8.〈仇鬼〉の恐怖
『廃灯域』沿いに現れた五体の〈仇鬼〉に対し、〈玉輪公〉は本部の部隊を向かわせた。
いつも通りに〈仇鬼〉退治の手順がとられる中、〈輪〉および古株の数名は、これが歴史的な異常事態だということに気が付いていた。
五体同時襲撃———コミュニティを持たない〈仇鬼〉が五体も。それも数時間と差のないタイミングで。全て『廃灯域』沿いへの襲来。〈仇鬼〉の習性を学んだ軍の人間であれば珍しいことだとはわかるが、「珍しい」の一言では済まされない「異常」を認識しているのは一部の人間だけだった。これは何かある、が、なによりも〈仇鬼〉への対処が先だ。隊員が混乱しないよう、誰もが動揺を隠した。
五カ所同時故に、必然的に少数で対応することになる。他の拠点からも応援を指示するが、駆けつけるまでには時間がかかる。
ビーーー、ビーーー、ビーーー、ビーーー
本拠点を震わす警告音の中、朔月隊は飛んだ。いつもと違って一刻の猶予もない。力を温存できるぎりぎりの速さで現場へ向かう。少し離れていくつかの部隊が同じ場所へ向かっていた。
いつもは軽口を叩く岡元が静かに、雁矢崎に身を寄せた。
「雁矢崎君、緊張してる?」
「はい…いつもは仕掛ける側ですから。」
「いつもと違うって認識は正しいで。普段はあくまで、人間を襲う可能性がある〈仇鬼〉の退治。けど今回みたいなんは、既に人間襲いに来てる〈仇鬼〉の退治。とっくに鬼術展開されてるし、いつも相手しとる〈仇鬼〉の何倍も凶暴やわ。」
「それだけじゃない。」
反対側から越須賀が加える。
「戦場が違うってのは思ってるより大きいで。街中やから隠れる場所があんま無いのもやけど、隊員も一般市民も、周りに人が多いってのは正直かなり、気が散る。」
前を飛ぶ佐義名が振り返った。
「民を守るのが最優先だ。いつものやり方は通用しない可能性が高い。向こうが既に我々を捉えているし、他の隊とも連携する必要がある。」
その他、雁矢崎は現場に着くまでにさまざまな助言を受けた。もちろん、これまでも何度も耳にしてきた内容ばかりだ。それでも本番を目前にして、新人を守るために、先輩たちはあらゆる知識を与えてくれている。
それらに真剣に耳を傾けながら、雁矢崎は背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。実際、鳥形では流れないのだが。
「雁矢崎。」
朔也の声で会話が止む。
「大丈夫だ。私が必ず守る。私を信じてくれ。私たちも、君を信じている。」
朔也はいつも通りに微笑んだ、ように見えた。鳥だからわからないが。
そう、守るというのは比喩ではない。実際に〈眷鳥〉は〈輪〉によって守られている。〈輪〉が受ける神の加護、その恩寵を受けているという事実が今になって身に沁みた。
岡元は準備運動がてら、くるくると回り飛びながら雁矢崎の尾羽をちょんちょんと小突く。
「いろいろ言うたけど、結局みんなほぼ独断で動くことになるわ。現場なんか大体混乱しとるしな。市民は隊員が守ってくれるし、とりあえず相手が疲れてチャンスができるまで自分が怪我せんようにするのが一番や。守られとるとはいえ、自分も朔也さんも痛いからな、嫌やん。あんま大きい声では言えんけど。」
岡元がウインクした、ように見えた。鳥だからただの瞬きだったのかもしれないが。
岡元の巨体が優雅に先頭に向けて飛んでいくのを見送り、雁矢崎は大きく一息ついた。
余計な肩の力が抜けた。
思考がクリアで身体は良く動く、程よい緊張感で満たされている。
朔也によって守られている。
側に頼もしい先輩がついている。
他の〈眷鳥〉もたくさんいる。
幼い頃から身近でありながら憧れた〈眷鳥〉という存在。今やその存在に囲まれ、自分もその一員であることの実感が己を奮い立たせた。
「私たちの相手は見えない攻撃、を扱うとの情報が入っている。おそらくは風、空気だろう。〈仇鬼〉としてはかなり珍しい類だが、私たちは手強いことを知っているな?油断せずに行こう。」
「「「「了解。」」」」
