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【断章】

共に"堕ちて"いただけますか、"天使さま"


「アッハッハッハッハッ――、何気に一番難しい約束をさらりとしてくれっちゃてるよ、うちの護衛騎士君は」

豪華な寝台にネェツアークは、仰向けにひっくりかえっている。


自分お手製の通信機から、予めリリィの荷物に入れておいた機械に記録させておいた会話を転送させ、それを聞いて楽しそうに笑っていた。

それから身軽く飛び起きて、紅黒いコートを脱ぎ、先程まで寝そべっていた寝台に放る。

窓辺にかけていた、親友が仕立ててくれた愛用の緑色のコートに丁寧に袖を通した。


「ネェツアーク、そのコートに着替えたなら、リリィさんに怪しまれませんか?。

確かにサイズは違いますが、造りやデザインが"ウサギの賢者"の物とよく似ているでしょうに」

"御祓"を終え、冷たく冴えた様子で鏡台の椅子に座するグランドールの髪を、アルセンが櫛で儀式様に結い上げながら尋ねる。


アルセンの言葉にグランドールはチラリと大地のような濃いブラウンの瞳を、緑色のコートを身に付けて、安堵の顔をしている鳶色の旧友に向けた。


「大丈夫だよ。"ネェツアーク"の姿では、もうリリィとはロブロウで会うことはないつもりだから」

あっさりとネェツアークがそう言うと、グランドールとアルセンは鏡の中で互いに驚いた顔で、視線を合わせていた。


「"浚渫"の儀式が終わったなら、もう強制的に禁術を解かれる事はないと言うことか?」

グランドールは冷たく冴えた日に焼けた身体に、塗香を手に取り塗り始めながら尋ねる。


「そのつもり、何だけどね」

ネェツアークは少しだけ下がった丸眼鏡を中指であげながら、ゆっくりと答えた。





―――蔵での"打ち合わせ"が終了して。

新領主邸のアルセンとグランドールが泊まる部屋に、ネェツアークはまた当たり前のように入り込んでいた。

グランドールは打合せを終了して、一旦蔵から解散となる前。

儀式に主だって参加する面々に、自分が"降臨"の鍛練を行う際に使う"塗香"を分けていた。

英雄3人とアプリコット以外は、初めてみる物らしくルイが直ぐ様に、質問をしていた。


「オッサン、これって結局何だ?。いつも、大事そうに持ち歩いているよな?」

「これは"塗香ずこう"と言って、いつも持ち歩いていた理由は、取り扱いが難しい"道具"だからだ。

あと、中々高価な品物でもあることは確かだな」

「へえ〜」

「ワチシは名前を知っていたけど、初めてみたにゃ〜」

「私も拝見するのは初めてです」

素直に率直な感想を述べるルイとライ。

そしてアルセンに器用に縫い上げて貰い、しっかりとサイズがあったガブリエルの青い衣装を纏ったリコもそれに同調した。


「"リコリス"、良かったら塗香で知っている事があったら、ルイとライに教えてやったらどうかな?」

グランドールが逞しい日に焼けた手に、塗香が入った袋を抱えてニッと頑丈そうな白い歯を見せて笑いながら、リコに説明を促す。


まるで"上司"から命令されるようなグランドールの口振りに、リコは驚くが、すぐに従ってルイとライに向かって説明を始める。


「"塗香"は持っているだけでも色んな制約や縛られますが、持つため――扱うに至るまでも大変です。

まず国に申請書を出したり、許可証を頂いたりと。

"劇薬"の部類に入るものですから、所有する人物の人柄も、申請用紙を役所に取りにきた時から密かに始まっています。

持つための内定が下るまででも、随分な手間暇がかかります。

まず30人申請して、通るのが1人とも。

やっと所持する許可得て、塗香を手にしたとしても保管するにあたっては、厳重扱い当たり前で、普通の人には手が及ばない安全な場所に安置するのが常套じょうとうです。

だから、グランドール様のように持ち歩いているというのが、私にはにわかに信じられません」


リコが"塗香"に関して丁寧に説明しつつも、その黒い革袋と、それを抱える儀式の装束を身に付けたグランドールを青い瞳で見比べていた。

そしてリコにつられるように、ルイとライも驚いた顔でグランドールを見つめた。

当の見つめられた当人はリコの説明に、大変満足がいった様子で大きく頷いていた。


「見事だ、リコリス、じゃなくて、リコさん。

何か場が改まった感じだから、変な口の聞き方になってすまんのう」

「にゃ〜、でもそんな危ないのリコにゃんが言う通り、持ち歩いていいのかにゃ〜?。

そんなに取り扱い注意なら、きっと希少価値で欲しがるお馬鹿さんもいるにゃ〜。

そして盗んだ塗香を売り払って、馬で走り出すにゃ〜」

ライが口角をニュっと上に上げて、少しふざけた様子でグランドールに言うと、日に焼けた男は苦笑いを浮かべた。


「どうして馬で走り出すか分からないが、まあまずワシからこの革袋を盗んだとしても開ける事が出来んな」

「魔術をかけていると言う事ですか?」

リコが尋ねると、グランドールにしては珍しく――冷たく微笑んだ。


「いや、ワシの場合は"呪い"、呪術だな。

この革袋を開けようとしたならば、この国最高峰の賢者が施した性悪な呪いが、塗香を盗もうとした者にかかる」


「に"ゃ?!」

グランドールから"呪い"と言う言葉を聞いた途端、ササッとリコの後ろにライは隠れてしまった。


「呪いは嫌だにゃっ!!」

「前に大叔母様が大好物のチーズケーキを食べたイタズラのお仕置きの"呪い"で、ライちゃん大変な目にあったものね」

今度はリコが苦笑いしながら、自分の後ろに隠れるライの黒髪を優しく撫でてやった。


ルイもライの"呪い"への恐れっぷりに、充分に肝が冷えた様子で、グランドールの抱える黒い革袋に注ぐ視線は用心深い物となっていた。


《グランドール。注意義務は果たしたと思いますから、次の説明にいったらいかがですか?》

軽く怯えるライに、殊勝な様子になったルイを見てアルセンが苦笑混じりのテレパシーを親友に送ってきた。


《そうするかの。リコは注意せずとも、慎重に期した行動をとってくれるだろうしな》

グランドールがアルセンにそう返すした後、紅黒いコートを纏ったネェツアークが、刹那に鋭い視線でガブリエルの衣装を纏ったリコを見つめていた。

グランドールが信頼している相手の"盲点"を教えるべきか否か、一瞬だけ迷って今回は黙っておく事にする。


(今回の儀式で、直接"盲点"がどうこうって訳ではないしね)

ネェツアークがそんな風に考えを纏めた時、旧友から漸く"塗香"の使い方の説明が始まった。


「では充分に塗香の扱いの恐ろしさというか、ワシ流にいえば厄介さが分かって貰ったと考えた上で説明を始める。

まず使い方としては、まあ単純なもんで"御祓"を終えてから、身体に塗る。

塗香は、究極的に穢れを祓う効果はあるんだが、中途半端に御祓をした身体に塗ると、後々厄介なことになるからの、これにも気をつけて欲しい」

「にゃ〜、オッチャン!厄介なことって何にゃ〜?」

ライがリコの背中から顔を出して尋ねると、グランドールは逞しい顎に手を当てて少し考えて、直ぐ隣に立つアルセンを見た。


「どうして私を見るんですか?」

「いや、こういった例えの言葉はアルセンが上手いじゃろ?」

"当たり前"といった雰囲気でグランドールが言う。


《ネェツアークに例え話を任せたら、話を盛りに盛りまくって、リコもルイも塗香を塗る事を了承するにしても"嫌々"になるかもしれないからな》

《―――確かに》

《いやだなぁ、そんなに期待されたら♪》


実際に諜報活動が得意なネェツアークが、グランドールとアルセンだけが結んでいるテレパシーの"回線"に割り込んで、そんな事を言ってのける。


《期待しとらん》

《期待してません》


涼しい顔で立っている"領主の友人"として立つ親友を、少しだけ睨んでから小さく溜め息をついて、"例え話"をするために形の良い薄い唇をアルセンは開いた。


「もし、身体と心を御祓の際に確り整えたつもりでも、万全でなかった場合。

塗香を使用した後に、副作用みたいな物として、激しめの全身筋肉痛が、3日間ばかり続くような感じになります。

そして、更に塗香の注意しなければならない事は身体だけではなく、心というよりは、"思考"の方にも影響が出ることです。

早い話が、普通の活動が難しくなるのは当たり前。

もしこれが全く身体を御祓や浄めの為の儀式をせずに塗香を使ったのなら。

人の身体と心に"ひずみ"が出来て、歪みから好奇心旺盛な精霊が入り込み、自分の意思とは関係無く罪を犯してしまう可能性もあります」


「確か、"実際にあった"から厳重な扱いなんですよね?。

先程仰られた通り、御祓をしていない身体に塗香を塗ってしまった為に、人の心と身体に歪みが出来てしまい、そこに精霊が入り込む。

そして精霊のお陰で魔力だけが以上に増幅しているのに、制御が利かない為に大きな事件になってしまったと。

資料室で見た記憶があります」

アルセンの例え話に、リコが塗香に対して畏れ入るような視線を、褐色の大男が抱える黒い革袋に向けた。


「ええ、リコさんの仰る通りです。

浄めずに塗香を使った為、起きた悲しい事件も過去に数度ありました。

だから御祓の際には抜かりのないよう、お願いします」

「オレ的には、あったとしても2時間ぐらいで終わる筋肉痛が、3日も続くのが信じられないし耐えられないっす」


数日前の早朝、旧領主邸に向かう際に、準備運動を軽くしていたのにも関わらず、"偏屈な"道を通った時に日頃使わない筋肉を使ってしまい、筋肉痛をしていたルイがげんなりとした声をだし、更に肩を下げた。

