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脳裏清掃員  作者: Gmy
一章

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8/19

脳裏対策局

夜露が小鳥のさえずりに消入る曙光の朝。

事務所での朝食は、少しの喧騒と共に始まる。


「ねえちゃん今日ってなんか仕事あったっけ?」

アキラがご飯を掻き込みながら問う。

「ん、今日はフリーね。久しぶりに買い物にでも行こっか?」

真衣は一瞬、行儀の悪さに目くじらを立てるが『まぁいつものことか』といった様子で目を閉じた。

「お、いいじゃん!へへっ。今日はちょうど週刊の発売日だし、ちょっと本屋にもよっていい?あ、じいちゃん醤油とって~」

楽しそうに笑顔を見せるアキラ。対する博士はそれを羨ましそうに眺めていた。


「いいのぉ二人とも…儂も今日くらい気分転換に……」

「博士は書類整理があるからダメです。というかそれ、昨日までの処理案件じゃなかったです?」

真衣が有無を言わさぬ態度でピシャリと言い放つ。博士は年甲斐もなく泣き崩れた。


「あははっ。じいちゃん、昨日夕方にうたた寝してて遅れてやんの~。…ってじいちゃん!これ塩じゃん。醤油取ってって言ったのに」

その言葉に一転。博士は椅子から立ち上がり、身を乗り出しながら箸を突き付けた。

「なぬ。ベーコンエッグには塩一択じゃろ!アキラ貴様邪道に走りおったな!?」

「いや醤油が一番だし~!じいちゃんの方こそ塩なんておっかしいじゃん!」

「はぁ…博士、午前中にはその書類。済ませておいてくださいよね。それとベーコンエッグにはウスターソースですから」


――真衣が目覚めてから数週間。


何気ない日常を取り戻した三名はそれそれが意味のない主張を掲げ、いがみ合う。

うち若干二名は行儀悪く、身を乗り出しながら言い争いを繰り広げていた。

それを冷めた目で「我関せず」と面(おもて)には表しながらも、不(・)毛(・)な(・)主(・)張(・)だけはしっかりと置いて行く真衣。

自分では気づいていないようだが――彼女にもまた、夏炉冬扇(かろとうせん)を是とする気は引き継がれているのであった。

そんなもたつく喧騒が染み渡った空間に、珍しく来客を知らせる鐘が鳴り響く。


「おや。この時間に来客とは珍しいね」

博士が分かりやすい疑問の表情を浮かべる。真衣はいつも通りすぐ立ち上がり、身なりを少し整えた。

「そうですね…私が見に行ってきます」


「頼んだよ~」という博士の言葉を背に、真衣は玄関へと向かうことにした。


――――――――――


玄関には築四十年を誇る、遮光版が入った手押し式の木製ドア。

朝の光が漏れ込むドアに手をかけ、真衣は『面倒ごとだったらやだな』と小さく思いながら開け放った。


朝の晴れやかな日差しに、真衣は少しばかり目を細める。

そこに立っていたのはグレーのワイシャツを腕まくりし、同系色のスラックスを穿いた中年の男。

黒髪には白が混じり始め、無精ひげと精悍な眼差しも相まって、どこかくたびれたような強さを纏わせていた。

そんな苦労を感じさせる苦笑いに、真衣はぱっと目を見開く。


「堂島さん!」

「おう、嬢ちゃん。朝早くからすまんな」

堂島と呼ばれた男は軽く腕を上げ、不器用そうな笑みを浮かべる。

玄関から流れる朝の風は心地よく、まるでその男が纏う包容力を体現するかのようだった。


精悍な中年の名は堂島幸雄(どうじまゆきお)。

政府直轄の脳裏対策局職員で、真衣や博士とは付き合いの長い、取引相手の一人だ。


「いえいえ、お気になさらず。それより今日はお一人ですか?」

真衣の言葉に堂島は身体を横にずらし、腕組みをしながら後ろを振り返る。

「いや、能木(あたぎ)のヤツも一緒に来てんだが…書類を車から持ってくるのに手間取ってるみたいでな。あいつの鈍くささには困ったもんだ」

そのまま壁に寄りかかり、脱力した様子でまだ見えぬ部下へ遠い目を送っていた。


「まぁそれも、能木さんらしいっちゃらしいですけどね」

真衣は眦(まなじり)を弧の形に歪め、少しばかり苦笑する。

すると堂島も片眉と口角をわずかに上げ『どうしようもねぇよな』とでも言いたげなため息を乗せていった。


「そういえば――老師(せんせい)はいらっしゃるか?」

堂島はすぐに佇まいを正すと、真面目な表情をしながら問いかけてきた。

「えぇ、朝食中でしたから。…やっぱり面倒ごとですか?」

「あぁ。少し、な…」

堂島の目元には皺が寄り、疲労の滲んだ表情が浮かぶ。

その事情を、真衣は知ることができない。ただ堂島を見つめることしかできず、両者の間には静かな帳が落ちる。


――数瞬にも満たない会話の途切れ。


しかし着実な重苦しさを纏いつつあった空気は、予定していなかった闖入者(ちんにゅうしゃ)によって破られることになる。


「おや、堂島君じゃないか」


振り返るとベーコンエッグの皿と箸を両手にした博士が、リビングのドアから顔を覗かせていた。

重苦しい空気など察することもせず、場違いなキョトンとした間の抜けた表情によって沈殿した空気は流れを取り戻す。


「老師。ご無沙汰しております」

堂島はそんな威厳の欠片もないような博士に向かい、礼儀正しい一礼と丁寧すぎるほどの言葉を送る。


見た目仕事人な堂島が、見た目ダメ人間な博士に拝謁する。


いつも通りの一幕ではあるのだが…いつまで経っても慣れることのない、そのちぐはぐな関係を前に

真衣は少しばかり、幻想に泥を塗ってやりたい気持ちへと駆られた。

「博士、せめて食器は置いてから来てください。行儀悪いですよ」

それを聞いた博士は「おっと…」と言いながら皿を後ろ手に隠し、まるで初めから持っていなかったかのような表情を繕った。


真衣はそんないつも通りの博士に対し、呆れたため息によって自分の意見を添えてみせる。

堂島に『共感』という名の免罪符をちらつかせるかのように…

だがその努力も、虚しく終わったようだ。

隣では表情に微塵の陰りも見せぬまま、変わらぬ礼儀を弁えた堂島がいた。


(やっぱりか。堂島さんはなんでこんな人を慕ってるんだろ…)

