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二十二話 無関心

「そういえば、ちゃんと言ってませんでした。申し訳ありません」


 屋敷に帰宅し、莉緒がようやく自分の部屋へと悠々とした足取りで戻ろうとしていると、背後から皐月に声をかけられる。

 いや、彼女は深く頭を下げていた。これが日本のOZIGIだ、とでも言いたくなるような綺麗な所作で。


「……何が?」


 対する莉緒の反応は薄い。本気で何故謝られているのか分かっていないようだ。


「作戦の事です。私達だけで決めた挙句、失敗までしましたからね。莉緒さんにあれだけ危険な役目を押し付けたと言うのに……」


 皐月が唇を噛む。少し血が滲んでいるところを見るに、相当悔しかったのだろう。普段の彼女からはあまり見ない表情になっている。


「別にいいよ。必要だったんだし、何より無事に済んだわけだし」

「……やっぱり、怒りすらしないんですね」


 薄々そんな気はしていた、とでも言いたげな口調だ。それに対し、莉緒は少し彼女に訝し気な視線を送るものの、その目にはやはり感情の色は無い。目の前で何を言われようと、何をされようと莉緒がまともに感情を見せる事は無い。

 実際、皐月は莉緒の言葉を一言一句、という程では無いが、想定はしていたのだろう。彼はあの話し合いの中でさえも、自分を危険に晒した特戦課のメンバーを責める事はおろか、あの作戦についての言及すら無かった。彼もまた作戦の事を把握していた、とは考えづらい。巌ですら、いつの間にか莉緒が連れ出されている事に気付くまで、作戦を察する事が出来なかったのだ。

 おそらく、単純に興味が無いのだ。自身がどれだけ危険に晒されようと、何に巻き込まれようと。その証拠に、先日エイジに命を狙われかねないと言われた時でさえ、眉一つ動かす事は無かった。

 これまで皐月は、莉緒がここまで自分達に心を開かないのはこれまで自分の身が置かれていた状況のせいだと思い込んでいた。しかし、今日の作戦中の莉緒の落ち着きようや、ここまで彼が何も言わなかった事を改めて思い出すと、果たしてそれだけが原因と言えるのだろうか。ここに来て皐月は疑問に思い始めていた。


「それを寛容、とは言えません。どちらかと言うと無関心、と言われるものです」

「……だから?」

「異常だと言いたいんです。あれだけの事態に巻き込まれて、尚且つ明日の安全すら保障されないんですよ!? にも関わらず、何故そこまで無関心でいられるんですか!? 自分の事ですよ!!」


 ……ここまで皐月が言葉を、感情を荒げるのは非常に珍しい。単純に気になる、程度の感情ではここまでにはならないだろう。この三か月、目の前の少年を見、一緒に過ごし続け、何故莉緒がここまで親族に受け入れられないのかが理解出来なかった。別に人格が歪んでいるわけではない。性格が厄介な、というわけでもない。ただ、親のせいだから、というだけの話だった。

 それを理解し、保泉一家は彼に歩み寄ろうとした。しかし、帰ってきたのは明確な拒否や拒絶では無い。いや、度合いによってはそれらよりも酷い。接する事すら避けられる。前段階にすら入っていないのだ。

 莉緒は心を開かないのではない。そもそも開く気が無いのだ。彼にとって、自分達は家主の一家、そして彼は庇を借りているだけ。要は大家と住人というだけの関係だ。

 同じ姓を、いやそもそもの話、莉緒と皐月は従兄妹同士だ。血縁を見れば、決して他人とは言えない。しかし、莉緒の態度は他人に対するそれ以外に思いつかない。そして……


「異常だったとして……、君は何か迷惑を被ったのかい?」


 これである。皐月は自分の為に言っているのではない。あくまで莉緒の事を慮っているだけの話だ。それに対し、ここまで捻くれた、いや、本人は素でそう思っているのかもしれないが、こんな言葉を普通は返せない。


「そういう事を言ってるんじゃありません! 私は……!!」

「俺はここに来た時、最初に言ったはずだよ? 家人には、必要最低限以外の接触を行わない。これは迷惑をかけない、という意味でもある。実際、君らは被害を被ってはいない。なら別に文句は無いはずだ。それとも、住み着いたネズミが喋るのは癇に障る、とかそういう事?」

「誰もそんな事は言ってません!!」

「だったら何が言いたいのよ」


 ここに来て、ようやく莉緒も感情を見せ始めた。しかし、彼の顔に浮かんだのは、怒りや苛立ちでは無く、ただただこれまでに蓄積した疲労感だ。つまるところ、言外にお前と話すのは疲れる、と言われているも同義だろう。


「それは……!!」

「お姉ちゃん、帰ってきたの?」


 続けようとした皐月だったが、彼女の背から聞こえて来た声に、つい言葉を詰まらせる。眠い目を擦りながらも、必死に姉の帰りを待っていたのだろう、沙羅がパジャマ姿でそこに立っていた。


「沙羅、何で……。あ、ちょっと、莉緒さん!?」


 一瞬、沙羅の方へと視線を向けた瞬間に、莉緒が音も立てずに踵を返していた。追う事も考えたが、ふらふらと抱き着いてきた沙羅を引き剥がす訳にもいかないのか、少し困った表情で足にしがみつく妹を見ていた。




 翌朝。

 やはりというか、莉緒は巌の言いつけを一切気にも留めず、今日もまた一人での通学を選ぼうとしていたが、何故か普段使っている使用人口が開かず、ならば別のルートで、と一瞬隙を見せたのが甘かった。