アプリコットがそんな風にぼやくルイに近づき、背中をパンっと軽く叩いた。


「そうならないように、御祓の効果が上がりやすい、山から汲んできた湧水を支度して、部屋に運ばせているから使って頂戴。

ただし、偉く冷たくなっているから覚悟しておいて」


「にゃ〜、リコにゃん冷たいの大丈夫にゃ〜?」

少しばかり脅かすようなアプリコットの発言に、冷たい及び寒いのが大変に苦手なライが、心配そうにリコの背中から尋ねた。

ライの心配してくれる気持ちが嬉しいリコは、振り返り優しく微笑む。


「大丈夫よ。治癒術師の試験の時も、氷が張っているような冷水を浴びて御祓の訓練もしたから」

リコが至って普通に言う内容に、ライとルイが"ヒヤッ"としたらしく、表情も固めている。


「治癒術師って、そんな過酷な訓練があるのかよ!」

やはり、想像しただけでも寒かったらしいルイが思わず自分の身体を抱きしめるようにして、腕を擦り、そういった方面に詳しそうなアルセンを見た。

それが分かったアルセンはルイにも解りやすいように、説明を始める。


「治癒術はのベースは"水"の優しさと慈愛に満ちた精霊のウンデューネですからね。

例えとしては、本当は少しばかりニュアンスが違うんですが、ウンデューネを神格化させて、ガブリエルとなります。

ただ、ガブリエルとなったなら水も司るだけではなく、優しさや慈愛の他にも大事な事がありますが」

「へえ〜、何か象徴する名前が違うと、色々と何か違ってくるんすね」

素直すぎる生徒があげる驚きの声と感想に、アルセンが微笑んだ。


それから話を聞いた上で思い付いたように、アルセンにまたルイは尋ねる。


「思えばさ、アルセン様は治癒術師の資格って奴ですか?っていうのは、やっぱりもってるんすか?」

ルイの声からは、"持っていて当たり前だろうな"と言う気持ちが滲み出ているが、アルセンはゆっくりと金髪の頭を横に振る。


「いえ、私は治癒術の免状は持っていません」

「え、で、でも、水の大天使の"ガブリエル"ての降臨をうちの農場の訓練室でしてたっすよね?。

それって、多分ウンデューネより、大天使の方が難しい事なんじゃないんすか?」

「水の大天使ガブリエルの降臨が出来たとしても、私は慈愛に満ちた優しいウンデューネから"受けいられる"には値しないんですよ、ルイ君。

はっきり言えるのは、アルセン・パドリックは治癒術師の免状を持つ程、優しくはないという事です」


「へ?え?」

ルイが軽く混乱したような声を出して、綺麗に微笑むアルセンの顔を見る。


そしてその師の親友がしている"綺麗な笑顔"を見て、ルイは気がついた。


(ああ、そうかアルセン様は綺麗だけど―――)


「私は全ての方に"優しい"と言うわけではありませんから」

少しだけ、複雑さを含んだ笑顔でアルセンは自分の事を"優しい"と信じ込んでいたルイをまた見つめていた。


「そんな、アルセン様はとても優しい方で」

リコはアルセンが"優しくない"というのが信じられなくて、言葉をかけようてするのをライから止められた。


「にゃ〜、リコにゃん。リコにゃんが悪い人達に向ける気持ちが、アルセン様はもっと強いみたいな感じにゃ〜。

ただアルセン様は、気持ちも強いし力も大き過ぎて攻撃的だからにゃ〜。

とっても優しいウンデューネは、ちょっと敬遠してまってるにゃ〜」

「そうですねぇ。確かに、私は不届き千万な方には容赦が出来ない性分ですからね」

ライの言葉に、アルセンがニコリと微笑んで乗った。


「悪いことに厳しい事は、良い事にゃ〜」

更に笑顔でリコにはそうライは"誤魔化す"。


アルセンの中にある"苛烈さ"を、ライは大好きな親友にはまだ告げたくはなかった。

昨夜。雨が降りしきる旧領主邸の中庭で、最愛の魔術師から貰った武器がなければライは"アルセンの攻撃"で命を奪われていたはずだから。


あの美しい英雄の犠牲にも近い優しさは、あくまでも"大切に思える友"だけのもの。



『ワシが使った力、"アルセン・パドリック"という人が、心胆に友と決めた以外の人を斬り捨てられる、"英雄"だとな』



ベルゼブルに別れ際に言われた言葉も、ライには身に染みていた。

知り合って、たかだか数日になるリコや自分に、"アルセンの優しさ"を求めるのがおかしいのは、イタズラ好きなライでもわかる。


(まあ、いずれリコにゃんを腹黒貴族の"大切な人"にワチシが加えてみせるにゃ〜)


それがきっと"リコリス・ラベル"にとって幸せな人生に繋がるはずだから。


『――あんな、まっすぐな瞳をした天使みたいな青年が、リコリスの伴侶にはちょうどいいかもしれないねぇ』

小さな黒い子猫を膝に乗せた大好きな"おばあちゃん"が、お祭りの中で来賓席に座りながら、少しだけふざけた調子で言ったのを、ライはしっかりと覚えていた。


「塗香の扱い方の話は纏まったかな?。それでは一旦解散して、支度が整ったなら、領主邸前に集合という事でどうでしょうか?」

ネェツアークが打ち合わせの場を閉めるように口を開くと、一同はゆっくりと頷いた。


「それでは、護衛に待機していらっしゃるディンファレ様に連絡しますね。あれっ?」

先程のライの思惑など露程も知らずのリコは、連絡をしようと通信機を取り出した瞬間に、上げていた袖口が少しハラリと伸びた。そして、青く細い糸が蔵の床に落ちる。


「おや、すみません。止める部分が弱かったみたいですね」

アルセンがリコの側により、袖をあげる位置を整えて、胸元から携帯の裁縫ケースを取り出した。


「サッと済ませますから。リコさん、どうぞディンファレさんと連絡をなさってください」

素早いものでアルセンが方膝をついて、リコが纏っている青い衣に針を通し始めている。


「あっ、はい。ありがとうございます、アルセンさま」

リコがアルセンに礼を言いながら少しだけ、赤くなる――それをライが背後ろからニコニコしながら見つめていた。


「ディンファレ様、打ち合わせは終了しました、え?アルス君が?」

アルセンの針を扱う手が、一瞬止まった―――。






「グランドール、アルスは、大丈夫でしょうか?」

グランドールの髪を結い上げて、今度は彼のまだ冷たい逞しい背中に塗香を塗りながら、アルセンが心配そうに尋ねた。


「リコリスが大丈夫と言えば、大丈夫だとは思うがの。

ワシも出来る範囲で留意しておくし、ネェツアークもいるから大丈夫だろう」

グランドールは多少苦笑しながら、アルセンの質問に答えて腕組みをした。


「そうですね。今の私では、アルスのフォローをしてあげる事も出来ませんし」

他では絶対しないような、気弱で見ようによっては可憐にも見える溜め息をアルセンが吐くと、グランドールは少し整えた髭がある顎に、武骨な手を当てる。


(やれやれ、また大層落ち込んでおるの。我等が"天使殿"は)


一方のネェツアークは

「あっ、私も御祓するんだった」

と、漸く再び身につける事が出来た愛用のコートを渋々脱ぎ、大切そう抱えて浴室の方へと行ってしまった。


(アルセンは一人っ子で、弟に憧れていたからのう。

アルスもアルスで、本当に丁度良い感じでアルセンの事を兄のように慕っているから、中途半端に言葉をかけられんわい)

