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ダブルロア


 

 ワーウルフが足音を響かせながら迫ってくる。殺意に満ちた唸り声、恐怖から足は無意識に後退し、しかし逃げるわけにはいかないと踏みとどまる。震える足を押しとどめるので精一杯だった。


「お前にはうんざりだ。私の言い付けを守れないどころか、あいつらを食うなんてな」


 従順だと思っていた雑魚が自分の予想に反して大それたことをした怒り、アイラの心中には、きっとそんな感情が渦巻いているのだろう。アイラと敵対したいわけではないのだが、少女を救いたかっただけなんて言い訳をしたところでアイラが納得するはずもない。もはや戦いは避けて通れないだろう。アイラを大人しくさせるしか、この状況を収める術はない。つまりは下克上を起こすしかないということだ。


「チッ」


 アイラが舌打ちをする。その舌打ちがすべてを物語っていた。

 アイラの中にも葛藤はあるのだろう。便利な道具として信条に妥協してまで受け入れた仲間だ、殺したってすでに殺された(牧羊犬)たちが還ってくるわけでもない。俺を殺したってマイナスが嵩むだけ。しかし生かしたとして、再び今回のようなことが起こらないとも限らない。だから殺すしかないとも考えている。

 言い訳をしたところでアイラは納得などしないだろう。余計わけがわからない奴となるだけだ。どこまでいっても袋小路。自分ですら少女をどうしても助けたかったその理由に皆目見当がつかないのだからお手上げだ。あれはいうなれば衝動だった。小さな子を見捨てられなかった。意味がわからないかもしれないがそれがすべてだ。正義感でも何でもない激情、あんなものに突き動かされたなんて告白したって意味が分からない。たぶん自分だって納得しない。しかも説得しようとしているのは、あのアイラだ。


 だから……と、構えをとった次の瞬間、俺は吹っ飛ばされていた。ファイティングポーズにも満たない腕をちょっと上げそこなったぐらいの中途半端な態勢のまま後方に吹っ飛び、凄まじい衝撃で壁を突き破った。

 瓦礫をまき散らして地面を転がり、仰向けに寝転がると曇り空が目に入る。今にも雨が降りそうな、嫌な空模様だ。どうやら俺は雨が降ることに、今の状況以上の不安感を抱いているらしい。


 バカバカしいと声に出そうとして声が出なかった。息苦しい、息が吸えない。胸を探るとアバラがごっそり消えていた。陥没して内臓の大半が露出している。これで死んでいないのが不思議なくらい。

 ゴホゴホと咳き込んでいるとじんわり胸が熱くなる。こんな状態でも再生が始まる。


 自分が感染者としても異常なことを自覚していると、アバラと胸郭が持ち上がる。

 大きく息を吸った。すはあっと息を吸いこんで危機を脱する。危機一髪、死にかけた。陸に打ち上げられた魚みたいに、こんなところで干からびるところだった。しかし未だ、立ち上がることも這って前へ進むこともできない。ドシドシと足音が聞こえる。


 身体が重力に反して浮き上がる。目の前に、ワーウルフのぎらついた顔があった。どうやらアイラに胸ぐらを掴まれているらしい。


「しぶといな、どこまでやればてめえは死ぬんだ」


 それは俺にもわからない。そんな情けない感想が浮かび、まだ苦しい息遣いをしながら笑みを浮かべてしまったのがまずかった。馬鹿にされたと思ったのかアイラの視線が鋭くなる。

 好戦的かつプライドの高いアイラに、馬鹿にされていると想起させる態度は案外利く。科学者であった両親の影響か、利口という言葉に無類の執着を見せるアイラは、自分を馬鹿にする言語をことさら嫌う。単純な反応に見えて、思ったよりも根が深い問題だと思ったのは、アイラの中に両親に対する強い羨望があると理解できた時だ。どうやらアイラはそんな両親を自分の手で殺してしまったらしい。最後まで自分の身を案じ、空腹に喘ぐアイラに自分たちの身体を差し出した、死ぬ最後の瞬間まで父親であり母親であった人たちに手を下すことしかできなった自分を恥じている。その記憶を、俺はアイラと主従関係を結んだときに見てしまったのだ。馬鹿にされれば怒り、手が付けられなくなる。彼女が巷でなんと呼ばれているかは知っている。狂犬のアイラだ。