何度目ともなる疑問を浮かべた真衣。

しかし結局その答えは見出せず、またも首を傾げることになるのであった。


――――――――――


「お、堂島さんじゃん。今日はどったの?」

リビングに戻ると、視線だけをこちらに寄越したアキラが彼なりの挨拶で出迎える。

「おう坊主。生意気な口調は直ってねぇようだな。ちゃんと老師(せんせい)の言うことは聞いてんのかぁ?」

それに対し堂島はニヤッとしながらアキラの頭へと大きな手を被せ、ガシガシと乱暴に撫で始めた。

アキラは「ちょ、やめろよぉ!」と嫌がり、その太い腕を両手でなんとか抑えようとしていたが…失敗していた。


ひとしきり可愛がり、満足した堂島は屈託のない笑みを一瞬浮かべ――すぐに真面目な顔を博士に向け直す。

「のちほど能木が詳細な資料を持ってきますが…先に少し現状を整理しておきましょう」

「うむ、分かった。書斎で話しは聞くとしよう。真衣、能木君が来たら書斎に案内してやってくれ」

いつもより少しだけ真面目な博士の姿に、真衣は異論なく頷いた。


「にいちゃんも来てんのか!?」

アキラが嬉しそうに声を張り上げた。


堂島が昇進した五年前より、能木と堂島はバディを組み始めている。

丁度その時期はアキラがこの事務所に来た少し後だったこともあり、能木は「にいちゃん」と呼ばれるくらいには深く慕われていた。


――まぁ、その半分以上が世間話(機密漏洩)の良い相手だから。という理由であることはさておき…


その関係性を少々勘違いしている堂島は、アキラの頭を先ほどとは違って優しくポンポンと叩き、リビング奥にある博士の書斎へと入っていった。


「なんか、面倒ごと?」

その姿を見送り、機微よく察したアキラが振り返る。

「みたいね。今日は能木さんも仕事にかかり切りかもよ?」

出来る事のない真衣は興味無い素振りを見せ、食器を片付け始めていた。


「えぇ~!マジかよぉ…やだやだにいちゃんと遊びたい~!」

明らかに不満げな顔をしながらブー垂れるアキラ。

そのまま何事か考える素振りを見せる。堂島を説得する口実について考え始めたようだ。


今回の依頼内容を知る唯一の方法でもあるので…真衣はあえて、そのことに関して何も口出しをしない。

ただ都合よく、策士の駄々が通ることを願うばかりである。

そんな捕食者どもに狙われているとは露知らず…獲物が虎穴にエントリーした扉の音はまもなく、玄関の方から聞こえてきた。


「はぁ…はぁ…あれ?堂島さんがいない?真衣ちゃんにアキラ君。堂島さん来なかった?」

リビングには息も絶え絶えとさせながら分厚いバインダーを持ち、膝に片手をついた青年が姿を現す。


肉付きの少ない線の細い身体と、少しのくせ毛。

幸薄そうで平凡な顔に、白ワイシャツと黒のジャケット姿がある意味でフィットしている彼こそ――堂島のバディ、能木光昭(あたぎみつあき)である。


「にいちゃん。今日も無駄にバタバタしてんなー」

「あっはは。社用車の中に書類ぶちまけちゃってね…ってそうじゃなかった!堂島さん来なかった?」

「今、博士の書斎で情報交換されてますよ。能木さんを待てなかったみたいで」

真衣がそうつつくと、能木は「ヤッベ!」という若者らしい焦り声と共に、ドタバタと書斎へ駆け込む。

「すみません堂島さん!遅れました!」

能木はやかましく扉を開け放つと同時に、綺麗な腰の角度でもって謝罪をしていた。

「能木、遅かったな。持ってきた資料はそこんテーブルにでも置いてくれ」

堂島はいつも通りの雰囲気でそう言うと、軽く労いの言葉をかける。


扉越しには二人が向かい合ったソファーに座っていた。

