知っている"昔の馴染み"も多少の関わっているらしい事を察して、深い溜め息をついた。


(ネェツアークもまだ"ガキ"だったからのう。

しかも、まだ無自覚で本人が一番気にしている事を、えぐって、その傷跡に塩を刷り込むような言葉を出す事もしておったし。

恨みを買われても仕方ないとしても、ワシ的にはあちら側も、粘着してアイツの"悪戯話"を尾鰭背鰭をつけて拡散させていたからなあ)


ただ、ネェツアークは誰にも自分の悪戯話を弁明はしなかったし、軍隊の仕事の為すべき事を不貞不貞しい笑顔を浮かべながらも、求められる以上の結果を残していた。


軍学校の責任者であったユンフォも、噂の当事者であったネェツアークも気にしていなかったので特に処置をしなかった。


確かに噂話は過熱気味な所はあったが、誰もネェツアークに直接危害を加えたり嫌がらせを出来るような"命知らず"は存在しない。


また当時から好漢の名高いグランドールが、至って普通にネェツアークと友人関係を続けてもいるので、停戦で落ち着いている状況が終わったのなら、それまでな様子ではあったのだが。



(確か、アルセンが一度ネェツアークを庇った事で偉い勢いで決着が着いた記憶が)


被害や本人に実害はなかったのだが、余りにネェツアークに対する誹謗が軍学校で激しくなった時期。

グランドールは又聞きなので詳しくしらないが、何やかんやいいながら、鳶色の先輩を慕っていた貴族の少年は、徒党を組んで噂話をする先輩の同期に綺麗な顔を冷ややかにさせて、意見をしてしまったらしい。


その後、暫く今度はアルセンがそれこそ根も葉もない噂をたてられた。


この事態には、飄々とする男も流石に思うところがあった様子で、


『正攻法で黙らせますか』


と"拾っていた面白い情報"を片手に非番の日に外出した。


丁度同じく時期を同じくして非番だったグランドールを

『酒場で一杯奢るから、休みの日の時、2日ばかり手伝え』

と割に合わない賃金で、ある事に巻き込んだ。


そして巻き込んだ"事"は"国を巻き込んだ事件"となり、ネェツアークとグランドールとで"他国の偉く大きな組織犯罪を粉砕"という形で解決してしまう。

事件を解決した事で、国に認めれれる功績を上げたネェツアークはその組織犯罪をいち速く見つけた事で"鳶目兎耳"。


グランドールは組織犯罪の中に潜み、指名手配もされていたが強者であった為中々捕縛出来なかった盗賊集団を悉く倒して"一騎当千"。


2人とも各々称号を国から賜った。

そしてネェツアークは"優秀な諜報活動を行う証"である、"鳶目兎耳"を賜った証拠として紅黒いコートと銀の勲章を身に付けて、軍学校に戻り、アルセンの根も葉もない噂を撒いた徒党の前に姿を現す。


鳶色の髪と瞳に紅黒いコート姿と銀の勲章に、たじろぐ集団を見て、ネェツアークは珍しく優しげな笑顔を浮かべた。



『国から認められた諜報活動をする人の言葉と、一度言われた皮肉を根に持って噂をばらまく人の言葉、どちらを信用する?』


そう言って、徒党の中心にいる人に向かって凶悪にも見える笑みを浮かべて、紅黒いコートを翻して、その場を去った。


それ以降はアルセンの噂はピタリと止まったし、ネェツアークが紅黒いコートを仕事以外で着るのを見る事はグランドールはなかった。

ただ、ネェツアークを目の仇にしていた男が家の事情で軍から姿を消したとだけ、グランドールは耳にしていた。


(こんな時と場所で話を聴く事になろうとはな。

ある意味、今回の策にアルセンが不参加で良かったかもしれん)


噂の内容は、グランドールにはアルセンは怒りはしていたが、頑として教えてくれなかったし、

『私が気にしていないんだから、マクガフィン中曹は噂を無視してください。お願いです』

と言われたので、結局噂の中身は"マクガフィン中曹"は知らないままであった。


(ネェツアークは昔の下らない因縁もあるから、不参加のアルセンには何も伝えないようにしたのかもしれん)

グランドールが昔の事を思い出して暫く黙しているのを、"何か考えているのだな"と気がつく位、気が回るようになったムスカリは、儀式の装束を纏った大男が再び口を開くのを大人しく待っていた。


