第五話 人形
1. 依頼
その日の朝、ハルはSSA支部の会議室にいた。卒業してから一週間。本格的な活動が始まっていた。朝の訓練を終え私服に着替えたハルが椅子に座っている。隣にはユキヤが化粧鏡で眉を整えている。向かいにはライが小さく縮こまっていた。その隣にイツハが腕を組んで座っている。口元にはいつもの黒いマスク。白髪の長い髪が椅子の背に垂れている。
「会議始めるよ。みんな集まってね」
アラシが書類をテーブルに広げた。
「実は今日、外部からの依頼が入ってね」
「外部? 初めて聞きます」
ハルが身を乗り出した。
「世界的モデルのイデアル。そのマネージャーのヨツユという人物からSSAに直接連絡があったんだよ。護衛を求めている」
「護衛? なぜ私たちに?」
ユキヤが化粧鏡を閉じた。鏡に映った自分の顔を一瞬眺めてから丁寧にポーチにしまった。
「神器使いがイデアルを狙っているらしい。それでSSAに護衛を求めてきたんだよ」
「モデルが神器使いに狙われるって何があったんでしょうか」
ハルが首を傾げる。
「理由は会ってから聞こう。ただイデアルという人物、少し変わってるんだ」
アラシが書類をめくった。雑誌の切り抜きが何枚か出てくる。十七年前のデビュー当時のイデアル。五年前のイデアル。去年のイデアル。
「見てごらん。十七年前にデビューしてから今まで、ほとんど見た目が変わってないんだよ」
「え?」
ハルが写真を覗き込んだ。十七年前の写真のイデアルも去年の写真のイデアルも、まるで同じ日に撮影したかのように同じ顔をしていた。赤い髪も青い目も肌の質感も寸分違わない。
「すごいアンチエイジング……」
「そういうレベルじゃないんだよ。十七年間ほとんど老化していない。これが不自然じゃないわけがない」
「確かに。どうやってるんですかね」
ユキヤが写真を手に取った。
「まあモデルは美容に命かけてるからな。俺も見習わなきゃ」
「お前はもう十分だろう」
アラシが苦笑した。
「イデアルのマネージャーのヨツユという人物が十八年前にイデアルを見つけてプロデュースしたらしいよ。、無職だったヨツユの人生を変えたのがイデアルなんだとか」
「十八年前に出会って、十七年前にデビューですか」
「そうなるね。それでヨツユはイデアルのおかげで人生が変わった。だから手放せない。そういう関係みたいだよ」
「重いですね」
ユキヤが腕を組んだ。
「まあ人の執着なんてそんなもんだろ。俺だって自分の顔に執着してるしな。今日の俺も世界一かわいい」
「それとこれとは別ですよ」
ハルが呆れた。
「同じさ。自分にとって大事なものは手放したくない。俺なら俺の顔が世界で一番大事だけどな。朝起きて鏡見るたびに感謝してるぜ」
「はいはい」
ライが小さく相槌を打った。
「ユキヤさんってそういえばいっつも鏡で自分の顔見てますよね。毎日何分鏡見てるんですか」
「5時間」
「長っ!」
「俺の顔は万物と比較してかわいいからな、仕方がないんだ」
ハルとライは同時にため息をついた。
イツハが静かに口を開いた。
「それにしても十七年間変わらない、ね。人間じゃなかったりして」
マスク越しの声は低く冷たい。
「イツハ、そういう言い方は……」
「事実を言っただけ。それに人じゃないなら匂いがしなくて助かる」
イツハはマスクの位置を直した。
「匂い?」
ハルが首を傾げる。
「私の嗅覚は鋭い。人間なら匂いで分かる。年齢も健康状態も感情も。会えばすぐに分かる」
「それはまた便利な」
「便利じゃない。人がたくさんいる場所だと、鼻をそのまま出してたら、匂いが混ざり合って気絶しかける」
イツハは目を伏せた。
「だからマスクをしてるのか」
ハルが聞いた。
「そう。負荷を避けるため。戦闘時に危なくなった時だけ外す」
「大変ですね、なんかすみません」
アラシが話を戻す。
「とりあえず会ってから詳しいことを聞こう。一時間後に来ることになってる。全員準備しておいてね」
*
2. 求助
一時間後。支部のロビーに二人の来訪者が現れた。一人は細身の男。三十代半ばくらいだろうか。やせているが目に力がある。服装はきちんとしていたけれどどこか疲れた雰囲気があった。
