十三歳②
さて、『幼い少年少女しか愛せない』というハウトシュミットの告白によって、クレアの運命は決まった。
バルトール王家はスヘンデルの護国卿との縁が欲しい。
彼の愛する対象が『幼い少年少女』に限られるなら、小柄で幼く見える十三歳のクラウディア王女以外に条件を満たす者はいない。
ゆえに、クレアとフレデリック・ハウトシュミットとの婚約は、その日のうちにつつがなく執り行われ、公示された。
婚約してから結婚までの半年間、クレアはそれまでの人生で経験したことが無いくらい幸福だった。
みそっかすの第九王女が一躍『バルトール王国の命運を握る少女』になったことで、周囲の扱いは露骨に変わった。
クレアの部屋は広い王女宮に移されたし、お付きの女官も大幅に増やされた。国王は毎日クレアに声をかけて『二百年続く由緒正しきバルトール王国の姫として』と自慢の王女であるかのように扱ってくれる。
取って付けたようなそれらの変化は全て、ハウトシュミットがクレアを選んでくれたおかげで起きたものだとクレアにも分かった。
自分が嫁ぐ男はそれくらいすごくて――恐ろしい男なのだと。
「あのっ私、頑張ります。あなたの妻として、ぜんぶ、あなたの言うとおりにします」
初夜の床で夫となった男に述べたのも、彼の庇護を求めればこそだ。
何の取り柄もない自分は立派な妻にはなれないが、ひたすら従順にふるまうことはできる。
だから、あなたも私のことを気に入って、守って、見捨てないで――切実な気持ちがこもっていた。
「……それ、僕に『おはようからおやすみまで逐一君の行動に指示を出して、面倒を見ろ』って言ってる?」
ところが、彼の反応はクレアの予期しないものだった。
かしこまった口調を崩した『とてもすごくて恐ろしい男』は渋い顔を作って、子どもっぽく『それは嫌だけど』と言ったのだ。
「ちがっ、違います。えっと、ハウトシュミット卿の」
「君ももう『ハウトシュミット夫人』だ。『フレッド』でいいよ」
「フレ……あの、あなたの好みに合わせるというか」
「ああ、『あなた色に染めてね』ってやつか」
「そうです!」
「ふーん……」
ようやく意図が正しく伝わったとクレアが胸を撫で下ろしても、フレッドはまだ納得いかないと言いたげに、首を捻っていた。
「あのさ、僕もう二十六歳だし、僕に合わせたところで確実に君より先に死ぬけど、その後の人生設計はちゃんと練れてるの?」
「その後……?」
新婚初夜の床で『夫が死んだらどうする』と夫本人が尋ねてくるとは思わない。
彼に気に入られるようにふるまう以外の計画など、クレアは持ち合わせていなかった。
「考えてなかった、って顔だね。じゃあ、人生の先輩として一つアドバイスだ。『二人はいつまでも幸せに暮らしました。めでたしめでたし』は絵本の中にしかない。愛し合った二人も破綻して憎み合うし、運良く愛情が冷めなくても死別が待っている。僕は、明日にも凶刃に斃れるかもしれない。どうせすぐ死ぬ僕に気に入られることを、君の人生の最終目標にしてどうするの」
結婚という人生最大の大博打で『夫が自分を一生幸せにしてくれる』に一点全部賭けなんて馬鹿のすることだ。――痛烈な言葉に、横っ面を叩かれた。
フレッドとの婚約以来、劇的に変わった周囲の対応に、クレアが優越感を抱かなかったと言えば嘘になる。
皆がクレアの背後にスヘンデルの護国卿の影を透かして見て、勝手にかしこまってくれるのだから、幼い少女の自尊心がくすぐられないわけがなかった。
よくよく考えれば彼の威を借りているだけで、クレアがみそっかすの小娘であることには何ひとつ変わらないのに。
もしも今後、護国卿と別れたら、その『みそっかすの小娘』は頼れるものもいない異国で、一人で生きていかなければならないのに。