「ああ、ムスカリ殿、済まなかった。

で、ウサギのぬいぐるみを持つ少女の話を聞いた魔術師はどのような事を言い出したんだ?」

再び敬称をつけてロブロウの農家の代表の名前を呼んで、詳細を訊ねる。



「はい、先程言った通り、最初は私がロックに無理強いして魔術師に頼んだ形だったのですが。

襲う相手の特徴を言った途端に、魔術の報酬をいくらか減らしても構わない。

是非とも"ウサギのぬいぐるみを抱えた少女"を襲撃させる役目の使い魔は、自分に任せてくれと」

「ある意味、期待を裏切らない返事だな」

グランドールは苦笑いを浮かべて、頷いて話をの先を促した。


「それから魔術師殿が、自慢気に隕石メーティオの魔術と炎の猪を使役すると申しまして。

話を聞いていたロックが、それを止めました」

「リリィ、小さな女の子と、心が幼い執事見習いの少年を巻き込む事にしても、大怪我をさせるかもしれないからか?」


グランドールの言葉に、躊躇いがちにムスカリが頭を上げた。


「私も、そう言った事だと考えていたのですが」

心労で寝台で横になりながらも、珍しく冷たく険しい顔をしながらロックが言っていた言葉を、ムスカリはグランドールに伝える。


『例え、炎の猪をけしかけたとしても、"あの方達"の前では無駄にしかなりますまい』


「ロックがそんな事を言ったと言うのか?」

「はい。でも、魔術師は、その、私の意志もあって結局送り込んで、来たわけですが」

ムスカリが声を小さくしながら言う言葉を、グランドールは殆ど聞き流すようにして耳にいれながらまた考え始めていた。


(ロックが、ネェツアークの事を見破っていたのか?。

確かにそれが分かっていたなら、例え凄まじい魔術を使っても、あの力量の者が2人いたなら殆ど無駄に近い。

いや、それよりも)


"ロックは《禁術》に携わっていた?"

禁術の不文律なら、グランドールも少しばかり知ってはいる。


ロブロウの領主が、平定の4英雄を助力したという賢者であったというのも、英雄になった際に極秘として聞かされてはいた。

ロックがその賢者の忠実で、優秀な術者という事も知った。


(どこだ?どこで、ロックという人物が禁術と関係するタイミングがあった?)

再びグランドールが固く口を結んで、今度は大きな手で口元を隠すように覆って考え込む。


そして思い当たるのは、よく似た顔の2人の女性―――エリファスとアプリコット。


("弔い"は禁術の"隠語"だったわけか)

そして親友である男が、血の契約者である女と2人でこなそうとしている"内容"の大まかな予想が、グランドールにはつける事が出来た。


(ネェツアークの"戯け者"が)


「解った、ムスカリ。儀式の件、ワシに任せて貰おう」

グランドールがはっきりとそう言うと、懇願を続けていた男はやっと舞台から頭を上げて、低くばかりしていた姿勢を上げ、立ち上がろうとする程だった。


「そ、それではアプリコット様と、あそこに居られるネェツアーク様と交代してくださるように、計らっていただけるのですか?!」

その言葉にグランドールは、太く逞しい首を横に振った。


「いや、交代はしない。正直、交代をする程でも事でもないんでな」

グランドールの顔を見て、またしても炎の猪をけしかけようと提案したのを、否定した時のロックの顔をムスカリは思い出す。


それほど、グランドールの顔は険しかった。


(今でも、ネェツアークを瑞々しく憎む人物には悪いが。

相手にはしていられない、いや、"相手にならない"か)


「それに、アプリコット殿は不動になるだけであって、戦えないわけではない。そしてな、ムスカリ」

「は、はい」


グランドールはアプリコットがいる、関所の入り口を見詰めながら口元だけの笑みを作って開いた。


「あの"人"は、強いぞ。男、女関係なく、人としてな。

もしかしたら、ワシに以上に。

お前がしている心配など、本当はいらない位に」


(だが、ムスカリが話しかけてくれてお陰で、"横槍"をぶちこむとっかかりを見つけたわい)


「マ、マクガフィン様以上に?」

ムスカリがアプリコットがいる方を見つめた時、今度は、未だにリコに何かを指導している緑のコートを纏った男をグランドールは見つめた。


「さあて、どうやって"乱入"してやろうかの。

全部1人で片付けようとする奴に、たまには此方が一泡ふかせてやりたいわい。

なあ、アルセン?」

今は儀式の白い手甲の下にある、金色の腕輪に向かってグランドールは親友に向かって語りかけるように言葉をかけた。


日に焼けた手で金色の腕輪に撫でた時、関所の方で狼煙が上がる。


「支度が整い、儀式がいつでめ始められる模様です」

ムスカリが煙を見定めて口を開いた。


「では、復習さらいと乱入をするタイミングを謀る時を頂こうか」


珍しく、グランドールが企みを練り始めていた。


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