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2、境内にて

 八月も中旬にさしかかっていた。

 白く大きな綿菓子のような雲が点在しているものの、青く晴れた空には夏の太陽が燦々(さんさん)と輝き、街をすみずみまで照らしていた。

 容赦ないともいえる陽光には照らすというよりも熱しているとの表現のほうが相応ふさわしいかもしれない。


 炎天下の市街はどこの通りも人影はまばらで、セミだけが競うように元気な鳴き声をあげている。

 市の中心部からやや離れたところに位置する萌木山もえぎやまでも、中腹の山林は蝉たちの合唱会場さながらに、蝉の声がやかましく響いていた。

 そんな喧噪とは無縁という感じで、山頂に設けられている萌木神社は静謐せいひつな空気の中にあった。


 昼近くなった境内で、赤葉桜あかはざくら夜里よざとおけ柄杓ひしゃくを手にして拝殿前の参道に打ち水をしていた。

 水のまかれた石畳や土が湿り気を帯びるそばから、太陽からの光と熱が互いの速度を競うかのように濡れた地面を乾かしていく。

 そのせいで、打ち水をしたあとのつかの間は涼を感じられるのだが、すぐに夏の暑さがぶり返してしまう。

 午前の段階でこの様子だと、今日も一日汗ばむ陽気になりそうだ。

 夜里はふぅと息を吐くと、柄杓の入った桶を地面へと置き、額の汗を拭って顔を手であおぐようにして風を送った。


「暑いよー、溶けちゃうよー。暑いよー」

 と、うわ言のように繰り返しながら、拝殿裏手の掃除を終えた青嶋あおしま白雪さゆきが竹ぼうきを手にやって来て、

「うー、暑い……夏め、加減しろっての……」

 愚痴ぐちりながら、夜里の横へと並ぶ。


 ふたりともおそろいの白衣びゃくえ緋袴ひばかま、白足袋、草鞋わらじという格好をしているが、本職の巫女ではなく、同じ学校に通う女子高生でバイト身分の助勤巫女、俗っぽい言い方をすれば二重の意味でのJK巫女で、働き始めて半月足らずとまだ日は浅い。


 彼女たちが通っている女子校は、アルバイトやボランティアの活動を通しての地域貢献や将来設計を校外学習の一環として行うと同時に、個人の成績や評価に加点をするという在校生や地元民だけでなく入学希望者にも人気のある制度をとっており、夏休みに入って様々な活動を始めた他の生徒同様、ふたりもその恩恵を受けるべくバイト巫女として神社の手伝いをしているのだった。


「セミの歌会を聞いても涼しいって感じにはならないし……やっぱね、こっちはもう名前からして夏仕様じゃないのがね」

 白雪はぼやきながら、掃除の行き届いた境内を見渡す。


 数日前に行われた夏祭りの夜に並んでいた数々の屋台や提灯飾りは片付けられ、萌黄もえぎ色をした大鳥居、狛犬の代わりに人々を迎える2体の猫の石像、蛇の口から水が流れ出る手水舎ちょうずしゃに、絵馬や御守りを扱う授与所じゅよじょといった神社を象徴するものの周りにも人の姿はなく、境内は広々と感じるようになっていた。


 そんな境内の一画にある小さなほこらの前には、祭りの熱気とも夏の熱気とも異なる熱を発している二人組がいた。


「鶴さんと亀さんのふたりはこの暑い中よくやるよね……私だったらとっくに溶けて地面に染み込んでるよ」

 と、白雪は率直な感想を口にし、夜里も視線をそちらへ向ける。

 彼女たちの視線の先では、ふたりの少年が舞いの練習に専念しており、すぐそばには彼らの監督役として事細ことこまかに指示を出している少女がいた。


 その少女も巫女の格好をしているが、袴は大鳥居と同じく黄色がかった緑、いわゆる萌黄色をしていた。

 見た目は十二、三歳くらい、肩に届くか届かないかという長さのゆるやかにウェーブがかかった髪、ぱっちりとした大きな瞳という可愛らしさと裏腹に、姿勢はピンと伸びた背筋によってりんとしていながら、所作のほうは年相応というよりも幼く見える。

 彼女の名前はモエギ。この萌木神社でいちばん偉い存在ということになっているが、夜里や白雪といった助勤巫女たちのあいだでは『モエギちゃん』、『ヒメさま』と半分マスコット扱いになっている少女だ。


