怪物大陸の支配者
タオシンの統治している月下の大家は、砂漠化の激しい中国大陸にあり、常に強者を必要としている。グランドマスターと呼ばれるそれぞれが流派を極めた拳法家たちが派閥を作り、タオシンを頂点として覇を競い合う組織図を形成している。
何故タオシンが強者を必要としているのかは定かではない。タオシンは己が目的に関しては一切口を開こうとせず、ただ目的の到達を夢見て虎視眈々と己が技を磨き、仲間を集めるだけなのだ。
最悪、武を極めた者でなくとも、異質な能力でも強ければ構わないとする、来るもの拒まずの方針は、タオシンの求める頂の高さを思わせる。
あまりに強力な能力故に忌み嫌われてきた者たちも、ここでならその力を存分に振るえ、認められる。そういった者たちの楽園なのだった。
ただ強ければいい、その規律は頂点に君臨しているタオシンにも適応される。必ず一度は挑戦することを許される下克上、タオシンの姿を知る者が少ないのは、その挑戦を渋っている者が大半だからだ。
そんな拘りゆえか、集った者の中には人間の少年も含まれていた。実力主義が月下の大家の方針だが、その少年は人間であり、到底、力や能力が理由で月下の大家に滞在することが許されているわけもない。
最弱にして、例外中の例外だった。
重要視されているのは彼ではなく、彼と心を通わせる、とある生物。
歳も十二、三才と、まだ幼さい顔つきの少年は、今日も今日とて地下洞穴に引きこもり、海水の満たされた洞穴内に架かった橋の清掃をしていた。
清掃など、ただの日課に思われるが、これこそが少年にしかできない仕事であり、月下の大家に少年がいなくてはならない理由である。
この洞穴は少年の生存しか許さぬ場所、タオシンですら、わざわざここにやってきて少年に手を出そうとは思わない。少年を守護する者がいるからだ。タオシンにとって少年を守護する、その生き物こそ殺すには惜しい命だった。
そして多くの感染者はこの場所の危険性を知っているため、よっぽどの理由がない限り近づかない。
近づくと言っても洞穴の外までだ。中に入ればどうなるか多くの感染者は知っている。ただ例外として、ときどきこの洞穴に危険性を知らされないでやってくるものがいる。
そんな人間は洞穴内で一人、橋の清掃に勤しんでいる防護マスクに雨合羽という、おかしな出で立ちの少年を見て、不審に思い、しかし人間だとわかると口の端に嘲笑を浮かべる。
一心不乱にモップがけをしている少年の背後からゆっくりと近付き、その背中を思いっきり蹴飛ばした。
少年は見た目通りの軽さでぽーんと飛び、地面をアイスホッケーのパックのように転がった。
蹴った男は感染者。もちろん男にとって少年は、ただの食糧、家畜の部類だ。その認識に間違いはない。ただ少年を蹴った場所が、唯一、その男の寿命を縮める場所だということを知らなかっただけで。
少年は焦る様子もなく、やれやれと慣れた態度で体を起こした。
ここに来る者はなにも知らされていない。月下の大家でも、つまはじき者で、少年に舐めた態度をとることが確定している者、少年はいわゆる、そういう連中の処理業者なのだった。橋の清掃はそのために必要になる。
月下の大家がいかに強者を集めていると言っても、集まってくる者の中には志の低い者もいる。実力が伴っていない者、気が強いだけの弱者は等しくこの場所に送られる。
少年に危害を加える者に対しては、今日で十人以上、食ったばかりの生物も、別腹だと言わんばかりに動き出す。
海水の急激な温度上昇によって海面がぼこぼこと泡立ち始め、男のしたり顔が徐々に困惑へと変わる。辺りを蒸気が立ち込め、海中でせわしなく回遊する巨大な影が……魚影とは到底思えない大きさであることに気付き、男は急いで踵を返した。
しかし、今更、引き返したところで手遅れだ。男の走るスピードに合わせて、明らかにゆっくりと海面を並走する背びれ、すでに生物は男を餌として認識していた。
だがこの生物は意地が悪く、さきほど男が少年にした仕打ち以上の報復を加える。
生物はこの洞穴内で行われている全てを見ている。少年が今洞穴内のどこにいて、何をしているのか、そして誰が洞穴内に入って来たか、海中にいながら見ているのだ。
