表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
53/195

【早朝の夢】

どこで聴いた話だろう。



明け方、明けの明星が輝く頃に見る夢が正夢になると言った話は―――。




 

(雨足は大分弱くなっているけれど、まだ降っているな)

ロブロウの客室のベッドの中で、幾度目かの朝をアルスは迎える。

耳に入り込んでくる昨夜から降り続ける雨は、弱くなっているけれどまだ降っている事に少しだけ不安を抱いた。


(いや、違うか。"僕が"不安なのは)

平時、アルスの一人称は"自分"である。


彼が自分の一人称を"僕"という時は、不安な時だけで、更に口に出して使う時は、本当に信頼出来る相手の前だけであった。

そして現在、アルスが"僕"を使って話せる相手は2人―――細かく言えば、1人と1匹。


1人は浮浪児同然だったアルスを、貴族の気まぐれかどうかわからないが、世話して、兵士の就職までしてくれた美しい軍人、アルセン・パドリック。

1匹の方は、どういう理由があるか未だ分からないが、国が禁止している"禁術"を使ってウサギの姿をしている、"ウサギの賢者"だけであった。

そして昨夜から、ウサギの賢者は現在も姿をくらましている。


(賢者殿は、自分の命よりリリィの事を大事そうにしていたから、きっと何か、やむに終えない理由があるからに決まっているんだろうけれど)

アルスは寝台の横になったままで、空色の瞳を瞬きした。

そして、横からは結構盛大ないびきをかくルイがいることに、今更ながら気がつく。


"アルスは集中すると周りが見えなくなる事がありますから、そこを少し気をつけましょう"

集中し過ぎて、周りのことに疎かになった時にアルセンに注意された事を思い出す。


まだ訓練生で"型"を問わない剣術の稽古の時、戦える相手がいなくなってしまったアルスの相手を、本来ならば座学の教官のアルセンがしてくれていた。

訓練生及び、教育隊に配属されていた軍人が誰も、"型"がない戦いの場合アルスの相手が出来ない―――相手にならなかったのだ。


他のアルスの訓練の出来具合はと言うと、勉学・運動は上位をキープしていたが、どういうわけか魔術―――魔法に関してはからきしに駄目であった。

本を読む上での理屈は完璧に理解出来ていたが、いざ魔法の実践となると全く駄目である。


ただどうやら、幸か不幸か魔法や魔術の必須となる"精霊"達に、アルスは好かれる素養は抜群であった。

魔術の講義などで、教官が実習室に精霊を招き呼び入れ途端、呼んだ本人の元には行かず、全く才能がない訓練生のアルスにまとわりついて飛び回る状態となっていた。

ただ当のアルスは火の精霊のサラマンデル(小さな炎のトカゲ)が首筋を這いずり回ろうが、風の精霊がふざけて髪の毛を乱そうが、

"何かありますか?"

とこんな感じで、気が付かれない精霊の方が寂しがっている様子も見受けられた。


そして"からきし"の魔法の才能を補うように、アルスの剣術の才能は冴え渡り、軍の学校にいる軍人では、かつて英雄と呼ばれる人物でなければ務まらない程、鋭かった。

ただアルスは剣術がいくら凄くても、全くおごらなかった。


いくら周りが褒めても

"自分には魔術の才能がないから"

と自嘲気味に笑うぐらいだった。

だが、その凸凹でこぼこ具合の成績が逆にイヤミにならず、アルスの訓練生間での人間関係を潤滑な物にしていた。

そしてアルスが個人的に"幸運"だと感じたのは、剣術の腕前が上達しすぎた事で、敬愛するアルセンと手合わせまでして貰える事になった事だ。

何より―――密かにアルセンに対して、"兄"といった感情を抱いているのはアルスのとっておきの秘密でもあった。


アルスがアルセンとの模擬試合に集中し過ぎて、守りが疎かになり、偶然訓練で使われていた矢が肩の方に飛んで射抜かれそうになった時。

アルセンがその矢を防ぎ、守ってくれた。

その時、アルスは集中し過ぎて周りが見えなくなる事への注意を、アルセンから心配そうな顔され、直々に受ける。


戦いに集中していたんじゃない、"兄"との修練の時間が本当に楽しくて、嬉し過ぎたから、夢中になっていたとは言えなかった。


(アルセン様だから、集中してましたなんて、厚かましくて言えないし)

実際、模擬戦闘の場合でもアルスは剣術のみの試合なら5対1でも勝てていた。

だが、どうやらその事は他の教官を通して、アルセンにも伝わってしまったらしい。

そして賢いアルセンは、アルスが矢を避けきれなかった、"本当の理由"に気が付いてしまった。


数日後、アルセンの教官室に個人的に呼ばれ、簡潔にアルスが集中し過ぎた理由を言われて、俯く事しか出来ない。

最初は何気なく世話した少年が、考えていた以上に自分の事を敬愛していた事に、アルセンの心の内は喜びの驚きに満ちていた。


『仕方ない"子"ですね』

そう言って、椅子から立ち上がりいつも填 めている白手袋をアルセンは外して、アルスの頭をポンポンと優しく撫でた。


『私は、教官の立場なのに。側に置いておいたら、可愛い弟みたいで、アルスを甘やかしてしまいそうな自分が怖いです』

それだけアルセンは言って、アルスを教官室から返した。


そして数日後、アルスの配属先をアルセンが決めた。

ただし、配属先はアルスただ1人。

他の同期の新人兵士、ましてや先輩になる軍人すらいないという、ある賢者の"護衛部隊"。

そして、魔法は確かにからきしではあるが、剣術にかけては優秀なアルスの配属先を、アルセンがほぼ独断で決めたとも噂になった。


その事で軍の上層部で、アルセンが数名の軍の幹部と多少揉めたとも、耳聡いアルスの同期生が、教えてくれる。

後から更に教えて貰った事によれば、アルスの剣術の腕前に、密かに目を着けていた人物が数名いたらしいのだが、アルセンがそれを突っぱねる形で決めたとのことだった。


アルスは心配したが、表面上は変わらないアルセンに何も尋ねる事が出来ずに、配属先に向かう前日にまでなった。

そして、半数以上の同期が新しい配属に旅立ちすっかり淋しくなった、軍学校の廊下でアルスは佇むアルセンを見つけた。

相変わらず、同性から見ても綺麗な顔をしていて、少し切なそうに緑色の瞳を細め、廊下の窓から景色を眺めていた。


『―――アルス』

アルセンはアルスに気が付いて、声をかける。


アルスは小さく頭を下げると、白い手袋を填めた左手で手招きされたのでアルセンの横に立った。


『皆さん、新しい配属先に行ってしまいましたね。今までが大層賑やかだった分、寂しいですね』

横に佇むアルスに、アルセンは優しく語りかけた。


寂しいと話すアルセンに、元気づけるつもりでアルスは同期達で話していた事を告げる。


『でも、早速同期で集まって食事―――飲み会をしようって話が出ていますから。2ヶ月後ぐらいに、新人兵士と女性騎士の武道大会があるから、早速みんなで集まろうって。

だから、良かったらアルセン様も来てください』

 

『アルスは、優しいですね。貴方なら"良いお兄さん"になれそうです』

その時、どういう意味で"兄"という言葉をアルセンが使ったかアルスにはわからなかった。

配属先に、年下で強気なアルセンと同じ緑の瞳を持つ美少女の巫女がいることなんて、アルスには考え及ばなかったから。


そして何よりも、アルスにとっては横にたつ美しい軍人程、"兄"という言葉が一番似合う人はいないと思っていた。

アルセンの"良い兄になる"という言葉がアルスを少しだけ複雑な思いにさせる。

その複雑さを払拭させる為にに今度はアルスから、アルセンに尋ねてみた。


『アルセン様は、どうしてこちらにいらしてるんですか?』

『この廊下は、訓練生時代の私の思い出の場所なんです』

思い出という割には、アルセンの顔が切なそうでアルスは少しだけ自分より背が高い上官を見上げるように見詰める。


『あまり嬉しい思い出ではありません。憧れの人に、一度はっきりきと拒絶された、そんな場所と思い出ですから』

アルセンが拒絶される、まずそれがアルスには信じられなくて、空色の瞳を丸くしてしまっていた。


『アルスが驚くのは、珍しいし、面白いですね 』

アルセンが至極まじめな顔で驚くアルスの顔を眺めてから―――笑った。


『幸いかどうかわかりませんが、私はこの場所で初めて人から憎まれているという事を、実感しました。まあ実際に憎まれていたのは、"アルセン・パドリック"ではなくて、私の持つ、バックグラウンド的なものだったんですが』

