【探る】
さぐる【探る】
手足で目に見えない物をさがす。ひそかにようすを調べる。美しい風景や趣をたずね求める。
[用例]バッグの中の眼鏡を探る・敵情を探る・早春の野に梅を探る
朝食をとりながら、実はとても困っている人物がいた。
それは大農家にして、この国の英雄の1人でもある、グランドール・マクガフィン。
常日頃、心の片隅で、気にかけていた「銃の兄弟」の"弟子"が直ぐ側にいる。
リリィとアルスが出かけている間に、手紙をアルセンの使い魔である鳩に託して飛ばした。
"銃の兄弟"については、明日にでもアルセンに報告しようと考えていたのに、何の因果かひょっこりと現れて、グランドールは大層驚く。
ただ、朝食を固辞しようとするシュトの姿に、これまでの兄弟の苦労が感じられた。
(一緒に食事をさせるのは、あの兄弟にとっては『酷』かのう)
そんな事を考えてアルスやリリィに身辺自立について説いたりしていたが、宿屋の女将がシュトにアトのスープについて尋ねているのを目の当たりにして、
(この宿屋なら大丈夫だのぅ)
と心を決めて、シュトに食事を促した。
(多少テーブルクロスを汚したとて、文句など言うまい)
シュトも宿屋の女将の配慮ある言葉に、安心したようで何とか食事の席につく。
アトはアトなりに一生懸命丁寧に食事を食べているが、やはり食器の扱い方が、幼子の食べる様そのものだった。
シュトがあれこれ世話をやいているので、今のところ、衣服やテーブルクロスは「無傷」である。
グランドールはほんの少しだけ、リリィの好奇心の強すぎる視線が気になるが、まあまだ「幼い」事と、少女がの成長を考え、深く考える事を止めた。
そして思い切って話題を『銃の兄弟』にふってみる。
「―――お前さん達は、どこかに旅行中なのか?」
シュトはスープを飲み終えたアトにウィンナーを渡しながら、返事をする。
「旅行ではなくて、実は"初仕事"で。ある領地の、領主さんの用心棒みたいな感じです」
「ほう、今の御時世に傭兵の仕事があったかい?」
グランドールが少しだけ驚いた感じで言うと 、シュトは会話の間に器用にパンを飲み込みながら、頷いた。
「はい、何とか。正直に言って、今はもう諍い事が減ってきてるんで、この仕事も初めてで終わりになりそうな感じで。
師匠もあの『銃』達が俺たち兄弟の武器ではなくて、御守りにでもなればいい、って気持ちで継承させたと言ってくれてました」
シュトは、銃の方を振り返りながら言う。
このセリサンセウムという国ではテレパシーも平定後に、『禁術』とされている。
大戦中は、情報伝達にこれほど重宝する魔術もなかった。
稀にテレパシー使用者が術の使用後に、凄まじい頭痛に襲われたり、激しい者では嘔吐までしていた。
また平和な時代となり、テレパシーは貴族や王族の暗殺を目論む輩にとって、"痕跡を残さない伝達手段"としては、便利な事この上ない魔術となり、何かと悪事に利用されがちだった。
そう言う事も相俟って、禁術となり、防護策として王都の城壁や宮殿にはテレパシーの魔術を使った際に反応する風の精霊石が、其処彼処と埋め込まれているのが現状だった。
《さて、これからどう話しを切り出すかのう》
幸いかどうか判断しかねるが、テレパシーが使えるのでグランドールはウサギの賢者に思念を飛ばす。
《ワシ―――"私"は"銃の兄弟さん"と余り縁がなかったからね。
別に、難しく考えないで直球でも良いんじゃない?》
親友でウサギの賢者の勧めに従って、グランドールは口を開く。
「先代の、お前たちの『師匠』は今どこにいるんだ?」
グランドールは聞き辛そうにシュトに尋ねる。
「実は、『もしもグランドール・マクガフィンという人物出逢ったとしても、尋ねられたとしても、自分の事は何1つ話さないで欲しい』と言われてます」
シュトが至極言い辛そうに、言葉を濁しながらグランドールに告げた。