よって、男の様子も具にわかる。焦り、顔から汗を掻き、心音が激しい。
少年に何事もなかったら、もしかしたら生きて洞穴を出られたかもしれない……しかし男は選択を間違えた。
生物は、あえて海面から飛び出すタイミングを見計い、男が入口の光にあと少しで届くと、希望を抱く瞬間をじっくり待った。
そして、その瞬間が訪れると、男の前に首だけを出して、その凶悪な笑みで道を塞ぐ。
紅く吊り上がった獰猛な目。海面から伸びた長い首。まるで首長竜のような怪物が男をじっと見おろしていた。
男はあがあがと口を動かしながら、その場に膝から崩れ落ちた。
怪物はそんな男を下から掬うように咥えこむと、口を上に向けて一気に飲み込んだ。そのままザバンと盛大な水しぶきを上げて水中に戻る。
少年は、怪物が男を咥えこむときに飛び出した肉片や、臓物やらを『やれやれ』と言いながら掃除する。少年が防護マスクやら雨合羽が手放せないのは、そういった感染者の肉片や血で汚れ、この場所に立ち込める空気が汚れているため、人間には毒ガスが蔓延しているのと変わらないからだ。
『もうちょっと綺麗に食べられるように練習しようねチャンピオン』
「クケエエエエ!!」
気味の悪い鳴き声でも、少年にとっては親友が機嫌よく食事をしたという音でしかない。ガスマスクの下に笑顔をのぞかせながら、少年は、もはや見慣れた血肉をモップでふき取り、水をかけて掃除する。
そのとき洞穴の入口から声がかかり、少年はびくりと体を震わせた。
少年にとって安全なのは、月下の大家の中ではこの地下洞だけだ。食事も勝手に運ばれており、入り口脇にある換気の行き届いた部屋で摂るのみとなっている。
入り口から声をかけられはしたが、声を発した人物は一向に洞穴内に入ってこないということは、その人物は、この洞穴の危険性を知っている誰か。
ガスマスクの奥で、ただでさえ息苦しい少年の呼吸が荒くなる。
『タオシン様がお前をお呼びだ、すぐに準備しろ』という最速の声に、少年は、ようやく『は、はい』と弱弱しく返事をした。ついにこの日が来てしまった。今までチャンピオンのおまけとして生かされてきた。自分の存在が月下の大家の中では異質な事、タオシンの気まぐれで生かされてきたのはわかっている。それがここで終わるのか、そんな絶望感に苛まれながら、少年はタオシンの言葉を無視するわけにもいかないので、急ぎ洞穴入口脇に用意された自分の部屋に駆け込んだ。一つ目の扉を閉じると、通路が密閉され、身体の洗浄、そしてファンが回転して空気の入れ替えが始まる。
その先の部屋、ロッカールームでガスマスクと雨合羽、掃除道具をしまった少年は、さらに進み、扉を通り抜けた先、少年の暮らしに適さない洞穴内と違って、人間でも暮らせるある程度、整えられた部屋に辿り着いた。
扉のセキュリティロックを外し、外に出る。
久しぶりに外に出たので、自分の頬や髪を撫でる風、砂を少し含んだ生暖かい風が心地よくもあった。これが最後の外出だとしても。
ぼうっと日の光を見上げた。昼間だ。ずっと……目が退化し兼ねないほど暗がりの中にいたから、目を刺すように眩しい、けどその痛みすら徐々に湧き上がる解放感に慰めれていく。
「遅いぞ」
光の中、影を背に立っている男が言い、少年をその体格で覆いつくように立つと、姿が露わになった。
胴着の肩口をむしり取ったように上腕を露出させ、少し開いた胴着の奥に鍛え上げられた見事な腹筋。
少年の姿を認めた男は、少年の戸惑いなど、どこ吹く風で、さっそく先導、歩き始めた。
熊でも一撃で倒せそうな上腕二頭筋、尖った岩でごつごつした地面を素足で歩くその風貌は、まさしくタオシンの部下とわかる格闘家だ。地下洞穴に半ば幽閉されているような少年とは、体のつくりがまるで違う、別の進化を遂げた生き物のようだった。
少年はしばし、男が感染者であることすら忘れていた。その勘違いを誤魔化すように声をあげる。
「あ、あの、タオシン様は僕にどのような御用があって……」
「知らん、直接聞け……」