少しだけ意味深な雰囲気を醸し出して、美しい上官は憎まれていたと語る時には、切ない顔を一転させて、穏やかな笑みを浮かべていた。


『安心してください、アルス。拒絶された時には、確かに傷つきました。

けれども、今ではその相手、憧れの人と私は"親友"ですから』


『"親友"ですか?』

アルスに、親友はいない。


アルセンに拾われる前、アルスは孤児院にいたらしいが、そこからはある事情があって逃げるように出てきていて、親しい人などいなかった。

軍学校にアルセンに進められて入隊した時も、人当たり性格も良く、容姿も整った顔立ちのアルスは、それなりに人気も出る。

アルスの知らぬ間に、軍学校の外では、応援隊みたいなものが来ていた程。


だが、当の本人のアルスは変な所で臆病な所があって、訓練生の同期で友人は沢山できたけれど、"親友"と呼べる存在はできなかったというより、作る事を避けていた。

しかし、憧れの人物が"親友"について語る時の眩しさが、アルスの心に小さな影を落とす。


親友という言葉にアルスが落ち込んだのを察したアルセンが、いつかしたみたいに、また自分と同じ金髪の少年の頭をポンポンと軽く叩いた。


『親友なんて、宣言をしてもらうかなるか、時間過ぎて漸く互いに分かるかどちらかですよ。拘らないことです。

親友に なるまでには、色々ありますからね。

それこそ憎まれたり、取っ組み合いの喧嘩をしたり、年上相手に説教したり』

『アルセン様が、取っ組み合いの喧嘩ですか?!』

アルスには俄かに信じられない話で、思わず聞き返してしまっていた。

アルセンは楽しそうに、アルスの質問に答える。


『ええ、まあこの廊下の思い出の人とは違うんですが。ただ、取っ組み合いをした親友が、私を憎む人―――今の親友の気持ちを変えてくれた恩人でもあるわけですが』 

『アルセン様は、親友が2人もいらっしゃるんですね』

珍しくアルスに羨むような声で2人と言われた言葉を、アルセンは頭を振って否定する。


『私には4人いました。けれど、今逢える人は1人だけです』

『え?』

驚きの空色の瞳に、アルセンの横顔が映る。

アルセンは驚く教え子を見ず、外の景色を眺め続けて話し続ける。


『3人の内、逢えなくなった親友の1人は、亡くなりました』

亡くなったと言う言葉にも、淡々感情を込めずに語るアルセンを見て、アルスは唇を噛んだ。


淡々とはしているけれど、親友が居なくなった事で、アルセンが哀しみを

抱えているのが、アルスには分かる。

アルセンは形ある悲しみ、"涙"を表に出さない人なのだと、何故だかアルスには伝わってくる。


『2人目の人は"やらなければならない事がある"と、ある日突然別れを私に告げて姿を消しました。今では生死も私にはわかりません。

―――3人目は』

『もう、いいです!』

アルスは、思わずアルセンの言葉を止めた。


アルセンは過去、個人的に呼び出した時みたいに罰が悪そうに俯くアルスの頭を、前と同じ様にポンポンと叩く。

自分も悲しい思い出に涙を浮かべ たいだろうに、アルセンの内にある慈しみを全てをアルスに向けて、頭を撫でる。


どうしてだか、アルスの方が、空色の瞳が涙で溢れでそうになっていた。


『親友、大切な守りたい人がいるのは、良い事です。守りたい人の為に生きる。

守りたい人と、共に在りたいから頑張る。

でも、それに心の重きを置きすぎると、失った時、心はバランスを失って、人は案外脆く、簡単に壊れてしまいます。

そして、私はこの廊下で私に憎しみを教えてくれた、憧れの親友を失ったなら、きっと私の心は壊れてしまうでしょうね』

『アルセン様なら』

"アルセン様なら大丈夫"とは、今の零れそうな涙を堪えるアルスには言えなかった。


自分が敬愛する美しい貴族の軍人が、今は唯一無二となってしまった1人の親友を、大きな心の支えの1つにしてしまっているのが、アルスには分かってしまっていたから。

もしも、その人をアルセンは喪ったならきっと"綺麗"に壊れてしまいそうなのが、アルスは何故か容易に想像出来て、胸が痛くてしかたなかった。


『アルスに配属先について少しだけでも、話そうと考えていました。ただ、この場所はどうもいけませんね。私が、感傷的になってしまいます。

ここには、大切な思い出が多すぎる』

いつも丁寧な言葉しか話さないアルセンが、珍しく端的に話を締めた。


アルスも、何とか瞳を潤ます程度に抑える事が出来てアルセンの言葉に同意するように無言で頷いた。

無言で頷くアルスを見て、アルセンが肩の力を抜くようにフッと綺麗に微笑んだ。


『では、アルス。後一時間ほどしたら、軍学校の入り口にある桜並木にきて下さい。

貴方に配属先について、やはり少し話しておきたい事があります』

そう言って、アルセンはアルスの右肩に手をポンと置いて、再び微笑み振り返らずに廊下を進んで行ってしまった。


"自分は、"僕"はまだ、親友を作るべきではないかもしれない"

アルセンは、アルスにとって人生の恩人で、何があっても守りたいと思う。


だけれども、それは友人に対する気持ちではないはずだ。

"親友"について考え歩いていたら、いつの間にか外に繋がる出入り口にまで、アルスは来ていた。

"とにかく、一時間後の約束を忘れないようにしないと"

軍学校の施設から、一度荷物を纏めている居室に戻ろうと外に出た時、羽根の音と、小さな影がアルスの目の前を通り過ぎた。


白い鳩は確かアルセンの使い魔だったと、アルスは記憶している。

上を見れば、アルセンの教官の執務室の窓が開いていた。


("僕"はアルセン様の"親友"になるのは、無理なんだろうなぁ)

きっとあの白い鳩は、アルセンの"親友"の元に飛んでいったのだと、アルスは確信していた。


そして一時間後。アルスが密かに"兄"のように尊敬するアルセンは、桜の花弁が綺麗に舞い散る並木道で、先に立って待っていた。

アルスも遅れないように、早めに来ていたがアルセンはそれを上回るらしい。


桜舞う中、アルセンは美しく微笑み佇む。

『私の都合ですみませんね、アルス』

『いいえ、構いません』

もう、先ほど感じたような脆さは、微塵もアルセンからは感じさせなかった。

『早速ですが、配属先の話しです。アルスの配属先は同期生が1人もいませんが、大丈夫です。

 上司となるの賢者は、物凄く変わりモノで捻くれモノで、面倒臭い不貞不貞し いヤツです』

いきなりのアルセンの説明にアルスが驚きのあまり、空色の瞳を激しく瞬いた。


アルスにしてみればアルセンの口から、個人を非難、"ダメ出し"みたいな言葉を聞いたのが初めてで大層驚いた。

そして今度は困ったような笑顔―――アルセンの本当の笑顔を浮かべて、アルスはに向けて言葉を続けた。

 

 

『ただね、その賢者はこの世界の誰よりも、"命の尊さ"を知っています』

『命の尊さ、ですか?』

アルセンが静かに頷く。


『アルス、貴方は命の大切さを、私とこの学校から学んでくれました。けれど、"尊さ"をまだ掴み切れていない』

アルセンが最初、アルスを拾った時。


記憶の中の、少年の瞳は曇天どんてんの色そのものだった。

(死にたくても、死にきれないんです。どうやって、生きていたら良いか分からないんです)


薄汚れた少年は、体全身でそう語っていた。

アルセン自身、あの時の自分が、どうしてアルスを助けたか分からない。

けれど、助けてしまってからにはアルセンは責任を持って、世話をした。

最初に身嗜みを整えさせて、住み込みで働ける場所、恩師の1人、アザミが夫婦で営む工具屋を世話をしてやって1年を過ごさせる。


軍隊出身で今は引退しているアザミから、アルスを"軍に入隊させてみてはどうだろうか"と、進められて、それからアルセンが身元引受人と保証人になってアルスを入隊させた。

そして少年は剣術に置いて、群を抜いて頭角を現し、型に嵌らない剣術は、同期で天才と呼ばれていた少年をあっさりと倒す。


同期生の中で行われる御前試合では、決勝までいったが、剣術の型から外れ過ぎている為、判定負けとなった。

それからは、アルスの剣術の稽古の相手はアルセンとなる。

そしてアルセンから忠告をされる。


『アルス、貴方の剣は的確に人の命を奪える場所ばかりを狙っている。

急所を含め、その人が弱い部分をどういうわけ見抜いて攻撃しています。

敵ではない相手に向かって、あっさりと命を刈り取るような攻撃は、控えなければいけませんね』

アルセンに言われて、アルスは自分の繰り出す攻撃がそんな風になっていると、初めて自覚した。


だから、忠告されてから、剣を交えたことのある同期にアルスの剣についてアルセンに言われた事を尋ねたら、驚愕された。


『アルス、マジかよ?!あの攻撃は無自覚でやっていたのか?!』

数人の剣を交えた事がある同期生が、目を丸くして、尋ねたアルスに尋ね返す言葉を投げ返す。

アルスも空色の瞳を丸くして、無自覚でやっていた事だと認める為に頷いた瞬間に、大笑いされた。


"アルスは天然"

その頃から良い意味でアルスはからかわれ始めたし、気軽に話してくれる友人のような同期生や、天然と聞いてから世話やきの同期生も出来た。

自分の"剣術"が、そんな気の良い同期生達の"命"をあっさり刈り取るような攻撃をしていた事にも、アルスはやっと気が付いて、心のそこから恐怖した。


平和な時代では、命を奪う事は、それまで築き上げてきた関係や努力を一瞬にして、台無しにしてしまうこと。


命にはそれだけの価値がある事を、アルスは17歳にして、気が付く事が出来た。

そして、アルセンに拾われる前、訳も分からず剣術を持って奪ってしまった1つの命に対して、少年は初めて懺悔した。

だから、アルスは自分の剣が怖くて、訓練生とは2度と剣を交えなくなってしまっていた。


いざ剣を持って対峙すると、どうしても"刈り取れる場所"ばかりに剣を構えてしまう自分を抑えられなかったから。

だから、思いっきり遠慮せず対峙出来る"アルセンとの訓練の時間"は本当にアルスにとっては貴重なものだった。

そんな大切な"時間と命"を教えてくれたアルセンは、アルスに向けて言葉続ける。


『そして、アルス。貴方が今から護衛に行く賢者なら、君の中にある才能を引き伸ばし、このセリサンセウム王国で認められる形で、表に出してくれるハズです。

 あの賢者とアルスなら、きっと大丈夫。

私が、アルセン・パドリックが保証します』

 美しい緑色の瞳を優しさで満たして、アルスと同じ金色の髪を桜の花びらと一緒に風に靡かせて、アルセンは明言した。


『アルセン様?』

いつも身に着けている白い手袋を外し、アルセンは幼い弟を安心させる兄のように、アルスの両頬を素肌の掌で包み込んだ。

『私が幼い時、父上―――』

そこでアルセンは少しだけ赤くなって、アルスの頬に添えていた右手を口元に当て、コホンと空咳きをする。


どうやら、幼い時のままの言葉を出してしまって、恥ずかしかったらしい。

アルスも思わず苦笑すると、アルセンは漸く笑った教え子にまた優しい笑みを向けてアルスの顔を包んだ。


『私がまだ幼くて何か不安な時、父が良くこうして大きな手で、顔をつつんで言ってくれました。

"アルセンなら、大丈夫"と。

だから私から父の真似ですが、アルスにもお裾分けです。

"アルスなら、大丈夫"』


『アルセン様、ありがとうございます』

アルスは家族や親友というものがいないし、知らないけれど。

アルセンが大事に想っている人達は、守りたいという気持ちは間違いなく芽生えていた。


そして軍の上層部と多少揉めながらも、アルセンがアルスの為を考えて決めてくれた"賢者"を何が何でも守ろうと決めた。


『明日、配属ですね。いってらっしゃい、アルス。私は恐らく、まだ軍にいますから。

"不貞不貞ふてぶてしい賢者"の愚痴ならいくらでも聞きますから、公休の時、いらっしゃい』

頬を包んでいた両手を、アルスの両肩に置いて餞別の言葉を贈る。

 