グランドールが答えに迷っている内に、アルセンが申し訳なさそうにまた口を開いた。


「戦力外の私が、何も言えないのは解っているつもりです。

どうしても、グランドールの前では弱音や甘えを吐いてしまいますね。ごめんなさい」

アルセンはそう言って、仕上げとなる塗香をグランドールの逞しい背中に、白い掌で塗りこむ。


そしてアルセンが鏡越し見る親友も、日に焼けた顔に、申し訳なさそうな表情を浮かべていた。


「アルセン。まあ、察してはいるんだろうが、恐らく今回は"儀式"だけでは終わらない。

多分、"人"が何かと向き合わねばならない事が、ここでも"ロブロウ"で起きるとワシは思う」

グランドールは振り返り、座っている為に、珍しく自分より高い位置にあるアルセンの顔を見上げた。


今回の策に参加出来ない歯痒さを、親友の前では素直に顔に出して、アルセンはスッと鏡台の前に出る。

そして手に付いた塗香を、鏡台に置いてある盥にいれておいた湧水で、丁寧に洗い流す。


「はい。儀式だけなら、ネェツアークなら、あの紅黒いコートの姿のままでも、事足りるはずですから。

あの緑のコートはあくまで戦う時の為の、英雄の為に仕立てられた"衣装"です。

そして、グランドールも私も一応は英雄の衣装を持ってきているのに、ネェツアークはそれを"使わせる気"がありません」

塗香を湧水で灌ぎ、盥の側に置いてある手拭いで、白い手を丁寧に拭った。


「あの人は、勝手に独りで何かを背負いこむつもりなんでしょうか?」

ネェツアーク本人の前では出さない優しさと心配を含んだ声で、アルセンがまた尋ねると、これにはグランドールがはっきりと首を横に振る。


「いや、ネェツアークは今回の事は"独り"ではするつもりはないと、ワシは思う。

恐らくこの土地の領主殿と共に、何らかの決着をつけるつもりだろう。

"個"は違うがあの2人、境遇というか因果に似ているもの感じ受けたからな」

ネェツアークの"因果"をそれなりに知っているアルセンが少しだけ、緑色の瞳を見開いて驚いた。


「ここの領主殿も、誰か大切な人を?」

「恐らくな。そして―――」

グランドールが顔を険しくして、先程の領主の部屋での出来事を思い出す。


―――この同じ顔を持つ存在の"弔い"




ムスカリに対して、威圧的に言っていた言葉の意味をアプリコットに訊く事が出来なかった。


(はっきりとした弔いの"意味"を訊く機会を損ねてしまったのう―――)

そして何より、アプリコットの"素顔"とエリファスの顔がよく似ている事を、アルセンに伝えるべきか否かをグランドールは迷った。



『人間、共に過ごした時間の長い、気の合う人を優先するのが、当たり前じゃないですか』


あの時、テレパシーで伝えられたアプリコットの感情は"真実"だったとグランドールだと思う。


だが、真実だから―――。

(やはり、儀式が終わったならあの領主とネェツアークは2人で片をつけるつもりか)


今回の戦う相手が"彼女"なら――――。



「アルセーン、私の背中にも塗香を塗って〜」

グランドールが大いに悩んでいる時に浴室がある方の部屋の扉が開く。

そこからその扉を開いたネェツアークが濡れた頭にタオルを被り、脱力感満載な声を出して部屋に戻ってきていた。

グランドールの逞しい肩が思い切り落ちるのを見て、悪友が親友の考え事の邪魔をした事が分かるアルセンは、戻ってきた鳶色の親友に遠慮なく素っ気ない態度を取る事を決める。


御生憎様おあいにくさまです。

今グランドールのを塗り終えて、手を洗ったばかりなので、御免被こうむります」

アルセンはとても綺麗な笑顔を浮かべながら、上半身裸の鳶色の親友の頼みをあっさり断った。

しかし、鳶色の男にはアルセンの答えは想定内だったようで、相変わらずの不貞不貞しい笑顔を浮かべている。

軽い足取りで、鏡台の側にある寝台に腰かけた。


「じゃあ、アルセン。もしもグランドールが

『アルセン、済まんがもう一度塗って欲しいだがのぅ』

と頼んだら?」


グランドールの口調を真似ながら、ネェツアークが尋ねると真似された当人は肩を落としたまま苦笑いを浮かべ、どう答えるかとアルセン見る。


当のアルセンは、また綺麗な笑顔を浮かべて、

「グランドールになら、喜んで頼まれる限り、塗ってさしあげますが?それが何か?」

サラリと返答すると、初めてネェツアークは渋い顔をして恐らく"中立"の立場の人間であるグランドールに声をかけた。


「グランドール、うちの"天使ちゃん"はどうしてこんなに腹黒くなってしまったんだろうな?」

極めて真面目な態度でもってネェツアークが尋ねると、日に焼けた親友は鏡台の椅子から笑いながら立ち上がった。


「さあ、こればっかりはアルセンの天性の素質か、不貞不貞しい先輩の影響か。どっちともかもしれんな。

まあワシとしてはアルセン、背中に塗って貰って助かった。礼を言おう」

「いいえ、どういたしまして」

グランドールの返答に、本当の笑顔でアルセンが答えた。


「あれー、私は置いてきぼりー?さーびーしーいー」

ネェツアークが明らかにふざけている調子で、眼鏡をかけた顔に両手を当てて、わざとらし過ぎる泣き真似を始める。


「やってて、恥ずかしくならんか?」

グランドールが多少呆れた調子で言って、アルセンは本当の意味で苦笑いを浮かべていた。


「ウサギの時は、結構ウケはいいんだよ。コレ」

すぐに両手を離して、キリッと顔を上げてネェツアークは熱く語った。


「"ウサギの賢者の泣き真似"に翻弄されるアルスとリリィに同情するわい」

「いやぁ〜、最近はリリィは厳しくなってきたから、ターゲットは専らアルス君だね」

顎に手を当てて、純粋な新人兵士をからかっている話をネェツアークがすると、その新人兵士を弟のように可愛がっている親友の"怒気"をグランドールは背後に感じる。


「やれやれ、ネェツアークが構わないなら、別にワシが塗ってもいいぞ?。どうせワシも塗った後だからな。

今更塗香が付いたとしても、灌がなくてもいい」

アルセンとネェツアークが一悶着ひともんちゃくを起こす前に、グランドールが声を寝台に腰掛ける親友にかける。


しかし返事をする前に、アルセンがスッと寝台に腰掛けるネェツアークの前に出た。


「グランドールがネェツアークにそんな労力を割くぐらいなら、私が塗ってさしあげます。

ただ少々爪が伸びているんで、もし塗香を塗り込む最中に背中に爪を立てて傷をつけたらすみませんね。

見る人がみたら、とても素敵な誤解を産みそうな引っ掻き傷を背中につけていいなら、グランドールも席を空けた事ですし。

さっ、ネェツアーク。どうぞ、座ってください」

珍しく白い手袋を外した素手で、アルセンはグランドールが空けた席を促した。


「え〜と。グランドールに塗ってもらおうかな」

綺麗なグリーンの瞳から放たれる鋭い視線を、ネェツアークは横目になって避ける。



「そんな、不貞不貞しくて厚かましいネェツアークが、遠慮なんてなさらないでください」

アルセンが、ガシリとネェツアークの右肩を掴む。


「その不貞不貞しくて、厚かましい人が遠慮しているんだから引いてくれないか?。

って言うか、既に右肩に爪が鋭く食い込んでいるよ、痛いよ、アルセン!」


「じゃあ、さっさと鏡台の前の椅子にお座りなさい。――ところで、貴方のとても大事な"仕立屋さん"から、平手打ちを食らうのと、疑われて泣かれるのどちらがいいですか?。

それとも胡桃を粉砕する指先で、ほっぺた捻りあげられるのもいいですね」


「3つとも嫌だ!グランドール、何とか言ってよ!。

この天使さん、頭にきたら、グランドールの言うことしか聞かないんだから!」


「ネェツアーク、アルセン。ワシは一服してくるから、"上手に喧嘩"をしておけ」

"アルセンがアルスを大事にしているのを知っていながら、からかいが過ぎる事は、反省するべきだ"


