第20話 それでも、私は王にならない
雪が、降り始めていた。
辺境の冬は早い。
だが今年の雪は、どこか静かだった。
慌ただしく備える必要がないからかもしれない。
倉庫には保存食が積まれ、
薪置き場には十分な束が並び、
帳簿には、誰が何を担っているかが記されている。
奇跡ではない。
ただの、積み重ねだ。
執務室で、私は最後の確認をしていた。
人口、食料、交易、作業配分。
どれも「完璧」ではない。
だが、「破綻」からは遠い。
「……本当に、越せそうですね」
ミレイアが、窓の外の雪を見ながら言った。
「ええ」
「去年は、この時期……」
「覚えなくていいわ」
私は、静かに首を振る。
「必要なのは、過去じゃない」
その時、使いの者が一通の書簡を持ってきた。
封蝋は、王都。
私は、一度だけ深呼吸をしてから、封を切った。
内容は短い。
――グレイス辺境伯領の特例運営を、引き続き注視する。
――現時点で、追加の是正命令は出さない。
署名は、王国監査院。
「……静観、ですか」
ハロルドが呟く。
「ええ」
私は紙を畳む。
「今は、触れない方が得だと判断したのでしょう」
勝ったわけではない。
だが、負けてもいない。
それで十分だ。
夕方、私は集落を歩いた。
雪を踏みしめる音が、規則正しく響く。
子どもたちが、薪を運ぶのを手伝っている。
老人が、焚き火のそばで手を温めている。
誰も、私を見ていない。
(いい傾向ね)
英雄が見られる土地は、脆い。
だが、役割が見られる土地は、強い。
丘の上で、私は足を止めた。
ここからなら、集落全体が見渡せる。
小さな土地だ。
豊かでもない。
だが、確かに――生きている。
「……お嬢様」
ミレイアが、少し迷ってから聞いた。
「もし、このまま……もっと大きくなったら」
「ええ」
「王都は、きっと……」
彼女は、続きを言わなかった。
私は、答えを用意していた。
「私は、王にはならない」
「……え?」
「この場所を、王にするつもりもない」
ミレイアは、驚いた顔をした。
だが、私は続ける。
「王になるということは」
「誰かの失敗を、全部引き受けるということよ」
そして、それは――
この仕組みを壊す。
「ここは、支配される場所じゃない」
「回る場所よ」
理解したのだろう。
ミレイアは、静かに頷いた。
夜。
私は執務室で、一冊の帳簿を閉じた。
表紙には、こう書かれている。
――グレイス辺境伯領 運営記録(第一期)
第一期。
それは、終わりであり、始まりだ。
雪は、静かに降り続いている。
だが、もう恐れる必要はない。
この領地は、
誰か一人の意志ではなく、
仕組みと選択で、ここに立っている。
私は、灯りを落とし、窓を閉めた。
悪役令嬢としての役目は、終わった。
けれど――
この物語は、まだ終わらない。




