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第十章:多目的防災拠点竣工及旧校舎解体完了報告

【起案日】 令和〇+五年 三月二五日

【宛 先】 見晴台市長 殿

【差出人】 市役所 都市整備部 施設管理課長 神林洋平(※文責:防災シェルター管理指導員 御子柴哲)

【件 名】 市営多目的防災シェルター(兼・地質観測施設)の竣工、および旧見晴台中学校舎からの完全移管完了報告

【要 旨】

標記の件について、本市グラウンド南側の岩盤安定地帯にて実施中であった「市営多目的防災シェルター」新設工事が、デザインビルド(DB)方式およびプレキャスト(PCa)工法を用いた特例的超短縮工期(四年三ヶ月)を完全遵守し、無事竣工した。

これに伴い、本日をもって全生徒三百名による「無期限の避難および生涯学習目的での新施設利用(実質的な学校機能の完全移転)」が滞りなく完了したことを報告する。

なお、北側斜面(崖)へ向けて約五・七六メートル水平移動した状態で凍結されている旧校舎については、明日より重機を導入し、安全な解体・撤去作業に着手する。

未曾有の物理的異常事態に対する行政的および土木インフラ的防衛戦は、本施設の稼働をもって実質的な全工程を終了とする。本現象の科学的要因に関する調査については、関係者一同の精神衛生および行政機能保護の観点から、今後も「一切の詮索を永久に放棄する」ものとする。


【添付資料:校舎基礎部変位観測記録(最終記録)】

・旧校舎累積移動距離:五七六・〇〇センチメートル(※用途変更時より変位ゼロを維持)

・新校舎基礎累積移動距離:一一・〇〇センチメートル(※同上)

春のうららかな陽光が、小高い山の上に完成した真新しいコンクリートの要塞を照らしていた。

三月下旬。桜の蕾が今にも弾けそうに膨らみ始めた見晴台の敷地内で、生徒たちが賑やかな声を上げながら、自分たちの机や椅子を抱えて大移動を行っている。


「ほら、お前ら走るな! 旧校舎から渡り廊下を通る時は足元に気をつけろ! 一年生はそっちじゃないぞ! そこは『第三期避難民 高度サバイバル技術習得室』だ! お前たちの持ち場は二階の『第一期避難民 基礎適応ルーム』だ、間違えるな!」


真新しい作業着に身を包んだ校務技術員の茂木健吉が、赤く光る誘導灯を振り回しながら声を張り上げている。

「図書室の本は『市民向け機密資料アーカイブ室』へ運べ! 理科の実験道具は『有害物質隔離・検証ラボ』だ! ビーカーを割ったらただじゃ済まないぞ!」


「うおー! シェルターの廊下、ピカピカで広すぎー!」「ラボの設備、最新式じゃん! なんかアニメみたいでカッコよくね?」

何も知らない新一年生たちは、真新しい施設に目を輝かせている。一方、旧校舎で不便なサバイバル生活を強いられてきた二年生や三年生の生徒たちも、「シェルター長ぇー」「避難民ルームの窓デカっ」などと笑い合いながら、全く悪びれる様子もなく机を運び込んでいた。

彼らが運び込んでいる先は、法律上および市の不動産登記上は、正真正銘の『市営多目的防災シェルター』である。しかし、その外観はどう見ても「建て替えられたばかりの最新鋭の中学校」であり、中に入れば黒板という名の「緊急災害時アナログ情報共有ボード」があり、下駄箱という名の「避難靴一時保管庫」がズラリと並んでいる。グラウンドには真新しいサッカーゴールが「緊急物資投下用目印」という名目で立っていた。


在校生たちは、この数年間、旧校舎で「ここは防災シェルターだ」と教え込まれてきた。だからこそ、新しい建物に移ってもその狂った呼称を何の疑問も抱かずに使いこなしている。行政の書類上の建前と、中学生の無邪気な適応能力が完全に悪魔合体した、究極にシュールな光景だった。