そう考えたグランドールは、ルイからの受け売りの言葉を口にして、テーブルに置いてあった煙草を手に取って、換気の設えがある浴室の方へと向かう。


「グランドール、装束は1人で着ますか?」

ネェツアークの右肩に爪を食い込ませたまま、アルセンが尋ねる。


「とりあえず1人で着てから、アルセンが仕上げを見てくれ」

既に口に煙草を啣えながら、グランドールが器用に喋るとアルセンが綺麗に微笑んだ。


「わかりました、どうぞゆっくり喫煙なさってきてください。グランドール」

「普通に微笑ましく会話しているけど、痛いよ、食い込んでるよ、痕が残ったら疑われちゃうよ!」


ネェツアークとアルセンが"上手に喧嘩"している声を聞きながら、浴室に繋がる扉を開いて出ていく。

グランドールは小さな火の蜥蜴を呼び出して、煙草を吸って火をともした。

そして、浴室にある備え付けの灰皿を見てみれば数本の吸い殻があった。


「減るのが早いと思ったら、やっぱりネェツアークか」

肺に煙を満たして、大きく吐き出した。


「アルセンに領主殿の"素顔"に関しては、知らせないつもりってことか」

煙に反応して、風の精霊が再び換気を始めていた。


先程、グランドールがアプリコットとエリファスの素顔についてアルセンに話そうかどうか迷った時。

恐らくあの鳶色の賢者はタイミングを見計らって、この浴室から出てきたのは間違いないようだった。


そして、グランドールにはアプリコットの素顔を知らせても、アルセンには知らせるつもりがない考えを、浴室にある"吸い殻"で知らせている。

換気の機能が優れているこの部屋で、吸い殻を始末されていたのなら、グランドールはネェツアークが扉をあけるタイミングを見計らっていたなどと、思いもしなかっただろう。


グランドールが"領主の素顔"についてのある事実を(伝えるべきか迷ってはいたが)アルセンに伝える"チャンス"だった時に、扉を開け、ネェツアークはそれを阻止をしていた。


御祓は早々に済んだのにも関わらず、

"伏せておきたい会話に割り込むタイミング"

を煙草を吸いながら見計らい、待っていた証拠の1つとして、吸殻を見てもおかしくはない。


煙草の吸殻さえなかったならグランドールは精々、

"煙草をネェツアークにちょろまかされている"

ぐらいのにしか考えなかった事だろう。


敢えてネェツアークが解るように"煙草の吸い殻"をこの浴室の脱衣場に残したままなのは、

"話を邪魔するタイミングを見計らっている程、アルセンには聞かせたくない話"

という事を、長年の付き合いのあるグランドールにだけ伝わるようにしていた。


「回りくどいが、言葉に残したらやっかいな事ではあるからな」

3人でいる時にもしも"仮面の領主"の話題になったのなら、会話のニュアンスで、アルセンは恐らく"何か"に気がつくし、余計な心配を始める事はグランドールにも予測が出来た。


(多分、あの仮面の領主殿が"弔う"のはエリファス、なんだな)


"弔う"はこの世界にいない、"死んだ人"に対して使う言葉。


そしてグランドールは初めてエリファスと出逢った時の事を、また思い出す。

どうしてだか、初めて出逢った時から、この世界にはいないはず、死んだはずの妹をエリファスに重ねて見ていた。


姿は、似ても似つかない。

似ているのは、明るくて、ズケズケいう性格。

気が強くて、優しい人を放っておけない所。


妹の癖に、姉御肌。


―――何より、本当は"ここには居ないハズの存在"、という"在り方"が似ていた。


(ワシは、初めから気がついていたんだな。

気がついていたが、認めて受け入れたくはなかった)


本当なら、居ないハズ。


けれども、"居てはいけない存在"でもないのだから。

生きてる人の身勝手な都合で"消された"存在だったから。

深く、煙草を吸って煙を吐く。

今まで認めようとはしなかった"感覚"を、グランドールは仮面の領主と同じように漸く"受け入れた"。


その時、グランドールの素肌に戻したハズの火の精霊が、また小さな火の蜥蜴となってチョロチョロと這いずり回っていた。

いつもなら、はっきりと視界に捉える事が出来ないグランドールでも、御祓と塗香のお陰か、浄められた身体に火の蜥蜴が楽しそうに這うのが解る。


そして、いくら火の蜥蜴が楽しそうであってもそれは様々な手間や、本来なら取扱いに注意しなければいけない物を使った上で、成り立ち、現れた姿だった。


(いくら害がないとしても、魔法があるようなこの世界でも、そういった事が増えようものなら"秩序"が保てなくなるか)

皮肉るようにグランドールは考えて、一本目の煙草を灰皿に押し付けてた。


2本目の煙草を取り出して、その火の蜥蜴を使って点す。

そして、火の蜥蜴をグランドールの力で"元の場所"に、呼び出して具現化する前にまで"戻して"やる。


("人"に呼び出されるように仕向けられたのに、秩序が乱れそうなら、"戻される"か)

けれど、案外そう言った事は普段の生活でもありふれた事でもあるとグランドールも解っている。


ただやっかいなのは、"戻す"――"弔う"モノにも心がある事。

そして"心"を通わせる相手も過去もあった事。


(ワシが、"受け入れた"と知ったのなら、アルセンは"弔い"に反対することは絶対しないのだろうが)


アルセンがエリファスを弔う事を知ったのなら、きっと涙を流さずに"く"。


少しだけ吸った煙草の先だけ潰して、火を消す。

御祓をする前に、脱いで浴室にかけておいた儀式の装束にグランドールは手を伸ばした。


そして自分の装束の横には、ネェツアーク愛用の深い緑色のコートとシャツがかけられている。


(ネェツアークがエリファスを無理をしてでも、"残そう"という選択をしないのは、今の世界は"エリファスは居ないハズ"で形成された世界だから)

グランドールは自分で思う以上に、あっさりとエリファスを元に戻す、"弔う"事を受け入れている事に気がついた。


「ああ、そうかワシは」

目の前で散った自分の妹の命を見た。

そして憎しみで心を満たして、グランドールは強くなった。

そんな中でも、"親友達"に出逢えて心を憎しみで強くする必要もなくなって。


ある意味、エリファスに出逢うまでに、グランドールは"妹を喪った"という心の整理が1度は出来てしまっていた。

エリファスの事を大事な"妹"とは、今でもグランドールには思える。

出逢えた時は嬉しかったし、逢えて良かったとも信じている。

しかし、彼女が理由はわからないけれども、親友達や、親友達の大事な人達を脅かす事になるというなら。


(ワシは"今"いる仲間を取る)

ネェツアークが"弔う"事に関して、グランドールを参加させるつもりがないのは解ってはいるが、もしもの場合、"エリファス"と戦う覚悟を心の片隅に準備し造って置く。


(アルセンには何も知らせないまま、ネェツアークは片をつけるつもりなんだな)

そうする事で、アルセンは親友のエリファスがこの世界の何処かで"生きている"とは思えるから。


アルセンにとって、エリファスは未だに大事な親友であるし、"幸せであって欲しい"存在だと、ネェツアークにも解ってはいる。

だったら、その気持ちをいつまでも、もったままで。

長い人生の間の、青春の時期に出逢えたこその"一期一会の親友"だったと、そんな風に思えるように。


(何やかんやで、ネェツアークも十分アルセンには甘いような気がするがのう)

苦笑いしながら儀式の装束の襟を正して、帯を最後に袴の帯を締めようとして―――。


グランドールは、装束を纏う手を止める。


(折角、心の片隅に覚悟をしたんだから、万が一の為に仕込んでおくかのぅ)

少しばかり"ある事"をして、きっちりとグランドールが装束着込んだ時。

ネェツアークが、脱衣所にノックもせずに入ってきた。


そしてその顔は限りなく、暗雲に立ち込めている。

大方の予想はついていたので、グランドールがネェツアークの背中を見ると見事な"疑惑を産み、嵐を呼ぶ"ような爪痕が作成されていた。


「これは上手い具合にアルセンは傷をつけたのう」

半ば感心するように、鳶色の男の背をよく観察する。

グランドール程ではないが、ネェツアークの逞しい背中の両方の肩甲骨の所に、五本の縦線の傷跡が如何にも疑いを誘うようにアルセンによって刻まれている。



「―――キングスに、何て言い訳すれば。

泣かれるか、ひっぱたかれるか、またお預けをいただくか、……どれも嫌だな。

何としてでも、誤魔化さないと」

思わず親友の名前を出しながら、ネェツアークは当たり前のようにグランドールの灰皿の横に置いてあった煙草を1本取って、口にくわえる。


そして残った"吸殻"を確認してから、少しだけ視線を鋭くしてグランドールを見る。

儀式の装束を身に纏う、日に焼けた親友は小さく頷いたの見ると、口角を上げて指を"パチンっ"と弾く。

弾く音と共に、灰皿の中に小さな炎の渦が現れて、吸殻を燃やし全て塵になった。


("御協力"、ありがとうグランドール)

