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【幕間からの合流】

リリィの初潮があったと小さな声で護衛騎士であるディンファレから伝えられた時、法王ロッツはいつものように柔らかな笑みを浮かべ、立ち上がりました。


そして誰かに報告するかのように、晴天の空に祈り始めたのでした。

セリサンセウム国の国教の頂点に立つ、法王ロッツは私室のバルコニーに出て祈り続けているのをデンドロビウム・ファレノシプス―――騎士呼称ディンファレが、法王院の騎士と共に見守っている。


「少しお祈りをさせていただきました。それでは、本日もよろしくお願いします」

ロッツは配下である騎士達にも、慇懃な言葉で語りかけ、騎士達はそろって、恭しく頭を下げる。


「ありがとう、ございます」

"甘い"とも言われる柔和で魅力的な笑みを、法王は端正なな顔の中に浮かべていた。

元々ロッツはこの国の王族であり、現国王とは"腹違い"ではあるが、実弟である。


本来なら王位継承においては2番目に位置する人物。

しかし、現在は王位継承権を放棄したに近い状態で、『法王』として今生を終える予定となっている。

元々の彼の教会への繋がりは、王族や貴族御用達の学校の幼稚舎に"通うべきか、通わないか"で始まった。


知的と内面的な成長が、著しく芳しくないのが幼少の(みぎり)からわかっていた。

その為、前国王の側室であるロッツの母親は、本来なら王族御用達の寄宿舎と幼稚舎のある学校には通わせないで欲しいと、夫で国王に嘆願する。

国王も、嫡子(現国王ダガー)となる息子は体も丈夫でしっかりとしていたので、次男であり、先に亡くなった王妃共々、寵愛していた側室に、凛々しい眉以外は瓜二つな可愛いおっとりとした息子の事を考え、その願いを聞き入れた。


それが幸いとしたらしく、後継者争いといったきな臭い事もなく、庶民にしては上流階級や富豪の子どもが通う、施設としては最先端である教会と国が試験的に運営していた学校へと通った。

しかし、政治的にロッツを利用とする教会の為政者もいなかったわけではない。


ただ、不思議な事にロッツはそういった人物が猫なで声で近寄ってきたとしても、ニコニコと微笑むだけで全く相手にしなかった。

一例をあげるなら、ロッツを利用しようとする相手は

(あいつは頭は鈍いが、王族だ、利用しよう)

と、甘言や、それこそ親切な人のふりをして、言いくるめようと側によってくる。


しかし、話している内にロッツが甘言の内容すら理解出来ていないとほど、"頭が悪い"と勝手に思い込み、"これ以上話してもダメ"だと去って行ってしまうのが常だった。

しかし、いざ重要な話しとなるとロッツにはそれとなく通じている。


意志の反映した答えを"はい"と"いいえ"だけではあるがしっかりと答える事は出来ていた。

また可憐な母親譲りの『放って置けない雰囲気』というものを生まれつき持っている様子で、どんなに人付き合いが苦手で困難な人物でも、ロッツが困っている様子を見かけたりすると誰となく構ってしまっている。


