幕間 消えた饅頭
静けさの落ちた室内に、カリカリという規則正しい音が流れる。
たまにトントンという机を叩く音も混じっており、その小さな合奏は築四十年の一室に心地良いリズムを刻んでいた。
ふと、窓際から差し込むオレンジ色の伸びた光が、机の末端を染め上げる。
それを視界の隅に捉えた部屋の主はようやく、それまで無心に走らせていたペンの手を止めた。
窓越しの風景には茜色の空。防災無線の流す『夕焼け小焼け』を唄うメロディーが、斜陽の風情に懐かしい情景を重ね映す。
その馴染み深い音を聞いてようやく、どれほどの時間が経っていたのかを思い出した。
「もう17時か。そろそろ夕飯の準備しないと」
部屋の主は「んっ!」という声を漏らしながら思いっきり伸びをする。重い腰が椅子に癒着しかかっていたが、なんとか持ち上げることに成功した。
しばらく、そのまま凝り固まっていた身体を解す。
そうしてようやく、部屋の主――真衣は、書きかけの任務報告書へと視線を落とした。
「結局、何があったんだか…」
報告書の末尾には数行分の空白が残っている。
依頼対象の経過観察だけは丁寧に埋められている反面――心象内での行動や切除詳細については、虚しく空いていた。
「アキラも覚えてなかったもんなぁ…」
先日の依頼任務中――気が付いた時には車の助手席に座っていた。
隣には何故か焦った様子で、ハンドルをキツく握りしめた能木。
『何してんだコイツ』と思った真衣は、そのままの気持ちで能木へと声をかけると――何故か驚いた能木がハンドル操作を誤って、危うく大事故になりかけた。
『公務員がなんてスピード出してやがんだ』と愚痴も飛び出そうになったのだが、続く能木の言葉には目を白黒させるしかなった。
――いわく、二人は依頼任務中に気を失っていたらしい。
そう言われて初めて、真衣は自分達が依頼任務の途中だったことを思い出した。
(あの巨人に殴られたところまでは覚えてるんだけど…)
真衣はいまだ痺れる左腕を少しだけ摩る。
真衣の記憶は心象生物に思いっきり殴られた辺りから、ぼやけたように無くなっていた。
同じ頃に目を覚ましたらしいアキラも、聞いてみたところ同様に記憶が欠落していた。
「能木さん、何か知ってたっぽいんだけどなぁ」
何があったのかを聞くと、路肩に車を止めた能木は少しばかり考え込んでいた。
だが、すぐに頭を掻きながら情けない顔になると「ちゃんと説明できる自信がない」と、はぐらかされてしまった。
そんな”頼りない上司”の態度に、真衣は思わず『お前ほんとにエリートかよ』と口に出てしまいそうなほどだった。
寸でのところでそれは阻止できたのだが――おそらく、とんでもない表情にはなっていたことだろう。
(まったく、これ以上書けることがないんだけど)
仕事に対して誠実な真衣にとって、その書きかけな報告書はムズ痒い思いをさせるものだった。
だが、心象内での記憶はない。故にそれ以上書けることもない。
真衣は深い吐息と共に天井を見上げた。
(こんな粗末な報告書を堂島さんにあげるのかぁ)
能木に渡すものなら兎も角。仕事人として尊敬できる堂島に、この報告書をあげるのは非常に恥ずかしい。
その原因の一端となった”仮初の上司”が脳内にチラつきだし、真衣は心の中で呪詛を吐き捨てた。
(まぁ仕方がないか…いくら考えたって思い出せないんだし)
真衣は少し首を振りながらそう考え、無駄な思考を追い出す。
どうやってあの巨人を討伐し、任務完了になったのかは少し気になるが――能木があの様子では詳しい事情を知ることもできない。
諦めた真衣は書きかけの報告書をトントンと軽くまとめ、暗くなり始めた自室をあとにした。
――――――――――
リビングへ降りていくと、早くも騒がしい二人の声が飛び込んできた。
「かかったなじいちゃん!くらえボリショイストームバスター!!」
