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王の名前を  作者: あまやどり
終章 堕天大戦
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王の名前を④


 何を以てカアナンの王とするか。ソロモン王は当初、「カアナンの王族(アブラハムに連なる者)」だと考え、交渉し、そして失敗した。そもそも偉大なる王であるバエルが、血の繋がりだけを重要視して低劣な人間に従うなどあるはずがなかったのだ。


『王の言う“カアナンの王(アブラハムの一族)”ならば、あの悪霊の王とやらも恐らくはそうであろうにゃ』


「え……?」


 只事ではないことを言った。


『だが、私の認めるところのカアナンの王ではにゃい』


 判じ文(謎解き)のように言う。



 昔のソロモン王にはその資格があった。だがイデアにはなかった。これは蓮が引き出したヒントである。


 これが最後。おそらく今後の趨勢を決する。


「カアナンとは即ち“神の国”。そして王とは……血筋でも権威でも支配でもない。安寧をもたらす者のこと」


 外の喧騒が嘘のように、静かに紡ぐ。



「王でもなく、血筋でもない。“神の国を平和に導く者”。これが貴方の望むカアナンの王」


『然り』


 認めた。

 “ソロモン王”は正しくそうであった。王でありながら戦場の主でもある。だが、悪霊に故国を踏みにじられ、彼女はその名を重荷に感じるようになり、返上した。

 逃げたのだ。見知らぬ土地。尽きた魔力。恨みを買っている堕天使たち。滅ぼせぬ悪霊の王。全てから。


 故に、バエルは契約を拒否し続けた。平和への責務を放棄たものなど、王ではない。


「ですが先生、エリゴールに諭されました。王の名前を(・・・・・)背負わなければならないとのだと。故に再び名乗ることにいたします」


『……』


「わたくしは神の国(古代イスラエル王国)を守ることは適いませんでした。ですが、この神の国(神無市)の平和は取り戻してみせます。平和を満たす者(ソロモン王)の名前をかけて!」


 かくて少女は、再びにソロモンを名乗る。バエルの宣言した「神の国に安寧を(もたら)す者」。


『……!』


 そしてこれこそが、バエルの望んだ「カアナンの王」。かつてカアナンの王を自ら捨てた王は、幾層倍にも強壮になって還ってきた。

 バエルはデカラビアと同じく、イデアたちが悪霊の王を打倒できるとは思っていない。つまり、少女に協力することは泥船でしかない。

 勝てない勝負。だが。


『……良かろう! ソロモン王を新たなカアナンの王と認めるにゃ!』


 バエルは全てを承知の上で、認めた。初めて正面から裸でぶつかってきた王に、心服してしまった。


『おいおーい、いつまで閉じ籠っておる? 賢者の名が泣くぞい?』


 アミーが嘲笑う。マルバスは興が乗らないのか、アミーとフルフルの攻勢を黙って見ているだけだった。


「しかし、この窮地では……」


『我が主となった以上、ここは任せて戴くにゃ』


 黒猫が盾の隙間から外に出る。だが契約したとはいえ、ソロモン王は知っている。バエルはその膨大な力を振るうには、幾つもの制限を抱えていることを。


「しかし貴女の力で……まさか?」


 その条件が満たされるのは、数百年に1度もないことを。


『然り。折よく“頭”が手に入ったにゃ』


 存在の“核”となる、魔女の存在を。



 