ところが半ばこの答えが予想出来ていたらしく、そうか、と一言漏らして食事に戻る。
《いやあ、グランドール。先手をうたれてたみたいだねえ》
グランドールの頭の中に、ウサギの賢者の声が響く。
《まあ、予想はついていたわい。しかし、テレパシーを使うのは久しぶりだのう》
ウサギの賢者もグランドールも、テレパシーを使っているのをおくびにも出さずに、ぬいぐるみに扮したままや食事の手を止めずに会話を続けた。
《話を膨らませればいいじゃないの~。ワシはリコさん達に『銃の兄弟』の事を中継で伝えるから、グランドール頑張って~》
賢者のこの返信には、思わずグランドールも仏頂面になる。
だがそれが幸をそうしたのか、シュトは「師匠の居場所を口止めされている」事で、グランドールが機嫌を悪くしたと勘違いして受け止めてくれたらしく、自分の持つ情報を、出せる範囲で提供してくれる。
「とは言っても、俺達兄弟も師匠の居場所は知らないんです。
今回は、"初仕事に持ってこいだから、どう?"って、手紙だけを寄越してくれただけで。
銃と『銘』を俺たちに引き継がせたと思ったら、次の日には姿を消していましたから」
シュトはそう言って、自分のスープを手早くスプーンで飲み干していた。
「銘と銃を継いだ時期を良かったら、教えて貰えないか?。ワシの耳に入ったのは、かれこれ半年前だ。とは言っても、風の噂程度の本当に些細なものだがのう」
グランドールの次の質問には、シュトは躊躇なく答えてくれた。
「それならば名前を継いで丁度1ヶ月後ぐらいです。
師匠は孤児の俺たちを教会から引き取って弟子にはしてくれましたが、傭兵の仕事は必要最低限ぐらいな感じでやっていました。銘を継いでも、周りに浸透するのは遅かったと思います」
孤児と聞いてルイはシュトとアトに親近感を覚えたらしい、大きな肉を飲み込んでからシュトに積極的に話しかけた。
「へぇ~。俺もオッサンに引き取られた口なんだ。シュトさん達は、いつ頃拾って貰ったんだ?」
ルイの質問には懐かしそうにシュトは目を細めて、2本目の大きなウィンナーを頬張るアトを見ながら答える。
「俺達は最初は教会に世話になったんだ。俺が6才で、アトが4才の頃位の頃からかな。俺は、薄ら両親の記憶があるけれど、確か最初は病気で体がダメだから、アトと一緒に日中は教会に預けられてたんだ。
で、やっぱり病気の両親は本格的にいけなくなって、教会に住むようになってからすぐに死んじまって、俺たちは孤児になった。
教会は良いところだったけれど、アトにちょいと辛い思いをする場所でもあった」
シュトが淡々と語る内容は、アトが同年代と比べて発達が遅かった事で意地の悪い子どもからからかわれたり、軽く虐められた話だった。
「でも決定的なのは子どものイジメよりは、2年ぐらいたってから教会にきたどっかの貴族の言葉の方が頭にきたな。
"この子は親からの愛情が薄かったから、成長が遅れているのかもね"なんて言いやがった」
その言葉は遠回しにシュトとアトの両親が、まるで弟を愛していなかったように言っているようにしか、幼い兄には受け取れなかった。
「俺自身、両親の記憶がもうはっきりしない時はあるけれど、アトが産まれた時に、俺も父も母も喜んでいたのだけは覚えてる。
だから、親が弟を愛していなかったなんて言う奴が許せなくて、そいつが教会から去ろうとした時、確か、父親から作って貰ったスリングショット(玩具のパチンコ)、云わば形見だよな。
それで狙った時に、師匠に出逢ったんだ。というか、形見を銃で撃ち抜かれたんだ」
そう言ってから、シュトは苦笑してグランドールに向かって肩をすくめた。
銃という武器が使われるのを目の当たりにしたことがない、人物には何にシュトがそんな肩をすくめる動作をしたのか、よくわからない。
だが、銃の『威力』を知っているグランドールはシュトの苦笑の意味がよく分かったので釣られて苦笑していた。
