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【詭弁】

きべん【詭弁・詭辯】

言いまわしの巧みなごまかしの議論。

[用例]詭弁を(ろう)する



誰も傷つかない嘘を、あなたは赦せますか?

『そもそもエリファスの存在だけが、禁術であったとしてもこの世界に形をなして呼び出されていたならば、"陣取り合戦"にまで話がデッカくなってなかったんだよね』

魔法鏡の向こうで、ウサギの賢者―――今は人の姿に"強制的に"戻されている、鳶色の髪と瞳と、シンプルな丸眼鏡した三十路半ばの男が、上等な寝台のベッドの上で胡座(あぐら)をかいて腕組みをしている。


「シュト、座りなさい。ネェツアーク殿の話しは、多分長くなるから。

立っていたら疲れてしまうわ」

アプリコットがウサギの賢者の本名"ネェツアーク・サクスフォーン"の名前を出しながら、椅子を一脚差し出して、自分はネェツアークと同じ様に寝台に腰掛けた。

見習い執事兼用心棒であるはずの少年は、雇い主であるロブロウ"代理"領主アプリコット・ビネガーに椅子を進められて素直に従う。


「"詭弁"の話じゃなかったんですか?」

椅子に腰掛けながら、少年が尋ねると丁度18才のシュトの倍の数を生きている賢者は、ニンマリと笑って口角を上げる。


(不貞不貞しいなぁ)

ネェツアークをよく知る人物達なら、誰もが抱く賢者のイメージをシュトも見事に受けていた。


『まあ、私の話す"話自体"が全て詭弁に近いからね』

今度はネェツアークが大袈裟に肩をすくめて見せて、シュトは溜め息をついた。


「何か力を入れて、賢者殿の話を聞くのが馬鹿らしくなるっすね」

思わず言ってしまってから、シュトは口を抑えた。


(やべっ、流石に調子に乗りすぎた)

そう思っていたが、発した言葉に対しての返事は意外なものになる。

 

『そう、力を入れて聞く話じゃない。力を入れてばかりだと、必要な時に力が出ないし、変に歪んでしまう時があるから』

ネェツアークは、まるで幼い子どもを誉めるような口振りでシュトの"減らず口"とも取れる言葉を受け入れていた。


『力は入れなくていいから、覚えて忘れないでいてくれれば良い。"そんな話だ"』

「はあ」

シュトが思わずアプリコットを見ると、小さく笑っている。

(何か、アプリコット様とあのウサギのぬいぐるみに化けていた賢者さん、少し似ている?)

シュトは調子を狂わせながら、また魔法鏡に映る賢者を見ると、酷く古そうだが立派な絵本を取り出していた。


『シュト君、これを今、君は読めるかな?』

パラッと絵本のページを適当に開いて、ネェツアークは中身が見えるように魔法鏡越しにシュトに向けた。


「え~と―――あれ?ぼやけて?あれ?」

シュトは疑問符を撒き散らすように言葉を吐き出し、思わず両目を執事の服の袖で拭い、そして再びネェツアークが魔法鏡越しに見せる絵本を見つめた。


『どう?どんな感じ?』

「文字があるのはわかるんですけど、文字が読めないです。この国の文字で、知っているはずなん、ですけれど」

今度は同意を求める意味でシュトがアプリコットを見つめると、同じらしく深く頷いてくれた。


「賢者殿、私もシュトと同じ。文字があって読めるように感じるけれど、いざ読もうとしたら読めない状態」

『うん、ありがとう』

シュトとアプリコットの"答え"が予想通りだったらしく、ネェツアークは笑いながら絵本を手元に戻して、数ページをめくる。


『じゃあ、このページがどうなっているか2人とも見てもらっていいかな?』

そして絵本の新たな箇所を開いて、シュトとアプリコットに見せた。

シュトは近眼でもないのに、目を細めてみたりして絵本を見る。


「……さっきと変わらないっすね。字があるのは分かるけれど、うん、やっぱり読めない。ん?あれ、でもこれって」

"字"は確認出来ないが、絵本の丁度真ん中に、糸が(ほつ)れたような後があるのにシュトは気がついた。

アプリコットの方を見ると、彼女もその事に気がついたらしくシュトと視線があうと小さく頷いた。


「賢者殿、相変わらず文字を判別するのはこちらから無理だわ。

けれど本の中央が解れて糸が出ている、これは本から、この箇所のページを引き抜かれたって事かしら?。これは、読書家としては許し難いわ」

読書家でもあるアプリコットが、うっすらと疵がある眉間に縦皺を刻みながら、幾分腹立たしそうに呟いた。


『本は大事にしないと駄目だよね~』

ネェツアークもそこはアプリコットと同意見らしく、フムフムと頷いてから絵本を自分の方に向けた。

『そうか、アプリコットだけでなくシュト君も、この場所は判別出来たか』

ア プリコットとシュトが、ページが引き抜かれたと言われた箇所を賢者は見つめる。

それこそ本当の近眼の人の様に、ただでさえ鋭い鳶色の瞳を更に鋭利に輝かせて、ネェツアークは眺めていた。


「ネェツアーク殿って、そんな顔をすると本当に悪人面ね~」

アプリコットが普通にそんな事を言うので、シュトの方がギョッとする。 

しかしネェツアークは一向に構わない様子で、それこそ鳶のように視線を鋭くしたまま、絵本を見つめていた。

そして人差し指を破れた箇所になぞるが、糸の明らかな解れさえ、指先は上手く感覚が掴めないらしく、何度も繰り返している。

それから諦めたように絵本を閉じて、ネェツアークは膝の横に置いた。

すると見計らったいたのだろう、賢者の使い魔である金色のカエルがピョンピョンと、飛んできた。


小さな金色の背中に丸いチョコレートを乗せ、ネェツアークの側にやってきて、にじにじと主の体を肩まで登る。

肩に到着すると、器用にチョコレートを抱え上げて主が開いた口に放り投げ、ネェツアークは見事(?)に受け止めて口をモゴモゴとしながら小さく、カエルに向かって、ありがとう、と言って食べた。

それから、本当に不思議な出来事に遭遇した子どものように、いつもは鋭い瞳を愛嬌が十分感じられる程丸くして鳶色の髪をガシガシと掻いた。


『いや実はね、多分絵本のこの場所が"破けている"と認識出来るってのが私の予想では、禁術に関わった"人"だけって考えていたんだけど』

まだ多少口をモゴつかせながら、ネェツアークは、魔法鏡の向こう側にいるシュトを見た。

 

「えっ?!わたしっ、つか、おっ、俺はそんな禁術なんて関わった記憶なんてないですよ!」

シュトが頭と両手を前に出して、ブンブンと勢い良く横に振って、禁術との関わりを否定する。


『うん、実に分かり易く、初々しい反応だ。禁術に関わったどうかといえば、シュト君がしているのが最もな反応で、答えなんだよねぇ』 

「こういっちゃなんだけど、禁術が行われたのはシュトが産まれる前の話よ。

流石にシュトが関わるのは無理だし、誰かの生まれ変わりだなんてぶっ飛んだ話もナシにして欲しいわね」

アプリコットが腕を組んで、"生まれ変わり説"は受け入れないといった意志表示を出した。


『おや、アプリコットさんはそういった話は嫌いかな?』

ネェツアークは、強めに否定の色を表すアプリコットに興味を持ったらしい。

「そんな都合よく話が進むのが、嫌なだけ。

ちなみにお祖父様が無くなったのは18年程前だけれども、、雇う際に見たシュトの履歴書の産まれた日より後日。死ぬ前に生まれ変わるなんて、私としたらナンセンスだわ」

魔法鏡越しに、男同士、ネェツアークとシュトは顔を見合わせる。


(何か"生まれ変わり"ってのは、アプリコット殿にとっての"地雷"なのかな?)

ネェツアークがシュトにそういった意味で視線を投げかけると、

(何かそうみたいですね)

シュトもパチパチと驚きの感情を瞬きで現しながら、ネェツアークを見返した。

アプリコットは未だに、生まれ変わりという考えには受け入れ難いらしく、組んでいる腕にグッと力を入れて意見を述べ始める。


「生まれ変わりなんかよりは、まだ異国の"付喪神考"の考えの方が―――」

と、そこまで言ってハッとしてアプリコットは 、としてシュトを見る。

パチンとネェツアークが指を弾いた音が、魔法鏡越しに響いた。


『あっ、成る程ね。確かに禁術の現場に立ち会っているね、"彼"』

今度はネェツアークとアプリコットとが視線を交わして頷く。

そして驚いたままの執事見習いの少年を、2人は凝視した。

正確にはシュトのホルスターに納まる―――"初代の銃の兄弟"から受け継がれる銃を見つめている。


「えええ?!。銃が禁術と関係しているんすか?。俺にはそっちの方が信じられないっすよ」

シュトにしてみれば、大人達が肯定的な"付喪神"――かつてエリファスに少しだけ聞いた事がある、"道具"を長年使っているて魂が宿る――という考え方の方が余程胡散臭く感じられた。