それは前法王サザンカにも当て嵌り、誰にでも高潔で、等しく接しなければならない立場の人物であったが、教会の学校に入る為、ロッツと王宮で面談した時から始まっていた。

そしてロッツに精霊術の素養があると見抜いたのも、前法王だった。


ロッツに精霊術の素養があると分かると、学校の普通の教育とは別に精霊術の教育を施した。

また『普通』の国文や数といった授業が、ロッツには困難な面も学校生活を送るなかでも判明する。

幸いが重なるというべきなのか、前法王『国の教育』にあり方に力を入れている人物であった。


勿論、ロッツと関わりを持ち始めた時から法王だったわけではなく、その頃は国教を司る教会の中で幹部の1人に過ぎない。

教育に関しては教会の中で、"国教としての宗教"として、深く関わりをもっており主に"道徳"の部分を担う所が多かった。


前法王は宗教家ではあるのだが、どこか学術の研究者みたいな面も強く、特に"人間"について興味を持つ。

神職者の職務をこなした上で、研究に没頭する上で幼いロッツに出逢う。

前法王も予想外であったのは、親身にロッツを指導する姿が先々代の法王の目に留まり、次期法王の候補に入れられ、法王になってしまったという事である。


散々ロッツの"地位"を利用しようと近づき、離れていった幹部もいるなかで、本当にロッツの"あり方"を理解していたのは前法王が最初だった。

父である国王と、母である側室は肉親であるが故に

『出来ない我が子が不憫である』

と過保護になりかけていたのを止められたのも、神職者と研究者と道徳を担う前法王だった所が大きい。


また当時、実際教会の学校問題として"普通に学校で授業を受けられない"子どもも、チラホラと出始めていた。

王都の学校で臨床教育を実施する若い神父は戸惑い、王宮の議会でも数度問題としてあがる。

議会には法王も出席する義務があり、その話を聞いた先々代の法王は前法王に名指しで問題に取り組むように命じられた。


勿論、前法王は拒否権などなく請け負う事になる。

請け負った当初は、ロッツが前法王を気に入っている事へのやっかみもあり、聖職者も人間であるが故に"ざまあみろ"と言った感じの言葉が囁かれたものだった。

ただ、この出来事は前法王にとって、"法王"となる為の重要な布石の一部となる。

これまでロッツに接して来た事や、丹念に調査し研究してきた事が日の目を見る結果となった。


大幅な教育改革とまではいかないが、前法王はまずジッとしていられない子ども達の"保護者達との面談"を行うように指示した。

面談の結果は子どもが落ち着けない事にはそれぞれに理由があったが、放置しておけない理由の1つに"家庭不和"があげられた。


この世代の"親"達は国王が平定するまでの経験者が多く、国が平定してから家庭を持ったものが主だっていた。

しかし、内乱体験の中で悲惨な現状を目の当たりにしたも兵士も少なくなかった。

兵士を辞め、家庭を持ち、父親になっても、その"平定されるまで傾いた国の呪縛"というなのストレスに捕らわれたままだった。


しかも、その密かな"ストレス"は誰ら彼やに話せる類のものではない。

大抵の人は「ああやっと、国が平定された。乱れた国は国が落ち着いた」と安堵している。

それなのに、再び内乱の事を蒸し返すような話などをするのは避けられている風潮もあった。

密かなストレスは外で出される事はないが、プライベートとなる"家庭"という密閉された中で発散され、その被害者は力が弱い妻や子どもである。


子ども達のストレスは、"安らぎの場"である教会の学校で噴き出す。

原因である家庭不和は、暴力と言った形のあるものから、言葉によるそしりまで様々であった。

これを早期に見越していた前法王は、かなり強引とも見える方法を取る。

最初に国の議会と、教会の幹部にを通して『国王』と『法王』の協力を求めた。

畏れ多いといった議員の非難もあったが、国王は息子の教育を、法王は任務遂行を命じた経緯もあり、本人達が納得して手伝うというので、非難は早々に引く。 


前法王の"作戦"は秋の季節祭、最初の国王の開催宣言の演説と、その後にある法王の説教にあった。

この演説と説教は国王や宰相、法王が3者が揃って前もって考えているものであり、原稿も用意されている。

後に、紙面に刷られて国の各地に配られもする。

大抵、国王の演説は周囲が用意した国内の出来事や、季節の移り変わり、国民の幸せを願うと言った"普通"の内容を述べていた。


法王も時事に合わせて説教の内容を用意しておいて、最終的に3者で確認する具合であった。

だが今回は"前法王"が原稿を殆ど書き、国王、法王、宰相からチェックしてもらい、宰相は「少しだけ経済に関して加えて欲しいですね」と言われて、了解を得た。



――――そして国王の演説が、季節祭を待ち望む国民の前で王宮のバルコニーから始まった。


『愛しき我が国の民よ、季節祭の宣言を始めたいと思うが、その前に感謝を述べたいと思う。

感謝とは、私が今『王』としてここに居られる事だ。

私は、この国の王でいられるのはひとえに先の内乱で、国民の協力があった上で国を平定出来た事にある』


ここで、歓声があがり収まるのを少し待ち、それからまた続ける。

『だが、王たるもの、国の為、国民の為を内乱は本来なら避けるべきだと、常に心においていることも伝えたい。

何故なら、私はこの国をひっくるめて、家族のように考えているからだ。

王の立場は言わば、家庭内の父に等しい。

父は王であり、妻や子どもは守るべき国民だ。

私は家族を守る為に、尽力をこれからも注ごう。

これからも家族となる国民を守る為、王として励むのでよろしく頼む。

それでは秋祭りをここに宣言する!!』

再びの歓声の後に、先々代の法王が説教の為に前に出た。


『王の言葉に続きますが、私も"家庭"というものは1つの国と捉えるのは大変良い事だと思います。

王あっての民、民あっての王。

互いに支えあわなければならないのです。

だが王には王の、民には民の苦労や悩みがあるでしょう。

そして悩みを抱えていたなら、立派な君主も暴君となる恐れもある』

そう言うと、隣に立っている国王を法王が見ると、国王が深く頷いた。


これには民衆は少し、どよめく。

そこで国王が一歩前に出て、再び大きく口を開く。


 『私も国王である前に、1人の"人"だ。そして"王"となるために、数え切れないの人の世話になっている。

時には、こちらの法王に職務の多さに嘆く事もある!』

そこで少しだけ、静聴する民の間から笑いが起きると国王は微笑んだ。


『家庭という"国"を守る"王"達よ。嘆く事、弱音を外に出す事を恐れるな!』

この時、国王は王というよりは「家庭を守る1人の夫」として呼びかけていた。


そして本来ならば抽選で選ばれるはずの季節祭の開催の式典場に、密かに優先的に招かれていたのは教会の学校で問題があった生徒の家族。

前法王は国王や先々代の法王に、ある種の"パフォーマンス"の演説してもらう事で、"問題と向き合う姿勢の大切さ"を呼びかけたのだ。

次いで法王が口を再び開く。


『嘆く事は「恥」ではありません。嘆く事を我慢することで鬱憤を貯め、その鬱憤を守るべき民、家族に向ける事こそ"恥"なのです』

会場の所々で動揺の声があがる。

この場所に招かれている国民には、「鬱憤を家族で発散している」という事に心当たりがある者が多かったから当然といえば、当然である。

――そして、それを少なからず『罪』な事と認識は出来ている。

その動揺を全て聞き入れるように法王が続ける。


『誰にでも、鬱憤、"心の闇"はあります。ただその闇との向かい合いに、家族を犠牲にしてはならない。そういう時は、教会に祈りにきなさい』

厳かに、且つ不安になっている小さな幼子を宥めすかすように、先々代法王は民に呼びかけた。

今一度、国王が前に出て声を張り上げる。


『先も言ったが、国を平定出来たのは民の協力があってこそ。

だが、平定出来たからと、それまでの戦で負った民の心の傷に気が付かなかったのは王として大変申し訳なかった。

そして、その余波が将来わが国を担う子ども達に及んだこと、王として、国の父として本当にすまなかった』

まさかの王からの謝罪の声に、周りは更なる静寂に満ちた。


……チパチパチ。


静寂の中、小さいが確実に響き渡る拍手が起きる。

それは民の中からではなく、発言する国王の側から聞こえる。


『お父様、エラいです、すごいです。

"悪いな、あやまりたいな"っておもうことを言葉にするのは、とっても勇気のいることだって、先生がおっしゃっていました。

自分が周りの人からたすけられて、学ばせてもらっているのに気がつけるのも、スゴいムズカシイっても言っていました。お父様、出来てるからスゴいです』

小さな幼い声が、季節祭の開催場中に風にのって全ての民の耳に届いた。

正確にいうならば、"風の精霊"が余程気に入ったらしい幼きロッツ言葉を、勝手に運び、広めた。

精霊が自主的に人に力を貸すことなど、滅多にない。

人が心穏やかにし、精霊の波長に心を合わせて、漸く応えて貰うのが精霊術の基本中の基本。

基本の魔導を学問として極めたとしても、精霊が力を貸してくれるかどうかは『才能』で決まる。


そして魔導に関して一度も学んだ事がない、ましてや普通の学問すら余程丁寧に教えないと理解できなかったロッツが、精霊術を「使って」いるのに、国王である父も側に控えている王族の親近者も、この事態に驚いていた。


そして、前法王もロッツの

『才能』を再確認し、もう1つの

『企み』が無事に成功した事を確信した。

ロッツの才能を王族、国民に広めたのだ。


前法王はロッツの世話をする内に、まるで天啓を受けたように日々『この子は次の法王になるべきだ』という気持ちが心を占めていく。


しかし、この国はまだ『ロッツ』のような"人"を受け入れる"受け皿"が用意出来ていない。

どんなに極上のスープでも、受け皿がなかったらただ大地に垂れ流され、地に還るだけで終わってしまう。

内乱を終結に導き、傾く国を戻した、今の王は確かに立派で自身が至らない所があれば受け入れる、素晴らしい王様。


内乱が終わり、行政の方針を軍事から民事へと見事に切り替えて、"兵"は必要最低限と望む者だけを残して、"民"へと戻した。

民となったもの達の"受け皿"となる衣食住をしっかりと政策で打ち出し、確固なものとした。

だが、全ての受け皿をスムーズに用意出来ていたわけでもなかった。


"受け皿"の準備には勿論それなりに時間がかかり、用意出来る受け皿の『種類』は内乱が終わったばかりでは限りがあった。

そしてやはり数が多く、用意出来ていた"普通"を優先に、落ち着ける衣食住を民に施していく。

"普通"の受け皿を何とか配り終えた後に残ったのは、"普通の受け皿"では生活出来ない者達。

はっきりと表記する言葉は"内乱負傷者"、身体的"障碍しょうがい者"達だった。


そしてこれから人が生きている限り心の知的な面でも、身体的にも"障碍しょうがい者"となる人達はセリサンセウム王国にも避けられる問題ではなかった。

国王は素晴らしい人格者で、"障碍しょうがい者排除"などと言う恐ろしい考えなどを微塵にも持たなかった。


だが、"普通"の人だった。

人は窮地きゅうちにたたされた人物を見て、同情する事は易しいが、同じ立場になるまで、本当にその"窮地"を理解出来るかどうかもわからない。

幸せかどうか分からないが、殆どの"普通"の人が、窮地に立たされる事は滅多にない。

しかし、窮地の人の側に立つことはあるだろう。


そして国王はの"普通"の父親として、"窮地"のロッツの側に立った。


普通の国王は窮地の『ロッツ』の様な人には、

"悪い意味で優しい人"

だと、前法王は後ろめたくもありながらも考えていた。

ロッツの場合は、経済的に言うならば一生働かない事も可能だろう。


国民の税金の一部をロッツの生活の為に使ったとしても、プライベートな時間すら勤勉に仕事に励む国王と王族を知っている国民は文句など、述べない事も考えられる。

だが"窮地"の側に立つ人達が、国王のような"普通"の人とは限らない。


譲り合い、歩み寄りがスムーズに行われるのは、あくまでも"普通"の人に確固たるそういった倫理観があってからこそ。

国王は経済的、人格的、状況的にも、ロッツを1人は余裕で支える事は容易である。

しかし、セリサンセウム王国全土の、程度の違う様々な障碍しょうがい者達の事となったら話はまた変わってくる。

その障碍しょうがい者達の側に立つ"普通"の人物達の事を考えると、国王が現在のロッツに対する接し方、"出来る限り全てを負担する"という考えを、正解と前法王は感じられなかった。


まだロッツが幼い事もあるけれど、いずれ成人をした時にも"ただそこにいるだけで良い存在"のままで良いのか?。


そんな疑問を前法王は抱いた。

確かに全ての介助がいる障碍しょうがい者もいるが、それは受け入れる気持ちは前法王には勿論ある。

だが、ロッツのような知恵や感情の育ちに偏りがある人。

僅かに体に不自由な面がある人でも、困難かもしれないが、努力したら、ある程度は改善する見通しがあると考えた。


訓練と学習を重ねれば、ロッツのような障碍しょうがいの持ち主も、"自分の判断と動力で生きていける障碍しょうがい者"もいると前法王は考えていた。

身体的な補助だけが必要な人物なら、訓練と補助内容をしっかりすればなおの事。

この補助についての考えは、実際に"窮地"の人の側に立つ"普通"の人たちには"考えが甘ったるい"とそしられる事も、前法王は覚悟していた。


(もしも、万分の1でも可能性があるなら、私は幸福な奇跡に希望をかけたい)


そう決心し、国王や先々代法王と宰相を"季節祭のスピーチだけを協力して欲しい"と願い出た上で、ロッツが高度な精霊術使うようにお膳立てをし、『企み』は見事に上手くいった。