遠方から確認した〈仇鬼〉は大きかった。五メートルはある深緑の巨体は、足を投げ出し、地面に両手をついてどっしりと鎮座していた。首だけがきょろきょろと忙しなく動いている。
周囲では隊員達が一般市民の避難を行っている。その中心で、現地の〈眷鳥〉が〈仇鬼〉の相手をするが、見えない攻撃に翻弄されている姿が見えた。
しかし朔月隊には、わずかな空気の揺らめきが〈仇鬼〉の頭上で発生し、周囲に飛散しているのが見えた。近づくことで、体感温度が僅かに上昇する。見せない技術に関しては、伊吹のほうが上だ。
ピューーーーイッ
朔也は近くを飛ぶ他の隊の〈輪〉を集めた。
端的に、注視するほど見えずらいため視界の端か焦点をずらして捉えること、見慣れている朔月隊隊員の後ろに続くことを進めた。指示ではなく、あくまで推奨。〈輪〉に上下関係はない。
しかし他の〈輪〉達はすぐにそれに従うことを受け入れた。朔也が次の〈玉輪公〉に最も近いことも、この場へは最高戦力として配置されていることも理解している。
他の隊の牽引を支持され、朔也隊隊員は分かれて他の隊の先頭に立った。
雁矢崎はこの時初めて、率いる側の重圧を知った。
大きく五部隊に別れ、各方面から〈仇鬼〉へと急接近した。
分厚い皮膚。太い首。
伊吹のような結界は張られていなかったが、その巨体に伴う首は一度で落とすことはできず、何度も何度も何度も接触した。再生速度を超える速さで攻撃を加えなければならない。
片付けるまでに、想定以上に時間がかかった。こちらの被害無しとはいかなかった。やはり慣れない攻撃、初めての連携では完璧とはいかない。
数人の〈眷鳥〉は亡くなった。
相手の攻撃で直接というより、吹き飛ばされた先のものに当たって、突き刺さって、そして〈仇鬼〉が時折振り上げる爪に切り裂かれて。
雁矢崎は、死ぬときはこんなに一瞬なのか、とやけに冷静だった。生きている者は〈輪〉の能力によってほとんど治癒が完了しており、戦える者ともう戦えない者がこんなにはっきりと二分することに、不思議な気持ちになった。
「なんか、変な感じやなぁ。」
「何がですか?」
「いや、確かに凶暴やったけど、襲撃してくる〈仇鬼〉にしてはなんか体重そうやったというか…いつもの奴等ってもっと楽しんでる感じがしたんやけどな。」
岡元はいつになく真剣な表情だったが、すぐに普段の調子に戻った。
「ま、気のせいか。〈仇鬼〉の感情なんかわかるわけないし。あるんか知らんけど。」
「皆、まだ終わっていない。他の場所を助けに行こう。」
「「「「了解。」」」」
先頭を飛ぶ岡元の身体が沈んだのは、二体目の〈仇鬼〉の姿を捉える前だった。
誰かが何かを叫んでいた気がする。それが朔月隊の誰かだったのか、他の隊の隊員だったのか、はたまた一般市民だったのか、もうわからない。あっという間に喧噪に飲み込まれ、岡元の身体が地面に叩きつけられるのが見えた。
「うぁ、ぐうっ…」
直後、朔也は呻き声を残して落下し、その勢いのまま地面に突っ伏した。
二人の後を追い、佐義名は朔也に、越須賀は岡元に駆け寄った。
雁矢崎はただついて行くしかなかった。何が起きたかわからない。
朔也から目が離せなかった。先ほどまで前を飛んでいた、頼もしい背中を見せてくれていた。
人形に戻った朔也は地面にうずくまり、のけ反り、苦悶の表情で、額には大量の汗が吹き出していた。抑えきれない呻き声が、朔也の身体を襲う苦痛を表している。
「雁矢崎!」
瞬時に雁矢崎は駆けだした。越須賀の声に、先に身体が反応した。
呻き声は、朔也のものだけではないかった。耳は至る所で発せられる呻き声を、目は地面に横たわって微動だにしない人間の姿を捕えた。
越須賀が岡元の身体を引きずっている。
その先では、顔周りの虫を振り払うように動く大きな人影が見える。頭ではそれが〈仇鬼〉と〈眷鳥〉だと理解できるが、おそらく大きすぎる〈仇鬼〉によって距離感が掴めない。まわりには植物であろうものが鞭のようにうねり、ちょうど今、一羽の鳥を叩き落したのが見えた。
岡元もそのように叩き落されたのだろう。しかし多くの〈眷鳥〉が相手をする中、〈仇鬼〉が先にこちらの姿を捉えて狙ってきたとは思えない。たまたま、運悪く、暴れる蔓のひとつが当たったのか。
