十八歳③
コルキアに対する牽制として『ハウトシュミット夫妻は仲睦まじく、バルトールとスヘンデルの関係は良好だ』と示すための夜会だった。
国内外に向けて広くアピールするためにバルトールの人間も招待し、バルトールの重鎮にして親スヘンデル派筆頭であるローゼンハイム公爵への挨拶を済ませた時。
公爵の後ろに控えた従者の優男から話しかけられた。
「っ、あなたは……っ!」
否、質のいい男性物の衣装に身を包んではいるけれど、『優男』ではない。
一度気づけば、どうして今まで気づかなかったのだろうと思う。
クレアの知る『彼女』は濃い化粧をしていなかったから、顔の印象は大きく変わっていないのに。
身分ある女性が身分を偽りながら堂々と素顔を晒し、男装して乗り込んでくるという発想自体が頭から抜け落ちていた。
「レオカディア姉様!?」
「久しぶりね、クラウディア。……それに、ハウトシュミット卿も」
彼女の流し目の先には、どこか苛立った様子のフレッドがいた。
クレアの横に立ったフレッドに向かって、クレアの姉であるレオカディアは顎を上げ、腕を組んだまま傲岸と言い放った。
「『バルトールに返せ』って……」
単語はこの上なく明瞭なのに、言葉の意味が分からない。
『偶にはバルトールに帰省しなさい』ということだろうか。そんなたわいもない用件を伝えるために、スヘンデルに乗り込んでくるなんておかしいことは分かるけれど。
「レオカディア姉様? 何を仰っているの、姉様がどうしてここに……」
「ハウトシュミット卿、少々込み入った話をする場をご用意していただけますかな。他人に聞かれたくはありませんので」
「そうみたいだね。控えの部屋でよければ」
混乱するクレアをよそに、ローゼンハイム公爵に促され、レオカディアたちの抱える事情を見てとったフレッドは一行を奥まった小部屋へと案内した。
「ここでの話は他言無用にてお願いいたします」
口火を切ったローゼンハイム公爵の言葉に頷くと、彼はしゃがれた声で淡々と重大事を告げた。
「国王陛下の容態が思わしくなく、夏は越せまいと侍医が申しておりまして」
父親の病状を知らされても、クレアに然程の衝撃や悲しみは無かった。
薄情かもしれないが、国王の年齢と不摂生ぶりを踏まえると嘆くより先に『仕方が無い』と思ってしまったからかもしれない。
「ええ。儂も残念ですが、天寿というものでしょう。問題は次代でして、順当に考えれば次の国王は王太子殿下ということになりますが……」
「話が長いわ、お祖父様。我々に時間は無いのよ。――クラウディア、あなたが女王になりなさい」
「は……!?」
今日はレオカディアに驚かされてばかりいる気がする。
『冗談でしょう』とへらりと笑い飛ばそうとしても、引き攣った口角は上手く上がってくれない。
だって、気づいてしまった。『冗談』を言ったはずのレオカディアの目が笑っていないことにも、話の腰を折られたローゼンハイム公爵が『冗談はやめて現実的な話をしましょう』と止めないことにも。
それでも認めたくなくて、クレアは震える声で言い募った。
「レオカディア姉様、冗談は止めて」
「冗談を言うためにわざわざスヘンデルまで来ないわ」
「冗談でないなら何だと言うのです! 私に王位が回ってくるはずがない!」
バルトールの王位は男子優先継承だ。適当な者がいなければ女子や王家の傍系の中から年齢や本人の資質、後ろ盾の有無を基準にして選ぶことになるが、今代の国王は艶福家で後継となる男子には困らない。
大勢いる現国王の子の中でも、クレアは末子で、女で、母は身分の無い洗濯女で国王の寵愛も外戚の後ろ盾も無い。何よりクレアは外国へ嫁ぐ時に王位継承権を放棄している。
天地がひっくり返ったとしてもクレアが国王に選ばれることはない、はずだった。
「そもそも王太子のエーミール兄様がいらっしゃるのに!」
「王太子殿下は廃位か、死んでいただくことになりますな」
「死……!? 無茶苦茶を言わないで!」
ローゼンハイム公爵は王太子を殺してでもクレアを王位に就けようと画策しているらしい。
彼の思惑が読めずに取り乱すクレアの背中をさすって落ち着かせながら、フレッドはぽつりと言った。