 ぐっとワーウルフが力を込め、俺の身体がきしみ始めた。

 だがこんなところでは終われない。俺には死ねない理由がある。

 俺は腕を伸ばしてワーウルフの首を絞めた。アイラはぎょっとした。もちろん俺の身体で届くはずがない距離。しかし変身した俺の腕はアイラの予想をはるかに超えて伸び、そして毛深くなっていく。

 アイラが危機を察して俺を離して飛び退った。


「AOOOOOOOOOOOOOOO!!」


 俺は雄たけびを上げた。全身に雷が走り、俺の姿を変えていく。アイラと同じワーウルフの姿へと。

 変身に要した時間はほんの数秒、瞬きする間に過ぎない。もしかしたらアイラよりも早いかもしれない。それが証拠にアイラは目の前に佇んだまま、茫然と俺を見つめていた。顔に驚愕の表情を張り付けて。


「誰だ、お前……」


 なにがどうなっているのか頭で理解しようとしてもできないようだ。それは仕方がない。自分と全く同じ見た目、同じ姿をした怪物が突然、目の前に現れたのだ。自分の力に絶対の自信を持ち、持っていたアイデンティティが穢されたと感じた時、人も同じように佇むだろう。


 どうしてそんな事態になったのか必死に考え、一つの可能性に到達する。能力のコピー。もしそんな能力があったとしたら……。


 アイラは絶望的な予想により顔を歪めた。これまで目の前の男が発揮していた異常なまでの回復力さえ、もしかしたら誰かから盗んだ能力だったのではと考えが至った時……。これまで感じたことのない、感染者になって初めて抱く恐怖心が沸き上がった。


『『AOOOOOOOOOO!!』』


 まるで示し合わせたようにアイラは咆哮をあげ、綺麗に重なった二つの咆哮が、その日、小さな町を微かに揺らした。






 『各地の感染者たちの動きが活発になっています……』


 扉の前に立った少年が冷静に告げた言葉に、窓際で車椅子に座って外を眺めていた少女は振り返った。瞼を閉じた盲目の少女は、窓を叩く雨音を心穏やかに聞いていた表情のまま、少年にも同じように笑いかける。少女の乗った車椅子が、少女の顔の向きに合わせるように向きを変えた。

 見た目は、かなり最新鋭の車椅子に見えるが、実はこの車椅子には動力がない。ちゃんと動くように設計されているがそれだけだ。それがなぜ動くのかは少女の能力に原因がある。

 機械と精神をシンクロさせて支配する。変わり種の能力が多い感染者の中でも彼女の能力は汎用性が高い。彼女はサイキッカーだ。念動力で物を動かし、その気になれば面倒なシンクロに頼らずとも車椅子ごと持ち上げることもできる。精神感応の標的を変えれば人の心を読むことも。


 かつて彼女がレオを助けた時は、ネットワークからネットワークへと支配権を広げ、その地域の機械類を制御してみせた。こんな古城に囚われていなければ、人類の動向を探り、組織に多大な貢献を齎せる数少ない感染者だ。ただ彼女は感染者たちにとっても危険な存在として幽閉された。断崖絶壁に囲まれた秘境、その中央に立つ古城へと。

 彼女はクイーン、チェスの駒の中でも最強種。


 元は優秀な天才科学者レイチェル・ボードウィンで、名声を欲しいままにしていた。しかし友の裏切りにより無理やり、とある実験の被験者にされ、感染者にされた被害者でもある。

 足が不自由になり、目が見えなくなったのは、その無理な実験の後遺症だ。

 しかし彼女は誰も恨んでない。友に拒絶されてなお、時折、死んだ友を思って悲し気な表情を見せるものの、その心情は至って平静だった。


 彼女の目的はレオの今後に責任をもつこと。レオの目的の成就。科学者として、自分の技術を悪用した人間によって生み出された命に責任を持つためにレオと行動を共にする。レオが人間を滅ぼすといったら共に手も貸し、レオの心が壊れそうになったら、絶えず隣で慰めた。