「莉緒様、これからは皐月様達と一緒に通学してもらいます」

「……」


 有無など言わせない。そんな顔だった。

 結局、普段はどのような態度をとられようと、結局は自分の行動を押し貫く莉緒だったが、この日は立淵の異様な雰囲気に押され、皐月達と共に登校する事となる。なんだったら朝食も共にしないか、と誘われるも、それだけは固辞し、一人屋敷をぐるりと囲む塀の上に腰かけて、そこから見える景色に視線を向けていた。


「何か面白いものでも見えるんですか?」

「別に」


 背後下方から聞こえて来た声に、面白く無さそうな声で返答する。答えられた方も、昨晩の事があったからか、どこかむくれた表情をしていた。

 塀の上から降りた莉緒は、既に準備が完了している皐月に続いて、車内に乗り込む。当然、莉緒は屋敷から出ようとした時、既に通学の準備は済んでいる。その状態から二時間程待ちぼうけを受けた訳だが、本人は特に気にした様子も無い。


「お待たせ~」


 少しして、蘭と沙羅もやって来る。ひらひらと手を振る彼女に、莉緒は小さく仏頂面を作っている。


「あれ? 待たせ過ぎた?」

「そういう事じゃないと思うよ。とにかく、蘭も沙羅も早く乗りなさい」

「狭ーい」

「我慢して、ね?」


 車のサイズとしては、普通のセダンタイプだ。流石に五人も乗ると少し手狭になる。とはいえ、後部座席に座るのはやはり三人姉妹だろう。そう思えば、多少はこの狭い車内でも余裕が出来るというもの。


「私前に乗りたい!」


 ……と思いきや、沙羅の唐突な願望により、車内の座席バランスが崩れる事となった。


「俺もあんまり体大きい方じゃないけど、流石にこれは狭くない?」

「……仕方ありません。莉緒さんを一緒に、という話をしていた時から、覚悟はしていました」

「ぐへぇあ……」


 そうは言っても、一人は女子中学生、二人は高校生とはいえ、莉緒の体格はそこまで大きくはない。それが広いセダンの後部座席に三人揃ったとしても、流石にぎゅうぎゅう詰めになる程ではなく、莉緒が多少体を縮こまらせている事も相まって、存外余裕が見られる。


「乗られましたね? では出発しますよ」

「お願いします」


 立淵が車を発進させる。その間、彼の言葉に返答した皐月以外は特に口を開く者はいない。いや、沙羅だけは普段と違う視点からの景色を楽しんでいるが、莉緒はこうして一緒に通学する事が煩わしいのか、先程から同じ表情を維持し続けている。


「そういや、一緒に行くって事は、お兄さんも九十九に通うの?」


 そんな空気を知った事かとぶった切ったのは、蘭だ。しかし、その呼び方に少し違和感を感じた皐月が怪訝な表情を浮かべて蘭を見たが、彼女はただ笑顔で莉緒の方を見ている。


「……そんなわけないじゃない。俺は今の学校から転校はしない」

「え、それじゃあ遠回りになるんじゃない? 確か、お兄さんの通ってる学校って、結構離れてなかった?」

「流石に校門前まで行く必要は無いだろうよ」

「え~、お兄さんの通ってる学校がどんなのか、見てみたかったのに~」

「……」


 今度は心底嫌そうな表情に変わる。何と言うか、先日のあの一件以来、妙に蘭の距離感が近い。必要以上に関わらないと最初に言った為か、莉緒がまともに取り合う事は滅多に無いものの、それでもへこたれずに毎回絡んでくる。迷惑を被っているわけでは無いが、彼としてはあまり好ましい事ではないのだろう。声をかけられる度、今と同じ顔を何度も見せていた。


「蘭、あまり無茶は言わないの。……でも、放課後の事を考えたら、朝校門前まで言っても特に問題は無いように思いますが?」

「放課後は時間ずらせば人の数はまばらになるけど、朝はそうもいかないでしょ。だからだよ」

「時間をずらされると、それはそれで困るんですが……」

「大丈夫でしょ。俺がそっちに行く時間が多少遅くなったところで、何かが変わるわけでも無いだろうし、流石に俺に執着はしても、俺自身を理由に襲撃は無いでしょ。昨日もそうだったし」

「それはそうですが……」


 莉緒の言う事も一理ある。確かに、昨日の襲撃は莉緒を基点としたものでは無かった。エイジの動きも、莉緒を積極的に狙うというより、見つけたからなら一緒にやってしまおう、といった感じだった。一応、因縁はあるが、極端に執着している節は無い。ならば、このまま莉緒をフリーにしていても、彼に直接狙われる可能性はほとんど無いだろう。


「なら俺がいくら遅れようと問題は無いだろうさ。俺がいなきゃどうしようも無い、なんて状況も無いだろうし」

「そう……ですね。確かにそうです」

「では、このまま学校から少し離れた場所に降ろす、という事でよろしいですかな?」

「いや、今から言うところに向かって下さい。場所は……」


 莉緒と皐月の会話を聞いていた立淵が、莉緒の話す通りの場所にハンドルを切った。




「……んで、どういう状況だこれ?」

「ぃよっ!」

「では、私はこれで」


 軽く挨拶をする後ろで、立淵が車に乗ったまま莉緒へ挨拶をして、そのまま次の目的地である九十九第一学舎へと向かう。

 遠ざかる莉緒と、その友人と思しき眼鏡の少年の姿をジッと見つめながら、皐月は小さく溜息を吐く。


「満面の笑顔だったね、お兄さん。家じゃずっと無表情だから、あんな顔初めて見た」

「そうね……」


 本来であれば、身内である自分達にも向けられるはずであった顔を、ああやって他人に向けている事に複雑な思いでも抱いているのだろう。皐月の顔は、釈然としない表情で満たされていた。

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