【似て非なる『顔』】
誰かしら言われる事があるのではないのでしょうか。
『あなたの顔は に似ている』
空白に入るのは多分あなたのルーツの一部に繋がる血縁の人物。
言われた時、あなたはそれを受け入れる?。
それとも全身全霊で否定する?。
前領主邸の屋敷の中に入った途端、アプリコットが仮面を外したのでルイは大層驚いた。
リリィは先程自分も大層この行動に驚かされたので、驚いたルイに多少同情をする。
アトはというと驚きはしないものの、アプリコットの顔面を殆ど占めるケロイドが何らかの怪我の痕とは理解出来るらしく、
「りょーしゅさま、痛い?大丈夫?」
とアプリコットに盛んに尋ねてしまっていた。
「アトには確か短くはっきり分かり易く言えばいいんだっけ?」
アプリコットが苦笑しながら、リリィとルイに顔を向けて尋ねる。
「ぐうわばやし?」
リリィは解らないらしく、オウム返しに口に出した。
勿論勉強嫌いのルイも理解できていないらしく、捻っていた頭を更に捻って表情も、随分と面白い物になっている。
アプリコットはフッと息をもらして、仮面を再び装着した。
それから、3人に向き直り大袈裟な礼をする。
「お坊ちゃん、お嬢さん、寓話とは教訓的な内容を擬人化した動植物などによって表した、"たとえばなし"、でございます。
そしてこのアプリコットめが祭り囃子のように音楽をつけて、歌ったものでございます。
中庭に案内する間にお聞かせいたしましょう」
「急に、どうしたんですか?!」
リリィが驚くと、"仮面の貴族"はチロっと舌を出した。
「いや、せっかく仮面つけたし道化師みたいにやってみようかな、と。
それにルイ君の気持ち私に対する申し訳ない、ってのも長期戦になりそうだし。
一旦休憩がてらに中庭に移動と寓話囃子について話そうかな?と思った次第でございます」
ルイが顔面を面白い表情から解放し、諸手を上げてアプリコットの提案に賛同した。
「休憩には賛成っす。けれど、そんなピエロというか、遜った喋り方は止めて欲しいっすけれど」
ルイの出逢ってきた貴族達は、半数は"大変高貴な態度の方々"で、3分の2はグランドールの側近としてルイの存在は無視された。
残りの3分の1は気さくな人達と言った具合で、アプリコットみたいな態度は初めてだった。
そんなわけでルイは結構動揺している。
「んー、別に遜ったつもりはないんだけどなぁ。正直今までの人生は、謙譲語使って過ごした来た時間が殆どだからね」
アプリコットが懐かしむと言った感じで口にする言葉に、リリィとルイは顔を見合わせた。
「領主様なのに、そんな言葉づかいが多かったんですか?」
リリィが代表するように、アプリコットに質問をする。
「"領主様"だからよ。とは言っても、今は代理だけれどもね」
アプリコットは簡潔に答えると、歩き始めアトはその後ろについて行く。
リリィとルイは再び顔を見合わせて、仮面を付けた貴族の後を追った。
「言葉使いもそうすっけど、代理の領主ってのもなんなんすか?。
晩餐会の時にいきなりいわれて、オレ等訳わかんなかったす。
王都で支度とかしてる時は、そんな話とか全く聞かなかった―――ですよ?」
今度はルイが移動しながら言葉遣いに注意しつつ、アプリコットに尋ねる。
「それは簡単、王都には私が正式に領主になったと報告しておいて、領民達には私が"代理"でなったと布告しただけの事だから」
仮面に隠れて、また口元しかアプリコットの顔の動きは解らない。
しかし、リリィにはとても冷たくアプリコットの言葉が耳を通り抜けて、体の芯を少し冷やした。
「王都やロブロウの領民の皆さんに、ウソを言ったって事ですか?」
リリィの言葉にアプリコットは進行を一旦止めた。結果、皆が止まる形になる。
アプリコットは頭をポリポリと掻きながら、口元だけでも"困っている"というのが解るような表情を浮かべていた。
「嘘も方便、便宜上の手段って事でね。誰もが納得する形にする為だった。
国は領主が居ない領地を認めない、現在の領民は女が正式な領主になる事を受け入れられない」
アプリコットは一度言葉を切り、仮面越しに強気な美少女の瞳を覗き込む。
リリィもアプリコットも互いに目を逸らさなかった。
アプリコットはリリィにはきっと"言い訳"にしか聞こえないだろうと思いながら、御託を並べる。
「"手頃な"ロブロウの領主が存在さえしていれば、万事がとりあえずうまい具合に進む状態だったからね。そうさせて貰っただけの事なんだよ」
リリィは気がついていなかったが、アプリコットが唱えた所論は嘗てウサギの賢者がアルスに言ったのと似たような物だった。
『誰も傷つかない嘘ならつく』
尚も何か言いそうなリリィの口を抑えるかのように、ウサギのぬいぐるみがスルリとリリィの腕から落ちた。 流石に強気な少女も、これで口を閉じた。
黙ってぬいぐるみを拾い上げようとするリリィとアプリコットの間にルイが割り込み、尋ねる。
「代理で領主になるにしても、確かアプリコット様にはお兄さんが2人いるんじゃなかったんすか?。
男であるお兄さんのどちらかが領主になれば、王都にも領民にもウソや誤魔化しみたいない事を言わなくても、良かったような気がするんですけれど」
正確に言えばリリィの方に背を向けて立ち、全面的に彼女を味方するといった形になっているというのが、ルイの立ち位置だった。
しかし、ルイのアプリコットへの視線には敵意というものは全くなく、純粋に"ロブロウ領主である貴族"への疑問に満ちていた。
「―――エリファスったら、そこまで話したのね」
アプリコットが、ぽつりと言う。
何かを吹っ切るようにフッと息を吐いて再びゆっくりとアプリコットは歩き出し、他の皆もそれに従った。
「ルイ君の云うとおり、兄達のどちらかがビネガー家を継げば何も問題もなかった。兄達もそれなりに教育を受けたし、私から見れば若くして領主になったとしても、周りのサポートとアシストがあれば出来ない仕事ではないと感じていた。
私が幼い頃みた、お祖父様と代替わりしたばかりのお父様もそうやって古参の家臣や農民に"領主"に育てて貰っていたのよ」
「"領主"に育てて貰うんですか」
リリィが歩きながらポカンとしてしまう。
「そう、でも領主になろうとしている人は赤ちゃんではないのよ。
赤ちゃんならサポートやアシストや、何より無償の愛情を受ける権利がある。
まあ権利なんて堅苦しい事言わないでも、あの可愛さには大概の人は骨抜きにされちゃうわね。ごめんなさい、話がそれた」
話がそれたが、アプリコットの弱点が赤ちゃんという事も判明した。
話を軌道修正して、再び"ロブロウの領主"についてアプリコットは語り始める。
「人に与えて貰う側なら、その与えてくれる人物に、何か与えたくなるように振る舞う努力をしければならない。
金を求めるものには金塊を。
尊敬を求めるものには敬愛の眼差し。
真摯な態度なら、真摯を超えた慕情を。
求める相手が快く差し出せるように、全身全霊で向かい合わなければならない。
そうやって、ロブロウの領主は成り立っているのよ」
「何か、領主様なのに、いよいよ本当に遜っていませんか?」
アプリコットが断言するように言うと、ルイは不可解この上ないと言った感じで、カツカツと4人分の軽い足音を背景に尋ねる。
「ルイ君、あなたは大農家グランドールの跡継ぎって噂があるのに、まだそう言った教育はされてないのかしら。
年貢を納めてくれる領民あっての領主、働いてくれる農民があっての大農家。
それぐらい考え及ばないかしら?」
アプリコットの仮面に覆われていない口元が冷ややかにグッと上がる。
リリィはアプリコットによる、ルイを急に挑発に態度に度胆を抜かれていた。
(―――ルイ?)
