【支度 その陸】
リリィとアトは2人で、ディンファレが休んでいる客室に戻ります。
大事な儀式が行われるとあって、屋敷内は朝から落ち着かず、男女の事にうるさい土地も人も、今は関係ないようでした。
"コンコン"
部屋の呼び出しのベルではなく、ドアをノックされる音でディンファレは目を開ける。
1人の時にしかしないような姿―――枕に抱きついて寝台で寝た姿勢から、起きあがった。
(ノックと言うことは―――リコ達か、リリィ嬢)
"コンコン"
またノックされる音がして、音の響く位置が低く感じる。
丁度リリィがドアをノック時と同じ高さと音の振動だと鋭敏な女性騎士は気がついて、ディンファレは豪華な寝台から急いで立ち上がった。
ドアに近づくと、中々開かない扉に不思議そうに会話する"子ども"達の声がする。
「リリ、ディンさん寝ています。お部屋開きません、座れません。
アトのお部屋で待ちますか?」
「アトさん、ディンファレさんです!」
リリィはどうやらアトと一緒にいるらしい。
「ディンフさん?」
アトがディンファレの名前を間違えながら口にする。
「ディンファレさんです!。うーん、アトさんには、そんなに難しいのかしら」
ドアの向こうから聞こえて来る、ディンファレにとって"可愛らしい"会話に思わず笑みが零れてしまっていた。
「でも、ディンファレさんが本当に疲れていたら、"儀式"まで本当にお休み していたいだろうし。
お休みの邪魔にならないように、アトさんのお部屋に行こうかな」
アトの部屋に行くという言葉に、執事見習いの弟はきゃああと幼子のように、喜びの声を出した。
「はい、リリ。部屋で一緒に絵本を読みましょう!」
ルイが聞いたなら、相当慌ててしまいそうな会話にディンファレも、慌てる。
「いくらなんでも、男女2人きりはいけません!早すぎます!!」
先程まであった笑みを消して、ディンファレは急いで整備の行き届いた客室のドアを勢いよくスムーズに開いて、リリィとアトの前に姿を現した。
「わあああ!」
「ディンさん、起きています、嘘はいけません!」
「リリィもアト君も、ディンファレさんも。部屋の入り口で、一体どうしたんですか?」
扉の前で何やら揉めているわけではないが、少しだけ騒がしくしている3人を見つめながら―――アルスが驚いて口を開いている。
いつの間にか、軽装備姿のアルスが廊下に佇み、空色の瞳をパチパチとさせていた。
「リリのお部屋開きました。寝ている人はいません、お部屋に入ります!」
アトはディンファレが開いた女性用の豪奢な客室大きな扉の中へと、さっさと入って行ってしまった。
執事見習いの弟は、アルスの問いに答えた訳ではない。
しかし、状況はしっかりと伝わっていたので軽装備のアルスは小さく、成程と呟いた。
妹となっているリリィと、いつも綺麗に整えられている髪が少々乱れているディンファレが、驚いた顔をしてアルスを眺めていた。
「お兄ちゃんも、どうして"軽い鎧"なんか身に付けてるの?」
リリィがアルスの軽装備の姿に驚いている。
ロブロウに向かう時は、農業の研修生の姿をしていて、先程ルイと"息抜き"をしていた時でさえ軍服姿だった。
それが、どうして今頃になって、簡単ではあるが戦支度の姿になっている事に驚いていた。
"妹"からの質問にアルスは装備している籠手を撫で、苦笑いしながら答える。
「ああ、別に戦いとかの訳じゃないから、安心して、リリィ。それこそ本当に防御の為に鎧を着けているようなものだから。お昼からの儀式で、自分は"警護"を手伝って欲しいってなってね」
「儀式なのに、警護?」
リリィが本当に細い小首を傾げる。
妹のフリをする少女のこの反応を見て、アルスはリリィは"儀式"に関しては、詳細を知らないのだと初めてわかった。
朝食を一緒に食べたであろう、紅黒いコートを纏った髪も瞳も鳶色の男―――ネェツアークが話しているとばかりにアルスは思っていたが、そうではないらしい。
(思えば、一緒に行動もしていないみたいだし。ネェツアークさん、どうしたんだろう?)
最初にネェツアークと一悶着あったアルスだが、誤解していたと謝罪し、信頼していたのに、リリィをアトと2人で行動をさせている事に、僅かに怒りを覚えてしまう。
そして"アルスが腹をたてている"という事に、リリィは気がついて、優しい兄が怒りそうな理由を直ぐに思いつき、駆け寄った。
「―――あの、お兄ちゃん、ちょっと耳を貸して!」
リリィが、トっトっトっと、足取り軽くアルスの前に立って、背伸びをして"内緒話"がしたいといった具合で小さな声を出した。
アルスは小さくため息をついて、膝をついて屈み"妹"に耳を貸す。
「あのね、私がネェツアークさまと別行動になった理由はね、フフっ」
やはりリリィも、兄に扮するアルスが怒っている理由は察していた。
だが、今はそれ以上に嬉しい事でもあったのか、"妹"は顔を赤くして興奮してしかも含み笑いまでしてしまっている。
(リリィが上機嫌だから、いいかな)
ネェツアークへの怒りを引っ込めようとした所に、リリィはアルスに"報告"をする。
「ネェツアークさまと別行動になった理由はね、ウサギの賢者さまからお手紙があったからなの!」
リリィから耳元で 行われた報告に、それこそ空色の瞳を丸くしてアルスは少女が近づけていた小さな唇から、思わず耳を離してしまう。
「本当に、手紙があったの?」
アルスの確認にも、コックリと力強く頷いた。
そしてその顔は笑顔で満ち溢れていて、心の底から本当に嬉しそうな顔をしている。
ウサギの賢者が姿を眩ましてから、少なくなっていたリリィの笑顔がアルスには嬉しかった。
嬉しかったけれども、一抹の悔しさも軽装の鎧を身に付けたアルスの胸を掠める。
(やっぱりリリィにこんな良い笑顔をさせられるのは、ウサギの賢者殿だけなんだな)
大好きなウサギの賢者からの連絡に、可憐な緑色の瞳を喜びの泪に潤ませる。
喜んでいる姿は、何にも換えられないのもアルスには分かっていたから、一緒に微笑んだ。
"リリィの喜びに水を注してはいけない"、天然な少年にもそれはわかったから。
「それで、ウサギの賢者殿、お手紙になんて書いてあったんだい?」
跪いたまま、妹の笑顔が長く続くように、"大好きなウサギの賢者"の話を続ける。
「えっと、あのね、あのね」
リリィは急いでポケットに手を差し入れ、アルスに見せようと手紙を取りだそうとする。
「あれ?!引っ掛かっちゃった!?」
「リリィ、慌てなくても大丈夫だから。落ち着いて」
喜びを含んだ妹の慌てぶりに、思わず苦笑いをアルスは浮かべた。
(―――ん?)