成長が普通よりゆっくりな、"可愛い末の子ども"という姿勢で、ロッツを見守っていた国王に"高度な精霊術をも使いこなす次男"という認識を改めて植え付けた。


高度な風の精霊術を使う第2王子と、その純朴過ぎて心に染み渡る優しい言葉に、季節祭の開催場は歓喜で渦巻いた。

中には涙を流しながら、家族に謝る父の姿もある。


ロッツの呼びかけ程度の『精霊術』で具現化した精霊を見て、感嘆の声をだして神に祈る高僧もいた。

そんな中、王宮のバルコニーにはどこか鎮痛な表情を浮かべる国王が、優しい表情を浮かべる次男の手を繋いでいた。


側には次男の母となる側室のスミレが、やはり麗しい美貌の中に複雑そうな面もちで控えている。

そこに前法王が跪いた。


『国王陛下、妃殿下、御無礼を承知で申し上げます。

お子様を、ロッツ様をどうか、国教とセリサンセウム王国のかけはしになって頂く為、出家させていただけないでしょうか』

『―――初めから、こうなるように仕組んでいたのか?』

前国王は空いている手の方で、平定の内乱も共に乗り越えた異国からの来た刀の柄に手をかけた。

今は祭典用の華美な鞘に終われているが、その切れ味は平定をなし終えた時と変わらない。

そして前国王の顔は、優しき父のでもあり守るもの為なら、鬼神にもなると言われていた。 

前法王は、自分が斬られるかもしれないという恐怖におののいた。


しかし、多くの犠牲をもって平定されたこの国の、国民の支えとなる国教と更なる繁栄と続ける為。

それらの使命感を心の中で奮わせて、根底に潜む『ロッツへの希望』を力に、最大権力者である国王に跪いて更に嘆願した。


『国王陛下や妃殿下が、ロッツ様には穏やかな人生を全うして欲しいと願うのは存じ上げております。

しかし、ロッツ様にはこのように人々の心に響く言葉と声をお持ちであられます。

そして僧院の幹部となるためには必須の、精霊との交信の力など、とうに私の力を超えております』

不意に国王とロッツの側に控えていたスミレが口を開いた。


『―――私は、あなたが言った通り、ロッツには穏やかに生きていって欲しいと望んでいます。

ただでさえ、知恵が遅れて、一部の口さがない貴族から陰口を言われているのを、あなたには相談したでしょう、サザンカ様』

サザンカと名前を呼ばれて、前法王は下げていた顔を上げた。


そしてかつて教会の懺悔室で、表だっては子どもの事を悪くいわれはしないが、陰ながら非難がめいた噂が確実にあった事を知ったスミレが、涙ながらにロッツの事を心から愛し、『これから』を心配する姿を思い出していた。


『子どもの事を馬鹿にされ、蔑まれて、悲しくない母親などいません。

ロッツの事を『普通』に産んであげられなくて、申し訳なくて仕方ない。

それでも、ロッツは決して私を責めはしません。

寧ろ、私を癒やしてくれる。

確かに知恵は遅れているかもしれません、けれどこんなにも優しく気持ちを癒やしてくれる。

王族というしがらみを気にしないで、穏やかに人として人生を与えてあげたいのです。だから、教会の学校へと陛下にもお願いしたのです』


だが、本格的に出家し国教の僧としてロッツが教会の人間となったなら、多分スミレが望んだ息子の人生は微塵もなくなる。

サザンカはスミレの方にも頭を下げた。


『妃殿下が、スミレ様がロッツ様の穏やかな人生を望んでおられるのは、重々承知しております。

しかし、スミレ様もロッツ様の"癒やし"の力は、そうやって身に染みて、ご存知であられる。

そのロッツ様の力をどうか、セリサンセウム国の国民にも分けていただけませんか?』


スミレはサザンカの問いには答えきれず、ただ俯く。 

もしも、ロッツの力が民だけのもので使われるのなら、スミレは同意した。

しかし、内乱も終わり内政に力を注ぎ込まれている時期に、国王の次男という"利用価値の高い存在"があったなら、手に入れたい為政者は多い。

国一番の美女という事で、側室にあげられたスミレ自身にも嘗てその手は伸びた。

今は幸せだが、国王に嫁ぐと決まるまでに、"政治の駒"として使われる屈辱と虚しさを身を持って味わっている。

まだ開催場はロッツの起こした精霊術の『奇跡』に色めき立ち、良い意味で盛り上がっていた。


『父上、スミレ殿。ロッツが教会に入るのを、認めては如何ですか』

そう言って、国王とロッツの間に割ってはいり、幼い弟の手をとり一般市民が、はっきりと見える位置に当時は太子(現在は国王)のダガーが立った。


『第1王子と第2王子が一緒にいらっしゃるぞ!』

国民から再び歓声があがり、ダガーはにこやかに国民に微笑みかけながらも冷静な言葉を吐く。


『ロッツの才能は普通の魔導士の常軌さえをも超えているのが、子供の私にもわかります。

遅かれ早かれ、誰かに才能を気付かれて利用されるかもしれないなら、一番安全に監視と警備が行われる教会に預けてはいかがです。

それに教会に預けたなら、還俗げんぞくしないかぎり、いくらロッツが"おっとり"していても、あからさまな政治の道具扱いはされないでしょう』

『―――ダガー』


思わずと言った様子で国王は言葉を漏らす。

国王はダガーを、我が子で嫡子ながらも、いつもは掴み所がないと感じていた。

教育係りからの報告は全ての評価は"上の中"と報告を受けているが、決定打といえるものがないとも見える。

しかし、幼い弟の手を引くダガーはいつもの掴み所がないような事はなく、非常に頼もしい。


『父上も、おかしな方だ。

私はまだ大人にも親にもなってはいませんが、"愛しい女と子"の前では男はそうなってしまうものなのですか?』

決して父親を軽んじるわけではなく、純粋に不思議に感じ、ダガーが口にしているのが国王にはわかった。


『ダガー、おまえも』

そう言って刀に触れる手を離し、ひれ伏すサザンカをそのままに2人の息子の側に寄る。

幼いロッツをダガーと挟むように立つと、国民たちから更に歓声が上がった。 


『心底惚れる相手が出来たらわかるさ。

そして、おまえも私が、心から惚れた人の子どもだ』

国王の言葉にダガーはわずかに顔を赤くして、国民に手を振り続ける。


『―――別に、そんな事を言って欲しかったわけじゃないんですが。

でも、母上が仰っていた通りだったので、今日は正直驚きました。

大切な気持ちや、人を利用されたら、父上は鬼みたいになるって』

『私のそんな事が解るのは、おまえの母親と、昔からの親友ぐらいなもんさ』

国王ではなく"父親"で1人の男の"人"して、息子に語る姿は、恐ろしく魅力的だった。


『お前の母親は、私の理解者で親友だった。そして人生の最初の伴侶だった』

ダガーは外観の殆どは父親似だったが、意志が強そうな左側の、紫の瞳は彼の母親譲りの物。


『お前は外見は私に似たが、中身は母親似だ。

やがて王になったとしても、お前なら安心して国を任せられるし、ロッツが教会に入ったとしても、兄として、家族として後見をしっかりこなすだろう。

だから、安心して宣言する。スミレ、良いな?』

視線を後ろに控えるスミレに国王が向けると、彼女は幼い自分の息子と、それをしっかりと助けるように側にたつ息子の『兄』となる少年を見て頷いた。

自分が不安と、政治の道具として子どもを産む道具として扱われる屈辱に震えていたのを助けてくれたのは、息子を助けるように立っている少年の母親で、"憧れの人"。


(あなたの夫になる奴は、受け取めたくなるような、『愛』を持っている人。だから、安心して)

優しく抱き締めながら、母を知らないスミレに慈愛に満ちあふれる声で包み込んでくれた。

それと同じ物を、少年がもっているとスミレは確信出来たから、静かに頷く。


『ダガー様、ロッツを宜しくお願いします』

それでも、小さな不安にスミレの声は震えていた。

国王がロッツが教会に入る事を宣言すれば、もう『可愛い我が子』としてだけはロッツと接する事は王族としてはばかられる。


『サザンカ、いい加減に頭をあげよ』

国王は"家族会議"中、ずっとひれ伏してした高僧に声をかける。

サザンカはゆっくりと顔を上げた。


『お前の「企み」、王族サンフラワーの長が乗ってやる』

次の瞬間に国王は、歓喜に震える開催場に大声で再び宣言する。


『今日、この季節祭の開催の日より、次男ロッツ・サンフラワーの身を国教の教会に身を委ねるものとする。

皆も知っているように、教会に身を預けたものは全てが"大地の女神"のしもべとなる。しもべの証として、姓サンフラワーはこれ以降、使えない。

そして、次の王位継承はここにいるダガーと正式に定める!』


ワアアアアアっっ!!