だが、ルイはアプリコットの横顔を無表情に眺めているに留まっていた。
「―――あら、やんちゃと聞いていたから、その短刀で斬りかかるぐらいしてくると思ったのに。残念ね」
アプリコットは冷ややかな口元を元に戻して、本当に残念そうにそう言った。
結構乱暴な事を言われたのに、気のせいかルイの表情は比較的晴れやかだった。
そして口を開く。
「今アプリコット様に斬りかかったら、農業研修が中止になるっすよ。
グランドールのオッサンに迷惑がかかりますから。それに―――」
ルイはコミカルに肩を竦めて、笑った。
「さっきのアプリコット様みたいな高慢チキな貴族の方態度の方が、オレはよっぽど慣れているんすよ。つか、オレにとっての高圧的な貴族がオレにとっての当たり前、自然なんすよ」
明るい顔でそこまで言った後、ルイの歩みが止まる。
比較的お人好しで形成されている、アプリコット、リリィ、アトの3人はそれに付き合って歩みを止めた。
「―――ルイ?」
先程からリリィの中では、予想外の反応ばかりするルイに恐る恐る語りかけた。
「わかったあああ!!」
と、とてもルイが明るく大きな声を出した。
「ちょっ、ルイ君!父上に聞こえてしまうから」
アプリコットが慌てて、ルイの口を抑えてしまう。
フガフガとルイはアプリコットから口を抑えられて、漸く落ち着いた。
少年は落ち着いたが、やはり鼻呼吸だけでは辛い。
「自分で休憩とか言ってたのにスンマセン、モヤモヤの理由が分かって興奮してしまって!」
釈明し離しながら、ルイの口元を抑えるアプリコットの右手を掴んで離す。
離す際に、掴んだアプリコットの右手が自然と視界に入り、その手が仮面の下のケロイド程激しくはないが、火傷の痕跡があるのにルイは初めて気がついた。
「わかったって私に対して、申し訳ないとか思ったって気持ちの事?」
アプリコット自身は右手の火傷の事など、微塵も気にしていない様子でルイから外された右手を戻して、自然に自分の腰に当てていた。
ルイは火傷の右手に少しばかり気を取られたが、漸くわかったモヤモヤの理由も発表したかったのも思い出して、顔を上下に振った。
「そうそう、それっす。
オレは"アプリコット様と友だち"と言われたから、迷惑をかける事が何か引っかかっていたんすよ」
「ルーとりょーしゅ様、友だちだからモヤモヤ?」
アトが珍しく顔をしかめ、そして明らかに困ったという表情を浮かべた。
その様子にリリィが気がついて、ルイの服の裾を引っ張った。
興奮して気がつかなかったがリリィに引っ張られ、ルイもアトの変調に気がついた。
アトの様子はカップの持ち方に拘った時の様子と、とてもよく似ていたのだ。
(これはアトさんの前で"アプリコットさんと友だちでない"と受け取られような話し方をしたら、絶対一悶着起こる!)
アトの言語の理解力がどれほどなのかルイは理解できてはいない。
しかし、とても感受性と観察力があるのは感じている。
そしてアトは薄々ルイがモヤモヤしたを解決した話の中で、
『アプリコットとルイは友だちではない』
と言った事を発言する事を予感して、落ち着きがなくなり始めていた。
『ルイとアプリコットは友だち』
というアトの中で築かれた、心の中の基盤が崩れたら恐らくアトは取り乱すだろうと、短い付き合いながらもルイは予見出来ていた。
(え~と"始めが肝心"。始めにアトさんに落ち着いて貰う。次にアプリコット様とリリィに説明)
ルイは自然と心の中で成すべき事を箇条書きで浮かべ、小さく息を吐いて呼吸と気持ちを整えた。
「アプリコット様。まずアトさんが落ち着かないみたいなんで、先に説明してもかまわないですか?。それからモヤモヤの理由を話します」
「どうぞ、どうぞ」
アプリコットは予想通り快諾してくれて、ルイはまだ険しい顔をしているアトと正面から向き合った。
「りょーしゅ様とルーは友だちです?友だちです?」
語尾に疑問符を付けながら、アトはルイに見つめながら尋ねる。
ルイは本当は凄く云いづらいし、思春期の真っ只中にしては恥ずかしい事この上なかったが、アトからの視線をそらさず、口を開いた。
「ルイとアプリコット様、ルーと領主様は友だちです」
アトの表情がパアアっと輝き、恥ずかしさが堪えきれなくなったルイは一度視線を逸らして下を見て、軽く咳をする。
それから緊張と恥ずかしさであがった呼吸を整える為に、今度は大きく深呼吸をした。
それから再び表情輝くルイに向き直り、
「だけど」
と言葉を続けた。
アトは不安な表情こそ浮かべないが、キョトンとした顔をする。
「ルイは―――貴族の"お仕事"の人とお友だちになるのは初めてで、とっても難しい事です。ルイは"貴族"が苦手です」
ルイの中である語彙を総動員して、理解力は5才の幼児並みとなっているアトが納得出来るように、ゆっくりと話しかけた。
アトは口を結んで、まばたきを数回する。
「ルーは貴族が苦手ですか?。アトは大きい犬さんと沢山の鳩さんが苦手です」
アトは、今度はどうやら"苦手"という言葉に拘りをもったらしい。
「あっ、はいそうです。エリファスさんがそんな感じに言ってました」
3人の中では、一番アプリコットの仮面を外した姿になれたリリィが答えた。
「え~と、じゃあ。アト、領主様は家の中では仮面はつけない方が楽チンです」
アプリコットがとりあえず、幼子を諭すようにアトにゆっくり言ってみる。
「楽チン?家の中、仮面がない方が楽チンですか?。痛くないですか?」
「家の中では仮面をつけてない方が、領主様はさっぱりしていて痛くないです」
アトに尋ねられても、アプリコットは根気よく丁寧に答える。
「あの、確かエリファスさんが最初が肝心っていってたんで、領主様の仮面の付け方を説明しておいたほうがいいんじゃないんすか」
漸くアプリコットの仮面がない状態に、慣れたルイが声をだした。
その言葉にリリィも頷く。
「さっきエリファスさんに勉強を教えて貰っていた時に、"アトさんは最初の接し方がこの後の付き合い方にスゴく影響がある"って話して貰いました。
色々あるなら、一番最初にしっかり教えたほうが良いとも仰ってました」
リリィがそうアプリコットに提案すると、先程"カップの持ち方"でアトのコミュニケーションに困ったルイなので、珍しく感慨深い様子で顔を縦に振っている。
「んー、じゃあ家の中でもお客さんがいる時は仮面をつけます、ってダメか」
リリィとルイの助言をうけ、説明をしようとしたアプリコットが言葉を切った。
「どうしてですか?」
「だって今"お客さん"のリリィちゃんとルイ君の前で、仮面とっているし」
リリィの質問にアプリコットは明快に答える。
「りょーしゅ様、違います。リリとル―はアトの"友だち"です」
ここにアトが割って入り"友だち宣言"をして、一同はポカンとする。
「へ?もしかして"るー"ってオレ?!」
ルイがアトの言葉に素っ頓狂な声をあげる。
だがアプリコットは"丁度良い"と言った感じで、アトの宣言を利用させて貰う。
「そうそう、領主様は家の中で周りが人が友だちの場合は仮面を外します」
「あの、そんな事言ったら"領主様とオレとリリィが友だち"ってアトさんの中でなっちゃうんじゃないんすか?!」
ルイは"友だち"と言う言葉に思いの他動揺している。
「うん、だから領主命令です。
"リリィ・トラッドとルイ・クローバーはロブロウ領主アプリコット・ビネガーの友だちになりなさい」
「ええ?!」
「何だ、その命令?!」
アプリコットがエッヘンと芝居がかった動作で胸を張りながら命令すると、リリィとルイは目を丸くした。
アトは状況を掴めてはいないが、リリィとルイの驚く様が楽しいらしくニコニコしている。
「誰だね、屋敷の入り口で騒がしい」
アプリコットに仰天命令などをされて、いつもは鋭いルイや、敏感なリリィも、ある人物が近寄ってきている事に全く気がつけないでいたので、今度は驚いて口を噤んだ。
「あ、父上。こちらの屋敷の中では久しぶりです」
アプリコットは何事もなかった様子で、声の聞こえてきた方角に恭しく挨拶をした。
その方向に、杖をついた初老の比較的小柄な男性が立っていた。
杖をついて前領主である"バン・ビネガー"がアプリコット達の側にやってくる。
バンは杖を使っているものの歩き方は矍鑠としていて、杖は歩行の補助具と言うよりは貴族としての装飾の意味が強いかもしれない。
「アプリコット"さん"か。そちらは今朝方ロックが言っていた、王都からのお客様のお連れさんかな?」
前領主のバンが自分の娘を"さん付け"で呼ぶことにリリィとルイは顔を見合わせた。
だが、バンに挨拶をしていない非礼も顔を合わせた瞬間に気がついて、2人は慌てて頭を下げた。
「リリィ・トラッドです。厚かましくも兄のアルス・トラッドについて参りました、お世話になる間、よろしくお願いします」
予め練習をしていた挨拶をリリィはスラスラと述べた。
「ルイ・クローバーです。今回は後見人にあたるグランドール・マクガフィン様に、無理を言って付いてきてしまいました。よろしくお願いします」
ルイもリリィと同様に丁寧な挨拶を済ませる。
バンはそつなく挨拶をすませた王都からの客人の"連れ"を眺めてから、ゆっくりと口を開いた。
「先の人攫い事件があって、王都からの方達も大変でしょう。
アプリコットさん、このお嬢さんとお坊ちゃんの保護者の方々が安心して農業研修のが出来るよう、配慮を怠らないように」
「心得ております、父上」
アプリコットの礼節を十二分に弁えた応答に、前領主はフッと目元を緩ませた。
その和らげた目元は、ケロイドに覆われてはいるがアプリコットの顔の"質"を彷彿とさせるもので、
"アプリコットは父親似"
という気持ちをリリィとルイに抱かせるには、充分なものだった。
「母上はどうなされたんです?本日はもう屋敷から不在ですか?」
