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光に近づきやがて死ぬ  作者: 幕下力士
3/7

靴紐がほどけたら立ち止まる

 本当に偶然だった。

 あの頃の私は、何かにすがりたかっただけなのかもしれない。

 仕事帰りに、たまたま入ったコンビニで、たまたま音楽が流れていたのだ。

 たったそれだけの出来事。

 気に留めなければ流れていく普通の日常であったはずなのに。あの日、私の耳に突き刺さった音楽は次第に脳を伝って心臓に刺さった。

 手に持っていたおにぎりは無情にも床に転がる。

 こんなにも体全身がビリビリと痺れる感覚、初めてだった。


「あのお客様…どうなさいましたか、大丈夫ですか…」

『この、今流れている音楽はなんという曲でしょうか』

 レジに並んだくせに、商品を差し出すどころか商品を落とし、涙を流しながら曲名を訪ねてくる成人女性は大変気味が悪かったであろうと、3年経った今でも時々思い出し赤面してしまうのだ。


 あの日は忘れもしない金曜日の夕方。

 あの頃の私は、毎日誰に決められたわけでもないのに仕事終わりに夜ごはんのため駅近くのファーストフード店へ向かうのが日課になっていた。

 朝起きて、着替えてお化粧をして、満員電車に揺られ会社に行く。

 時々カラオケに寄り道して、意味もなく時間を潰して帰る、それが私の日常。

 今のところ大きな不満はない。だけど、ゴールの見えない日常に絶望感は覚えている。

 25歳。70歳まで働くとしたらこの日常をあと45年も続けることになるのか。

 争いごとを避け、大きな向上心も野心も持たない私は、人事部からしたらいいお荷物だろう。

 コンプライアンスに縛られ、風評被害を恐れる会社は、私のようなお荷物でさえ切り捨てることはできないため、当たり前のような顔をして毎日出勤している。

 これは私の勝手な解釈だけども、向上心を持ち続けるということは、他者の優れた点を羨み、憧れ、ある意味その点を持ち合わせていない駄目な自分を否定し続ける行為だと思っているため、傷つくことに人一倍臆病で、変化を求めず現状を維持するだけで精一杯の私に、これ以上なにを望むというのだろうか。

 私の首元で揺れる社員証は、まるで小屋にくくりつけられて身動きの取れない犬の首輪のようだ。


 その日もいつものようにお店に行くと、溢れかえる高校生に驚いたのを覚えている。

 どこかの企業が幸せな金曜日をおすそ分けというキャンペーンを行っていたせいで、ハンバーガーが無料になっていたのだ。

『うわ…最悪じゃん…。』

 お店の外まで行列になっていて、仕事終わりの私はお金を払ってでもあのキラキラした青春の列に並びたくないと強く思った。

 キラキラしているあの子たちは、そんなこともあったねと今日の日をいつか思い出して笑えるのだろうが、そうではない私は、今日の日を行列に並ばされた日としてしか認識できず、そして思い出になるどころか何日かしたら忘れてしまうのだ。

 家に帰って夜ごはんを作る元気もなく、列に並ぶ勇気もない私は、仕方なしに駅の裏にあるコンビニへ向かう。

 自炊をするべきなのはわかっている。

 だけど、食材を買って手間と光熱費をかけて自分の大して美味しくもない料理を作るのは本当に得策であるか、でも私も仕事終わり疲れて帰っているし作らなくてもいいのでは…と自分を正当化する言葉は次々と出てくる。

『だって仕方ないよね』

 踵を翻し、コンビニの方向へ足を向けた。


 [あなたって本当に面白くない人間ね]


 机に叩きつけられた書類の音と、心底呆れ果てた部長の声が脳に響く。

 頭にある大きな血管がひどく脈打ち、思わず頭を押さえた。

 嫌な記憶が強烈に残りやすいのは、一度言われたことを自分が何度も心の中で繰り返してしまうから、何度も言われた気持ちになってしまうと聞いたことがある。

 別に間違っていない。

 現に面白くない私は、咄嗟に言い返すことも、気の利いた返事をすることもできず、下を向いて謝ることしかできなかった。

 今年から私の担当する部署の部長になった彼女は、若くして昇進し、従来のやり方を効率よく柔軟に変えられる、変化に強い人。

 タイトスカートに真っ赤な口紅、ムスクの香りが良く似合うとても素敵な女性。つまり、私の苦手な人間だ。

『…早く帰ろうっと』

 ペロリと唇を舐めると血の味がした。


 閑散とした駅の裏側に強い風が吹く。

 適当に一つにまとめた私の髪の毛が静電気を帯びて顔にまとわついた。

 いつからだろう。

 いつから私はこんな人間になってしまったのだろうか。

 だって私は、キラキラしたものが好きだったはずなのに。

 小さい頃は、持ち手にリボンのついた大きな手鏡を持って、お母さんのメイクポーチとジュエリーボックスを勝手に借りて、おばあちゃんがピアノの発表会用に買ってくれたフリフリのワンピースを着て、ご機嫌だった。

 高校生の頃は、一生懸命可愛いヘアアレンジを覚えて友達が告白するときや、放課後デートのときに、とびっきり可愛い髪型にしてあげるのが特技だった。

 大学生の頃は、自分の顔が好きじゃないという友達のために、どうやったら自分を好きになれるのか、理想に近づけるのか、可愛いは作れるのか毎日毎日研究していた。

 お化粧品、アクセサリー、可愛いワンピース。キラキラは私の世界で無敵だったはずなのに。

 有名な魔法のなんちゃらステッキを振り回しても、ただのおもちゃでしかなくて。空を飛んだり、物を動かしたりはできないけど、唯一私が使える魔法がキラキラだった。

 だから就職活動では日本の女の子をキラキラにしたいと思いで今働いている会社を選んだはずなのに…。

『…ていうかキラキラってなんだろう』



 足元を見つめると、履き潰したスニーカーの紐がほどけている。

 踵を鳴らしても奇跡は起こらないし、ただのおもちゃのなんちゃらステッキすら持っていない私の人生には、可愛いアシストキャラクターも登場しない。

 私がこの世界でできることなんて、立ち止まって、膝をつき、自分の力で結び直すしかなかった。



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