不意にアルスは顔をあげる。
"視線"を感じた。
そして、その視線の主は、ディンファレであった。
"嬉しそうなのに、悲しそう"
そんな形容が一番似合う顔で、リリィの後ろ姿を見つめていた。
そしてディンファレは、アルスが"自分"を見つめていることに気がつく。
すると、アルスにも悲しそうに笑って、綺麗な指を客室に向けた。
"部屋の中にいる"
艶やかな唇を音もなく動かして、アルスの憧れの女性騎士は返事も聞かずに客室に戻っていく。
その悲しくも美しい、ディンファレの姿に思わず見惚れてしまっていた。
「あ、やっと手紙、出てきた!!―――お兄ちゃん?ん?」
目の前に本当に珍しく、頬を赤く染めている"兄"をみつけてリリィは驚く。
その視線を向けた先には、扉が閉じられた部屋と掃除の行き届いた廊下しかない。
「あっ、ディンファレさん、部屋に戻ったんだ」
「あ、うん、そうみたいだね。リリィ、それよりも、ウサギの賢者殿からの手紙見せてくれるかな?」
(多分今、さっきのディンファレ殿の様子を伝えたのなら、それこそ折角戻ったリリィの笑顔が消えてしまう)
リリィが大切そうに握りしめる手紙を見て、少年はまた少しばかり心に怒りの炎を灯す。
―――ネェツアークに続いて、"ウサギの賢者"にもアルス腹をたててしまう。
(きっと、"あの人達"ならもっと上手く出来ると思うのに)
鳶色の人にしても、ウサギの姿をした賢者にしても、アルスが妹みたいに思って いる少女を、もう少し大事に扱って欲しいと、兄代わりをしている少年は思う。
ただ、これはアルスが"ウサギの賢者"と"鳶目兎耳のネェツアーク"を深く信頼している故の、"甘え"でもある事にまだ気がつけない。
自分に出来る精一杯をこなしても、どんなに周りの人物が優秀な人材がいたとしても、上手く物事が"回らない現実"が希にある事を受け止めるには、まだ若いアルスには想像もつかないのかもしれない。
(勝手な騎士道精神かもしれないけれど、頼みますよ"2人とも"。
リリィは、ウサギの賢者殿とネェツアークさんに懐いているんですから)
"甘え"に気がつけない事を恥じる事もなく、アルスは"傲慢"に彼等にしか出来ないと思える事を、普通に願っていた。
願いながら、アルスはリリィの読み上げる手紙に耳を傾ける。
「ええっと、読むね。"リリィ、久しぶりに離れてさびしい思いをさせて、ごめんなさい―――"」
ウサギの賢者の手紙が謝罪から始まっていることに、少女は悲しそうな顔をしている。
多分、最初に読んだ時もこんな顔をしていたのが直ぐ判る。
「賢者さま、お仕事なんだから、こんなに謝らなくてもいいのに。お兄ちゃん、アルスくんもそう思うよね?」
"好きな人から必要以上に謝られる" のが結構な心の負担になることを知ってはいても、いざ自分の立場でそうい事が起きると気がつけない。
それはウサギの賢者、ネェツアークにもあてはまるようだった。
ただ、この手紙の謝罪に関しては、アルスは笑って"ウサギの賢者"の肩を持つ。
「あはは、仕方ないよ。だってリリィは昨日の晩餐会の前に、急に賢者殿が居なくなった時、泣いていたじゃない?。
しかも通信があった時は、実際に泣き声を耳にしちゃっているからね」
アルスに言われ、リリィは緑の瞳を丸くして手紙をギュッとする。
「そうだった。私泣いちゃってたんだ」
リリィは手紙を貰った嬉しさに、もう泣いた事はもう忘れてしまっていたし、あの時の悲しみも、乗り越えている。
けれど泣き声を聞いた方にしてみたら、かなり重大な出来事になっていた事にリリィはアルスに言われて初めて気がついた。
「やっぱり、ちゃんと謝りたかったんじゃないかな?。きっとリリィが泣く事は賢者殿にとっては、"自分の中で許せない事"だ ったんだよ」
「自分の中で?どういう意味?」
「えっと」
リリィにはいまいちピンと来ないし、アルスは少々説明に困る。
(上手い例えが見つからないな。でもわかる部分だけでも言っとくかな。
少し、いや、かなり恥ずかしい言葉だけれど)
「自分からみたらさ、ウサギの賢者殿はリリィの事を物凄く大切に思っているのが伝わってくるんだ」
アルスからの"ウサギ賢者がリリィを大切にしている"という言葉に更に少女は目を丸くして、照れて俯く。
「え、でも、それは、私が前にいたっていう教会で上手く馴染めなかったから。だから、優しい賢者さまは」
「そうかなあ、ウサギの賢者殿だったら、もし好きでもないし、やりたくないことだったら、すっぱり言うと思うよ」
"とりあえず誰も困らない、迷惑かけないズルはしちゃうよ、ワシ"
ああ言った不貞不貞しい言葉を、はっきりと公言する賢者はきっと"誰にでも優しい"とはアルスには思えない。
でも、そんな人でも"大切な存在"にだけは、献身的過ぎる愛を注ぐ事はあるのではないかというのは、アルスにも判る。
「それに私が子供だから」
アルスはリリィが、ある事に未だに気がついていない事に、今更になってわかった。
「子供だからこそだと、自分は思うよ。面倒を押し付けられてるだけの子供に、噛んで含めるみたいに、丁寧な説得も説明もしないよ」
(ある意味、近すぎるから気がつけないのかな)
いかなる経緯で1匹と1人での静かな森の魔法屋敷での生活が始まったにしろ、安らかな時間を重ねていたら、ウサギの賢者にとってはそれで十分だったかもしれない。
だから"その言葉"を口にしなかっただけ。
「リリィ、君はね。きっと賢者殿から"愛されている"んだと思うんだ」
改めて言わなくても、ウサギの賢者にしたら、いつだってリリィを"愛して"いるつもりだったから。
少しだけ、アルスは顔を赤くしてその事を伝える。
「―――愛されてい、る?」
リリィは今まで1度も賢者に対して考えた事のない感情を言われて、固まった。
「それ、ないよ、だって。皆が参加する儀式にだって、私とシュトさんとアトさんだけ、ルイがいた地下のお座敷で待っていなさいって。
ネェツアークさま達はアプリコットさま達と大変な仕事をするから、邪魔にならないよ うにしなさいって。
アルセンさまには、休むようにお願いしなさいって。
愛している、とかいうなら、仲間外れじゃないかもしれないけれど、私だけ別行動になんてしないよ」
リリィは、手紙を握りしめてそう言う。
「それは、賢者殿の手紙に書いてあったの?」
リリィはこっくりと頷いて、手紙をアルスに差し出した。
「賢者さまがアルスくんも、読んでも貰いなさいって。お兄ちゃんだから。ネェツアークさまにも、アルセンさまにも見せてないよ」
「わかった」
中々複雑な意味合いこめたリリィからの手紙を、アルスは小さな手から受け取った。