少し変わった物言いでアプリコットが、自分の母の所在を尋ねると、前領主は顎を動かして妻の居場所をまず示した。
「今日はまだ中庭にいるハズだ。今朝方山から"獣"が下りてきたらしくてね、庭の様子を見ている。
しかし、獣が降りてくる時期には些か早い気もするが」
そう言うと、ほんの少しだけ訝しげに前領主様はルイの方を見つめた。
ルイの格好、主に腰に提げている短刀を見てバンには少々の色眼鏡は入っている。
"忍び込んでいない"なら慇懃無礼に悪態もつくだろうが、実際、バンの色眼鏡は的中しているのでルイにしては、珍しく愛想笑いを浮かべている。
「"獣"が出ても不思議ではないんじゃないんですか。
もう春の季節の序盤も終わりに入りました。
腹が減った獣が父上や母上お手製の、無農薬の菜園の美味しい葉物野菜を狙ったのじゃないですか。春の葉物は甘くて美味しいのは、確実な事ですから」
ルイを庇うわけではないが、アプリコットは口角をにっとあげて父親に微笑みかける。
"娘"のそんな様子を見て、バンは小さく嘆息を漏らした。
どうやら前領主殿は遠まわしにルイの事を"気に入らない"と表現して、アプリコットに忠告したつもりだった。
しかし、当のアプリコットはその意見を聞きつつも、忠告は受け入れなかった。
「母上に挨拶するなら、仮面と礼儀を忘れないようにしなさい。
挨拶がすんだらお茶ぐらい飲んでいくと良い、奥で用意しておこう」
そう言ってバンはアプリコットに背をむけて、屋敷入り口の来た通路を戻って行った。
偉く遠回しに感じられるビネガー父子のやりとりは、ここで一旦終止符がうたれる。
普通なら気がつかないやり取りだが、前領主邸に向かう前に話を聞いていたリリィとルイにはうっすらではあったが、ビネガー家の父と娘に軽い確執が残った事が分かる。
「やっぱりオレ、前領主様にお気に召さなかったみたいっすね」
前領主であるバンの姿が完全に見えなくなってから、ルイは幾分か申し訳なさそうな声を出す。
ルイ自身は前領主であるバン・ビネガーにどう見られようと、気になどしない。
"蔑むなら勝手に蔑め"
そんな心意気すらある。
ただ"アプリコットがルイを認めて受け入れている事"が仮面の領主に何かあった時に、責められる因子になったかもしれないのが、何故だか酷く申し訳なく感じてしまっていた。
「あれ?どうしたの、そんな殊勝になって。
"やんちゃ"すぎるのが、ルイ君のチャームポイントだと思っていたのに」
アプリコットはケロイドのなかでも明らかに表情が分かるくらい目を丸くしているが、リリィも同じだった。
「どこか調子悪いの、ルイ?」
結構失礼な発言を女性陣から連発されてしまったルイだが、彼自身も少し戸惑っていた。
「うん、何かさ、わかんないけど、オレが態度や格好が悪い事が領主様の―――アプリコット様の評価みたいなのが下がるのが、凄く嫌だって思えて」
ルイは癖っ毛の頭をボリボリと乱暴に掻きながらそんな事を言う。
「ん?何かそれは変じゃない?。だったらグランドール様はどうなるのよ」
リリィがウサギのぬいぐるみを抱えながら、ピシリと言う。
ルイがグランドールを尊敬し、信頼しているのをリリィは知っている。
しかし後見人で保護者となるグランドールの側にいる時でも、ルイは自由奔放でグランドールにかける迷惑など全く気にしていないようにリリィには見えた。
ルイが申し訳ないと思う相手なら、それはまずグランドールであるべきだとリリィは思ったのだ。
そう指摘されて、少年はまたボリボリと頭を掻く。
グランドールに対する気持ちとアプリコットに対する姿勢の違いを、上手く言葉に出来ないのがもどかしいらしく、中々口を開かない。
「オッサンはさ、全部受け入れてくれるっていうのかな。
"どんなクソガキでも責任もって面倒みてやるから"ってオレを引き取ってくれたから、必要以上に遠慮するのはオッサンを信頼してないみたいでさ」
何とかそこまでを口にして、再び口ごもる。
「ふんふん」
アプリコットは興味深げに、顎に手を当ててコミカルな振る舞いをつけてルイの話を聞く。
不真面目にも見えるアプリコットの聞く態度だが、ルイにとってはその方が有り難かった。
真摯に聴かれたら、必ず照れてしまう。
アトもアプリコットの真似をして、ふんふんとするのでルイはとうとう吹き出した。
吹き出した事でリラックス出来たのか、諦めたようにルイは頭を振った。
「あ~、ダメだ言葉にできないや。
でも、オレの気持ちだけ言わせて貰えば"オッサンに遠慮する事"は、オッサンに対して失礼なんだって考えてるって事!」
「遠慮が、失礼?」
リリィはルイのこの言葉が、記憶の琴線に触れた。
(ああ、そうだ賢者さまが仰っていたんだ)
『親しいのに礼儀正しすぎても"水くさい"なんて感じる人もいる。
かと言って図々しくなるのもいけない。
一緒に"暮らす"人間に対する"礼儀"が一番難しいのかもしれないねぇ』
(ルイにはルイの、グランドール様に対する礼儀があるんだね。
グランドール様は、一番難しくて、一番礼儀正しくしたい人なんだよね。
ルイの気持ちは、ウサギの賢者さまを思う、私の気持ちと同じなんだ)
リリィは勝手とわかっていながらもルイに親近感を覚えて、ニコニコと笑う。
不意に目の当たりにした想い人の極上な笑顔に、ルイは耳まで真っ赤になってしまっていた。
「おや、リリィちゃんにはルイ君が云わんとする事が伝わったみたいだね」
極上の笑みを浮かべる美少女に、アプリコットが更におどけて話しかける。
少女は笑みを苦笑に変えて、首を横に振る。
「私が何となくわかったのは、ルイがグランドール様に対しての気持ちだけです。
まだ"アプリコット様に対して申し訳ない"って気持ちをどうしてもったのかまで、わかってないです」
そう言って、ウサギのぬいぐるみを大切そうに抱えなおしてから、頬擦りをした。
ルイはウサギのぬいぐるみに頬擦りするリリィを見ると、漸く顔から赤みが引き、彼女が自分の気持ちを本当に理解出来ているのだと察した。
顔から赤い色が抜けて、平素に戻った少年は再び"ん?"と声と疑問符を表情に浮かべる。
「オッサンへの気持ちが分かったとして。
んじゃ、どうしてオレはアプリコット様の事に対して申し訳ないって感じるのかな?。
義理―――と思える程の付き合いがあるわけでもないっすし」
「ルイ!」
不遜にもとれる発言にリリィがを窘める。
「ルーとりょーしゅさまと友だちです。同じー」
今一度腕を組んで頭を捻るルイと、そのルイに向かって小言をいうリリィの動きが、ニコニコとするアトの一言で止まる。
「友だち、同じです。シーソーみたいに楽しいです」
これにはアプリコットが反応した。
「あら、アトはエリファスから私が作った寓話囃子を聞いたのかしら?」
「ぐうわばやし?」
リリィは解らないらしく、オウム返しに口に出した。
勿論勉強嫌いのルイも理解できていないらしく、捻っていた頭を更に捻って表情も、随分と面白い物になっている。
アプリコットはフッと息をもらして、仮面を再び装着した。
それから、3人に向き直り大袈裟な礼をする。
「お坊ちゃん、お嬢さん、寓話とは教訓的な内容を擬人化した動植物などによって表した、"たとえばなし"、でございます。
そしてこのアプリコットめが祭り囃子のように音楽をつけて、歌ったものでございます。中庭に案内する間にお聞かせいたしましょう」
「急に、どうしたんですか?!」
リリィが驚くと、"仮面の貴族"はチロっと舌を出した。
「いや、せっかく仮面つけたし道化師みたいにやってみようかな、と。
それにルイ君の気持ち私に対する申し訳ない、ってのも長期戦になりそうだし。
一旦休憩がてらに中庭に移動と寓話囃子について話そうかな?と思った次第でございます」
ルイが顔面を面白い表情から解放し、諸手を上げてアプリコットの提案に賛同した。
「休憩には賛成っす。けれど、そんなピエロというか、遜った喋り方は止めて欲しいっすけれど」
ルイの出逢ってきた貴族達は、半数は"大変高貴な態度の方々"で、3分の2はグランドールの側近としてルイの存在は無視された。
残りの3分の1は気さくな人達と言った具合で、アプリコットみたいな態度は初めてだった。
そんなわけでルイは結構動揺している。
「んー、別に遜ったつもりはないんだけどなぁ。正直今までの人生は、謙譲語使って過ごした来た時間が殆どだからね」
アプリコットが懐かしむと言った感じで口にする言葉に、リリィとルイは顔を見合わせた。
「領主様なのに、そんな言葉づかいが多かったんですか?」
リリィが代表するように、アプリコットに質問をする。
「"領主様"だからよ。とは言っても、今は代理だけれどもね」
アプリコットは簡潔に答えると、歩き始めアトはその後ろについて行く。
リリィとルイは再び顔を見合わせて、仮面を付けた貴族の後を追った。
「言葉使いもそうすっけど、代理の領主ってのもなんなんすか?。
晩餐会の時にいきなりいわれて、オレ等訳わかんなかったす。
王都で支度とかしてる時は、そんな話とか全く聞かなかった―――ですよ?」
今度はルイが移動しながら言葉遣いに注意しつつ、アプリコットに尋ねる。
「それは簡単、王都には私が正式に領主になったと報告しておいて、領民達には私が"代理"でなったと布告しただけの事だから」
仮面に隠れて、また口元しかアプリコットの顔の動きは解らない。
しかし、リリィにはとても冷たくアプリコットの言葉が耳を通り抜けて、体の芯を少し冷やした。
「王都やロブロウの領民の皆さんに、ウソを言ったって事ですか?」
リリィの言葉にアプリコットは進行を一旦止めた。
結果、皆が止まる形になる。
アプリコットは頭をポリポリと掻きながら、口元だけでも"困っている"というのが解るような表情を浮かべていた。
「嘘も方便、便宜上の手段って事でね。誰もが納得する形にする為だった。