「……見事なものですね。誰一人として、ここが異常な経緯で建ったシェルターだなんて微塵も思っていない」

白衣姿の御子柴哲は、三階の「総合オペレーションセンター(※職員室)」の真新しいガラス窓から、生徒たちの引っ越し作業を見下ろしていた。


「当たり前だ。俺がゼネコンの所長に『ジャンカ(充填不良)一つ出したらこの街の公共事業から永久追放するぞ』と脅しをかけ、図面を一ミリも変えずに『最新鋭の防災拠点』として行政の完了検査を通したんだからな」

御子柴の隣に立つ男が、新品のマグカップでコーヒーをすすりながら深く息を吐き出した。

市役所施設課の、神林洋平だ。


彼の顔からは、ここ数年間彼を苦しめ続けていたマリアナ海溝よりも深い隈が、綺麗に消え去っている。通常なら六年かかる巨大プロジェクトを、DB方式とPCa工法という劇薬を用いて四年三ヶ月に圧縮し、強引に完遂させたその手腕が評価され、神林はこの春の人事で施設課の「課長」へと異例の昇進を果たしていた。


「胃の調子はどうだ、神林新課長」

「すこぶる快調だ。お前が『学校という概念フラグを消せ』という暴論を吐いてから、約四年。新校舎の基礎も旧校舎も、ミリ単位のズレすら起こさずピタリと止まってくれたおかげで、俺の消化器官はようやく正常な代謝機能を取り戻したよ。毎日ガスター10をフリスクみたいに噛み砕く生活とは、もう永遠にオサラバだ」


御子柴は、窓の外――生徒たちが列をなして歩いてくる元の場所、北側の崖の方角へと視線を移した。

そこには、四年前のあの日から完全に時間が止まったかのように静止している「旧校舎」の姿があった。外壁には役目を終えたプロパンガスがぶら下がり、グラウンドにはすっかり年季の入ったバイオ仮設トイレが並んでいる。

明日からは重機が入り、あの不条理の塊だった旧校舎も、安全に解体・撤去される手はずとなっている。


「……あの日、五百七十六日目で用途変更登記を行わなければ、どうなっていたか」

御子柴は、冷徹な声で言った。


神林はコーヒーカップを持ったまま、旧校舎の背後にある崖との距離を目測した。

五百七十六日目で移動を停止させた旧校舎は、崖から十五メートル以上も手前で静止している。見た目には、まだまだ崩落の危険など微塵も感じさせない、十分に余裕のある距離だ。


だが、神林の背筋には冷たいものが走った。

もしあのまま一日一センチの移動が止まっていなければ、新校舎完成までのこの四年強の間に、建築基準法の安全限界ラインである「崖の手前三メートル」は確実に突破していた。


「とっくに施設使用禁止命令が下り、この学校は完全封鎖され、三百人の生徒は路頭に迷っていたはずだ」

御子柴は、窓ガラスにコツンと額を当てた。

「本当に、首の皮一枚だったな。我々の行政ハックが決断できていなければ、今頃我々は全員、保護者とマスコミのフラッシュの中で土下座を強いられていた」


神林はブルッと身震いし、無意識に胃の辺りを押さえた。

「……やめろ。終わったプロジェクトのバッドエンドルートの話なんて聞きたくない。想像しただけで胃酸が逆流しそうだ」


「失礼するよ」

背後のドアが開き、権藤校長(今月末をもって無事に定年退職を迎える)と、島田教頭(次期校長に内定している)、そして教育委員会の鶴見が、連れ立ってオペレーションセンターに入ってきた。


「おお、鶴見さん。それに校長も。引っ越しの視察ですか」

御子柴が振り返ると、三人の大人たちは、どこか憑き物が落ちたような、驚くほど清々しい顔をしていた。


「いやあ、素晴らしいシェルターだね神林課長! PCa工法で組み立てられたとは思えないほど、重厚で隙のない美しい仕上がりだ。これなら生徒たちも、安全で快適な『生涯学習』に打ち込めるというものだ」

