第6話 今年は、飢えない
倉庫の前に、人が集まっていた。
昨日よりも多い。顔ぶれも少し変わっている。年配者だけでなく、若い男や女、子どもを連れた母親の姿もあった。
私はその様子を、少し離れた場所から見ていた。
(噂は、もう回っている)
「倉庫が開いた」「食料がもらえた」「働けば配られる」
それだけで十分だ。人は希望より、実感で動く。
「リリアーナ様」
ミレイアが小走りで近づいてくる。
手には、昨日まとめた人口台帳の写し。彼女なりに分かりやすく整理してある。
「今日の作業希望者です」
「ありがとう。人数は?」
「三十二人です。昨日より、十二人増えました」
私は頷いた。
増え方としては理想的だ。一気に増えると、管理が追いつかない。
「では始めましょう」
私は倉庫の扉の前に立ち、集まった領民たちを見回した。
視線は緊張と期待が混じっている。だが、恐怖は薄れていた。
「今日の仕事は三つあります」
私は指を折る。
「一つ。穀物の乾燥」
「二つ。保存食の加工」
「三つ。薪の確保」
ざわり、と小さなどよめき。
保存食という言葉に、何人かが顔を上げた。
「今年は、冬が長くなります」
私は事実だけを言う。
「新しい作物を育てる時間はありません。だから、今あるものを“長く持たせる”」
前世の記憶が、自然に言葉を選ばせる。
災害時、まずやるべきは増産ではなく保存だ。
「乾燥は風通しの良い場所で。燻製は、煙を絶やさないこと」
「……そんなやり方、知らねえ」
「教えます」
私は振り返り、代官ハロルドに視線を向けた。
「火を扱える人を出してください」
「は、はい……」
彼は少し戸惑いながらも、数人の名前を挙げた。
意外なことに、その中には昨日まで黙っていた若者も含まれていた。
作業は、ぎこちなく始まった。
穀物を広げ、干し、燻す。煙が目に染み、咳き込む者もいる。
「火を強くしすぎない」
「風向きを見て」
「焦がしたら意味がないわ」
私は一つ一つ指示を出す。
魔法は使わない。奇跡も起こさない。
ただ、知っているやり方を、ここに持ち込むだけだ。
昼過ぎ、最初の保存食ができた。
完全ではない。味も素朴だ。だが――
「……これ、冬まで持つのか?」
「ええ。適切に保管すれば」
領民の一人が、燻した肉をじっと見つめている。
まるで、未来を覗き込むように。
その時だった。
「お嬢様!」
息を切らして駆けてきたのは、ルーナだった。
「倉庫の裏で……子どもが倒れた!」
私は即座に動いた。
駆け寄ると、痩せた少年が地面に横たわっている。顔色が悪く、唇が乾いていた。
(栄養不足と、冷え)
「毛布を。温かい飲み物を」
「今すぐ!」
指示が飛ぶ。
ミレイアが走り、誰かが鍋を持ってくる。
私は少年の手を取った。
「大丈夫。今、温かくする」
しばらくして、少年は目を開けた。
その様子を見て、周囲の緊張がほどける。
「……死なない?」
「ええ。今日は、死なせません」
その言葉は、誓いではない。
状況判断だ。
夕方。
その日の作業分として、保存食と薪が配られた。
受け取った領民たちは、何度も手の中を確かめる。
奪われないか、幻ではないか、そんな目だ。
「……今年は」
誰かが呟いた。
「今年は、飢えないかもしれない」
その一言が、波紋のように広がった。
私は少し離れた場所で、その光景を見ていた。
胸の奥に、静かな達成感が灯る。
(数字じゃない)
(これは、実感だ)
夜、執務室でミレイアと並んで帳簿をつける。
保存食の量、薪の束数、作業人数。
「……すごいですね」
ミレイアがぽつりと言った。
「みんな、顔が違いました」
「ええ」
私は頷く。
「“今年は死なない”と分かった顔よ」
帳簿に線を引き、私は一つ区切りをつけた。
冬は、まだ終わらない。
問題も、山ほどある。
それでも。
この日、この領地で初めて――
未来が、少しだけ見えた。
今年は、飢えない。
それだけで、十分な前進だった。
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