国は領主が居ない領地を認めない、現在の領民は女が正式な領主になる事を受け入れられない」
アプリコットは一度言葉を切り、仮面越しに強気な美少女の瞳を覗き込む。
リリィもアプリコットも互いに目を逸らさなかった。
アプリコットはリリィにはきっと"言い訳"にしか聞こえないだろうと思いながら、御託を並べる。
「"手頃な"ロブロウの領主が存在さえしていれば、万事がとりあえずうまい具合に進む状態だったからね。そうさせて貰っただけの事なんだよ」
リリィは気がついていなかったが、アプリコットが唱えた所論は嘗てウサギの賢者がアルスに言ったのと似たような物だった。
『誰も傷つかない嘘ならつく』
尚も何か言いそうなリリィの口を抑えるかのように、ウサギのぬいぐるみがスルリとリリィの腕から落ちた。
流石に強気な少女も、これで口を閉じた。黙ってぬいぐるみを拾い上げようとするリリィとアプリコットの間にルイが割り込み、尋ねる。
「代理で領主になるにしても、確かアプリコット様にはお兄さんが2人いるんじゃなかったんすか?。
男であるお兄さんのどちらかが領主になれば、王都にも領民にもウソや誤魔化しみたいない事を言わなくても、良かったような気がするんですけれど」
正確に言えばリリィの方に背を向けて立ち、全面的に彼女を味方するといった形になっているというのが、ルイの立ち位置だった。
しかし、ルイのアプリコットへの視線には敵意というものは全くなく、純粋に"ロブロウ領主である貴族"への疑問に満ちていた。
「―――エリファスったら、そこまで話したのね」
アプリコットが、ぽつりと言う。
何かを吹っ切るようにフッと息を吐いて再びゆっくりとアプリコットは歩き出し、他の皆もそれに従った。
「ルイ君の云うとおり、兄達のどちらかがビネガー家を継げば何も問題もなかった。
兄達もそれなりに教育を受けたし、私から見れば若くして領主になったとしても、周りのサポートとアシストがあれば出来ない仕事ではないと感じていた。
私が幼い頃みた、お祖父様と代替わりしたばかりのお父様もそうやって古参の家臣や農民に"領主"に育てて貰っていたのよ」
「"領主"に育てて貰うんですか」
リリィが歩きながらポカンとしてしまう。
「そう、でも領主になろうとしている人は赤ちゃんではないのよ。
赤ちゃんならサポートやアシストや、何より無償の愛情を受ける権利がある。
まあ権利なんて堅苦しい事言わないでも、あの可愛さには大概の人は骨抜きにされちゃうわね。ごめんなさい、話がそれた」
話がそれたが、アプリコットの弱点が赤ちゃんという事も判明した。
話を軌道修正して、再び"ロブロウの領主"についてアプリコットは語り始める。
「人に与えて貰う側なら、その与えてくれる人物に、何か与えたくなるように振舞う努力をしければならない。
金を求めるものには金塊を。
尊敬を求めるものには敬愛の眼差し。
真摯な態度なら、真摯を超えた慕情を。
求める相手が快く差し出せるように、全身全霊で向かい合わなければならない。
そうやって、ロブロウの領主は成り立っているのよ」
「何か、領主様なのに、いよいよ本当に遜っていませんか?」
アプリコットが断言するように言うと、ルイは不可解この上ないと言った感じで、カツカツと4人分の軽い足音を背景に尋ねる。
「ルイ君、あなたは大農家グランドールの跡継ぎって噂があるのに、まだそう言った教育はされてないのかしら。
年貢を納めてくれる領民あっての領主、働いてくれる農民があっての大農家。
それぐらい考え及ばないかしら?」
アプリコットの仮面に覆われていない口元が冷ややかにグッと上がる。
リリィはアプリコットによる、ルイを急に挑発に態度に度胆を抜かれていた。
(―――ルイ?)
だが、ルイはアプリコットの横顔を無表情に眺めているに留まっていた。
「―――あら、やんちゃと聞いていたから、その短刀で斬りかかるぐらいしてくると思ったのに。残念ね」
アプリコットは冷ややかな口元を元に戻して、本当に残念そうにそう言った。
結構乱暴な事を言われたのに、気のせいかルイの表情は比較的晴れやかだった。
そして口を開く。
「今アプリコット様に斬りかかったら、農業研修が中止になるっすよ。
グランドールのオッサンに迷惑がかかりますから。それに―――」
ルイはコミカルに肩を竦めて、笑った。
「さっきのアプリコット様みたいな高慢チキな貴族の方態度の方が、オレはよっぽど慣れているんすよ。
つか、オレにとっての高圧的な貴族がオレにとっての当たり前、自然なんすよ」
明るい顔でそこまで言った後、ルイの歩みが止まる。
比較的お人好しで形成されている、アプリコット、リリィ、アトの3人はそれに付き合って歩みを止めた。
「―――ルイ?」
先程からリリィの中では、予想外の反応ばかりするルイに恐る恐る語りかけた。
「わかったあああ!!」
と、とてもルイが明るく大きな声を出した。
「ちょっ、ルイ君!父上に聞こえてしまうから」
アプリコットが慌てて、ルイの口を抑えてしまう。
フガフガとルイはアプリコットから口を抑えられて、漸く落ち着いた。
少年は落ち着いたが、やはり鼻呼吸だけでは辛い。
「自分で休憩とか言ってたのにスンマセン、モヤモヤの理由が分かって興奮してしまって!」
釈明し離しながら、ルイの口元を抑えるアプリコットの右手を掴んで離す。
離す際に、掴んだアプリコットの右手が自然と視界に入り、その手が仮面の下のケロイド程激しくはないが、火傷の痕跡があるのにルイは初めて気がついた。
「わかったって私に対して、申し訳ないとか思ったって気持ちの事?」
アプリコット自身は右手の火傷の事など、微塵も気にしていない様子でルイから外された右手を戻して、自然に自分の腰に当てていた。
ルイは火傷の右手に少しばかり気を取られたが、漸くわかったモヤモヤの理由も発表したかったのも思い出して、顔を上下に振った。
「そうそう、それっす。オレは"アプリコット様と友だち"と言われたから、迷惑をかける事が何か引っかかっていたんすよ」
「ルーとりょーしゅ様、友だちだからモヤモヤ?」
アトが珍しく顔をしかめ、そして明らかに困ったという表情を浮かべた。
その様子にリリィが気がついて、ルイの服の裾を引っ張った。
興奮して気がつかなかったがリリィに引っ張られ、ルイもアトの変調に気がついた。
アトの様子はカップの持ち方に拘った時の様子と、とてもよく似ていたのだ。
(これはアトさんの前で"アプリコットさんと友だちでない"と受け取られような話し方をしたら、絶対一悶着起こる!)
アトの言語の理解力がどれほどなのかルイは理解できてはいない。しかし、とても感受性と観察力があるのは感じている。そしてアトは薄々ルイがモヤモヤしたを解決した話の中で、
『アプリコットとルイは友だちではない』
と言った事を発言する事を予感して、落ち着きがなくなり始めていた。
『ルイとアプリコットは友だち』
というアトの中で築かれた、心の中の基盤が崩れたら恐らくアトは取り乱すだろうと、短い付き合いながらもルイは予見出来ていた。
(え~と"始めが肝心"。始めにアトさんに落ち着いて貰う。次にアプリコット様とリリィに説明)
ルイは自然と心の中で成すべき事を箇条書きで浮かべ、小さく息を吐いて呼吸と気持ちを整えた。
「アプリコット様。まずアトさんが落ち着かないみたいなんで、先に説明してもかまわないですか?。
それからモヤモヤの理由を話します」
「どうぞ、どうぞ」
アプリコットは予想通り快諾してくれて、ルイはまだ険しい顔をしているアトと正面から向き合った。
「りょーしゅ様とルーは友だちです?友だちです?」
語尾に疑問符を付けながら、アトはルイに見つめながら尋ねる。
ルイは本当は凄く云いづらいし、思春期の真っ只中にしては恥ずかしい事この上なかったが、アトからの視線をそらさず、口を開いた。
「ルイとアプリコット様、ルーと領主様は友だちです」
アトの表情がパアアっと輝き、恥ずかしさが堪えきれなくなったルイは一度視線を逸らして下を見て、軽く咳をする。
それから緊張と恥ずかしさであがった呼吸を整える為に、今度は大きく深呼吸をした。
それから再び表情輝くルイに向き直り、
「だけど」
と言葉を続けた。
アトは不安な表情こそ浮かべないが、キョトンとした顔をする。
「ルイは―――貴族の"お仕事"の人とお友だちになるのは初めてで、とっても難しい事です。ルイは"貴族"が苦手です」
ルイの中である語彙を総動員して、理解力は5才の幼児並みとなっているアトが納得出来るように、ゆっくりと話しかけた。
アトは口を結んで、まばたきを数回する。
「ルーは貴族が苦手ですか?。アトは大きい犬さんと沢山の鳩さんが苦手です」
アトは、今度はどうやら"苦手"という言葉に拘りをもったらしい。
しかし、ルイにしてみれば「苦手」という言葉が通じただけでも御の字らしく、ホッとした顔をする。
ルイとアトのコミュニケーションをアプリコットは興味深げに、リリィは心配そうに眺めている。
"ホッ"とした表情を軽く引き締め、ルイはアトに続けて話しかける。
「アトさんは"苦手な"大きい犬さんと友だちになれますか?」
アトは一瞬の内に口を歪ませて、幼子が泣きそうな表情を浮かべ、首を激しく左右に振った。
「アト、大きい犬さん苦手です。友だちになる、とっても大変です。鳩さんは逃げてくれます」
「そうなんだ。で、ルーは貴族が"苦手"です。貴族の領主様と友だちになる、とっても大変です」
アトの使った言葉をルイは重ねて使って、納得を試みる。
"アトさんが苦手なものと友だちになるのが難しいように、ルイも苦手なものと友だちになるのが難しい"
これが伝わるように。
「―――ルー、貴族が苦手わかりました」
そしてアトからこの言葉が出た時、ルイとリリィは笑顔で顔を見合わせる。
(アトさんに、気持ちが通じた!)