【リリィ、久しぶりに離れてさびしいおもいをさせて、ごめんなさい。
でもおかげさまで調査ついては、リリィも知っているよね。
"国王様からの調査は余計な心配だった"でかたづきそうです。
まだ戻れないのは、実はアプリコットさんに1つ頼まれ事をされました。
凄い雨が降っていたのはリリィも知っているよね?。
その雨の為、ロブロウの河川―川が雨水で溢れて大変な事になりそうなので、それを治める手伝いをして欲しいと頼まれました。
そして、ワシとアプリコットさんで話し合って、農業研修で来た皆で、浚渫の儀式を手伝うことになりました。
ちなみに、浚渫の意味は、水底にたまった土砂・岩石などをさらって取りのぞくことだから、覚えておいてね。帰ったらテストにだします】
「―――テストに出すって、リリィ」
「そこはいいから、速く続きを読んで!」
思わず浮かぶ笑いに口元を押さえるアルスに、リリィは恥ずかしそうに、速く続きを読むように急かす。
(わざわざ"大人"がこんな書き方するのには意味があるって、リリィにはまだ分からないかな。あ)
『いいな~。それ、凄く楽しそうです』
ロブロウ出発のきっかけになった、"命令書"という名前がついた、賢者とアルセンの戯れが含まれた手紙。
リリィが羨ましがっている節があるのには、アルスも気がついていた。
(やっぱり、愛されているよね)
手紙を読む相手を楽しませる"一手間"も、アルスには十分な愛情表現だと思いながら続きを読む。
【ワシは"ぬいぐるみ"なので、どうどうと動き回る事が出来ません。
だから、ワシは人前には姿をだせないので調べものを頼まれました。
グランドールとルイ君とリコさんは、儀式のお手伝い。
ディンファレさんとアルスくんとライさんは、アプリコットさんが儀式をしている間は、動けなくなる可能性があるから、それのお手伝い】
そこまで読んで、手紙からウサギの賢者のリリィに対する優しさも感じられると思った。
(賢者殿、護衛とは書かなかったんだ。
そっか、もしかしたら怪我をするニュアンスを含んでいたら、リリィがまた心配するかもしれない)
【アプリコットさんに頼まれて、ワシの使い魔の金のカエルを貸すことににもなっているから、よろしくね。
それとアプリコットさんの友人だとかいう男、実は来た時から知ってはいたんだけれど、別のお仕事を国王陛下に頼まれているみたいだから、邪魔にならないように黙っていました。
その人もアプリコットさんに頼まれて、今回の川の氾濫を治める為のお手伝いをするそうです。
どうやら魔法もそこそこ使えるみたいだから、何かあったらワシの代わりぐらいにはなるんじゃないかな。
だから、金色のカエルはその人も使えるように調整をしているから、一緒にいてもおどろかないでね】
「"代わりぐらい"ですか」
アルスにしてみれば、ウサギの賢者はアルセンからは"セリサンセウム王国・最高峰の賢者"と聞いているので、"同じくらい"と言われた鳶色の男がそんな大物だとは、思いもよらない。
しかし、ネェツアークが紹介された時の肩書きを思い出して、彼が優秀な人材であっても何ら矛盾がない事に思い至る。
(ネェツアークさん、国王陛下の直轄だから、やっぱり凄い人なんだ)
そして手紙の続きをアルスは読む。
【アルセンは激しい雷雨と豪雨で、水の精霊の影響を受けすぎて、体調をくずしたらしいから、今回は客室でお休みするそうです。
アルセンに無理をしないように、リリィからも言ってあげてね。
キュートなウサギと日焼けしたオッサンの言うことはきかなくても、可愛い女の子のいう事はきくだろうから】
「リリィ!アルセン様が体調を崩していらっしゃるって本当?!」
アルセンの体調が悪いという一文を読んで、アルスは思わず尋ねる。
「うん、でも"激しい運動をしなければ大丈夫ですから"って、アルセンさまは言っていたよ」
リリィの言葉に、アルスはまた驚く。
「言っていたって。じゃあ、リリィはアルセン様に会ったの?」
「うん、ご飯を食べた 後に会ったの」
リリィはネェツアークと共に、厨房で朝食を取ったのちに竈番のマーサに、子犬の世話を頼まれた事を話す。
そして子犬がいるという厩に行った先に、先にアルセンとアトが"散歩"で訪れていたという事だった。
「そこでアトさんと子犬のお世話をしている時に、アルセンさまとネェツアークさまが厩の外でお話をなさってて。
その時、賢者さまの使い魔のカエルさんがお手紙をもってきたらしいの。
あと、私からみてもやっぱり元気がなかったみたいだったから、疲れているんだと思う。
でも、お散歩なさっているから、大丈夫なのかな?」
「ああ、じゃあアルセン様は本当に疲れていらっしゃる程度なんだ。良かった。
けど、アルセン様、無理なさらないで部屋で休んでいればいいのに」
「アルセンさま、気分転換したいみたいに、仰っていたから。あっ、ほらお手紙の続きを読もうよ」
リリィが見た様子では、アトがアルセンを連れ出しているのが判った。
恩師を敬愛するアルスが、無邪気なアトに責めるような言葉をかける事はないが、やはり良い印象はもたないだろうから、リリィは手紙の先を急す。
【そういうわけで、リリィは、シュト君とアト君と一緒に旧領主邸の地下室で、儀式が終わるまでお留守番をよろしくね。
あと、お兄さんのアルス君にもこの手紙をみせてね。
多分、今日の夕方にはいろんな事に片がつくから。
もうすぐ会えるから、元気でがんばってください。
ウサギの賢者の専属巫女のリリィへ。ウサギの賢者より】
賢者の手紙は、そんな言葉で締め括られていた。
「―――途中から参加のネェツアークさまも賢者さまの代わりをするのに。
ルイだって子どもなのに、グランドールさまと一緒に儀式するのに」
そこでリリィは、大変不満そうに可愛らしい頬を膨らませた。
「私だけ、農業研修の皆と違う事をさせるのに。これも賢者さまは愛しているから、私にすることなの?アルスくん?」
そういい終えたリリィは何か宥める言葉がくると思って、強気な瞳でアルスを身構える。
アルスはあっさりと頷いた。
「そうなんじゃないかな。だってリリィが言っていたじゃない。
"自然災害"は人じゃどうしようにもならない事って。
それに、領主様が対策を取る事が出来るって言うまで、本当に怖がってもいただろう?。
賢者殿は、怖がっているリリィしか知らないから、そういう風に手紙に書いたんじゃないかな?」
そしてアルスはふと気がつく。
(もしかしたら賢者殿は、自分がリリィをこうやって説得するのが分かっていたから、手紙を見せるように?)