アイコンタクトでネェツアークはそう伝えて、もう一度指を弾くと、煙草に火を点した。


「やれやれ、長い奴は後でまた吸うつもりだったんだがな」

全て灰になってしまった煙草を眺めながら、ネェツアークの横に立ってグランドールも新しい煙草を手に取った。

最後の1本だった。


「グランドールも減煙したら〜。というか、背中の奴、本当になんて言い訳しようかな」

くわえ煙草のまま、腕を組んで鳶色の頭をガシガシと掻く。


「ワシに減煙進めるなら、お前が完璧に禁煙してみせろ。

別に背中の傷は、儀式が終わって"ウサギ"の姿に戻れるなら、それで会えばよかろう?」

ネェツアークの口から煙草を取って、火を自分の煙草につけてから、今度は器用自慢の指に返した。


「いや、人の姿の時のコートもシャツも破けてるし。コートは何とかなっても、多分シャツは採寸から一から手作りだろうしなぁ。

直接触って貰えるのは嬉しいんだけどね、でも、腹黒天使に"いたずら"されちゃったから」

「そこは"自業自得"にしておけ」


ネェツアークは煙草を口に啣え、かけてあるコートとシャツを手に取る。

そこから、コートを外して見れば血のシミが残ったシャツがあった。

破けた場所は修繕しているが、血のシミはどうやら抜けきれなかった。

グランドールはそれを見ると、シャツの作り直しは逃れられず、ネェツアークは王都で待つ仕立屋の"親友"に背中を晒す事は免れる事は出来ないと悟り、思いきり気の毒そうな顔をしてやった。