たったそれだけとも言えるかもしれないが、ルイてリリィにはとても嬉しいものだった。
午前中にあったカップの話は、どうやら少年少女に小さなトゲを残していた様子で、アトと気持ちを通じ合えたのは自分達の成長を確かめられる出来事だった。
「苦手と友だちになるの、大変です。貴族のりょーしゅ様と友だち、がんばってください!」
アトが無邪気な笑顔でガッツポーズをすると
「はい、頑張ります!」
と、ルイも思わずガッツポーズをやってしまっていた。
「―――クッ」
そこでアプリコットが、我慢できずにといった形で、"笑った"。
ルイはガッツポーズをしたまま、恥ずかしさのあまり固まってしまい、リリィはアプリコットを強気な瞳で睨む。
「どうして、笑うんですか!?」
先程はウサギの賢者に止められる形になったが、実際にはまだアプリコットへの不満が燻っていたので噛みつくような形で、リリィは言う。
「ごめん、ごめん。別にからかうとか、馬鹿にする意味で笑ったんじゃないのよ。
なんていうのかな、微笑ましいのが爆発的に集まって体内に止められなかった感じ?」
大人の余裕なのかどうかわからないが、アプリコットはリリィに攻撃的に言われても、サラリとかわしてしまった。
「―――でも、馬鹿にされたみたいに感じました」
笑った理由を説明をされたのに、どうしてだかリリィの鼻の奥が痛い。
少女から、涙が出そうになっていたその時、屋敷内の空気が動き、"ガッ"と音がする。
「―――今、涙をこぼしたら、ルイ君の努力が無駄になるよ?」
そんな事を言うアプリコットは、俊敏なが売りであるルイの動きを超え、彼の背後に周り抜刀を直前で見事に抑えこんでいた。
実際には、リリィが鼻の奥が痛み涙腺が刺激された瞬間、ルイは抜刀をしようとしていた。
アプリコットはそれを事前察知し、彼の背後に回り込み、曲棟の柄に手をかけたルイの手元を抑えこんでいたのだった。
「―――ルイ君も、ここで短刀抜いたらそれこそ農業研修打ち切りで、領主に楯突いたとかで"処断"されてしまうよ?」
今度はルイの手元を押さえ込んだまま、後ろから耳元に囁き、諭すようにアプリコットが言う。
しかしルイの短刀を抜こうとする力は治まらず、アプリコットは抑え込みの力を抜くことが出来ず、互いに身動きとれない。
(やれやれ、我慢してでも笑うのを控えるべきだったかな?)
ルイとの抜刀する・させない力を拮抗させながらアプリコットが考えていると、
「ルイ、止めて!」
リリィからの静止の声で、漸くルイの力が抜ける。
アプリコットは安堵して、ルイの抑える体を解放した。
少年は興奮しているのか、肩で息をしていて落ち着くまで時間がかかりそうだった。
「―――悪気がないにしても、笑って本当に悪かった。
ごめんなさい」
そんな中、アプリコットがまず謝罪をし、それにはリリィが頭を横に振る。
「私も、どうしてだかわからないんですけど、急に涙がでやすいっていうんでしょうか。気持ちが落ち着かなくて、すみません」
と目尻を抑えて少しだけ出た涙を拭う。
アトが心配そうに覗き込むのには、笑顔を返せるぐらいの余裕はリリィには戻った。
「やっぱり体調の所為かもしれないね。
月経の時に感情の起伏が激しくなってしまったり、イライラしやすくなる事があるから」
アプリコットが"一応"先輩として言って、少女の涙の為に少々常軌を逸した行動をとった少年を眺めた。
「気持ちは落ち着いた?」
「あ、オレ、スミマセン」
ルイにしては歯切れの悪い物言いで、両手を額に当てている。
"自分でも、どうしてあんな行動をとったのか、理由もわからない"
そんなルイの気持ちを如実に現した姿だった。
「リリィの目に涙が溜まるのがわかった瞬間に、頭がカーってして―――」
ポツリポツリとルイが言葉を漏らす。
「今までこういった事は?」
アプリコットが淡々と尋ねると、ルイは小さく頭を横に振った。
「申し訳ないが、この出来事はマクガフィン殿と王都に報告させてもらう」
アプリコットは至極残念そうな顔をして、来賓の連れの子ども達に告げた。
ルイは微動だにしないが、リリィの顔からは血の気が引いていた。
「あの、ルイは処罰されてしまうのですか?」
リリィが震える声で尋ねた。
仮面の貴族は口元だけを動かして、冷徹に応える。
「処罰はしないつもりだけれど、"抜刀"直前までいったからね。
ただ一応の"決着"はつけなければ、これからのロブロウの在り方を問われる問題になりかねないから。
これは外交を担う領主としての判断。
ルイ君には我が領地で医者にかかり、検査を受けて貰います」
「―――わかりました」
力ないルイの声に、場が一様に暗くなった。
『シーソーの領主様♪どうぞわたしをあなたの端に乗せて、悲しい気持ちをもちあげて♪』
不意にアトが歌い出す。
「シーソーの領主様♪
どうぞわたしをあなたの端に乗せて、この高ぶる気持ちをお下げになって♪」
アトが滑らかに言葉を発するのを、初めて見たリリィとルイは今までの出来事も忘れて、言葉を失い眺める。
アプリコットの口は堅く結ばれ、やはり仮面の下の感情は読めない。
アトは周りを気にしている様子はなく、歌い続ける。
「シーソーの領主様♪
どうぞ、あなたというシーソーに民の心と命を乗せてくださいな♪
シーソーは上がりも下がりもするけれど♪
決して心も命も落としはしない♪
素敵な優しい領主様♪
あなたがシーソーの領主様だから♪」
そこまで歌い終わって、アトは薄く微笑んだ。
「アトさんが、普通に喋った―――?」
リリィがポカンとしたまま、驚きの言葉をそのまま口にだした。
「喋ったんじゃない、"歌った"のよ」
アプリコットがリリィの言葉を訂正する。
「そして、この寓話囃子の正しい使い方。出来てしまった罪を何とかして減らして貰うように歎願・哀願する時に、領主様に媚びを売るために作られた、愚かな幼い歌。反面、怒りに満たされた心を沈めてくださいって、優しい歌でもあるとも聞いているけれど、真相はどちらかしらね」
「え、じゃあアトさんが歌ったのって、それってオレの為ですか?」
説明を聞いて、ルイが驚きの表情を浮かべ、アプリコットはゆっくりと肯づいた。
「だって"友だち"なんでしょう?」
「はい、ルーとアトは"友だち"です」
アトがいつもの口調に戻り、ニッコリと笑って、周りにいる3人を眺めた。
ルイは嬉しくも痒いような、リリィは何だか救われたような気持ちでアトを見つめる。
「アトにとっては、友だちは助けて当たり前なんじゃないかな。
ルイ君がやった事への重大さを、アトはわかっていないだろうけれど」
最後の方の多少粘着気味に感じるアプリコットの嫌みに、リリィもルイも反省をしつつも少し辟易とした感じ視線を送った。
「りょーしゅさま、しつこい悪口いけません。友だち嫌がります、"メッ!"」
アトがまるで幼子を叱るように、アプリコットに向かって諫言を吐く。
「そうだな、粘っこくは私が嫌いな事だったわね。ルイ君すまなかった。
まあ、検査は嫌みとかではなく本当に受けた方がいい。これまでにない事なんだろう?」
アプリコットが再確認すると、ルイは今度は明確に頷いた。
「本当に気持ちがカーッとしてしまって。アプリコットさんが手を抑えてくれた時に初めて、自分が曲刀を抜こうとした事に気がついたぐらいです」
「気がついたなら、力が抜けなかったのか?。私が抑えたまま、ルイ君は曲刀の柄を掴みつづけて、力が抜けていなかったが?」
アプリコットの言葉にルイは顔を歪める。
「情けないし認めたくないけれど、気がついても無理でした。何か、もう一個の強烈な自分があって」
「もう一個の自分?」
アプリコットはルイの説明の言葉に反応して、唯一見える口元も片手で覆って考え込む。
