王宮へ
「神殿の丘」に王宮は建っていた。この王宮は新バビロニア国との戦争と、2度の独立戦争によって消滅する。城門は当時の城跡である切り石(切り出された石材)が用いられていた。そして二重の城壁。
『ケースメート城壁であるな。懐かしい限りだ』
デカラビアが言う。イーゲル・ヤディンが調査したことで知られる遺丘と、やはり構造を同じくしている。
「でも、なんだか」
石造りの柱や付け柱に触れてみる。まるで発砲スチロールのような軽い質感。強く引っ搔くと壁面が削れた。
「絵本で見た知識だけで、外観だけ似せて作ったというか。
実感? 生活感がない」
フォークやソーセージを知識だけで知っていたソロモン王のように。
「悪霊の王とやら、王宮に住んだことがないのか……?」
民家はあっても人はおらず、炊煙の1つもない。「生活」が感じられない無機質な世界。
「まるでハリボテの王国だ」
蓮の感想は、ソロモンのそれと大差ない。
『……ふん』
デカラビアが小さく肯定した。
放たれた長い矢が、蓮の側頭部へ襲い掛かる。思考に没頭している蓮は気付かない。矢は命中寸前、黄金の盾に阻まれた。ガァンという音が耳元で響き、思わず耳を塞ぐ。
「敵地でぼおっとしてはいけません!」
尤もな戒めとともにソロモンが現れる。狙撃の主は隣家の屋根にいた。緑衣の狩人姿の男は、失敗を見て取るとすぐに姿を消した。
「バルバトスか。狙撃を得意とする堕天使ですわね」
おそらく、獲物が王宮に入る手前で待ち伏せていたのだろう。追撃は来なかった。
「イデア! 無事だったか」
慌ただしく久闊が叙された。
「さっきの堕天使、あっさり引き下がったな」
再会を喜びながらも、蓮は警戒する。バルバトスからの追撃は来なかった。
「バエルの気配を察したのでしょう」
その言葉で、バエルと契約できたことを察する。マルバスを退けたことで、他の堕天使は襲撃に二の足を踏んだらしい。お蔭で以降は大過無く来れた、と言う。
お互い目立った怪我はなかった。蓮も手短に報告する。
「良い知らせと悪い知らせがある」
蓮はソロモンの口癖を真似る。
「良い知らせはこうしてお互い、五体満足で再会できたこと」
「悪い報せは?」
「詠さんが死んだ。俺をここに連れてくるために」
沈痛な面持ちで告げる。詳しい説明はしなかった。
「そうですか。後でゆっくり聞かせてください」
『では往こうか。詠の死を無駄にしないためにも』
「そうだな……ちょっと待て!」
しれっと会話に加わった女性に叫ぶ。
『1時間ぶりだな親友。どうした? 詠の仇を取るのだろう?』
「生きてる人間の仇をどう取らせるつもりだ。あと服を着てくれ」
詠は一糸纏わぬ姿である。
『バエルの思考と混線気味でな。いまいち常識が定まらん』
身を翻すと、黒い薄手のケープに身が覆われる。
「彼女は魔女となり、バエルの本体になりました」
状況が状況なので、感覚で理解しろ、とソロモン王の目が言っている。
「まあ……生きてくれた、ってのとは違うのかもしれないけど、良かった」
得難い戦力となれば猶更である。
『バエル、キサマも遂に参戦か。だが良いであるか?』
この、負け戦が決まった戦いに参入して。
『結末を見届けたいのだよ、この2人の』
答えを聞き、デカラビアは口を噤んだ。
「でもこれから先、どう呼べばいいんだろう。詠さん? バエル?」
『詠と呼んでくれ給えよ。そっちの記憶が残っているものでね』
いつもの詠の口調だった。
「積もる話は後に回しましょう。王の間はすぐです」
少女が先導する。王の間は通常城の中心にある。
「なんだか頼もしくなったな、イデア」