『はい、アルセン様、励ましの言葉ありがとうございます』

そして心の中で一度だけ"ありがとう兄さん"と、血も記憶も繋がらない、ただ憧れの存在に向かってアルスは呟いた。


翌日、アルスはアルセンが散々な表現をした賢者―――人の姿ですらなかった"ウサギの賢者"の元へと配属された。

そしてアルセンは散々に言っていたりもしていたけれども、ウサギの賢者の"護衛部隊"は確かにアルスの才能を伸ばす為には、最適な場所だった。


また素直過ぎるアルスと、不貞不貞しい賢者との相性もアルセンが、予想していた以上に良かったらしい。

そして何より、"軍隊"嫌いのウサギの賢者、ネェツアークがアルスを受け入れたのは、自分の命より大切な少女リリィがアルスを受け入れた事が決定打となる。




諸事情があって、数年前のリリィは一時、"人"に対して完璧に心を閉ざしてしまっていた時期があった。

それを引き取り癒したのが、当時既に禁術を使ってウサギの姿となっていたネェツアークだった。

年単位の"治療"をウサギの賢者は行って、先ずは植物や精霊とリリィを触れあわせた。


どちらも、必要以上にリリィに触れてこようとはしない。

でも少女が望むなら、いくらでも側にいてくれる。

少しだけ心の強ばりが解けたように見えたウサギの賢者は、次のステップに進む。

それは、動物とリリィを触れあわせる事だった。

ウサギの賢者が不思議な笛で呼び寄せると、魔法屋敷がある『鎮守の森』に住む動物達が集まって、リリィは驚きながらも、漸く少しだけ微笑む。


そして治療の段階は次へと進む。

今度は"大人"の―――人とのコミュニケーションだった。 

"大人"とのコミュニケーションの伏線は、実は元々リリィが屋敷に引き取られていた時から始まっていた。

ウサギの賢者の魔法屋敷に、引き取られたばかりのリリィは唯々諾々の状態で、怪我をしていた事もあり、寝台に横たわるばかりの日々だった。


寝台に横たわるだけの少女に、ウサギの賢者は王都に住んでいるという、1人の年老いたパン屋を営む、老人から届いたという絵はがきを毎日リリィの枕元で読み上げていた。

そしてリリィが体を起こせるようになった時、ウサギの賢者から"王都でパン屋を営む老人"に手紙を書いたらどうだろうと提案される。


まだ感情がおぼろだったリリィは、素直に従った。

初めはリリィが1を書いて、パン屋の老人が10を返してくれるような文通だった。

だがリリィの心が癒やされるにつれ、老人からの手紙を楽しむ姿が見え始め、返す手紙の内容も少しずつだが長くなっていく。

何よりパン屋の老人の手紙の内容が、内側とばかりに向けている、リリィの心と気持ちを"外"へ興味を向けるのが、とても巧かったというのもある。

少女の堅い蕾のように閉じられていた心が、少しずつ開き始め時、最後に荒治療が行わ れた。


リリィがウサギの賢者の魔法屋敷にやってきて2年目の春。

桜が満開となったという日を迎えてから数日間、ほぼ毎日のようにリリィへと届いていた、パン屋の老人からの手紙が途絶える。


その頃にはリリィも随分回復して、ウサギの賢者とは普通に会話を出来るまでになっていた。


『賢者さま、バロータお爺ちゃん、何かあったんでしょうか?』

名前と手紙の文字だけの繋がりながらも、パン屋の老人はしっかりとリリィの心に根付いていた。


そして終わりの近い桜を散らすような雨降る中、パン屋の老人の弟子と名乗る、左目に眼帯をした男が雨避けのフードを纏ってやってきた。

パン屋の弟子と名乗る来訪者が、ウサギの賢者の魔法屋敷にやってきた時、最初に接触したのはリリィだった。

リリィはいつも手紙を運んでくる、ウサギの賢者の使い魔である金色のカエルを雨降る中、傘をさして、屋敷の中庭で待っていた。

最後の桜を散らすように降りしきる雨の中、来訪者はやってくる。

ウサギの賢者から貰ったばかりの鈴蘭がモチーフとなった傘をさして、雨の雫に頭を垂れる庭の草花を観察していたら、雨音に混じる人の足音にリリィは中々気がつけなかった。


"パシャン"という大きな音に気がついて、リリィがそちらを向いた瞬間。

それがリリィにとって、2年ぶりの人と邂逅かいこうだった。

リリィは人に驚き、傘を落として、雨に濡れながらブルブルと震え始めた。

しかし、来訪者は酷く冷静で、姿勢を落とし、リリィが手放してしまった傘を大事そうに手にとり、再び少女に傘を握らせた。

低い姿勢のそのままで、眼帯をつけていない右の黒い瞳でリリィを見つめて口を開く。


『怯えなくていい。俺は、ダン・リオン。パン屋のバロータ爺さんの一番弟子で、見習いパン職人だ』

『バロータお爺ちゃんの、弟子?』

バロータの名前を聞いた途端、リリィの震えは止まった。

リリィの震えが止まったのを確認してから、見習いパン職人は再び口を開く。


『訳があって暫くバロータ爺さんは王都にいなくてな。ただ、俺は手紙を預かっている。

俺はその手紙を、リリィという少女に渡すように頼まれたんだ』

そう言って、ダンは自分の胸元に手をいれて、濡れないようにと、睡蓮の刺繍が施された立派なハンカチに包まれた手紙をを取り出す。


『お嬢さんが、リリィさんかな?』

ダンの言葉にゆっくり頷いた。

リリィが頷いたのを確認してから、ダンは睡蓮柄のハンカチをにくるまれた手紙を少女に差し出す。

『手紙を受けとるといい』

少女は恐々としながらも、ダンから差し出されたハンカチに包まれた手紙をギュッと握りしめた。

バロータの弟子と名乗るダンは、リリィが手紙を握り締めたのを確認してから、自分は手紙から手を離し、口を開いた。


『―――バロータ爺さんからは、中々手紙が出せなくてすまなかった事も、伝えてくれと頼まれていた。

王都に戻ったなら直ぐにでも、リリィに手紙を出したかったんだが、疲れが出たのか、実は体の調子を崩していてな。

俺も見習いながらも、パン屋をしないといけないから、中々看病が出来ない』


『お爺ちゃん、病気なんですか』

バロータが今、王都のパン屋に1人で病の床についているのが伝わるような物言いをダンはする。

リリィはダンに断りも入れずに、ハンカチに包まれている手紙を開いた。

手紙は暫く便りを出せなくてすまなかった、という挨拶から始まりいつものようにリリィの気持ちを明るくさせる内容ばかりだった。

手紙の何処にも、体調を崩したという記述は一切なかった。

楽しそうな内容ばかりだったけれども、何とか人並みのに戻れていたリリィは気がつく事が出来る事があった。


『バロータお爺ちゃんの字、震えている所がある。そんなに体の調子が悪いんですか?』

手紙を読み終えたリリィが思わず声に出して言ってしまった。

今度はダンが黙って頷いて、バロータの容態を語る為に口を開いた。


『今朝、まだ加減が良くないのに何とか手紙を書き上げてた。

今日は雨だからパンの発酵の案配が難しい、俺1人には任せられない。

そんな理由で、パン屋を休ませたついでに、リリィが手紙を待っていてくれるだろうから、届けて欲しいと頼まれたんだ』


その話を聞いた途端に、リリィの心は人に対する恐怖より、年老いたパン屋のバロータを心配する心の方が遥かにまさっていた。


『お爺ちゃん、無理しなくていいのに。

お手紙も病気で辛いから書けないよって、ひとことかいてくれたらいいのに』

先程まで久しぶりの人との邂逅に、ブルブルと怯えていたのが嘘のように、リリィは何時も手紙をくれる年老いたパン屋の心配をしていた。


『中々の頑固爺さんでな、休んでいろって俺が言っても聞かないんだ。

本当に頑固で困った爺さんだ』

ダンのその言葉で、リリィの心に小さく点るような"怒り"が芽生える。

その小さな怒りの炎は、今ままでリリィの心を巣くっていた怯えを一気に燃やし尽くした。


『バロータお爺ちゃんは、頑固じゃありません。

何より困ったお爺ちゃんなんかじゃ、絶対ありません!』

リリィは気がついたら、ボヤくようにダンがバロータの事を頑固だの、困っただの言う事に腹を立てて、言い返していた。


『どうして、あった事もない人なのに、リリィはそんな事が言えるんだ?』

ダンが少しだけ馬鹿にしたように言葉を返した。


『会った事がなくても、私が大事に思っている人を馬鹿にする人を許せません!』

リリィのその言い種にダン、少女の伯父にあたり国王であるダガー・サンフラワーは、自分に流れている血と同じ物を感じた。


"大切なものを馬鹿にされたのなら、例えどんな相手だろうが鬼神の如く怒る"

その血はダガーにとっては父、リリィにとっては祖父に当たる新生セリサンセウム王国初代国王、グロリオーサのもの。

そして、その怒りは、リリィにそこまでして"大切にしたい人"が出来た証拠となる。


(治療は上手くいったみたいだな、ネェツアーク)

降りしきる雨の中でも、力強く輝き始めたリリィの緑色の瞳を眺めながら、ダンは回復した姪を見て思わず微笑んだ。

 

2年前、瀕死のリリィを"改めて"引き取り治療するのが、ウサギの賢者と決められた時。

強制的に禁術を解かれ人の姿となり、人払いがされた謁見の間で、2代目の国王となったダガー・サンフラワーとウサギの賢者"ネェツアーク・サクスフォーン"は対峙していた。


ただ対峙すると言っても、臣下の礼節は守り、ネェツアークはダガーが座る玉座の前に跪いている。


『国王陛下の姪となるリリィ様を、再び預かる事になる事、この身余る光栄に喜びに震えております』

ネェツアークは慇懃いんぎんな態度ながらも、リリィの世話を委せられる光栄さに震えている様子は、全く見せないで淡々と口上をまず述べた。


『国王陛下、1つ進言を許して貰えるならば、リリィ様を治療し、回復させるにしても、ただ回復させるだけではダメです。

それでは下らない戦の歴史を繰り返す、凡愚ぼんぐと変わりません』

進言の許しを得る前に、国最高峰の賢者で、今回の事態、リリィが瀕死の状態になってしまった事に、最も怒りと悲しみを抱える"大人"の1人として、跪き、鳶色の頭を垂れて言を吐き出す。


賢者と国王は本来ならば、リリィに対する立場は同等だった。

ネェツアークは、亡くなった伴侶の妹の娘が、ダガーは、弟の娘がリリィとなる。

2人の立場はリリィという少女からすれば、"伯父"。

そして、リリィから父と母となる人物を奪ったのも、この2人の伯父であった。


世界を国を人を救う為に、少女の母から請われて、賢者はリリィの母親の命を奪った。


国を纏めあげる法王という位にはつくが、"父"として振る舞うには心の成長が出来ていないと、判断した王は弟から娘の存在を隠し、リリィから父を奪った。


それは、ある意味弟からも娘を奪っていたに等しかった。

そして2人の伯父は、互いに少女から親を奪った"罪悪感"から、本来の精彩をかく行動をばかりをとり、今回の悲劇へと繋がる。


悲劇を起こしてしまった事を、恥じた2人の伯父は決意する。


リリィを必ず幸せにすると。


『もう、何にも遠慮はせん』

2人だけでの謁見の間で、ダガーはネェツアークに命令する。


『賢者ネェツアーク、あの娘を幸せにする為の策を、ただ練ろ』

ダガーの言葉に、ネェツアークは珍しく嬉しそうに素直に頭を下げ、既に考えていた策を"同士"に献上する。


『今のように何の芯のない状態で、リリィ様、リリィを癒しても、同じ悲劇に出逢ったなら、また今回の同じ事態になりかねません。

だから、今回の傷を癒すのと並行して私はリリィの中に確固たる"芯"をまずは2つ造りたいと考えております。

そしてあの子は、その芯との繋がりさえ出来れば、それを守ろうと強くなれる娘です。

何よりこうすることで、自分の力で幸せになる力をつける事が出来るでしょう』


『芯とは人か?』

国王が尋ねると賢者は不貞不貞しく笑い、頷いた。


『芯となる方は、リリィにとって、かけがえのない存在になって貰う事になります。最も、リリィの芯となったからには、滅多な事では、存在を消す事すら叶わない事になりますが』