『百聞は一見にしかず。シュト君、銃を離してみてもう一度絵本を見て見ればい』

賢者と言う割に、ネェツアークの諺の使用の仕方が怪しいものがあったが、後半部分に言っている事は的確ではあるのでシュトはホルスターから銃を抜きアプリコットに渡した。


銃を受け取った手が沈む。


「重たいのね。エリファスは、こんなの2丁持って戦っていたのか」

アプリコットはそれなりに鍛えたシュトが、片手で扱えている銃を、同性の親友が同じ様に扱えているのが不思議に思えた。


「師匠、銃を扱うから胸筋が鍛えられて胸がデカくなったのかな」

シュトがポツリと言うのを、アプリコットが頭をパシリと叩く。


「ああいうのは、生まれ備わった素質みたいなもんです」

まるで姉弟のようなやりとりに、ネェツアークは軽く笑って膝の側に置いてあった絵本に、再び手に取った。


『胸の成長に多少の影響はあるだろうけど、決定打じゃないだろうね。ではシュト君、どうだろうか?』

ネェツアークが絵本のページが割かれていた場所に、器用に指を差し入れて魔法鏡越しにまた広げて見せた。


「―――嘘だろ」

シュトの目には、今度は先ほどは認識出来た文字らしき物すら見つける事が出来なかった。


『何も、見えないかな?』

一応確認するようにネェツアークが声をかけると、シュトは頷いた。

「ただの何も書かれてない古いノートみたいに、中はまっさらになってます。

開いているの、さっきの破けているページの筈なんですよね?」

  

『ああ、私には字が読めないが、破りとった後の糸の解れまで判るね』

ネェツアークが当たり前の様に言うと、シュトは力なく笑った。


「マジかよ、無機物に魔法なんて」

それなりに生活を共にした、銃と言う自分の武器に、そんな魔法を受け入れる力があったなんてシュトは微塵にも考えた事もなかった。


『―――禁術だけど、魔法でウサギに化ける人間もいるんだ。こんな仕組みを取った魔法、禁術だろうけど、あるだろうさ』

魔法がある世界に生活を根ざしてはいるが、実際に目にするのは分かり易い魔法――攻撃だったり、治癒だったり、精霊術にしても形が顕著に見えるものばかり。


ネェツアークが持っている絵本のような、"記憶"や"認識"のといった具体的な形がなく、心に影響を与える魔術は、まだ若いシュトの許容量を超えているらしい。


(まあ魔法にしても、何にしても理解出来ないものを受け入れるってのは中々難しいよね)

少しだけ傷付いた表情を浮かべるシュトに、ネェツアークにしては多少思いやりのある眼差しを向けていた。


「あの、私絵本の文字を読めてしまうようになってるんだけど」

アプリコットがシュトから預かった銃を抱えながら、ポツリとそんな事を言う。


『―――マジで?』

ネェツアークが先程のシュトが言った言葉につられるように、年の割には落ち着きのない表現で、驚きを表現した。

アプリコットは黙って頷いて、ネェツアークが向けている絵本に今一度集中し、視線を送る。

しかし、何とも言えない顔でまた視線を外した。


「うーん、とは言っても飛び飛びで、文章の把握ってまではって感じねぇ。

あ、でも、もしシュトの銃のおかげで、絵本みれるようになったと言うなら」

そこまでアプリコットが言って、苦虫を噛んだような表情になった。

シュトもアプリコットの顔見て、何を考え、その考えがダメになったのか分かった。

 