鶴見が、ピカピカの床を満足げに踏み鳴らした。

「国交省と文科省の事後監査が入った時は、書類の不備を突かれないか生きた心地がしなかったが……市長が『本市は防災教育の最先端を行くモデルケースなのだ!』と議会で強弁して押し切ってくれたおかげで、何とかお咎めなしで済んだよ。私の公務員人生、最後に最高の綱渡りだった」


「私たちもですよ」と権藤校長が、好々爺の笑みを浮かべる。

「PTAやマスコミには、最後まで『深刻な地盤の緩みによる緊急避難および建替』で通しましたからね。まさか校舎が毎日一センチずつ崖に向かって自律移動していたなんて、今でも悪い夢だったんじゃないかと思う時がありますよ」


大人たちは、顔を見合わせて朗らかに笑い合った。


物理法則を無視した巨大なエネルギー。原因不明の異常現象。

それに立ち向かったのは、特別なスーパーパワーを持つヒーローでも、天才的な物理学者でもなかった。

ただ「子供たちの安全と教育環境を守る」という一点においてのみ、絶対に妥協しなかった、不器用で事勿れ主義で、しかし実務能力と書類作成能力だけは異常に高い、市井の大人たちだったのだ。

彼らが泥を被り、書類を偽造し、予算を強奪し、力技の土木工事でインフラを維持し続けたからこそ、三百人の生徒たちは一日も休校することなく、安全に今日という日を迎えることができた。


「御子柴くん。君のあの冷徹なデータ分析と、突拍子もない仮説のおかげだ。我々を導いてくれて、本当にありがとう」

権藤校長が、深く頭を下げた。鶴見と神林も、それに同意するように頷いた。


だが、御子柴は白衣のポケットに両手を突っ込んだまま、相変わらずの仏頂面で窓の外を見つめていた。


「感謝される筋合いはありません。私はただ、一人の教員としての実務をこなしただけです」

御子柴は、冷めた声で言った。

「それに、私はこの結末に、一ミリも納得していませんからね」


「納得していない?」

神林が怪訝な顔をした。


「当然だろう。私は科学の徒だ」

御子柴は、忌々しそうに舌打ちをした。

「何千トンというコンクリートの塊が、摩擦を無視して等速直線運動を続ける。ここまでは百歩譲って、未知のエネルギーとして許容しよう。だが、その移動のトリガーが『役所のデータベースに登録された用途定義』だったという事実は、科学への重大な冒涜だ」


御子柴は、窓ガラスから旧校舎を睨みつけ、凄まじい眼力を向けた。


「物理法則が、行政の書類のハンコ一つに負けたんだぞ? 質量でも岩盤の流動でもなく、文部科学省の定義という『概念』に縛られて、校舎が崖へ向かって歩いていた。……ふざけるなと言いたい。宇宙の法則は、いつからお役所仕事の下請けになったんだ」


そのあまりにも理不尽で、シュールで、バカバカしい真実に、御子柴は腹の底から湧き上がるどす黒い感情を隠そうともしなかった。


「……どこのどいつの仕業か知らんが、いつか必ず見つけ出して、教育してやる」


物理学を無視した理不尽な存在に対する、理科教師としての最大限の意趣返し。

その絶妙な言葉選びに、神林も、鶴見も、校長も教頭も、一瞬ポカンとした後――。

こらえきれなくなったように、全員で腹を抱えてゲラゲラと大笑いし始めた。


「ははははっ! 違いない! 俺も六法全書と建築基準法でそいつを教育し直してやる!」

「私には教育基本法で説教させてください!」


大人たちの底抜けの笑い声が、真新しい「オペレーションセンター」に響き渡る。

御子柴は、笑い転げる同僚たちを呆れたように一瞥し、やがて彼自身も、本当に微かにだけ、口角を上げた。


キィーン、コォーン、カァーン、コォーン……。


その時、施設内にチャイムの音が鳴り響いた。

それは、防災シェルターの「緊急避難訓練開始」を知らせるアラートなどではなく、どこからどう聞いても、ごく普通の中学校の授業の始まりを告げる、ウェストミンスターの鐘の音だった。