『本当に、リリィには芯を造るだけで、良いもなのか?』

ダガーは確認の為に、今一度ネェツアークに尋ねた。

ネェツアークは静かに 頷いた。


『今回の私の策は、リリィの中に本来のある物を芽生えさせる為のものです。才能……と言ったらいいのかな?』

ネェツアークはそこで急に言い澱む。

『陛下、1つ尋ねたいのですが?』

その時の珍しく賢者から尋ねられた質問に、国王は大いに笑っていた。



『―――何を笑っているんですか!』

リリィが怒りの声をあげても、ダガーは、尋ねられた事を思い出し、見習いパン職人のダンは笑っていた。


(確かに我が父の血筋もあるだろうが、リリィの中には伯母と母親から受け継いだ才能も芽生えているな)

その才能を見抜き育てた賢者は、ダンの目の前にある魔法屋敷の中にいるはずだが、出てくる様子はない。

真面目な話をしていたかと思いきや、いきなりで人を笑わせる道化師のような賢者は王に尋ねていた。


『勝ち気というか、強気というべきか負けん気が強いというのは、才能にはいるんですかねぇ?』


『そんなに言うんだったら、バロータ爺さんに会いに行ってみたらどうだ?』

そしてダン、"ダガー"が引き受けた役目は芽生えたリリィの才能―――負けん気の強さを上手く引き延ばし、少女を社会と関わらせる事だった。


『え?』

リリィが溢れ出た怒りをピタリと止め、緑の瞳を丸くして、雨の中に笑顔で佇むダンを見上げる。

ダンは低くしていた姿勢を戻し、リリィを通りすぎ、ウサギの賢者の魔法屋敷の入り口に足を進める。

少女は慌てて、傘をもって予想外の提案をする見習いパン職人の後を追いかけた。

魔法屋敷の入口の軒下に入ると、ダンは雨避けのフードを脱ぐ。

リリィはまだ軒下に入らず、雨が降る中に傘をさしながら、急に尊大にも見える様子になったバロータの弟子の後ろ姿を見詰めている。


一方のダンは慣れた様子で、濡れたフードを脱ぐ、入口にある来客用の雨具掛けのフックにかけて、振り返った。

振り返るダンに、リリィはビクリとはするが少しも怯えた様子はない。

その様子に満足そうに頷き、腕を組んで、強気な瞳以外は、幼い頃の弟に瓜二つな姪っ子を見詰めて再び笑って口を開く。


『俺は俺で、バロータ爺さんの事で、リリィに嘘をついているつもりはない。だったら早い話、王都のパン屋に行って、バロータ爺さんに会ってみたら分かるさ。俺が嘘を言っているか、いないかが』

腕を組んで自信たっぷりに言うダンの姿に、リリィの中にある負けん気に、更なる火をつけた。

そして2年間の文通で培われた優しいバロータとの繋がりが、"頑固で困った爺さん"いうダンの言葉を撤回させたくて仕方ない。


『リリィ、お客さんかな~?』

向かい合うダンとリリィの丁度中間に、僅かに空間を歪ませて、金色のカエルがウサギの賢者の声を出しながら、姿を浮かせて現す。


『やあ、賢者様、"初めまして"。俺は賢者様がお世話している娘さんと文通している、パン屋バロータの弟子のダン・リオンです。

今日は中々手紙を出せなかったバロータ爺さんに代わって、手紙を届けにやってきました』

ダンが多少芝居懸かった、わざとらしい挨拶を、空中に浮いている金色のカエルに向かってする。

本当なら使い魔が喋る事など滅多にないので、ダンは喋る使い魔、金色のカエル相手には驚いたリアクションをとるのが"正解"である。

しかし、社会と遮断されている生活をしているリリィが相手だったし、彼女自身も使い魔は喋るものだと、誤解していたので、それも幸いして普通の場面としてやり過ごせた。


実を言えば、ダンも使い魔を通して喋るウサギの賢者も、今一番、この場面は緊張している。

治療の総仕上げ、"リリィが自分から外に出掛ける決意"をさせる為の小芝居が、雨降る魔法屋敷の中庭と玄関において開催されていたのだから。


『おや、そうなんだ。パン屋バロータさんは手紙が出せないなんて、何かあったのかな?』

『賢者さま、バロータお爺ちゃん病気で調子が悪かったから、お手紙が出せなかったそうです』

金色のカエルからの質問には、リリィが直ぐに応えた。

使い魔のカエルは、ダンとリリィの間にふよふよと浮きながら瞳をパチパチとさせた。


『それならお見舞いにいかないと、ワシ、礼儀知らずになっちゃうなぁ~。でも、ワシ今研究で手が離せないしなぁ~。う~ん、こいつは困った』


もしここで、リリィが自分から"お見舞いに行く"と発言しないなら、ここで"外に出す計画"は一度話を控えるはずだった。

そしてリリィは口を開く。


『賢者さまが困るなら、私がお見舞いにいきます!。バロータお爺ちゃんも確かに大事ですけれど、賢者さまを礼儀知らずになんて私がさせません!』


『―――』

『―――』

不意に雨音だけが辺りを包み込む。

不思議な静寂に、まず声をあげたのリリィだった。


『賢者さま?。弟子のダンさんもどうされたんですか?』

『リリィ、そのバロータお爺さんの所に行くって事は、王都に、街に出ることになるんだよ?』

金色のカエルがゆっくりと喋る。


『はい』

リリィは、金色のカエルを見詰めながらしっかりと返事を返す。

『その、怖くはないのかな?。街には沢山の人がいるよ?』


『でも、賢者さま。今忙しくて、賢者さまはバロータお爺ちゃんのお見舞いには行けないんですよね?。

私は、私の怖い気持ちより、賢者さまが礼儀知らずって言われる方がよっぽど嫌です!』


よくよく考えれば、不思議な静寂が場を占める前と全く同じやりとりを繰り返したのだが、少女の伯父にあたる1人と1匹は少しだけ釈然としないリリィの返事に又しても、沈黙が場を包む。


《おい、ネェツアーク!リリィはここでは、

"バロータお爺ちゃんが心配だから、私1人でもお見舞いに行きます!"

みたいな感じになる所じゃないのか?!》

ダン――ダガーが思わず金色のカエルにテレパシーを飛ばして、ネェツアークに突っ込ん だ。


《いや、ダン。ワシ――私だって予想外なんだってば!》

テレパシーの中継局である金色のカエルは無表情であったが、ウサギの賢者―――ネェツアークの声は大層慌てたものとなっていた。


《と、とりあえずリリィはバロータお爺さんのお見舞いには行くって選択をしたから、そっちの方向で話を進めよう、ダン》

ウサギの賢者はそう言って、テレパシーを切る。


《あっ、こらネェツアーク?!》

伯父2人で考えていた、リリィの外へ出るための第一歩の理由が、少々ニュアンスが違うものになりかけている。

しかし、"結果"は確かに望んでいた形なの、でリリィの母方の"伯父"は治療を継続にする。


テレパシーを勝手に遮断されながらも、ダンはそんなに腹をたててはいなかった。

治療の結果だけをみればかなりの上々の形で、収まりそうだったから。


(確かにリリィが外に出れるまで回復するのが、この2年間の治療の目的だったからな。

しかし、ネェツアーク、あの様子だと本当に慌てているな)

父親側の"伯父"で国王陛下は流石というべきなのか、母親側の伯父、ウサギの賢者・ネェツアークより、余程冷静に状況を眺め始めていた。


『じゃあ、リリィ。出かける支度をしないといけないから、屋敷に一度入りなさい。

"見習いパン屋"さん、お礼をするからリリィの送迎を頼んでいいかな?』

金色のカエルから、自然"パン屋"と"パン職人"の名前を呼び間違えられても、ダンは怒りもせずに了承する。

それほど、ネェツアークの気持ちが落ち着いていないと分かったから。


『ああ、わかった。丁度馬で来ているからリリィをしっかり送迎しよう。

じゃあ、リリィ。俺はここでは待っているから、賢者様によろしくな』


『はい、すぐに"賢者さまの代わりに、バロータお爺ちゃんのお見舞いにいく準備"をしてきます。待っていてくださいね、ダンさん 』

リリィは鈴蘭模様の傘を畳み、ダンに丁寧に礼をして魔法屋敷の中に入って行った。


"大好きな、賢者さまの役に立てる"

そんな喜びを、可愛らしい顔いっぱいに浮かばせてリリィは魔法屋敷の扉を開き、入って行った。

ふよふよと空に浮いていた金のカエルは、いつの間にか玄関の入り口に鎮座していた。

そしてダン―――ダガーは"伯父仲間"に、金のカエルを通じて呼び掛けた。


『俺はお前の目論見がこんなに盛大に外れるのは、初めて見たぞ』

『うるさいよ、ダン』

いつもなら絶対聞かないようなネェツアークの口の聞き方に、ダガーは賢者の治療の他にあったもう1つ目的が見るも"素敵な形"で失敗したのが分かった。


『ネェツアーク、これでお前は簡単には死ねなくなったな』

ダンはそう言いながらおもむろに、左目につけている眼帯を外すと、感情を拾ってしまう紫の瞳が姿を現す。


『もしかして、ダン、陛下はリリィの気持ちが読めて、はないか』

金色のカエルから、ネェツアークにしては落ち着きのない言葉が伝えられて、ダガーは笑ってしまう。

それほど、ダガーの紫の瞳に伝わるネェツアークの感情も揺らいでいた。


その揺らぐ感情の周りで、"大好きな賢者さまの役に立てる"という喜びに満ちたリリィの気持ちが、まだ玄関に残っていた。


『俺も驚いていたのは、お前もわかっていただろう。しかし、リリィの治療もあるが、最後にただ1人残った"平定の4英雄"、法王バロータを励ますために、お前が"ついでに"仕組んだ策がとんでもないことになったもんだ。

まあ、良い方向に飛んだがな』

ダガーはリリィの治療に際して、不貞不貞しく策を述べていたネェツアークを思い出して いた。



『芯となる方は、リリィにとって、かけがえのない存在になって貰う事になります。

最も、リリィの芯となったからには、滅多な事では、存在を消す事すら叶わない事になりますが』

誰より先に人生の幕を閉じるのは自分だと考えていたバロータを置いて、親しかった仲間達は、先に人生の幕をひいてしまっていた。

ネェツアークは仲間に先立たれたバロータに、余計なお節介かも知れないが人生の張りを与えるために、リリィの治療に巻き込み、頼み込み、文通の相手をしてもらった。


賢者は思慮深く優しいバロータにこそ、芯の役目が相応しいと考えていたのだが―――。


『俺―――、私がバロータ爺さん、前法王殿の事を気にかける。だから、ネェツアーク。

今からあの子が自立出来るまで、お前が"ネェツアーク・サクスフォーン"が芯となってやれ』

金色のカエルから、まだ決心がつかなくて揺れる、ネェツアークの気持ちがダガーに伝わってくる。


『もしも、人の姿にあの子に晒す勇気がもてないのなら、"ウサギの賢者"としてリリィの2つの芯内で最も重要な方となってやれ』



ダガーは玄関から雨空を見上げながら、そんな事をいう。

もう雨は止み、青空が広がりはじめている。


『ワシは、私は、少しだけ"芯"の役割をして、リリィが社会に戻ったなら。化け物みたいなぬいぐるみの"ウサギの賢者"なんて、気味が悪くて、直ぐにでもこの屋敷から脱け出したくなるとばかり考えていたんだけどな』