『あちら側、エリファスさんと"旦那"さんに、先手を打たれたと考えてもよいのかな?』

魔法鏡の向こうにいる偉く頭の回る賢者は、大体の事は察したらしい。

シュトの銃は―――"初代・銃の兄弟"が装備していた武器持つ事で、アプリコットが禁術の絵本を読み解く力が上がった。

禁術の行われた現場にいたものがあると、絵本を読み解く力が備わる、という仕組みがあるのも察する事が出来た。


それなら、シュトの弟がアトが持つ銃も禁術を施す際、現場にあった筈。

今、アプリコット2丁の銃をもったならば、かなり鮮明に絵本を読めるのではないか、と賢者には考えが及んだ。

そして、魔法鏡に映るロブロウ領主と見習いの若い執事にも、その考えは浮かんだのだろうが、一度明るい顔をしてから、気まずそうな顔をしたという事は、


『アト君の銃は、既にエリファス側に渡っていると考えて良いみたいだね』

と顎に手を当てながら、ネェツアークが言うと、見習い執事の青年はコクリと頷いた。

「エリファスはこうなる事が分かっていたから、アトの銃を?」

アプリコットの言葉にネェツアークは、顎に手を当てて考えるが、銃を"敵側"渡っている事にはそ こまで深くは受け止めていない感じが窺えた。


『さあ、どうだろう。単純に、使い慣れた、"武器"が欲しかっただけかもしれないしね。

あっ、そうだアプリコット殿。字は読めなくても、"絵"は分かるかな?』

ネェツアークの問いに、アプリコットは小さく溜め息をついた。


「そうよね、これは"絵本"なのよね。じゃあ私が本の中に今見えている、この様々なシミに見えているのが―――多分絵だったのかしら」

今度はアプリコットが、近眼のように目を細め、ネェツアークが見せているページを凝視する。


「ああ、やっぱり何が描かれていたのかも解りづらいなぁ」

アプリコットがネェツアークがするように、自分の頭をガシガシと掻いた。

『アプリコット殿、難しいことを頼むようで悪いが、見えないにしても、どんな風にして絵が見えなくなっているか説明して貰ってもいいかな?』

「悪いと思うなら、頼まないで欲しい」

昔からの友人のようなノリでアプリコットは綺麗(?)に言葉を返しながら、今度は漠然といった感じに、絵本を眺める。


「そうねぇ、水に耐性のないインクで描かれた作品にバッシャンと、(たらい)一杯の水をかけられたような感じかしら」

『どうやっても描かれていたものは、解りそうにもない?。―――他のページはどうだろう』

ネェツアークはアプリコットに見えやすいように、最初からページをパラパラと捲る。


「ネェツアーク殿、あっ、ちょっとストップ!」

最後の方にかかった時、アプリコットが声をあげた。

『おっ、あったかい?』

ネェツアークは俊敏に反応して、器用にアプリコットがストップをかけた場所に長い指を挟み込んだ。


「えっと、断片的なんだけどね。これは、ドレス?後は、これは絵本が古いから茶色いのか、羽根」 

両開きのページ、右側のページには"天"や"主"といった、この世界の文字。


その文字の下に、中央に大きく描かれていたいただろう挿し絵は、やはり水をかけられたようにシミとなっている。

だが、理由はわからないが、一部"水"をかかるのを避けられた部分があって、その挿し絵の一部がどうにか見える箇所がある。

絵本のそのページ中に舞っている"羽根"に見える挿し絵だった。

左のページには"優"と"悲"それと"妻"の文字。

そして、シミが免れている部分には、ドレスと見て取れる挿し絵が描かれている。

そう言ったものが、銃を胸元に抱えるアプリコットには見ることが出来ていた。

絵本の内容を分かる範囲で、アプリコットが説明すると


「俺には他のページ以上に、日に焼けたま茶色なページにしか見えません。そもそも絵本って言われてるから、絵本と思っている状態なんすけど」

"銃"がないため、全く状況が分からなくなった見習い執事が、平坦な声を出した。

実際、見えない人には、シュトが見えているようにしか見えていない。


「シュト、あなたワイルドな服の趣味のわりには、意外と理屈ぽっいわね」

アプリコットが呆れた声出すと、魔法鏡の向こうにいる賢者が笑む。

『いいじゃないの、若者らしくて。自分にわからない事で、関係ない事なんて知ったこっちゃねえ。実に単純明快。ただねぇ―――』

ネェツアークはアプリコットの説明を聴いた後に、絵本の次のページを捲ると例の破けたページがあった。


『たまにないかな?。"知ったこっちゃねえ"な事なんだけど、もしも少しでも何か片鱗、ごくわずかでも気付く事が出来たなら、避けられた悲劇とかさ』

ネェツアークにしては珍しく"笑う"と言うよりは、"微笑む"という面相になっていた。


ただそれは酷く意地の悪い物で―――迷っている者を全て誘惑し、皮肉っているような悪魔のようにも見えて。

そんなネェツアークの"笑み"を向けられて、シュトは少し怯えながらも、笑う。


「逆に、そんな事がない人生の方が珍しいんじゃないんすか?。

でも、有り難い事かどうかわかりませんけど、俺は自分の人生について今の所までは結構"ツいている"方だと思うんすよね」

そう言ってシュトは、寝癖がありながらも整えていた髪を掻きあげて、後ろに反り、今まで椅子に座りながらも組んでいなかった脚を組んだ。


「―――シュト、喧嘩売るにしても相手を考えなさい」

アプリコットが忠告の声をかけるとシュトは、少しだけ苛立った様子を見せた。

「領主様、プリコットさんは確かに雇い主だし、金払いは良い客だけどさ。俺が従っていたのは、エリファス師匠の勧めがあったからに過ぎないんすよ」

見事に刺々しい態度となった事に、アプリコットは悲しい表情を浮かべると、シュトは唇内側を、外からは判らぬ様に噛んだ。


『うん?生意気な小僧に"詭弁"について、話してやった方 が良いタイミングがきたかな?』

ネェツアークはそう言って、絵本のページの破けた部分を指でなぞる。

『アプリコット殿、銃をそのクソガキに返してあげてよ』

「ネェツアーク殿、貴方まで?!」

アプリコットが悲しみの表情から一変して、呆れた顔をして魔法鏡に映る"賢者"を見る。


『いやあ、(じか)にシュト君に会ってなくてよかったよ。

もし会っていたなら、少し手が早いが、優しい姉のような女性に生意気口をきくようなガキには、鉄拳制裁だ』

ネェツアークは先程の破けていたページを開いて、胡座をかいた膝の上にトンっと置いてニィと、好戦的な笑みを顔一杯に広げる。

アプリコットが諦めの溜め息をついて、頭を左右に振りながら、銃をシュトに返した。

シュトは一応の礼儀で、銃を受け取りながらアプリコットに頭を下げた。

そして銃をホルスターに納め、脚を組み直しながらしっかり約2倍年上の賢者と"(ガン)"をつけた。


「―――俺だって三十路過ぎて、禁術使ってウサギのぬいぐるみに化けて、美少女に抱っこされて、コソコソ暗躍している賢者に、説教垂れられる謂われねぇーんだわ」

『アッハッハッハッハ。本当に直にあってなくて良かったよ。大事な戦いの前に、拳を痛めたくないんでね』

魔法鏡の向こう側では、高笑いへの"苦情"のクッションが再びネェツアークに向かって飛んで来ていたが、今回は拳で叩き落とす。


アプリコットは密かに

(いったいロックは何個のクッションを、来賓室のベッドに配置したのかし ら?)

と、くだらない(いさか)い を始めた賢者と用心棒を放って考え始めていた。


『さっきグランドールとクッション投げしたんで、クッションが全部向こう側に行っていたんだよ、アプリコットさん』

まるでアプリコットの考えを読んでいたかのように、ネェツアークが威嚇の視線をシュトに向けたまま答えた。

アプリコットが、抱えていた呆れを少しだけ引っ込める。


(何やかんややりながら、結局次の局面に話を進めているわけね。この賢者さんは―――)

『んじゃ、まあこの破れたページがある場所を、"銃"があるお陰で"見える"ようになったシュト君、見て貰おうか?』

明瞭にシュトをからかいながら、ずいっと魔法鏡に絵本をネェツアークが押し付けるように見せる。

丁度、透明な窓にベタッと押し付けられたように破れたページが見えた。


「アプリコットさんやエリファス師匠みたいに、何か事情ありそうなら知らないっすけど。ウサギに化ける為に法律破って、禁術使って、絵本見えるようになってるオッサンに言われても、俺的には何ともないんすけどねぇ」

アプリコットを"さん"づけにして、再び見えるようになった、絵本のページや破れた箇所を見つめながらシュトが、ネェツアークのからかいの応酬をする。


平時のシュトならば、国家資格の"賢者"を持つ良い大人が、法を破るなら"それなりの理由"がある事ぐらいは考え及ぶのだが、如何せん、相手にしている人物の"人柄"が悪すぎた。

取りあえず、シュトを"怒らせ"ながら話を進める気があるネェツアークを見て、アプリコットは静観を決め込む。


(からかい尽くすような言い(いいぐさ)は、ネェツアークって人の生まれ備わった業なだけかもしれないけれど…。

シュトの怒りを煽るように話を進めている分には、何か意図があるはずよね)

少しばかり希望的を観測を含めて、アプリコットは鏡の向こうに映る鳶色の賢者を、静かに見つめる。

そしては腕を組み直した時、アプリコットの左の人差し指に小さく痛みが走る。

もう数時間前になるが"血の契約"を交わした時、自分の歯で噛み切った疵痕(きずあと)だった。


"世界を敵に回してでも、大切な人を護らなかった、男の戯れ言です"

ネェツアークが契約の最中に確かにそう言ったのを、アプリコットは覚えている。


(シュトが言う私とエリファスが"やむ得ない事情"と言うなら、あの賢者殿の持つ"事情"は一体何なんでしょうね)

アプリコットの少しの慈愛と、大きな切なさに満ちた視線に気が付きながらも、ネェツアークは"子ども相手にムキになっている大人"として振る舞う事は止めなかった。


―――少しばかり、ネェツアークが本心からこの状況を楽しんでいる感じが、否めなくはなかったが。


『さて、シュト君にも数回言ったがエリファス"さん"は、アプリコットさんの心を守る為に偉大な魔術の使い手2人と、禁術に協力した1人。合計3人で造り上げた』

先程までは"産まれる"と表現していたものを、無機物のように"造る"と言い換えるネェツアークに、シュトはまだ若い眉間に深いシワを刻んだ。

しかし、ネェツアークはそんな事はお構いなしで話を続ける。


『もう名前を出してしまおう。魔術師2人は、そこにいるアプリコット殿の祖父、初代のロブロウ・領主ピーン・ビネガー氏と、アト君が大好きな執事のロックさんだ。

"禁術"を協力したのは、君の傭兵の大先輩、初代銃の兄弟ジュリアン・ザヘトだ。そしてこの絵本は――』

貼り付けるに魔法鏡につけていた絵本を、ネェツアークは離した。


『人には考えられないくらいの時間を"独り"で、立場も力も引き換えて"ある2つのモノ"に再び出逢う為だけに、存在してきた偉大な絵本だ』

破けたページを長い指先でトントンと叩きながら、ネェツアークは絵本に敬意を払うように説明する。


「そんな古ぼけた本は人扱いで、エリファス師匠は"物"扱いかよ」

シュトは心底納得がいかないといった様子で、もう絵本は見ずにネェツアークを睨みつけていた。

睨みつける少年を、ネェツアークは腹の底から可笑しそうに笑う。


『何言ってんだい、シュト君。この絵本のお陰で、エリファスはアプリコット・ビネガーのただの模写にならずに済んだし、"エリファス・ザヘト"として存在出来たんだよ』

シュトの"無知"を嘲笑いながらも、少しだけアプリコットの名前を"出し"に使った事を申し訳ない、そんなニュアンスを含ませた視線をネェツアークは向ける。


何処か人の良い代理領主は、口角をすこしだけあげて"構わない"と言う意志を、鏡越しに柔らかい視線と共に示した。

そしてアプリコットは、ネェツアークが独りだけでシュトからの"泥"を被ろうとしている事を察した。

ネェツアークは尚 も、シュトの怒りを煽るように喋り続ける。


『シュト君の大先輩、ジュリアン・ザヘトが、密かに破いたページ、"高所の神の王様"の奥方の事を表記した箇所。それがエリファスの"核"、正体だ』

「あんた、本当に賢者かよ?。あんまりにも、話が突拍子なさすぎる」

少年は頬をひきつらせ、自分の恩人を"絵本の1ページ"という賢者を見詰めた。

 

『じゃあ聞こうか。今の君、"シュト"という"人"を作り上げているのは、一体なんだい?』

「何、難しい事を言って誤魔化そうとしているんすか」

シュトは少しだけ怯んだ。

鳶色をした人が、恐らく太刀打ち出来ないほどの雄弁とした詭弁を吐き出す事は、シュトにも分かる。

だから足元を(すく)われないように、シュトなりに慎重に言葉を選んで喋る。


「俺は俺っすよ。もう覚えてもないけど、貧困の村に産まれて、アトって弟がいて、両親は病気でいなくなった。

けれど運良く教会の孤児院で、傭兵2代目"銃の兄弟エリファス・ザヘト"に引き取られて、育てて貰った。そんでもって―――3代目を継いだ。それが」

ただネェツアークと言う人物は、確りと地に足を着けて話そうとする人物にも、遠慮なく躊躇いなく足払いをかけて転倒させるような人物である。


シュトが続けようとする言葉を、30数年間生きてきた貫禄と、今まで仕出かしてきた様々な偉功でついた自信と迫力で遮る。


『そう、そう言った"【自分】の【時間】と【記憶】と【記録】"があるから、シュト君は自分は自分と思えるんだよね?』

決して相手の考えも否定せず、相手が"受け入れる言葉"をチョイスして、自分の持っていきたい道筋とペースに―――シュトを巻き取り、引き込む。


『さぁ、じゃあエリファスの場合はどうだろう?。

彼女の【時間】と【記憶】と【記録】を植え付ける為の、器は―――肉体はアプリコットの体残っていたバニシング・ツインと』

ネェツアークは一瞬だけ躊躇をして、言葉を続けた。


『"流産"して亡くなった、アプリコットに妹になるはずだった嬰児の遺骸を使って、そこにアプリコットの護るべき【心】をピーンとロックという術者で込めた。

ただ、アプリコットの1つの心だけでは、"自分"と言う意志を持って、存在は出来なかった』


「少し話に割って入ってごめんなさい。ネェツアーク殿、母上は妹をおろした、"堕胎"させたわけではなかったの?」


先程までみたいに、エリファスの話題や親との確執に顔色を悪くさせる事はなくなった。

だがアプリコットは、妹が"自分の一言でこの世界から命の灯火を消した"と、ばかり思っていた存在が、そうではない知って思わず言葉を挟んだ。


『ああ、シネラリア殿は切迫流産。五月蝿い4本の徒花(あだばな)達の戯れに、このロブロウで産まれた新たな種子は、母体という畑を乱されて、芽を出すことなく流れた。命ってのは、不思議なもんだ。