ウサギの賢者が姿を現せない今、こうやってこの強気な少女が本音をさらけ出して、尚且つ"不満"の言葉を話易いのは確かにアルスだけだった。
他の大人達に、本音を出すことは出来るだろうが、賢者への不満は出し辛いだろう。
(リリィの事だから、不満を言ったなら、それが"ウサギの賢者"殿の迷惑に繋がるかもしれないって、不満を我慢するから)
そこまで考えて、アルスは再び、思わず噴き出してしまう。
「アルスくん!?」
「ゴメン、でもやっぱり賢者殿は、リリィの事を物凄く大切に思っているし、愛しているし、"わかって"いるんだと思うよ」
(ただ、計算し過ぎていて少しだけ"まどろっこしい"とも思うけれどもね)
手紙を片手にまとめて、アルスは正面にあるリリィの頭を優しく撫でた。
「賢者殿にしてみたら、やっぱり自然災害は怖いものなんだよ。
だから、リリィには安全な場所で、待っていて欲しいんじゃないかな」
「私も、皆の役に立ちたいのに」
まだ不満そうなリリィにアルスは手紙を見て、思い出したように言葉をかける。
「でも、リリィ。アルセン様もお部屋で休養なさるみたいだから、参加出来ないのは同じじゃないかな」
気休めに、手紙に書いてあった事からアルセンが参加しない事実を例に出してみる。
「アルセンさまは、本番では活躍出来ないのはわかってます。それでも、代わりの役目をなさることになったリコさんに、アドバイスするそうです。
だから、打ち合わせをするというネェツアークさまと一緒に、蔵に行かれてしまいました。
私は、アトさんと部屋に戻って、シュトさんが来るのを待っていなさいって。私だけ、本当に何にもかかわれていない」
形の良い可愛らしい唇をリリィは、歯で噛み締める。
("寂しい"んだろうな)
昨晩の自分のアルセンの見よう見まねだけれども、アルスはリリィをぎゅっと抱き締めた。
リリィは、委ねるようにアルスに華奢な身体を傾けた。
「アルスくん、私は何時になったら賢者さまのお役にたてるの?。
何歳になったら"愛しているから""大切にしているから"って、子供扱いされなくなるの」
大人達には洩らせない。
そんな幼い不満を、リリィはまだ出会って1カ月しかたたないけれど、兄のようにしか思えない少年に、悔しさの為に歯形がついた小さな唇から溢した。
「リリィ」
その声は震えて、悲しんでいるのがアルスには分かった。
抱き締めるを止め、小さな肩に手を置いて、正面から見つめると、尊敬する師と同じグリーンの瞳が、潤んでいる。
("愛している"といったのは、自分の失敗だったかもしれない)
―――――愛しているなら、どうして?!
観劇や、恋愛小説や、もしくは悲しい事件が起きた時、そんな"愛"のという使われかたをする言葉を、アルスですら、聴いた事はあったのに。
(自分が、"愛"を語ろうなんて、早いし、"傲慢"だったかも)
ドクンっ
"私"の側にいる、"居ただけ"のお前に、―――や―――の何がわかる?。
冷たく浴びせられた言葉を"思い出して"。
余りに悲痛な声と、冷たく固い岩で殴られたような激しい頭痛が、アルスの金髪の頭の中を駆け巡った。
「っ痛!!」
初めて体験するような痛みに、思わずアルスは籠手を嵌めた手で頭を押さえた。
―――紅い瞳の女性が"僕"を嘲笑って
「アルスくん!?お兄ちゃん!?」
余りの痛みに顔を歪めるアルスに、リリィは自分の不満と悲しみを一瞬で忘れた。
「リリィ嬢!?どうされました!!」
悲鳴に近い兄を呼び掛ける声に、ディンファレが客室から飛び出してくる。
そしてトラッド兄妹が廊下に2人で蹲るようにしているのを見つけて、すぐに駆け寄ってきた。
「おい、どうしたんだっ?!」
ディンファレが凛々しい声で呼び掛けるも、アルスは反応することが出来ず、未だに頭痛による苦痛に顔を歪め、今は目を固く閉じて両手で頭を押さえている。
リリィは、そんなアルスの様子に震えて、固まってしまっている。
(今は、リリィ嬢に尋ねても駄目だな)
ディンファレが一瞬でアルスとリリィを見比べた後、その2人の間に割って入る。
自分とそんなに背丈は変わらず、体重は重たいだろうアルスの体を横抱きにディンファレは抱え上げる。
「ともかく、中へ運びます」
そう言ってフラつく事なく、アルスを抱えて客室に運ぶ。
部屋に抱えて入ったと同時に、ディンファレはソファに座っていた執事見習いの弟に、明確に発音をして呼び掛ける。
「アト、ベットにアルスを寝かせます!布団を開けて下さい!」
「はい、ディンファレさん!」
先程まで"ディンファレ"と発音をすることが出来なかった少年は、はっきりと女性騎士の名前を発音した。
そして指示されたとおり、寝台の掛け布団を捲り上げ、人が横たえられるスペースを作る。
アトが作ったスペースに、ディンファレは速やかに、まだ頭を押さえるアルスを安置した。
「アト、アルス君の左足の靴を脱がしてください。ディンファレが右を脱がします」
アルスの剣を腰から外しながら、またアトに指示を出す。
「ディンファレさん、わかりました。アルスの靴を脱がせます」
迅速にディンファレとアトで靴を脱がせた後、仕上げに軽装の鎧を外した。
アルスは先程よりは楽になっているらしく、頭を押さえる手は離れていた。
ディンファレは一息をついて、籠手も緩めて外し始める。
「リリ、大丈夫ですか?」
その声で、ディンファレが振り返るとリリィはアトの服にしがみついていた。
「リリ、大丈夫ですよ。ディンファレさん、凄いですから」
アトの姿と物言いに、ディンファレは王都にいる法王ロッツを不意に思い出す。
そして、リリィの事を頼まれていることも。
「もし良かったら、どういった感じでこんな風になった教えて貰えますか?」