「……王太子がコルキア贔屓だからか」
「それが何だっていうの⁉」
「エーミール王太子とコルキアに嫁いだナーディア王子妃は宰相家出身の母を持つ同腹の兄妹だ。親コルキア路線を取るだろう彼の治世下では親スヘンデル派のローゼンハイム公爵は権力を握れない。だけど、そんな安い理由でクーデターを起こすなんて、僕ならお薦めしないけど」
本当にそんな理由で人を殺すつもりなのだろうか。
批判されたローゼンハイム公爵がむすりと黙り込んだのを見るにフレッドの推測は大きく外れてはいないようだが、フレッド自身も訝しげに首を捻った。
「分からないのは、オルドグ大公妃までクーデター計画に加担するなんて」
君は身勝手で危険な計画に乗るほど愚かじゃないだろうと、フレッドに咎めるような目を向けられたレオカディアは、眉間を指で押さえながら言った。
「……本当はまだたくさんあるの、バルトールの鉄は。それが、全ての発端よ」
レオカディアの言葉は、『鉱業以外にめぼしい産業が無いバルトールは、鉱山の枯渇によって衰退の一途を辿っている』という世界に既に受け入れられた所与の前提を覆すものだった。
「ありえない。記録上はバルトールの鉱山の産出量は年々減っているはずだ。値を吊り上げるために産出量をごまかしたとしても、ここまで出し惜しみする理由は無い」
「嘘ではないわ。鉱脈が深いところにあって採掘には危険を伴うけれど」
「話にならないな。よほど深くて手間と金がかかるか、恐怖で鉱夫が働かないのか、どちらにしても商売にならないから今までは掘らなかったんだろう?」
「後者よ」
「だったら尚更だ。いくら金を積まれても恐怖心は残る」
『そこにあったとしても、どうしても掘り出せない資源は、存在しないのと同じだ』とフレッドが言うと、レオカディアはゆるく首を振った。
「今まではね。ところで、あなたは恐怖心を鈍らせる方法をご存知かしら?」
「……まさか」
「そう。南大陸産の薬物をコルキア王の意を汲んだ商人が持ち込んだの」
「樹葉か!」
近年航海団が到達したばかりの南大陸からは、珍しい動植物が持ち込まれて高値で取引されている。
その中でもとびきり高値がつく代物でありながら輸入を厳しく規制されているのが『樹葉』と呼ばれる薬物だ。
樹葉の特徴として興奮作用や強い依存性が挙げられる。恐怖心を興奮で打ち消せば危険な作業もさせられる。依存性の虜となった鉱夫に報酬として薬物を与えれば働かせ続けることができる。――それがコルキアの思惑なのか。
「コルキアも馬鹿なことを。無理させたところで、後に残るのは資源を取り尽くした山と廃人になった鉱夫だ。長い目で見てどちらが得か分からないのか」
「それが、コルキアにはバルトールを支配する気は無いみたい。絞れるだけ絞りとって残り滓の国と民は捨てるつもりらしいわ」
「そんなことをすればバルトールからの反発は必至だ」
「残念ながら、エーミール兄様はそれでいいんですって。いざとなればバルトールを捨てて自分たちだけコルキアに賓客として迎え入れてもらう、って」
「腐ってる」
「ええ、本当にね」
兄王太子への怒りを湛えたレオカディアの瞳は、嘘をついているようには見えなかった。
バルトールにいた頃のクレアは姉を冷たい人だと思っていたが、今はそうは思わない。彼女は血の通った情のある人で、それゆえに肉親への情を捻じ伏せて兄を殺してでも民を救おうとしているのかもしれない。
(……あれ? でも、そうだとすると、何か違和感が――)
「ふーん、大変だね。でも、それはクレアには関係無いだろう」
頭を掠めた疑念の正体をクレアが突き止める前に、フレッドはあっさりとクーデターへの協力を拒否していた。
わざとらしいくらいそっけない口調だ。
「クレアはスヘンデルへ嫁ぐ時に王位継承権を放棄した。今さら『女王になれ』だなんだと言われても――」
「これはおかしなことを仰る、ハウトシュミット卿。教会に『白い結婚』の申し立てをしたのは、あなた自身ではありませんか」
背中に添えられていた彼の手に、力が入ったのが分かった。
ローゼンハイム公爵の指摘は、フレッドの痛いところを突いたらしい。
「……聖職者には守秘義務があるはずだが。随分と口が軽いらしい」