母胎から出れない限り、比較的軽く扱われてしまう。

体内にその命を宿した本人以外にはね』


「―――母上」

アプリコットは苛まれる母を思い、一言だけ母を思って言葉を漏らした。


「それなら、領主様、アプリコットさんの流れた"妹"さんが、エリファス師匠だっていう事になるじゃないか!。尚更、エリファス師匠のどこが人じゃないって言うんだ!」

『器がそうでも、中身が違う。シュト君、君は器に入ったミルクは飲めるけれど、それが油だったら飲めるかい?。何だったら、蓖麻子油(ひましゆ)でも構わない』

ネェツアークはシュトの怒りが"絶えぬ"ように、言葉を選び吐き出す。


「ふざけんなっ!。人間なら"ミルク"でそうでなかったら、飲めやしない代物だっていうのか!。だったらエリファス師匠は、極上過ぎるくらいのミルクで、飲み物だ!。

普通なら見捨てられるような、アトみたいな心の育ち方に難がある子どもを、根気良く育ててくれた人だ。

それこそ、"女神"みたいな存在だっ!」

少年が恩ある存在を思い、吐き出した言葉に、


――――賢者はニィイと、大変満足そうに笑った。


『―――ほら、シュト君も"判っている"じゃない』 

「え?」

シュトは、自分で吐き出した言葉に縛される。


"女神みたいな存在だ"

(あっ、あっ、あっ)


"ものの例え"だと、言い返す事も出来る筈なのに、シュトの中にいる慈愛に満ちた胸の豊かな女性は、それを否定させる。


『これが私にとって、不思議な事の1つ。どうして人は、人に近いものの存在を否定された時、"人より格下"なものと考えるんだい?。

まあ、私が詭弁を言って、影響を受けた部分もあるんだろうけれどもさ』

生意気な少年を充分に痛めつけはするが、"逃げ道"は塞がない。

けれど、逃げ道というネェツアークが敷いた"道"の上は、しっかりと歩いて貰う。

シュトはネェツアークの用意した"道"に、足を踏み入れていた。

そしてその道にシュトを否応がなしに押し進める為、言葉をまた吐き出す。

『どうして"格下"なら駄目だけれど、恩があったり尊敬の念を抱いていたりする存在が、人間より上に例えられたなら"受け入れよう"と考えるんだい?』


「―――恩がある人が下にいるよりは、上の方にいてくれた方が嬉しいだろ」

自分でも、何を言っているんだか、と思える言葉をシュトは吐き出しながら、賢者が押し進める"道"の上をシュトは歩き出す。


『それは、シュト君の気持ち、"願望"であって、肝心な、エリファス師匠の気持ちはどうなんだろうね?』

「―――師匠の気持ち」

もっともな言葉にまた一歩、背中を押されてシュトはネェツアークが用意した道の上を、更に進む。

 

『まあ今、問題なのは、エリファスの中身が人であろうが女神あろうがで、意志をもってセリサンセウム王国・領地ロブロウに害をなす―――。

というより"領地を奪取しようとする側"に、自分でついてしまってる事だ。

そして、それがエリファスの決意だ』

鏡に映る賢者の言葉はぶれない。


『慈愛を込めて育てた大事な弟子達に、何も告げずに。

何も解らない、無垢な心の弟の信用する心を思いっきり利用して、武器まで持って行ってしまった。エリファスは、君達兄弟を裏切ったんだ』

一番痛い部分、受け入れたくない部分を突かれたシュトは、唇を噛む。

シュトの顔を見るのが、アプリコットは辛かった。

幼すぎて、母が葛藤に気が付かず、一生懸命に愛されようと振る舞う幼い自分が、シュトと重なる。


(母は私を愛してくれているはず)

(エリファス師匠は俺と弟を愛してくれているはず)


ただ、魔法鏡の向こう側にいる男は、傷つく少年に構いなく、容赦なくシュトの中にあるエリファスへの母親に対するような"慕情"を、引き裂いていく。

『エリファスは君やシュト君の世話や教育を、甲斐甲斐しくやいてくれていたみたいだが、今ではどうだろう。私が調べただけの状況報告だが、ロブロウに害をなそうとする存在に一番荷担しするのは、彼女だ』

シュトの噛んだ唇から血が流れるが、少年は気が付かない。

流れる血を見ても、ネェツアークは言葉を続ける。


『ただ、誰の立場に置き換えても、エリファスと同じ行動を取るかもしれない。

だって、そうじゃないか?。

この絵本"高所の神の王様"になったモノは、エリファスとなってこの世界に姿を現した彼女と、もう1つのあるものに再び出逢う為だけに、"神"という立場も、自分の居場所も人に譲り渡して、姿を変えた。再び出会うチャンスが、絶対にあるわけじゃないのに。恋しい相手に逢えたなら、今まで築いた関係なんて、知ったことではないってね』

 

「賢者さん、あんたはさ、俺にどうして欲しいんだ。何となくは、気が付いてはいるつもりですけれど」

不意に話を切るように、鏡に映る賢者を見詰めてシュトは言う。

ネェツアークは、そんな言葉を聞いてもまだ危険な微笑みを浮かべたままだった。

それからアプリコットが、自分見詰めている事にシュトは気がつく。

どうしてもエリファスを思い出させるその顔で、彼女は示すように自分の口元を抑えてみせる。


シュトはアプリコットが抑えるように、自分の口に手をやって触れ、血を流れている事に初めて気が付いた。

指についた血を見つめながら、シュトは木訥(ぼくとつ)に自分の気持ちを述べる。


「俺には昔からエリファス師匠を、御伽噺のお姫様みたいに探していた、王子様みたいな絵本があった―――そんなんは、よくわかんないすよ。

けれど、情に厚いエリファス師匠なら、そこまでされたら俺達を裏切って」

そこまで言ってシュトは肩を竦めた。


「裏切るわけじゃないか。俺達に出会う前に、もしもその絵本があったなら、その絵本が望むように、きっとエリファス師匠は動いていた」

ネェツアークは黙ったままで、シュトはそれを肯定として受け取り言葉を続ける。


「絵本もエリファス師匠も、人間じゃ考え及ばないくらい互いに、再び出逢うのを待っていたんだ。その時間の合間に、偶然、エリファス師匠は俺達と出逢って、お人好しだから兄弟の世話をしてくれた。

禁術でこの世界に姿を現したとか、それこそ難しい事は知ったこっちゃない。

俺達兄弟にとっては本当に、情に厚いただのお人好しな存在でしかない。

だから、賢者殿」

シュトが今度は迷いなく力強く、魔法鏡の向こうにいる"大人"を睨んだ。


「俺にエリファス師匠を身勝手な存在で、俺達兄弟を見捨てたようにおもわせて"憎ませよう"とするのは、―――無駄です」

言葉尻の丁寧さが、シュトの今後の気持ちを現していた。


シュトの決意を感じつつも、ネェツアークはまた尋ねる。


『―――エリファスを、君の親にも匹敵する恩ある存在を、"人側"の都合で消してしまう事になる。それを受け入れられるかな?』

シュトは少しだけ強がって笑った。


「賢者さん、あんたも実は結構お人好しだろ?。

"エリファスを、未来永劫失う覚悟が出来ているのか?"って言葉を強くしてもいいくらいなのに」

からかいや嘲りの色ばかり浮かべていた鳶色の瞳は、今は真摯と精悍の色だけを宿してシュトと向き合っていた。


「それに俺が、受け入れなくてもあんた、"賢者殿"と、アプリコットさんはエリファス師匠をその―――。"元に戻す"んだろ?」

ネェツアークの言うとおり、シュトの中で、エリファスは人以下に扱われるのは許せなかった。

でも、"人以上"と言われた時、憑き物が落ちるようにエリファスが人でない事を受け入れてしまった自分に、シュトは愕然とする。

ただ愕然としながらも、やはりエリファスという存在と、自分たちシュトとアトが出逢えたことが"奇跡"と呼べるような幸運だと確信できた。

そしてシュトが心の闇の中で何度も考えては、現実に起きる事を震えて恐れていた事を、エリファスが確かに止めてくれていた事に、今改めて感謝をする。


【障がいをもった、"お荷物"な弟を殺してしまう(じぶん)

それを心の闇の中にだけで、押し留められたのは、エリファスがいたからにほかならなかったから。


エリファスがいてくれたから、シュトは弟を憎まずに、過ちを犯さずに済んだのかもしれない奇跡。

その幸運に、感謝する存在―――エリファスがいる内に気がつけた。


"シュトは、シュトでいいんだからね?" 