「おっと。時間ですね」

御子柴は、白衣の襟を正し、机の上に置いてあった理科の教科書と出席簿を手に取った。


「さて、それじゃあ『防災シェルター』における、『第一回・若年市民向け化学反応に関するサバイバル講習(理科の授業)』に行ってくるとしようか」


御子柴哲は、相変わらずの仏頂面のまま、颯爽と真新しい廊下へと歩み出た。

窓の外では、春の風に吹かれて桜の花びらが舞い、生徒たちの元気な笑い声が響いている。

動く校舎と大人たちによる不条理な攻防戦は完全に終わり、彼らが書類とコンクリートの力技で守り抜いた、極めて平和で、安全で、少しだけ名前の違う『日常』が、今日からまた新しく始まっていくのだった。


(本文・了)



【通達】市営多目的防災シェルター(旧見晴台中学校)の運用開始、および施設評価ご協力のお願い


【宛 先】 全避難民保護者(読者の皆様)

【差出人】 本プロジェクト設計・施工担当(作者)


平素より本市の異常インフラ対応および、極秘の超法規的措置にご理解を賜り、厚く御礼申し上げます。

本日をもって、旧見晴台中学校の全機能の当シェルターへの移管、および旧校舎の解体準備が完了いたしました。

つきましては、明日からの「生涯学習(実質的な義務教育)」における新施設の名称対照表を以下の通り通知いたします。生徒が迷子にならぬよう、各ご家庭にて周知徹底をお願いいたします。


■ 施設名称・新旧対照早見表 ■

・旧 1年各教室 ⇒ 【第一期避難民 基礎適応ルーム】

・旧 2年各教室 ⇒ 【第二期避難民 中規模防災研修ブロック】

・旧 3年各教室 ⇒ 【第三期避難民 高度サバイバル技術習得室】

・旧 職員室   ⇒ 【総合オペレーションセンター】

・旧 理科室   ⇒ 【有害物質隔離・検証ラボ】

・旧 図書室   ⇒ 【市民向け機密資料アーカイブ室】

・旧 体育館   ⇒ 【大規模物資集積・運動機能維持ドーム】


また、本シェルターの今後の安定運用ならびにデータ(ログ)収集のため、保護者の皆様には以下の【事後検収作業】を強く義務付けます。


1.製品検査(感想・レビューの提出)

本設計(土木工事と行政ハックの連鎖)に致命的な矛盾はなかったか。皆様の心にどのような「バグ(笑いやツッコミ)」が残ったか。指定フォーム(感想欄)への忌憚なきフィードバックを求めます。


2.承認印の押印(★評価・いいね・ブックマークの実行)

納品内容が要求仕様を満たしている、または実務担当者(御子柴・神林等)の胃痛に同情していただけた場合、速やかに画面下部の承認ボタン(受領印)を押下してください。


3.外部ネットワークへの周知活動(SNS等での拡散)

良質な行政ハックの設計図は、共有されることで初めて実効性を持ちます。本施設の設計思想にご賛同いただけた場合、X(旧Twitter)等の外部ネットワークへのリンク共有による「周知活動」にご協力願います。


【設計担当(作者)からの個人的な所感】

最後に、本プロジェクトを完遂した担当者として一言申し添えます。

今回の異常な設計要件プロットを最初に確認した際、私の脳裏に浮かんだのはただ一言、**「何これ?」**でありました。

物理法則を無視して一日一センチ動く校舎と、それを役所の書類と重機の力技で強引に止める大人たち。この圧倒的にシュールで理不尽な狂気の沙汰に対し、読者の皆様におかれましても、私と同じく「何これ?(笑)」という感情を抱き、呆れつつも最後まで楽しんでいただけたのであれば、設計者としてこれ以上の幸いはありません。


以上、検収およびご協力のほど、よろしくお願いいたします。

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