『序章』-1
ウィィィィィィィィン
頭の後ろからドリルが回転するような音が聞こえる。
声を上げようとしたが、唸り声すら出ない。口からは虚しく空気が漏れるだけだった。
手足は拘束されているのか、意識を集中させても動かすことはできなかった。体に全く力が入らない。まるで体と意識が離れてしまったかのようだ。
ウィィィィィィィィィィィィン
ドリルの音が近くなる。
唐突に、明日は歯医者の予約を入れていたことを思い出した。虫歯の治療ではないからドリルは使わないはず。だが小学生の頃に酷い虫歯の治療をして、痛い目にあった過去が脳裏をよぎる。
それから家具を作るときに使った電動ドライバーとか、座ったまま回された椅子とか——身近にあった回転するモノが頭の中を巡った。まるで走馬灯だ。
ヴゥゥゥゥゥゥゥン
音が鈍くなる。
首の後ろ。頭との境目に何かが当たる感触があった。どう考えてもドリルだ。しかし痛みは感じない。
少しだけ視界が揺れるが、顔が拘束具のようなもので固定されていて、ほとんど動くことはない。
首筋に液体が垂れるような感触があった。おそらく血だ。首に穴を開けられている最中なのだろう。
こんな状況なのに、とんでもなく眠い。少しでも気を抜けば意識が沈んでいきそうになる。もしかして眠っているのだろうか。夢を見ながら体だけ起きているような感覚。
霞んでいく意識の中、杜田真守は目を開いた。唯一動かせる部分はそこだけ。
視界の先に白い床が見える。床は仄かに発光しているように滲んでいた。
どうやら透明な台にうつ伏せにされているようだ。
透明な台の上——いや、体は宙に浮いたまま拘束されている。
状況が読み込めない。
何か情報を得ようと、限られた視界を目一杯左側へ向けた。
どこまでも続く無機質な白い景色。床と壁が曖昧になったこの空間は、四畳半のアパート並みに狭く、スタジアムのように広くも感じた。
(なんだ、ここ……? どうして、こんなとこにいるんだっけ?)
今度は目を限界まで右に動かす。そこには見知った姿があった。
妹の杜田紗奈。彼女の体はうつ伏せのまま宙に浮いている。首筋には何か針のようなものが刺さっている。その周辺からはわずかに赤いものが見えた。血が、流れている。
(紗奈……おい、紗奈起きろ! おい! やめろ! やめろって!)
妹とその背後にある何かに向かって腹の底から叫び声を上げるが、声が空気を震わせることはなかった。
拘束を振り払おうと力を入れる。自分の体を左右に思いっきり揺らすイメージ。だが、ぴくりともしない。
(やめろ! やめてくれ! たのむから!)
妹を守りたい。
その想いだけが真守の意識をかろうじて保っていたが、やがて瞼に重いものがのしかかってくる。
視界が徐々に狭まり、黒い幕がゆっくりと降りていく。
ヴゥゥゥゥン……
ドリルの音が止まった。
首から硬いものが抜ける感覚。
(終わった……?)
そのとき、視界の隅に灰色の足のようなものが見えた。
子供くらいの細さで、裸足。指は……4本?
ゆらゆらと揺れていて、わずかに浮遊しているように見える。だが足元に影はなく、床は白いまま。
その足を見て、すぐにアレだと思った。
異星人。
様々な記録に残る、リトルグレイ。
灰色の足は視界の隅に留まったまま動かない。
(くそ。せめて顔ぐらい拝ませてくれよ)
心の中でついた悪態に反応したかのように、足が動きだした。
真守の腹部辺りから移動し、頭部を見下ろすような位置で止まる。
足がはっきりと見えた。やはり灰色の体に指は4本。見間違いじゃない。
(はは……第三種接近遭遇じゃん。UFOにアブダクションされるなら本望……って、UFO!?)
完全に忘れていた。
目の前の足がリトルグレイのものなら、ここはUFOの中に違いない。
テンションが上がり、閉じかけた視界が一瞬戻る。
そのとき、初めて痛みが走った。
(んが!? んおおおお!?)
さっきまで穴を開けられていた場所に、何かが入ってくる。
傷口に小さな破片を指で押し込むような、圧迫感と激痛。
(おい!? 異星人の手術って無痛じゃないのかよ……聞いてないぞおいぃぃ……)
歯を食いしばろうとするが、口も顎も動かない。首から垂れ流される痛みに、ただただ耐えるしかない。頭の霧が一気に晴れたことだけが、せめてもの救いに思えた。
やがて圧迫感は消え、痛みが急速に引いていく。
その途端、強烈な眠気が脳を包み込んだ。全身麻酔でも打たれたかのように、意識がみるみる遠くなっていった。
(大丈夫。アブダクションされたんなら、すぐには死なないはず。動画のいいネタに、な……る……)
何もかもが曖昧な空間の中。
闇に落ちていく感覚に身を任せたまま、紗奈の方を見た。
(紗奈……)
瞼が完全に閉じ、白い視界が黒く染まる。
「お兄ちゃん! お兄ちゃん……!」
紗奈の声が聞こえた。
現実か夢か、もう判断はつかない。
暗幕の前で紗奈が微笑んでいる。
微笑み返そうとしたそのとき、紗奈の肌は徐々に灰色に染まっていった。 背は縮み、目と頭は肥大化していく。
ほんの数秒の間に、妹はリトルグレイの姿へと変わってしまった。
「お兄ちゃん。……待ってるね」
ボイスチェンジャーを通したような機械的な声。
歪な姿に変わった紗奈の姿が、意識が途切れる最後の最後まで、脳裏に焼きついていた。




