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【断章『我が愛しの眠り姫』】

どういうわけだか、アプリコットとの『血の契約』の後、リコとライから両サイドの頬を抓りあげられた賢者ネェツアークは、その2人と共にアプリコットの部屋を後にしました。


"多分明日は朝から忙しい。だから、あなた方も早く休むといい"


自分の意志でケロイドの"仮面"が扱えるようになったアプリコットが、そう王都からの客人に告げ、領主の部屋から送り出した。

もう深夜になり、召使い達も全て寝静まっている。

「にゃ~、ヒトデナシの賢者殿はグランのおっちゃんとアルセン様の部屋に泊まるにゃ?」

「アッハッハッハ、ディンファレ、殿の寝顔は見てみたい気もするけどね~」

「賢者様、声が大きいです。それに建物の構造上、殿方がここにいるのは拙い事を忘れないでください」

リコに諫められながら、何やかんやで3人は少しだけ緊張しながら歩いて行く。

「もう少しだね」

リコやライよりはネェツアークが先に歩く形で、リリィとディンファレがいる部屋を目指す。

歩きながら、通信機を通しての少女の声をネェツアークは思い出していた。

"け、賢者さま、賢者さまがいたぁ~。よかったぁ~"

(まさか、泣くとは思わなかったけれど)

しかし、そんな考えを頭を振ってネェツアークは取り払う。

(泣く思いをさせた、私が悪い。リリィ、淋しい思いをさせてすまなかったね)


"賢者さま、リリィです。

晩餐会おわりました。

色んな事があったので、お話を聞いて欲しいです。

早く、賢者さまの調査が無事に終わって、帰ってきたなら、ぬいぐるみの時みたいにギュウッと抱きしめたいです。

どうか、賢者さまに、私の声が聞こえていますように"


自分に会いたいという、祈るようなリリィの言葉を反芻(はんすう)する。

気持ち、少しだけ早足になり、リリィが眠っているだろう部屋にネェツアークが向かうと―――軽装ながらも鎧と帯剣をしたディンファレが扉の前に腕を組んで立っていた。

「ライにリコ、ご苦労だった」

3人を確認すると扉から離れ、通る声でディンファレは2人の部下を労った。

そして、音もなく剣を抜く。

「ディンファレ様?!」

抑えてではあるが、リコが驚きの声をあげると同時に、ディンファレは鳶色の賢者へと斬りかかっていた。

「舐められたもんだ」

ネェツアークは呟いて、絨毯が曳き積められた廊下をトッと音をあげて蹴り、自分からディンファレの方へと向かった。

 

「――――ちっ」

向かってくるネェツアークを確認し、ディンファレが僅かに舌打ちをして、進める足を止めた。

直ぐ様"カチャ"と僅かに剣の握りを変えて、攻撃を賢者の顔面への突きに変える。

軽装の鎧を鳴らし、次の瞬間には華麗にも見える踏み込みで、ディンファレは剣を突き出した。

勿論ネェツアークはディンファレからの突きを受けず、首だけ動かし、王族護衛騎士の白銀の剣が自分の頭があった場所を、スッと通り抜けるのを感じながら避けた。

「私が逃げてばかりだから、斬りかかれば下がって受け身を取るとでも考えてた?」

丁度雷鳴が轟き、通路の窓から入り込む稲光があたるネェツアークの顔はニィイと笑みを刻んでいた。

「ええ、結果から逃げてばかりで大事なお姫様を泣かしてばかりいる、"ウサギ"ですから!」

ディンファレはそれだけを口早にいうと、また剣の持ち手を変えて、今度もまだ笑顔を浮かべているネェツアークの顔面を狙った。

「っと!」

壁を背中にしてディンファレの弧を描く切っ先を、今度は屈みこんでネェツアークは避ける。

そして屈む事で、跳躍するための力もつけていた。

「そもそも、こんな狭い場所はリーチの長い攻撃は不向きでしょ?」

指導するような言葉を出して、床を蹴って跳び、ディンファレの後ろをネェツアークが取った。

「怒ってる理由ぐらい、聞かせて貰えないかな?。ってまあ、リリィの事なんだろうけれどさ」

ネェツアークが苦笑しながらいう頃には、ディンファレの白い首筋に、賢者の愛用のナイフが当てられている。

「ディンファレ様!」

リコが思わず両手を口に手を当てて、悲鳴に近い声をあげていた。

「リコリス、気にしなくていい。

腹を立てたついでに"廊下で英雄レベルの人物と、不利な武器で戦ったらどうなるか?"を試したかっただけだ。やはり、不利でしかないな」

ディンファレはそう言って、あっさりと剣を鞘に納めた。

ただ剣を納めても、ネェツアークはまだ首筋にナイフを当てたままだった。

「賢者殿、ネェツアーク様、ナイフを納めてください!」

リコにもディンファレが先に無礼な振る舞いをしている事は分かってはいた。

けれど、ディンファレの無礼を責める言葉よりは、敬愛する彼女の無事を優先する言葉を吐き出してしまっていた。

「ディンファレさんは、良い部下に恵まれているよね」

ネェツアークはナイフを引かぬまま、ディンファレに見えぬ微笑みを浮かべて語りかける。

「前にアルセン様が同じような事を、リコに仰っていたそうです」

ディンファレは口元にだけ笑みを浮かべて、"自慢"をした。

それからナイフを首筋に当たったままながらも、ディンファレは首を動かしてライを見る。

「―――ライ。貴女じゃ、この賢者さんに適わないと先程教えて貰ったばかりでしょう。直して貰った武器を、しまいなさい」

「にゃ~」

ライがネェツアークが修理したはずの、鉄の爪を音もなく籠手から出していた。

「応急措置で直してはいるけれど、前にシトロン殿と一緒に造った時より性能はあがっていると思うから、ディンファレさんの役に立つと思うよ」

ライを見つめたままのディンファレの首筋に、自分が当てたナイフから紅い線が走るのを見つめて、ネェツアークは少しだけ呆れたような口振りで彼女の部下の武器の修理の詳細を告げる。

