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代償


 周囲を草むらに囲まれた静かな工場跡地。見た目は単なる廃墟だが、ここはとある感染者たちの隠れ家として利用されている。建物の至る所には修繕の跡が見られ、しかし草むらが刈り取られておらず、手入れがされていないのは建物を隠すためともう一つ、草を掻き分ける音で敵の接近に気付くため、自然を天然の警報機とするためだ。


 そして群れで唯一、この建物に警報機を鳴らさずに近づける者。空から降ってきた男が地面に降り立つ。何食わぬ顔で建物に近づき、扉を開ける。


 隠れ家に入った直後、玄関前で、ちょこんとお座りして待っていた少女が、待ちくたびれたとばかりに男に飛びついた。猫耳フードをつけた、跳躍力も猫のような少女。

 ボルグは猫に飛びつかれ、髪の毛をもみくちゃにされる。少しして満足した猫はボルグから飛び降り、されるがままだったボルグの髪は、空を飛んで帰ってきたときに乱れていたが見事に整えられていた。


 いつものことなのでボルグも猫の奇行には文句を言わない。ただ、やれやれといった顔をする。


 久々のスキンシップが終わった猫は、手を猫のように曲げ、毛づくろいの真似をしていた。彼女は猫という名前だが、通称なのか本名なのかは定かではない。ただ猫という生き物には並々ならぬ執着があるようで、猫を見つけると可愛がることはもちろん、自身も猫のような仕草をする。それが彼女のアイデンティティでもあるようだった。


 髪型が気に入らなかったのか、ガシガシと髪を乱暴に掻きむしっているボルグを、猫は残念そうに、しかし慣れているのかジト目で見つめた。


「せっかく綺麗に整えてあげたのに……つれないにゃ」

「留守の間、変わりはなかったか?」

「いつも通りだったにゃ、エンとサーヤがどっちがいい女かで揉めたてたけど」

「そうか、ならいい」


 丸くなって地面をころころと転がっている猫を一瞥して、ボルグは地下に続く階段ではなく、二階に上がるための階段に足をかけた。猫の『みんなに顔を見せないのかにゃ?』という質問に軽く首を振る。

 変わりがないなら、わざわざ顔を見せる必要はない。ボルグの態度は、自分は子供たちに恐れられている、血で血を洗う戦場を渡り歩く自分が、彼らにとって恐怖の対象であることを危惧するものであった。

 だから子供たちの世話は猫に任せ、自分は傭兵家業に集中してきたのだ。


 ボルグは傭兵家業が嫌いなわけではない、無理もしていない。戦い、そして空を自由に飛ぶことは彼のすべてだ。しかし子供たちと関わりを持つことで彼も多少は変化した。初めは触れる事にも躊躇しなかった血濡れた手。戦場で人を狩れずに生まれたばかりの彼らを保護してきた、感染者の自覚も乏しい彼らに、最近は自分がどう思われているかと考え、恐怖するようになった。


 感染者になったこともすんなり受け入れ、むしろ身体一つで自由に空を飛べるようになったことに喜びさえ感じていた。子供たちとの明確な差。自分が他の感染者を殺すごとに、ボルグにとって子供たちは、触れずらい存在になっていく。


 会わない期間が長くなるほど、その想いは加速度的に強くなる。触れることを恐れ始め、今は会うことすら億劫になってきた。それでも繋がりを断ち切れないのはどうしてなのか、ボルグ自身にもわからない。戦場で拾ってしまった責任感か義務感か、手放す気になれないことがすべてだった。

 

「少し上で仮眠をとる、すぐに出かける、まだ留守を頼む」


 それだけ言ってボルグは二階にあがっていく。二階には家具らしい家具もなく、ベッドがぽつんと一つだけ、眠れないときは天井から突き出た鉄の建材をアシユビで掴み、筋力トレーニングに勤しんでいる、とても殺風景な部屋だ。