 そしてモエギから指導を受けているのが、鶴さんこと鶴来つるぎ龍星りゅうせいと亀さんこと善亀ぜんがめ陽樹はるきのふたりで、夜里や白雪と同年代の彼らは白衣に水色の袴といった神主めいた衣装を着て、連日この境内で修練を重ねていた。

 神職のような服装は、彼らの舞いが奉納や儀式のための舞いであることから儀礼的な意味での格好だと聞いている。


 夜里と白雪のふたりが彼らと初めて会ったのは数日前の夏祭りの日。

 神社の授与所に勤めていたときに、この神社の由来を尋ねてきたのが彼らだ。

 そのときは不勉強で答えることはできなかったが、今ではおおまかな由来ならカンペなしでもそらんじることができるくらいにはなっている。


 その昔、人々に服飾の基礎をさずけたという機織はたおりの天女たちの中から選ばれ、神々の力を授かった神剣七天罰(しちてんばつ)を手にこの地を荒らし回っていた魑魅魍魎ちみもうりょうを退けた仙女を、福と服の神ハタオリノモエギヒメとして奉ったというのがこの萌木神社の由来だ。


 少年ふたりの舞いは萌木神社に所縁ゆかりがあるという天久愛あまつひさめ流剣術をもとにした剣舞で、その性質上か、彼らの動きは伝統芸能的な舞踊というよりは刀剣の修行めいたものに見えた。

 ここ数日、稽古の際に手にしている小道具は模造刀であったり和傘であったりと日によって違っていたが、今日はふたつの扇子を両手に持ち、これまでとはまったく異なる緩急の激しい動きを繰り広げている。


「おや、今日はいつもと違う感じ?」

「そうみたい」

「なら掃除さぼってでも最初から見てればよかった」

「それはダメでしょ」


 そんな会話をしていると、

「赤葉桜さん、青嶋さん」

 背後から声をかけられ、ふたりはあわてて姿勢を正した。

「さぼってません! さぼってません!!」

 白雪は竹ぼうきで辺りを掃く仕草をする。


 ふふふ、と軽く笑う声にふたりが後ろへと振り返ると、本職である巫女シズカが優しげな微笑みを浮かべながら立っていた。

 二十歳前後に見える色白の育ちがいいお嬢様風の外見で、短い髪をしている夜里と白雪とは違い、つやのある長い髪を背の中程まで伸ばし、うなじの辺りで軽く束ねている。

 萌木神社に仕えている三人の巫女の中でもっとも正統派の巫女で、慣れない仕事に戸惑う助勤の巫女たちのまとめ役をになうおっとりタイプの優しいお姉さんといった感じの女性だ。


「これを姫様たちに持って行ってあげて。そうしたらお昼の支度をしましょう」

 穏やかかつ優しげな口調で、シズカが告げる。

 ただ聞いているだけでも心地よさを感じる声だった。


 彼女が示したのは、水色のキャップをした2リットルサイズの麦茶ポット、三つの透明なグラスとフタのついた白く小さなシュガーポットが載った長方形のお盆と、おろしたてのような白いフェイスタオル2組だった。


「桶とほうきはこちらで片付けておくから、お願いね」

 シズカから差し出されたタオルとポットを白雪が受け取り、夜里はグラスとシュガーポットの載ったお盆を受け持つ。


 若い巫女ふたりは祠のほうへと歩みを進めながら、

「いや~、毎度のことながらシズカさんの声ってヤバいよね、こうなんていうかさ――」

「声におぼれるっていうか、声に沈み込んでいく感じ?」

「そうそう、そんな感じ。耳でシアワセを感じるというか、あれは魔性の声だわ。いや~、バイトで巫女をチョイスしてよかった。シズカさんはきれいで優しいし、ヒメ様はちっこくて可愛いし……」

 と、ここで言葉を切った白雪に、

「鶴さんと亀さんは……?」

 興味津々という感じで夜里が尋ねると、白雪は少し考え込んで、

「……そこそこイケてる? というか、めちゃくちゃカッコイイってわけじゃないけど見た目は大事っていうか。いや大事なのは見た目だけじゃないんだけどさ」

「外見はよそに置いといても、いい人っぽいよね。こっちの手伝いとかいろいろしてくれるし」

「まあでも今のところはカギカッコのついた『いい人どまり』かなぁ」


 などと話していると、こちらに気付いたモエギと視線があったので、

「ヒメ様、おふたりさーん、ひと休みしませんかー」

 と、白雪は祠の前にいる三人に明るく声をかけた。

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