7 ちょっと一息
「ったくよ。余計なことをしやがって」
吾朗は煙草を吹かしながら言った。ベンツの車内は煙が立ち上り霧がかかったようになっている。後部座席の吾朗の隣には根本が笑みを浮かべ殊勲顔を浮かべている。
「なにもせずに見てられねえんだよ。あの親子の力になりたかったし、お前には借りがあるからこれで返したつもりだ」
「お前なあれから大変だったんだぞ」
「どういう風に?」
「俺が大空を誘拐したんじゃないかって疑われるわ、そうじゃないって否定したらあなたには仲間がいてその人たちがやったんじゃないかって言われるし。まるで犯罪者だぜ」
吾朗は二週間前に起きたことを思い出し顔をしかめた。最終的には大空が自分の意志で病院い来たと、突っぱねたことで鉾は収まったが、佳代子はその裏に何かあると明らかに疑っている様子だった。ただ、彼女は亡くなった折島のことを聞いて少しばかり沈んだ表情を浮かべると、警察を帰らせ一人病室で折島と大変を果たしていた。どんなことを思い、どういう言葉を投げかけたのかはわからない。しかし、元夫婦だった二人には言葉では言い表せないようななにかがあったはずだろう。そして、佳代子はきっと折島に今までお疲れ様でした、ご苦労様でしたと労ったに違いないだろう。
「そういうことはな、毎日のように俺らがされていることだから、少しは気持ちがわかったか?」
「わからねえよ。やくざは疑われて当然だろうが。にしてもよ、誘拐なんかしやがってほんとよくやるよな」
吾朗が大空の行方不明に根本が絡んでいると思ったのは、男の約束という言葉を大空が口にしたからだった。やくざである根本が筋を通したり、仁義を守るのを吾朗はよくわかっているし、よく自分の前でも男の約束というワードを発していた。
「まあ、人さらいは俺らの十八番だからな」
「そんな言い方あるかよ。でも、何と言って車に乗せたんだ?」
「それは企業秘密だ。教えられない」
根本が君の悪い笑顔で言った。きっと根本はあの手この手を使って今まで相当な人間をさらい脅してきたに違いない。
「それ以上俺が聞くと共犯者になりそうだからもう聞かないわ。一応、礼は言っとくよ。大空も折島さんもきっと会えて嬉しかっただろうしな。ありがとうよ」
「どういたしまして。あとな、吾朗。お前、俺が何も知らないと思っているだろうが、俺は全て掌握してる」
「何を言ってるんだ?」
「とぼけるならそれでもいいが、報告しとく。小野寺はこっちで処分した。今はどこでなにをしてるかわからん。まあ、俺もな食い物にされるのは勘弁だから、それなりに山健の奴らと適度な距離感を保ちながらうまくやってるよ」
「そうか」
吾朗は斧出を操っていたのが辻なのを知っていたが、根本には一切言っていない。
だが、根本は鼻からお見通しだった――ということはまたしても自分は根本の手の内で踊らされていたのかと吾朗は思い、一枚も二枚も上を行く根本に感動すら覚えはじめていた。根本が組長に就任した神田組はこれからは安泰だろう。
「まあ、そういうことだ」
「で、いつまで尾行を続ける気だ?」
「お前はな大丈夫だろうが、彼女が心配だな」
「葉月のことか?」
「ああ。やくざはターゲットを変えてでも仕返しを考えるからな」
「俺も葉月も堅気だが。まさかそんなことは……」
「堅気のお前がやくざの仲介役をやったんだ。何かあっても不思議じゃない。これから尾行されるのがいやだったら、いっそのこと一緒に住んだらどうだ?そうすればこっちも尾行……じゃなくてボディーガードしなくてもすむし」
根本は自分の言葉のあやに相槌を打った。