 寝つきは常に悪いが、それは殺しのトラウマで眠れないというのではなく、常に警戒をしているからだ。隠れ家にいるときは常に気になる。それはボルグがこの隠れ家を大事に思っている証拠。猫はちゃんと気付いている。自身の想いにすら鈍感なボルグと違って。


「ところでボルグちゃん」

「ん?」

「お酒の匂いがしたにゃ、なにかあったのかにゃ?」


 別段、なにかあったわけではない。ただ、やはり戦場を渡り歩いている間、気になるのは心にぽっかりと空いた穴、それを埋められる存在だ。

 猫は確かにいい奴だが、自分の苦しみや葛藤は分かち合えない、境遇も違えば、自分の戦いに巻き込めないとも思っている。ボルグの中には、ただ一人、味方でいて欲しい感染者は一人だけ。

 そんな不安感がボルグを飲めない酒に向かわせる。

 ボルグは猫を見下ろし、平静を装った。


「たいして飲んでない、気にするな」

「にゃあ……」


 ボルグを見送った猫は、たまらず寂しそうな表情を崩し、ボルグがあがった階段の先を睨みつけた。


「まるで駄目亭主だにゃ……」

「くっくっく」


 その様子を最初から最後まで見ていた声が笑った。

 猫とまったく同じ声、それは猫の中から聞こえた声だ。しかし声は同じながら雰囲気と口調は異なっている。

 猫の右目に宿った幽鬼のように揺れる青白い炎。この炎が出ているときは猫は、猫の中にいる別人格と話すことができた。いや、それは別人格などではなく、猫とは縁もゆかりもなかった存在。猫に寄生した感染者。ただその寄生体は、猫の人格を乗っ取るでもなく、ただ友としてそこにいる。

 だからボルグも、この寄生体のことについては承知しているが、猫同様、猫の別人格として接することにしているのだ。

 気が向いたときに表に出てきて猫の口を勝手に借りてしゃべり始めるなど、猫にとっては不便な存在ではあるが、実際、物知りであり、あらゆることを知っていた。助けられたことも一度や二度ではない。


「やれやれ、私がいないと本当にボルグちゃんは……」

『猫殿、想い人の監視なぞ関心せんぞ……』

「想い人!? そんなんじゃないにゃ、い、し、心外にゃ」


 誤魔化しきれたかいないのか、青い幽鬼は、ほくそ笑む。


『ふふふ、あまりに行き過ぎた行為に走って、煙たがれぬようにな』

「そんな忠告はいらないにゃ」


 青い幽鬼は、そうかそうかと言って猫を宥める。猫の扱いも慣れたものだ。しかし幽鬼は考える。ボルグが見せた険しい表情、その理由を。そして猫が秘かに『なにかあるにゃ』とブツブツ呟く言葉に、否定も肯定もしないのだった。





 吹雪に覆われたロシアの片田舎。年中、猛吹雪み見舞われるこの地では感染者ですら凍り付くため、感染者による犠牲者は皆無である。


 ただし、この地域では近年、人が忽然と消える奇妙な事件が頻発していた。

 雪と吹雪で人の声は響きづらい、元来、人も多くなく物静かな場所である。隣近所がもぬけの殻になれば嫌でも気付くが、人の住んでいない家屋がほとんどな上に、出かけたかどうかも定かでないうちは、その異常に気付くわけもない。


 ただ不気味なのは、人が忽然と消えた後、朝食、夕食などの支度が整った家屋の中には争った痕跡がないことだ。文字通り、人が生活していたそのままの形で人だけが消えている。猛吹雪により足跡などすぐに消えてしまうので、姿を消す前に出歩いていたのかすら定かではなく、ただ不気味さのみを湛えた事件なのだった。


 そんな街を見下ろせる丘に、これ見よがしに怪しい洋館が一軒建っている。元は領主が住んでいたという話だが、領主はとっくに死んでおり、受け継ぐ家族も息絶えた。いつしか夜になると時折、明かりが灯るようになり、この世に留まろうとする死んだ領主の亡霊か、幽霊屋敷として地元民の間では有名になった。