両手から籠手を外し終えて、それを自分の膝の上に置きながら、ディンファレが優しい声でリリィが尋ね、その落ち着いた声に、人心地がついたリリィは小さく唇を開いた。
「お話をしていたら、お兄ちゃんが、急に、頭を押さえ込んで。頭が凄く、痛そうでした」
心配と怯えを込めた声で、リリィがディンファレに自分に分かる範囲の事を伝える。
「大丈夫ですよ、リリ」
同じ言葉を繰り返し、アトがリリィの頭を優しく撫でた。
そして同じ言葉を繰り返すという"拘りのクセ"は、アトとロッツは共通したもので、その事が、王都にいる自分のあるべき姿をディンファレに思いださせる。
(申し訳ありません、ロッツ様、ミュゲ様。私の"役目"を忘れてました)
強気な"紅い瞳"の女性が腹にロッツの"子"を宿したと分かった時、当たり前のように言われ、頼まれた。
『ディン、御腹の子どもはあんたの妹みたいなもんだから、頼むね』
可憐や華奢からは、ほど遠い、逞しい女性だった。
閉じ籠ってばかりいるディンファレを、表に引っ張り出して、彼女なりに 楽しめるように、"義兄"譲りの屁理屈を押し付けて、生きる事の楽しさを教えてくれた。
『ディンは可愛いんだからさっ、もっとフワフワのとか着たら?』
彼女の方が、ディンファレには大層美しく見えてしかたない、尊敬出来る人だった。
その人の子供の"お姉さん"になることを認められた事が、嬉しくて堪らなかったのに。
(私は何と言われようと、自分の役目を果たそうと決めていたのに)
こちらに来て"あの男"の姿を見た自分が、"私怨"に囚われていたのを、痛感させられる。
(今からでも、私は、確りしなければ)
ディンファレにとっては、お姉さんは"憧れ"だったから。
"リリィの憧れであるように"
「そうですか。打ち合わせの後に、最終的な御祓をする為に一度リコがこちらに戻って来るそうですから、その時診せましょう。
それに今は、頭痛も大分治まったみたいです」
ディンファレはアルスの手首を手に取って脈をはかり、息づかいを見て小さく頷いた。
「―――私の見解ですが大丈夫でしょう」
凛々しい女性騎士が出した具体的な動作や、言葉にリリィはアトにしがみついたまま、こっくりと素直に頷いた。
「リリィ嬢。あちらに、ソファーに座ってお話をしましょうか。
打ち合わせは終わるのも、もう少し、時間がかかるみたいですし。
落ち込んでただ突っ立っていても、アルスが回復が早まるわけではありませんから」
「リリ、ディンファレさんと一緒に座りましょう。アトも座りたいです」
ディンファレの言葉に続いて、アトの正直過ぎる物言いにリリィは驚いて、目を丸くして―――笑った。
「ディンファレさん、アトさん。はい、座ります」
リリィは素直に2人の言葉に従う。
少しだけ、少女にに張りつめていた悲しみや不安の雰囲気は抜けた。
リリィを挟むようにして、女性側の客室にある豪華なソファーに、3人で腰をかける。
大きなソファーなので、リリィは爪先が浮いて、座ってから、誰も口を開かないので沈黙が場を占める。
すると、どうしてもリリィはアルスが横たわる寝台へと視線をやってしまっていた。
「何かお話でもしたいですが、私はリリィ嬢が悦びそうな話題を知りません」
沈黙は嫌いではないが、兄ばかりを心配して眺め続けるのは如何なものだろうと考えた女性騎士は、徐にリリィを見つめながら、そんな事を言った。
「あの、私がよろこびそうな話じゃなくても、ディンファレさんが好きなお話でも聞いてみたいです。ね、アトさん」
無邪気な年上の友人見上げながら言うと、アトも、リリィの言葉に頷いて、ディンファレに笑顔を向けながら口を開いた。
「ディンファレさん、何が好きですか?」
リリィもその横に座るアトも"自分"について尋ねてくるのは想定外だったので、ディンファレは珍しく綺麗な顔にキョトンした表情を浮かべた。
だが、"質問に答えねば"と直ぐに切り替えて、凛々しい女性騎士は、細い顎にしなやか指を当てて少しばかり考え込む。
しかし、いざ考えてみると、"これ"と言えるものが思い付かず、ディンファレはとりあえず暇さえあれば励んでいる鍛練を口に出した。
「私は、剣術の鍛練が好きですね」
「け、剣術ですか!?」
「剣術、カッコいいです!」
リリィは驚き、アトは両手 を上げて、喜んで万歳をする。
「―――法王猊下の精霊術は、今の所、国の誰も敵う方がいません」
ディンファレがそう言うと、リリィもアトも静かに頷いた。
「法王猊下に"敵無し"と言いたいですが。
リリィ嬢もご存じの通り、法王猊下、ロッツ様は、"とても優しい方"であられます。
だから滅多な事で、攻撃的な精霊術を使う事がありません。
しかし不埒な奴がいるので、術を使わない優しいロッツ様に、不届きな事をしでかそうとする輩もいます。
それを防ぐのと、敬愛するロッツ様を護る為に、私は剣術を鍛練します。
大切な方を護る為の力をつける事は、私にとっては娯楽―――"好きな事"と同じです」
長く、ザっと女性騎士は自分が好きな事を述べた。
そしてディンファレはとても優しく包むような表現をして、法王を語る。
今の法王―――ロッツは、絶世の美貌を誇った母親譲りの、整った顔立ちの男性である。
例えを上げるとするなら、美人で有名なアルセンを秀麗と表現するなら、法王ロッツは可憐という言葉が当てはまるだろう。
表だった儀式ではベールを着けているが、その整い過ぎている容姿と母親譲りの可憐さは国民も知るところであり、精霊術の優秀さも合わせて、"法王"としてのカリスマを発揮していた。
ただ一般国民には伏せてはいる事は、法王ロッツには発達に"偏り"がある事。
知能の理解力や発達 が非常に緩やかで、34才の現在でもまるで無邪気な幼子な雰囲気を常に醸し出していて、ある意味可憐さを助長させている所もあった。