「ぬぁんじゃあこの威力!バグじゃ!儂の方が有利だったはずじゃろ!」
「ぬあっはっは~!焦ったなぁじいちゃん!そのパナし択は見抜いていたのだぁ!」
ドアを開けると――そこには頭を抱えた博士と、気持ちよさそうにコントローラーを投げるアキラ。
画面には何やらとんでもない巨漢の男が、鼻息荒くポーズをとっている場面が映し出されていた。
状況から見て博士がゲームに負け、アキラが勝ったのだろう。
そんないつもの光景に、真衣は呆れた目つきで二人を見やる。歳の差六十以上とは思えぬ、まるで悪友かのような様だ。
「二人とも――ちゃんと今日やるべきことが終わってから、遊んでるんでしょうね?」
真衣はキッチン方面へと歩を進めながらも、少し険の滲ませた声をこぼしていく。
すると、視界の端では二人が共にビクッと肩を震わせ――まるで時間が止まったかのように、数秒前と同じ格好のまま固まっていた。
そのあまりにも分かりやすい反応を前に、真衣の足はピタッと止まる。
そして目元には、これまた分かりやすい程の影が落ちていくようだった。
「と、当然?今日中にはちゃんと終わる予定だし~」
「そ、そうじゃぞ。ジミィ君が心配することもない。儂らぁちゃんと計算して遊んどるわけじゃからなぁ」
冷や汗を滝のように流した二人は、口々に屁理屈を並べ立てる。
だが、その顔はいまだ画面に向けられたままであり、まるで真衣に見せられない顔でもあるかのようである。
(ほぅ?つまり、まだ終わってないのに遊んでたと)
言外に含まれた真意。それを正しく見抜いた一家の母に、もはや一片の慈悲すらも残されていなかった。
ゆっくりと真衣は歩の向きを変え、遊び場へと足を踏み出す。
すると、その一歩が踏み込まれた瞬間――蜘蛛の子を散らすが如く、一斉に逃げ出した。
老いは自室へ、若はリビングドアへ。まるで示し合わせたかのように、二人は真逆の方向へと逃げ出す。
一瞬その動きに翻弄された真衣は見事、二兎ともに逃してしまい――後の空間には強烈な舌打ちだけが残されていった。
(ッチ。逃げ足だけは一級品ね!)
どちらへ向かおうか迷った末――真衣の目に留まったのは、いまだ鼻息荒いポーズを取り続けた画面上の巨漢。
まるでそれが親の仇かのように目標と見定め、その憤まん冷めやらぬ気持ちのままに思いっきり”巨漢の生命線”を引っこ抜いてやった。
それによって少しばかり発散された真衣は、続けて家中に響き渡るような大きな声を張り上げる。
「二人とも!!今日の仕事が終わるまでは晩飯抜きだからね!!!」
怒号が家の隅々に駆け巡ったのを確認し、真衣は”先ほどの巨漢”のような荒い鼻息を吹かす。
そうしてようやく怒気を収めると、当初の目的だったキッチンへと向かうのだった。
――――――――――
時間にして一時間程経過したころ。
室内灯が明るく照らし出したリビングテーブルの上には、美味しそうな料理が並べられていた。
湯気を放つ青椒肉絲。食欲をそそる馥郁とした香り。
――そして、凍り付いたかのような沈黙を主とした部屋の空気。
罪人のような二人が姿勢を正したまま座る中――料理を準備し終えた真衣が、最後に席へと着いた。
「仕事は終わったの?」
真衣の凪いだ声が、罪人二人の間を横断してゆく。
二人はそれに対し、ほとんど同じような勢いで頭をブンブンと上下に振っていた。
「そ」
真衣はそんな罪人に、短い寛恕の言葉を言い渡す。そうしてようやく、安堵の息をついた二人が食事を始めるのだった。
(何を恐れてんだか)
少しばかり、そんなバカらしい二人の姿に内心で笑いをこぼす。
真衣にしてみれば、ちゃんとやることをやったのであれば文句などあるはずもない。
この席に着いている時点で、”母の怒り”は既に解消されているのである。
とはいえ、もし後で『終わってない』なんてことが発覚するものならば――それはもう、恐ろしきこの世の地獄と成り果てるであろうが。