たった1つの言葉で、シュトは救われたから。

(エリファス師匠が消えてしまうとしても。恩がある存在が、互いに身勝手と思える理由で消えるかもしれなくても。

どちらにしても、相手を憎んだり恨んだりしながら、縁を切りたくはない)


―――受け入れるしかない天命寿命のように、師匠との(えにし)は終わるんだと、シュトは胸に刻み込みつけたかった。


『シュト、厳密に言うなら、エリファスは3つの存在に別れる形となって、戻って―――消えてしまう事になる。

そして戻し消えてしまった後に、造られ、産まれた時と同じ状況を作り出して、またエリファスを作ろうとしても、それは絶対に叶わない。まずは、それを知っていて欲しい』

シュトはゆっくりと頷いた。


頷いた少年を見て、ネェツアークは今一度、絵本の破れたページがある箇所を開きシュトに見せた。

そして右肩に血の赤いシミが着いたシャツの、胸元のポケットからメモ用紙を、2本の長い指にはさんでの取り出し、読み上げる。


『人間から、勝手に女神に祭り上げられた女性―――。

絵本に載っていた本来の名前は恐らく、

"復讐の女神エリニュス"

"情け深い女神エウメニス"』

2つ名前を読み上げ、ネェツアークはメモ用紙もシュトに見えるようにひっくり返して見せた。


「名前、2つあるんすか?」

見せられたメモ用紙を覗きこみながら、シュトが不思議そうに言うが、ネェツアークにして見ればそうでもないらしい。


『そこは人間の御都合だろうねぇ。

私も最終的に"覇王"になるまで、2つ3つ"銘"を勝手に与えられたから。

"エウメニス"、エリファスの慈愛深き一面と情に厚いところ。

"エリニュス"、器に本当に入るべきだった命を潰した、4人への復讐。

そこから"エリファス"に、どうして名前が変わってしまったのかが私には事情がわからないんだが、女神の名前と象徴する言葉が、上手いこと当てはまってるよね』


ネェツアークが胸元のポケットに、2つの女神の名前が記されたメモ用紙をしまいながら自分の雑感を述べた。


「エリニュス、エウメニス。2つ名前はあるけれど、本当は1つ、1人と言うべきなのかしら。

本当は、1人の女神を現している。

でも、人は勝手だから、神様はそんなに(みだ)りに感情を見出したりしない―――。

少なくとも、セリサンセウムの国がある大陸の神様達は、状態が変わるなら名前も変わってしまう事が多いみたいね。

優しい時はエウメニス。

怖い時はエリニュス。

本当に、神様といいながらも人の都合のいいように使われているわね」

黙っていたアプリコットが、久しぶりに口を開いてそんな事を言う。


そして喋りながら、相変わらずはっきりはしない禁術を施される記憶の最中で、あまり聞いた事がない声がある事を提案していた事を思い出した。


「あと、エリファスの"名前"なんだけど。

私もうろ覚えなんだけど、確か"術を使わなかった人"が決めたはず」

(もや)ばかりの記憶の中から、エリファスに偶然という形、親友が産まれた経緯を必死に手繰り寄せる。

うっすらと残る額の(キズ)に手を当て、思い出す。


「そうだ、確か最初は"エリファスは、エリファスになるハズじゃなかった"。

お祖父様が行う禁術は本当に、用意された2つの器に私の心、"2次元"に納まる様な存在になるはずだった」

「エリファス師匠に、なるはずじゃなかった?。それに、"2次元"て?」

シュトは理解が出来ない言葉ばかりに、怪訝な顔をする。

ただネェツアークには思い当たる節がある様子で、自分の首筋を撫でていた。


『そちらさんの賢者さん、アプリコットさんのお爺さんとロックさんも、2人でやるにしても最低限に"禁術"をやろうとしていたんだねぇ。

でも、2次元レベルに禁術を収めるなんて、術者2人でも難しかっただろう。

2つ、"2本の棒"で存在を支えるように自立させるのは、難しいから』

ネェツアークは密かに背中と、手を当てている首筋に、冷や汗をかいていた。


幸いかどうかわからないが、アプリコットは思いだそうと額に手をあて、シュトは額に手を当てるアプリコットに気を取られて、不貞不貞しい賢者が流す冷や汗には気が付かなかった。