"発達の偏り"の種類は丁度この場にいる、アトにも共通する類とディンファレは考える。
現に前法王サザンカが幼児期のロッツに施したやり方で、"ディンファレ"の名前を教えたならば、アトは直ぐにそれを吸収して、名前を正確に覚えた。
そしてロッツの場合は精霊術における比類無き才能を、教育係でもあったサザンカが見いだした。
"偏り"具合に似合った教育を施すことによって、学術的な理解はそこそこにしつつ、精霊術の方は国に敵無しと言われるまで成長していた。
そして何より、見栄や虚勢といった利己的な"欲"が、ロッツにはない事も、王族でありながら法王として教会を取り締まる法院からも認められて今に至る。
「"優しすぎる"ロッツ様が傷付かないように、自分の鍛練を怠らない、それが私の楽しみです」
「憧れます」
鍛練を"楽しみ"を言い切ったディンファレの横で、リリィが感激して手を握り合わせ、ロッツと同じ色の瞳を輝かせる。
それからリリィは瞳を憧れに輝かせたままディンファレを見て、次に寝台に眠るアルスを見る。
「―――私も巫女じゃなくて、剣士になりたいな。そしたら、まだ、皆の役にたてていたかもしれないのに」
幼さ故の安直な思いをリリィが口にすると、ディンファレが苦笑いをしなが首を横に振った。
「いいえ、剣士だったら、リリィ嬢はまだ惨めな思いをなさっていたかもしれません」
ディンファレが容赦なく事実を告げると、リリィは兄の前と同じように唇を噛んだが、それでも、優しくも厳しい女性騎士は言葉を続ける。
「剣術は勿論、何にしても、基礎が大事です。けれど基礎を極めてたなら、技術も物を言いますが、やはり"力"が物を言うのが剣術の世界ですからね。
正直に言って、女子には剣術を補う魔術や、力を上回るスピードがあって騎士の仕事が勤まっていると、私は思います。
配下に当たる、リコもライも、当てはまります。リコは剣術も修めつつ治癒術師として。
ライは魔術も凄いですが、その敏捷な動きで、男の騎士殿を翻弄しますからね。
私も並みの魔術師ぐらいには、術は使えますから」
「で、でもディンファレさんは、セリサンセウム王国の中では、強い女性騎士なんですよね?」
「ディンファレさん、強いです!」
ディンファレと初めて会った時、剣を抜いた気迫は実力が伴わないものでは出せない迫力を伴っていたとリリィは確信している。
アトも確信したように語るリリィの言葉に乗るが、ディンファレは苦笑いしてこれにも首を横に振る。
「中庭でご覧になったでしょう?。ここの領主殿に剣は止められて、しかも大農家殿の弟子には剣を弾かれ、しまいには、諜報活動の国王直轄の方に拳は片手で止められる始末。
私は、まだまだ精進が足りないし、強い方は沢山いらっしゃいますよ」
謙遜にも自嘲にも見えるディンファレの言い方に、そんな彼女に憧れるリリィは悲しそうな顔をする。
しかし、すぐにその悲しみを振り払うようにら小さな首を激しく左右に振った。
そして強気な瞳に、憧れの輝き持たせて口を開く。
「そ、それはアプリコット様とネェツアーク様がウサギの賢者さま並みに強かったから、仕方ないんです!。
ルイは、お腹があんなに減るまで力を使ったから、偶然で!」
このリリィの言い分に、王国最強のである女性騎士は度肝を抜かれていた。
「リリィ嬢は、その"ウサギの賢者殿"が、仮面の領主様よりも、大農家殿の弟子よりも、あの"鳶色の男"より、お強いと考えているのですか?」
少女は、躊躇いなく頷いた。
「はい!賢者さまのあの可愛らしい姿に、誰も攻撃は出来ません!」
「はい!ウサギの賢者さん、可愛いです!」
リリィとアトの言い切りに、ディンファレは口を丸く開けて、瞬きをしてから、噴き出した。
『あの、"可愛いウサギの姿"じゃなかったら絶対歯向かうのに~!。
ずぇったい反抗してやるのにぃ~!!』
可愛らしいウサギの姿に翻弄され、愛らしさに丸め込まれて悔しがる、憧れ人の心が、確実にリリィの中に受け継がれていた。
瞳以外の姿は、父親にそっくりなのに、中身は本当に母親似なのだとディンファレが実感した時。
「―――リリィ?」
寝台からアルスが声を出した。
「アルスくん!」
リリィがソファーから飛び降りて、アルスの枕元に駆け寄った。
アトも駆け出す少女の後ろについて行く。
寝台の側にたどり着いた時、アルスの表情には痛みなどなく、ただ不思議そうなを様子で駆け寄ってくるリリィを見つめた。
「大丈夫!?頭が痛かったんでしょう?!」
リリィが駆け寄った頃には、アルスは寝台に上半身を起こしていた。
「頭痛?そうなの、かな?。あれ?!いつの間に?!」
そして身軽になっている、自分の格好にアルスは驚く。
「何処が痛かったのか、どうして倒れたのかも、解らないのか?」
ディンファレがソファーから立ち上がりながら、アルスに向かって声をかけた。
アルスは自分の姿に驚いたまま、口を開く。
「―――あの正直に言って、今どうして自分が装備を外して、寝台に横になっているかすら、分からないんですけど」
「ええ?!」
「何だと」
リリィとディンファレが続けて驚きの声を上げた。
少女はアルスの言葉を信じられないと言った様子で振り返り女性騎士を見つめ、女性騎士も同じような気持ちで、寝台の側に立つ少女を見つめ返していた。
「しかし、今の所は大丈夫そうだな」
寝台の方に近付きながら、ディンファレが呟くように言うと、アルスは彼女がいるという事に今更ながら驚いていた。
そして部屋にいる面々を次々眺めて、顔を少しだけ赤くしながら小声でリリィに尋ねる。
「リリィ、自分は、ぼ、僕はどうやってここに運ばれたのかな?」
"どうか、引き摺られてでも構わないので、リリィの後ろでニコニコと笑っているアトに運ばれていて欲しい!"