「調べてからでないと、埒があかないか」
一言そういって、アプリコットがまた中庭に向かって歩き出した。
暗い顔のリリィ、ルイ、ふんわりとした感じのアトがそれに続く。
「リリィちゃんにルイ君、
報告は仕方がない事にしても、悪いようにはしないから安心しなさい」
中庭に向かいながら明朗に言うアプリコットの言葉に、リリィとルイは大人しく頷いた。
それを確認すると、アプリコットは口角をニィっとあげて口調を新たに喋り始める。
「さて、本当に急いで中庭に着かないとね。母上が、どこかにおでかけになるかもしれないわ」
アプリコットが歩調を早めたので、リリィが尋ねた。
「アプリコット様のお母様は、今日何か御用事でもあるんですか?」
「用事なんてないよ。"母上はこの館"が嫌いなだけ。そして、"私の顔"もね」
顔が嫌いというアプリコットの発言で、リリィの歩みがピタリと止まった。
『お母さまは、私の顔が憎いの』
アルスが夢の中で聞いたという幼女の言葉と、アプリコットが今発言した内容がとても似ていると感じた。
「あら?リリィちゃん、どうしたの?」
歩みを止めた少女に、アプリコットが語りかける。
リリィはそれに意を決した表情で、発言する。
「あの、とても失礼な事をお尋ねしますがいいですか?。
どうしてアプリコット様の顔が、アプリコット様のお母様は嫌いなんですか?」
アプリコットが質問を受ける許可を答える間もなく、リリィはかなり際疾い質問をした。
「ああ、それは私の顔――――とは言っても、このケロイドに覆われるまで、この顔とそっくりだった人を理由に、血縁らしい人達が、色々煩く母上は言われてきたきたらしいから」
サラッとアプリコットが答えた。
あっけらかんと、拍子抜けが合わさったような空気が場を包む。
「は?何でアプリコット様の顔が、アプリコット様のお母様を苛めた奴の顔に似るんすか?」
まずルイが疑問の声をあげた。
アトも不思議そうに首を捻る。
これは男女の考え方と脳内の仕組みの差なのか、それとも竹を割ったようなルイの性格の上の為なのか。
アプリコットの"元の顔"が、アプリコットの母堂を苛めた人物に繋がるカラクリが、昨日エリファスから話を聞いたわりに、ルイは思いつかないらしい。
一方まだ子どもではあるが、王都でマーガレットの店や市場でそれなりに人生の"先輩"である女性陣の話を聞いていたリリィには直ぐに話がわかったが、(あまり口に出すべきことでもないかな)と考えて黙っていた。
ただそれでもリリィには、不思議な事がある。
アプリコットが答えた内容は、見方や受け取り方で色んな憶測を産むものだった。
アルスが夢の中で幼女が言っていたという
『お母さまは、私の顔が憎いの』
という発言には、アプリコットの"答え"が、かなりしっくりくる。
確かに自分を苛めた顔が、自分の娘と似ていたら愛憎はかなり複雑なものになると、11才のリリィでも簡単に考えが及ぶ。
けれど、白昼夢にアルスが出逢ったという幼女は
"お母さまに憎まれている"
という事に大変心を痛めているが、アプリコットに関して言えば
"顔が嫌われている事に傷ついている"
という様子は、リリィの見る限り微塵もない。
もしもアプリコットが複雑そうに言葉を濁しながら、先程の言葉を口にしたなら
"幼女=アプリコット"
と、リリィは素直に考えていた。
アプリコットはルイの反応が気に入ったらしく、笑ってはまた歩き出した。
「まっ、簡単に言ったら私の顔が初代ロブロウ領主・ピーン・ビネガーの奥方で、私の父の母親であり、私の祖母になるカリン・ビネガーにそっくりだったって事かな。何なら後で見てみる?。元の私の顔と似ているらしいお祖母様と、お祖父様の肖像画」
アプリコットにそんな話をふられて、ルイはリリィに判断を委ねるように尋ねる。
「あ~、え~っと、どうするリリィ?」
ただ少しだけ"乗り気ではない"というニュアンスをルイは含ませた言い方になる。
「私は見てみたいかも。ルイは見たくないの?」
ほんのりとしたルイのニュアンスに気づきながらも、リリィはそう答えていた。
ルイには悪いが、肖像画を見る事はウサギの賢者の"仕事"に役立つと、リリィは考える。
だが一方のルイもルイで、リリィを心配した上での、肖像画が見ないように仄めかしてもいた。
多分アプリコットが見せると言っている肖像画は、今朝ルイが1人で旧領主邸に忍び込んだ際に目撃してしまったものだと思われる。
(あの肖像画、何か変だったもんな)
日が昇る前の闇の中、蝋燭の灯火の中に浮かび上がった肖像画を見た瞬間、心にかけられた呪縛のような現象にルイはかなり凹まされた。
(―――あれ、待てよ)
凹まされた事を思い出したついでにと言ってはなんだが、肖像画を目撃した瞬間を思い出す。
―――あの肖像画を照らす為の燭台を、持っていた人物がいた。
(じゃあ、肖像画に向かって何か言っていた人がアプリコット様の"母親"か)
「―――沈黙は賛同と見做します。
じゃ、母上にあった後に肖像画を見ることを決定~」
「いっ?!」
アプリコットの宣言で、今まで結構な時間自分が黙っていた事をルイは自覚する。
すぐさま反論しようともおもったが、リリィは肖像画を見るつもりで気持ちが決まっているのが、ぬいぐるみをギュウと抱きしめる姿で察せられる。
少年は、仕方なく肖像画を再び見る覚悟をした。
(とりあえず、リリィが肖像画を見る前には一度、変な雰囲気に凹まされた事を話しておこう)
ルイがそんな決意をすると、一行は大きな扉の前に到着した。
「なんやかんやとありましたが、ここが中庭に繋がる扉でーす」
アプリコットが説明しながら、手慣れた手付きで扉の閂を外した。
扉が開き、明るい日差しが差し込むと同時に土と草花の匂いを感じる事が出来る。
その匂いは、鎮守の森にあるウサギの賢者の魔法屋敷の庭をリリィに思い出させる。
更に領主の中庭と言っても、一部は菜園となっているので益々リリィは魔法屋敷を思い出してしまっていた。
(お野菜、大丈夫かな)
リリィは菜園の方に目をとられていると、
「母上は――、あ、いらっしゃった。母上~」
アプリコットは自分の母親を、水くみ場である噴水の場所にいるのを見つけた。
一行に軽く断りを入れてから側を離れ、小走りに母親の方に向かった。
「―――あれ?」
ルイがアプリコットが向かった先にいる、前領主夫人を見て違和感を覚える。
「どしました、ルー?」
アトが目敏くルイの変化に気が付いて、尋ねる。
「え?いや、その」
ルイはアトにそういった事を気づかれ、尋ねられるとは考えてもいなかったのでかなり驚いた。
菜園に夢中になっていたリリィも、アトの声で気が付いて動揺しているルイを見詰める。
ルイの動揺する様子で、些細な事なのかもしれないが何かがある事にリリィは分かる。
そして単純明快なルイが内容を口に出さないという事は、
『今の状況では喋れない・喋るべき内容ではない・おもいっきり失礼な事を考えてしまった』
というリリィによるルイの"喋れない"理由がポンポンと浮かんできたので、とりあえず、アトが"ルイの動揺"にこだわりを持たないように、話を逸らす事にした。
「アトさんは、領主様のお母様に会った事があるんですか?」
リリィなりに無難と思える質問をしてみると、アトはあっさりと質問の方に興味を移してくれた。ニコニコとしながら、激しく頭を上下に振って肯定する。
「はい、今日の朝、とっても早い時間にロックさんと一緒に会いました。
りょーしゅ様のお母さんは、大奥様とアトは呼びなさいと教えて貰いました」
「あっ、それいいね!。私もお許しがとれたら、領主様のお母様の事は"大奥様"と呼ばせて貰おうかしら」