直接聞けば命を奪われるかもしれないというのに、煩わしそうに答える男にはお前のことなど知ったことかという冷静さがあった。月下の大家では、誰も彼もが人間なんぞに気を払わない。きっとタオシンだってそうなのだ。脆弱だから、だけではない。少年は、彼らの食事に適した大人ですらない。だから物珍しい怪物を手懐けるための道具としか見ていない。
男にとっても自分は、ただタオシンの命令だから迎えに来た、修行の妨げになる面倒な使いの原因でしかなく、自分だけが月下の大家の仲間ではないのだ。
タオシンは常に自身に挑んでくる好敵手を望み、今も戦い続けている。少年の在り様とは、月下の大家にいる感染者たちと比べても、人間以前にまったく異なる存在だ。
宮殿に至る道筋には、さまざまな修練場がある。
片側が断崖絶壁になっており、何本もの太い麻縄が張られ、断崖に杭で打ち付けてある。その麻縄を足に引っ掛け、迷走をしている感染者たち。
すでに人間を超越した力を持ちながら、なお自身を鍛え、強敵へと挑む準備に勤しんでいた。彼らの多くは敗北を知り、来るかどうかも分からない二度目、最後の決起を待ち望む者たちだ。
その精神は常に恥辱と向上心に苛まれている。このような危険な荒行に精を出すのも、これぐらいしなければ、その頂を追う資格すらないと彼らが自覚しているからである。
赤い手すりから幾本も伸びた縄に吊りさがる修練者たち、そして断崖の底に目を落とし、少年はごくっと喉を鳴らした。いつ切れてもおかしくない縄にぶら下がり続ける修練者たちの意気込みに圧倒されていた。
そんな少年を見て、どういう風の吹き回しか、胴着の男が興味ありげに足を止めた。少年もドキリとして足を止め、男を見上げる。
月下の大家に所属する多くの者は、日々、強くなるための修行に余念がない。もちろんリーダーであるタオシンもだ、そんな彼に追いつこうとするなら当然、相応の修行が必要になる。天才に追いつこうとする努力家の一人として格闘家は、少年の中に燻る可能性に目を留めた。それは、すべてを諦めた人間にはない、ある種、頂を目指す者にしか感じられない、ほんの小さな輝きだった。
「お前にこの修行はまだ早い」
「え?」
言われるとは思っていなかった言葉に少年は目を丸くした。感染者ですらなく、修行などまったく意味のない自分にかけられた言葉とは思えなかった。じっと見ていたから勘違いさせてしまったのだろうか、しかし男の目は冗談を言っている風でもない。男の真剣な眼差しに否定の言葉が出なかった。
「あの……」
何を口に出そうとしたのか少年にはわからなくなった。男の期待に応えるつもりか、いや違う、そもそも自分にはその資格がない。だから思い切った言葉も吐けなかった。
「まあ、どうでもいいがな……」
少し落胆、いや、人間に対して普通の対応に格闘家の男は戻った。少し見え隠れした少年の素質に目を瞑り、息を吐く。
男にとって少年をタオシンの元へ連れていく用事は雑務でしかない。少年に優しくする謂れはまったくないのだ。
「いくぞ」
「は、はい」
男に促された少年は、足を動かしながら、しかしその眼は修練者たちを見つめていた。
「前を向いてないと危ないぞ」
「はい」
本来ならどうでもいいことを男は口にした。そしてついつい口を開く。
「俺たちの修行とて、お前が身体が鍛えると同様に無駄になるかもしれんのだ。誰もがそう思っていないだろうが現状は変わらん、あの方のおられる頂は……」
それは男の弱音とも取れる言葉だった。男はふっと笑う。
「せめてあの方のお役に立ってみろ」
それはタオシンの気高い食事になれという意味なのか、本来の意味なのかはわからなかったが、月下の大家として、男が自分に少なからず人間以外の認識を持っている表れだった。
まさか励ましている? 少年はしばし呆気に取られた。月下の大家で雑用を任されるようになってから、ただの一度だって自分にそんな言葉をかけてくれた者はいなかった。
月下の大家にいるのは、感染者の中でも純粋な精神を持ち合わせている者が多い。日々の修行にも折れない心、敗北から立ち上がろうとする気概、まさしく彼らは青春の真っただ中にいるのだった。
少年は、うれし涙をぐっと堪え、前を向いた。
格闘家の男も、後は何も言わず、歩き出した。