「アイツは相変わらずやることが突拍子がないのぅ。その時、お前さん、"耳"は大丈夫だったか?」
「え?何で耳の話になるんだ?」
シュトに向かっていうのに、ルイが割り込んで質問する。
グランドールが顔をしかめるが、ルイはここは引かないといった感じで見返した。
シュトが、それをとりなすように口をく。
「銃っていうのは、使う時―――"撃つ"時に酷い破裂音が伴うんだ。
それこそ耳栓をしておかないと耳が『馬鹿』になる、ちょっとの間は聞こえなくなる」
「そんなに銃の音って酷いのか?」
ルイにはそんな「耳も聞こえなくなるような音」は、体験した事がないし、考え及ばないらしい。
そんなルイを見て、シュトは自分の服の襟をチョイと弄り、耳栓を取り出して見せた。
「銃を持つ時は常に一緒に耳栓を携帯している。
弟も、常に持ってる」
そう言ってアトの肌着の首の内側を見ると、耳栓が2つ、左右に小さな内ポケットに隠されていた。
「まあアト―――弟の場合人混みの雑音が苦手な事もあって、耳栓は生活の上では必須なんだ」
「アト、うるさいのキライ」
アトはそう言うと手慣れた感じで、耳栓を取り出して自分の耳にした。
「で、まあ実際に耳栓なしに師匠から銃でスリングショットを撃たれた俺の実体験から言ったら、ホントに一時的に耳が聞こえなくなってたな」
バアアアアアン!!!!!
耳を貫くような破裂音と共に自分の手にあったハズの形見は吹き飛んで、手の中には掴む部分と、中てようとしていた小石だけが、少年シュトの手に残っていた。
そして気配がして、シュトが顔を上げた瞬間に平手打ちの衝撃が顔面を襲う。
それから襟首をつかみあげられ、視界に飛び込んできたのは動いている口だった。
(――音が――聴こえない?!)
形見のスリングショットが壊れた事よりも、顔を平手打ちされた事よりも音が聴こえなくなっている事にシュトは愕然とした。
「――――ぉぃ――おい!」
遠くから声が聞こえてくるような感覚からだんだんと声のボリュームが上がってきて、漸く聴覚が戻ったのだとシュトは分かる。
「おい!耳は戻ったかい?!」
シュトの形見のスリングショットを打ち抜き、平手打ちを食らわせた相手は20代に届くか届かないぐらい年齢での長い黒髪に、まくしたてるように喋る旅人の姿の女性だった。
そしてその女性の豊かすぎる胸のホルスターに、まだ硝煙を上げる銃がささっている。
(なんの――匂いだろ――)
まだ銃の存在を知らなかったシュトには、煙をあげる鉄の筒と女性がかなり怒っている事ぐらいしかわからなかった。
次にシュトの耳に入ってきたのは、破裂音に驚いて集まってきた教会の人たちの声――。
「え?先代さんって女性なんですか?」
「え、そうですけれど。あれ、その話はグランドール――"様"から伺ってないんですか?」
話の途中からアルスの出した質問に、シュトは心底不思議そうな返答をした。
不思議と影響を受けて、いつのまにか"様"と呼んでしまっていた。
そのグランドールは、そっぽを向いてお茶を飲んでいる。
(そう言えば性別の事は話題にならなかったよね~)
グランドールの頭に少し空々しい感じで、ウサギの賢者の言葉が響く。
(気を使わなくていい。それに、先代がワシの"恋人"だった事を、この子らに知らせる必要もない)
グランドールは旧友にそう返してから、幸いな事に恋の話に関しては鈍感な弟子や同行者達にどう話すか考えた。
「自分は銃は撃つ際の反動が凄いと本に載っていたので、てっきり男の方と思っていました」
グランドールの思惑(?)どおり、アルスがそういった感じには受け取らず、至極真っ当な返し方でシュトに返事を返していた。
グランドールは"これ幸い"と苦笑でその場をやり過ごす。
そしてシュトもアルスの言葉が、充分理解出来たので頷いた。
「今、俺が使っている銃が師匠から受け継いだ、その時の銃なんですが確かに反動はハンパないっす。
撃つ時には考えなし片手なんかで撃ったら、肩が簡単に外れてしまいます。