「ええ、賢者殿が仰る通りだったみたい」

アプリコットの靄の記憶の中から、慌てるようなロックの声と懸命に冷静に努めようとしながら、焦りを滲ませた祖父の声と―――



『やはり2つでは存在の自立は無理だ、3つ目を使わせて貰う』

禁術の中で、悲しみばかり訴える心が遠くなっていく中で、ぼんやりする幼いアプリコットの視界の中。

首に赤いスカーフを巻いた初老の男性が、胸元のポケットから古い紙切れを取り出して、自分の隣に出来上がり産まれる"存在"の上に置く―――


「初代銃の兄弟、ジュリアン・ザヘトが絵本のページを破りとって、名前を決めていたのね」

恐らく、半世紀程前に破り取られたページの後を、ネェツアークは眺めながらアプリコットの言葉に頷いた。


『初代の銃の兄弟の彼は、この絵本の内容が全て読めていたんだろうな。

確か、彼には魔法の素養が全くなかったはずだから。

今のシュト君と同じ、"銃に刻まれた禁術"の記憶の力で読めていたんだろうね。

そして何らかの理由があって、初代の銃の兄弟は絵本の1ページに固執して、破いて持ち去ってしまっていた』


「あの賢者殿、いきなりで悪いんすけど、教えて貰えますか?」

『うん?何をだい?』

幾分か態度も軟化し、素直になった、自分の護衛騎士の友人の少年の質問を、ネェツアークは快く聞き入れる。

彼から恩がある存在を、人側の事情で奪ってしまう、そこからくる呵責がある所も正直に言えばネェツアークの中にはあった。


「どうやって、そんな情報を集めているんですか?。

その絵本だって確か、王都からあの綺麗な貴族さんが持ってきて、初めて賢者さんは目にしたというか、触れたんですよね?。

さっきの女神の名前にしたって、"破かれた前"を知らないと出来ない事っすよね?」

シュトが、当然の疑問を口に出した。

鏡に映る賢者は、ああ、と言った感じで先ずは絵本を閉じた。


『そこは昔とった"杵柄"の現在進行形って奴でね』

「キネヅカ?現在進行形?」

シュトが腕を組んで、頭を横にする。

こういった仕草は、彼の本来の純粋さを現しているようで、ネェツアークは、その純粋さにリリィを思い出して、自然と言葉は優しくなった。


『そもそも情報集めが得意になった理由は、初めて取った称号が、鳶目兎耳(えんもくとじ)だったからかなぁ。

これは鳶の目に、ウサギの耳という表記するんだけど、意味は何となく解るかな?』


「えっと、目と耳が鋭いみたいな意味に取れるから―――、鳶目兎耳ってのは、諜報活動に優れているみたいな感じですか?」

ネェツアークにヒントらしきものを与えられ、イメージが浮かぶままに言葉を繋げて、シュトなりの答えを口に出してみていた。


『ほう』

「へえ」

その答えにネェツアーク、アプリコットが揃って感心したような声を出したので、シュトは赤くなる。


「えっと、意味が違ってましたか?」

恐る恐ると言った感じで、シュトが横と鏡の向こうにいる"大人"に尋ねると、横にいる大人は微笑んで小さく首を横に振り、鏡の向こう側にいる大人は軽く拍手をしていた。


『いんや正解!シュト君は見た目はワイルド、あっ、そうか。単に服装の趣味がそうなだけで、中身は思慮深い人だったね』

ネェツアークは、ウサギのぬいぐるみを演じていた時にも見せていた、シュトのアトの世話をやく甲斐甲斐しい姿が脳裏に巡り、彼の意外性をあっさりと受け入れた。


そして"アトが真似するといけないから"と、言葉遣いすら気をつけるような、シュトは慎重な少年なのだという事も思い出す。


『そう、シュト君の言うとおり。私は情報を集めるのが上手かったらしい。

自分では集めると言うよりは、"拾う"のが上手かったんだろうと考えているんだけどね』

少年ネェツアークが偶然見かけた小さな犯罪が、安寧な治安を乱す大掛かりな物の始まりになっていて、情報を抑えていた事で大事を逃れた。

または、何気なく興味を持った話を耳で拾ってみたら、それがどういうわけだか、国の国家機密に繋がってしまっていたりしていた。


 『称号を得る経緯というか、動機も1つあってね。

私の性格の悪さを露呈される事になるんだが、軍隊時代の同期に張り合ってくる人がいてねぇ』

鳶色の髪をガシガシとネェツアークは掻いて、視線を逸らしてからシュトに説明する。


『常にグループで動いていて、リーダー格で、そのままなら立派な人格者だとも感じられるんだが、何かと突っかかってくる。

私も若かったから、人が見てない所で悪戯心を出して多少からかったりしたりしちゃったからなぁ。

最後には、こちらが避けても、よってきてくださるんで、面倒くさくなってね。

そしてその人は"鳶目兎耳"という称号や立場に、執着していた。

"同期の中で、私が一番にその称号と立場を手に入れてみせる"って、何かと諜報活動で評価される私を見ながら、豪語していみせるぐらい、欲しかったみたい。

で、私もいい加減頭に鬱陶しくなっていたのと腹が立つことがあったんで、いつもより力をいれて情報を集めみたら――』

そこから、ネェツアークは苦笑する。


『どういうわけだが、他国の偉く大きな組織犯罪をみつけてしまってね。

暇だから調査について来てくれていた、グランドールの力を借りてその組織を粉砕しちゃった。

その結果が最年少でグランドールが"一騎当千"、私が"鳶目兎耳"の称号を得るに至ったわけなんだな。

その後、軍の朝礼で司令官に誉められて、もの凄い目をしてその人に睨まれたっけ』

最後の方を語るネェツアークは少しだけうんざりしているようにも見えて、シュトが何とも言えない顔をする。


「とりあえず張り合ってくる人は、どうなったか聴いていいかしら?」

『他国に亡命したよ。まあ、これは鳶目兎耳になったから分かったわけだけどね。

私に突っかかる以外は、本当に人として出来ているし、優秀な人材だから、表向きには実家で悶着があって田舎に帰った事になっていた。

あとその人のグループから、理由は解らないが私に異様な対抗心を持っていた事を知らされたよ。

私自身は、努力家で人付き合いが上手い人ぐらいにしか考えてなかったんだけどね』

アプリコットの質問に、ネェツアークは、実につまらなそうに答えた。


「努力家?」

アプリコットの記憶に、努力という言葉が引っかかった。

ネェツアークがウサギの賢者の姿の時に、何か似たような言葉を、最近聴いた覚えがある。


"学習と向上心は、人一倍だからなぁ。

これでワシに対する変な対抗意識がなかったら、普通にお付き合いするのだけど"


「―――ああ、もしかしたらその亡命した方が、昼間のグリンブルスティや、メーティオの術を使って襲ってきた人と、同一人物なわけね」

「え?!確か銃でアトが(とど)めを刺した、魔獣を使役してたのが、賢者殿を目の(かたき)にしていた方なんですか?!」

アトとアプリコットから聞いていた昼間に闘った魔獣の話が、自分が質問した話に繋がってしまった事に、シュトが純粋に驚いていた。


『十中八九、ね。また機会があったら、そこら辺の話はする事にして。

シュト君からの質問の答えの続きだ』

ネェツアークは仕切り直すように、言葉を吐き出す。

アプリコットだけが、あまりその人物について、ネェツアークが語りたくないのだと気がついていた。

たが、"からかう"タイミングでもないので口に出すのを止めておく。


『鳶目兎耳になってからは、許可される術の幅が広がったし、国で秘密とされている部分を見る事が多くなった。

あの頃の私は、知識に対して貪欲だったから、調べられるだけ調べまくった。

で、その中でこの世界で行われた禁術に関する(くだり)があったわけでね。

それを覚えていたんだ。

ただ現在は、私がしたのを最後に禁術の件自体を、国王陛下が燃やしちゃったから、閲覧したくても出来ないけれどね』

「その賢者殿が見た件の中に、絵本が破かれた部分の内容が載っていたんですか?」

シュトの言葉に、ネェツアークは首を横に振る。


『絵本の中身に関しては、記述されてはいなかった。いや、記述したくても、出来なかったが正解かな。絵本は、異様な"力"をもっていたから』

「異様な力、どんな力ですか?」

シュトの質問と視線を受けて、眼鏡の越しの鳶色の瞳は―――アプリコットを写す。

アプリコットはその鳶色の眼に写る、自分を見詰めて"異様な力"の意味が理解出来た。


「―――記憶を吸い取ってしまうのね、その絵本。だから、私は禁術の事を覚えていなかった」

ネェツアークが静かに頷いたが、次の瞬間には眉間の間にシワを浮かべている。

『ただ正直に言って、どういう基準で絵本が記憶を吸い取っているのかは、私には解らない』

ネェツアークはそう答え、隣のベッドで眠る親友達を見た。

もしも存在を知られてほしくないなら、最も記憶を吸われていそうな2人―――アルセンとグランドールな筈なのだ。


だが、アルセンにしてもグランドールにしてもエリファスの存在の"危うさ・儚さ"に気がついてはいた。

しかし、瑞々しい記憶を持ち、一欠片も吸い取られた様子はない。

そして、絵本の1ページ―――"エリファス"と関係なく、封印を施したとはいえ王都から絵本を肌身離さずで持ってきたアルセンは、やはりどういう訳か記憶を失っていなかった。


『バルサム御嬢様は絵本に記憶を吸われ、全く何も覚えていらっしゃいませんでした』

先程、"高所の神の王様"の絵本の判る限りで"最初"の持ち主である人物と、繋ぎを取る為、アルセンの母の専属メイドで元魔術師のシュガーに連絡をとった際に、ネェツアークはそう告げられた。

『―――何卒、バルサム御嬢様がこれ以上悲しみの涙を流さぬよう。

バルサム様の最後の宝物、アルセン様を宜しくお願い致します"英雄殺しの英雄殿"』

ついでに、仕える主人第一主義のメイドから、釘も刺されていた。



中身が読めないながらも、パラパラとネェツアークが絵本をめくりながら雑感を述べる。

『この絵本になった存在は、"ベルゼブル"は、凄まじい程の(いさぎよ)い決意で、ただ2つの存在に、自分の奥さんと、自分の主に逢いたいだけなんだ。

だけれど、命をかけてついて行った主は居場所が解らなくなり、妻は自分が"居場所"を離れたが為、攻めいられ―――人によって"裁かれた"』


「裁かれたってのは、その」

「"殺され"たのね。そして、そろそろ教えてくださらないかしら賢者様。

絵本の内容を、覚えていたのは"最初"の持ち主は誰なの?。

そしてその人はどうして、記憶を失わずに絵本の内容を覚えていたのに、記そうとはしなかったの?」

シュトが思わず口にする横で、アプリコットがあっさりと次の局面を要求する。ネェツアークは、少しだけ残念そうに笑った。


『そうだね、出来れば遥か昔のこの世界の―――この領地に瓜二つな場所に住んでいた存在に、敬意を払って話しておきたかった。

多弁になってしまって、済まない。ただね、君達2人だけにでも知って貰っているだけでも、何かが救われるような気がしたんだ』

ネェツアークが鳶色の瞳を横に動かし、窓の外を眺めているらしい。


『"明けの明星"。"今回"も時間がないか』

アプリコットとシュトも視線を窓に向けると、外はまだ闇に包まれたままだが、雨は漸く止み、まだ厚い雲の切れ間から、日が出る前に輝くという星が瞬いている。

星を見つめたままの2人に、ネェツアークは言葉を続ける。


『ここからは"御伽噺で昔話の域"な話になるから、私の口から出た言葉を、アプリコット殿にしてもシュト君も、信じても信じなくても良い。それこそ、詭弁と思ってくれて構わない』

そう言うとネェツアークは、胡座をかいた膝の上に絵本を開いた。


『この絵本自体は、昔ある神職に仕える家の本棚に、気がついたらあったそうだ。

本棚ではっきりと見つけたのは、先々代法王殿。

幼いながらも、精霊術の才能溢れる少年を、本当にふと気がついたらしい』


絵本に気がついた法王となる少年が、家族に尋ねても誰も何も知らない、昔からあるだけだと答える。


絵本が"在る"と答えるだけで、誰も絵本の中身について言及しようとはしない。


在るだけで、誰も中身を読めない、読もうとも考えない。


『どうしてだろう、と考えてながら微量ながらも人の魔力を吸う絵本。それを不思議に思い、少年が絵本を開いて見ると丁度、今の私達に読める程度に、シミだらけの様子だったそうだ。

絵本の外観は偉く奇麗なのに、中身が全て読めなくて、益々分からなくなりながら絵本を眺めていた時、年離れた妹が兄に語りかけてきた』


"お兄さん、これは何て悲しいお話なんでしょう"

『少年が驚いて、"読めるのかい?"と幼い妹に尋ねると、妹はこっくりと頷き、読めると言って絵本の読める文字を読みはじめた。

そして2つの女神の名前"復讐の女神エリニュス"と"情け深い女神エウメニス"を知ったらしい』

 

「そんな事より、まだ御存命なの?!。先々代の法王様は?!」

"高所の神の王様"の絵本の話を、進めたがっていたアプリコット自身が、大きな声を出して話を止めてしまっていた。

だが、それ程衝撃的な話ではある。


何せ30年以上前、セリサンセウムを平和な国へと導いた、"平定の4英雄"は平定を成し得た時は、それぞれが壮年に近い年となっていた。

そして先々代の法王、既に亡くなったアプリコットの祖父と同年で、"平定の4英雄"の中で、最も年上だったはずだ。

簡単に計算をするだけでも、存命をしているなら優に80を超えている計算になる。

平均寿命が60後半から70前半のこの世界では、少し信じ難い話であった。


『表向きには、先々代の法王殿は亡くなっておられる事になっている。そして、法王殿もまた禁術の"歪み"の影響を受けた1人だ』

そう言ってネェツアークは、ズボンから懐中時計を取り出し、魔法鏡に向ける。


「賢者殿の時計、遅れていますね」

魔法鏡の横にある時計とネェツアークが出した時計を見比べて、シュトが言う。

アプリコットはネェツアークが何を言わんとするかが分かったらしく、バローダが存命という事も合わせてまた驚いていた。


『そう、一般的には"少し遅れた"ぐらいなんだろう。だがその歪みの影響を長く、長時間にかけて受けたならば』

ネェツアークが、指を弾いて魔法鏡が歪む。

そしてそこにはアプリコットもシュトも見知らぬ場所が写し出されていた。


"ダン!ダン!ダン!"と激しく打ち付ける音も鏡を通して響く。

(あれは、パンの生地?)