アルスはそんな風に切実に願っていた。
「え?ディンファレさんが抱っこしてだけど?」
リリィが何を当たり前の事を尋ねているんだろうと感じで答えると、アルスは耳まで真っ赤にして、両手で顔面を押さえた。
「絵本のお姫様と同じでした!。アルスがお姫様、ディンファレさんが王子様でした!」
そしてアトの追撃の一言に、がっくりと肩も落とす。
「あ、アト君、ちょっと勘弁して」
消沈しきった声を絞り出すようにアルスが出して、今度はリリィとアトが顔を見合わせて、キョトンとした。
「―――女に抱えられた事に、何を照れることがある。衛生兵である女性騎士など、肩と腰に負傷した兵士を二人抱えて動く訓練もある。
横抱きに抱えて一人を運ぶぐらい、王族を護衛する身として出来て当たり前の事のだから、気にすることはない」
ディンファレが"新人兵士の前では"と、いつもの調子を取り戻した様子で、キリッと発言するとと、アルスは若干顔を赤くしたまま顔を覆っていた両手を離した。
「すみません」
アルスのディンファレに対する"淡い気持ち"を知らないリリィとアトは、2人を担いで活躍するという衛生兵の話に感動している。
少年の気持ちとは裏腹な会話ながらも、そういった"色恋"に疎いメンバーによる反応や会話で、場は和んでいった。
そして不意に寝台の側にディンファレは膝まずいて、アルスの空色の瞳を見つめた。
「―――記憶がないか」
「ディンファレさん!?」
まるで姉が弟を看病するように、ディンファレがアルスの額に手を当て、アルスは引いた赤みを再び引き戻して、顔を紅潮させる。
少年の額に手を当てるディンファレは、少しばかり首を傾げる。
「フム、リリィ嬢。すみませんが"おでこ"を出してもらえますか?」
「あ、はい!」
側にいるリリィにそんな風ディンファレに呼び掛けると、リリィは最初"おでこ"という言葉に戸惑いながらも、直ぐに意味を理解して前髪を上げて綺麗な額を見せた。
ディンファレはアルスに当てていた手をあっさりと外して、そのままリリィの小さな額に当てる。
「リリィ嬢。私の手の平から、温かさと冷たさ、どちらを感じますか?」
「―――えっと、そんなにどっちも」
リリィの言葉にディンファレは頷いた。
「では、同じくらいですか?」
「はい、同じくらいです!」
リリィのこの言葉にディンファレはまた頷く。
「私も同じくらいに感じました。どうやら、熱はない。アルス―――呼び捨てで構わないかな?。
どうも後輩は、名前で呼び捨てする方が呼びやすい」
ディンファレが綺麗な笑顔で尋ねると、アルスは顔を赤くしたまま頷いた。
「では、アルス。この後にある儀式に護衛として、参加は出来そうか?」
ディンファレの冷徹な声に過剰な反応を示したのは、リリィだった。
「ディンファレさん?!アルスくんは、今さっき理由もわからないで、倒れたばかりなんですよ?!」
「―――ヒッ?!」
リリィの声の激しさと大きさに、アトが怯えた。
「リリィ!」
年上の人物に本当に食って掛かるような鬼気迫る少女の言い方には、アルスも驚いた。
そしてディンファレは、男子2人を驚かせた、少女にも微笑みを向ける。
「兵士、騎士ならば当たり前の事ですよ。リリィ嬢」
(勝ち気な部分は母親譲りと思ってばかりいたが、"家族"を思いやる気持ちはどうやら、"鬼神"と呼ばれた祖父譲りらしいな)
幼い時分、一度だけ老いた王が刀を振るう姿をディンファレは見た事がある。
偶然山麓の貴族の屋敷で行われていた、富裕層の婦女子の茶会。
そこに王妃となっていたスミレと、お忍びで居合わせた老いた国王がいた。
そしてその茶会に、金品を狙い急襲してきた野盗を躊躇いなく斬り伏せる姿を、富豪である親に連れられていた幼いディンファレは見ていた。
白髪の中から覗き見えるような澄みきった黒い瞳と、鮮やかで豪胆な剣術に心を奪われて、まだ引っ込み思案過ぎる少女が、初めて習い事を始めたいといったきっかけにもなった存在だった。
そして今のアルスを心配するリリィの姿と瞳は、かつての老国王の澄み切った瞳を彷彿とさせる。
"大切な者を傷つけようものなら、どんな相手だって鬼神の如く怒り狂い、立ち向かう"
(祖父となるグロリオーサ様の"血"も、確りとリリィ嬢の中にあるのですね)
「リリィ、本当に自分はもう大丈夫だから!」
アルスが寝台から脚を出して、リリィの小さな肩に手をかけた。
「でも、アルスくん、あんなに痛そうにしてたんだよ!?」
アルスの手を振り落とすように、肩を激しく振る。
―――傷ついた人を見るのが、もう嫌だ。そして何より
"独りは、もうイヤなの!"
(え?)