ウサギの賢者、ネェツアークから、そんな本音が漏れる。


治療の2年間、ネェツアークは、自分で思うなりの"必要最低限の世話"をウサギの姿で懸命にこなした。


話しかけられたなら応え、不安そうなら黙ってでも側にいた。

リリィが闇夜に不安で眠れない夜は、絵本をたらふく抱えて持ってきて、枕元にドスンとおいて眠れるまで読んでやった。

流星群があるという夏の日には、自分の寝室―――屋根裏部屋の寝台の側にある大きな窓を開いてリリィに大量の流れ星を見せてあげた。

季節毎にある行事の話をしてあげたり、一緒に催事を真似たりした。

出来る限り、いつも見守るように静かに側にいた。

リリィの母親にしてやった事を、彼女が同じように娘にしてあげたいと言っていた事を、ネェツアークは出来る範囲でしてあげた。

ネェツアークのリリィへの"必要最低限の世話"の内容を聞いて、ダガーは呆れる。


『あのなぁ、ネェツアーク』

ダガーが口を開いた時、魔法屋敷の中から"いってきます"の声と小さな足音が聞こえて、ダガーは眼帯を着けて"見習いパン職人ダン・リオン"となる。


『お待たせしました、ダンさん。バロータお爺ちゃんのお見舞いの役目、しっかり果たします!』

国の定めた巫女の外出用の衣装を身につけ、白い麻のカバン斜め掛けにしてリリィが、小柄な体でちょこんといった具合で、送迎役となった伯父の前に立つ。

目の前に立つ、すっかり元気になった姪っ子から、ダンの左目の眼帯越しにまで聞こえ始める声がある。


《賢者さまに、恩返しして喜んでもらうんだ》

これには、ダンは笑うしかなかった。

急に笑顔となった見習いパン職人にリリィは不思議そうに首を傾げながらも、宜しくお願いしますと丁寧に頭を下げた。


『ああ、じゃあ行くか、リリィ』

『はい!あっ、雨が止んでますね!。賢者さま、いってきますね!』

ウサギの姿の賢者がダンがいるから見送りに姿を現さないのは、リリィは承知しているらしい。

その代わりに、金色のカエルに向かって元気に挨拶をした。


『ああ、気をつけて行っておいで』

金色のカエルから聞こえる賢者の声に、リリィは嬉しそうに頷いて、青空が見え始めた中庭をかけていく。


『雨避けのフード、帰りに取りにくるからおいとくな。それと――』

金色のカエルを通じて、少女を見送る賢者に向かって、少女と血が繋がる伯父として、血の繋がらない伯父仲間に忠告する。


『平 定の4英雄の1人、新生セリサンセウム王国初代国王、鬼神グロリオーサの孫娘を舐めるなよ?。

無償の恩と愛をあたえられたなら、しかもそれが好きな相手なら、がむしゃらな力でそれに応えようとするからな。

ネェツアーク、"無償の愛を与えた責任"をとれ。

ウサギの姿でもいいから、"愛される覚悟"をしておけよ?』

それだけ行って、ダンはリリィの後を追いかける。


暫くして魔法屋敷の扉が開き、リリィが行ったのを今さらながら見送る―――人の姿にわざわざ戻ったネェツアークがいた。


『憎まれる覚悟は出来ていても、"愛される覚悟"なんて出来てないよ、国王陛下』

腕を組ながら、賢者は寂しそうに微笑み、呟いた。


そうして、リリィの2年間の治療は無事に一段落ついた。

外出出来ない自分のに代わり、バロータのお見舞いの役目を見事に果たした事を誉めたその日、ウサギの賢者は、リリィから訊かれた。


『―――賢者さま。私、ずっとここにいても良いですか?』

『リリィが居たいなら、ワシはいてもちっとも構わないよ』

小さな逆三角形の鼻をヒクヒクとさせて、そう答えるとリリィは、強気な瞳、母となる女性と、伯母となる女性と瓜二つな瞳を嬉しそうに、笑顔で細めた。


小さな胸の前に華奢な手を合わせ、ウサギの賢者に、行儀良く深く頭を下げる。


『ずっと、お願いします』

そうして巫女リリィは、正式に教会に所属しながらも、"賢者のお世話をする巫女"として、ウサギの賢者の魔法屋敷に残る事となった。


ウサギの賢者、ネェツアークとしては、リリィがウサギの姿をした賢者や、魔法屋敷や、王都からそんなに離れているわけではないが、ひなびた雰囲気をいとうとばかりに考えていた。

パン屋のバロータの元へ行きなさいと進めたならば、行きたがるものばかりだと考えていたので、大きく予想をからぶったわけになる。


そして暫くの間はダン、変装した国王ダガーが執務を終えた上で、自 分のプライベートな時間を割いてリリィが王都の買い物の"送迎"に付き合う。

また王都の街の中ではバロータがあくまでも"パン屋の老店主"として、リリィに付き添ってくれた。

あと1つ課題として"子ども"とのコミュニケーションがあったが、バロータの営むパン屋の斜向かいに、リリィより幾分年上ではあるが、マーガレットが若い優秀な菓子職人として店を開いた。

バロータがマーガレットの人柄をみて、彼女ならリリィと上手くやれると判断し接触させて、リリィは"子どもの友人"を作る事が出来た。


心が壊れるまで傷付いたリリィにとって、漸く安寧の日々が訪れたと思われたのだが、少しだけ心配する、1匹がいた。


リリィが自分に傾倒、"ウサギの賢者を信頼し過ぎる事"に、僅かに危うさを感じていた。

共に生活する上で、信頼関係が大事なのは勿論なのだが、自分の事を信じきっている事に何かザワザワとした不安を抱いてしまっている、ウサギの賢者がいる。


『気にしすぎではないのですか?。メイプルにしても、あの子―――リリィの母親にしても確固たる自分の意志を持つ女性でしたから。

そんな2人に似たリリィさんを見て、貴方が勝手に自分の理想、

"リリィも確固たる自分の意志をもっているべき"

を、という貴方の"希望を押し付けているだけ"の事かもしれませんよ』

リリィとの3年目の春が始まろうとする頃、美人な男の後輩―――アルセンから相談があると、真夜中に魔法鏡から連絡が来て、逆に先に相談すると、バッサリとそう返された。


『アルセンて、相変わらずワシには容赦ないよね。相手がグランドールだったら、絶対柔らかいオブラートに包んだ言い方するよね、絶対』

ウサギの賢者は"絶対"という言葉2回繰り返し、もう1人の親友と自分との扱いが違い過ぎる事を言ってから、円らな瞳を線に見えるぐらい細め、鼻をヒクヒクとさせて見せた 。


『―――私は貴方に、昔からイタズラばかりされてますからねぇ。

そんなに心配なら、リリィさんが絶対に嫌がりそうな事を頼んでみたらいかがです?』

アルセンは並みの女性なら見とれてしまいそうな、綺麗な笑顔を浮かべながら、ウサギの賢者に提案する。


『例えば何?』

リリィの嫌がる事を考えた事などなかったので、ウサギの賢者には中々思い付かないらしい。

一方、軍隊時代にありとあらゆるイタズラをされた後輩は呆れた顔で、自分がウサギの賢者―――軍隊の上官時代のネェツアークにされた事を1つ言ってみる。


いなごの佃煮を、"海老の仲間の佃煮だから美味しいよ"とか言って、食べさせてみるのは、いかがですか』

『え~、そんな酷いこと可愛いリリィに出来ないよ~。

アルセンて、綺麗な顔と白い肌しているけれど、お腹は真っ黒だね』

ウサギの賢者が、"本当に信じられない"と言った様子でアルセンを非難する。


『私は"可愛い後輩の好き嫌いをなくしたくて、心を鬼してやったんだよ"って、貴方に熱弁されたし、結局食べさせられましたがね』

アルセンは怒りに震えながら、笑顔を浮かべるという器用な事をしながらも少しだけ、嬉しかった。


ウサギの賢者が、ネェツアーク・サクフォーンが妻を喪い、続いて本当の妹のように世話をした妻の妹を喪い、妻の妹から託された、赤子のリリィを罪悪感から自分の手から手離した時。

アルセンは"親友"だというのに、何も出来ずにただ励ますような内容をしたためた、手紙を数通、ウサギの賢者に送る事しか出来なかった。


そして再びリリィの"保護者"となり、2年の治療が一段落したという噂を親経由で耳にした時、アルセンの元に金色のカエルが現れた。

使い魔という事は分かったが、一体誰の使い魔か、アルセンは分からなかった。


『やあ、アルセン。前に手紙をくれてありがとうね』

使い魔が喋ることにも驚いたが、ネェツアークがそんな気を使い過ぎるような言葉を話すのも少しだけを驚いた。


(あの不貞不貞しさが戻ったなら、本調子なんでしょうが)

金色のカエルが挨拶にきた時でさえ、まだアルセンはウサギの賢者の心を危惧していた。

そして軽い相談も兼ねて夜中に魔法鏡を通じて連絡を取ると、逆にウサギの賢者から相談され返される。

しかも、言葉の選び方も昔を彷彿とさせる、不貞不貞しいものになっていた。


(もう、ネェツアークは大丈夫そうですね)

アルセンは親友の落ち着いた事を、表には出さなかったが心の中で喜んだ。


『それはそうと、ウサギ。あなたが"たった1人の護衛部隊の騎士"を募集しているそうですね。

魔法を使えなくて、剣術が得意で、向上心がないわけではないのですが、出世欲がない訓練生が1人いるのですが、如何ですか?』

落ち着いた、本調子に戻った親友を眺めて、アルセンは今度は自分の相談を口にする。


『アルセンが推してくるなんて、珍しいねぇ。一応、チョロチョロと"秘密"で進めらる子は、2、3人いるんだけど。

でもアルセン、アルセンが進めるなら詳細を聞かなくても、承認印を押しちゃうよ~』

ウサギの賢者は鋭い爪の先で、石を掘って造られた賢者の承認の判子をクルクルと回していた。


『そんな簡単に言っても良いんですか?』

アルセンは微笑みがらも、執務の机の引き出しから早速書類を取り出して、アルスの名前を書き記す。

『何、恩返しさ』

ウサギの賢者がそう言って、爪をパチリと弾く。

アルセンの手元にあった書類は、ウサギの賢者のデスクに来ていた。


『本当に辛いときに、一生懸命に励ましの手紙を書いてくれた後輩に、ね』

ねっ、という言葉と共にウサギの賢者は、アルス・トラッドを護衛騎士と承認 する契約を 交わした。

一斉にそれは軍の書類となって、ウサギの賢者に関われる事の出来る極一部の幹部と、アルスという剣術で"なうて"な新人兵士を欲していた数名の元へと、決定事項となり届けられた。



アルスのウサギの賢者への配属、赴任が決定事項となりながらも、

"ウサギの賢者に恩を売りたかった貴族"

"護衛をつけないウサギの賢者に護衛をつけたかった軍人"