「迂闊でしたな。二百年の伝統を誇るバルトールは教会との付き合いも深く、知己も多い。気心知れた儂らが相手なら口も滑りましょう。それとも『知られても構わない』とお考えでしたかな? 婚姻無効が認められず離婚の話になった時に『夫はこの時点で別れたがっていた』という証拠になりますから」
「さあね。申し立てはすぐに取り下げよう」
「それはなりません。わざわざ申し立てたなら本当に白い結婚なのでしょう、婚姻無効を認めるよう儂からも教会に口添えしましょう。婚姻無効となれば遡ってクラウディア殿下の王位継承権は復活します。即位に支障は無いかと、」
「ふざけるな!」
フレッドは大声でローゼンハイム公爵を遮った。
普段の彼ならば得意の弁舌で煙に巻いて相手を言いくるめるだろうに、今はすっかり余裕を失っている。
「君たちの言い分は『クレアをクーデターの神輿に担いで矢面に立たせて、情勢が落ち着いたところで自分達が実権を握ります』ってことだろう!」
「人聞きが悪い。クラウディア殿下、あなたは王たるにふさわしい成長をしてくれた。洗濯女の娘が一国の王となる、これほどの栄誉はありますまい」
「本当に栄誉だと思うなら君が国王をやればいい!」
「……っ、いやあ、それは畏れ多い」
「嘘を吐くな。クーデターが失敗すれば確実に死ぬ。次期国王に歯向かうんだ、どれほど惨い殺され方をしてもおかしくない。仮にクーデターが上手くいったとして、斜陽の国を継いで気苦労が増えるだけだろう!」
彼自身がかつて経験した物事について語っているからだろうか。フレッドの言葉にはずっしりとした重みがあった。
「僕は辛い思いをさせるためにクレアを育てたんじゃない! そんなの、僕は絶対に認めない!」
血を吐くような悲痛な叫びに言い返せる者はおらず、小部屋に沈黙の帳が降りた。その沈黙を破ったのもまたフレッドだった。
「少々熱くなってしまったね。それは謝る。でも、交渉は決裂だ。さあクレア、一緒にお客さまのお見送りをしよう」
丁寧な表現に包んだ『とっとと帰れ、二度と顔を見せるな』は破れた隙間から本音が覗いていた。取り繕う余裕も無いくらい腹を立てているのだろう。
フレッドに促されて椅子から立ち上がったクレアは、強い輝きを放つ姉の瞳を見返して――小さな疑問に気づいてしまった。
「……どうしてレオカディア姉様は洗いざらい話したの?」
例えば普段のフレッドなら、クーデターの計画を聞いても怒りはしなかったかもしれない。
でも、きっと『玉座が割に合わないことも分からない馬鹿の計画が上手くいくとも思えないけど』などと冷笑した上で断っていただろう。クーデター計画を聞いた者の対応は『良くて様子見、悪くて密告』が関の山だ。
聡明なレオカディアがそのことに気づかなかったはずがない。
それなのに、どうして彼女はごまかしもせずに計画を打ち明けたのだろう。
「加担すれば危険が及ぶクーデターに誘われたって、軽々しく話に乗るわけがない。頼み込むだけでは断られるって分かっていたでしょうに、どうして?」
「クレア、もう話は終わったよ。聞かなくていい」
「それに……コルキアはそこまでして鉄を確保してどうするつもりなのかしら。貴金属じゃなくて鉄よ? あっ、でも、大砲や銃の鋳造には使えるわね。だったら、どこかに戦争を仕掛けるつもりで――」
「頼む、気づかないでくれ!」
フレッドの悲鳴のような悲痛な声をよそに、クレアは真相にたどり着いてしまった。
「――ああ、コルキアは準備ができたらすぐにスヘンデルに攻め込む気なのね。それが嫌ならバルトールのクーデターに協力するしかない、ってこと?」
レオカディアがもったいぶらずに機密を打ち明けたのは、最終的にクレアとフレッドを協力させる勝算があったからだ。
『護国卿の情に訴える』という感情論の不確実な方策ではなく、もっと現実的な『利害の一致による同盟』の可能性が。
「確かにそれなら、私に声をかけない選択肢は無いわね」
もしもクレアがスヘンデルに馴染めずバルトールに帰りたがっていたなら、女王になる話に喜んで乗っただろう。
もしもクレアがスヘンデルを愛していれば、スヘンデルがコルキアの脅威に晒されて何もせずにはいられない。