 

 クイーンは感染者と人間を区別しない。レオとは違う価値観の持ち主だ。故に彼女を慕う人間も一定数存在する。しかしクイーンに助けを乞う人間たちにレオの意思を最優先に考える彼女は()その気はないと冷たく突き放す。優しい彼女が頑ななのは、それが理屈ではないからだ。

 レオの味方でいることが彼女の役目であり、絶対の指針なのだった。


 そして彼女同様、クイーンの護衛を王に仰せつかった少年、いや男装をする少女ルークもその一人。

 ルークは、ベッドにおいてあったブランケットを手に取ると、少女の車椅子に近づき、その足に優しく、ふわりとかけた。

 しかしルークの眼には彼女を労わるような優し気な面差しはまったくない。ただ命令に忠実に従う、王の側近としての顔のみだ。

 目が見えずとも、いや目が見えないからこそ、そんな能力が備わったのか、クイーンはルークの心を知り過ぎている。今の今まで王を案じる心しか見てこなかった。

 ただ難敵が現れた場合は王の命があるので、身命を賭して自分を守ってくれるだろうこともわかっている。


 ルークはチェスの駒で言えば、強さでクイーンに及ばない駒だとされている。

 ただしそれは、チェスのルール上の力関係であり、実力を隠したルークには適応されない。かつて王が窮地に陥った際は、皇女の一人を相手取り、再起不能にした。

 皇族とは別のカテゴリーとして認識され、恐れられている。


 ルークが王の身を守らずに命令を優先にしているのは、彼女が過去に犯した唯一の汚点、それが今日まで尾を引いているからだ。

 自分が信頼していた者に王の大事なものが奪われたこと。

 それを取り返すことができなかったこと。そんなことがあってからルークは自分で何かを判断するのをやめ、自我を封じた。ただ王のために、自分の激情は鉄の心に押し込めて。


 クイーンは、ルークに顔を向けた。


「私はあの頃の、自由にレオを想ってた、あなたの気風も気に入っていたのよ……」


 ルークは変わらぬ表情でクイーンを見つめている。


「いえ」


 ルークはその言葉をようやく吐き出したように見えた。クイーンは複雑な表情で、それを受け入れる。


「あの子はほんと罪作りなんだから……」




 空から降りしきる大粒の雨が二体のワーウルフの体に当たった先から蒸発する。何度もぶつかり合い、殴り合う。

 アイラは身体から湯気を立ち登らせながら、呆れ顔で目の前に立ち塞がるワーウルフを凝視した。どんな攻撃を繰り出してもすぐさま回復してしまう、徐々にスタミナが減っていっている自分に対して、疲れ知らずに見えた。

 しかも戦いぶりが最初とは比べ物にならないほど洗練されている。

 今までアイラは数多くの感染者を相手にしてきたが、そのどれとも違う、打撃が重い、見た目以上にダメージが通る、内臓にずしりと残る感覚。

 レオが無意識に使っている技は、武神と謳われたある感染者がレオに与えた唯一の技だ。気を相手の内部に送り込みダメージを与える。


 しかもアイラに肉薄し、振り上げた片足を器用に叩きつける姿は、今までの素人然とした姿ではない。長い年月、その技だけを繰り返し、練り上げたような動きだった。

 アイラが怖気に身を震わせ引いた大地を、その叩きつけが大地をクレーター状に陥没させる。


 一気呵成にしかけてくるレオの背後に思わず、アイラは別の誰かの気配を感じた。見えるはずのない幻影、会ったことも相手、しかしその影はレオよりも大きく、尊大なプレッシャーを放っている。


 巨大な影。

 花か花へ蜜を求めて飛ぶ、気楽に見える蝶でさえ、必死に藻掻いて生きている。その格闘家が編み出した流れるような動き、小さい身体で理不尽な暴力に抗い続け、磨き続けた牙だった。食物連鎖などものともしない、暗黙のルールを覆す、常勝無敗の技。