そういった方々から、アルセンは少々嫌味を頂く事になる。


元々、貴族社会の人間関係が面倒臭くて軍に入隊したところもある、アルセンである。

軍に入ったなら入ったならで、それなりに人間関係があったのだが、"新人兵士を育てる事"に専念する教育部隊に自分から望んで籍をおいた。

嫌味も風の噂でやってくるのが殆どで、わざわざ教育部隊まで脚を運んでくるものもいなかった。


だが1名だけ、わざわざアルセンに"嫌味"を言いに来たものがいた。

王族護衛の騎士隊長、国王を直々に護衛する人物だった。

どうやらアルスの剣の腕前を耳にしており、教育部隊の数名の幹部にまで声をかけていたらしい。

軍の幹部食堂で、食事をとるアルセンの横にわざわざ座り、苦情を言われた。


『せっかく、ワガママ放題で、仕事を済ませてから逃げ回る国王を、捕まえれそうな新人を見つけたと思ったのに、酷いですよ。パドリック殿』

隣に座るなり、そう言われてアルセンは思わず食後の紅茶を見事に噴き出した。

噴き出したアルセンに、隣に座った護衛騎士隊長殿は満足したらしく、何も言わずに食事を取り始める。


噴き出した口元をハンカチで押さえて、アルセンは多忙と有名な王族護衛隊の割には綽綽しゃくしゃくと食事を取る男を見た。

 

『勝手に配属先を決めて、すみませんでした。貴方の配下でも、アルスは才能を潰されずに済んだかもしれませんね』

アルセンが綺麗な金髪がサラリを垂れさせて、護衛隊長殿に頭を下げる。

護衛隊長はアルセンに頭を下げられても、まだ綽綽と昼食をとっていた。


昼時で、幹部食堂にはそれなりに人数はあったが、国を代表する英雄と、国王を護衛する騎士が隣り合って座っているのに、近寄れる度胸がある者は軍部にはいない。

アルセンは紅茶を飲みながら騎士隊長殿が、昼食を終えるのを待った。

漸く食事を終えて、アルセンが注いだグリーンティを護衛隊長殿は頭を下げてそれを口につけた。

グリーンティを飲み終えてから、アルセンの方を見ずに苦情を"申し上げ"始める。


『王族の護衛騎士は、何があっても王族を守るのが、職務。もし戦にでもなって、"死ぬまで戦う!"とかほざきやがる方に一撃くらわして、肩に担いで逃げるのが仕事だ。

時に、守るべき相手にも、躊躇いなく攻撃出来る、そんな奴が欲しかったんですよ。

あの少年は、それが出来る逸材だ』

眉間にシワを寄せながら、アルセンより1つだけ年下ながらも風格は落ち着き満ちた護衛隊長殿は、 至極残念そうに言った。


『確かにアルスなら、護衛対象を一撃で黙らせるくらいの事が出来そうですね。

仕事とわかっていたなら、尚更、何の躊躇いもなく。

アルスの事を、適正や性格を含めて、本当によく見ていて下さった上で、配属に斡旋をかけていらしたんですね。

それを無碍にしてしまい、本当に申し訳ありませんでした』

アルセンが綺麗な顔をして、また頭を下げ、空になった器にグリーンティーを注ぎ足した。


『でした、って事は絶対にあの少年は、賢者殿の護衛から動かす気持ちはないんですな?』

『申し訳ありませんが、決定事項ですので。少なくとも、私の中ではありません』

アルセンは整った笑顔を微塵も崩さずに、言った。

その確固たる様子をみて護衛隊長殿は、諦めたように肩を竦めた。


『やれやれ、あの少年なら、仕事はこなすが自由過ぎる王様を抑えることが出来ると考えていたんだがなぁ。

密偵部隊に教えてもらったんだが、最近は"見習いパン職人"と名乗って、左目に眼帯をして動いているらしい。

逆に目立つから、探しやすくはあるんだがな。

そんな見つかりやすくなる気遣いを使うなら、最初から護衛を撒いて王宮から脱け出すなと、私は言いたい』

護衛隊長殿は所望していた新人兵士を横から拐われた事から、護衛対象の奔放過ぎる事への不満へと変わっていっていた。


『私からも、親戚として言っておきます。あと、多分少年を―――アルスを賢者の元に配属にさせる事で、国王陛下も少し落ち着く事を、先にお知らせしておきます』

どうやら自分の護衛対象である国王陛下が、ここ暫く落ち着かなかった事にアルセンが一枚噛んでいる事に、護衛隊長殿は気がついた。


今度は呆れた様子で溜め息をついて、職場の保守的な事 に関して不満を述べた。


『まあ、"私"がアルス・トラッドを、王族の護衛騎士隊に加えておきたかっただけの話でもあります。

もしかしたら、他の王族騎士隊に関係者は素性の保証人がパドリック殿だけでは、いぶかしんでアルスを入れないかもしれませんからな』

王族の騎士隊に所属するには大まかに2通りの方法がある。

1つ目の方法で、通例となっているのは、所属する騎士が優秀なのは当たり前だが、爵位を持つ貴族3名からの推薦状を持って、国王陛下と護衛部隊長と宰相が吟味してという形。


『そういえば、昨年はラベル家の当主の推薦状が1通でしたが、大層優秀な魔術師の少女の入隊も、一度は拒んだと聞きました』

アルセンはせめてもの罪滅ぼしという訳ではないが、護衛隊長の不満話に乗ることにする。


『当初は亡くなったシトロン・ラベル殿、存命の兄上にあたるシトラス・ラベル殿、2通だけでしたが、高名な方の推薦状だったので周りも納得していました。

先にシトラス殿の孫娘、リコリス・ラベルが配属されている事もあったので、あっさり決まると思ったんですが』

『途中でシトロン殿が亡くなられたんですよね。

それで、シトロン殿が推挙した魔術師の女性の入隊の話が、やっかいな事になったんでしたよね』

多少饒舌に語る護衛隊長の言葉を、アルセンが引き継いで答えた。

アルセンの引き継ぎ具合が嬉しかったのか、護衛隊長殿は更に語る。


『最近はどうやら貴族の間で、"本当に優秀な貴族とは、王族護衛隊に撰ばれる事である"みたいな、私には何だか訳の分からない話が出回っている様子で。

少しばかり優秀な貴族の御令息や御令嬢を入隊させんが為に、"死んだ人間の推薦状は無効だ"みたいな馬鹿みたいな話になりましてね』

そこで護衛隊長殿は、饒舌になって乾いた口を潤すが為、グリーンティーを含んだ。


『"死人に口なし"というわけですか』

アルセ ンの言葉を聞いた途端に、今度は護衛隊長が思わずグリーンティー噴き出す。

緑色の目を丸くして、アルセンは護衛隊長に大丈夫ですか?、と声をかけていた。


『スミマセン、パドリック殿。全く同じことを言った人がいたので』


―――フン、死人に口なしというわけじゃのう。


王族護衛隊に入る2つ目の方法。

『私を無理矢理"王族護衛騎士隊隊長"に据えた、あの方が同じ事を言ってました。そして"死人に口なしというなら、生きたワシの言葉を最優先させろ"とも、ね』


2つ目の方法は、王族護衛騎士隊の"指揮権"を握る人物の指名を受ける事であった。

但し、滅多に2つ目の方法で、王族護衛騎士隊に配属される者は少ない。

指名で配属されたのは分かっているだけでも、今護衛隊長となっている人物と、シトロン・ラベルの養女ライヴ・ティンパニーの2名だけである。


もっとも"死人に口なし"という言葉に憤慨した、2名の貴族が動いてくれたのもあった。

アルセンの実母で、魔術師の世界では顔が利きすぎるバルサム・パドリック公爵夫人。

軍隊あがりで、庶民派として絶大な人気がある貴族議員ユンフォ・クロッカス。


この2名がさっと推薦状を書き上げたので、ライヴ・ティンパニーの王族護衛部隊への配属は、指揮官の男の権力をそこまで表に出す事なく、滞りなく決まった。

実質的に、指揮権を握っている人物によって王族護衛部隊に配属となったのは、今、アルセンの横に座って話している人物だけである。


『あの方から"部隊長が気に入った新人がいたのなら、ワシが融通してやる"と仰られたので目をつけていた、アルス・トラッドでしたから。

パドリック殿が、勝手に配属先を決めたと伺って、思わず分別のない行動をとりました。本当に、申し訳ありませんでした』

今度は、護衛隊長がアルセンに頭を下げていた。

アルセンは申し訳なさそうに目を伏せる。

護衛隊長は下げていた頭を上げて、今度は苦笑をして本音をアルセンに話始めていた。


『もしかしたら、私は仲間が欲しかっただけなのかもしれません。

王族護衛部隊を新しく編成し直す際、指揮官殿がパッと才能だけで自分を護衛隊長に任命したように。

アルス・トラッド―――アルスを自分の手元において"弟"のようにして、鍛えたかったのもありました』

『そう、ですか』

アルセンは、自分以外の人物がアルスに対して弟のような感情を抱いていたのが、少々複雑であった。


その美しい顔を少しだけ曇らせるのを見て、護衛隊長は少しだけドキリとしつつも悪戯心を起こし、食事が終了した食器を片付けながら言葉を続ける。


『ええ、弟のように鍛え上げ、今から貯蓄をしっかりさせて、アルス・トラッドを我が2人の愛娘達の婿殿にと考えていたので、パドリック殿に一言文句を申し上げたくて、仕方なかったんですよ』

護衛隊長が一気にそう言うと、アルセンの顔から一瞬で"護衛隊長に申し訳ない"部分が払拭されていた。


『アルスを、婿って。え、でも確か、隊長殿の御令嬢は』

アルセンの記憶が確かならば。

『とっても可愛らしい、我が愛妻にそっくりな、3才と1才の天使のお姫様です』

護衛隊長は片付けた食器を乗せた盆を持ち、立ち上がった。


『王族護衛隊に、アルスが配属になっていたなら、最初は兄のように接して鍛えあげて。

娘が年頃になるまで、独身にさせといて、最高の婿にしようと考えていましたが、いやあ、残念です』

『―――隊長殿』

アルセンは思わず、眉毛を"ハ"の字にして白い手袋をしている手で、口元を押さえて笑みを溢していた。

その様子を見て、護衛隊長もニッと笑う。


『アルス・トラッドのことは、縁がなかったと諦めます。

中流階級の出身で、運良く剣の腕前が国一番になって、学もそれなりに修めたら、ある英雄の目に止まって隊長の仕事を頂きました』


―――ワシの代わりに、王族の護衛隊隊長をやっといてくれんか?責任は全部ワシが取るんでな。


安分守己あんぶしゅき、己の強さと分別を弁えた称号をせっかく賜ったんです。

うちの部隊の"指揮官殿"が、最優先出来るなら、誰の気持ちをするか位は弁えてますよ。ただ、本当に一言言っておきたかっただけです』

そう言って、護衛隊長は先に食堂から出て行ってしまった。




 そうして天涯孤独の身ながらも、アルスは様々な人物から目をかけられていた事を知らぬまま、ウサギの賢者の元に配属されていた。

配属された結果として、アルスはアルセンが、願ったような成長と守りたい場所と人を得る事が出来た。



そしてアルスがウサギの賢者の元に配属される主な理由の1つとなった、"人攫いの事件"から"4名の貴族の処刑"が派生する。


"領地のことは領地の中で、領主の采配をもって統治するのを良しとする"