 なんともノスタルジックな雰囲気を持つ白い街並みの間を厳重な装備に身を固める軍人が複数、行きかう。

 普段ならほぼ踏まれることのない雪に埋もれた石畳に、いくつもの足跡が刻まれていく。

 定時連絡を受け、この町の異常を知らされたフライハイトが町の救援に駆け付けたのだ。人が消えることは以前から問題になっていたが最近では、その頻度、数ともに増加の傾向にある。このままでは町の運営もままならず、原因の究明が急務になったからである。


 フライハイト船団の仕事の一つとして、世界に点在する人が暮らせるコミュニティを開拓するというものがある。こういった感染者の手が伸びにくい場所は、危険が全くないわけではないが、定時連絡のみで生活が許可されている。

 フライハイトも船団である以上、船に乗れる人員は限られている。なのでこういった場所をコツコツ増やし、この感染者に支配された住みにくい土地を少しづつでも人類の手に取り戻そうとしているのだ。


 ただフライハイト船団から派遣されてきた軍人たちにとって誤算だったのは、その事件が単なる人の失踪や行方不明ではない、人ならざる者の仕業であると判明したことだった。


 派遣された兵士は二十五名。それでもこの町の規模、フライハイト船団の規模からしても多い方だった。そして調査した結果、人が忽然と消えた家屋の内部構造に共通点があることに気付いた。

 人が消えた家には必ずと言っていいほど地下室があり、壁や固形物を透視してみられるカメラでくまなく地下室を調べた結果、どこかへと通じる隠し通路を発見したのだ。


 その隠し通路は縦横無尽に伸びながら、どうやら丘の上に建つ、例の洋館辺りに集結しているとわかった。しかも内部は入り組んでおり、おおよそ人間では登れない通路もあることから、敵の正体に気付いたというわけだ。


 軍人たちは、外部からと内部からの二手に分かれて屋敷へと向かった。


 人が消えるこの事件が二十五人の兵士たちで解決できるものならよし、できなかったときの対処として、現在、広場ではいくつものテントが乱立し、事件解決を断念したときのために、すぐさま街の住民たちを連れだせるよう、住民たちの健康チェックが行われていた。


 そして現在、一足早く洋館内部に侵入した先行部隊は、なぜか通信機器が急に不調となる中、正体不明のなにかに襲われていた。それは透明な外皮を纏う、大きな虫のようにも見えたが、一致乱れぬ連携で、軍人たちを急襲した。何者かの命に従うように。


『動きが早いぞ! 姿が見えない! 壁から距離をとれ!! ジェクトは前、カルロスは後ろだ、同士撃ちに気を付けろ、左と右からも来てるぞ、増援、六時の方向にスタングレネードだ新入り! 』

『イエッサー!! スタングレネード投擲 3・・1!!』


 凄まじい閃光と共に不気味な怪物たちの外皮が光の中で露わになる。隊長の命令で配置された二人がすぐさま重火器を掃射して、怪物たちを打倒していくが。間もなく、隊員の一名が声を荒げる。


『熱感知センサーに反応!! 背後から再び敵!! 』

『なんだ!?』

『囲まれています!!』

『どっから湧いてでやがった!? 』

『上です隊長!! 』

『天井に!? 撃て、撃てええええ!!』


 銃撃に怯みもせずに向かって来る怪物の群れ。透明で不気味なシルエット。この事件が人の手にあまると気付いた時、フライハイトから派遣された軍人は半分ほどになっていた。



 診察台に寝かされた女性。彼女は行方不明の街の住民を探すため、縦横無尽に張り巡らされた隠し通路から捜索に当たっていた部隊の一人だ。彼女の部隊は運悪く、通路を進むのに難航し、引き返した部隊。彼女がいたのはその最後尾。