更なる歓声が会場を占めて、国王の側にいる、褐色の肌を持つ宰相と法王が顔を見合わせて、諦めにも似た表情でため息をつく。


『サザンカ、おまえ『企み』と唆し、大戦を片付けた"平定の4英雄"の内3人が、責任を持って乗ってやる』

国王がそういうと、宰相が渋い顔と声で割り込んで来た。


『国王陛下、私と法王を巻き込まないでいただけませんか?』

民衆から見えるバルコニーから息子達を連れて引っ込みながら、宰相であり進行形で親友に向かって、国王陛下は少しふざけて喋る。


『堅苦しい言い方するなよ、英雄で宰相アングレカム・パドリック殿。可愛いバルサムに言いつけるぞ』

『何でそこで、妻のバルサムの話が出てくるんですか?』

今までの緊迫のやりとりがなかったように、国王と宰相がヤイヤイとやり始めたのを横目に、法王とサザンカが向かい合っていた。


『サザンカ、お前は自分がやった事への覚悟は出来ているのだな?』

『はい』

サザンカは迷わず返事をするが、法王はまだ追求を続ける。


『ロッツ様は、はっきりと言って普通に言葉を受け取るのが困難な方だ。必ず補助が必要となるだろう。

そしてその補助は想像にも及ばないほど、自分を犠牲にしなければならない』

サザンカは床につけたままの手を拳にギュッと握りしめ、再び腹に力を入れた声で法王に向かって言う。


『はい、私の今生(こんじょう・この世に生きている間)はロッツ様の成長の為に捧げます。

そしてそれに伴い、民の信仰心と道徳心を育みたいのです。

ロッツ様と同じ立場に立つような方達が、ごく自然に助け合いながら、セリサンセウム王国に住むことが出来る日常を、そんな『時代』を作り上げたいのです』


『―――"時代をつくる"、まるで野望にも聞こえますね。ユンフォ、後は頼みます』

宰相が尚もふざける国王とその家族を、次の祭典行事までの護衛を、己の副官に命じ。押し付けた。

そして法王の傍らに立ちながらに、そんな事を言う。

"野望"という言葉にサザンカは首を横に激しく振る。


『や、野望だなんて』

そのやり取りをみて、法王はフフっと笑いを漏らす。

『良いではないですか、パドリック卿、いや、"アングレカム"。

何処ぞの国王の末子など、数十年かかったが、小さな決起軍から始めて、傾ききった国を平らに戻してしまった逸話が、それこそ身近にある』

法王は言葉から堅苦しさを抜いて、親友に語りかける。


『それを言われると、私は何も言えませんね』

その言葉で名前を呼ばれた宰相は、力を抜いたように肩を落とした。

それからサザンカを見つめて、立ちなさい、と声をかける。

サザンカが恐る恐る立ち上がると、宰相は観察と言った感じの視線を注ぐ。


『不躾な質問ですが、()()()()()()()()()()()()()()()()()?』

サザンカは多少震え、宰相からの鋭い視線に耐えきれず瞳を閉じたまま答える。


『私は―――正確には()()()()()()()()()()()()()()()()()()


『それが、あなたがロッツ様に希望を抱いた動機の1つですか?』

宰相の声は、鋭い物となっていた。


『1つにはなっているのは確かですが、決してロッツ様を利用するような魂胆ではありません!』

サザンカは宰相の冷たく鋭い声に震え上がる事もなく、それだけは必死に弁解する。

宰相は大抵は自分の声の圧力に人は怯むのを知っていたので、怯まずに必死に弁解する『僧侶』を改めて観察した。


サザンカの本日の服装は高僧の地位にいるものだけが身につける事が許される、式典用の長い法衣。

元々教会のローブがゆったりとした作りで、男女共用な雰囲気なのと、サザンカの顔の造りも中性的なので、正直に言って性別はどちらとも取れる顔。

初老の宰相自身は、性別が定まらないといった"人"には初めて出会った。

しかし、特に宰相が動揺する事もなかった。

年嵩としかさの経験もあるが、彼はまず人にあったなら、"男女"として見るより"人間"として、対峙する。


『あなたはその事で、差別されたりしたのですか?。例えば、身近な親族の方々とかに』

宰相が再び尋ねると、サザンカはそれも激しく否定する。


『いいえ、寧ろ親は私を大切にしてくれて、大切に思うがこそ、私を教会に入れてくれました。

私は幸いにも勉学の方が好きでしたので、教会の魔導研究や普通に学問を担当する事になりました』 

少しだけ懐かしむような響きを含ませて、サザンカは続ける。


『そうすると研究員になった僧は、研究に専念出来るように個室を与えて貰えるので、日々の生活に支障は出ませんでした』

『フム。不躾ついでに突っ込んだ事を尋ねますが、御不浄(トイレ)はどちらを使用しているのですか?』

宰相はロッツの事に関しても問い質したかったが、個人的に"中性"という立場に興味を持ったらしく、自分の疑問に感じた事に関しても口に出してしまっていた。


『御不浄は、男性側を使わせてもらっています。

その、御不浄の個室ならどちらでも用は足せますし、外見と高僧のローブですと、私は"男性"に判断されがちですので』


サザンカも宰相が色々な探りを入れているわけではなく、純粋な疑問から自分に質問しているのがわかったので、素直に答える。

その言葉を聞いて、宰相は納得出来た様子で今度は隣にいる法王に尋ねた。


『私の記憶によれば法王様が、この人を教会に入れる時に面接されたんですよね?』

法王は白い髭に覆われた顔をゆっくりと縦にふり、頷いた。


『如何にも。"勉強や学習と言ったものが大好きな子どもなので、良かったらそれに専念させてあげて欲しい"とサザンカの親御さんから重ねて言われていたので。

実際、サザンカはよく出来たし研究の成果は今までのどの僧達の一歩先を行っている。研究用の個室部屋を獲得した、最年少記録樹立者でもある』


穏やかな笑みを浮かべる姿は、法王のローブを身に着けていないなら本当に気の良い好好爺にしか見えない。

喋り方も部下を誉めるというよりは、勉強が出来る孫を自慢するといった口振り。


『これまでは上手くいったから良いものの、もしサザンカの性別に関して五月蝿うるさくいってくる方々が出てきたらどうするんですか?。

内乱が終わった事で、教会も民衆の心を落ち着かせる役目もあと少しで、一段落つきます。そうしたら重箱の隅を突っつくような方がでたら?』


宰相は"責める"というよりは、"心配する"といった気持ちが強めの声で法王に意見をする。

まだ続きそうな意見を法王は、掌を宰相の口の前に前に出すことで止めた。


『アングレカム、私自身、それ程"法王"という地位に執着心がないのはよく知っているハズだ』

この言い方には宰相は幾らかムッと、腹を立てた。 


『ええ、知っているつもりです。ただ、貴方が一番法王なんて地位に執着心もないが、今は貴方が法王に相応い"才能"を持っている事を、確信している。

国を造った責任の一端をしっかり担うと、それこそ平定後に誓ったでしょう』


俄かに始まった宰相と法王の口論らしきものに、サザンカは口を挟めるはずもなくオロオロとしながら両方を眺めていた。

だが自分の上司にあたる法王は、激しい口調の宰相とは対照的にニコニコと、している。


『いえ、私は―――ワシの次に法王に向いているものを見つけたからな。

まあ、才能は私より劣るが、向学心があるので、知識力で法王としての任務をカバーできるだろう。それに何より、"法王"と言う地位に欲がないのが、いい』

『法王、貴方、まさか?!』

ニコニコとした顔の法王と、状況が全く把握できていないサザンカを見比べながら宰相が狼狽える。


『ワシはサザンカを、ワシの次、次期法王として据えるつもりです』

宰相は予想できていた答えとはいえ、納得がいかないようで盛大に舌打ちをして、サザンカは口をまさしく"あんぐり"と開けていた。


因みに宰相、法王、サザンカの3人しか王宮のバルコニーに残っているような雰囲気ではあるが、そんな訳ではない。

しっかり(?)宰相の護衛騎士、法王の護衛騎士、王宮の近習が遠巻きにいる。

流石に法王の発言に遠巻きにしていた、護衛騎士達や近習もザワザワと落ち着かなくなった。


『ほっ、法王猊下!?』

サザンカが開けた口から漸く出て来た言葉は、改まった上司への呼びかけだった。

法王はニコニコとしたまま、サザンカと向かい合う。


次の瞬間、空を斬る音が耳を擦り抜け、法王が常に携えている、その役職の象徴ともなっている大精霊の杖がサザンカの顔の横に、矢が飛ぶようにして現れた。

実際にはサザンカの頬をかすり、赤い一筋の線が出来ている。

しかし、サザンカはそれどころではなく、法王からの視線から目が逸らせなかった。


(目を、逸らしたら、いけない)

それだけが何故かはっきりとわかりながらも、法王の眼力の強さに、今にも腰が抜けそうになる。

必死に目だけは逸らすまいとサザンカは努力するが、熱を加えられた飴細工のように徐々に立ち上がっていた脚は下がり、跪くように座り込んでしまう。 


最初、法王とサザンカは同じ目線の高さのはずだったが、気がつけば完全に法王が見下す形になっていた。


(逃げるな、逸らすな、受け止めるんだ)

折れそうでたまらない自分の心を叱咤激励して、法王の視線に耐える。


『神のしもべ、サザンカよ』

顔に微笑みを刻みながらも、法王の厳かな声が場を占める。


『はい』

上擦る声で何とか、やっと返事をする。


『―――お前の覚悟と罪と、罪対するあがないを言いなさい』

『わっ、私は』

そこで一度唾を飲む。

頭の中に様々な声がこだまする。


(引き返えせる)


(中途半端な私を誰が受け入れる?)


(今までの研究が、沢山の人を救うかもしれない)


(私は、法王になりたいいわけではない!)