確かに師匠が男と思われていても仕方ないっすね」
シュトは銃を安置しているソファーを再び振り返りながら言う。
「それで話の続きなんですが、師匠が銃で俺のイタズラを止めた後、俺達は師匠に引き取られる形になったんです」
銃声を聞きつけて集まった人達に、先代は銃を『魔法』として、イタズラしたシュトを止める為に使ったと説明した。
激しい破裂音は、イタズラをしようとしたシュトへの戒めという事にしたと周りに話した。
「周りの人たちも『魔法』ですんなり納得していました。
正直俺も、後から師匠に銃の事を教えてもらうまで魔法と思ってましたから。
引き継ぐ時も、銃の存在が大っぴらにならないように、相手が本当に銃の事を知らない限り魔法とごまかせと言われました」
先代と「銃」との出逢いについてシュトはそう語る。
「あの、シュトさん達の師匠さんは、イタズラしようとしたから、引き取る事を決めたんですか?」
リリィが小さく質問の声を上げた。
この質問には考えるように、少しの間瞳を閉じ、開くと同時にゆっくりとシュトは説明を話し始める。
「理由は1つではないと思う。俺が師匠から確認をとって確実に知っているのは」
そこで小さく一度咳払いをして、僅かに顔を赤くして続ける。
「自慢話みたいになるんだけれど。
貴族に石をぶつけようとした時、俺のパチンコの"照準"―――。
"照準"ってのは簡単に言ったら、狙った相手に中てる狙い定めの事。
その照準でパチンコから小石を飛ばしたら確実に相手に中る読めたから師匠は、俺に銃の才能があると思ったから引き取る理由の1つにはなった。それと――アトの事があったからかな」
「ごちそうさまでした!ごちそうさまでした?。
シュト兄、ごちそうさまでした!」
その時、丁度食事を終えたアトは、隣にいるシュトを見る。
シュトは何とも言えない顔でアトを見てから、耳栓をしたままのアトに耳を指差す。それでアトは耳栓をしていた事を思い出したように、耳栓を抜いた。
「アト、良く出来ました。食器を片付けてください」
「はい」
アトは食器を辿々(たどたど)しくも片付け始める。
「師匠があのタイミングで俺達兄弟をひきとってくれて、本当に良かったと今は思う。アトの心は物凄くゆっくり育つんだって見抜いてたのも、アトの『接し方』を一番理解しているのも、師匠だった」
「ん~、確かにアトみたいなタイプが集団生活の中にいたら、一番にイジメられそうだよなぁ。
しっかりしたガキ大将でもいたら、子どもの集団でも何とかやっていけそうだけど、孤児の集まりの中じゃ荒んでいる時もあるから、教会に残ってたら標的にされてたかもな」
ルイが歯に衣を着せない物言いで、アトの感想を述べる。
シュトは自分も食器を片付けながら、ルイの言葉に頷いた。
「師匠もそんな事を神父様に言って説得してたな。
俺が、その教会のガキ大将みたいなもんだったけれど、『それじゃいつかシュトの方が潰れてしまう』って言葉も言ってくれたんだ。
その言葉で俺は、師匠について行こうって決めたんだ」
"シュトは、シュトのままで、いいんだからね"
懐かしい言葉を思い出しながら、粗野にも見える姿に似合わない優しい笑顔を浮かべて、エリファスに言われた言葉を思い出していた。
アトは食器を片付けてからは元の席に着かず、銃を置いてあるソファーの方へ向かう。
「アト、銃とホルスター」
「銃とホルスター」
シュトの言葉をアトはオウム返しに答え、また一式をゆっくりと身に付け始めた。
「――正直、アトの世話が俺の人生にはずっとついてまわるもんだって覚悟は、アトの発達が遅いと周りが言い始めた時から、それとなくしていました。
周りの人たちも『アトにはシュトがいるから』が当たり前のように言われて、それが当たり前なんだって。
家族なんだから、家族の世話は当たり前なんだって」
そんな事を口にする、シュトは淡々としていて何処か冷めていた。
