新たな土地の古いモノ
四月になった。
俺と朝倉は同じ大学に入学した。
キャンパスは、高校から電車で三十分ほどの場所にあった。古い大学で、建物が年季入っていた。石造りの正門、蔦が絡んだ校舎、広い中庭に大きな銀杏の木。
入学式の朝、俺たちは正門の前で待ち合わせた。
朝倉が来た。
制服じゃなかった。当たり前だけど、私服の朝倉を見るのはまだ慣れなかった。紺のコートに、白いシャツ。髪を少しだけ下ろしていた。
「どうした」朝倉は言った。
「何でもない」俺は言った。
「じっと見てた」
「似合ってると思って」
朝倉は少し耳を赤くした。
「入ろう」朝倉は正門をくぐった。「式が始まる」
入学式は大講堂で行われた。
学長の話、来賓の挨拶。高校の入学式と変わらない流れだった。
俺は式の途中から、講堂の中を見ていた。
古い建物だ、と思った。
天井が高くて、木の梁が何本も渡っていた。ステンドグラスの窓から、午前の光が差し込んでいた。
何十年も、ここで式が行われてきたんだろう。
そう思った瞬間——
感じた。
重さが、あった。
高校の校舎とは違う。もっと静かで、もっと深い重さ。地下じゃなくて、建物そのものに染み込んでいるような。
隣の朝倉を見た。
朝倉も、天井を見ていた。
目が合った。
「感じるか」と俺は小声で聞いた。
「感じる」朝倉は小声で返した。
「怪異か」
「怪異というより——」朝倉は少し考えた。「歴史だと思う。たくさんの人が、ここに来て、ここを去った。その重さ」
「それだけか」
「それだけじゃ、ないかもしれない」
入学式が終わった後、新入生の歓迎会があった。
サークルの勧誘が廊下に並んで、声をかけてきた。俺たちは適当にパンフレットを受け取りながら歩いた。
中庭の銀杏の木の前で、朝倉が止まった。
「この木」朝倉は木を見上げた。
「何だ」
「古い。相当、古い」朝倉は幹に手を触れた。目を閉じた。
俺は少し心配した。
「大丈夫か」
「大丈夫。ただ——」朝倉は目を開けた。「百年以上、ここにある木だ。この大学が建つ前から、ここにあった」
「大学より古いのか」
「そう思う。この木の記憶に——大学が建つ前の景色がある。田んぼと、小さな集落と、川」朝倉は木から手を離した。「この土地にも、古いものが積もってる」
「高校と同じか」
「同じじゃない。あそこは瀬戸神社という核があった。こっちは——」朝倉は中庭を見回した。「もっとバラバラだ。いろんな時代の、いろんなものが混じってる」
「それって、怪異が出やすいのか」
「出やすいかどうかは分からない」朝倉はノートを取り出した。「でも——何かがいる気はする」
最初の一週間は、授業の準備と新生活の慣れでバタバタした。
俺と朝倉は同じ学部だったけど、取る授業が少し違った。毎朝会って、昼に合流して、帰り道を一緒に歩く。そういうリズムが自然にできた。
普通の大学生活だった。
でも五日目の木曜日、朝倉から昼前にメッセージが来た。
今、図書館にいる。来られる?
授業は
終わった。早く来て
急いで図書館に行くと、朝倉は奥の席に座っていた。ノートを広げて、何かを書いていた。
「どうした」俺は向かいに座った。
「見て」朝倉はノートを俺に向けた。
走り書きがあった。
三号館の四階・旧閲覧室・入れない
「入れない?」
「鍵がかかってる。でも——中に何かいる」朝倉はノートを戻した。「さっき通りかかったとき、扉の向こうから声がした」
「声?」
「人の声じゃない。でも声に近いもの。低くて、繰り返してた」朝倉はペンを置いた。「気になって、守衛さんに聞いたら——三号館の四階は、十年前から使用禁止になってると言ってた」
「理由は」
「老朽化、と言ってた。でも」朝倉は俺を見た。「守衛さんの顔が、変だった」
「変って」
「聞かれたくない、みたいな顔」朝倉は静かに言った。「高校の田村先生が、最初に橘さんの話を聞いたときの顔に似てた」
俺は少し考えた。
「知ってて、黙ってるってことか」
「そう思う」朝倉はノートを閉じた。「湊、放課後に三号館に行ってみようと思うんだけど」
「一緒に行く」
「言うと思った」朝倉は少し笑った。
「当たり前だろ」
放課後、三号館に向かった。
三号館は中庭の奥にある、一番古い建物だった。外壁が煤けていて、窓枠が木製だった。他の建物より、明らかに年季が入っていた。
一階から三階は普通に使われていた。授業の合間の学生が廊下にいた。
四階への階段に、ロープが張ってあった。