「僕が死んだとして、何の見返りもなく周囲が君に親切にしてくれると思う? 金だけはある無知な若い未亡人なんて詐欺師のいいカモだ、むしろ君から奪おうとする者は増えるかもしれない。敵だらけの世界を一人で生きていかなきゃならない日はあっという間に来るんだよ。君にその覚悟はあるの?」
あるわけがない。クレアは、父王とフレッドに望まれるままに流されて嫁いだだけなのだから。
自分の寄る辺無さを今になってようやく理解した少女の体は震え、まるい瞳からはぽろりと涙がこぼれ落ちた。
「ごめん。脅しすぎたね。でも『悪いことはきっと起こらないから安心して』なんて無責任なことは言えないよ。今言ったことよりも、もっと酷いことも起こるかもしれない」
「……じゃあっ、私はどうしたらいいって言うんですか!」
彼の機嫌を損ねれば明日の命すら危うい。
しかし彼に気に入られても、彼の妻ではなくなった瞬間に、厳しい世界へと放り出されるだけなんて。
クレアが半ば癇癪混じりに問いかけると、彼は『いい質問だね』とくすりと笑った。
「――賢くなれ」
「え……」
「物を識れば、騙されて搾取されることは減る。他人に軽んじられることも減る。確実に幸せになれるとは言わないけど、不幸を回避しやすくはなる」
厳しい世間に晒されたみそっかすの小娘には不幸な道しか待っていないから『みそっかすの小娘』は卒業しろ。――それが彼の提示した『解』だった。
「君の覚悟を急がせた罪滅ぼしだ。僕には甲斐性が無いから君の一生の幸せなんて保証できないけど、不幸を回避する手段なら少しは教えられる。僕にできる限りのことを教えるから、君は君の力で勝手に幸せになってくれ」
「私の力で、勝手に……」
「『僕の好み』は『僕がいなくても幸せになれる女性』だ。それに合わせてくれるなら、明日から早速教師を手配するけど、いい?」
「はい」
『夫の好みの女性を目指す』という点は同じはずなのに、クレアの心情は、先ほどまでとは天と地ほど異なっていた。何せ幸せになりたいと思う切実さが違う。
「じゃあ、明日からそこそこ厳しい講義が続くと思うけど、めげずに頑張ってね。僕はこれで失礼するよ」
「待ってください!」
部屋をするりと抜け出そうとしたフレッドを、クレアは慌てて呼び止めた。
ここは夫婦の寝室だ。新婚初夜の夫はどこに出かけるつもりだというのか。
「夫婦は、同じ寝台で寝るって聞きました」
「夫婦の片割れである僕は『同じ寝台で寝ない』のがいいな。一対一だと多数決で押し切れないね」
「でもっ」
「お父上から『早くハウトシュミットの子どもを産め』って言われた?」
「はい……」
それもクレアにとっての大きな不安点の一つだった。
クレアの夫は国王の前で堂々と『幼い少年少女が好みだ』と公言するような変態なのだ。彼に『全てお任せ』の子作りなど不安しかない。
「ひどいなあ。僕は健全な『子ども好き』だってあんなに言ったのに、全然伝わってないなんて。僕が君に触れることはないから安心して?」
「よかった……あっ、すみません!」
「いいよ。僕みたいな変態に触られたくないでしょ」
安堵の息をこぼしたクレアを鷹揚に許すと、彼は真面目な顔で言った。
「念のために言っておくけど、僕の趣味嗜好の問題であって、君の魅力の問題じゃない。というか『変態男に手を出されない』ことは、喜ぶべきことだ」
「はい」
「そういうのは、いつか君に好きな人ができたときのために取っておきなよ。君の体は、好きでもない相手に『とりあえず』でつまみ食いさせていいものじゃない」
それを聞いて、この人は正しく子どもが好きなのだろうと思った。