アプリコットとシュトは同時にその考えに思い至り、また魔法鏡に写し出された人物をしっかりと観察する。

ロブロウ側に映る魔法鏡には、どうやらパンの仕込みをする老人の姿が写し出されている。


(髪こそ白髪だけど、背筋はぴしゃりとしているし、後ろすがたから考えても60代そこそこの、パン屋職人?。だけど、この人がどうしたってんだ?)

シュトがそんな事を考えた時、老人が口を重々しく開いた。


『ネェツアーク、何を勝手に魔法鏡を繋げておる』

"ドンドン"と相変わらず、パンの生地らしきものを捏ねながら、老人は魔法鏡を見もしない。


『まあそう言わないでください、バロータさん』

ネェツアークの苦笑いを含ませた声だけが、アプリコット達がいる部屋に響き渡る。


『そちらに映る儚げな印象ながらも、心は勇ましい感じのお嬢さんが、ロブロウ領主さんだね』

手を休める事なく、老齢の顔に刻まれたシワの中にある目だけを動かし、魔法鏡を見て王都のパン職人―――先々代の"法王バロータ"は言った。

そしてシュトを―――というよりは、彼のホルスターに納まる銃を確認した時にだけ一瞬だけ動きを止め、再び順調にパン生地を捏ね始めた。


『ネェツアーク、若いお兄さんは、"あの男"の弟子なのか?』

バロータは何故かシュトを通り越し、ネェツアークに尋ねた。


『弟子は弟子ですが、彼は孫弟子にあたりますね』

ネェツアークが淀みなく答えると、バロータはまた無言でパン生地を捏ね続ける。

アプリコットも、シュトも、不思議な緊張感が(みなぎ)る状況に口を挟む事が出来ない。

そして次に言葉を発したのは、ネェツアークだった。


『先程の"高所の神の王様"の絵本のお話、バロータさんに、まだ私の考察を話しておりませんでした。そして絵本について尋ねた際に、バロータさんが知らない事実がある事に気がつきました。

いや、気がついてるかもしれないけれど、黙認していると言った方がいいかもしれない』

バロータの動きが止まった。


『私は、いやワシは法王引退し、今では王都でほそぼそとやっているパン屋に過ぎない。難しい話なら、"知らない事"で済ませておく』 

『そういう訳には参りません。そして今関わっておかないと、バロータさんは、後悔する事になる。

村を救うために散らした妹さんの"心"、しっかりと鎮めるチャンスを見逃すのは如何だと思いますが』

顔は見えないが、この時のネェツアークの顔はきっと笑っていると、アプリコットもシュトも想像出来た。


"英雄殺しの英雄"は不貞不貞しい笑みを浮かべながら、"平定の英雄"だろうがお構い無しに(そそのか)す。


『エリファスの"心"は、世話になった村人を救う為に禁術の(くさび)に捕らわれた!。人の力では、どうにもならない!』

「"エリファス"だって!?」

シュトが思わずあげる声に、バロータも魔法鏡の方を向く。

そしてやはりバロータの風貌は、80才を超えているようには見えず、どう見ても60才を僅かに超えたようにしか見えなかった。


「ネェツアーク殿、"禁術と時の流れ"と"先々代法王バロータの妹とエリファスの関係"。確かにどちらも気になるけれど、一遍に話を片づけようとするのは止めて頂けるかしら。それとも、どこかで話がまた繋がってしまうのかしら」

アプリコットが額を手で抑えながら、少しだけ溜め息をついた。


『アッハッハッハッハ、オブッ』

今回の高笑いには苦情のクッションが飛んできて、どうやらネェツアークの顔面に命中したらしい。

悪かったと、昔馴染みの寝ぼけていたらやや好戦的になる親友達に、声をかけてから、ネェツアークは再び口を開いた。


『アプリコット殿、人の世界じゃ寧ろ繋がっていない事を探すのが難しい。

縁は確かに在るのに、気がつかない、気がつけない事がばかりだよ。

そして今回の話は、御伽噺にしか聴こえないくらい昔にあった"縁"のお話だ』


「縁とか何とか知りませんが、繋がりすぎでしょう?!。そこにいる、前の前の法王だった人の、妹の名前がエリファスだったって。

それじゃあ、俺達を育てくれたエリファス師匠と名前が重なったのは偶然じゃあないんすよね?。アプリコットさんの心を守るために、初代の領主が禁術で作った存在が危なかったから、うちの銃の兄弟の初代が―――」

「落ち着きなさい、シュト」

スッとシュトが興奮気味に喋り始めている口の前に、アプリコットが掌を出し、漸く見習い執事兼用心棒の口は止まった。


「もういっそ、順番で話してくれないかしら。時間がないから、端的に。

けれど、賢者ネェツアーク殿」

アプリコットは魔法鏡に視線を向けると、そこにいるのは、かつて国の宗教のトップで、祖父の親友だという老人が立っていた。

領主として、貴族の所作でそつ無く挨拶をこなし、パン職人となった、かつての法王も丁寧に返す。

それだけで、互いの腹の座り具合か見て感じ取れた。

確認した上で、アプリコットは再びネェツアークに向かって張のある唇を開く。


「大事な事は、決して誤魔化さないで。誰かを傷つけたくないとか、そんな事はもう良いから。起こった事をしっかりと伝えて頂戴。

少なくとも、今こうやって顔をあわせている4人は、新たな事実を知っても過去に捕らわれて、動けなくなる事はないから」

アプリコットが、自分を認める発言をしてくれくれてる事に、シュトは顔を紅くしていた。


そして、今までエリファスのものと思っていた"逞しさ""優しさ""信頼感"。

そういったものは、エリファス・ザヘトという存在を形成する時、"アプリコット・ビネガー"から引き継がれていたのだとシュトは気がついた。


(だったら、"エリファス"師匠がアプリコットさんと違うと思えていたものは、一体なんだったんだろう)