「何か、その"家族"の使い方って、オレは嫌だな」
ルイが仏頂面で、シュトの独白めいた言葉を遮るように言葉を挟む。
「オレは、親の顔さえ知らない『孤児』でさ。まあ、そこのアルスさんとリリィの兄妹も親の顔は知らない孤児なんだけど、兄と妹で一応家族として成り立ってるんだよ」
ルイが最後の肉をパンに挟みながら、シュトやアルスとリリィの「兄妹」を見て更に続ける。
「で、何かある度にアルスさんとリリィの兄妹は互いに協力して物事をやっているんだ。それに会話も凄く楽しそうに話すから、俺としては"家族"は絶対的な憧れだったんだ。
―――でもさ、アトさんに関するシュトさんへの"家族"の使い方ってやっぱり変だよ」
「ルイ」
そこでグランドールが口を挟んだ。
「確かに『家族』ってもんは良いもんだとワシも思う。
だがな良いところだけって訳でもないのも、また家族なんだ。
何てたって家族を作っているのは『人』だからのぅ」
"家族を作っているのは人"というグランドールの言葉を聞いてルイは黙った。
「ただ、ルイがおかしいと思うのは尤もな事だな。
確かにシュトとアトは家族で兄弟だ。
でも、まだ子どものシュトにアトの世話を任せきりというのも、話を聞いた大人としては情けない気持ちになるのぅ。
それにアトだって、こういう風に産まれたくて産まれたんじゃない。
出来るなら、きっと自分の力でやりたい事沢山あるだろう」
ルイは肉を挟んだパンをモグモグと噛みながら、グランドールの話を大人しく聞いている。
アトは自分で漸くホルスターを身につける事が出来て、シュトに仕上がりを見せにきていた。
シュトは少しだけシワになっていたアトの衣服の細部をピシリと伸ばして、仕上げる。
「シュト兄、アト出来た。
ソファーに座って良い?」
「ああ、いいぞ」
シュトが答える前にグランドールが答えた。
その声を聞いて、アトはニッコリ笑うと走ってソファーの元に行き、ジャンプするように後ろ向きに飛び乗った。
シュトの銃と、ウサギのぬいぐるみに扮する賢者は軽くバウンドして、リリィが少しだけハラハラする。
「師匠は俺達を引き取った時、最初に"産まれの環境も時代も自分の意思で選べないなら、せめて自分がいきたいように、後悔しないようにしなさい"って言ってくれました。
師匠は、きっと俺がいつかアトの事が重荷になって、愚痴る事をわかっていたんだと思います。
けれどもしアトの事を見捨てたなら、それはきっと俺が生きている間は眠るのを捨てるのと同じくらい後悔する事も、見抜いていました」
『アトの事もあるだろうけれど、シュトの人生を、シュトが幸せになる為に生きて何がいけないの?』
そういう言葉をくれた師匠を思い出しながら、シュトはソファーで無邪気に笑う弟を切なそうに見つめ、微笑んだ。
良い意味でも悪い意味でも『家族』という楔を目の当たりにした、アルスとリリィとルイは押し黙ってしまう。
その雰囲気を壊すべくシュトが立ち上がり、自分のベルトをポンポンと叩いた。
アトはそれに反応して、ソファーにあるシュトの銃を掴んでニコニコしながら、兄の元へ駆け寄る。
「シュト兄、アトお手伝い出来たよ」
年はもう成人に近いのに、幼子のような愛らしい笑顔を浮かべてアトはシュトに銃を渡し、兄は受け取りベルトに挟む。
「ありがとうな、アト」
アトはくすぐったいように微笑んで、またソファーに戻って飛び乗った。
弟が座ったのを見てから、シュトは再び腰掛けながら話を続けた。
「幸いっていうか何というか、アトはあんな感じなもんだから旅先なんかでは、平和な治世のお陰様もあるんですが、結構助かってます。
今朝の屋台の買い物なんか、良い例えです」
アルスとリリィは、ああっ、といった感じで互いに見つめ合って頷く。
シュトが律儀に屋台の行列の順番を守ろうとしたが、アトの状態を察した周囲の人達はアルスとリリィが買うのと一緒にどうぞ、と順番を快く譲ってくれた事を思い出す。