実際、どういう風に呼びかければ分からなかったリリィには、アトからの情報は有り難い。
「―――ねえ、ルイも」
と、リリィがルイの方を見るとまだ軽く動揺しているのが見て取れて、アプリコットの後ろ姿を見つめている。
(―――あ、違う。ルイが見てるのは、"大奥様"だ)
早速アトから教えて貰った言葉で、ルイが動揺しながら見詰める人物を、リリィも見る。
アプリコットの後ろ姿がちょうど重なって、顔は見えないが体つきは標準的な人物に見えが、背は娘より高い。
この場合はアプリコットが小柄なのも、関係あるかもしれない。
服装は日除けの為だろう、鍔の広い大きな白い帽子を被っているのと、それに合わせと思われる白い手袋。
シックな大人しいデザインのドレスを身に着けているように、リリィは見えた。
これといって変哲もない、大人しめの貴婦人にしか見えず、どうしてルイが"大奥様"を凝視しているのかが分からなかった。
「なぁリリィ。"全く同じ顔のハズなのに、全く中身が違う人"なんて会ったことあるか?」
「え、何それ?」
唐突に尋ねられてリリィは言葉に詰まった。
だがルイが言った"全く同じ顔のハズなのに、全く中身が違う人"については、魔術に縁があるリリィにはあまり不思議な事には、感じられない。
ルイはまだ考え事をしながら大奥様を見つめているが、リリィは一応律儀に答え事にする。
「私はそういった人に会った事はないよ。でも魔法を使えるなら、そういうのはあっても少しも不思議じゃないと思う」
リリィが"魔法"という単語を出すと、ピクリとルイが反応してリリィの方を見た。
「魔法を使っていたなら、そんな感じになるのか?」
ルイがいつになく、真面目な顔と精悍な瞳で尋ねてくるのでリリィは少しだけドキリとする。
普段なら照れる仕草をリリィが見せようものならば、全力投球でからかうルイだが、今回はそういったものが全く感じられない。
リリィはルイが未だに動揺し、何かを"心配"しているのに漸く気が付いた。
ルイの不安を取り除けるかどうか分からないが、前にウサギの賢者やリコにライと、魔法に秀でている1匹と2人が話していた内容をかいつまんで、声を小さくして話してみる。
「私にはまだ出来ないけれど、魔法の変身はわかる人には、特に魔法に携わっている人なら、簡単にわかるんだって。
魔法で変装してもいても、それがわかる人には"魔法で変装してるんだ"
ってあっさりばれるし、凄い人なら元の姿がまで見えるって―――あ」
リリィがある事に気が付いた直後に、ルイも気が付いた。
凄い人ではないが、恐らく"凄い1匹"がリリィの腕の中にいる。
「リリィ、ちょっと借りるな」
「あっ、ルイ!」
乱暴ではないが、パッとリリィの腕の中にいるウサギのぬいぐるみを掠めとり、ルイなりに丁重に抱えて"大奥様"がウサギの賢者の視界に入るようにする。
「あとで教えてくださいよ」
ぬいぐるみに扮する、長い賢者の耳元で呟くと、リリィが抱きつくような形で奪取に来たので、そこはルイには"嬉しい誤算"であった。
「ルイ!ウサギのけ…ぬいぐるみは大事に扱わないと、ルイとは一生口を聞かないんだから!」
ポカポカと顔面やら肩をリリィにグーで叩かれるが、グランドールからの拳骨に慣れているルイには猫にパンチされているぐらいのものである。
「ルー、リリにウサギさんを返してあげてください。ウサギさん、リリの大切です」
"ウサギのぬいぐるみ"の扱い方に対し、アトにも注意を言われる始末なので、自分なりに丁重に扱っているつもりのルイは言葉を返した。
「大切に扱ってるって!オレなりに!。あ、こっちに気がつかれた」
流石に騒ぎすぎたと気が付いたルイとリリィは、気まずそうに顔を合わせた。
アプリコットと前領主夫人が、こちらを見つめているのがわかる。
("大奥様"こちらにいらっしゃったら、騒いだ事を謝らなきゃ)
リリィがそんな事を考えていると、前領主夫人は遠目でもわかるくらい顔を微笑みの表情で埋めてから、待っている3人にまずお辞儀をした。
慌ててリリィとルイも挨拶を返す為に頭を下げ、上げた時―――
その視界には後ろ姿の前領主夫人と、それを見送るアプリコットが入ってきてリリィとルイは固まった。
「大奥様、おでかけしました」
アトが代表するような形で、現状を説明してくれるがリリィとルイは固まったままである。
(騒ぎすぎてご機嫌をそこねたのかしら)
(何だ、あの大奥様も前領主様と同じで、オレみたいなタイプは嫌いなのか?)
後ろ姿の"大奥様"が見えなくなり、漸く強張りが解けてきた2人が、そんな事を考えているとアプリコットが戻ってくる。
「ごめんなさいね、リリィちゃんにルイ君。母上はこの後用事が入っているらしいから、失礼するって」
仮面をつけていても、苦笑しているのが分かる口でアプリコットが経緯を説明する。
機嫌を損ねた訳ではないとわかって、リリィとルイは"ホッ"と息を漏らした。
「あっ、いえ良かったっす。オレがまた騒ぎ過ぎたかな~って、思っていましたから」
ルイがウサギのぬいぐるみを、掴んでいない方の手で頭を掻いた。
「あれ、珍しい。ルイ君がぬいぐるみ持ってるの?」
「―――そうだ!、ルイ!ぬいぐるみ、何て持ち方してるのよ!」
アプリコットが言うやいなや、リリィが素早く取り返した。
「何かウサギのぬいぐるみで盛り上がっていたみたいだけれど、そのぬいぐるみがどうかしたの?」
アプリコットは尚も、ウサギのぬいぐるみに興味を持っているようなので、リリィとルイは目配せをして互いに誤魔化す方法を必死に考えていた。
「あ~、そうだ!。アトさんから前領主夫人、アプリコット様のお母様の事を"大奥様"って呼ぶって話を聞きました。私も"大奥様"って呼んでも良いですか?」
アプリコットの質問には答えず、突然思いついたと言わんばかりに、リリィが口早に尋ねた。
「え?ああ、うん。母上もそれで構わないとは思うけれど」
アプリコットが唐突なリリィの質問にに、戸惑い驚きながらも、素直に答えてた。
そんな驚いたアプリコットに息つく間もなく、今度はルイが質問を発する。
「あ~、そう言えば前領主様がお茶を用意しているとも仰ってましたよね?。
待たせたら、オレ、今以上に印象悪くなってしまいますから、そろそろ行きませんか?」
「ああ、そんな事を父上が仰っていたね。せっかく用意してくれたものを無碍にするのは、確かに失礼だし」
アプリコットもルイに言われて思い出したといった感じで、口元に手を当てこれからの予定を練り直し始めた。
(もう一押しで、"ぬいぐるみ"に関しては有耶無耶にできそうだな)
ルイが表情に出さずに、心の中で息をつく。
どちらかといえば、今日は失敗ばかりしているルイなので、ウサギの賢者の事までバレるという失体は何としても避けた。
「それに肖像画も、見せてくださるんですよね」
だが、リリィの言葉でホッとした気持ちが、また胸を締め付けるような、苦しい気持ちになる。
しかし、ルイは苦しい気持ちにまでなるのが功をそうした。
アプリコットから"ウサギのぬいぐるみ"から興味を逸らさせるには十分な効果を、リリィの一言は発揮させているようだった。
「そうだった、そうだった。肖像画も見せる約束もしていたよね。
じゃあ、腹が膨らんでから動くのも面倒くさいから、サクッと肖像画が見てからお茶にしよう」
口角をニィッとあげてアプリコットが、リリィの提案を受け入れる。
肖像画に苦手意識を持っているルイにとっては、ウサギのぬいぐるみは誤魔化せたが、嫌な絵と向き合う羽目という、痛み分けのような始末となった。
(何かわかんないけど、アプリコット様は肖像画を俺たちに見せたいのかな?)