外見は変わらずとも、内面が充実しているように思えた。かく言う蓮も、堕天使の襲撃を乗り越えてきた。
「再びに、ソロモン王の名前を背負う覚悟ができましたから」
「そうか。じゃあ、ソロモン王って呼ばなきゃな」
何か吹っ切れた、恐らくは本来の生気を取り戻した相棒を頼もしく思った。
「御随意に。イデアの名も捨てるつもりはありませんわよ。せっかくレンが付けてくれた名前ですもの」
何も持たなかったソロモン王が、この世界に来て初めて与えられたものだった。
王の間。本来は荘厳な儀式が行われる、正しく城の顔である。今、その玉座には、黒い、醜怪な物体がいた。
『ア、アアア――』
辛うじてヒト型であるが、全身が影のように真っ黒で、しかもノイズのように姿が伸びたり縮んだり、霞んでブレたりしている。
巨大な棒人間、或いは、立ち上がった影のように見える。そのくせ、憎悪を煮えたぎらせた眼だけは爛爛としていた。
否、右手の人差し指に嵌めた指輪も、うっすらと輝いていた。
「あれが噂に名高い“ソロモンの指輪”と、悪名高い悪霊の王、か」
金と黒で塗り分けられた指輪。模様や色の配分が、イデアの着ていた服に似ている。おそらくはソロモン王を象徴する色なのだろう。
「―――で」
冷や汗混じりに王の間を見渡す。2柱の堕天使が玉座の横に待機している。猿の頭に、異様に長い手足を持つ獣毛の怪物。背中から骨のような腕を4本も生やしている。
続いて、車輪のような外見の、奇怪な堕天使。車輪の胴体には5本の馬の脚。中央に虎の頭部を持つ。
『シャー!』
『グルルル……』
「グシオンにブエル。命令に忠実なものを護衛として残したのでしょう」
だが2柱は侵入者に威嚇はしてくるが、飛び掛かって来ない。
『“あれ”が止めているのだろうな』
詠が悪霊を見やる。自分の手で殺さねば気が済まない。口にせずとも感じるほどの狂執。ソロモン王に恨み骨髄の堕天使も、契約した身では命令に甘んじるしかない。
《返セェェエエ!》
悪霊の放った言葉が耳に残った。
――返せ? 何を?
絶叫して指輪をかざすと、雷光が迸る。
「オル・フレヴネ!」
数枚の黄金の盾が遮った。
「悪霊として生きるのは恐ろしい苦患です。拷問と言い換えても良いぐらい。だから本来は遠からず発狂し、消滅する」
追撃を警戒するが、敵はそれどころではなかった。
《ギアァア!》
悪霊は指輪から発する雷光に、身体を貫かれている。
「なんだ? 取込み中のようだ」
「指輪に拒絶されているのです。資質が無い者が使用すれば、神の雷を浴びます。その痛みは無限痛」
悪霊が広大なアティルト界を創造しながらも、自らは仕掛けてこなかった理由を察する。
「手下しか向かってこなかったのは、大規模な召喚の反動で動くに動けなかったのか」
だが、焼かれながらも憎悪を滾らせ、なおも手を伸ばしてくる。
「イーツェール!」
ハルファスのクロスボウを呼び出し、矢を放ってみた。
「無駄です。悪霊には実体がありません」
ソロモンの言った通りに、矢は黒い身体を通り抜けた。ここまでの敵対行為に出たのに、グシオンもブエルも動かない。命令がないからか、バエルを恐れているのか。
「ま、この程度が通じるなら、古代でイデアがどうにかしてるよな」
『実体がなければ、詠も手の出しようがないねえ』
バエルは「無限に存在する」。だが悪霊はそもそも「世界に存在しない」。決着のつくはずがなかった。
「で、どうやって仕留めるんだよ?」
ソロモンが現代にやって来た時から、「対抗策はある」と断言していた。
「名前、です」
やはり結論から告げる。