「先代は言い方は悪いが、お前たちの『扱い方』が上手かったんだな」
グランドールの言葉に、シュトは深く頷いた。
「それは本当にそう思います。俺、こんなだらしないっていうか、少し乱暴者に見えそうな服装が好みで。
教会の頃は
"シュトがしっかりした格好をしてないとアトまでそんな目で見られるから、ちゃんとした格好をしていなさい"
って言われて、まあガキのふざけた格好なんて、シャツの裾をしまえぐらいなもんだけど、いつもキツキツな感じになってた。
"アトがいるから"
って、嫌な気持ちが育ち始めていました。
大切な2人きりの家族を憎みそうになるのを、師匠は上手く止めてくれました。
"野良作業するわけでも、戦にいくわけでもないんだからシュトの好きな格好してなさい"
引き取られた翌日にそう言って、古着屋に連れて行って貰らって自分で選んで買いました。まあ、俺が選んだ服に師匠はちょっとだけ驚いてましたが」
「アイツは、シンプルなのが好みだからな」
シュトの言葉にグランドールは思い出したように、感想を言った。
「約10年間師匠と一緒にいましたが、師匠は銃の事も丹念に教えてくれましたがアトとの『関わり方』も教えて貰ったとおもってます」
『何をするにしてもアトの為に"してやった"、と考えて行動するのは止めなさい。そうすると必ず心がどこかで、見返りを求めてしまう。
何か世話にするにしても、"ついでにやっとく"ぐらいの感覚で』
そんな風にシュトを指導する一方で、アトにはコミュニケーションの基礎を何度も丁寧に指導していた。
『おはようございます』
『こんにちわ』
『こんばんわ』
『おやすみなさい』
『ありがとうございます』
『ごめんなさい』
先代の『銃の兄弟』は生活の中で機会がある度に、アトに反復演習を繰り返させた。
「実際、深くコミュニケーションを取らない相手なら、言葉はそれだけで用は足りてました」
シュトそう言って、アトを見る。
ソファーに座り、上下に楽しそうに揺れている弟とそれにつられて揺れる「ウサギのぬいぐるみ」を部屋の中の全員が見詰めたが、アトは全く意にかいしている様子はなく、笑っている。
(グランドール、そろそろ、この兄弟さん達の、腕前やら、用心棒の事を、聞いて、欲しいの、だ、けれど!)
そんな中でグランドールの頭の中にアトの上下運動に伴って、テレパシーの声も揺れているウサギの賢者からの声で、結構旧友もキツいのだと分かったので、グランドールは話を切り出した。
「ところでアトにも銃を持たせているが、アトも銃は扱えるというか、撃てるのかのぅ?」
グランドールの質問に、シュトは口を一度閉じる。
褐色の逞しい人が師匠の親しい人物であるのは分かったが、これからの"仕事に関わるかもしれない"。
どこまで話していいか、考えあぐねている、そして。
「―――率直に言わせて貰うなら、アトには撃つ技術はあります」
シュトは『銃』の存在も威力も知っていて、アトの事も初対面ながらも上手く対処出来るグランドールには、話すと決心した。
話す事で万が一、今後敵対した時でもアトの命だけはグランドールなら見逃すだろうし、弟に運があるならそのまま保護もして貰えるかもしれない。
シュトはそこまで考えて、アトの銃に関する詳細を話し始めた。
「撃つ技術はありますが、やはり腕は俺に劣ります。
どちらかと言えば、アトは銃の整備の方が得意ですね。
道具さえしっかり揃えて貰えたなら、暗闇の中でも分解・組み立ては充分出来ます」
(―――ほう)
シュトの説明が終わると同時に、グランドールの頭の中でもウサギの賢者の感嘆の声が響いた。
「え、でも確か銃の構造って複雑ですよね」
アルスの驚いた声にシュトはニヤリと笑う。
「アトは知恵遅れは確かにあるんだけれど、不思議なことなんだが『決まり事の順序』さえしっかりわかれば、逆に普通の人より作業や理解が早かったりするんだ」