「―――骨は拾ってやる」


苦笑いしながらグランドールは煙を吐いて、啣え煙草で血のシミが付いたシャツを身につける悪友に、せめてもの慰めの言葉をかけてやる。


「憎らしいネェツアークに"憂さ晴らし"して、少しぐらいはアルセンも気持ちが晴れたかな」

浴室の扉を見つめながらグランドールは呟いた。


「今回必要な"道具"を運んで貰っておいて、大事な場面で置いてきぼり"独り"にさせてしまうからね。

魔術が使えない時の"憂さ晴らし"ぐらいには、付き合うよ」

ネェツアークから"弔い"に関して何か言葉があると思ったが、結局互いにそれ以上の言葉はなく、煙草を吸い終えた。


互いに同じタイミングで塵が多くなった灰皿の淵に、煙草を押し付ける。


「さて、そろそろ腹を据えていきますか」

ネェツアークが右手を拳に、左手を掌にしてバシンと音を響かせ打ち付ける。


「"儀式"なのに、まるで喧嘩をしにいくような感じだな」

ネェツアークの昔から変わらない"決闘前"の仕草にグランドールが、突っ込んだ。


「本当は儀式を"1人"で行うとなっていたら、喧嘩をするにしても、孤軍奮闘もいいところ。

正直に言って、遺書ぐらいは用意しておいた方が良かったような感じだったからね。

今回は、農業研修に謝罪の使者。

丁度良い具合に儀式については役割をこなせる面子が揃っているから、有難い事だよ。

"儀式"はつつが無くに終える事が出来るだろうさ」

「その恙無くに終えるだろう、"儀式の後"はどうするつもりだ」


儀式にも、充分な気合いを持って臨むつもりはある。

しかし、"弔い"を知ったグランドールにしてみれば、どちらかと言えば"儀式後"の方が、どうしても気になっていた。


「領主のアプリコット殿と、私と二人で"後始末"だね。

あ、確かロブロウの農家代表のムスカリさんだっけ?。

確か朝食の時に"膿抜き"をして、えらく殊勝になったらしいじゃないの。

グランドールはその人とさ、速やかに参加者の皆さんを儀式の場から引き上げて欲しい。

ちょ――っと"派手"な後始末をするからさ、引き上げたのなら、あの関所の大きな門を閉めといて。

そしたら、新領主邸で私とアプリコット殿が帰ってくるの待っててよ」


「もしも、"帰って来ない"時は?」

儀式用に結われた髪の形を崩さないように、頭を撫でてグランドールが尋ねた。


「そうだな。アルス君は、アルセンが絶対何とかするだろうし。

グランドール、2人目の養子に美少女はどう?。

基本的には素直なんだけど、実は寂しがりやなのはグランドール、タイプでしょ?」

帰って来ない時とグランドールに尋ねられても、ネェツアークは至って普通に"自分が消えた"時の話をして、ついでに好みのタイプの話をする。


「お前に頼まれたのなら、養子をもう1人増やすのはやぶさかでもないが。

ワシよりは縁が出来ているんだから、パドリック家の方がいいんじゃないか?。

一応アルセンとリリィは再従兄妹はとこの関係だ。

それに、リリィもアルセンはかなり信頼しているだろう」

「アルセンの事は、私も勿論信頼しているけどね。

リリィは貴族社会でやっていけるようには教育してないし、元よりあの性格では合わないだろう。

それならまだ"働かざる者食うべからず"のマクガフィン農場での生活が、リリィには性にはあっているだろうから。

それにリリィが"義妹"になったら、ルイ君は友達どまりで進まないだろうしね」

愛用の緑のコート姿で腕を組んで、フッフッフッフッと大人気なくネェツアークが笑う。


「ルイはそんな事気にしないで、結婚できる年になったらリリィに猛烈にアタックすると思うがな。

で、"義父親"であるワシは、ルイとリリィの結婚をあっさり許してやろうかのう」


ルイは何気にしっかりているからな、と大人気なく笑う友人を牽制した。


「ちょっと、そこはルイ君に無理難題を出して、少しぐらい止めたげてよ」

グランドールが纏う白い儀式の装束の袖をひっぱりながら、ネェツアークが文句を言う。


「ワシはワシなりに、"息子"を気に入っているんでな。

まあ今は生意気だが、結婚出来る年になったら落ち着くじゃろ。

反対する理由がなかろう」

親友に文句を言われながらも、グランドールは更にしれっとして答える。

それから、少しばかり目元を厳しくして装束を引っ張る親友を睨む。


「で、ルイとの結婚を反対したけりゃとっとと、ロブロウ領主殿と"儀式"の後始末をして戻ってこい。

もしも、戻れない事態になったとしても、ワシやアルセンがリリィを引き取って育てるのは、全く構わないし出来ない事でもない。

だが、リリィは一生ウサギの姿した賢者が消えた事を心の傷として負うだろうな。

もしかしたら、"私が農業研修についてこなければ"とか考えたりな」

グランドールの声が平坦になって、親友が少しばかり怒っているのがネェツアークにも分かって、装束の引っ張るのを止めた。


だが"親友"の追撃は止まない。


「それとな、アルスも何やかんやいいながら、お前の事を気に入っているし慕い始めているのも、気がついているだろう」

「どうして、こんな捻くれ者を、若人は慕ってくれるんだろうねぇ」

「そりゃ、ワシらがお前の友だちやっているのと同じ理由だのう」

漸く鋭い目元を和らげて、グランドールはアルセンが待つ客室に戻る為に、動いた。


「"理由"って何さ?」

まるで子どもみたいな口の聞き方で、ネェツアークがグランドールに尋ねる。



「うちの国の最高峰の"賢者"ネェツアーク・サクスフォーンなんだから、自分で考えろ」

鼻で笑って、グランドールは扉に白い手甲を着けた手をかける。


「そればっかりは、何時考えても解らないから訊いてるのに」

白い装束の親友に後ろに続き、ネェツアークがぼやくように言うと、グランドールは扉を開いた。


「じゃあ、リリィやアルスに聞けばいい。

あの2人なら、お前が訊いたなら、あっという間に答えてくれるさ」

そう言って、扉の側に置いてあった草履の鼻緒に足袋を履いた足を引っ掻けて、グランドールは脱衣所を出ていく。

大きく扉を開いてくれたので、その間にネェツアークは、また頭を掻きながらスルリと続いた。

アルセンが待っている寝室の扉を開けると、丁度竈番であるマーサが作ってくれていた粥を食べ終えた所だったらしい。


ティーテーブルの上にある食器を丁寧に片付けながら、戻ってきた友人達に気がついて、穏やかな笑顔を向けて迎えいれた。


「グランドールもネェツアークも煙草、長かったですね。

私はその間に食事を終えさせて貰いました」

「アルセン、歯応えの無い粥かもしれないが、もう少しゆっくり食べたらどうだ。

特に今のお前は体調を崩しているんだから」

ネェツアークの背中に塗香を塗終えてから、時間にして多分10分に満たない。


その間に食事を終えた事になる体調が芳しくない親友に、グランドールが渋い顔をする。


「すみません、気遣いをして貰って。早飯ばかりは、軍人の職業病みたいなものですから」

アルセンがすまなそうにして頭を下げた。


頭を下げる後輩を見て、"そういう事ではない"と大きな口を開きかけるグランドールの大きな背をネェツアークがドンと叩いた。


「まあ、いいじゃないの。アルセンの仕事は後は回復する事なんだからさ。思いやりがありすぎても重たくなるぞ」

この一言にグランドールが口は口を閉じて、アルセンは苦笑いを浮かべて、2人の先輩を見詰めた。

それからふと儀式の装束を注視して、アルセンはが立ち上がろうとするのにグランドールが気がついて、声をかけてそれを止めた。


「アルセンは座ったままでいい、ワシがそちらに行こう。

その様子だと、ワシの装束に何かおかしな所でもあったか?」

グランドールが自分の身体をザッと見て、装束を見直した。


「ええ、少しばかり違和感が」

グランドールがアルセンが腰かける椅子の側に移動を始めた時、ネェツアークの方は通信機に連絡が入ったらしく、緑色のコートの胸元から取り出していた。


「はいはい、"鳶目兎耳のネェツアーク"ですよっと」

いつもの軽い調子で答えると、少しだけ目を丸くしている。


それから手で"少しばかり話してくる"とジェスチャーをグランドールとアルセンに出して、部屋の隅の方へと移動をした。

ネェツアークが純粋に驚いている様が珍しくて、視線を交わし合いながらグランドールが椅子に座るアルセンの目の前に立った。


「あんな様子のネェツアークも珍しいですが……。

グランドール、貴方、何か少しばかりこちらに来てから成長しました?」

ニッコリと作り笑顔と分かる顔で、椅子に座ってグランドールを見上げる。


「さて、もう身長は伸びていないと思うがの」

グランドールも軽く太い首を捻りながら、外面用の"好漢"の笑顔をアルセンに向ける。

互いに暫く笑顔で見詰めあってから、先にアルセンが笑顔を崩して鋭い視線でグランドールを見上げた。


そして珍しくグランドールは、平時は綺麗なので気に入ってもいる親友の緑の瞳から、視線を逸らす。

視線を逸らす"先輩"に、アルセンは子どもの可愛いイタズラを見つけた大人のように小さくため息を吐いた。


「グランドール、ネェツアークの事は誤魔化せても、私は誤魔化せませんよ。

まあ、"悪友"のネェツアークなら知ってて、もグランドールのする事に関しては、目を瞑るかもしれませんが」

今は"親友"同士と表現するのがぴったりなネェツアークとグランドールたが、若い頃はとんでもなく"やんちゃ"をしていたらしいので、"悪友"という表現を使っていたのをアルセンは本人から聞いて、知っている。


「何のイタズラをするかはしりませんが、装束の下にどうして何か"仕込み"をしているんですか?」

アルセンがそう言って、親友の日に焼けた、今は儀式の為に手甲を嵌めた大きな武骨な手にアルセンは触れる。

すると、やはりグランドールが装束の下にある仕込みをしている事を確信した。


「ワシが堅苦しいのが苦手なのは、知っているだろう?。

儀式が終わったなら、すぐにでも装束が脱げるようにの仕込だ。それだけだぞ」

「本当に、それだけですか?」

疑いと"心配"の眼差しでアルセンから見上げられて、グランドールの心が少しだけ痛む。


エリファスの"弔い"について、決してアルセンに気取れてはならなかった。

これはある意味今回の策に関して"指揮権"を、国王か選任されたネェツアークによる絶対的な命令に等しい。


何かを秘密裏ひみつりにやっていると、"疑われる"までは構わない。


ただ、それがアルセンの親友の存在を戻す、"弔う"事だけは、絶対に察せられてはならない。

グランドールは見詰められたまま言葉に詰まり、アルセンと2人の間で言葉が途切れる。

部屋の隅で何か連絡をしているネェツアークも、2人の間に不穏な空気を感じ取れたらしく、通信機で会話をしながらも軽く眉を潜めている。


「その仕込みに関してグランドールが怪我等をしないなら。

私は特に何も言う事はありません」

結局、グランドールと親友でもあるのだが、憧れを抱いているアルセンの方が、沈黙に耐えれずに先に音を上げてしまう。


グランドールが意見を頑固に通す事があっても、口を閉ざして何も語らないのは、本当に語りたくない事だとアルセンは知っているから。

自分が無理をするのは何ともない。

だけれども大切な人に、無理をさせる事は本当に嫌だから、アルセンは自分から話を打ち切った。

椅子に腰掛けてグランドールを見上げる視線を外して、アルセンは再び食器を片付け始める。


「アルセン」


「グランドール、割り込んで済まない。ちょっとアルセンに、緊急の質問が来たんだけど良いかな?」

グランドールがアルセンに語りかけようとした時、ネェツアークが通信機を手にしたたま言葉を挟む。

少しばかりグランドールが迷惑そうな顔をするが、旧友の声の質は本当に緊急を匂わせていたので、黙って頷いて話を続けるように促した。


「ごめんね、二人の愛の語らいを遮断してしまって」

グランドールとアルセンの間に入りながら、ネェツアークが"これでもか"というぐらい、わざとらしく申し訳なさそうな顔を2人に向けた。


「ネェツアーク、ふざけてないでさっさと質問してください」

アルセンは鳶色の賢者に向かって、諌める為に口を開いたが、心内では正直にいって少しだけ感謝もしていた。

不貞不貞しいネェツアークの言い種に腹を立てる時もあるけれど、グランドールを傷つけてしまう事よりは、遥かにましだから。

そんな事を知ってか知らずか、ネェツアークは本人曰く、ふざけているのではなく"お茶目"な振舞いを止めて、アルセンに質問をした。


「"降臨"の術を使う為の許可証や荷物も、国王陛下に王都から特急便で送ってもらったんだ。

で、そこらへんに関する荷物は、纏めて今回術をするリコさんサイドに渡して、確認して貰ったんだけど。

許可証に降臨術の使用者の名前が"アルセン・パドリック"で記載されているとの事なんだ。

今回はリコさんが、使用者だからそこの名前は、"リコリス・ラベル"に書き換えなくてもいいのでしょうかって?確認がきているんだけれども」


ネェツアークのリコ達から託された質問に、アルセンは、ああ、と声を出す。

どうやら、その質問をされる事は至って普通に思い当たることだったらしく、穏やかに微笑み答え始める。


「いえ、そこは"アルセン・パドリック"のままでお願いします。

"許可証"はある意味精霊ガブリエルとの"誓約書"みたいなものです。

"降臨を行える人物"は固定されている事で、"力"をぶれる事なく降ろして"降臨"させやすくなるんです。

だから許可証の"名前を動かして"はいけないんです」

「ああ、そういう事なら、じゃあ許可証の名前はそのままで"アルセン・パドリック"だね」

通信機を手にしたままネェツアークはが確認すると、アルセンが無言で頷いて、"降臨の許可証"の話を続ける。


「今回は限りなく質の似たリコさんと、私の使っている衣をつけることで、辻褄を合わせている状態での、"代理降臨"となります」

そこまでアルセンが言った時、今度はネェツアークの持つ通信機から声の割り込みが入る。


『にゃ〜、アルセン様言ってる事がややこしいにゃ〜!』

『ラ、ライちゃん!』


アルセンにしてみれば大分お馴染みとなった、2人の声が伝わってきた。

そしてライとリコの声には、英雄3人は思わず苦笑していた。


「ライ、簡単に言えば"名前はそのままで"と言うことだ」

思わずグランドールが言うと、

『にゃ〜、最初からグランのオッチャンみたいに言って欲しいにゃ!』

と返事が返ってきて、リコが再びスミマセン!と慌てていた。


『ライちゃん、アルセン様は術をするにあたっての事を、然るべく説明にしてくださったのだから』

「リコさん、気になさらないでください」

紳士の笑みを浮かべて、アルセンはリコの言葉に答えた。


「それじゃ、確認の連絡はこれでオーケーかな?リコリスさん?」

ネェツアークが通信終えようとした時、俄に通信機の向こう側でから慌てたような雰囲気の音が漏れ聞こえる。

アルセンとグランドールは顔を見合わせて、ネェツアークは何とも言えない顔になっている。


"任務中"のネェツアークなら、通信での用事が済んだのならサッと次の行動に移りそうなものだが、そうする事を明らかに躊躇っている。


「あちら側にしても、ネェツアークにしてもどうしたんですか?」

アルセンが疑問の声をかけた時、ネェツアークが持つ通信機をから"答え"が帰ってくる。


『にゃ〜、リリィちゃん、ガッツ出すにゃ〜』

そんなライの励ましの声が漏れ聞こえて、アルセンとグランドールが笑顔になった。

そしてこちらも、ネェツアークに向かって2人して親指を立てて"グッドサイン"を送る。


『あ、あのネェツアークさま』

「あ、はい、なんでしょう」

緊張漲みなぎるリリィの声に、ぎこちないネェツアークの態度でまず、グランドールが笑いを噴き出しそうになっている。

それにアルセンがつられるように、こちらも口元を押さえて笑いを堪えながら、空いた方の手で、グランドールの装束を引っ張りながら、我慢を促した。


『ロブロウでは儀式が終わったらすぐ帰るから、もう会えないのは分かりました。

でしたら、いつか王都であった時に、中庭で転けそうになった時の助けて貰ったお礼をさせてください。

私、それまでにネェツアークさまが好きだって言う"半熟の茹で玉子"を練習してます。

だから、いつか食べてください』

「お嬢さん、私も仕事がそれなりに忙しいので、先程もいいましたが、王都で会えるという、確約や、ましてやご馳走を頂ける保証は出来ないんです」

ネェツアークの言葉に、アルセンとグランドールは堪えていた笑いが引く。


グッドサインで立てていた手の親指を一斉に下に向けて、仏頂面さえ鳶色の人に向ける。

ネェツアークはそんな親友の2人に、サッと背を向けてガリガリと頭を掻いた。


『はい、さっきもお聴きしました。でも、練習していたらダメですか?』

音も出さずに鳶色の男はため息をついて、ついに根負けして通信機に言葉をかける。


「じゃあ、いつか王都であう事があったのなら。

ただし、会えるかどうかは本当にわかりませんからね。

2度と会えないぐらいの、可能性を―――」

そこまでネェツアークが言いかけた時、後ろから軽く頭をペシリと叩かれる。


(いい加減にしなさい)

