『堕天』-9
マモルは、ふらふらと取り憑かれたように歩くアパルの後をついていく。
道中、なんど呼びかけてもアパルからの返事はない。腕と脇腹、首を掻きだし、服の至る所に血が滲んでいる。マモルは何度も止めようとしたが、アパルはマモルを振り払い、無言のまま通路を進んでいった。
扉を抜けた先で急に景色が変わった。
白く無機質な佇まいから、石と木材を使った古めかしい意匠。
高い天井に長椅子を敷き詰めたホールのようだ。
奥に眼をやると見覚えのある物が目に入った。あの村の玄関に吊られていた飾りによく似ている。ただし、こちらの方は何倍も大きい。中央に置かれた白く歪な十字架は明らかに人工物のような滑らかさだった。
眼を離した隙にアパルは出入り口の大きな扉を開いていた。
冷えた空気が一気に流れ込み、天井から吊るされた簡素なシャンデリアの鎖をわずかに揺らす。
マモルは急いでアパルの後を追って外に出た。
夜が薄い幕を降ろし、村の家々を包んでいる。
相変わらず明かりはない。ここに初めて足を踏み入れた時と同じだった。
アパルは建物の前で止まり、空を見上げて佇んでいた。
さっきまで掻いていた腕はだらんと降ろしている。
服の血が滲んでいる部分が黒く変色し、暗闇に溶け込んでしまいそうな気がする。
「アパル?」
やはり返事はない。だが屍ではない。
かすかに上下する肩だけが、彼がまだ生きている証のようだった。
アパルの見つめる先には、分厚い雲が広がっている。
マモルも空を見上げた。妙に胸がざわつく。
首の後ろが微かに熱を持ち、脈打っている。
突如、風が止んだ。
人も獣も草木も、何一つ音を発しない。
まるで時が抜け落ちたかのような静寂。
ただ一つ、マモルの鼓動だけが激しく脈打っている。
——来る。
首の後ろが痛みを増した。
雲が、裂ける。
分厚い水蒸気の壁が、内側から押し上げられ霧散した。
黒い塵を照らすような白い光が雲間から漏れ出す。
それが、姿を現した
巨大な楕円型の物体。
この村に来た時に見た火球よりもはるかに大きい。
空飛ぶ円盤というより、巨大な建造物が空に浮いているように見える。
光の幕に覆われたように薄く発光しているが、辺りは暗いまま。
音もなく、空の上を滑るように進んでいく。
堂々と隠れるそぶりも見せずに。
まるでそこだけが合成された映像のような、現実感の無い光景だった。
「UFO ……」
マモルは呟く。
それ以上言葉を発することはできずに、ただただ見惚れていた。
眼を見開き、口を開けたまま呆然としている。
だが内心では鼻血が出そうな程に興奮していた。
かつて追い求めていた何かがそこにある気がして、今すぐこの瞬間を保存したい気持ちに駆られる。
そんなマモルをよそに、アパルはそれが向かう方へ進んだ。
あの日、火球が落ちた方角へと。
しばらくしてマモルが気がついた時には、アパルの姿は闇に溶けていた。
辺りを見回しても誰もいない。
「しまった! アパル! どこだ!?」
大声で呼んでも何も返ってこない。
「くそ……! 何やってんだよ僕は」
奥歯を噛み締めて苦い顔をしながら、マモルは自らに毒づいた。
アパルを探さないといけない。彼の体はもちろん心配だ。
だけど、それ以上にアパルが隠していることを知らないといけない。
どうしても、どうしても気になってしまう。
「ちがう。だめだ……」
相手の心配よりも自分の好奇心を優先してしまうことに、強く嫌悪感を覚える。
かつて、同じようなことをして大事な人を傷つけてしまったような。
どんなことかは思い出せないが、しこりになった苦い思い出が胸の内に深く沈んでいるのは間違いない。
だがそのしこりを認識したとしても、好奇心という甘い毒の中に溶け込んでいく。
「いい加減にしろ! そうやって、自分の好きなことばかり追いかけて!」
マモルは叫んだ。
なぜだか声を出さずにはいられなかった。
「世話になったんだろ! なのになんでそんな簡単に自分を優先しちまうんだよ! おかしいだろ!」
顔を平手で二回叩く。
「お前は助けないといけないんだよ! アパルも! 紗奈も!」
またしても自然と出てきた言葉にハッとする。
「紗奈を……助ける?」
——なにから?
——わからない。
——だれから?
——わからない。
——どうして?
——それは……大切な、妹だから。たった一人の、家族だから。
誰かの声が聞こえた。
声はマモルに問いかける。
マモルが最後に答えた言葉を聞くと、満足そうに微笑む声が聞こえた。
ブツン。
マモルの頭の中で何かが切れ、そして何かが繋がる音がする。
視界の先に映る物の全てが止まった。
静止した時の中で、マモルだけが動くことができた。
遠くにはまだあの空飛ぶ巨大な物体が見える。
ただ、見えるのはそれだけではなかった。
空気の形。
小さな結晶のような粒子の形をはっきりと見ることができた。
降り注ぎながら止まったそれは、マモルが手を動かすと投影された映像のように肌を通り過ぎていく。
それだけではない。
マモルはわかり、理解してしまった。
辺りを囲む草木、石に砂、建造物まで。
その全ての構造を可視化し、理解できていることに気がついた。
今まで見た世界が、全て情報に見える。
(まるで作り物みたいだ。確か、こんな映画があったような。なんてタイトルだったっけ)
そんなことを考えていると、急に目の前の光景が歪みだした。
テレビの砂嵐のようにノイズが走りだす。
(え、え!? なんだこれ?)
「繋がったな」
どこからともなく声が聞こえた。
さっきマモルに問いかけてきたものと同じ声。
だが今度は、それが女性のものだとはっきりわかった。