アプリコットとエリファスが似ている―――とは、正直にいって仮面を外した素顔を見るまで、意識をして考える事はシュトはなかった。

ダガー"国王陛下"に指摘されて、初めて無意識に意識して―――肉親によせる情のような物を抱いている事に、気がついたくらい。


「賢者殿、教えて下さい。俺も、知りたいです。

エリファス師匠、"エリファス"って、一体どんな存在なんですか?」

今度は落ち着いていたが、切実に絞り出すような声でシュトは賢者に懇願した。


そして魔法鏡に映る、時間の流れのズレに囚われている老人が、切なそうに自分を見詰めているのに気がついた。


『"今"いるエリファスも、銃を持つ男に偉く慕われているらしいな。ネェツアーク』

バロータは姿を見せない賢者に呼びかける。


「何でしょう、バロータさん」

ネェツアークからの応答は直ぐにあった。

『長たらしい話しが始まる前に、銃を扱う少年に在るもの送ろうと思う。

少しばかり、魔法鏡の回線の一部を融通しておくれ』

そう言うと、老人は小麦粉にまみれた手をパンパンと叩いてから自分の胸元に手を伸ばし、在るものを拳に握りしめ、取り出した。


『どうぞ。では支度しますので、少々待ってください』

ネェツアークはどこか軽快さ感じさせる声で返事をして、パチリと指を弾く音が響く。


「シュト、手を出しなさい」

アプリコットに声をかけられて、シュトは慌てて(てのひら)を出す。

「違う、こう。バロータ法王猊下がなさっているように」

アプリコットに言われて、シュトが魔法鏡を見るとバロータは(こぶし)にしてこちらに向かって手を差し出していた。

シュトは再び慌てて、魔法鏡に映る老人と同じ様な姿勢を取る。


『あの男よりは素直だな。そして何より、キザでなくて良い』

バロータの言葉に、初代がキザだと知って少しだけ驚くシュトに、


『『それでは繋げるよ』』

続いてネェツアークの声が2つの部屋で響く。

互いに相手側の声が遅れて届く不思議感覚が、聴覚となって頭に響く。

パチリと指を弾く音も、重なるように、二重に響き、届いた。


『『繋げました』』

相変わらず二重に響く声で、ネェツアークが"回線"と言うものが繋がった事を告げる。

『すまんな、ネェツアーク。すぐに終わる。さて、シュト君、でいいのかな?』

バロータが拳を突き出した姿勢のまま、シュトの名前を呼ぶ。

「はい、名前はそれであっています」

素直に答えるシュトに、バロータは静かに頷いて、指示を出す。

『ワシの拳を見詰めていなさい。そして出来るなら、自分の拳が重なるようにイメージをして貰うと助かる』

「イメージ、ですか?」

バロータに言われた事を言われた事をイメージしようと、自分の拳をシュトは見つめる。

拳を見詰めてから、シュトの胸を軽い不安が襲い、思わずアプリコットに視線を送ると、彼女もまた静かに頷いた。


 「大丈夫、バロータ様はかつての英雄1人。シュトが手を重ねる様なイメージをするだけで、充分に協力をとる事になって、術は行えるから。

―――けれど、自分の意志で拳を出して、"一緒にしている"事のイメージを忘れないで。この術は1人では成立しないの」

アプリコットのアドバイスに従い、シュトは自分の拳とバロータの拳を重ねるイメージを頭に浮かべた。

すると暖かい波のような物が、拳から始まり、全身の皮膚を浸透するようにシュトに伝わり始める。


『―――その調子だ。引き続き、ワシの拳とシュト君の拳を重ねるイメージをもち続けなさい』

魔法鏡に映るバロータの体は、まだ暗い室内の中で僅かに輝く。

『では、送るよ、シュト君―――』

「熱っ!」

バロータが重みと厳かな声が全ての部屋の隅々まで響いた時。

シュトは今まで体中に広がるようにあった暖かさが、熱の力をまして差し出した拳の中に集中して、思わず声を漏らした。

熱さに堪え切れず、思わず拳を開きにそうになった時に、


「―――まだ開いてはダメ!」

鋭いアプリコットの声に、シュトは慌てて開きかけた拳をギュッと結びなおした。

「―――っう!」

拳に満ちる熱さを、何とかシュトは堪える。

そして熱が徐々に引いていく中で、シュトは自分の拳の中に何かがある事に気がついた。


『何やかんやで世話好きな所は、お祖父様譲りのようですな、ロブロウ領主、アプリコット殿』

「そう言って頂けるのは光栄です。私は、家族の事に悩む祖父の姿ばかりを見ていましたから」

敬愛する祖父に、似ているというバロータの言葉にアプリコットは喜びながらも、晩年の姿を思い出して憂えた。

 

「平和な御代に不謹慎かもしれませんが、平定の為の決起軍にロックと共にいた時期を振り返る祖父が、一番楽しそうなだったのを記憶しています。

決起軍にいた祖父は、バロータ様から見てそんな感じだったのですね」

憂い顔のアプリコットにバロータはかつて法王だった時に、"前に進める力がある者"に与えた含蓄(がんちく)の在る言葉をかける。


『アプリコット殿からみたら、人生はどれだけ"平和で幸せ"だったかよりは、"充実していた"かもしれませんな。

だが、ピーン殿も次世代の為に、確かに"平和"を望んでいたのですよ』

バロータの言葉に、アプリコットは少しばかり独り善がりな思考に陥っていた事に気がつき、恥いるように下を向いた。

だが、独り善がりを反省し恥いる心を持つ、まだ若い領主にバロータは好感をもったらしい。


『アプリコット殿が昔を語るピーン殿が輝いて見えたなら、きっとそれはそれで、1つの事実だったのでしょう。

アプリコット殿が(いず)れ王都にきた(あかつき)には、ワシが覚えている"賢者ピーン"の話をしてさしあげましょう。

私も、あのピーン殿が憂えていた姿があったいうのが驚きで、聞くのが楽しみだ』

そう言ってからバロータは空になった自分の拳を見せるように、掌を魔法鏡に向けた。


『さあ、何気にこうやって長話をしながらも、しっかり回線を繋いだままにしてくれている、不貞不貞しいようで律儀な賢者もいる。

シュト君、君の掌に送った、ワシの贈り物が届いたかどうか見せておくれ』

バロータがそう言うころには、熱さの為に強張っていたシュトの手は、なんとか自分の思うように動き始める。

そして、シュトが拳を開き、バロータから送られてきた物を掌に乗せて晒す。


『『銀の弾丸だね』』

不貞不貞しいようで、律儀な賢者―――ネェツアークの声が響いた。 

『シュト君に確かに届いたようだね。ネェツアーク、ありがとう』

魔法鏡の向こうにいる老人は、無事に銀の弾丸がシュトの掌に移動した事に、小さく安堵の息を漏らした。

そして届ける手助けをしてくれた賢者に、感謝を述べる。


『『どういたしまして。それでは、回線の状態を戻します』』

パチンと指を弾く音は二重に響く。

「この銀の弾丸は、いったい?」

シュトは王都にあるパン屋の"亡くなった筈の法王"拳から、やってきた弾丸を手の中で握り締め、それは銀で出来ている以外は何も変哲がない―――そんな感じで眺める。


アプリコットにも見せ、渡そうとシュトが銀の弾丸を差し出したが、若い女性領主はフルフルと首を左右に振って拒んだ。


「多分、それは私が触れるべきではないと思う。でも、シュト。銃を引き継いだ貴方なら、その銀の弾丸がどこに納まるべきか、分かるんじゃないかしら」

アプリコットのその言葉で、シュトはもう一度自分の手の中にある銀の弾丸を眺めて―――。


「俺も難しい事は分からないです。ただ多分、"コイツ"はここに収まるのが、一番正しいんですよね」

シュトはホルスターからリヴォルヴァーの銃を抜き、静かな音をたて回転式の弾倉(マガジン)開き、5つ在るうちの1つに銀の弾丸を納めた。

カシャン、と音を立て銀の弾丸は数十年振りに元の"部屋"へと入る。

場を少し沈黙が占めた。

そしてその沈黙を破り進めるのは、二重に響く事がなくなったネェツアークの声。


『バロータ殿、お身体の具合は如何ですか?』

バロータを心配する言葉に、シュトは銃を再びホルスターに納めながら、アプリコットは少し胸が痛くなる思いをしながら、魔法鏡に映る老体を見詰めた。

 

『アプリコット殿、そんなに心配せんでもいい。

確かに老体ではあるが、ネェツアークに転送の手伝いをさせて、術に不慣れな若人に少しばかり負担をこちらが持つ術を使うぐらいは、まだ平気だ』

バロータは至って普通といった様子で、パン屋の工房に佇んでいた。


『ただ、不貞不貞しいネェツアークの話しが長くなりそうだから、椅子には座らせて貰おう』

しわだらけの顔に年老いた"パン屋"柔和な笑み――アプリコットん安心させる為――を浮かべて、部屋の隅にある木で出来た丸椅子にもってきて、腰をかけた。


『おや、その丸椅子は確か』

ネェツアークには見覚えがあるらしく、思わず反応の声をあげる。

ロブロウに旅立つ数日前に、アルスが日曜大工でリリィに頼まれて中庭で造っていたものだった。


『ああ、これか』

バロータはそれこそ、破顔一笑といった感じで丸椅子をシワだらけの手で撫でる。

『リリィちゃんから、頂いたのさ。"ロブロウのお土産、楽しみしていてね、お爺ちゃん"って言葉と共にな』

アプリコットは先々代法王のバロータと、半ば強引に"友だち"となったリリィに繋がりが在ることに、純粋に驚く。


そして―――


『だから、アプリコット殿。どうか、あの子にとってロブロウに訪れた事が、後悔に繋がらないようにだけして欲しい』

椅子に座りつつ、バロータはロブロウ領主に頭を下げる。

それは、孫娘を心配する祖父そのものであった。


「―――ロブロウの代理」

代理という言葉を、口にしかけてアプリコットは強く首を振る。


「ロブロウの領主として、必ずリリィさんを無事に"パン屋のバロータお爺ちゃん"の元に、笑顔でお返しする事を、ここに誓います」

アプリコットは魔法鏡の前に再び跪いて、愛用の短剣を抜き、鏡の向こう側にいる老人に頭を下げた。


(かつて幼かった自分が守られなかったからと、私は拗ねたり羨んだりはしない。

守りたいものを、私はただ守る)

魔法鏡越しではあるが、それは神に誓いをたてる騎士そのものだった。


『さあ、お姫様を守る誓いもたてた事だし始めようか』

またネェツアークの声が響く。

その声で、アプリコットは小さく頷いて立ち上がり、短剣を元の場所に納める。


シュトは不貞不貞しい賢者の声はとても満足そうで、それと同時に何か裏にありそうな気がしてならなかった。


(まるで、賢者さんが用意したシナリオ通りに、俺にしても誰にしても、動かれているような気がしてならない)


その時、パチリと音がして、魔法鏡が映し出すのは王都のパン屋からロブロウの客室へと切り替わった。

そして当然映し出される人物は―――


『やあ、シュト君。用意されているばかりの道を理由も知らずに、ただ歩かされているのは、嫌かな?』

鳶色の髪と鋭い眼光を持つ、賢者。

しかし、シュトはその賢者に対して笑ってみせた。


「リリィお嬢さんをだけは、他人の気持ちをいくら利用しまくろうが、必死に守ろうって賢者殿の態度は、俺的には嫌いじゃないですけれどね。

別にそこまで賢者殿は悪ぶらなくても、いいんじゃないんですか?」

シュトの言葉に―――ネェツアークは悲しそうに笑った。


そして再び、"高所の神の王様"の絵本を取り出してシュトに見せる。

―――銀の弾丸を納めた銃を持つシュトは、今度は完璧に絵本を見る事が出来ていた。


『さあ、シュト君。君が読み上げてくれ。

悲しい優しい、女神に奉り上げられ、お人好しの悪魔の妻となった"エリファス"という人間の女性の物語を―――』


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