気持ちを切り替え、男を追いながら、少年はこれから会う、タオシンという化け物を思う。どんな結果になるかはわからないが、当初、感じていた恐怖だけしかなかった心に、少しだけだが楽しみが混じっていた。
そのとき少年の視界に、腿にスリットの入ったチャイナ服姿の女が映った。少年を挑発的に眺め、赤い石柱から半身を出し煙管を咥えている。
少年をじっと見ていた女は、少年がすぐ横を通りかかると、口に含んだ煙を吹きかけた。煙が気道に入ってしまい、ごほごほと咳き込む少年。気づいた格闘家が振り返り、駆け寄ってくる。
それは、敵意というより、嫌がらせに近い行為だった。
タオシンは皆に恐れられているが、同時にタオシンを妬ましく思う、派閥の存在も無視できない。
女はすでに消えていた。格闘家の男はやれやれと首を振ると、少年に『問題はないか?』と尋ねる。
女の吐きかけた煙は、ただの煙管の煙だろう、毒を吹きかける度胸は、流石にないだろうとタカをくくっていた。どんなに脆弱で気に入らなかったとしてもタオシンが月下で飼うことを許した人間だ。いうなればタオシンの息がかかった供物である。手を出すには相応の覚悟が必要だった。
「今のは崑崙派の? いや、装いを偽った崋山派の可能性もあるな……」
どちらにせよ、ここで留まっていては第二、第三の嫌がらせを受けることになる
「まったく、つまらぬ真似をしてくれる……急ぐぞ」
格闘家はイライラし気に吐き捨てると、少しスピードをあげて歩き出した。少年も急ぎ後を追いかける。
「赤い門を越えるまでは安心するな」
「はい」
格闘家の男に強めに指摘され少年は意気込みを新たにする。
歩いていると前方に赤門が見えてきた。ここから先はタオシンの感覚が常に行き届く領域だ。赤い門を越えた先で少年に危害を加えようとする者はタオシン以外にはいない。
タオシンは鋭敏な感覚の持ち主で、その攻撃範囲は想像を絶するという話だ。だから不意打ちで倒せるはずもなく、陰口も、この門の内側では口にできない。
「ここから先は、各部族のお歴々もお通りになる、気を引き締めておけ……」
緊張でごくっと喉を鳴らし、返事の機会を失った少年は、顔が映り込むほど磨き抜かれた大理石の廊下を歩ていく。神秘的な雰囲気が漂っており、霊廟を歩いているようだった。
広い通路は薄暗く、人の足音のみが響いている。人と行きかっているのだろうが、その顔を見ることはできない。
少し明るく、開けた場所に出る。
なだらかな階段が何段も、その頂へと続いている。まるで永遠に届くことのない強者への道を示しているようで、その頂の玉座に座るタオシンと来訪者との力の差をまざまざと見せつけるかのようだ。
玉座の前には白い静謐な幕が張られ、幕にはタオシンと思われるシルエットが映っている。人前に姿を見せないのは本人かどうかわからないようにして、不意打ちの暗殺を防ぐためか? いや、タオシンならわざわざ、そんなことをする必要などないはずだが……。
そもそもタオシンに敗北した者たちは、タオシンの正体について一切口外していない。その理由も、不気味なほど不明だ。
白い幕は風にゆらゆらと揺れているが、風にまくれ上がることはない。しかも噂ではタオシンが言葉を発する時は必ず、傍にいる付き人に代理で話させる。肉声にすら配慮せざるを得ない、徹底された厳戒態勢の意味を思い、少年はごくっと喉を震わせる。
ドオーンとドラの音が盛大に鳴り、室内の両側に座っている着飾った感染者たちがぞろぞろと室内から退室していった。
格闘家が前に進み出て、右拳に左の手のひらを軽く当てて一礼する。それは拱手という礼儀作法だ。右と左、どちらの拳を手のひらに当てるかで、礼の意味合いが異なるという。
もちろん格闘家の男が示したのは敬愛の意味合い。武器は持ってはいない、戦う意志もないという誠意の現れだ。
玉座へと続く階段が長いのは、その昔、王を殺そうとする暗殺者がたどり着く前に衛兵が取り押さえるためだったというが、階段のどこにも衛兵の姿はなかった。
「タオシン様! 例の者を連れてまいりました!」
格闘家は高らかに告げると『失礼します!』と言って去っていく。
取り残された少年は緊張に身を震わせた。ここに来るまでは確かに楽しみな感情が沸いてはいたが、実際タオシンを前にすると、どうしても緊張の方が勝ってしまう。