「馬鹿。俺がそうしたくともあっちにその気がなかったらできないだろうが。って、葉月はただのキャバ嬢でうちのアルバイト。それだけだ」
「お前はアホだよな。彼女はなんだかんだ言ってもお前に惚れてる。こんなクズ野郎のどこがいいのか。こんな貧乏で女好きで酒飲みのぐうたら男のどこがいいのか。俺にはさっぱりわからない」
「それってさ、けなしてるよな」
「よく理解しているようで。とりあえず、そういうことだからな」
「どういうことだがよくわからねえよ」
吾朗は首を傾げながら煙草を吹かした。
「そろそろお前も身を固めろってこと。じゃあ、俺は予定があるからこの辺でな。さあ、降りた、降りた」
「はい、はい。わかったよ。なあ、今度野球しないか?」
吾朗は後部座席のドアを開けながら言った。
「だから俺はやくざで、お前とは――」
「ゲームだよ。ゲーム。オンライン対戦できるゲームなら関係ないだろう」吾朗はフンと鼻息を鳴らすとさらに言った。「やくざだから、堅気だからってそんなこと言う前によ、俺とお前は友人だろう。友人ってのはな、いつまでたっても友人だ。じゃあ、そういうことで」
「一丁前のことを言いやがって。俺を誰だと思ってるんだが」
「友人の根本くんだろ。あ、そうだ……フィリピン人の奥さんによろしくな」
「うちの奥さん日本語知らないんだよ」
「お前な、一回死んだ方がいい」
吾朗は大親友に中指を立て、口から下をだすとベンツのドアを閉めた――その瞬間、ベンツはレーシングカーのように勢いよく吾朗の目の前から消えた。もし、今回根本が何もしなかったら、この依頼はどうなっていただろうか。やり方は賛成できないとしても、吾朗が根本に助けられたのは紛れもない事実であり吾朗自身も口では汚い言葉を根本にぶつけているが、本音は感謝の気持ちが強かった。根本は貸し借りという建前で動いてくれたようだが、実のところは友人として自分のことを心配してくれたのだと信じたい。いや、きっとそうだろう。自分にとって友人と言えるのが根本しかいないように、根本もきっと自分のことを唯一の友人だと思っている、そう信じたい。
冬晴れの中、吾朗は腕時計に目を落とす。今日は急ぎの仕事がないのでのんびり過ごすのも悪くない。ついこないだまでは、家賃すら払えず数カ月滞納をしていたはずだが、信じられないような依頼が次々と舞い込んだことで状況は一変している。
墓参り代行からの犯人探し、同性愛者と癖の強い父親の説得。犬猿の仲だったやくざの組の仲介役、そして毎年十二月二十四日に手紙を届けるという大役――どれもこれも変わった依頼ばかりだったが、その中には様々な思いが渦巻いていたのは言うまでもない。こうして振り返ってみると、よくここまで生きてこれたなと吾朗は思った。いずれにせよ、代行屋の吾朗は依頼人のことを第一に考え仕事をしている。いや、依頼人とそれに見合った報酬のために働いているというほうが正しいかもしれない。
「さて、たまには昼からデリヘルでも呼んじゃおうか」
吾朗は独り言を呟く。今日、事務所には葉月がいてせっせと働いているのはわかっている。彼女は相変わらず人見代行ブログやSNSなどを更新していてそのアクセス数は、日に日に増えていた。昼は事務員、夜はキャバ嬢の二刀流をこなしていて忙しそうだが、疲労の色など全く見せることなく毎日を過ごしている。
お金に不自由していない葉月がどうして自分のところで働いているのか、吾朗は未だに理解できない。本当に彼女は自分のことを好きなのだろうか。根本は惚れていると言っていたが、それはたしかか――。
「うーん」