振り替えるとアルセンが、説教をする時の顔でネェツアークを見ていた。


『はい、ありがとうございます!そう言って貰えるだけでも、嬉しいです。

お仕事の話の間に入ってすみませんでした』

『それじゃ、通信切るにゃ〜』

リリィのとても明るい声に続いて、ライのあっさりとした声で通信は切れる。


「やれやれ、向こう側ではライが何やらリコリスや、リリィの扇動をしている様子だの」

通信が終わった事を確認してからグランドールが笑いながら、説教を開始する雰囲気のアルセンと説教を受けるネェツアークを見て言った。

だが先程まであったアルセンとの緊迫感が抜けて、安堵している様子もグランドールからは滲み出ている。


「ネェツアーク、リリィさんに嘘をつきたくないのは解ります。

しかし、敢えて何回も否定する必要はないでしょう。

リリィさんが、貴方にさけられているかもしれないと、傷つくだけですよ。

会えないという可能性をちゃんと一度伝えているんですから、そこら辺の話題を避けて、お話をしてあげれば良いでしょう?。

"いつか逢えるかも"という気持ちが、大事なのが解りませんか?」

一方のアルセンは"可愛い再従妹"にあたるリリィへのネェツアークの態度に、かなり憤慨している。


アルセンの説教に通信機を握りしめたまま、ネェツアークは叩かれた頭をまた掻いていた。


「アルセンの語る"乙女心"はバルサム様仕込みだからなぁ、その言葉は有難く受け取っておけ」

すっかり気持ちを持ち直したグランドールが笑いながら言う。


すると、ネェツアークが不意に顔を上げた。


「"乙女心"と言えばそれなら、アルセンなら知っているかな?。

私がうろ覚えなだけかもしれないんだが、確かコスモスの花言葉って"乙女の〜"ってみたいな花言葉"以外"の意味が何かあったような気がするんだけど」

本当に突然の質問に、アルセンが緑色の目を丸くしながらも答えた。


「どうしたんですか急に?。

ええ確かに、コスモスの花言葉は乙女の真心とかが現在は有名ですが、語源は"秩序""飾り""美しい"だとかも…あるそうですけれども?!」

いきなりギュッと、ネェツアークがアルセンを抱き締めた。


「なっ?!何なんですか!!」

「ネェツアーク、何をしとる!?」

アルセンとグランドールが一斉に驚きの声をあげたが、鳶色の賢者は毎度お馴染みの"不貞不貞しい"笑顔を顔に浮かべる。


「本当にもう色々思惑が多すぎて、面倒くさいと思っていたけれど。

こっちの駒もそれなりに揃っているなら、もう少し楽に"片付く"かもしれない。

"乙女心"に詳しくなるように教育してくれた、アルセンのご両親、バルサム様とアングレカム様に感謝だよ!」

またギュウっとネェツアークは、自分が一応安静を指示している相手に抱きついた。


「感謝されるのは結構ですが、いい加減に離してください!。頬摺りしない!」

そうまで言われて、やっと頭だけ離して、相も変わらずの不貞不貞しい顔で笑いながら、尋ねた。


「あ、抱きつきすぎたら、グランドールが怒っちゃう?」

「どうしてそこでワシの名前が出てくる?」

苦笑いするグランドールの反応が良かった(?)ので、アッハッハッハッハと笑いながらネェツアークは、漸く抱き締めていたアルセンから離れた。


急に身体を離されて、アルセンは少しだけ身体のバランスを崩してよろけ、グランドールが慌てて側に寄って腕を掴んで支えた。

それを見て、今度はニカッと笑った。


(こちらの"蟠"の心配はこれで大丈夫だろう)

ネェツアークは、そう考えて腰に手を当てる。


「さて、私は"もう1つ用事"が出来たから先に行っておくね。

グランドール、儀式の皆さんの引率を頼んだよ。

あ、アルセン、お別れのキスいる?」

一度離れたのに、再び側によって本当にアルセンの顔に自分の顔を近付けようとする。


何だか妙に浮かれいるようにも感じられる親友の顔を、アルセンが顔をしかめながら、白い手でネェツアークの顔の下半分を押さえ、押し返した。


「何でそんなに上機嫌なのか知りませんが、落ち着きなさい!」

「アッハッハッハッハ、それでは本当にお先に行っとくねー♪おっと♪忘れ物!」

ベッドに置いてあった紅黒いコートを手にして、今度こそ本当に距離を空けて、ネェツアークは部屋の窓際に進んで行く。


「あ、おい、ネェツアーク?!窓から行くのか?」

アルセンを支えたままグランドールが尋ねると、同時にネェツアークは窓を開いた。


「ああ、こっちからの方が"あそこ"に着くのが早いからね」

そう答えると、緑のコートを窓から入り込む風に翻えらせて、窓辺に足をかけた。

少しだけ後ろを向いて親友2人を見て、またニッと笑う横顔を見せて、ネェツアークは姿を窓の向こう側に消す。

妙にハイテンションなネェツアークは、まるで突然の小さな嵐が通り過ぎたような感覚をアルセンとグランドールに与えていた。


「いったい何なんですか、ネェツアークのあの変な浮かれようは?!」

浮かれた当人が窓から姿を消してから、アルセンは盛大に呆れた声を出す。


「まあ、儀式の前に緊張して凝り固まっているよりは良かったじゃないか。

さっき通信が来たとき、奴が妙に緊張していたのはリリィから、"鳶目兎耳のネェツアーク"宛に連絡が来たからだったんだな」

どうしても大事な"姪"の前では、人の姿だと通信機越しにでも緊張してしまう親友が、グランドールには微笑ましい。


「そうでした、コスモスで誤魔化されてましたけどあの男は、リリィさんに」

微笑むグランドールとは対称的に腕を掴まれたまま、アルセンは又顔をしかめる。


「まあ、ワシはそのお陰で、良いで言葉を聞けたわい」

「良い言葉なんてありましたか?」

グランドールの発言にアルセンは驚いて、振り返り再び緑色の瞳を丸くして儀式の装束姿の親友を見上げた。


「まあな。さて、ワシもそろそろ行くとするか。

ネェツアークに、儀式の引率役を押し付けられたしまったからのう」

「そうですか、では"儀式"気をつけてくださいね、グランドール」

「ああ、アルセンは何の心配をせんで休んでおいてくれ。

そうだ、1つ預かってほしい物があるんだが、良いか?」

「塗香ですか?それでしたら―――」

「いや、違う。確かネェツアークから、メイプルの形見の裁縫ケースを預かっていただろう?。

リコリスの衣装の調整をしていた時に見たから、それでワシも無くしたら困る物を預けておこうと思ってな」


グランドールの言葉に、アルセンは納得したように頷く。


「ああそう言う事ですか。ええ、"必ず戻るから持っていてくれ"と、裁縫ケースを預かりました。

ネェツアークの場合は"壊すといけないから"という子どもみたいな理由でしたが」

アルセンの言葉を聞いて、グランドールは心の中でネェツアークに対して舌をを巻いた。


グランドールが思い付いた事を、ネェツアークはもう先回りしてやっていたらしい。


(メイプルの形見を預けたなら、アルセンは"ネェツアークが戻って来ない可能性"を考えもしないだろうな)

あの鳶色の男は、きっと妻の形見を何がなんでも、受け取りにくるとアルセンは信じている。


(ワシもその気持ちを、利用させてもらおう)