「ライがあの場所にきたのは予定外だったし、もしかして迷惑だっただろうか?」

「いいや。思っていたよりは助けられたし、義理は1つ済ませる事が出来たから、ある意味良かった。

あの位の相手でないと、もうライさんに"相手にしてはいけない相手"だって教えるのは難しいだろうしね」

その時、バチリと白い閃光が通路を駆け抜けた。

「リコリス!」

ディンファレが戒めの声を出したが、リコが一向に敬愛する上司の首筋に当てたナイフを納めない、ネェツアークに向かって魔術を放っていた。

「あらら、せっかく治して貰ったのに」

ネェツアークは顔色を変えずに言うが、ナイフを構えていない左手に、血の雫が伝い落ちて絨毯に紅いシミを作る。

「ナイフを、ディンファレ様から離してください!」

「何だか、リリィの寝顔を拝ませて貰える雰囲気じゃなくなったねえ」

ネェツアークは肩を竦めて漸く、ナイフをディンファレの首筋から離して、後ろに下がった。

そして今度は広い背を、未だに雨粒が激しくぶつかる大きな窓へとつけた。

ディンファレは首筋にナイフによって残った紅い筋を気にもせず、リリィが寝ているはずの部屋の扉の前移動し、窓際に立つ男を見つめて威嚇の笑みを浮かべた。

 

「"ウサギの賢者殿"なら、リリィ嬢に面通りさせましょう。

だけれども、命を失うような戦いをすら楽しんでいるような輩。

私は"王族護衛騎士"として、側にすら寄らせたくはないのですよ」

ディンファレが胸元から、軍の精霊を使った通信機を取り出した。

「あららら、じゃあ色々と聞かれていたわけだ?」

ネェツアークも笑うが、その瞳は暗かった。

「ええ聞きました。最も私は聞く前から、あなたが"英雄殺しの英雄ネェツアーク"とは知っていましたが、ね。

でも"あの方が望んだ姿"でいる分には、あなたがリリィ嬢の側にいることは私は許容できました―――が」

ディンファレは再び剣を抜き、構える。

「あなたの仲間と親友、国王陛下が赦そうとも、私はロッツ様の"奥方"を見殺しにした賢者の姿で、リリィ嬢―――姫様に逢って欲しくはないのです」

ネェツアークは窓に背をつけたまま腕を組む。

「まだ、ディンファレじゃあ、私には適わないよ?」

呆れた声でネェツアークが"事実"を告げると、ディンファレはアルスが見惚れた笑顔を浮かべた。


「私は"死んでも"嫌な事は、死んでも受け入れないだけです」

ネェツアークは大きく溜め息をついて、指を弾いた。

バンっと大きな音がして観音開き窓が開き、烈しい風雨が通路に舞い込む。

「それならウサギに戻れてから、私は姫様に会いにくるとしよう」

そう言うと、開いた窓から、ネェツアークは背中から落下して行く。

「ネェツアーク様?!」

「にゃー?!」

リコとライが思わず窓に駆け寄ると、ネェツアークは結構な高さがあった場所から見事に着地したところで、窓から下を見るリコとライに手を上げた。

カリッと窓の縁で音がして、リコとライが見ると糸がついた小さな鉤針が小さく光り、下にいるネェツアークの元に戻って行く。

「じゃあね~♪」

そう言って、ネェツアークは雨の中を駆けて行ってしまった。

「―――あの"方"は何の算段もなく、窓から落ちて行くような人ではない」

そんな事を言いながらディンファレは再び剣を鞘に納め、リコとライのいる窓辺にやってきて―――窓を閉じた。

「2人とも私のつまらない(こだわ)りに付き合わせてしまって、すまなかった」

「ディンファレ様、首の治療を――」

リコが、ディンファレの紅い筋がある首に手を伸ばした。

「いや、良い。これは自分への戒めだ。リコにライ。

あの賢者殿は、多分明日から全身全霊をかけて、この領地を救おうとするだろう」

リコの治癒を断りつつ、ディンファレは2人の腹心の部下に言葉を続ける。


「そして、その方法はもしかしたらおまえ達が守ってきた物を―――」

一度目を閉じ、ディンファレは伝えるべき言葉を心と記憶の中から選び探した。

自分が"見習い騎士"となったばかりの頃、あのネェツアークという賢者は"奇跡"とも呼ばれる偉業をこなした。

そして、多くの人の命とディンファレの尊敬する人物の"子ども"の命を救い上げた。

ただ、ディンファレが尊敬し、信愛するロッツの"妻"となるはずだった人は命を落とした。

(確かにあの方が望んだ未来を、あの男は掴みとってくれた―――。だけど)

ネェツアークを赦せない、ディンファレがまだいる。


「ディンファレ様?」

言葉を続けないディンファレに、白い治癒術師の装束を纏ったリコが、心配そうに見つめていた。

「お前たちが守ろうとしている物を、傷つける可能性がある事を留意していて欲しい。さあ、もう休む事にしよう。

"力がなかったから"が言い訳になる事態では、ないのだから」


だからせめて、この2人の部下にだけでも失望を、あの賢者が与えない事をディンファレは願った。


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