ドクドクドクと自分の血が激しく脈打つ音が、谺と共に頭を占める。

視界の先には自分の"未来"の一部の姿の困難さが、如実に現れている。

今の法王が送ってきた人生の凄絶さは、高僧の地位にいるなら誰でも聞いている。

傾き、悪政を行う国を止める為に立ち上がった国王末子にあたる少年に、偶然という運命で壮年で出逢い、村の神父で人生を全うしようしていたのを捨てる事になる。


"力"優先の、荒れ腐りきった当時の教会の組織に気がつけてはいたが、国の隅にある村の安寧は、神父だった法王の尽力で護られていた。


それはひとえに神父に"闘う力"があったから。

精霊術を普通の術者の力を遥かに凌駕して、ある意味では国では一番の使い手だったとも言われている。

そんな"強い神父"に出逢った偶然チャンスを、少年は逃さなかった。


『1つの村を救うのも良いが、どうせなら1つの国を救わないか?』

誘われて、なかなか決断出来ない背中を押したのは、年の離れた神父の唯一の家族で教会の巫女であった妹。


『兄さんは前から凄いと思っていたけれど、そんな力があるなら、行って下さい。

この国の人達に、安寧の中で迷える喜びを与えてあげて下さい。

平和になったら、この村に戻ったらいいんです。私が待っています。だから、行ってください』


そう言って兄を送り出した妹で巫女の訃報が、半年後に平定を目指す、決起軍に届く。

私利私欲にまみれ、王都で横暴な振る舞いが絶えなかった教会の騎士団と交戦間近になっていた時期。 

神父の大いなる精霊術で威嚇し、教会の"膿"の部分だけ排除しようと作戦を練っていた時期。

その"膿"が、教会に一応籍を置きながらも敵軍にいる神父に気がつき、それを利用すべく家族である妹の巫女を人質に取ろうする。

神父の妹は、妹を人質にするべく派遣された教会の騎士団に囲まれ、村民が避難した教会に火をかけられそうになった時、自ら教会の門を開いて表に出た。

そして、教会の騎士団の甲冑に身を包んだ兵士に手をかけられそうになった瞬間、胸元にある《絵本》を抱えて声を張り上げた。


『銃の兄弟、お願いします!』


空間を轟かせるような音がして、妹の巫女の胸に血潮が溢れ穴が空き、絵本に鮮血がかかった。


兄の神父が旅立ったあと、妹の巫女は1人の怪我をした傭兵を看病していた。

傭兵は兄である神父を"唆した"小貴族の少年の親友。

学問は苦手だが、よく回る頭で"恐ろしく素早い火の玉を操る魔法が使える"という事で、小貴族の少年の決起軍にも参加していた。

が、とある戦いの折に腕を負傷し、骨まで折れていたので村で暫く治療の為に残っていた。

良い意味で残された者同士の、巫女と傭兵は自然と親密になる。


まず、愛読していた聖書の一文が全く同じだった事から始まり、2人の縁は絡まっていった。

けれど半年の時間は短か過ぎ、互いに気持ちを確かめる前に魔手が巫女に伸びる。

魔手が迫る前日、巫女は傭兵からある秘密を打ち明けられていた。


『実は私は―――俺は、魔法が全く使えない。

皆が、魔法と思っているのは"銃"という武器によるものなんだ。

この銃は、詠唱も精霊に呼びかける事もなく人を殺める力を持っている。

親友と師にあたるような人が、わざわざ俺の為この武器を授けてくれたんだ。

この武器があるから、戦える。でもいつか、戦いが終わったらこの武器を師と親友に返して、貴女に……』

告白を全て終える前に、悲鳴の声が村を走る。


助けて!教会に逃げろ!

神父の妹を探せ!

他の奴らは殺しても構わん!


悲鳴と怒号が次々に状況を告げていた。

巫女と傭兵は直ぐに教会の大扉を開き、村人を避難させるが、既に3名の犠牲者が出ている事が判明する。

村を襲った教会の騎士団は更に狡猾で、且つ有効な手段を取る。

村人が避難する教会の前、声高々に村が襲われる理由は"神父と妹の巫女に、その責任がある"と言い始めた。


神父が村を出て、少年が作った軍に入り、教会の存在を脅かす事が、この村が襲われる原因なのだ!、と。

巫女が神父に、小貴族の少年の軍に入る事など進めなければ、お前たちの村は安寧に包まれていただろうに、とも。

見る間に、教会の中の空気は不穏に包まれた。

犠牲者が既に出た上に、騎士団に"自分に都合の良い"情報を吹き込まれた村人は、一斉に今まで村の救済人だったはずの巫女に、露骨ではないが、怨嗟えんさの視線を投げかけた。

村人にも『この国が平和になるなら』と神父が軍に参加すれば良いと進めた者もいたが、あるものは騎士団の犠牲になり、あるものはその考えをひるがえしていた。

皆、自分の居場所が平穏と安寧に包まれている『余裕』があったから、『神父を軍に参加させよう』と言えていたと、見に染みる。

神父という"盾"がなくなったあとの"覚悟"など、村人の殆どはしてない。

でも『平穏』の素晴らしさは知っていて、それを平和のない地域に広めたいと確かに村人は確かに心に思った。

賢く思慮深い巫女と様々な戦の場面を経験した傭兵は、村人の考えている事を想像するのが容易に出来る。


巫女は前から、『この事態が起きた場合にすると決めていた事』への覚悟をする為に、震えていた。

傭兵は"身勝手な"と村人に沸く、怒りの気持ちを必死に抑える。

そして、更に騎士団から声がかかる。

妹である巫女を差し出せば、騎士団はすぐにでも引き上げる――。


巫女は分かっていた。

自分が生きて拘束されれば、自分が進めた兄の道を、自分が閉ざしてしまう。

しかし、今、村人達を助ける為には巫女が出て行くのが一番である。


『巫女様、私達を助けてください』

1人の女性が声を出していた。


『せめて、私と子ども達の命を助けて』

女性は幼い子どもを、血塗られた姿で抱きしめている。

巫女は女性を見て、彼女の夫が神父を送り出すのに肯定的だったのを思い出した。


『神父さんがいない間は、俺達が村を守るから安心して行ってきてください!』

明るい声で、家族ぐるみで神父を応援してくれていた。

その男の姿はなく、男の妻が血塗れで幼い子どもを抱いて震えている。


その姿を見て、巫女の覚悟は決まった。


完治寸前で、騎士団を1人で迎え撃とうと支度する傭兵"銃の兄弟"に巫女は呼びかける。

傭兵は2丁の銃を両脇のホルスターに収めながら、呼びかける巫女を見つめて彼女が覚悟しているのを悟った。

だが、彼は彼女の『覚悟』を受け入れることが出来なかった。


『そんな覚悟はいらない。覚悟なら俺と共に戦う覚悟をしてください』

『駄目です。血が流れてしまった以上、私はそれを贖わなければいけない。そして、せめて次に起きる悲劇を抑えなければ。

だから、お願い助けてください。貴方の力を貸してください』

巫女はかつて兄に聞いた『禁術』を行おうとしていた。

それには4つの命と、『女性』が必要だった。


【もしも、4つの命が失われて、更なる多くの命と、命が失われたことで悲劇が連なりそうな時、お前は巫女としてこの術を使いなさい。

神は試練を与えてばかりだが、悪魔とされてしまっている"存在"は、代償があれば助けてくれる事がある】

兄がそう言って、昔から家に伝わる『絵本』を妹である巫女に渡していた。


巫女は胸に禁術を使う"鍵"となる絵本胸に抱き、傭兵に最初で最後の願いを託した。

巫女の決心が揺るがないのが分かった傭兵は、銃に詰め込んだ弾の一発を取り出し、胸にネックレスのように下げていた銀色の弾丸を詰め直した。


『俺は、人生の伴侶を見つけた時。この銀の弾丸を溶かして、指輪にしてプロポーズしようと心に決めていたんだ』


――この世界では銀色は"家族"を象徴する色。


『あら、本当にキザなんです―――』

"ね"の言葉が出る前に傭兵は、巫女を抱きしめていた。

巫女が抱きしめていた絵本が、トンっと床に音を立てて落ちる。


『―――ありがとう、"ジュリアン"』

巫女の体は震えないが、声はどうしようもない喜びと悲しみとやるせなさと()い交ぜになったもので震えていた。


『それでは、お願いします』

巫女は一度だけ、傭兵を強く抱きしめ返して身を離した。

それから落ちていた絵本を拾い上げ抱き、教会に避難する村人達に、深く頭を下げる。


『今まで、ありがとうございました。帰ってきたら、兄をよろしくお願いします』

扉がひらかれ、巫女は騎士団の前に立つ。

巫女を拘束しようと、騎士の手が伸びる。 

巫女が、彼女が最後に接した"人"が自分であって欲しいという傭兵の"エゴ"と、最初で最後の"恋人"への操だての気持ちが重なった。


『銃の兄弟、お願いします!』

凛々しい彼女の声と共に、傭兵は全く躊躇わず引き金を引く。



つんざく銃声と銀の弾丸が巫女の胸を貫き通し時、『禁術』が発動した。


銃の兄弟は『禁術』の一部始終を確認し、村にもう『悲劇』が起きないと確認してから、遺品を拾い上げ、兄の神父がいる軍に早馬で合流する。


決起軍の幹部だけが集まる野営のテントの中で、神父と傭兵は向かい合っていた。

『俺が、私が、貴方の妹の命を奪いました。そして、これが彼女が最後に抱いていた遺品と、命を奪った弾丸――火薬も詰め直してあります』


「銃の兄弟」は跪いて神父に頭を下げ、巫女が抱きしめていた『全く汚れていない絵本』と『命を奪った弾丸』を差し出し、神父はそれを受け取った。


『銀の弾丸――家族を象徴する色の弾で、皮肉なことだ』

神父は静かに口を開く。

銃の兄弟は、言い訳も釈明もしない。

まず、赦されたいと思わなかった。

そして大きな方の銃を抜いて、差し出した。


(どうか、俺を裁いてください。同じ銃で、私の胸をその弾丸で撃ち抜いて、彼女の元へと送ってください)