そう言うシュトの顔は出来の良い弟を誇る兄そのもので、ルイが少しだけ羨ましそうに見ている。
「抽象的なものは苦手だが、具体的なものなら得意というわけか」
グランドールがそう言うと、シュトが嬉しそうに頷く。
「ちゅうしょう?」
ただ11才のリリィには言葉が難しかったらしく、首を捻って思わずウサギの賢者の方を見てしまっていた。
「ちゅうしょう?」
アトはリリィの言葉オウム返して、ついでに首も鏡合わせのように曲げた。
いつもの調子で"わからない事があったらウサギの賢者に尋ねる"という動作をとってしまってリリィは少し慌てたが、アトが楽しそうに真似をしてくれた事で不自然さが何とか拭われた。
「オッサン、ちゅうしょうてきってどんな意味なんだ?」
ルイがリリィへのフォローなのか素なのか分からないが、意味を尋ねた。
グランドールは顎に手をあてて少し考えてから、
「抽象ってのは"個々の具体的概念から共通な属性を抜き出し、これを一般的な概念としてとらえること"―――って意味なんだが」
と、答えたがルイは固まり、リリィは唇を固く結んで涙目になっていた。
(どんまい、グランドール。
優秀すぎる後輩(※アルセン)じゃないから、正確に言い過ぎてもわかってないよ)
ウサギの賢者は哀切の籠もっているテレパシーで、グランドールを慰めた。
「私帰ったら勉強します」
「リリィ、オレもちょっとぐらいなら付き合う」
グランドールが不親切な人物ではないと分かっている少年少女は、あの説明で分からなかった自分達が勉強不足だと考えたらしく、少し遠い目をして互いに慰めう。
「ええっと、抽象的を簡単に言うなら"~みたいな"っ言葉を名詞の後ろにつける感じかな」
「めいし…?飯…?おいしい??」
アルスのフォローも、勉強が苦手なルイには粉砕されてしまった。
(ちなみにルイは極めて真顔で先程の言葉を言っております)
見かねた感じでシュトが割って入って来て、説明する。
「馬車っていう言葉で例えたら分かり易いかな。
抽象的に言ってみたなら"馬車みたいな乗り物"。
抽象的になったら、馬車って断言していないんだ。
馬車みたいに馬は使っている乗り物なんだけど、違う可能性も含んでいる。
逆に具体的は『馬車』とはっきり言い切る。『馬車』は『馬車』でしかないって感じかな」
それからシュトはアトの方を見る。
「こっちの例えが分かり易いかな?。アトに説明する時、持ってきて欲しいものを指差して『アレを持ってきてください』じゃ話をが分からないんだ。そうだな、アト」
弟が顔を上げて、兄を見る。
「『ウサギのぬいぐるみをください』」
シュトの指示を聞いた後、兄弟以外の一同が一瞬"ギョッ"としたが、アトはすぐに了解し、自分の真横にあるウサギのぬいぐるみに扮する賢者を、むんずと掴み抱きかかえた。
「お手伝い♪お手伝い♪」
アトはニコニコしながら、ウサギのぬいぐるみに扮した賢者をシュトの元に運ぶ。
「シュト兄、持ってきたよ」
アトがそれなりに丁寧に、ウサギの賢者を扱いながら、シュトに渡した。
「ああ、ありがとう。こんな具合に具体的に、―――あれ、皆さんどうしました?」
「ああ、いえ、その、そのぬいぐるみはリリィの宝物なんで、ちょっと、その、驚いています」
正しくは驚いているのは"ちょっと"どころではないのだが、アルスがそう説明するとリリィが椅子から、降りてぬいぐるみを抱えるシュトの元に駆け寄った。
「すっ、すみません、ぬいぐるみは返してください」
「ああっ、大事なもんとは知らずにすまない」
リリィの慌てた声が、シュトにも感染した様子で、慌てて「ウサギのぬいぐるみ」を駆け寄ったリリィに渡した。
ウサギのぬいぐるみを丁寧に抱えたリリィが、ホッと息を吐くと、何となく間の抜けた感じで一同が見つめ合う状態になる。
「え~っと、何の話だったけ?。確か、具体的なんたら?」
ルイが思い出したように言った。