雁矢崎は越須賀の反対側から岡元を持ち上げようとして、さらに血の気が引いた。
背中には大きな傷。
鞭で打たれたような傷だが、肉が大きく抉れている。
裂けめにも、その周りにも、折れた骨が見える。
腕や足もおかしな曲がり方をしている。
何より目を引くのは全身から滴り、地面に続く、真っ赤な、大量の血。
これはもう———
それ以上考えるのをやめ、雁矢崎は越須賀から岡元を取り上げて抱え上げ、朔也の方へ全速で走った。
服が重くなっている。
腕を伝う温かさ。
呻く朔也の近くに岡元の身体を寝かせた。
すると目に見えて、岡元の傷が修復し始めた。
驚きと感動の後に、不快感が込み上げた。じわじわと傷口が動く様は、正直見ていられるものではなかった。
あ゛、あ゛あ゛あ゛あ゛、あ゛あ゛あ゛、
朔也のものとは思えない呻きが耳に響いた。
それに重なる至る所からの呻き声、より遠方で響く怒号と悲鳴。
冷静でいるつもりが、耳が過敏にいろんな音を拾ってしまう。佐義名と越須賀はなにやら話しているが、内容が頭に入ってこない。雁矢崎は目の前で飛び交う会話が処理しきれていないことはわかった。
「飛ぶな」
そう指示されたことだけはわかった。
「飛ぶな」というのは、「変容するな」と同義だ。変容できなければ、〈仇鬼〉とは戦えない。
できることが無い。嫌でも周りの様子が目に入る。
遠くで、皆が戦っている。
〈眷鳥〉の数が減っている気がする。
近くで倒れているのは、隊員だけでなく一般人もいた。
誰も微動だにしない。身体の至る所があり得ない方向に曲がっている。
地面には滑った跡、建物の壁には叩きつけられた跡———〈仇鬼〉がいる方角から飛ばされたと思われる。
〈仇鬼〉の襲撃現場に居合わせたのは初めてではない。〈眷鳥〉ではなく、軍の人間でもなくとも、我国で暮らしていれば〈仇鬼〉には遭遇しうる。
しかし、どれもここまで被害は大きくなかった。
それほどまでに手強い〈仇鬼〉なのか。
五体同時対応がそれほど困難なのか。
どちらもか。
朔也は踠き苦しんでいる。岡元の傷はわずかに蠢きながら回復しいる気はするが、未だ意識は戻らない。
何もできないのか?
これは、いつになったら、どうすれば終わる?
ただただ、何もできないまま時間が経過する。
大きな〈仇鬼〉は時折鬱陶しそうに手で〈眷鳥〉を払うもその場からほとんど動かなかったが、ふと、その影はゆっくりと小さくなった。縦に潰れるように、小さく、というより低く…しゃがんでいる。
そう認識した直後には、巨体が宙に浮き、みるみる大きくなった。
何故こちらに———と思ったが、すぐに納得した。〈仇鬼〉は『廃灯域』から烽州の中心へ向かって来ていた。朔也達は中央近くから現場へ向かったのだから、〈仇鬼〉の進行方向に居たのだ。これも、運悪く。
佐義名と越須賀は朔也を抱えていた。
雁矢崎も既に腰を上げており、自分は岡元を運ぶべきかと視線を投げたが、すでに影がさしていた。
近くなるほどその巨体に圧倒された。
〈仇鬼〉の姿がはっきりと見える。はほぼ全身に泥を纏っており、隙間から見える肌も暗い灰色で岩のようだ。どんな状況でも、何故か額の角はよく目についた。
あぁ、あの真っ黒な足に踏まれたらさすがに死ぬかなと、雁矢崎はそんなことを思った。
「朔也兄さん!」
その声と共に、頭上に迫った巨体の軌道が変わった。
再びその場に光が差した。
「だ、ま…」
朔也が声を絞り出す。
瑤一はその場を一瞥すると、懐から小さなナイフを取り出した。
「なにを…」
「彼を殺します。」
「!?やめて下さい!」
慌てた佐義名が瑤一と岡元の間に入った。
雁矢崎は事態に追いつけない。越須賀は瑤一達のやりとりを見ているだけだ。
瑤一の表情が険しくなるのが見えた。
「退いてください。」
「朔也さんが、手を出すなと。それを無視して他人の〈眷鳥〉に手を出すのは、規則違反では。」
「こっから助かると思ってるんですか?」
「…っ、まだ、死ぬど、ぐぅ…、ぎまっで、な゛い…」