彼女は決して望まないであろう、自分の死を銃の兄弟は願った。

神父は村を出て半年ほどで、特に親しくなった3人の仲間に見守られながら口を開く。


『ワシ――、私は「銃の兄弟」、貴方にとって一番辛い罰を与えようと思います。

そして、妹を失うきっかけを作った私自身も罪を背負おうと決めました』


特に親しい3人の仲間には、神父を誘った小貴族、今や軍のリーダーとなった少年がいた。

だが、少年は口を挟まない。


軍に誘ったばかりに、なんて気休めな言葉など決して口に出したりはしない。

謝罪してしまったら、今まで進めてきた事を全て否定するのと同じ。


―――あくまでも、肉親の命を奪われた仲間と、仲間の肉親の命を奪った人物の友人として、その場にいて次第を見届ける。


そして神父は形見となった絵本と銀の弾丸だけを受け取り、天幕から出て行き、銃は残された。


『銃の兄弟』は決起軍を抜けて、2度と姿を見せない事を、野営のテントに居合わせた4人、後に"平定の4英雄"と呼ばれる人々に誓った。 

リーダーとなった少年は、誰も気付かれないよう、翌朝に去ろうとする親友を1人で見送る。

無言で愛馬に跨る親友に、少年は語りかけた。


『国が傾くのを止めて、平和な世になって、お前が戻ってくるっていうなら。俺は必ずそれを成し遂げてみせる』

馬に跨がる親友は、満足そうに微笑んだ。


『お前の信念が揺るがない事に安心した。銃という武器のお陰で、俺は魔法が使えなくとも大切な民を助ける手伝いが出た。

魔法が使えない俺には、ありがたい。

でも、この武器はこの傾いる国が、平定された素晴らしい国になったら。

お前がこの――セリサンセウムの国を纏め上げたなら、その時は不要なものだから。この銃達を再びなかった物として、元の姿へ還してあげてもいいかな?』

しかし、リーダーの少年はこれには首を横に振る。


『人間はどんな力でも、その力が大きくなれば「傲慢」の元となる。

その力を牽制する為の力も必要で、その力の担い手が一番傲慢から遠い者であるべきだと思う。

だから俺は、お前に、ジュリアン・ザヘトに銃の担い手となって欲しい』


少年はそう言って、4人の恩師でもある《賢者》から譲り受けた、銃の知識と技術もを全て収めた書物を親友ジュリアン・ザヘトに投げ渡した。

ジュリアンは深く感じ入るように少年の言葉を聞いて、書物を受け取る。

少年は最後に、友に本当の気持ちを訴えた。


『お前が魔法を使えなくても、とっても良い奴だって俺は知っている。

魔法を使える使えないのが、人間の優劣に繋がるのが嫌だから、軍を作って国を纏めてやろうって最初考えた内の1つあったんだ』


『お前がそこまで考えていたのか?』

馬上の親友が笑いながらそんな事をいうと、手綱に手に掴む。

もう、発つつもりらしい。


『俺だって、それぐらい考えたりすんだよ。じゃ元気でな』

生きている間には会えないかもしれない親友を見上げながら、言葉を送る。


『お前もな』

その時、別れを惜しむ2人の間に新たな足音が訪れた。


『行かれますか』

神父だった。

銃の兄弟は、深く頭を垂れた。


『馬上から失礼。はい、もう行きます。神父様も、どうかお元気で』

『貴方も体を大事になさってください』


『ありがとう…ございます。それでは……』

少しだけ言葉をつまらせ、馬の腹を蹴り、ひづめの音と共に傭兵「銃の兄弟」は軍から姿を消した。 


『2人の別れの時間を邪魔して、申し訳ありません』

神父が深々と頭を下げると、少年は黒髪を揺らして頭を横に振り、親友が旅立った方向を見つめる。


『俺はさ、アイツと神父さんの妹さんが気が合いそうだと思ったんだ』

ポツリと少年が言う。

神父は寂しそうに笑って頷いた。


『それは、兄である私もそう感じていました。もし時が良かったら、縁が続いたならあの傭兵を『義弟』として迎えいたかもしれません。

それに、私もあのタイプの『人』が好きだった。偶に少しキザなのが、苛っとしたりしますが』

神父がそんな事をいうので、少年は思わず笑いがこみ上げた。

笑う少年に神父も微笑む。


『こうやって貶すでもなく、馬鹿にするわけでもなく、知っている親しい人に関して軽グチを叩いたり、叩かれた相手も対して気にしない事は、きっと幸せなんでしょうね』

『ああ、行き過ぎた事を言ったとしても"やめな"って簡単に諫める事が出来る関係ってのもいいよな』

朝日が本格的に上がり始めて、互いの顔がはっきりと見え始める。


『互いに、互いの違いを認め合えて。失敗したなら反省とフォローをしあえて。

自分意外の誰かを貶めて、心を和ませるなんて馬鹿らしい事がなくなれば良いって

ジュリアン、アングレカム、そしてトレニアと軍を起こしたんだ』

少年は日に照らされながら、泣いていた。


彼の姓でもある『向日葵』のような日の光に、照らされながら、今までの人生をの時間を殆どを共にした親友との別れに、淋しくて悲しくて泣いていた。

そして目の前にいる神父も涙を流していた。

決して嫌いではなかった人物を、憎まなければいけない、この状況が狂おしかった。

少年は涙を拳で拭い、神父は指で弾いた。


『神父さま、絶対俺がこの国を平定させてみせる。

だからあんたは、民の『心』を助けてやってくれ。

俺達が丁度初めてあんたの村に入った時みたいな、あの安寧に包まれた村みたいな『国』を、あんたの手でやってくれ』


唯一の妹を殺され、妹を殺した本人を憎む事も赦す事もできない。

そして『仲間』となった少年、数十年の月日がたち、現在の国王は国を統べる誓いを果たした。

国王は、少しでも仲間が働きやすように、神父を法王の地位に据えた。

『国の心』を作るという願いをこなす為に、未だに勤勉に働く法王。 


サザンカは自分はどちらの性とも落ち着かない人生ながらも、両親に愛されて、やりたい事をこなしていた。

国王や宰相や法王や、自分の親世代が身を粉にして、何とか平和な国を作った中でだからこそ享受出来ていた幸せなんだと、何度も言い聞かせて、研究が滞りそうな自分を叱咤激励して過ごした日もあった。


―――お前の覚悟と罪と、罪に対するあがないを言いなさい――

(私が、あんな偉大な方々に匹敵する覚悟出きるわけがない!)


理想の国の為に、時には私利私欲にまみれてた人物を国外に追放した。

自分の立場を守る為に、無関係の人物を利用して殺した人物の罪を丁寧につまびらかにし、法に則り処刑した。


自業自得ながらも悪行を露呈させた、国王・宰相・法王達に呪いの声をあげながら、ある者は処刑台に追いやられ、ある者は国から姿を消した。

英雄達は、この声に誰も怯まなかった。

サザンカは辛うじて法王と向き合ったままで、再び


(かなわない、出きるわけがない)