 ヘルメット越しに頭を強打し、気が付いたら真っ暗な空間に寝かされていた。それが事の顛末だった。


 目を見開いても何も見えないほどの真っ暗な空間。恐怖を感じるよりも軍人の習性として先に周囲の状況を確認した。暗い中、手を這わせて、どうやらねばねばした何かが塗りたくられた場所に寝かせられているらしいことがわかった。手足が拘束されていて動けない。猿轡などはされていないので話すことはできるが、服さえ剥ぎ取られている状況で武器はおろか何も身に着けていない。


 当然、手が伸びる範囲に剥ぎ取られた装備があるわけもなく、暗がりの中、何か見えないかと目をこらす。さっきから鉄錆の匂いが鼻をつく。嫌な予感しかしなかったが羞恥心も恐怖も感じている暇はなかった。


 しかし、何かの気配を感じ、そっちに視線を向けた。次の瞬間、目を向けた数メートル先で、暗闇の中、火花が散る。それがなんなのか確かめる暇もなく、火花は徐々に、一定の距離を近づきつつ発生した。

 そして火花はついに目の前で発生。その火花に照らされたものを見て、思わずヒステリックに叫びそうになった。


 暴れたって叫んだって事態が好転しないことは百も承知、だが悲鳴をあげずにはいられない。たとえ軍としては情けない小さな悲鳴だろうと、心を強く持とうと努める者を嘲笑うかのように、そいつは現れた。腐臭のする生暖かい息。


「ほほう、目が覚めましたか、あなたは最後の一人なので目覚めるまで待っていたんです。私も長年この解体作業をやっていますが、どうにも娯楽が乏しくて困る。せっかくの役得というものが我々にはないんですからね、ご主人様の命令無しに食事に手をつけたりしたら手痛いお仕置き、ばかりか、つまみ食いしようものなら実験体の養分ですよ、たまったものじゃない」


 声の主は文字面では悲嘆さを醸し出しながら、鼻歌でも歌いだすかのような気楽さで笑った。


『そこで思いついたのが食材の悲鳴を聞くという趣向です。これがまた癖になるんですよ。一度、刃を入れた時の気が狂ったような叫び声といったらもう、たまりません、その声が耳障りであればあるほど興奮する。わかります? ねえ、ねえ、キヒヒ』


 言葉が明瞭ではなく、歯が抜けたおじいさんみたいな声だった。また火花を散り、見えた顔は萎んだドライフルーツのような老人のもの。


 思わずガジャガジャと手足の拘束具を忙しなく鳴らす。

 歯が溶け落ちた醜い顔で、コック帽を被った老人が、右手に持った大鉈ような刃物に、左手に持った金属の棒を擦り付けて火花を散らせていたのだ。


「ずいぶんと元気なお嬢さんだ、これは期待大だ。存分に取り乱してくださいよ、でないと私のストレス値がマックスまであがってしまいますからね。ご主人様には幾ら悪趣味な真似はやめろと言われたってやめられません、この屋敷にご主人様を含め、真面な感染者なんていないんですから、イヒヒ! イヒイヒ!! イヒヒヒヒ!!」


 ひとしきり笑った後、老人の息を飲む気配がした。


 「それじゃあ……そろそろいきますぞい……」


 目の前で火花が散る。何度も何度も火花を散らせ、こっちを挑発してくる。


「これでもか、ほい、これでどうだ、ほほほ、そろそろグサっと行こうかな?」


 ぱあっと周囲が明るくなるたびに、歓喜の声をあげる歯の抜けた老人の顔が左右に移動する。たぶん、悲鳴をあげなくなったら自分は殺されるだろう。そう確信しながら何度目かの悲鳴を上げた時、その明るくなった空間で、それが見えた。


 近くに無数のハエが集っている場所があるとは思っていた。しかしよくみるとそれは人間の胴体やら頭やら、バラバラにされた人間だ。それが一か所にまとめられ山となっていた。