 蝶のように変則的な動きかと思うや、急襲の鋭さ。しなやかな上体と、卓越した蹴りからなる下肢の調和。


 道神(タオシェン)または倒神(ダアオシェン)とは、心の道を進み、神をも倒すという意味も持つ。

 荒々しいアイラの戦い方とは対照的に、攻撃を往なし、その芯を突くのが、この流儀の肝だ。


 しかし次の瞬間、アイラは目の前のワーウルフから戦意が無くなっていることに気付いた。頭を抱え苦しんでいる。追い詰められているのは自分の方なのに、血を流しているのは自分なのにと疑問が湧くが、今はこのチャンスに賭けるしかない。


 躊躇すれば負ける。私に負けは許されない。私を嘲笑い、私にタグをつけた、いつか収穫しにくると言い残した、あのふざけたコスプレ野郎を殺すまでは負けるわけにはいかないのだ。


 アイラは、一歩、二歩と、なにかに怯える目をして後退るレオに向かって駆けだした。顔を掴みコンクリートの壁に叩きつける。間髪入れずに瓦礫に埋もれたレオの顔めがけて削岩機のような怒涛のラッシュを仕掛ける。勝負はあっさりついていた。


 レオの様子が突然、おかしくなったのは、傷ついたアイラの姿が、大事なものを傷つけてしまったと後悔の念を抱かせたためだ。冷静であったらそんな勘違いは起こさない。しかし冷静ではいられない状況と、戦いが苛烈になったことで引っ張り出してきたタオシンに学んだ技とがレオにありえない錯覚を見せた。戦っているのは皇女、皇女になったばかりのアイラだ。

 アイラが皇女であると認識したレオは、突如、その幻視により混乱に陥った。故に攻撃の手を止めたのだ。そしてアイラの勝機も、まさしくそのタイミングにしかなかったといえる。


「ガアアアアア!!」


 アイラが勝利の雄たけびを上げる。しかし肩で息を継ぎながらレオを見ると、レオの頭部が埋まっているであろう瓦礫の間から蒸気が上がっている。この上まだ、回復するのか。

 レオの足を掴んで引きずり出してみると、つぶれた頭はぼこぼこと泡立ち、蒸気を吹き出しながら再生していく。


『……』


 やはり感染者の回復力とは思えなかった。折れた首が元通りになった時もそうだが、頭部は感染者の弱点だ。頭部を破壊しても死なないのは感染者にとっての不死身を意味する。これでダメなら殺す手段が後どれだけ残っているか。


 少しの間、茫然と立ち尽くし、空を仰いだ。顔に雨が降り注ぎ、少しばかり冷静になる。

 仮に殺す方法があったとして、こんな奴のためにどうして自分がそこまでの労力を割かなければならないのか、馬鹿らしくなってきた。


 アイラの身体が徐々に縮み、人間の姿に戻っていく。レオを見て殴りたい衝動に手を振り上げる。


「お前みたいな野郎は――」


 しかし雨の中、呑気に寝ている顔は馬鹿、丸出しだ。


「当分、外出禁止だ」


 アイラは振り上げていた腕を静かに下ろした。レオを放置するわけにはいかない。こんなところに放置したら、また悪さをするに決まっている。こんなお荷物を背負い込む羽目になるとはなとアイラは溜息を吐きつつレオを抱え上げる。


「こんな馬鹿でも、私に逆らわない程度の知恵を付けてやらねえとな……ったく」


『君は一番、才能ありそうだから生かしといてあげましょう、しかし、私が付けたそのタグは誰にも外せない、私が君を収穫するそのときまでに、もっと強くなって待っていなさい』


 アイラは脳裏に浮かんだ自分を感染者に変えた不気味な怪物を思って舌打ちをする。敗北は許されない。いつか来るその日までに、その怪物を越える力を身につけなければ。


「ふ」


 アイラは恐怖を笑いに変えた。今はただ背負ってる奴の馬鹿さ加減に救われている。




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