と震えた。


『サザンカ、落ち着きなさい』

宰相が不意に横から声を出した。

肩で息をするサザンカに、まだ杖を掲げたまま向き合う法王の間にある凄まじい緊張感に満ちた空間に、声をかけれるのは同じく英雄の、宰相アングレカム・パドリックだから。


『法王は何と言ったか、考えなさい。"サザンカ"の覚悟と罪と、罪に対する贖いを言えと仰ったでしょう』

『わ、私の覚悟?』

そこで宰相は冷たくニヤリと微笑む。


『学問が出来ると聞いていますが、多少自惚れがありますね。

誰も戦争を体験してない、しなくてもよい経験をしなかった"若僧"に、私達の経験に見合うような覚悟なんて求めてはいません』

サザンカが、ハッとして宰相と法王を見比べる。


()()()()()()()()()()()()()()()()、そんな世界を生きる子ども達がいること。

それが、荒んだ時代を生きぬき、平和な時代をつくりあげた、私達の誇りでもあるのです』

法王が杖を掲げたまま優しく微笑み、サザンカに諭した。


『では今一度、サザンカに問おう。お前の覚悟と罪と、罪に対するあがないを言いなさい』

サザンカの瞳に本来の叡智えいちが戻り輝いた。


『私の覚悟は、私の今生を

《先人が作った平和な世界で、どんな障碍しょうがい者でも健常者でも、自分なりの幸せと役割に気付ける事》に捧げる事です』 


法王は答えに深く頷くと、サザンカに更に続ける。


『私の罪は、私が成し得る事が出来ない事を次代の神のしもべの子、ロッツに託す事です』

―――新しいセリサンセウムという1つの国が産まれた時、最初の法王は"命"の尊厳を説いた。


そして、2代目のサザンカは

『私の贖いは、先人が築いてくれたこの平和な世界で、才能と人格があるの者なら、健常者でも障碍しょうがい者でも活躍出来る場と『心』を作る事です。

障碍しょうがい者が才ある故にある分野のトップに立ったとしても、健常者と互いに支え合う関係を、当たり前に築けるそんな世を作る事』

を精励した。


まず引き継いだ時点で問題になっていた、家庭不和の問題を取り除くべく、問題が見られる"家族"の相談に教会が率先して乗った。

次に家庭不和など特にないのに、教会や村の学校で落ち着いて勉強と向き合う事の出来ない子どもの相談にも乗る。


多くの子はサザンカが今まで研究を重ね、作り上げた学習パターンを実践する事で、幾らかの改善も見られる結果が出た。

サザンカが法王を引退した後も、この研究は続けられている。

サザンカはサザンカなりの"法王"の在り方を発揮し、確かに国民から愛されていた。


そして、現在の法王ロッツへと時代は移り変わる。


「法院の騎士さん、ディンファレとお話がしたいのです。

ある事をお願いしたい、お話がしたいので、すみませんがさがっていていただけますか?」

ディンファレは"王族護衛隊"の筆頭騎士である。

本来なら法王の警護は教会の騎士団だけでもよいのだが、ここは"国王命令"で国王の実弟であるロッツには王族護衛隊から、専属の騎士としてディンファレが派遣されていた。


「―――ハッ」

と教会からの男性の騎士達は下がるが、チラリとディンファレを睨むのを"いつも通り"忘れない。

男尊女卑の考えが主流なわけでもないのだが、騎士という仕事は、男性が多く。

女性騎士との対比は「男10:1女」と言った具合で、どうしても"男性的な思考"が優先されてしまう。

簡単に、且つ乱暴に例えるなら『女の癖に騎士など生意気だ』といった風潮。


教会にも女性騎士がいないわけでもないのだが、基礎の剣術を収め魔術が主戦力である巫女あがりが殆どで、体力的に騎士の役割を果たすのはやはり男性が殆どとなる。 


法王の護衛になるくらいの騎士だから、当然優秀ではあるのだが、誇りも勿論高い。

敬愛する法王猊下を何があっても守ろうという気持ちに、微塵も迷いも偽りもない。

しかし、その心構えの者に、国王命令とはいえ他の騎士隊から護衛を付け加えられるのは面白くないし、しかも自分達の教会の騎士団では男性の騎士達を"たてる"女性騎士ばかり。


対等に口をきく女性騎士に、何故だか"ムッ"とした気持ちが教会の騎士の中に宿る。

他の場では充分過ぎるくらいのフェミニストである彼等だが、無意識にではあるが"女性騎士を下に見ている"事に、まだ気がつけていない。

しかし彼等も、騎士は騎士なので「女性」に露骨な嫌がらせなどはしないが、チクリチクリと嫌みな視線や皮肉を言う程度。


ただディンファレという人物は余り"男女"を意識しないし、前法王のサザンカの薫陶を受けて育ったので、教会の男性騎士のイヤミや皮肉を面倒臭く鬱陶しいとは感じたが、そこまでダメージを受けているわけでもない。


(男女比率が逆な職場でもやはり、状況は違えども似たような事は起きてしまうのは人の性だろうな)

と、分析をして楽しむ余裕も彼女にはあった。

ディンファレは睨まれた事にすら気がつかぬ素振りで、法王の側に寄る。

教会の騎士が法王の部屋を出た後、ロッツが呼び出した小さな少女の姿をした風の精霊達が、緑の素粒子のような粒を撒き散らしながら部屋一杯に舞い始める。


部屋の外で"うわっ"と男性の声が聞こえた後に、ドサリとした音がして微かな振動が伝わってくる。


「法院の騎士さん、ごめんなさい。本当に内緒の話をするので、部屋から離れていてくださいね」

ロッツがそんな言葉を、ドアの向こう側にいるだろう騎士達にかけた。


「皆さん、イタズラは駄目ですよ」

ロッツが友達に話しかけるように、風の精霊達に語りかける。


『ダッテ、アノヒトタチ、ロッツトノ約束マモラナインダモン!』

『ロッツトディンファレノハナシヲ、ワタシタチノ友達ヲ使ッテキコウトシタンダモン!』

精霊達は小さな緑の光を瞬かせ、口々にクスクスクスと笑いロッツに『告げ口』をする。


どうやら会話が気になった教会の騎士達は、風の精霊術で『法王と護衛騎士の秘密話』を聞きかじろうとしたが、ロッツの呼び出した風の精霊達に、あっさりと目論見を潰されてしまったらしい。 


ロッツが少しだけ困った顔した後、小さく溜め息をついたなら一番親しい精霊『氷の女帝ニブル』が瞬時に姿を現した。


『私ノ、大好キデ大切ナ、ロッツヲ困ラセルハダアレ?』

冷え冷えとした微笑みを浮かべる氷の精霊に、風の精霊達は助けを求めるようにロッツ周りに集合した。

嘗てアルセンの館に奇襲をかけ、不意打ちとはいえアルスを戦闘不能においやった。


そして更にはリリィを攫った経緯を持つ、強者の氷の精霊は、ロッツの周りにいる先客の風の精霊がまるで存在しないような様子で、ロッツを愛おしそうに見つめる。


教会の幹部や護衛騎士であるディンファレも、氷の精霊がロッツに心酔しているように側にいる理由はわかっていない。

ただ才能は誰よりもあるのだが、自主的に攻撃的・防御策的な精霊術を使わないロッツには"好戦的"で"過保護"な氷の精霊は、護衛する側にとっては大変ありがたい存在でもあった。

なので彼が法王の地位についた時でも、"氷の彼女"については言及はされなかった。


「ニブル、私は大きく困ってません。でも、ディンファレに内緒の話をしたいので、風の精霊に周りを騒がしくしてもらって、話を聞かれないようにしました」

ロッツは"氷の女帝"に向かってゆったりと、名前で呼びかけた。


『フウン』

氷の女帝はそう呟くと、"フゥ―――"と長く凍てつく氷の息を吹きかけたなら、キャア、と風の精霊達が悲鳴をあげて緑の光を残して消えてしまった。


氷の女帝はどうやら風の精霊が具現化する力を壊し、素粒子ぐらいにまで小さくしてしまったらしい。

小さな物体が人の目に見えにくく、掴めないのと同じで、精霊もここまで小さくなってしまうと、術者が呼びかけて具現化するのに大分手間も魔力も使う事になる。

これにはディンファレが眉を顰め、氷の女帝を諫めた。


「あまり荒い事をするな。いざという時、法王猊下を守る為の精霊術が発動しににくなる」

しかし氷の女帝は空に浮いたまま澄まし顔をしている。


『風ノ精霊ガイナクテモ、イイジャナイ。私ガ、ロッツヲ守ル』

ロッツに余りに馴れ馴れしく引っ付いていた、風の精霊が、氷の女帝ニブルには面白くなかったらしい。

精霊にも性格はあり、それはとても特徴と性質を表している。


風の精霊は陽気でお喋りで享楽的な面が強く、また色恋話が大好きなので、恋をしている人物やカリスマがある人物に集まり易い。 

具現化する時も、呼び出した相手と反対の性別で出る事が多い。

そしてロッツのカリスマは風の精霊を惹きつけるには、充分過ぎるものだった。


『ソレニ、コンナニ風ノ精霊ガ小サクナッタラ、外ノ奴ラモ盗ミ聞キデキナイワ』

確かにニブルの言うとおりで、互いに風の精霊が呼び出せないのなら、風に"音"を乗せて盗み聞きするということも出来ない。


「まあ、それは確かにそうだな」

ニブルの意見をあっさりと認めて、小さく溜め息をつくと改めて法王の方へとディンファレは向き直った。


「法王猊下、それでは"秘密のお話"をしていただけますか?」

ロッツはゆっくりと頷いて、口を開く。


「リリィさんに月のモノが巡り始めた事で、とある"大きな方"の扉が本格的に開き、そして采邑さいゆうを求めて動き始めました」

「"大きな方"が、采邑さいゆう……領地を求めてですか?」


(わざわざロッツ様が"大きな方"と、采邑と古い表現したからには、それは人間ではないな)

ディンファレが考えながら尋ねなおすと、ロッツは考えを肯定するように再び頷いた。


「"大きな方"には時間も、私たち人の文化も関係ありません。

ただ、私に今わかる事は、

"私が産まれる前の時間でお父さまが、まだ王様になる前の間に"私達"人間"に呼び出された事があった事です」

法王ロッツは前法王サザンカの教育カリキュラムを受けた事で、3歳を過ぎても全く喋らなかったものが、大分時間が費やしたが、それなりに言葉を喋り、理解出来るようになった。


ただし尋常ではない精霊へのカリスマと才能の持ち主でもあるため、言葉を理解出来るとわかると、精霊からの様々なコンタクトが盛んになった過去がある。

精霊達が余りに自分達の言葉でロッツに語りかけるため、喋る言葉が一般の人からすれば「頓珍漢とんちんかん」にしか受け取れない状況になりかけた事もあって、一時期サザンカが精霊に対する結界をはってまで必死に教育した。