 手も足もごちゃごちゃに積み上げられ、ある意味、物みたいに。生気を失った人の目にハエが止まり、その眼は何もない虚空を見つめている。

 あまりの醜悪な光景に吐き気を催した。

 嗚咽を漏らしてしまい、悲鳴ではない何かが混ざる。それが気に入らなかったのか老人は火花を散らせるのを止め、暗がりから、がっかりしたような息遣いだけが聞こえてきた。


 診察台が血でべとべとだったわけは、この場所で人間を解体してきたからだ。ここは人間の屠畜場、おそらく攫われた住民たちも皆……。


「くそっ!」


 恐怖よりも怒りが湧いてきた。悔しさで診察台を殴りつけると、老人がほうっと息を吐いた。関心したような、獲物のいたぶり方を再発見、興味を抱いたような感じだった。


「お仲間が死んで諦められるかと思いきや、私に怒りを感じてらっしゃる、よろしいですね、よろしいですねえ、悔しいでしょう、憎いでしょう、私が。ですがあなたはこれから解体されるのです。あなたはいったいどんな声で鳴くのでしょうねえ……フヒヒ」

「ふん」

「はい?」

「誰がお前を楽しませてやるか、殺すなら殺せ」


 つまらない最期にしてやる、自分の運命に私はそう結論付けた。老人の顔がずいっと差し出され、暗がりから現れた。目がぎょろぎょろと奇妙に動き、歯がカタカタと震え、発作でも起こしているかのようだった。


「いいですねえ、いいですねえ、だったお前は特別だ。わし自ら食ってやる、フヒヒ、フヒ、要はご主人様にバレなければいいのだ。生きながらに食われ、悲鳴をあげろ、うご、ゴアア……」


 老人の身体がぶるぶると震え、背中が盛り上がった。老人の背中から突如、生えたのは肉の蔓、先端が開き、花のようになる。中央が口のように開き、その穴の周りにはびっしりと牙のような白い骨が覗いていた。

 それが涎のような液を滴らせながら老人の周りを行ったり来たり、おそらく消化器官の一部だ。


「この化け物!!」


 食われる寸前、最後の抵抗、そのつもりで出した悲鳴が何者かを呼び寄せた。

 ガンッ! と音がして、見ると、鉄製のドアを破って黒い影が老人へと肉薄する。

 老人は、あまりにも早い不意打ちに反応すらできず、その影が突き出した槍の先端に貫かれ、壁に縫い留められる。ドシュドシュと鈍い音が響き老人が悲鳴を上げた。


 その武器は槍に見えたが槍ではなかった。正確には特定の部隊にしか支給されていない武装で、様々な機能が内蔵された武器だ。槍のような形に見えているのはスティンガータイプ、釘打ちの要領で内蔵された鉄の杭が飛び出す武器で、主に感染者を拘束する時に使う。


 老人が苦し紛れに伸ばした背中の蔦を、黒い影はなんなく切り飛ばすと、こちらに向き直った。黒いガスマスクを付けた迷彩服の男。対感染者部隊ファングの隊員だ。その特徴的な見た目からブラックヘッドと呼ばれている。


 壁に突き刺さって暴れている老人を余所に、銃剣を肩に担いたガスマスクの人物は診察台に拘束された私を見た。

 その視線に好奇な意図などまったくなく、診察台の近くにあったレバーを倒す。すると拘束具が外れた。身体を隠すとガスマスクの人物は近場に捨てられていた隊員の装備から、適当なものを見繕って私に放る。それから一度だけ、バラバラになった隊員に視線を向けた後、付いて来いと手で合図した。


「貴様ああ……」


 壁に磔にされた老人が呻いていたが無視して行こうとした時、ガスマスクをつけた人物が、さっと手を横に出して私を止めた。扉の外で異音がする。なにやらぴちゃぴちゃと水が跳ねるような。