前国王がそう定めたのは、国にいくらかある領地同士で互いに干渉が過ぎて、派閥争いや、領主の座を巡って無用な血が多く流れた背景があった。

代替わりにに関しては、国王にしろ、領主にしろ、君主制の形をを取っているので"主"になった人物に刃向かうのならば、反逆と見なされ処断されても文句は言えない。


今回のロブロウの場合、問題になっているのは"反逆"ではなく、"犯罪"を犯した貴族へ与えられた処断が余りにも厳しすぎるのが、調査を起こす切っ掛けだった。

アルスは、貴族は貴族同士、血の繋がりがある"家族"で、結構結束しているとばかり考えていたが。

しかし、ロブロウに来てからエリファスや、仮面を着けた領主・アプリコット・ビネガーの話を聴いて、何だか"血の繋がり"と言うものが、分からなくなっていた。


(そう言えば、来るときも変な夢をみたっけ)

窓の外から聴こえる、昨晩より小さくなった落雷の音を耳にして、ロブロウにくる途中で馬車の中で見た夢をアルスは思い出す。


顔のない少女が泣く夢。

"私はお母さまの側にいたら、嫌な思いをさせてしまう。

だってお母さまは私の顔が『 憎 い 』んだもの"


(せっかく、血の繋がりがあるのに、憎み合うなんて)

そして、先程見た夢が、アルスには受け止めるのには余りにも難しい、嫌な夢過ぎた。


アルセンが死ぬ夢。

 

(嫌な夢過ぎる)

既に夢の内容はあやふやになりかけていて、アルスは印象的な場面しか思い出せなかった。

どこか分からないが、景色は見覚えがある場所―――何やらやけに"高い場所"にアルスはいた。


数名の人と一緒で、緋色が印象的な"英雄"の衣装を纏ったアルセンもその中にいた。

夢の中で、色んな事をアルセンに向かってアルスは叫んだような気もするのだが、どれ1つとして思い出せない。

そして最も夢の中でも覚えている印象的な場面は、アルセンとどうしだか、グランドールが互いに剣を手にして対峙している姿。


アルスは未だに見たことないはずの、グランドールが数多の血を吸ってきただろう、赤黒い大剣を抜刀した姿を夢の中で見た。

それに対峙しているアルセンの側にもう1人の人がいた。

これがアルスには、思い出せない。


アルセンの側にしっかりいるのに、存在があやふやにしか感じられなくて。


(確か、アルセン様と寄り添うように立っていて―――女性だったような)

如何せん夢の中の話なので、アルスには内容が曖昧にしか思い出せない。

何かしらあって、女性はアルセンの側から離れて、グランドールとアルセン、2人の英雄 による剣戟けんげきが繰り広げられて_


(それで、ああそうだ)

"アルセンがグランドールを傷つけて"、あの綺麗な顔を苦渋と哀しみに充たして、"高い場所"から身を投げたのだ。


とても"高い場所"で、身を投げたなら到底助からない場所と、アルスは解っていたから。


そこで、アルスは目が覚めたのだった。

(―――雨が、止んだ)

小さく聴こえていた雨音が耳に入らなくなり、アルスはベッドから起き上がると、室内履きの靴を履いて東側にの窓辺に進む。

外がまだ暗い事もあり、仄かに灯る室内の明かりで、窓ガラスには不安そうな空色の瞳と―――憧れのアルセンと同じ金色の髪を持った自分が映し出されていた。


(我ながら酷い顔だな)

少しだけ荒んだ表情になっているのが、アルスは自分でも分かる。

鏡のように映る自分の姿を無視して、外の景色を眺めた。


(昨日から、随分雨が激しく降っていたけれど、土砂とか地盤とか大丈夫かな)

夢の内容から離れようと、アルスはそんな事を考える。

領主邸は河川から離れた場所の、少し小高い場所にあるので、浸水や河川の反乱に巻き込まれる心配は全くないだろう。


ただ、ロブロウの関所を過ぎた後には、河川沿いに領民の住居と思われる建物が連なって立っていた。


(災害になんて、ならなければいいけれど)

そこでガタッと窓ガラスの音がなり、アルスは驚いて窓ガラスに近付けていた顔を離した。


「風、強いんだ」

そうして、自分が未だに夢に動揺している事を思い知らされる。

窓から見える空は、雨を降らせてい た黒い雲が強い風に乗って、次々と波打つように動いていた。


「あ」

思わずアルスが声を出したのは、東の空に一際耀く星を見つけたからだ。

明け方、明けの明星が輝く頃に見る夢は正夢になる―――。

訓練生時代、そんな不思議な話を聞き流すように耳に入れながらも頭の隅に残っていた。


(アルセン様!)

思わず窓に張り付くようにして、空に瞬く星を見つめたが、星は風に乗ってきた黒い雲によって隠されてしまっていた。


「クソっ!」

"優しく穏やか"が印象的な少年にしては珍しく声を荒げて、小さく窓ガラスをガダっと音がなる程叩いてしまっていた。


「……アルスさん?」

寝ぼけたルイの声が耳にはいる。

「あ、ルイ君ごめん!」

アルスはルイがいる事も正直忘れ、アルセンの身を案じていた自分に気が付き、赤面した。

ルイは起き上がり、両手を拳にし、腕を伸ばして大きくあげる。


そして犬や猫のように、"くあああっ"と声を上げてトレードマークの八重歯を見せて伸びをしてから、ニカッと笑った。


「別にいいっすよ。オレ、どっちかと言えば、旅先だと眠りが浅いし」

ルイはベッドの掛布団を派手に捲り、身軽に起き上がって自分の愛用の靴、グランドール手製と自慢された物を履いてアルスの側にやって来た。


「それに、ここのベッドは柔らかすぎるし、オッサンの鼾もないから落ち着かないや。あっ、雨が止んでるっすね」

アルスの気持ちを知らないルイは、あっけらかんの調子で窓の外を眺めている。

しかし側により、間近に見ると、いつも穏やかな印象のアルスの顔に小さな焦りが浮かんでいるのが、流石のルイでも気がついた。


「アルスさん、何かあったんすか?」

「ちょっと、嫌な夢を見たんだ」

「嫌な夢なんか見るもんなんすか?」

やんちゃ坊主は驚いて目を丸くする。

そしてルイの反応にアルスも驚いて、空色の瞳を丸くする。


「ルイ君、悪夢って言うか、悲しい夢とかないの?」

ルイはアルスに尋ねられて、アルスよりはまだ細いがそれなりに逞しい腕を組んで、う~ん、と考える。


「うん、やっぱりオレにはないっす!。"夢は楽しいもんだ"ってオッサンに教えて貰ってから、夢の内容を真面目に覚えているんすけど、楽しいもんしかないなぁ」

ルイの考え方の基準は、どうやらグランドールらしい。


「良かったら教えて貰いたいんだけど、ルイ君の楽しい夢ってどんなの?」

少しばかり興味が湧いたアルスは、ルイに夢の内容を尋ねてみた。

ルイは"心得た"とばかりに組んだままの腕からだした手を、小さいながらも固い肉でも咬み千切る顎にあてて、目を閉じて、夢を思い出す。


「だいたい、肉を食べてる夢かなぁ……あっ、最近はリリィに飯作って貰う夢も楽しい夢っすね!。

あと、笑っているところもとかも、良い夢だなあ」

きっぱりと、ルイは八重歯を見せながら断言した。

アルスは、余りにも自信たっぷりと断言する少年の姿に思わず笑ってしまう。


そして、ルイがグランドールに傾倒するように、自分もア ルセンに傾倒しがちな事に気がついた。

アルスがアルセンを心の拠り所にしてしまっている事も、改めて自覚した。


(そうだな、自分が"夢"に見ただけだ。本当のアルセン様は、今頃グランドール様と同じ客室で普通に休んでいらっしゃる)


どんなに美しくて儚そうに見えても、アルセン・パドリックは"大戦の4英雄"の1人"魔剣のアルセン"なのだ。

かつて鬼神と言われた先王が没し、セリサンセウムが、各国から一斉に狙い攻めいられた時、それを退けた国の英雄の1人で、その時はアルスとそう年は変わらなかったハズである。

 

(自分が夢で見ただけだし、アルセン様は強い、けど)

ルイの話で笑いもしたのに、また不安がアルスを襲う。


「リリィもオッサン、まだ寝てんだろうなぁ~」

笑った事で、アルスの気持ちは落ち着いたとばかりに考えていたルイは、気楽そうに雨が止んだ景色を眺めながら、喋り出している。

だがの"お喋り"でアルスは自分の中で消えてくれない不安の核心部が分かる。


"オッサン"―――グランドールである。

夢の中の話だというのに、アルセンが戦っていた相手が、同じ英雄のグランドールだったから、こんなにも不安が拭えない。

もし、戦っている相手がグランドール以外の人物なら、多分アルスはこんなにも不安にならない。

セリサンセウムの国では、英雄は"4人"いるとなっているが一般的に名前を知られている公表しているのは、アルセン・パドリックとグランドール・マクガフィンの2名だけ。


名前を公表することは義務ではないので、残りの2名については公表について"拒否"をしたとしか、周囲は考えるしかない。

そして調べようにも、"機密"扱いになっており、下手に調べようとすれば軍から逮捕される事にもなる。

ただ平和な世の中では、"戦時"においては戦いにおいて評価された"英雄"に対して、周囲はそこまで興味も持たれていない。


良い意味で"名ばかりの英雄"となり、アルセンもグランドールも自分がしたい仕事について、日常を送っていた。

アルセンとグランドールは英雄仲間の前に"親友同士"であった。


そしてその親友の2人が戦う夢を見たから―――


"憧れの親友を失ったなら、きっと私の心は壊れてしまうでしょうね"


(あの告白を聞いていたから、夢が不安で仕方なかったんだ、そして明け方の金星が輝く、正夢になるという時間に見たから)