そこでリリィがハッとしたように、ウサギのぬいぐるみに扮する賢者を見つめた。
ちょうど向かい合う感じになり、シュトとアトには見えない。
ウサギの賢者も兄弟に見えない事を良いことに、少し茶目っ気を出してリリィにパチクリとウインクをした。
(リリィの考え方は間違ってないよ)
そんな言葉がグランドールの頭に響いた。
「あの、私何となくわかりました。
『あのぬいぐるみ』じゃ、分かりづらいんですよね?。
『ウサギの』ってはっきり言わないと、アトさんは理解しにくいんですよね?」
リリィの『解答』を聞いて、シュトは笑顔浮かべた。
「そう、そういった意味なんだ」
ルイもリリィに続くように、今までのやりとりをみて、手を挙げてシュトに自分の『見解』を述べた。
「あ~、オレも何となくわかったぞ!。『名前』とか『形』とかはっきり言ってやれば、アトさんには分かり易いって事なんだな!」
「うわあ、嬉しいし、ありがたいな」
シュトは半ば感動している様子で、リリィとルイを見ている。
ちょっとしたアクシデントを挟んだお陰なのか、『抽象的』と『具体的』の理解が、普通に学ぶより深くリリィもルイも出来ていた。
「それを踏まえて、話を戻すんだけれど、銃は、部品1つ1つでも『具体的』で『はっきり』した手順で整備したり組み立てたりするものだから、一連の作業を覚えたアトにとっては得意分野になるんだ」
シュトがそういう頃には、この場にいる全員は『アトとの付き合い方』が大凡理解出来ていた。
「じゃあ逆に応用というか、途中の作業に工夫や機転が必要な事は苦手なんですね?」
アルスが尋ねると、シュトは眉間にシワを刻みながら深く頷いた。
「そうすっね。対処の仕方次第では軽くパニックなります」
そこでリリィは、昨晩の御手洗いの事を思い出した。
いくら言葉を丁寧にゆっくり言っても、アトは頑なに『いつもと違う』御手洗いをなかなか受け入れる事が出来なかった。
「でも、それだと毎日大変じゃないか?。考えてみたら決まりきった毎日なんか、あんまりないっすよ」
珍しく困惑の表情をしたルイが、ソファーでニコニコしているアトを見ながら言った。
「うん、確かにそこがアトの障がいの短所と言うべきかな。
ただフォローの仕方次第で、俺達兄弟は今の所は結構やれてはいるから、そんなに困っているつもりはないんだ」
シュトもルイのように考えた事は、いくらでもあったのだろう、そこは苦笑して頭掻きながら答えなれたように喋る。
「ふむ、では互いに理解を深めたところでそろそろ食事を終わろうか。
シュトやアトも一応『用心棒』の仕事の為に、この宿場町を出ないといけないのではないかのぅ?」
グランドールが話を切り上げる用に言うと、皆が一斉に部屋の窓辺にある置き時計を眺めた。
「8時10分です。出かける準備をします」
アトが流暢に時計を見て喋る。
「歯を磨いて、顔を洗います」
続けて喋り、ソファーから立ち上がるとシュトに駆け寄り、腕を引く。
「はいはい、じゃあ帰るか。アトの事をこんなに理解してくれた人達と別れるのも惜しいですけれど。昼前の馬車で雇い先への直行便のキャラバンに乗せて貰う約束があるんで、これで失礼します」
シュトが礼儀正しく頭を下げた。
「もし良かったら行き先を教えてくれんかのぅ。せっかく出来た『縁』だ」
グランドールなりの細心の注意を入れたつもりで、『銃の兄弟』に探りを入れていた。
「俺も名前しか知らない場所なんですけれど、師匠の幼馴染みの故郷だそうです。
『ロブロウ』って名前の領地での、そこの領主様の用心棒が仕事しか分からない感じですね。それでじゃあ、ありがとうございました」
シュトはそう言って、時間通りに動きたいアトに手を引かれるようにして、部屋を出て行った。
(―――"あの子"達と、争ことがないといいね)
アルスとリリィとルイが2人を見送る為に部屋を出た後、グランドールの頭の中にウサギの賢者の声が、少しだけ切なさを含んで響いた。