『醜く焼け(ただ)れた首を引っこ抜いて、ハーデース(冥府)に飾ってくれるわい!』


 挑発するアミー。そこに、黒猫が出てくる。


『ん? お主……』


 黒猫が影に沈み込み。入れ替わるように1人の女性が這い出てくる。


『む。どうやら死には先があるらしい』


 大きく伸びをする。その女性は、ソロモンも知っている人物だった。


「まあ、詠さん?」


『また会ったな、王様。そして末永くよろしく』


 生前と変わらぬ表情で、詠は微笑んだ。



『お主、バエルか! いつも乱痴気騒ぎに参加せぬ気取り屋が重い腰を上げるとはのう!』


 炎の中でアミーが叫ぶ。


『キャー!』


 フルフルも受けて立つ姿勢だった。


『人間だった頃の記憶とバエルの記憶がミキサーのように混ざっていたが、ようやく落ち着いてきた』


 詠――バエルは落ち着き払っている。


『面白い! 堕天使の中でも腕自慢のワシらを相手に……』


 2柱が臨戦態勢に入る前に、ギョッとする。2柱の目の前に、バエルがいた。アミーの前にも、フルフルの前にも。


『キ……』


 叫ぶ間もなく、2柱は同時に切り伏せられた。詠の手が、猫の手に変化して、鉤爪を備えている。


『む……』


 マルバスは何が起こったか把握できていない。彼の目を通しては、棒立ちになったバエルを尻目に、味方の2柱がいきなり血を噴き出して倒れたようにしか見えなかった。


『知らなかったか? (バエル)は“どの場面にも存在する”』


 誰の、どの視界にも存在することができる。数の暴力は通じない。


「さすがは序列1位」


 戦力差は一瞬でひっくり返った。だが、最後の1柱は泰然としたものだった。



『王の中の王か。是非もない』


 マルバスは物事を複雑に考えない。言葉少なに剣を構える。体格に合わせて大きく長い剣は、刀身が真ん中あたりで大きく曲がっていた。マルバス独自の武器であり、ブーメランのように投げて使うこともできる剣である。そして、一度振るわれれば、どのような対策を講じようとも死の来訪を防ぐ手立てはない。


 マルバスの魔術は「秘密と急所の看破」。この力は戦闘においても如何なく発揮される。すなわち、投げた得物は必ず防衛の弱い部分や死角を突破し、急所に当たる。文字通りの必殺。

 ソロモンが全力で盾を展開したとしても、マルバスの投げた剣は必ず防衛網を突き破り、首を刈る。


 序列5位。だがこと単純な生死のやり取りに於いて、マルバスの右に出る者はいない。

 

 ブーメラン刀を投げる。剣は弧を描き、詠の胸に命中した。そのままマルバスの手元に戻って来る。


『流石はマルバス侯。正に完全無欠の妙技だ』


 だが詠の身体には傷一つついていない。


『むう?』


 マルバスは(いぶか)った。確かに手応えはあった。元来、敵の命を断たずに戻ってくることなどあり得ない。


『案ずるな。一瞬の内に弑された。命の取り合いに於いて、貴公を凌ぐ者などいようがあるまいよ』


 惜しみない賛辞を送るが、健在の理由にはならない。

 ソロモン72柱と一括りにされるが、堕天使は基本的に他者に無関心なものたちである。マルバスは地獄の宰相ルキフゲ・ロフォカレを通してバエルを知っている。万能に近い堕天使のこと、調べる気になれば何でも分かる。のだが、マルバスは最強ゆえに、物事を複雑化することを厭う。故に、マルバスはバエルの力を知らない。



 バエルの特性。それは「いかなる場においても存在する」という極めて特異なものだった。どの時代、どの国、どの場所においてもバエルは必ず「存在する」。それは不変の真理のように働く。故に、バエルが死ぬことはない。俗なデカラビアならば「残機∞」などと形容したことだろう。


 アイン・ソフ(無限の本質)。カバラ(神秘主義)にあっては「シェマ・イスラエル」とも呼ばる、奇しくも国の名を冠するバエルの偉大な力の一端である。

 

『解せぬ』


 堕天使は不老であっても不滅ではない。やはりバエルは別格の存在だった。


 詠はゆったりと近寄って来る。マルバスが2度、3度剣を振るうが、足止めにもならない。徐々に間合いが詰まる。その間、バエルは攻撃らしい攻撃を繰り出してはこなかった。

 触れるほどの距離まで接近を許したとき、マルバスは剣を大きく振りかぶった。


『こおおおっ!』


 満身の腕力(かいなぢから)で剣が振り下ろされる。


スクライング(鏡魔術)


 詠の前に大きな鏡が立ち塞がった。鏡は正面のマルバスの姿を映し出す。マルバスの剣は、映った自分の姿ごと鏡を両断する。

 同時に、マルバスの肉体も袈裟懸けに断ち切られていた。


『な……に?』


 全ての一撃が必殺。マルバスの魔術は己にも効果を発揮した。


『バエルは魔女の王。呪詛も呪詛返しも魔女(オーブ)のお家芸さ』


 バエルと対峙する者は、強力な魔術を持つほどに自滅してゆく。現状の序列1位を冠する所以である。


「武闘派の堕天使たちを、こうもあっさりと」


 死の嵐に晒されていたソロモンは、急変にひたすら驚いている。

 

『歩くのは実に久方ぶりだな』


 マルバスを退けた女性は、地面の感触を無邪気に楽しんでいる。


『さあ行こうか王様。親友が待っている』

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