大きく肩を振るい、優しい手が肩から落ちた時。
自分の声と同じ響きと高さを持つのに、違う意思の声がリリィの頭の中に響いた。
「リリィ、それじゃワガママみたいになってしまっているよ」
困惑を含めつつも、宥めようとするアルスの声にも、反応出来なかった。
ディンファレが目を細めた時、何かに気がついたように小さく顎を上げて、ポケットから緑色の石が嵌め込まれている―――軍の通信機が取り出された。
注目は一斉に通信機に向かい、ディンファレはカチリと片手でスイッチを入れた。
『ディンファレ様、打ち合わせは終了しました。
これから最終的な支度の為に御祓を行い、グランドール様から分けて頂いた塗香を塗って、儀式の場に集合だそうです』
リコの理性的な声が通信機から響く。
「―――了解した。ところでリコリス、1つすまないが御祓前にやって貰いたいことがある」
『あ、はい、なんでしょう?』
改めた様子で名前を呼ばれて、返ってきたリコの声が多少緊張していた。
「そんなに緊張する事ではない。実はアルスが先程、激しい頭痛に見舞われててな。
今はもう治まっているし、本人も平気だと言ってはいるが、念を入れて診て貰いたい」
『アルスが!?』
突如割って入って聞こえてたのは、アルセンの声だった。
どうやら、リコの側にいるらしい。
『にゃ~、アルセン様、驚きながらも見事な運針だにゃ~』
ライもいるらしい。そしてアルセンは何やら、縫い物をしている様子も実況してくれる。
「ああ、そういう事だから、頼む。アルスは既にこちらにいるし、熱も計ったが今は本当に大丈夫そうに、私には見える。
リリィ嬢とアトも一緒だから、見習い執事君がいたならそう連絡してやってくれ」
『わかりました。それでは、アルセン様に縫い上げをしてしていただいたら、そちらにすぐに』
『了解にゃ~』
理知的なリコ声とライの軽快な声で、通信は切れた。
「―――リリィ嬢、治癒術師のお墨付きをいただいたなら、アルスの護衛の参加、お許し願えますね?」
通信機を終いながら、ディンファレはリリィに尋ねた。
「リコさんが、絶対に大丈夫って言うなら」
リリィが俯きながら、仕方ないといった様子で納得した。
「リリィ、ちょっといいかな?」
アルスが靴も履かずに寝台から降りて絨毯の上に立ち、リリィに向き合う。
自分がわがままに等しい事ばかりを口にしていると、わかっている少女は、アルスから、"兄"から叱られるばかりだと思い、幼い頬を強ばらせていた。
「"ありがとう"」
「え?」
アルスの言葉に、リリィは意外そうに顔をあげると、そこには優しい笑顔を浮かべるアルスがいた。
「自分は、僕は今まで家族みたいに心から感じられる人がいなかったけれど、リリィのおかげで多分産まれて初めて"家族"って分かった気がするよ」
"兄"みたいに憧れている人は、いるけれど、その人はもう家族の縁を越えた"親友達"がいる人だから。
兄の様に慕う事は赦されても、きっとその親友達に見せる弱い部分をアルスに見せてくれる事は、ない。
「優しさとか、頑固さとか、弱音とか、家族だから隠した方が良い感情とか、全文引っくるめてリリィは、僕に見せてくれたような気がするんだ」
家族だから、何をしてもよいわけではないのは分かっている。
だけど、どうしようもなく押さえられない感情をや、怖くてたまらない気持ち押を吐き出して貰える事は、それほど信じて頼られている―――"信頼"されている証拠でもあるから。
「リリィは、ウサギの賢者殿が大好き過ぎて、我慢しているところがあるだろう?。
けれど、さっきは真っ向からリリィの気持ちを自分に、僕にぶつけてくれたよね?」
「アルスくん、記憶はあるの?」
リリィが驚いて見つめると、アルスは苦笑する。
「うん、そこらへんはあるよ。リリィが皆の"役に立ちたい"って一生懸命だったのは、覚えているよ。
でも、正直に言ったならその後からがないかな」
アルスが苦笑いすると、リリィは細い首を横に、振った。
「あっ、あの無理に思い出そうとしないで!」
本当に苦しむアルスの姿を垣間見てしまったリリィは、急いで止める。
思い出す事で、またひどい頭痛に悩まされるのではないかと、心配しているのがアルスには分かる。
(ありがとう、優しいリリィ)
そんな事を思いながら、アルスは口を開く。
「―――じゃあ、無理をしないから、リリィに約束して欲しい事がある」「何を約束するの?。私、出来ない約束はアルスくんとしたくないよ」
リリィがまた俯きながら、約束をすることにはあまり前向きではない様子を、言葉と態度で表していた。
「その言い方は、もしかしてウサギの賢者殿の真似―――と言うよりは、影響かな?」
またしても苦笑いをしながらもアルスの言う言葉はあてずっぽうながらも、見事にその通りで、リリィは少し顔を赤くした。
「昔から、誠実なのか不誠実なのかわからないが、答えをふざけることがお好きな方だ」
ディンファレが腕を組ながら、呆れを含んだ声で言うと、アトが激しく顔を横に振る。
「ふざけるのいけません!皆迷惑をします! 」
「ああ、そうだな。アト。だからあの賢者殿は"お茶目"と言い張るが、大概始末が悪い」
ディンファレとアトによる、ウサギの賢者への軽い非難にアルスを見つめていた顔をリリィは、2人に向けた。
「あの、違うんです。1つの約束なのに、守れなかったら"2人"が悲しむ事になるから。
だから、出来ない約束は"大切な人"とはしない方が良いって、賢者さまが」
「また、あの賢者殿はそんな"詭弁"を」
懸命に賢者を庇うリリィの言葉に、ディンファレは眉間に縦皺を刻む。
「"悲しい"は、嫌です、ないほうがいいです」
アトはリリィの言う言葉で、"悲しい"の意味だけは理解出来たらしい。
今度は小さく首を横に振るった。
リリィはアトの悲しそうな言葉に大きく頷いてから、またアルスの顔を見つめて口を開いた。
「だから、もし出来なさそうな約束なら私は、したくない。
"私は貴方を裏切りたくはないの"」
少女の大人びた言い方に、アルスは空色の瞳を大きく開いた。
それから、笑って安心させるように強ばるリリィの頬に手を当てる。
「大丈夫、守るのはきっと簡単な約束なつもりだよ。
その約束を守れたなら、リリィも僕も―――そしてウサギの賢者殿も嬉しくなる約束だから。
だから、リリィ。"約束をする"ことに、怯えなくてもいいんだよ」
アルスの空色の瞳に溢れる"自信"に、リリィはどこか懐かしさを感じて―――静かに頷いた。
「じゃあ、約束しよう。
自分はリコさんの診断を受けて、大丈夫なら護衛に参加。
リリィは、賢者殿の手紙の通りシュトやアト君と旧領主邸の地下室で待っていて。必ず無事に帰ってくるから。約束は、それだけ。いいね?リリィ」
リリィは、静かに頷いた。




