東京の祖父と話す
東京で祖父と話し合う機会ができた裕一。何を言われるのか。。
正月明け早々、祖父母も僕と一緒に、東京に行くことになった。
西師匠のピアノのレッスンを受け、東京のおじいさま(母の父)に会う事に。
本当は僕一人で、レッスンだけ受けかえって来るつもりだったけど、東京の祖父が
是非、会いたいと言ってきたので。
祖父母は僕を心配してついて来てくれた。過保護だよな。
西師匠の前で、僕は持ち前のビビリ根性発揮、緊張した。
師匠の前でピアノを弾くのは1年ぶりぐらいか。そのうち半年以上はちゃんと練習
していない。ピアノを弾き始めると、なんとか落ち着いてきたけど。
師匠は黙ってるだけで、僕はベートーヴェンのソナタ1番を最後まで弾いた。
2楽章のアダージオの所は、楽勝とおもったけれど、ゆっくりした曲は、
かえって難しいのを実感。失敗やアラが目立つからだ。
僕が弾き終わった後、西師匠は静かに言った。
「うん、なんとか元の裕一君に戻ったようだね。少しレベルアップもしてるから、
八重子のおかげかな。」
よかった。”音大ではなく別の道に進んだら”とか言われたら、僕はKOだ。
「1楽章は緊張してたね。4楽章はまだまだ出来てない。ただ、あせらなくていい。
きちっとゆっくり弾く。これ基本。裕一は、前に「革命」を自分で弾いてスタイルが
崩れた。あれは、自分の実力以上の速さで弾いたのが原因だから。4楽章、時間かかる
かもしれないけど、このままの練習方法でやっていくのがいい」
それからもう一度弾き、今度は師匠の”ダメだし”の嵐となった。
ダイナミクスが速すぎ、もっとpに落として、速くならない指示通り弾くetc
優しい師匠で、もの言いは静かだけど容赦がない。
レッスンが終わって、もうグッタリした。この曲での練習課題がふえた。
指示を一言もわすれないように、録音はしてある。
家に帰ったら、楽譜みながら録音聞いて復習して。。
「じゃあ、今度は2ヵ月後だから3月かな。それまでに新しいソナタに入れるように、
頑張って仕上げて。」
西師匠の言葉に励まされ、僕は礼をして出た。
祖父母は、レッスン終わるまでは近くのマックで、待っていた。
さあ、これから”おじいさま”に会いに行かないと。
東京の家では都築さんが歓迎してくれた。
祖父母は、本当にお世話になりましたと、何度もお辞儀してる。
祖父母に細かい心遣いをしていたのは、父ではなく都築さんだし。
東京のおじい様は、書斎にいた。
僕達が入っていくと、祖父が挨拶をした。祖母は一歩さがって無言でいた。
東京のおじいさまと祖母は、電話で喧嘩した事がある。
祖母にしたら、僕をほおりだした事は、許しがたいのだろう。
それから、僕と二人きりで話したいというので、祖父母は都築さんに
応接室に案内された。
おじいさまが、聞いてきた。
「裕一、なぜ、この家を出た?音校にいかなくても、こっちの高校に入れば
よかったんじゃないのか?」
は!!今更だ。
「おじいさまが、"僕の顔など見たくない”と言った。それに僕は、東京の
中学の仲間に出くわしたくなかった。だからです」
思い出したくもない過去だ。登校拒否になって引きこもり、そんな僕を父が
自分の両親のいる摩周町の中学に、僕を転校させた。だからといって、
すぐ僕は中学に通えたわけじゃない。僕はひきこもりの登校拒否生徒だ。
結局、1度も教室に行くことはなかった。保健室に行って、自習したり、
時に先生に保健室で教えてもらったり、課題も山ほどだされた。
そして、なんとかそこを卒業した形にしてもらった。
「あの時は申し訳なかった。紀子の事には、ちょっと神経質になりすぎてた」
祖父の言葉に、過去を思い出してた僕は、現実にもどってきた。
「紀子は、息子の俊一が死んでからというもの、精神状態が不安定で。
自殺未遂をした事もある。やっと落ち着いてきた所だったので、俺は怖かったんだ。
また、前のような状態になるのかと思うと」
こんなに弱気なおじいさまを初めて見た。
「おばあさまの加減がどうですか?」確か、入院したと聞いたけど。
「紀子は一時、状態が不安定で入院もしたが、今はよくなった。伊豆の別荘に
テルさんと一緒に暮らしている。」
そうか、よかった。平穏に暮らしてるなら。
「相変わらず、”俊一はいるのよ、今はどこかへ行ってるけど” とか言うがな。
よく考えると、"生きてる”とは一度も言っていない。そこの処はわかるようだ」
おじいさま、その通りだよ。今は摩周のウチの音楽室にいる。
それで、相談なのだが、とおじいさまがきりだした。
高校生の僕に相談だなんて。。でも父も母さんもいないから。
「俊一の部屋を片付けようと思ってる。もし、部屋の中で必要なものがあれば、
持っていってほしい。」
おじいさまも、やっと心の整理がついたのかな。
おじいさま、ちょっと会わない間に、背が縮んだように小さくなった。
「都築さんにPCの扱いを教えてもらったけど、おじいさまの指示だよね。
今、それがとても役にたってるよ。グラフや表計算とかお手の物だ。
そこは、おじいさまにとても感謝してる」
これは、本当だ。陸上のマネージャーとしてPCは必須だ。
おじいさまは、”本当は俺の跡を継がせたかったんだけどな” と淋しく笑った。
おじいさま、ごめんなさい。でも僕は、マネージャーとして人に使われる才能は
あるけど、人を使う”経営”の才能はない。
断言できるよ。なにせヘタレ王だ。