少しばかり思案に耽っていた真衣が現実に戻ると、二人は既にいつも通りの調子を取り戻していた。
「じいちゃん。今日の俺のやつ、結構うまかったでしょ」
「フンッ!あれはキャラクター性能が高いだけじゃろ。アキラはもっと自力を鍛えにゃならんぞ」
「うわ、でたでた~。でもあのゲーム、バランス良いって評判なんだけどな~」
「それは巷の評判じゃろ!儂が長年培った感覚の方が正しいに決まっとるわい」
「博士。唐揚げ掴んだまま箸を人に向けないでください。アキラも変顔やめなさい」
注意をしてもなかなか収まらぬ場に、真衣はため息をこぼす。
男という生き物は、何故こうも無駄な争いをしたがるのだろうか。
逆により熱気が加速したような気もする。
もはや聞く気にもなれない罵詈雑言の嵐を横に、真衣はさっさと食事を終わらせ、この場を離脱することにした。
食器を片付けにキッチンへと向かった後も、二人の争いは続いていた。
真衣はその様相にもう一度大きなため息をつき、食後のデザートとして楽しみにしていた饅頭を冷暗所から取り出そうとする。
「…あれ?」
真衣がいつもの収納扉を開くと、そこはもぬけの殻。
駄菓子やスナックといったものは見当たるのだが――肝心の饅頭が見当たらない。
『別の場所に置いたっけか』と考え始めたところで、ふと、違和感。
その原因にアンテナを伸ばしてみると――先ほどまで騒がしかったリビングが、随分と静かになったようだった。
真衣は視線をリビングへと戻す。すると、あれほどまでうるさかった二人が静かに食事をはじめていた。
真衣は勘の告げるままに遊び場へと視線を移す。
先ほど注意した時には気づかなかったのだが――何やら見慣れたパッケージの残骸が、散らかっているような気がする。
「……スゥ」
真衣は影の差したニコやかな表情のまま、息を吸い上げた。
すると急にガチャガチャと大きな食器の音をたてはじめ、二人が一気にご飯を掻き込んでゆき――
「「ごちほうはま!!」」
――口の中パンパンに詰め込んだ二人は、まるで先ほどのリプレイかのように、脱兎の如く逃げ出していった。
そんな清々しい程の逃げ足を前に、真衣はシンクに置かれた手をぷるぷる震わせ、顔を少しばかり伏せていた。
「……てめぇら――」
もはや、その憤りに蓋できるもの無し。
開門された地獄は大きく空気を取り込み、激昂した感情のままに灼熱を乗せてゆく。
「――せめて食器片づけて行けやァ!!!」
本日二度目の怒号が家中を駆け巡った。
この日の出来事は後に、罪人共によって『饅頭事変』と名付けられ――以降、真衣がキレ散らかす前兆のことを「饅頭だ」と呼ぶようになるのであった。
みなさん初めまして。著者のGmyと申します。
普段であれば作品の雰囲気や余韻を壊したくないので、前書きや後書きは書かないようにしているのですが……
今回どうしても、この場を借りて皆さまに感謝をお伝えしたく、こうして筆を取らせて頂きました。
(今回は『幕間』というストーリーの立ち位置でもありますし、いいかなぁなんつって(;^^))
先日11月11日にて、脳裏清掃員が[日間]空想科学の部門で、7位のランキングに掲載させて頂きました!
知名度もない拙著が、ここまでの高ランキングに掲載させて頂けたのは、ご愛顧頂いた皆様のおかげです。本当にありがとうございました!
合わせて評価、ブックマーク、リアクション等々、多くのアクションもご支援してくださり、ありがとうございました!
これら全てのおかげで皆様と共に、ここに辿り着けたのだと強く実感しております。
これからも、脳裏清掃員がより良い作品として皆様にお届けできるよう、尽力していく所存です。
この度は本当にありがとうございました!
まだまだ拙い著者ではございますが、今後ともよろしくお願いいたします。