何やら難しそうな文字が羅列された資料を広げており、それらは所々記号や単語によるメモもされているようだ。

そんな堅苦しそうだった空気に『能木』という清涼剤が混じる。

それを機だと見抜いたのか、待ち構えていた我が家の幼獣はひょっこり顔を出しに行った。


「なぁなぁ〜堂島さん。にいちゃん借りてってもいい?」

ドア枠から顔だけを覗かせたアキラ。普通に言えばいいのに、そのやり方は意味があるのだろうか。

「あっはは…アキラ君、流石に今日は僕も仕事だからね?」

「えー!んだよせっかく遊べると思ったのに〜。なぁなぁ堂島さんいいだろ〜?どうせにいちゃん居たってあんま変わんねーんだしさぁ」

アキラのそこそこひどい指摘に、能木が衝撃的な表情を浮かべる。

「むぅ…」

しかし、それに対する堂島はうなり声と共に考え込むだけだった。


その肯定でも、否定でもない態度に他意はない。

しかしその沈黙は雄弁に、堂島の能木に対する”扱い”として現れてしまっていた。

『失礼は上司が戒めてくれるだろう』と信じていた能木はその非常に残念な結果を受け、人知れず涙を呑むのであった。


「いや、そうだな…能木、今日は坊主達と外回りでもして来い」

「え?よろしいのですか?」

言葉とは裏腹に、能木の顔には隠しきれない喜色が見えだす。

現金なもので面倒な仕事から一時解放されると思ったのだろう。先ほど涙を呑んだ感情などさっぱり忘れる能木であった。


「あぁ。社用車ん中に、まだ未処理の個人依頼リストがあっただろ。お前であれば間違いも起きん。今日は坊主達とあれの処理でもしてこい」

能木は一気に萎(しお)れた。

もはや決定事項とも思われた提案にはしかし、渋い顔をした博士が声をあげた。


「堂島君…真衣への依頼は私を通してもらわないと。事前調査もせずに任せることなんてできない」

能木は博士の反論に追従し、ライブ観客の如く猛烈なヘドバンでもってその小さな意見を主張する。

その隣で堂島は刹那にも満たぬ一瞬、疲労が滲んだ表情を浮かべていた。

「老師…前にもご相談したではありませんか。この業界は万年人材不足。彼女らのような有望な人材を遊ばせておくわけにはいきません」

「しかしだね…」


二人が意見をぶつかり合わせている間、能木はまるで百面相な芸人かのように表情がころころと切り替わってゆく。

それを少し面白がって眺めていた真衣も『流石に結論を出させるか』と考え、その終わりなき争いへと口を挟むことにした。


「堂島さん。その依頼、やらせてください」


その言葉に、全員の視線が真衣へと集中する。

二人ほど『信じられない』といった様子でオーバーな表情で固まったヤツらがいるが、気にする必要もないだろう。


真衣の主張を後押しするかのように、堂島も許容できる落としどころに着手する。

「老師。任せるリストは、まだ”休眠”にも入っていないものに限らせます。ですから少し、信じてやってはいかがですか?」

博士は複雑そうな表情をしながら瞼(まぶた)を閉じ、少しばかりの間考え込んでいた。


やがて細く瞳を開くと絞り出すように「分かった」と小さく呟く。

それを受けてようやく、真衣と堂島は揃って肩を降ろすのだった。


若干二名、決まってしまった現実に崩れ落ちていったようだが――真衣にとってはもはや、どうでもいい些事に思えた。

用語解説


●脳裏対策局(のうりたいさくきょく)

脳裏清掃員を始め、数多くのオペレーターや研究員、訓練生を抱えた国の機関。現在は世界心象の担当区域ごと北部・東部・南部・西部と中央本部に分かれており、更に各支部で一課から六課まで細分化されている。

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