第1話 散財令嬢
金貨が、無造作に投げられた。
「それ、全部買い取って」
「ありがとうございます」
市場の中央。
人だかりの中で、女は椅子に腰掛けたまま指を鳴らした。
――ルシェリア=フェルティア。
王都を追われた、散財令嬢。
そして今、この土地でも。
同じことを繰り返しているらしい。
男たちが、すぐに動く。
荷を運び、交渉し、金を払う。
派手なドレス。
高価な装飾品。
いかにも"金を浪費するだけの女"だった。
「次は、あっちの在庫も全部押さえて」
当然のように命じる。
「お嬢様、ありがとうございます」
商人は満面の笑みで頭を下げた。
売れ残っていた商品は、あっという間になくなっていく。
市場には活気が戻っていた。
人々の表情は明るい。
商人も、客も、笑っている。
(……何だ、この空気は)
それでも、誰一人として彼女に逆らおうとはしない。
――それも仕方ないのかもしれない。
王都一の美貌とまで言われた女だ。
一度見れば、骨抜きになる。
そう噂されるほどには。
実際、男たちの視線は自然と彼女へ集まっていた。
誰もが、その姿を目で追っている。
これほど散財していても、男は寄ってくる。
女たちは、ルシェリアの真似をする。
同じように笑い、同じように振る舞い、同じように命じる。
だが――
誰一人として、同じ結果にはならない。
なぜだ。
何かが違う。
流れを読んでいる。
……そんな単純な話ではない。
彼女は、もっと別の何かを見ている。
しかし、それが何なのかは、まだわからなかった。
それでも、人は集まる。
――まるで、金の流れそのものが、あの女に従っているかのように。
俺は、その女から目を離せなかった。
――噂の散財令嬢。
婚約破棄されたばかりだというのに、ここでも同じことをしているらしい。
(……くだらない)
そう思ったのは、最初だけだ。
金の動きが、おかしい。
速すぎる。
無駄がない。
人の配置も、流れも。
――全部、噛み合っている。
男たちは確かに見惚れている。
だが、あれは従っているだけじゃない。
動かされている。
自然に。
抵抗すらなく。
(……なるほど)
これは、ただの散財じゃない。
――作っている。
流れを。
市場そのものを。
(あれは……)
一瞬だけ、口元が緩んだ。
――投資だ。
(……あれは、他に渡せないな)
俺は視線を外さないまま言った。
「フェリクス。あの女と婚約する」
「……ルシェリア=フェルティアと、ですか」
「ああ」
「本気ですか?」
「ああ」
「美しいから、ではありませんよね」
「……もちろん、美しい。だが、それだけではない」
「おすすめはしません。散財されますよ」
「構わない」
即答だった。
フェリクスが、わずかに目を細める。
「理由を、お聞きしても?」
一瞬だけ考える。
だが、答えは決まっていた。
「価値がある」
「価値……ですか」
「ああ。それで十分だ」
一拍置いて続ける。
「――他に渡すつもりはない」
空気が、わずかに張り詰める。
「……囲い込みですか」
「そうだな」
否定はしない。
「管理下に置く」
フェリクスが、小さく息を吐いた。
「厄介ですね」
「承知の上だ。遅いと、奪われる」
***
「ルシェリア嬢、少々お時間よろしいですか?」
「私、まだお買い物がありますので」
視線すら向けない。
男たちに指示を飛ばしながら、淡々と続ける。
「後にしていただけます?」
「構いません」
一歩だけ近づく。
「グランベル商会の名は、ご存じですよね」
「……ええ」
わずかに、ルシェリアの手が止まる。
「仕入れ先と流通、いくつか押さえました。今のやり方でも成立はしますが、非効率です」
「……なるほどね」
初めて、こちらを見る。
「そういうことなら話は別よ。でも、今日は残念ながら駄目なの」
少し考え、続ける。
「そうね……明後日の午前中にいらしてくださる? そこなら空いてるの」
一瞬だけ微笑む。
「……あなた自身にも、少し興味があるので」
「承知しました」
ディオルも、わずかに口元を緩めた。
「楽しみにしています」
ディオルたちが立ち去ると、エリナが小さく息をついた。
「お嬢様、お断りになってもよかったのでは?」
「何となくだけど、気になったのよ」
ルシェリアは首をかしげる。
「あんな男、初めてだったから。それに、『非効率』なんて言われたのも初めてだわ」
「そうなのですか」
エリナは少しだけ驚いたように目を丸くした。
「非効率、か」
ルシェリアは小さく笑う。
「今まで、そんなことを言われたことはなかったわ。みんな散財だと言うだけだったもの」
少しだけ目を細める。
「……少しだけ、面白い人かもしれないわね」
***
「フェリクス。明後日だ。それまでに――わかっているな」
「はい。既に動いております」
私はこの時、ディオル様が何を考えているのか、まだ理解できていなかった。
価値はある。
それは間違いない。
だが――
あそこまで踏み込む必要があるのか。
リスクを取るには、早すぎる。
ただ、あの美貌……。
それも、気になった。
「フェリクス」
「ルシェリア=フェルティアは……確かに美人だな」
わずかに頬が緩む。
(……そういうことですか)
「――わかっているな。囲い込みだ」
「……はい」
散財令嬢。
世間は、そう呼ぶ。
だが、そんな評判などどうでもいい。
私が信じるのは、自分の目だけだ。
それだけで十分だった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
散財令嬢と呼ばれるルシェリアですが、その「散財」にはまだ誰も知らない秘密があります。
ディオルが見抜いた価値とは何なのか。そして、二人の出会いがどのような変化をもたらすのか。
続きも楽しんでいただけたら嬉しいです。
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