タオシンは絶対的な存在だ。弱弱しい態度一つで気に食わぬと強硬な命令を下すかもしれない。それがタオシンを噂でしか知らない故の先入観であることは重々承知していたが、やはり控えめな向上心だけで迎え撃つには相手が悪すぎた。
少年を生かしているのもタオシンの気まぐれで、心変わりしたからと、少年を食うために呼び寄せた可能性も、無きにしも非ずだった。格闘家の男は少年に『あの方の役に立ってみろ』と言ったが、タオシンにその気がなければそもそも意味のない心構えなのだ。
少年は床すれすれまで額を下げ、平伏したままでじっと待った。タオシンか、その側近が声をかけてくるまで待っているつもりだった。生きた心地がしなかったが不安に振るえている場合でもない。ここまで来たら覚悟を決めるしか、などと思っていると。
「た、タオシン様、いったいなにを!?」
側近の狼狽える声と共に、コツコツと靴音が近づいてくる。頭をあげようともしていないのに『頭を下げておれ! 絶対に顔をあげるでない!』と側近の声が階上から降り注ぐ。
なにかまずいことをしてタオシンの怒りを買ってしまったのか? 側近の狼狽えようからして、この足音はタオシンのもの……。しかし、それにしては靴音が軽い? 靴音が、少年が頭を下げる、すぐ近くで止まった。
「礼儀など無用だ。顔をあげるがいい、お前には案内役を頼むのだ」
それは鈴の音のような声だった。子供、それも少女のものだ。これまで聞いてきたタオシンの伝説、その偉業とは合致しない、明らかに想像していた人物像からかけ離れた声に、思わず顔をあげていた。そこにいたのは見目麗しい、十歳前後とみられる少女。目の周りに施されたアイシャドウが鮮やかな、なんとも妖艶な少女だった。
「しかしタオシン様」
「しつこいぞ、朕は、この者に命を賭けさせることになる。それでは朕が礼儀を欠いていることになるではないか、これから向かう地は、血で血を洗う坩堝となろう」
少女のものにしては厳格な言葉遣い。それだけが少女をタオシンたらしめていた。
色素の薄い白い肌。目からあふれ出る威圧感、確かに細かいところを見ていくと、ただの少女とは思えない部分が散見される。そしてなにより、その身体から発せられる圧倒的な存在感とオーラに、少年の肌はピリ付いていた。
そして特徴的な右手の人差し指に嵌った黄金で出来た爪の装飾品。足には龍の刺繍が入った伝統的な黒い布靴を履いている。その姿はまさしく皇帝のようだ。
「お前、名は?」
「リンユー、カイ・リンユーと申します」
「カイ、お前にはこれから、あの怪物を説得し、朕をある場所まで運んでもらう、よいな?」
「は、はい、どこへなりとも……」
既に決定事項のように告げる少女に、少年ことカイ・リンユーは否定の言葉を発することができなかった。タオシンの美貌に魅了されると同時に、タオシンの発する周囲すべてを支配する覇の雰囲気にのまれていた。
タオシンの玉座に幕がかけられていた理由に、少年は納得した。
その幼い姿が噂になれば、多くの実力を伴わない輩がタオシンに勝負を挑んでくることになる。タオシンからしてみれば強者との戦いは望むところだが、ただ自分を少女と侮る弱者の相手まではしていられない、ということらしい。少年は武神と恐れられる少女の密やかな悩みの種を見てとり、少しだけ親近感が湧いた。しかし決して湧いてはいけないものだったので、それを心の奥底に押し込める。
「地下洞穴の怪物のスピードなら、他のどんな乗り物よりも早く目的地に着けるだろう。我が妹の勢力圏を抜け、手早く事を終えるには、あれを駆り出すよりほかにない……」
「タオシン様、では私が人選を――」
「いや」
タオシンは右手を上げ、側近の言葉を制した。
「朕、単独で向かう……」
「それはおやめください」
「お前こそ誰を心配しておるのだ、朕が敗北するようなことがあれば喜ぶがいい、この世はまだまだ退屈せぬぞ」
「はっ」
「目的地は、ここから東の海洋上に位置する、彼の者らがフライハイトと呼ぶ船団……。ようやくあれを弔ってやる日が来た。場所の特定に費やした犠牲、同志たちの働きに感謝する」
すっと引き結ばれたタオシンの唇がその激情を押し隠す。