アルスは、再び顔を曇らせる。


「―――アルスさん、そんなに気持ちがふさぐなら、オレと気晴らししませんか?」

ルイが雨が止んだ景色を眺めながら、そんな事を言う。

「気晴らし?」

ルイの突然の提案は、アルスの不安の表情を打ち消す。


「オッサンとアルセン様が、互いに鬱憤が貯まった時にやるらしい、ガチの喧嘩」

八重歯をニッと出して、ルイは剣の安置場所を親指で示した。


「そんな事、アルセン様とグランドール様がしてるの?!」

ルイは両手を頭の後ろ組んで笑って頷いた。

「マクガフィン農場は、雨季とか冬場とか暇な時期があるんすよ。

で使っていないデッカイ納屋を、オッサンが改装してトレーニング場みたいなのを造っていて。

体力が余ってたり、武術に興味がある奴はオッサンが直々に指導してくれるんす。

トレーニング場には、簡単な模擬試合とかも出来るに場所もあるんすよ。

そこでオレは1回だけ、この研修が始まる前に、オッサンとアルセン様がやってるの見たんだ」


ルイが見たのは本当に偶然らしい。

深夜、トレーニングに使った道具の片付けを忘れたのに気がついて改造された納屋に向かった。


「オッサン、片付けには厳しいから。

だから、深夜だけど部屋を抜け出して納屋にいったら」

時期的に、ロブロウに研修が決まった直後だったらしい。

深夜、ルイがトレーニング場となっている納屋を見れば灯りがついているし、物凄い気迫が辺りに満ちていた。


「オレは魔法とか得意な方じゃないんすけど、精霊達が異常に騒いでいるのが分かった」

怖いもの知らずのルイが、珍しく心に"恐れ"を抱きながら納屋を覗いた。


魔術か何かわからないが、炎を纏いながら、今まで見たことがない憤怒の表情を浮かべたグランドールが、大剣を握り誰かと対峙していた。


「そんで炎を纏ったオッサンの相手をしていたのが、最初はパッと見た目が誰だか分からなかったけど、細剣を構えたアルセン様でした。

何か変な表現かもしれませんが、異様に綺麗に見えたし」

そこまで言って、ルイが少しだけいい淀む。


「ルイ君、どうしたの?」

アルスが不思議そうに、不意に黙ったルイを見た。

話を聞いている側としては、どうせならアルセンとグランドールがどのように対峙していたか、アルスにしてみたら、どちらが強かったか、話を聞きたい。


「いや、例えに使おうと思った言葉が、何だか男の人に使うと変な誤解をうけそうだな、と気がついて」

しかし、他に良い例え言葉の見当がつかないらしくルイは頭の後ろに組んでいた腕を、再び胸の前でくんで、ムムッと考え込む。


アルスはアルセンについて、訓練生や昔から言われている渾名あだなを言ってみる事にする。


「もしかして、"天使"に見えたとか?」

「アルスさん、オレの考えた時間を返してくれ」

ルイにしては頓知の効いた返事に、アルスはまた思わず笑い、どうやらやんちゃ坊主が、"天使"という言葉を使うのを極力避けたかったのが判った。


「私服だし、髪の毛が軍服の時みたいに整ってなかったから、すんごい美人な男の人だったから」

ルイはまだ、腕を組んでブツブツと言っている。


「何で"天使"って言葉を使いたくなかったの?」

さっぱりとした気質のルイが、何かを拘っているのが珍しくて、アルスは訊いてみた。


「オレとしては、その"天使"って言葉は、男の人に対する誉め言葉じゃないんすよ。

女で、リリィは"天使みたいに可愛い"なら納得いくし、後リコリスさんなら"天使みたいに~"、とか言葉が使われたなら、まあ分かるかなぁ」

ルイの中ではリリィやリコリスが"天使"という形容詞は、使用オーケーらしい。


ライやディンファレは?と続けてアルスは尋ねようと思ったが、何気にルイの答えが怖そうなのでやめておいた。


「あと、何ていうのかな"天使"って言葉がオレは"いけ好かない"んすよ」


「天使がいけ好かないっていうのは、自分は初めて聞いたよ。

でもまあ、人それぞれだから、いけ好かないってルイ君が、ただ思っている分にはいいんじゃないかな」

信仰心が低い事を自覚しているアルスは、ルイが天使という言葉を否定的に使った事に対して特に何も感じなかった。


アルスはそれよりアルセンとグランドールの"息抜き"の戦いに多いに興味があった。


「アルセン様もグランドール様も、やっぱり魔術を使いながら戦っていたの?」

魔術という言葉に、ルイは頭をフルフルと横に振った。


「何か魔術の詠唱って感じじゃなかったっす。あれって精神統一みたいなのして、出来る限りの感情を出さないようにするんすよね?」

「うーん、自分は魔術に関してはからきしだからなぁ。でも、魔術に関しては、ルイ君が言った通り。

教本にも、魔術と精霊術の根本的な違いは、感情をのせるかのせないかって書いてあるよ」

魔術や精霊術の実技が全く出来ない分、教本に載っている事は懸命に学んだアルスはルイに自信を持って答える。


「感情がこもってないのはなかったなぁ。

だから精霊術なんだろうけど、2人とも凄まじい勢いで、オッサンは火と土かな。アルセン様は水だったと思う。

精霊に"呼び掛け"というよりは命令しているような感じで、術を使ったり武器を使ったりして2人は戦っていたんすよ」

「命令?え、でも精霊は共感や共鳴でしてくれる事で、動いて力を貸してくれる術のはずだから」


そこでアルスは、教本の最後の方に記述されていた文章を思い出す。


【本来なら禁術とされるが、有事の際に赦される術に"降臨"術がある。

"降臨術"とは肉体に精霊を司る代表の"神・天使"といった存在を降ろし、精霊を意のままに使役する、いわば最高の精霊術である。

ただし、真の意味を理解し使用しないと―――術者の身体は死に至る禁断に近い術である。

国と精霊に対する礼節と覚悟が理解し有るものだけが、国を代表する国王から許可を得て、初めて使える術である】


(アルセン様とグランドール様なら、国王陛下から許可を賜っていても確かにおかしくはないけれど)


「オッサンとアルセン様が、互いに術や武器をぶつけ合っていて。

オレは正直納屋の入り口でびびっていたら、凄くでかいサラマンデルの火のトカゲがさ、戦いの余波みたいな感じで、オレの方に飛んできて」

―――危ないっ!!。


アルセンが、信じられない速さで、納屋の入り口に立つルイの前に立ちはだかり、火のトカゲから守ったということだ。


「アルセン様、よく間に合ったな、ってオレ助けて貰っておきながら、思いましたもん。

そんでその助けて貰った時に、オッサンの相手をしているのがアルセン様って、漸く分かったんだ」

それからグランドールとアルセンが術を解き、たまに2人でこうやって"息抜き"と称し、訓練の意味を込めて模擬試合をしている事をルイは知ったのだった。


「術を解いた後のオッサンもアルセン様も、見たこともないくらい汗だくで。

でも、凄くさっぱりした顔してました」


"―――まあ、アルセンがいれば荒療治だが一発で淀を抜く方法がある"

グランドールがかつて体調を崩した時―――主に精神面に酷い疲れを負ってしまった際、言っていた言葉にアルスは思い出した。


「ああ、じゃあグランドール様が、アルセンさまにロブロウに来たばかりの頃、仰っていた"荒療治"って、もしかしたらそれの事なのかも」

「あっ、確かにそれはあるかもしれないっすね。

オッサンにしろ、アルセン様にしろ、確かに体力や魔力は凄く消耗していましたから、そういった意味じゃ確かに荒治療かも」

アルスの言葉にルイは納得が出来た様子で、手をパンっと叩いていた。


「んじゃ、オレらも"荒治療"といきましょうよ。

アルスさん、体力とかは大丈夫そうですけど、顔色とか悪いですもん」

好漢グランドールを師事する少年は、アルスの気持ちを晴らしたいのも勿論あるが、どうやら師匠と師匠の親友の真似事をしてみたい気持ちも出てきているらしい。

そして相手は、師匠の親友の弟子―――アルスだ。


ルイは足取り軽く、ベッドに行っておいてある帯剣するためのベルトを腰に巻き付ける。


「オレ、本能的に"アルスさんに敵わない"のはわかるんすけど―――」

ギュッとベルトをしっかり腰にしっかり装着してから、剣の安置場所に向かう。


「アルスさんとヤってみたい気持ちは、前からあったんすよ。

初めて市場の食堂であった後、オッサンが"あれがワシの親友の秘蔵っ子"って、珍しく鋭い目をしながら言っていたから」

カチャン、カチャンと音を立てルイは自分愛用の2つの短い曲刀を腰につけた。

少年の瞳に一種の"嫉妬"という感情がこもっている。

だがアルスはそれには気がつかない。

あくまでもルイは自分の気持ちを晴らすのに、気持ちを砕いてくれていると信じていて


「ありがとう、ルイ君」

そんな感謝の気持ちを、口に出して伝えていた。

ルイは感謝の言葉を伝えられて、少しだけ調子が狂ったように癖っ毛の髪をガシガシと掻いた。



「でも、"息抜き"するにしても、場所はどうするの?。

玄関から外に出るの?それともこの前のルイ君みたいに窓から抜け出す?」

アルスは窓から外を見ると、まだ薄暗く、空にある雲は風に乗り動いている。


(雲はあるけど、雨はもう降るって感じじゃないな)

「中庭で。確か、新領主邸の玄関は内と外からのダブル施錠だったから、脱け出しにくいってシュトさんが言っていたっすから。

中庭なら内側の施錠だけで、いけますから」

調子を狂わせたルイだったが、アルスは"息抜き"自体には参加するのに意欲的なのを確信すると、親指をグッと立てて八重歯を見せて笑った。


「そんな事いつの間に話したの?」

「正確にはシュトさんとロックさんかな。

前の晩餐会時に、ロックさんが気を付けるように言ってるの聞い たんだ」

「地獄耳だね―――あれ?」


空に何かが舞っていた。

(あれは、羽?)


アルスの視界に今までなかった、鳥の羽らしきものが1枚空を舞って、落ちていった。

バサリっと羽が羽ばたく音がして、思わず窓を開いて外を見ると鳥が1羽、新領主邸の上空を翔んでいる。

鳥の足首には、何か荷物らしきものが結わえられているようにも見えた。


「あ」

鳥は吸い込まれるように、領主邸の何処かの部屋の窓に入っていった。


(もう、誰かこんな早朝なのに起きているんだ)

「アルスさん?窓開けて、どうしたんすか?」


「いや、何でもないよ。時間が勿体無いから、行こうか」

(誰かが、こんな早朝なのに起きている)


もし"息抜き"が見つかったら、少し五月蝿い事を言われるかもしれない。

本当なら、ルイの有難い提案を断ってたしなめるのが、年上として正しい行動なのだろう。

けれども、ルイからアルセンとグランドールの"息抜き"話を聞いてから、正直アルスは自分もやってみたくなっていた。


ロブロウに来てから、身体はそれなりに農業研修を行うグランドールに随行する事で動かしてはいたが、アルスは"運動"というものが出来ていなかった。


(変な不安が溜まっているのも、汗を流していないせいかもしれない)

そんな事を考えて、アルスは息抜きをする決意を固めた。


「直ぐに支度するから、ちょっと待っててね」

アルスは窓を閉めて、洗面所に向かい顔を洗い、衣服を素早く着替える。


「あれ、アルスさん軍服でやるんすか?」

将校であるアルセンと少し形は違うが、アルスも軍服を身につけていた。


「うん。真剣に戦うときは、軍服の方が気持ちが引きしまるんだ」

そう言いながら、アルセンから配属祝いに貰った革手袋をキュッと嵌める。


アルスは革手袋を嵌めてから、ハッとしたようにしてルイを見て頭を下げた。


「あっ、いやその―――。息抜きなんだよね。 何 かごめん、ルイ君」

「うわっ、本気のアルスさんとなんて、オレ大丈夫かな~」

ルイはカラカラと明るく笑い、ふざける様子でアルスを見るが、瞳は鋭くなっていた。


「んじゃ、日が上る前にサクッと息抜きを済ませる為に、中庭にいきますか―――」

そう言って、客室の扉を開いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