第14話: あと九日
文の宛名は、たいてい前の年の写しを見て書く。書き慣れた名前をそのまま写すほうが、間違いがないからである。
だから宛名は、その家で誰が返事を書いているかを、いちばん正直に教える。
「奥様。今朝のぶんでございます」
玄関脇の卓に、バートンが革の盆を置いた。町の宿から週に三度、この家の文はまとめて上がってくる。
「あら。ずいぶん重そうですこと」
「九通ございます。先月は、三度で四通でございました」
アメリアは上から順に取った。朝のうちに仕分けておかないと、昼の用に食い込む。五年で身についた順番である。
いちばん上は王庁の書付だった。表に「ウェルズリー伯爵様」とある。
「これは旦那様の卓へ。右手のほうへ置いてちょうだい」
「かしこまりました」
二通めは厚みのある紙だった。マーロウ家の冬の夜会の招きである。霜が三度おりたころに届くのが、五年とも決まりだった。
表には「アメリア様」とだけ書いてある。一行きりである。
「バートン。去年のマーロウ家は、どう来ておりましたかしら」
「お名前の下に、ご同伴として旦那様のお名前が入っておりました。五年とも、そちらで」
「今年は、白いままですのね」
アメリアは封の表を、バートンのほうへ向けた。バートンは目を近づけずに読んだ。近づけずとも読める大きさで書いてある。
「……一行、足りませんな」
三通めは旧知の子爵夫人からだった。十日ばかり前の茶会で会ったばかりである。宛名には、やはり家名がない。
文は短かった。満了ののち、どちらへお移りになりますか。来春の招きは、そちらへお出ししたく存じます。
「まあ。お気の早いこと」
(お移り先はまだ決めておりません、とは書きにくいわね)
「奥様。あとの六通も、同じでございます」
「同じ、と申しますと」
「宛名でございます。六通とも、お名前だけで」
アメリアは残りの封をめくった。宿の帳付けの順に重ねてあるので、大きさも紙も揃っていない。それでも、どれにも家名が無かった。
封の紙は先様の家ごとに違う。厚いのも、薄い青のも、縁に型を押したのもある。揃っているのは、名前の書き方だけだった。
「まだ、満了しておりませんのにね」
「先様は、お決めになるのがお早うございます」
「いいえ。ご用人が、書き慣れたお名前を写しておいでなだけですわ。五年、この家の文はわたくししか書いておりませんもの」
バートンは盆の縁を持ったまま、しばらく黙っていた。
「ご同伴の一行は」
「本日は、ございません」
「一通も」
「一通も」
五年で、初めてのことだった。
アメリアはマーロウ家の招きを、盆の左の端へ寄せた。夜会の日は、満了より十日ばかり先である。
午後、アメリアは西の部屋へ上がった。この時分に薪を足しておかないと、日が落ちてから冷える。
「あら。あなたが」
ヘンリエッタは窓辺の小机に向かっていた。手元の紙を、こちらへ向かないように寄せる。
「マーサが市へ出ておりますの」
アメリアは炉の前にしゃがんで、薪を二本足した。西の部屋は煙の抜けが悪いので、細いほうを先に置く。太いのを先に入れると、部屋じゅうが煙たくなる。
「あなた、この郡のお家をよくご存じでしょう」
「五年ぶんは存じておりますわ」
「適齢のご息女のいらっしゃるお家は、どちら」
アメリアは火挟みを掛けて立った。考える間は要らない。礼拝堂の席次を五年書いていれば、どの家の誰がどこに座るかは、順に出てくる。
「三軒ですわ」
「三軒」
「ソープ家の三女様が十八。ラングリー家のご長女が二十一で、あちらは領地の勘定をお読みになりますわ。ペンバートン家の次女様が十九。王都の作法は、この郡でいちばんよく仕込まれておいでですの」
「……ずいぶん、すらすらと出るのね」
「席次を五年書いておりますもの」
ヘンリエッタは小机の紙を裏に返した。返してから、その上に手を置いた。
「わたくしが文を書きます。あなたには、もう関わりのないことですけれど」
「ええ。ですから、遠慮なく申し上げられますわ」
窓の外で、荷馬車が門のほうへ回っていく音がした。市へ出た者たちが戻る時刻である。
「使いを、三軒回らせますわ」
「では、ソープ家をいちばんにお回りなさいまし。あちらは午前のうちしかお在宅になりませんの」
「……あなた、そんなことまで」
「それから、ラングリー家は坂を大きく回りますでしょう。ペンバートン家を先にしたほうが、日のあるうちに三軒とも済みますわ」
ヘンリエッタは紙の上の手を、いちど持ち上げてまた置いた。
「お使いの方には、あたたかいものをお持たせしますわね。坂の上は風がございますから」
ヘンリエッタは何も言わずに、机のほうへ向き直った。
(後任の方には、まず坂の道からお教えしないといけませんわね)
アメリアは炉をもう一度見て、部屋を出た。細いほうの薪に、火がちょうど回ったところだった。