何とか「頓珍漢」な感じは抜け出せたものの、その名残で、ロッツの発する言葉は親しいものにしか理解し辛い面もある。

そしてディンファレは、上手くロッツの話す言葉を理解出来る、数少ない人の1人である。


「"大きな方"が動く事で、リリィさんに悪い事が起きるのですか?」

この質問にロッツは胸の前に手を重ね、考え込むように瞳を閉じてゆっくり口を開く。


「悪い事かどうかわかりません。ただ何かが、大きく確実に動きます」

ロッツは感じた有りのままを"話すだけ"の事が多く、話を繋げる事が困難な時がある。

法王の言葉を理解出来る人達は、成るくロッツの意志と気持ちを引き出せるような質問をする事で、コミュニケーションや啓示を得たりして、会話を続けていた。


(大きな方が動くか)

ロッツの言葉を聞く限り、リリィには被害が及ばないまでも、まだ何かを


『伝えたい・教えておきたい』

といった感情がこもっているのかディンファレには感じられた。


『伝えたい事』を引き出すべく、ディンファレは質問もう一度考える。

『アノ娘ヲ守レバイイノナラ、私ガマタイコウカ?。ロッツノ魔法デ、娘ノ所マデ飛バシテヨ』

ディンファレが質問を考えるこんでいる間に、ニブルはロッツの役に立ちたい気持ちを全面に出して尋ねる。


「今回はニブルはお留守番していてください。

大きな方が『出てきた』時、ニブルも先程の風の精霊さんみたいに細かくされてしまうかもしれない」


「法王様。そんなに"力が大きな方"なのですか?」

ディンファレが考えるのを止めて、ロッツに尋ねる。

"大きい"という括りが、空間を埋める体積や、見た目の表面積だと考えと捉えていたが、どうやらそう言った意味でもないみたいなので、ディンファレは急いで考え方を切り替えた。


「はい、とても、力も大きい方ですよ」

法王が穏やかに応えるのを聞いて、"も"という言葉からどうやら"姿も力も"大きな方らしい。


「法王様がわかったらでいいので教えて下さい。

その"姿も力も"大きい方は、昔姿を現した時はどういった様子で現れたのですか?」

そこで法王は悲しそうな表情をし、優しい甘い眼もとは激しく瞬きをする。


『わかっていて説明をしたいが、自分では上手く言葉に出来ない』

そう言った気持ちも、ロッツは上手く口に出せない。

その様子で、法王の気持ちがよく分かるディンファレは、法王の執務机に向かう。


「法王様、ペンと紙をおかりしますね」

「はい、使ってください」

"ワタシハ強イ!"と駄々をこねるニブルをあやしながら、ロッツが答えた。

ディンファレは法王の羽ペンと、便箋の一枚を拝借してサラサラとロッツに尋ねたい事を箇条書きにする。 


サザンカから教えられた事だが、ロッツは口答で質疑応答するよりは、視界から入る文字情報の方が理解しやすく、頭の中でも整理整頓しやすいらしい。

ロッツの理解力は<百聞は一見にしかず>と似ているのかもしれない。

耳にダラダラと細かい情報を流し込むよりは、はっきりしたものを見せて、それから回答求める方が効率的。


「これでいいだろう。法王様、読んでいただきますか?」

┌─────────────┐

│             │

│大きな方がこちらの世界に姿│

│を表した時、       │

│             │

│             │

│1.姿はどんな姿でしたか?│

│             │

│             │

│2.力の大きさはどうでした│

│ か?          │

│             │

└─────────────┘

ディンファレが箇条書きにした文章を、ロッツがゆっくりと読み上げる。

ロッツは尋ねて欲しい事と、答えたい事が一致したらしく、笑みが零れていた。


「1番は、姿は王様でした」

ロッツがディンファレが書いた便箋を見て、質問箇所を指で押さえながら答える。


「王……様ですか?そのどうのような王様か、教えていただけますか」

そう質問されると、ロッツは思い出すべく瞳を閉じる。


「昔、昔の王様です。姿は、お爺さんです、とっても立派で偉い人」

(『王様』か)

ロッツが"王様"と明確に答えた理由を、ディンファレは考える。

ディンファレが"王様"と言われてパッとイメージで浮かぶのは、"王冠を頭に乗せている"という姿。


(やはり物語のイメージからだろうか?)

ロッツは普通に文字の本も読むのだが、挿し絵がある本をより好む。

具体的にいうなら所謂"絵本"がロッツのお気に入りで、寝室の本棚には絵本が溢れていた。

そしてその絵本は殆どは、腹違いの国王である兄からの贈り物で、王族護衛騎士隊を通じディンファレが届ける。


その本の中には、"王様"を扱った作品が確か数冊あったと記憶していて、挿し絵の王様のトレードマークといえば王冠。


(しかし、実際に王冠を身につけている王などいるのか?)

実際、法王の兄である国王など、王位継承の式典の時のみ王冠を身に着けた程度 

それ以降は"国王"の職務の際は服装はしっかりしているが、王冠を頭に頂いている様など見た事がない。

それ所か"国王の職務をこなした上"で、王族護衛の騎士を煙に巻いて自由行動をするから質が悪かった。


職務をこなしていないなら、宰相や内政を預かる者達が文句を言いながらも、護衛の騎士と共に逃げ出した国王陛下を探してくれるが、"自分達に害がない"となると脱走した国王を探すのには非協力的。

確かに王宮の生活は堅苦しいから、少しは抜け出したい気持ちも解らぬわけではない。

が、"護衛"を仕事をする方は、国王陛下に怪我でもされたら、あっさりと首が飛ぶ。


そんな事を国一番の剣士で、護衛騎士の隊長となる人物がこぼしていたのをディンファレは苦笑した。

ディンファレの顔が苦笑いするのを見て、ロッツが不安そうな顔する。


「ご安心ください。法王様が嘘をついてるとは、私は思っていません。

ただ、"セリサンセウム国の王様は法王様のお兄様"だけですし、お兄様は王冠をつけていらっしゃらないですよね?」

ディンファレからゆっくりと言われると、"お兄様"のいつも格好を思い出し、ロッツも納得が出来たらしい。


「私は絵本で見た"王様"が、呼び出された「大きな方」と似ていると思いました」

ロッツがおっとりと言うのに、

(やはり、そうか)

と、ディンファレは自分の推理があっていた事を確信する。


『ダッタラ似テイル王様ヲ絵本カラ、探ソウヨ!』

不意に空に浮かぶニブルが提案すると、ロッツとディンファレは賛同して頷く。

すぐ隣にある法王の寝室に入ると、法王の身の回りをかしずく巫女達が寝室を整えている。

急に部屋に戻ってきた、法王と護衛騎士と精霊(実際にはニブルに一番)に驚いて、巫女達は頭を下げた。


「気にしないで、お仕事をしてください」

ロッツがそう声をかけると、巫女達は無言で頭を下げて作業の続きを始める。

本棚にたどり着くと、ロッツがこっそりと巫女達に聞こえないように、ディンファレに耳打ちする。


「そう言えば、今日は夢でリリィさんが困っている夢を見ました」

「―――そうですか」

そして早速絵本を探し始める法王の背を眺めながら、ディンファレの顔が少し沈む。

空に浮かぶニブルも、絵本を捜しながらも少し悲しそうな面もちとなる。 

法王専属の護衛騎士と、ロッツのカリスマに心酔している氷の精霊は、彼の予知夢がほぼ的中するのを知っている。


実を言えば、前にディンファレが王都の市場で、ガラの悪い兵士に絡まれるリリィを助けられたのは、法王が予知夢の事を彼女に話したおかげでもあった。

後で法王を引退したサザンカに聞いた話によれば、前々からそう言った"予知夢"の才能は偶にあったらしい。


だが本当に稀であるし、"人の運命に関わる"といった事もなかったらしい。

なので、サザンカはロッツの予知夢に関しては、専門分野でもないので、あまり重点的に研究をしなかった。


だが、娘・リリィに関してはやはり気になるのか縁が繋がっているのだろう、大事ではないが「夢」で笑ったり勉強していたりと、様々なリリィを見ている様子だった。


そして法王がリリィが「困っている」というなら、実際にロブロウで困っているのは確実だろう。

法王ロッツ自身は自分の夢が『現実』になっているとは、夢にも思っていないので、あくまでも『夢』の話として済ましている。


ディンファレが予知夢の才能を本人に告げた方が良いのでは?と、最初に相談したサザンカに告げたが、これには首を縦に振らなかった。


ロッツの"予知夢"は不確定要素がないにしても、"凄く役に立つ"と言ったものでもない。

リリィ限定なら確かに多少助けたりも出来るだろうが、もし今回みたいに遠方にいたなら、予知出来ていても助けの手が及ばない場合がある。


ディンファレの絵本を探す動きが止まる。

(待てよ。『手』が及べば良いのだ)


「ディンファレ、絵本がありました」

そう言って法王ロッツが手にしている絵本は、大分古く、題名は『高所の神の王様』という絵本だった。


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