もう一人は赤髪の女性。長い髪を帽子に押し込み、サングラスで顔を隠していた。変装しているのが逆に目立つ格好だった。
「ヨツユです。イデアルのマネージャーをしています」
男が頭を下げた。
「イデアルです。はじめまして」
声は低く滑らかだった。けれど感情があまり乗っていなかった。サングラスを外すと青い目が現れた。写真で見たのと同じ顔。けれど実物はもっと不思議な雰囲気だった。まるで人形のように美しい。けれどどこか空虚な美しさ。
「隊長のアラシです。こちらがハル、ユキヤ、ライ、イツハ」
アラシが穏やかに紹介した。
その時イツハが口を開く
「あなた、何か香水でも使ってる?」
「え、ええ、柑橘系のものを少し、」
イツハは目を細める
「そう、」
イツハはそう返して会議室へ向かう
会議室に向かう廊下でユキヤがイデアルをちらりと見て呟いた。
「きれいな人だね。まあ俺には勝てないけど」
「聞こえてますよ」
ハルが肘で突ついた。
「褒めてるんだよ。俺に並ぶかわいさだってさ」
ハルはこの人めんどくさっ、と思った。
会議室に座るとヨツユは深く息を吐いた。
「単刀直入に言います。私たちは狙われています。正体不明の三人組がイデアルを奪おうとしているんです」
「三人組」
アラシが目を細めた。
「何があったんでしょうか」
ヨツユは一瞬躊躇った。そしてイデアルの方を見た。イデアルは静かに頷いた。ヨツユは覚悟を決めたように口を開いた。
「来日直後のことです。イデアルは変装して空港のベンチにすわっていました。変装も施しており、普通の人間ならそれを見てもイデアルとはわからないはずです。そして私が仕事の電話で数分イデアルから離れたときのことでした」
ヨツユの声が少し低くなった。
「三人組がイデアルに声をかけてきたんです。大ファンだと言って。変装しているはずなのに、なぜかイデアルだと分かっていました。イデアルは恐怖を感じてその場を離れようとしたんですが、そのとき大柄な男が鎖のようなものを取り出してイデアルを拘束しようとしたんです」
「鎖?」
ハルが呟く。
「はい。間一髪で私が戻り、大声で警護を即座に呼ぶと彼らはすぐに逃げていきました」
「それは怖かったですね」
ライが小さく言った。イデアルは表情を変えずに頷いた。
「はい、それに変装していたのに私だと分かった」
ユキヤが口を開く
「変装を見破った理由。それが神器の力なのか、それとも別の理由なのか」
アラシが頷いた。
「三人がイデアルさんを狙っている理由は何なんだろうか」
ヨツユはもう一度イデアルを見た。イデアルが静かに頷いた。
「それは、イデアルが、神器だからです」
会議室が凍りついた。
ハルの目が見開かれた。ユキヤが化粧ポーチから手を離した。ライが息を呑んだ。アラシでさえ一瞬言葉を失った。
「神器……?」
ハルが呟いた。
「イデアルさんが? イデアルさん自身が?」
「はい。イデアルは人形の神器です。十八年前に私が見つけました。それ以来ずっと一緒にいました」
ヨツユの声は震えていなかった。けれどその拳は膝の上で握りしめられていた。
「このことは私とイデアル以外誰も知りませんでした。イデアルの正体を知る者はいなかったはずです。それなのにあいつはイデアルに接近したとき確かにこう言ったんです。「あなたの力を渡しなさい、神器イデアルさん」と。どうやって知ったのかは分かりません」
「ちょっと待ってください」
ユキヤが身を乗り出した。
「イデアルさん自身が神器? 神器を持ってるんじゃなくて?」
「はい。イデアル自身が神器です。人形の神器です」
ユキヤがイデアルを見た。イデアルは静かに座っていた。表情は変わらない。けれどその青い目が少しだけ揺れた。
そのときイツハが静かに口を開いた。
「やっぱり」
全員がイツハを見た。
「廊下で会ったときからおかしいとは思っていた。この人には人間の匂いがない」
「匂い?」
ハルが首を傾げる。
「人間なら必ず匂いがある。体温からくる匂い。呼吸からくる匂い。感情が変化するときの匂い。この人にはそれがない。人間じゃないと思っていた。まさか神器だったとはね」
イツハはマスクを直しながら淡々と言った。
「そういうことだったのか」
アラシが納得したように頷いた。