ルイの気のせいかもしれないが、アプリコットは肖像画の件に関しては積極的な感じを受ける。
「よし、そうと決まれば"善は急げっ"てね」
アプリコットが意気揚々と、再び屋敷の中へと向かおうとするのをリリィが声をかけて止めた。
「あの、アプリコット様。もう少し中庭を拝見させてもらってはいけませんか?。
せっかく中庭にきたので、私、少しゆっくりみたいんです」
リリィが中庭を見回しながらそう言うと、アプリコットは振り返り、申し訳なさそうに口を開く。
「じゃあ、私はさっきの扉の所に戻ってていいかな?。
屋外だと、仮面がの中が暑いし面倒くさいんでちょっと外したいんだよね」
そんな事を言い、仮面と顔の隙間に人差し指を突っ込んでパタパタと仮面を動かす。
「オレもリリィと一緒に、中庭を見させて貰います」
そこにルイが割り込む。
例の肖像画にしても、本当の目的である"調査"にしてもリリィと"2人と1匹"で話したい事があったので、これはチャンスだと考えての行動だった。
「アプリコット様、どうぞお先に扉の方に。―――アトさんは」
ここでルイは言葉に詰まった。
アトはどうもリリィに懐いている節があるので、ついてくると言うかもしれない。
そして自分より年上ではあるが、無邪気で素直なアトが"ついて行きたい"と言うのを断る事自体が、ルイには邪険に思えてしまっていた。
「アトはりょーしゅ様の"ごえい"です。お仕事の間はりょーしゅ様から、離れてはいけません」
しかしルイの予想を大きく覆し、アトがキッパリと宣言してアプリコットの真横に立った。
「よし、じゃあ少しの間、チーム・ロブロウとチーム・王都で別行動にしましょう。
アト、チーム・ロブロウは入り口でりょーしゅ様と休憩!」
アプリコットは何故だか楽しそうに、アトを引き連れて扉の方に行ってしまった。
ポツンと2人と1匹は残されて、とりあえずといった感じでリリィとルイ互いに視線を交えた。
「んじゃ、とりあえず噴水の方でもみようか?」
ルイが提案すると、リリィもコクリと小さく頷いて2人で噴水の方に向かう。
豪奢な造りの噴水の水を囲む縁は、リリィやルイが腰掛けるのに丁度よい高さで幅もあった。
「ルイ、あの噴水の縁に座ってもいいかな?」
リリィが尋ねると、ルイが颯爽と噴水に向かい確認して、グランドールから常備させられているハンカチを座る場所に引いた。
ハンカチの横にルイが座り、リリィを手招く。
「リリィ、こっち座れよ」
「あ、ありがとう」
意外にスマートな対応なルイに、リリィは吃驚しながらもルイが用意したハンカチの上に座った。
ルイの方は"当たり前"といった感じで、リリィが腰掛けたのを確認してから、少し辺りをキョロキョロと見回す。
朝方と来たときは違う、中庭の景色を確かめているようだった。
「思っていたより、水の音が大きいね」
リリィが背中にある豪奢な噴水を振り返りみると、ジョボジョボ・ドポドポと噴き出しては落ちて出る大小の水音は案外大きい。
「でも、お陰でワシ、声はだせるよ~♪」
リリィの腕に抱えているウサギの賢者が、"声だけ"を出した。
周りを見回していたルイが驚いて、リリィの腕の中にいる微塵も動かないが喋るウサギの賢者見つめる。
「そんなに声を出して、大丈夫なんですか、賢者さま?」
やはり驚いているリリィが向き合うように、ウサギの賢者を抱えなおした。
ただ体の動きはぬいぐるみのままのようで、だらんとしている。
「うん、水の音と精霊の力を借りてワシの声自体が聞こえる範囲はジャミング(妨害電波)みたいにしているから、周りにワシの声は聞こえないというか、察知出来ないから大丈夫~」
と、11才と14才には少々小難しい事を言ってウサギの賢者は、ぬいぐるみの姿勢のまま喋る。
「え~と、ウサギの旦那はとりあえず、噴水の周りでは声だけは出せるって事でオッケーすか?」
ルイが色々省き、ざっくりと尋ねた。
「単純明快に言えば、そう言う事だね。
さて、時間ももったいないから、色々と調べたり打ち合わせしようじゃないか。
ちなみに、領主殿のお母様は魔法で変身なんてしてなかったよ」
ウサギの賢者はルイの答えをあっさりと肯定し、次の話題を提供し、尚且つ質問に答えていた。
「―――魔法じゃなかったんすか」
ルイには魔法でなかったのが、予想外だったらしく黙ってしまう。
「ルイ君はまるで、前領主殿の奥方の姿が魔法で変身した誰かであって欲しかったみたいな感じだね」
ウサギの賢者は動かぬまま言うと、ルイは小さく頷いた。
「ウサギの旦那とロブロウに来る時、馬車ん中で話したっすよね。
家族ってのがオレは全く"知らない"から、知らないことで楽しんでいるのが羨ましいって。
その"知らない"の中に、見返りを望まない優しさや、感じた事のない安らぎが溢れるって思ってた」
そんな事をいうルイの目は"悲しみ"に満ちていて、リリィは思わず話に割って入ってしまった。
「ルイ、今日の朝、一体何を見てしまっていたの?」
一応"探検"に出たあらましはリリィも寝たふりをしながら、耳にしていたが詳細はわかっていない。
「―――悲しみと憎しみで、娘と仇が混ざってしまった人を見た」
「え?どういう意味?」
リリィには全くわからないらしく、尋ねなおしてしまう。
ルイはリリィには何と説明すればいいか分からず、助けを求めるようにウサギの賢者を見つめた。
それを察したのか、ぬいぐるみの格好のウサギ賢者は喋り出す。
「まあ貴族に限らず、君たちにはまだまだ縁遠いけれど、"嫁姑関係"でいったら、余所からみたら信じられないくらい憎みあうのは、見かけない事じゃないよ。
ただ、こういった関係は上手くいく所は、凄く上手くいくもんなんだけれどね。
しかし、今までの情報やルイ君の言葉を聞く限りでは、アプリコットさんと初代領主夫人の顔は、余程似ているらしい」
ウサギの賢者もほんの少しだけ、哀しそうに言う。
「大奥様が、アプリコット様と自分苛めた最初の領主夫人様を混ぜて見てしまっているの?。確かにアプリコット様は、さっきそんな事をいっていたけれど」
リリィも中庭に向かう途中にアプリコットが言っていた事を思い出して、表情を暗くする。
アプリコットはあっさりと言っていたけれど、もしもリリィに母親がいたとして、自分の母親から疎まれていたのなら、どんな気持ちだろう。
(自分の顔が、大好きな人を苦しめるというのなら、私は自分の顔を―――)
そこまで考えて、リリィはブンブンと頭を激しく左右に振った。
「おい、リリィ大丈夫か?」
自分で思っていたより少女は激しく振っていたらしく、ルイが心配して声をかける。
「ごめんなさい、ちょっと嫌なこと考えちゃったの。
それより、ルイ。そんなに肖像画を見る大奥様の顔が怖かったの?」
「怖かったっていうよりは、"オレが怖く"なったんだよ」
気宇闊達を誇るルイが、面目ないと言った感じでリリィとウサギの賢者に向かって肩を竦めてみせた。
「ほう。それでは、"肖像画の初代領主夫人や現領主さんを眺める大奥様の顔が恐ろしかった"というわけではないわけだ」
ウサギの賢者そういうと、ルイは深く頷いた。
「さっきのが初対面だったなら、オレは普通に大奥様はアプリコット様とはああいった接し方なんだ、で終わっていました。
ちょっと冷たいっていうか、ドライな感じっていうんすかね。
でも、そんな"親子"もあるだろうなぐらいな感じで、考えてたんですけど」
そこまで言ってルイが言い淀む。
しかし、説明するための言葉を模索しながら言葉を頑張って続けていた。
「オレは大奥様は今朝の散策の時に見たから、見覚えとかあるのは確かなんすよね
。けれど窓越しだし、灯りは大奥様が持っていた燭台だけだったし、後ろからだった。だから正直に言って、はっきりと見たつもりはないんすよ。
けれど"肖像画の初代領主夫人"を見つめる様子と、中庭で現領主であるアプリコット様を見つめる大奥様は――――なんていうのかな、様子?雰囲気が全く同じで。
で、オレは中庭に向かう途中で大奥様と初代領主夫人のケンカの話を聞いていて」
ぎこちなく愚直に、自分の気持ちと状況を表現する言葉を使いルイは語る。
それを分かり易く、単純に纏めるのが自分の役目と自負しているのか、ウサギの賢者が言葉を引き継いだ。
「"最も憎い相手を見る様子も、最も愛しくあるハズの我が子を見る様子も全く同じ"だったというわけか。
ルイ君的には、"顔が似ているから"ぐらいの理由で親が子どもを疎ましく感じるなんて、あって欲しくない出来事だったんだね」
ウサギの賢者はぬいぐるみの姿勢のまま動かないと言ってはいたが、この時だけはつぶらな瞳を動かして、リリィの膝の上からルイを見上げた。
見上げる先には、"オレの知らない家族ってのは、希望が満ちているんだ"と頑なに信じていた少年が、無残に"希望"が打ち砕かれ、落ち込んでいる姿があった。
「―――家族って、なんなんすかね?」
「説明するだけの言葉で言ったのなら、"親子など、生活をともにする集団"だね。
ルイ君が聞きたいのは、そんな説明じゃないだろうけれど」
ルイが独り言のように呟いた言葉にも、ウサギの賢者は丁寧に応答した。
「じゃあ、オレとオッサン、農場の皆も家族なんだな」
ルイでも、ウサギの賢者が言葉を選んでくれている気遣いがわかったので弱々しく笑い、自分の"家族"となっている人達を思い出していた。
しかし、その"家族達"はいざという時"血もつながっていないのに"という言葉でいつも否定されてしまっていた。
そんな中で血の繋がりがある家族を知らない少年は、家族を憎む姿や感情が"魔法"であって欲しかった。
掛け替えのない家族を憎んでいるのは"悪い魔法"の為だったから。
しかし、目の当たりにしたビネガー家ではルイの気持ちに都合の良い結果はなくて、母が顔が似ているからという理由だけで娘を憎むでいるかもしれない現実があった。
「血がせっかく繋がっているのに、嫌いな奴と顔が似ているって理由で実の娘にそっけなくなる態度は、オレには受け入れられないや」
それからフッと力を抜けたように、ルイは肩を落とした。
「―――ルイ」
リリィはルイを励まそうと言葉を探したけれども、効果がありそうな物は11才の記憶の中からは見つけられなくて、名前を呼ぶのがやっとだった。
だが、少年には名前を呼ばれるだけでも充分励ましになる。
少し無理をしている感じは拭えないが、ルイのトレードマークでもある八重歯をニッと出して笑ってみせる。
「まっ、ロブロウのビネガーさんの家では、こういった形になっていただけで、他の家の家族は、ビネガーさん家みたいな事があっても、仲良くやっているかもしれないし。
オレが勝手に支え合う家族を夢見て、勝手に裏切られてと思って落ち込んでいるだけだからさ」
ルイは一気に捲し立ててから、ハアっと盛大に"溜め息"をついてから"バシン!"と辺りに音が響くほど自分の顔を叩く。
「よし、オレの"妄想"はオシマイ!。ウサギの旦那、あとリリィにも話しておきたい事があるんだ」
自分で叩いた頬を真っ赤にさせながら、自分の話をルイは切り上げて、ついでに次の話題を提供する。
「うん、ルイ君どうぞ」
ウサギの賢者が言うと、リリィもコクリと頷く。
1人と1匹の優しさを感じ、感謝しながら、ルイは話し始める。
「オレが言っておきたいというか、注意しておいて欲しいのは、これからアプリコットさんが見せようとしている肖像画についてなんだ――」