求婚の場でのスピーチの時も、込めた熱量が多すぎるという異常さはともかく『子どもを傷つけたくない』という内容は終始一貫していたように思う。
だったらきっと、フレッドはクレアが子どもであるうちはクレアを傷つけるようなことは絶対にしないのだろう。
安心するとともに――残念だとも思ってしまった。
彼にとって、クレアは『守るべき子ども』の一人という十把一絡げの存在でしかないのだと分かったから。
「もしも……いつか、私があなたを好きになったら、夫婦らしいことをしてもいい?」
いつか自分が子どもではなくなったら、十把一絡げではない『妻のクレア』となら、そういうことをしてもいいと思ってくれるだろうか。
クレアが尋ねると、フレッドは真摯に答えた。
「その時に僕も君のことを好きで、君としたいと思えたらね。……なに、その顔。僕の側の希望を汲まないのはおかしいでしょ」
――夫婦二人ですることは、夫婦二人で決めなきゃダメだ。
フレッドの言葉を聞いて、クレアはようやく実感を得た。
おままごとみたいな関係でも、彼と自分は『夫婦』になったのだと。
いつかは、彼と『本当の夫婦』になるのだと――。
「私、あのときのあなたの言葉を何度も何度も思い返したのよ。いつになったらあなたは『したい』と思ってくれるのかなって期待しながら。でも、いつまで待っても、全然そういう話にならないから、あなたを説得するためにはこうするしかなかったの」
初夜のやりとりから五年が経って、十八歳になったクレアは『夫』を尻に敷いていた。
文字通り『寝台に横たわったフレッドの上に馬乗りになっている』という意味で。
「何度も思い返したなら『夫婦でも合意がないとダメ』って趣旨の言葉だって分かるだろ!? こんなのは『説得』じゃない!」
三十路を越えて落ち着きを身につけた護国卿――”子ども好き”な趣味嗜好以外の評価はすこぶる高い夫は、妻にのしかかられた今、その落ち着きを失っている。
クレアはにっこりと微笑んだ。
余裕がある今の彼のことも大好きだが、若干未熟な昔の彼にまた会えたような気がして嬉しかったからだ。
「拘束を解け、クレア!」
「嫌です。解いたら逃げるでしょう?」
「当たり前だ! 僕はこんなことしたくない!」
フレッドの四肢は彼が眠っている間に枷で寝台に括りつけておいた。
身動きが取れない状態でクレアに上に乗られて、衣服を緩められれば、誰だってその後に待ち受ける展開は読めるだろう。
察しのいいフレッドなら、寝起きに腕に嵌められた枷を見た瞬間に、クレアの仕業だと気づいたかもしれない。
気づいてからずっと、クレアを説得するための言葉を探していたのだと思うと、なおさら彼が愛おしくなった。
「君がしようとしてるのは犯罪だ!」
「もちろん分かっているわ。あなたは刑法学者も私につけてくれたものね」
「分かってるなら今すぐ退くんだ! 落ち着いて自分の行動の意味を考えろ!」
「あら」
落ち着いて考えろ、考え直せ、と。
クレアはフレッドの全てを愛しているけれど、その言葉だけはいただけない。
「ひどいわ、フレッド。――いつまで、私の教師面をしているの?」
まだクレアを考えの足らない子どものように言うなんて。
方法の善悪はともかくとして、よくよく考えたうえでこれしかないと思ったからこそ行動に出たのだと、どうして分かってくれないのだろう。
「現状を落ち着いて考えるべきはあなたでしょう。普段デスクワークばかりしているから簡単に拘束されるのよ、可哀想に。少しはロマンチックな夜になるように、今のうちからお祈りでもしてらっしゃい?」
初夜のやり直しよ。一生の傷になるといいわね。
据わった目をしたクレアは意識的ににっこりと微笑んで、息を呑むフレッドを見下ろした。