陽の傾きかけたころ、王宮の使いが玄関へ一通置いていった。返事は要らぬ、届けるだけだと言って、馬から下りもしなかった。
妃殿下の字である。紙は小さく、折り目がひとつしかない。
「冬の茶会の札は、まだ書かずにおきますからね。あなたのお名前が決まっておりませんもの。急がなくてよろしくてよ」
もう一行あった。
「先日の焼き菓子は、どちらのお店のものかしら。侍女が三日、王都を歩いておりますの」
アメリアは声を立てて笑ってしまった。
あの菓子は、レイフォードのものではない。二軒隣の、看板の小さいほうの店である。五年、レナード様が取り違えたまま贈ってくださっているものだった。
返事に店の名を書いて、道順を添えた。侍女が三日歩いたのなら、店の名より道順のほうが要る。
書き終えてから、玄関の花を採りに出た。花は厩の南の土手から採る。花壇が枯れてから三年、ずっとそうしている。
この時期に残っているのは、背の低い野菊ばかりである。霜にあたった葉は縁が茶色いが、花のほうはまだ持つ。
八本ほど切ったところで、アメリアは鋏を膝に下ろして指を折った。宣告のあった朝を一本めにして、両手を二度。そのうえに、二本。
二十二本になる。婚姻の契約が切れるまでは、あと九日である。
(暮れのお花は、次の方が探すことになりますわね。厩の南、と書いておかないと)
書斎の卓の隅には、署名が片方だけの紙がまだ置いてある。一昨日の夜からそのままで、誰も片づけていない。
「では旦那様、本日ぶんのご説明を」
「ああ」
「本日止まりましたのは、マーロウ家の冬の夜会へのご夫妻でのご出席ですわ」
オズワルドはペンを置いた。
「断ったのか」
「いいえ」
アメリアは招きを卓に出して、表を上にした。
「今年は、ご夫妻でのお招きが参りませんでしたの」
オズワルドは封の表をしばらく読んでいた。名前が一行あるきりで、その下は白い。
「……私の名前が、無い」
「ええ」
「去年は」
「ございましたわ。五年とも、わたくしの名前の下に入っておりましたの」
「返事は、私が書く」
「いいえ。これは、わたくし宛てですの」
オズワルドは招きから手を引いた。
「宛名は、いちばん正直ですのよ。中の文は、どうとでも書けますもの」
オズワルドは返事をしなかった。それから、卓のほうへ半歩寄った。
「今朝は、何通来た」
「九通ですわ。八通が、わたくしひとりの宛名ですの」
「八通」
「そのうち五通は、満了より先の日付ですわ。お受けできませんとお書きしますの」
「残りは」
「三通は、お受けいたしますわ。まだ、わたくしがおりますもの」
「三通のうち、ひとつは何だ」
「村の婚礼ですわ。五年、麦の粉を納めてくださっているお家ですの」
「行くのか」
「参りますわ。あちらのお婆様が、五年ともわたくしの席をとっておいてくださいますのよ」
オズワルドは手元の紙に何か書きかけて、行の途中で止めた。
「一通だけ、お尋ねがございましたわ。満了ののち、どちらへ移るのかと」
「……どこへ出す」
「決まりましたら、お知らせいたします。それだけ書きますわ」
「決めていないのだろう」
「ええ。決めておりませんの」
オズワルドの目が、卓の隅のほうへ動いた。署名が片方だけの紙が、そこにある。
「明日、片づけさせる」
「お好きになさいまし。あれは、旦那様の紙ですもの」
オズワルドはそちらを見たまま、しばらく何も言わなかった。
「ご説明は、それだけですわ」
「分かった」
アメリアは招きを取って、封の折り目をもとどおりに畳んだ。今夜のうちに、五通ぶんの断りを書かなければならない。
書斎を出ると、廊下にバートンが立っていた。手に三通ある。
「夕刻に、まとめて参りました」
「まあ。今日は、よく参る日ですこと」
「ソープ家とペンバートン家、それからラングリー家でございます」
三通とも、宛名は「アメリア様」だった。
封を切ると、書き出しがほとんど同じである。ありがたいお話ではございますが、いまはお返事のしようがございません——三軒とも、そういう文だった。
ソープ家だけ、終いに一行多い。
来春の礼拝堂の席次のことは、これまでどおり奥様に伺いたく存じます。
アメリアは、その一行を二度読んだ。
「バートン。三通とも、西のお部屋へお持ちしてちょうだい」
「……奥様あてでございますが」
「ええ。でも、お待ちになっているのは叔母様ですもの」
バートンは三通を受け取って、西の階段のほうへ歩いていった。
アメリアは厨房へ下りた。鍋がひとつ、火から少し外して置いてある。
「奥様。明日の朝は、四人ぶんでよろしゅうございますか」
「ええ。四人ぶんで」
グレタは笊から卵を四つ出して並べた。殻の薄いのを、西のお部屋のぶんへ寄せる。
鍋の中では、骨を外した鶏がまだ煮えていた。西のお部屋のぶんである。明日の晩も、同じものが要る。