吾朗は握りしめていたスマホを眺めながら、唸り声をあげる。液晶画面にはいつも利用するデリヘルの番号が表示されていてあとは発信ボタンを押しただけだった。吾朗の下半身の疼きは止まらないが、どういうわけかボタンを押す指が硬直していた。歩道で立ちすくんでいた吾朗は、クラクションの音が耳に届き顔を上げる。その音は吾朗に対してではなかったが、車の方に視線を向けたその矢先に小さな花屋が見えた。吾朗は目を細めながら店先を見ていると、入り口から出てくるスーツ姿の男と視線がぶつかった。彼の手にはお墓に供える用の花が握られている。吾朗に気づいた男は足を止めると頭を下げ、すぐに足を動かしはじめた。
「あれは、笹崎さんか。今日はお墓に行くのか」
吾朗は久々に見た笹崎の姿を目で追いながら呟いた。彼の背中は出会ったときの殺気が消え去り優しさを感じた。娘を失った悲しみは癒えないものの、きっとある程度の決着を心につけたのだろう。復讐をやりとげたことで――。
吾朗はあのときのことを思い出すと背筋に悪寒が走り震えた。やはり、今日はデリヘルを呼んで身も心もあったまろう。スマホを耳に当てながら吾朗はいつものように明るい声をだし一息で言った。
「あ、もしもし。人見です。コスプレ女学園ですよね?今から三時間コースは大丈夫ですか?いつものナナちゃんがいいんだけど、今日いる?」
「ナナちゃんですね」
電話に出た女性の声が吾朗の鼓膜を刺激する。
「うん。そうそう。こないだも満足したしね。大きな胸に顔をうずめてもうウハウハだったよ」
「かしこまりました。すぐに向かわせますね……っておい!エロ社長!」
「は?え?」
「あんた誰と話してるのかわかってるの?」
「ちょっと待って……その声は……」
「葉月ですけど!」
「はい?どうして?」
吾朗は腋の下に汗が流れるのを感じた。
「あのね、私が電話したのよ」
吾朗がデリヘルを呼ぶためスマホの発信ボダンを押したその瞬間だった――たまたま葉月から着信があり、発信ボタンを押したつもりの吾朗は通話ボタンを押したので葉月と電話がつながっていたのだ。吾朗はそのことに気づかないまま相手がデリヘルのお店だと思って話つづけていた。
「マジで……ってことは今の会話全部聞いていたわけ?」
「もちろん。ちゃんと聞いたわよ。この耳でね。私、記憶力がいいから死ぬまで忘れないわ」
「いやこれには訳があってね」
吾朗はいつもの癖で言い訳が口からでそうになる。
「どんな訳があるのよ。こっちはせっせと働いているっていうのに、吾朗ちゃんはデリヘルで遊ぶの?」
「すまん。すまん。で……どうした?」
「依頼よ、依頼」
「そうか。どんな依頼?」
吾朗は調子のいい口調で訊ねた。
「二十五歳、女性。かわいい子ちゃんじゃないかしら」
「かわいい子ちゃん……マジ?」
「嘘に決まってるじゃん。八十歳のおばあちゃまからよ」
「八十歳のババアかよ。どんな依頼なんだ?」
「詳しい話は直接話を聞きますって言ってあるわ」
「はい、はい。わかったよ……じゃあ今から事務所に戻る」
「デリヘルはいいの?」
「デリヘルもいいけど……」葉月がほしい――という言葉を吾朗は勢いで言いそうになったがなんとかこらえつづけた。「仕事が優先だ。俺を誰だと思っ――」
「結局はお金でしょ」
「まあ、たしかにな」
吾朗は電話を切るとスマホをしまい笑みを浮かべた。こうして依頼がくる限り、自分はこの仕事を続けるだろう。いや、続けなければならない。最低でもあと十年は――。
吾朗はあらためて託された依頼の重みを感じると身が引き締まる思いだった。
「さて、戻って仕事をするか。次はどんな依頼なのか……」
春の訪れを感じさせるような陽気の中、吾朗は雪が融けたアスファルトの歩道を大股で歩きはじめた。