どう転んでもクレアは確実にバルトールに戻るだろうとレオカディアは踏んだのだ。
レオカディアの考えは正しい。そもそもクレア本人がどれほど嫌がっても、フレッドは国のためになる選択をするだろう。
ただでさえ別れたくてたまらない小娘を実家に帰すことが、彼にとっての『損』になるわけがないのだから。
「鉱夫に無理をさせれば必ずガタが来る、バルトールからコルキアへの鉄資源の供給は大した量にはならずに終わるよ。仮に戦争になったとしてもスヘンデルが勝つ。だから、クレアは心配しなくていい!」
そのはずなのに――どうして今更になってフレッドはクレアを必死に引き留めようとしているのだろう。
「戦争に勝っても、消耗したスヘンデルを他国が放っておいてくれるかしら」
「外交でも防衛戦でも何なりと方法はある。僕が何とかするから、君がバルトールに行く必要なんて無い」
「フレッド……」
駄々っ子のように『何とかする』と理屈の通らない言葉を並べる彼なんて、初めて見た。
あれほどクレアを追い払うために躍起になっていたくせに。引き留められると、彼に愛されて惜しまれているのだと勘違いしてしまいそうだ。
「クレア、親コルキア派の国王が即位すれば遅かれ早かれ戦争は起きたんだ。君に責任なんてかけらも無い。君に王になる資格があるからって、王にならなきゃいけないわけじゃない!」
「でも、現に戦争に直面しているのは私たちなのよ」
「いつ死ぬか分からない危険な場所に行かせられるか!」
「――それは、こちらの台詞なのだけれど?」
冷ややかな声のした方に顔を向けると、レオカディアは憎悪すら感じさせる冷たい目でフレッドのことを睨んでいた。
「ハウトシュミット卿、あなたはクラウディアに求婚した時に『子どもの笑顔を曇らせるようなことは決してしない』と誓ったわね。それを聞いたからわたくしはクラウディアを託したのに、あなたは誓いを破った。三年前にクラウディアが殺されかけたのも、あなたが巻き込んだせいではなくて?」
「姉様! それは違うわっ!」
「それは……君の言う通りだ」
「フレッド!」
違う、フレッドは間一髪のところで助けてくれたのに。
クレアが言い募ろうとした言葉は、当の本人に否定されて、誰の耳にも届かなかった。
「革命に不満を持つ者に襲われたんだから、僕のせいだ」
「そんなあなたが、どの口で『危険な場所に行かせられない』なんて言うの」
「……僕の傍にいる方が危険だと?」
「そうよ。それに、バルトールとスヘンデルを繋ぐ子を産むように命じられたクラウディアが白い結婚のまま放っておかれて、どれほど不安だったと思うの? あなただけがこの子の幸せを考えているような言い方をしないで」
「君ならクレアを幸せにできるとでも言いたげだな」
「わたくしはそんなできもしない保証はしない。もちろん、最善は尽くすけれど。わたくしは身勝手なことを言っている、自分のためにクラウディアを利用しようとしている、それは認めるわ。でも、あなたも同じでしょう?」
黙り込むフレッドに一瞥をやって、レオカディアはクレアを鋭く見据えた。
「あなたが選びなさい、クラウディア。あなたと国の行く末を。三日後の朝、わたくしたちはこの国を発つ。それまでによく考えて決めなさい」
考える時間は二日と少し――与えられた猶予はあまりにも短かった。それでもバルトールの窮状を思えば温情をかけたつもりなのかもしれない。
「分かっているでしょうけれど、この子を言いくるめるのはやめてくださるわね、ハウトシュミット卿」
「それぞれの案のメリットとデメリットを述べて『説得』するだけだ。クレアはくだらない嘘を信じるほど馬鹿じゃないよ」
「一方の案を支持するあなたに公正な説明はできない。それに、賢人を愚かにする物は酒や薬物だけではないでしょう?」
「……何のことだか」
「不誠実な男だこと。一時的な気持ちの弱みにつけ込まれて後悔するのはクラウディアよ? あなたはこの子が大事じゃないの?」
「君は嫌な言い方をするね」
「お褒めにあずかり光栄だわ」
フレッドの刺すような視線を背中に受けながら、レオカディアは動じず悠然と小部屋を去った。




