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虫歯  作者: 芳田文之介
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お引越し中



 それでも、まあ、状況に距離を置いて、いつも柔軟にぼくをさとしてくれる、そんな奥さんのことばだ。

  金言耳に逆らう――というのではバチがあたってしまう。

 そこで ぼくは、たしかに、それも見識のひとつにちがいない、と素直にうなずいて、尖った目をゆるめるのだった。

 そればかりじゃない。

「ちゃんと事情を説明して、丁重にお断りするのもある意味、優しさのひとつだと思うんだけどね」という奥さんの言葉が、耳の奥というより、心の奥に、妙に突き刺さった。

 そこでぼくは、「優しさ」について、ちょっと考えてみるかな、という気分になっていた。

 思えば、そんなことなど、ついぞ意識したことがなかった。だから、よけいに。



 こういう場合、誘いを受けようが断ろうが、結局のところ、相手を嫌な気分にさせてしまう瑕疵が潜んでいる、という。

 他人に迷惑をかけないようにしよう。

 たぶんこれは、あらかたの人が、そう思っていることだろう。

 もちろん、ぼくも日ごろお世話になっている御仁に対しては、迷惑はかけたくないし、何より、「優しさ」で応えたいと衷心より思っている。

  だからぼくは、そのお誘いを快く受けるようと思った。それが、その御仁に迷惑をかけないことだし、まして、それこそが「優しさ」だと信じていたからだ。

 ところが、その「優しさ」が、どうかすると、仇になってしまうことがあるらしい。

 改めて、ぼくはしみじみと思い知らされる。

そんなふうに、「優しさ」にも、矛盾が孕んでいるのか、ということを……。



 はからずも、ぼくは最近、それを思い知らされる経験をしていた。

 あれは、どんよりとした雲から冷たい雨が降って、気が滅入ってしまうような一日だった。

 ぼくはその朝、スポーツ紙を片手に、コンビニのレジの前に並んでいた。

 雨のせいなのか、店内は、かなり混んでいて、レジの前にも、長蛇の列ができていた。

 ぼくの眼前には、おにぎりを手にした女性が並んでいた。しばらくすると、その女性が、妙にそわそわしはじめた。たしかに、朝はだれしもが、なにかとせわしいものだ。

  ことに、これから通勤する人にとって、この少しの待ち時間すら、実にわずらわしく、こんなふうに、落ち着かない気分になるのだろう。

 たぶん、この女性もそういうところなんだろうーーそういうふうに、ぼくは勝手に解釈して、彼女の後ろに行儀よく並んでいた。

 すると、ほどなく。

 その女性が、手にしたおにぎりを、ブルゾンのポケットに強引にねじ込むと、脱兎の如く、出口に向かって駆け出したではないか!!

 それこそ、一瞬の出来事だった。

 ぼくは絶句して、女性が逃げてゆく、その後ろ姿を、呆然と、見送るばかり。

 わずかな間のあとで、漸く、我に返ったぼくは、法律規範にもとる犯罪を働いた女性というより、絶句して、呆然と、そこに立ち尽くしている、そんな自分に腹が立っていた。

  やがて、その怒りは薄れて、代わりに、やるせなさが、ぼくの胸を襲ってきた。

 「万引き」は法律規範にもとる犯罪――ということは、むろん、認識している。

 その被害によって、知り合いのコンビニ経営者が辛酸をなめている姿を、ぼくは目の当たりにしていたから、実に切実に……。

 「万引き」は、法律的な規範はもとより、倫理観的な規範からも、すべからく許されるべき行為ではない。

 ただ、理屈ではうなずくけれど、心情としては首を振っている、そんなぼくがいたりした。

 


 というのも、世間に眼差しを向ければ、不条理な現実が厳然と横たわっているからだ。

 なにしろ、 七人にひとりの子供が貧困である、というふうに、社会問題化している時代である。

 そうだ とすれば、なかには生きていくための悪というエゴイズムで、やむなく、法律規範にもとる行為を働いている人だっているやもしれぬ。

 これも、昨今の、いや昔からある悲しい現実のひとつの側面であるのにちがいない。

 それを思えば、その現実から、けっして、目を逸らしてはならない、そんなぼくたちである。

 彼女が、そういう事情を抱えている人かどうかは、もちろん、ぼくが知る由もない。

 もしかしたら、なんの罪の意識もなく、ただ単に、悪を働いていた人かもしれない。

 が、いずれにせよせよ、ぼくは、犯罪を犯した者を前にして、少なくともなんのアクションも起こせなかった。

 それに対しては、慚愧の念にたえない。

 それもさることながら、もし彼女が、本当に貧困に苦しんでいる人だったら――そう思うと、今度は、別の面映さが胸に込み上げてくる。

 貧困ゆえに、しょうがなく、生きるための悪を働く女性。そういう人たちがいる社会。

 かたや、万引きが横行して、経営に苦しむ経営者たち。

 できることなら、どちらに対しても「優しさ」を示してあげたい。

 けれど、無力なぼくには、なにもしてあげることができない。

 それを思えば、やっぱり「優しさ」って、難しい。

 奥さんのひとことで、「優しさ」について考えていたら、ますます、その奥深さを垣間見たような気がした。

 それと同時に、ある物語がふと、ぼくの脳裏をかすめてもいたのであった。



 それは、フランスの小説家、ビクトル・ユーゴーの不朽の名作『レ・ミゼラブル』の中の、ある一節。

 たしか、こんな感じだった。

 一切れのパンを盗んで牢獄に入れられた主人公ジャン・バルジャンは、十九年ぶりに世の中に出る。ようやく世の中に出てきたジャン・バルジャン。しかし、一切れのパンの盗みにしてはあまりにも長い牢獄生活。当然、彼はそのことで社会を憎み、天を恨んでいる。

 それゆえに、彼はたとえ自分が社会に不当を働いたとしても、社会が自分に不当を働いた以上、それはおあいこではないか、と自分に都合よく言い聞かせている。

 そんな彼はそこで、食事と一夜のベッドを与えてくれたミリエル牧師が持っていた銀の食器を盗んでしまう。警察に捕まったジャン・バルジャン。

  けれど、彼は警察に対して、これはあくまでも牧師にもらったものだと言い張る。じゃあ牧師に確認しよう、ということで警察は彼を牧師のところに連れていく。

 彼が盗んだことを承知で牧師は「これは彼にあげたものです」と証言をして、彼を救ってやる。

 このとき牧師は、ジャン・バルジャンに近づき「決して忘れてはいけませんぞ、この銀の器は正直な人間になるために使うのだとあなたが私に約束したことは」と耳元でそっと囁いている。

 つまり牧師は、ジャン・バルジャンが将来まっとうな人間になれるなら、ここは噓も方便、で彼を救ってやることが、〈わたしにとっての優しさ〉だ、というふうに信じたのだった。




つづく


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