「私にもなにか武器を――」

『シ……ここにいろ』


 ガスマスクの人物の声は男の声だった。


「ここだ実験体!! 侵入者はここにいるぞ、殺せ!!」

「チッ」


 気配を殺して飛び出すタイミングを見計らっていたガスマスクを付けた男は老人が大声を出したタイミングで扉を蹴って外に飛び出す。


 男が飛び出すと、そこにいたのは大きさは人間大の白い蝋に包まれたような軟体生物だった。身体からいつくもの触手を伸ばしている。持っていた銃剣の銃身を回し、武器の種類を切り替えた。白い蝋のような軟体生物に向かってショットガンを連射する。


 だが敵は怯まかった、効果がまったくないわけではなかったが当たった銃弾は軟体生物の肉片を飛ばすだけで、ダメージらしいダメージはないらしい、飛ばされた肉片も元に戻ろうと地面を這って移動を始めている。

 体内に肉片のすべてが戻らないうちに、軟体生物はすぐさま触手を伸ばして反撃してくる。思わずガスマスク越しに男は舌打ちした。


『こいつが実験体ガドムか……再生能力はそこそこらしいが――』


 実験体ガドム。男が屋敷内を捜索中に見つけた研究資料の中にあったものだ。


『ここまでの再生能力があるとは書いてなかった。改良されたか……』そんなことをつぶやいていると、どこからともなく「俺に任せろ!」と声が響く。


 目を向ければガスマスクの男と同じく迷彩服を着た男が実験体ガドムに向かっていく。右手に巨大なサバイバルナイフを持って、威勢良く、左手に巨大な重火器を持った男だった。


 男は怪物の身体から伸びた無数の触手をサバイバルナイフで切り飛ばしながら徐々に接近し、怪物の懐に潜り込むと。左腕で抱えていたグレネードランチャーを怪物の胴体めがけて発射する。至近距離だったので、男を巻き込みそうなほどの火柱があがったが男は想定内だったのか、寸での所で回避していた。

 得意気にサバイバルナイフを腰のケースに戻し、グレネードランチャーを肩に担ぐ。

 実験体ガドムは、煙をあげてぶすぶすとその身体を縮めていく。


『炎に弱いのか……』

「ああ、あんたもこいつの攻撃範囲は知っていたようだが俺は何度も遭遇してる。運よくこいつ(グレネードランチャー)を所持しててな、切り抜けられたってわけだ」

『お前もファング部隊か?』

「ああ、元は別の部署にいたんだがこんなご時世だからな、上司に転属させられた、スカイ・ジムだ。よろしく頼む」

『あ、ああ……ブラッドだ、よろしく』


 迷彩服に着替え終わった女性が危険を脱したと知って扉の外に出てくる。それを見たスカイが右眉を上げ『ヒュ~』となんともお茶らけた口笛を吹いた。


「デート中だったか、要救護者を抱えたままだと動きづらいだろう、あんたらはこのまま撤退しな」

『あんたは?』

「俺はもう少し、この屋敷を調べていく……見た所、ここはただの巣じゃない、ここにいる化け物は皆、何者かの手が加えられた形跡がある」

『やめておいた方がいいぞ』


 しかしスカイはブラッドの忠告に笑って答える。


「なあに、俺だって長居するつもりはない。もう少し見て回ったらすぐに逃げるさ」

『じゃあ』

「ああ」


 女を伴って走り去るブラッドをスカイは見送った。


「ガスマスク……ファング部隊はせいぜい五名程度だと思っていたが、あれ、配布されてたんだな」


 女と屋敷から撤退したブラッドは、父の言葉を思い出していた。感染者は油断ならない相手だ。手段を選ばず倒せ。

 特に人の言葉を話す狡猾な奴は、人間に紛れ込み、襲ってくる。いつかお前の力が人類を救う鍵となる。

 わかってるよ父さん……()()()の仲間は皆殺しだ、きっと(かたき)はとるからさ。





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