立入禁止 管理部の札がかかっていた。
「どうする」と俺は聞いた。
「行く」朝倉はロープをくぐった。
「即決だな」
「気になったら確かめる。それだけだ」
俺もロープをくぐった。
四階は薄暗かった。
窓が汚れていて、光がほとんど入らなかった。埃の臭いがした。床がきしんだ。
廊下の突き当たりに、重い木の扉があった。
旧閲覧室と、古い金属の板に書いてあった。
近づいた。
扉の向こうから、聞こえた。
低い音だった。声というより、振動に近かった。でも確かに、何かがそこにいた。
「聞こえるか」と朝倉が聞いた。
「聞こえる」
「どう思う」
「怪異だと思う」俺は扉を見た。「でも——怒ってる感じじゃない。困ってる感じがする」
朝倉が扉に手を触れた。
目を閉じた。
十秒ほどして、目を開けた。
「古い」朝倉は言った。「この建物と同じくらい古い。百年近く、ここにいる」
「百年?」
「この部屋に閉じ込められてる。出られなくて、ずっとここにいる」朝倉は扉から手を離した。「高校のときと、似てる」
「帰れない者か」
「そうだと思う。でも——高校の怪異と違う部分がある」
「何が違う」
「この存在、人間じゃない気がする」朝倉は静かに言った。「でも敵意はない。ただ——困っている」
図書館に戻って、大学の歴史を調べた。
この大学は大正時代に設立された。三号館は設立当初から建っている、最も古い建物だ。
「設立は大正十二年」朝倉はパソコンの画面を読んだ。「関東大震災の年だ」
「震災の年に建てたのか」
「違う。大正十二年に設立予定だったけど、震災で延期になった。実際に開学したのは翌年の大正十三年」朝倉は画面をスクロールした。「でも三号館だけは、震災前から建っていた。もともとこの土地にあった、別の建物の一部を使って建てられた」
「もともとあった建物って何だ」
「書いてない。でも——」朝倉は別のページを開いた。「この大学の設立資料に、こう書いてある」
朝倉が読み上げた。
三号館は旧来の建物を改修したものである。旧建物については詳細不明であるが、地元の古老によれば、この地に古くから存在した場所であるという
「詳細不明、か」俺は言った。
「意図的に書かなかったのかもしれない」朝倉はパソコンを閉じた。「この土地に、もっと古いものがある」
「また古い神か」
「神じゃないかもしれない」朝倉は窓の外を見た。「でも——何かが、ここにずっとあった。大学が建っても、変わらずにここにいる」
帰り道、二人で並んで歩いた。
「高校のときと同じだな」と俺は言った。
「そうだね」朝倉は少し笑った。「また始まってしまった」
「嫌か」
「嫌じゃない」朝倉は俺を見た。「一人じゃないから」
「そうだな」
少し歩いてから、朝倉が言った。
「一つだけ、違うことがある」
「何だ」
「高校のときは——調べながら怖かった。何が出るか分からなかったから」朝倉は静かに言った。「でも今は怖くない」
「経験があるから?」
「それもある。でも——」朝倉は俺の手を握った。「一緒に来てくれる人がいるから」
俺は朝倉の手を握り返した。
「どこにでも来る」
「知ってる」朝倉は前を向いた。「だから怖くない」
その夜、朝倉からメッセージが来た。
一つ調べた
何を
三号館の旧閲覧室、昔は何に使われていたか
分かったのか
大学の古い職員の証言を見つけた。昔、その部屋には大きな鏡があったらしい
俺は固まった。
鏡?
神社の御神体になるような、古い鏡。大学が設立したとき、旧建物から出てきたものを部屋に置いていたと書いてあった
まだその鏡があるのか
分からない。でも——扉の向こうにいるものが、鏡に関係しているとしたら
高校の音楽室の鏡みたいにか
そう思う。でも今回は——もっと古い
俺は天井を見た。
明日、また三号館に行くのか
行く。でも今回は守衛さんにも話を聞きたい
一緒に行く
分かってる
少し間があって、もう一行来た。
湊、大学でも懲りずに付き合ってくれてありがとう
懲りるわけないだろ
なんで
お前と一緒だから
返信が来るまで、少し時間がかかった。
……もう。そういうことを、さらっと言うんだから
本当のことだ
知ってる。でも——照れる
たまには照れろ
たまにじゃなくて、毎回照れてる
俺は笑った。
おやすみ、詩音
おやすみ、湊
新しい土地に、古いものがいた。
でも今回は、二人で向き合う。
それが分かっているから——怖くなかった。
春の夜に、星が出ていた。
高校との違い
一人じゃないから怖くない