「預けるのは、形見とかそんな大層なものではないんだが。

まあ、絶対に無くしたくない物だな」

そう言って、グランドール自分の左の手首に嵌めている金の腕輪を外した。


「グランドール、腕輪を外されていくんですか?」

少しばかりアルセンが複雑そうな顔をする。


確か儀式事態、腕輪が外しておかねばならない程苛烈な物ではなかった筈なので、アルセンは複雑で心配そうな顔をしたのだった。

そしてその心配が杞憂である事を示す為に、グランドールは笑いながら首を横に振る。


「いや、腕輪はつけていく。せっかくの"お揃い"だ。

アルセンに、ワシが預けておきたいのはこれだ」

そう言ってアルセンの左手を手にとって、外した金の腕輪を掌にトンと押し付けた。

すると、金の腕輪の内側から何かがコロンと落ちる感触が、アルセンの左の掌に広がる。


「グランドール、これは」

「また、いつかエリファスに出逢った時に、アルセンと一緒の時に渡そうと思って準備しておいた。

これなら、エリファスも受け取ってくれるだろうと思ってな」

アルセンの白い掌に、銀色の指輪が輝いていた。


「ああ、これなら確かにエリファスは受け取ってくれるでしょうね」

指輪の内側に新しく刻まれた文字達に、アルセンは天使と評判されるに相応しい、優しく美しい笑顔を浮かべていた。


「儀式の2つ目の神楽舞が、中々激しかったからな。

練習は屋内だから良かったが、"本番の場所"が場所だからの。

落としたら、2度と見つからない恐れがあるから、アルセンに預っていて貰いたい」

グランドールが理由を話すと、最もだという感じでアルセンは頷いて指輪を握りしめる。


「はい、そういう事なら喜んで預かりますよ。グランドール」

アルセンの笑顔に、グランドールも笑顔で返した。


必死にグランドール・マクガフィンはアルセン・パドリックに向かって笑顔を作る。


(指輪を渡すチャンスは永遠にこなくとも、"エリファスに渡せる日がくるかもしれない"と思える気持ちを、アルセンの胸に抱き続けていて欲しい)

生涯を通して貫く嘘を、グランドールは今造った。


(嘘も貫き通せたなら、それが"救い"になる日がくるかもしれない)

救いになった"嘘"達を、グランドールは見たことがないわけではなかったから。

そして"救い"になる嘘を造りあげる時に、大抵の場合鳶色の賢者である親友が、下拵ごしらえ終えてしまっている。


「それでは、アルセン。留守番を頼む」

笑顔を崩さない内に、大切な親友からグランドールは身を翻して、腕輪を手首に嵌めながら外に繋がる扉の方に身体の正面を向けた。


「あっ、腕輪を嵌めるのを少しだけ待ってください。どうせなら」

金の腕輪を手首に腕輪を嵌めようとするのを、アルセンが止める。


もう儀式に場に向かおうとする親友とどうしても交わしたい"誓い"の為に胸元から、塗香を塗る為に外していた金色の指輪をアルセンは取り出した。


「誓っていただけますか?。怪我をしないでというのは無理かもしれませんが」

「―――アルセン」

儀式の装束の下にれている仕込みは、グランドールが"戦える"為のものだと先程彼の手に触れた時にはアルセンには分かっていた。


グランドールは儀式の後、きっと昔からの"悪友"が何かと戦う事が分かっていて、何かあったら助けるつもりだということも。

それをネェツアークが受け入れるかどうかは、わからないが。


「必ず、戻ってきていただけますか」

そう言った時、グランドールから金の腕輪をアルセンの白い指先にある金の指輪に重ねて、澄んだ音がキイイイイインと部屋中に広がった。


「ああ、ワシは必ずアルセン・パドリックの元に帰ってくると誓おう。

ついでに、気のおけない親友も、お前の大事な教え子も、ワシの息子になるだろうクソガキも、職場の賑やかな女性陣も、この領地の領主や民達も、皆連れて帰ってきてやるさ」

「グランドール」

一気に捲し立てる親友に、アルセンは思わず本当の笑顔を出してしまう。


「帰ってきた時もその笑顔で頼む」

豪快な歯を見せる笑顔をした後で、口を閉じた穏やかな笑顔をしてみせた。


誓いを閉める為に、再び腕輪と指輪を重ねて、また涼やかな澄んだ音が部屋に広がる。

そして今度こそ腕に確りと金の腕輪を嵌め、その上に儀式の装束のである白い手甲をグランドールは身に付ける。


「では、行ってくる」

そう言って背を向けて、扉に向かって歩き出した。


「お気をつけて」

見送りの声を聞くと、グランドールは少しだけ振り返り、左手を挙げた。


その親友の何気ない仕草で、20数年以上の記憶が甦る。


『じゃあ、バルサム、アルセン。行ってきますね』

(ああ、そうでしたね)


扉を開けてグランドールが出て行ってから、アルセンは改めて思う。


(私は今でもグランドールに憧れの気持ちを、抱いているのは"父上"に、重ねているから)



顔の造作も言葉の使い方も違うのに。



似ていると言えば、よく日に焼けた肌と――――


(博識そうでいて、変なところで物を知らない所でしょうか)

アルセンはクスリと笑って、グランドールから預かった銀色の指輪を握りしめたまま、再び金色の指輪を左の薬指に嵌めた。


実はアルセンはバルサムから、父の"アングレカムのプロポーズ"について詳細な話を聞いていた。

アルセンが国から英雄として認めらた時。


それが涙を流しているばかりのバルサムに"英雄アングレカム"の血がしっかりと残っていると伝える為だと、年下の従兄弟であり、国王のダガーから知らされ、彼女は泣くことを止めた。

泣くのを止めてみれば、可愛らしく大人しいばかりだった息子が、立派に成長していた事に気が付いた。

息子の唇から溢れる言葉は、愛する人の口癖を確り受け継いでいて。


アルセンの中に生きている、アングレカムや自分までを見付ける事が出来た。

ちゃんと大切な人と築いていた時間が、"残って"いる。


それを実感出来たから、"アングレカムとバルサム"が結ばれた理由を、英雄となった息子に話聞かせた。


『旦那様――アングレカム様は、悪魔の宰相なんて言われていたけれど、わたくしにしてみたら、素敵な本当に可愛らしい優しい天使みたいな方なのよ、アルセンさん』


そして"金色の意味"を知らずに、バルサムに指輪を贈ってプロポーズをしてしまった話を聞かされた時、まずアルセンは信じられなかった。


"そんな意味も知らないでプロポーズするなんて"

グランドールに同じ事をされた時にすら、その事を思い出さなかったのに、今思い出した。


(私はグランドールに未だに父を重ね、憧れているんでしょうかね)


親友を待っている間、そんな事を考えていようかとアルセンが思っていると、部屋に誰かが訪れた事を報せるベルが鳴る。


(誰でしょう?)

グランドールならベルを鳴らす必要はない。


(リリィさんやアルスが、御見舞いに?)

先程ネェツアークを通して、連絡があったばかりでもある。

アルスの可能性も浮かんだが、これから任務が始まるという間際にくるとは考えづらい。

何より、自分がそう教え込んだ。


(いったい、本当に誰でしょう)

アルセンはクローゼットにかけてあった軍服の上着をサッと羽織る。


そして親友逹から預かった貴重品を、大切に胸元へと納めた。


(手袋は、もういいですね)

指輪を着けたままだが、その姿を見られても、別にロブロウでどうこう困る事はない。


アルセン以外の王都から来た面々は、もう儀式に向かっている筈―――。


そんな事を考えて、来賓の扉をアルセンが開く。

するとそこに深く頭を下げる、"老人"がいた。



「パドリック様、体調を崩していたため、挨拶が大変遅れました。

ビネガー家の執事を務めさせて頂いております、ロックと申します」

そう言って、恭しく老執事は頭を上げた。


「貴方がロックさん?」

アトが散歩の間に何かと名前を出していた、"優しい、親切、大好きロックさん"の言葉の記憶と共に、アルセンの記憶の琴線に、老人の姿が触れる。


(私は、"ロック"さんをどこかで拝見した事がある?)


微笑みを浮かべる、その"笑顔"と似た顔を、つい最近どこがで。


「アルセン、久しぶり」

考え込んでいるアルセンの記憶に覆い被さるように、また懐かしい声が耳に入ってくる。

そしてその声は、最優先されてアルセンに驚きを与えた。


「エリファス」

いつの間にか、老執事の後ろにエリファスが白と黒の2色のドレスを纏って立っていた。

かつて自分で"若い人には目の毒だ"と言っていた、豊かな胸を活かした妖艶にも見えるドレス姿だった。


「アルセン。この御方が私の"最愛の方"、やっと側にいる事が出来るようになった」

そう言って愛しそうに老人を見詰めて、手をその肩に乗せた。

アルセンが驚いて言葉を出せない内に、老執事が口をまた開く。


「"妻"がいうのです。長い間、独りの時間を堪える事が出来たのは"親友"アルセン・パドリック様がいたからだと」

「そうなのですか」

やっとそれだけアルセンが言った時、ガチャリと音がする。


「だから、これからも」

エリファスが銀色の銃口をアルセンに向けていた。


「本当に、大好き、アルセン」

くぐもった破裂音が、新領主邸に響いた。


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