「十七年間見た目が変わらないのも、神器反応が出ていたのに何の神器を持っているかわからなかったのもすべてイデアルさんが神器だったからなんですね」
「イデアルの力は理想を具現化することです。対象者が理想とする姿を映し出しそれを本人に反映させることができます。」
ユキヤが口を開く
「理想の実現ねえ、まあ俺はもはや存在が理想のかわいいだから、お世話にはならなそうだね」
「ユキヤはこの状況でもそんな感じなのね」
ハルが呆れた。ユキヤは視線を逸らした。ライが小さく笑った。アラシが咳払いをして注意した。その時ヨツユが
「我々だけでは対処できません。お願いします。助けてください」
と深く頭を下げた。イデアルも静かに頭を下げた。
「ヨツユ……」
イデアルが初めて感情のある声を出した。
「ごめんなさい、私はあなたの神器なのに迷惑かけて」
「イデアル。君は私の人生を変えてくれた。もう君は私にとってただの道具なんかじゃないんだ。あんな奴らに屈してはいけない。二人で頑張ろう」
ヨツユの目が真剣だった。イデアルは何も言えなかった。ただ俯いてその赤い髪が少し揺れた。
アラシはしばらく黙って二人を見ていた。やがて穏やかに微笑んだ。
「分かりました。SSAとしてイデアルさんの護衛を引き受けます。ただし戦闘になったら僕たちの指示に従ってください」
「はい。もちろんです」
ヨツユが頷いた。
「イデアルさんはどうですか」
アラシがイデアルに尋ねた。イデアルは少し考えてから小さく頷いた。
「お願いします」
その声には微かな感情が含まれていた。恐怖ではない。どこか戸惑いのようなものだった。
(この人は多分自分のために誰かに頼るのが慣れてないんだな)
ハルはそう感じた。
*
3. 配置
アラシが作戦を立て始めた。
「まず第一に、できればイデアルさんにはことが収まるまでこの支部に滞在していただくのが一番安全と思われますが、」
ヨツユが返答する
「私もそれはその通りだとは思っています。しかし、今回の来日は大々的に世界にニュースとして拡散されてしまっています。もしイデアルが理由もなく様々な仕事をキャンセルしてしまうと今後のイメージが大幅に悪くなってしまう。ここまで二人でやってきたものを、捨てたくはありません。それはイデアルも同じ思いだと思います」
ヨツユはイデアルのほうを向き、イデアルはうなずく。
「まあ、そうですよね。であればまずは今後のイデアルさんのスケジュールを教えてください。そこから護衛の計画を立てます。」
「わかりました。まず明日の午後からテレビ局の公開収録があります。来日してから最初の大きな仕事です」
「公開収録か。一般の観客がいるね。場所はどこだい」
「港区のテレビ局第二スタジオです。観客は百人程度と聞いています」
「百人か。一般市民がいるなら戦闘に巻き込むわけにはいかないな。まずは公開収録を無事に終わらせ、その間に敵が来たら僕たちが護衛するしかないか。あと、そうだ。イデアルさん、あなたにお願いがあります。」
アラシがポケットから一枚の切手を取り出した。
「これをイデアルさんに渡しておきます。危険を感じたら自分の体に貼ってください。そうすれば安全なところに届く」
「切手ですか?」
イデアルが切手を見た。
「彼岸切手箱、僕の神器です。切手を貼った物を指定した場所へ届ける。自分自身に貼れば瞬間移動ができる。いざという時にイデアルさんを安全な場所へと移動させるためです」
「分かりました。これを自分に貼ればいいのですね」
「ええ、危なくなったら躊躇せず、すぐに張ってください」
「はい」
イデアルは切手をポケットにしまった。
「ヨツユさんは後方でライと一緒にいてもらえますか」
「分かりました。ただ……」
ヨツユが言いかけて止めた。イデアルを見てから小さく頷いた。
「分かりました。お願いします」
「よし。では明日に向けてみんなは準備をしてね」
アラシが締めた。
ハルは腰のホルスターを確認した。短いナイフと拳銃。隊員になってから支給された標準装備だ。(いよいよだ)ハルは拳を握った。卒業して一週間。ついに本格的な任務に就く。胸の奥が熱い。怖い。けれど嬉しい。窓の外に青い空が見えていた。