「あんたらが今せなあかんのは!」
全員の肩が震えた。瑤一のこんなに大きな、強い声を聞いたことがなかった。
瑤一はグッと言葉を飲み込むと、静かに背後の二人に指示を出した。韋鎚と伊吹、いつからかそこに居た。
「さっきの〈仇鬼〉殺してきて。周りに被害出すな。一人も怪我させるな。死んでも止めて。」
「拝命しました。」
答えたのは伊吹だった。瞬時にその場を去る伊吹に続き、韋鎚は無言でゆっくりと歩いて行った。
「あんたらがせなあかんのは、今すぐ〈仇鬼〉を止めに行くことや。彼が死んでも朔也兄さんの負担はでかいやろうけど、今以上に悪くはならん。ちょっとでも戦力が欲しい今、助かるかわからん隊員一人のために足止めくらってるわけにいかんのや。あんたらが行かんかったら、もっと犠牲出るってわかるやろ!」
雁矢崎にも、瑤一の言うことは理解できた。
何もできないのか、いつになったら、どうすれば終わるのか。それが答えか。
しかし本当にそれしかないのか。助かる可能性もあるのでは。
誰かを守るために誰かを殺す、あまりにも残酷ではないか。
それは人として、軍としても、正しい判断なのか。
「あんたが守らなあかんのは誰や。」
「…う゛ぁ、…命に、優劣は、ない…」
「ほな今こうやって部下一人助けとる間に、他が何人殺されてもええんか!?〈仇鬼〉と戦う覚悟して軍におる奴一人と、なんの対抗策もない大勢の烽州の民と、どっち優先するべきなんや。あんたなんのためにおるんや!」
「瑤一さん!」
「佐義名さんも、それでええんか。」
「…主人の命令は絶対です。」
その回答には僅かに迷いが見えた。越須賀が口を出さないのもそうだろう。
誰も、何が正しいのかなどわからない。
「あなたの仰ることは十分わかります。ただ彼も烽州の民であり、軍にとって大きな戦力です。助かる可能性がある今、ここで見殺しにできない気持ちもわかってください。至急離脱します、お許しください。」
佐義名は朔也の身体を支えて立ち上がった。佐義名の視線を受け取り、越須賀は岡元の体を持ち上げた。
雁矢崎は越須賀の反対側から岡元の身体を支え、佐義名の後を追った。
瑤一の横を通る際、静かな声が雁矢崎の耳に響いた。
「僕やったら見捨てれる。」
瑤一は急ぎ〈仇鬼〉の元へ向かった。
理想より、自分の身体の動きは遅い。ひ弱な体格かつ片腕の己の身体に苛立ちが募る。
それだけではない。すぐにむきになる己の性格に腹が立つ。朔也達と言い合っている場合ではなかったのかもしれない。
そもそもこれほどの数の、大きく、凶暴な〈仇鬼〉に襲撃されることが、ましてや存在することが想定外だった。まだこんな奴等がいたとは。過去には蔓延っていたようだが、こういう凶悪な奴等ほど長年大人しくなどしていないため、既に退治されているものだ。
瑤一は、もっと早く動くべきだったと後悔した。
だが全てのことに意味はあった。
もう決めた。
ともかく〈仇鬼〉退治が最優先だ。駆けつけた先には、瑤一の腰の高さまである頭が転がっていた。首の断面はズタズタで、さすがの半人半鬼でも一刀両断とはいかなかったようだ。
しかし、その場はまだ慌しかった。
何羽もの鳥が爪を向けるその中心に、二人がいた。韋鎚が伊吹に覆い被さっている。
「おい!危ない!」
その声を無視して、瑤一は二人の元へ足を進めた。
誰かの爪が掠った。耳のあたりが熱くなり、蹲み込みたくなるのを堪えた。
二人の側で辺りを見渡す。
「巻き込まれて怪我をした方はおりませんか?」
返事はない。求めてもいない。
瑤一は一周見回してその事実を確認した。
地面にうずくまる二人に呟いた。
「ごめんな。ありがとう。」
二人はゆっくりと身体を起こす。
瑤一は右腕で韋鎚を抱きしめた。背中には無数の切り傷が刻まれていたが、表情はいつもと変わらない。
瑤一は無い左腕で伊吹を引き寄せた。心底幸せそうに、瑤一の肩に顔を埋めた。
一同は硬直した。
何に怯えていたんだろうか。
圧倒的な強さで〈仇鬼〉を組み伏せた者には角があった。新たな脅威として認識したそれは、今となってはただの人間に見える。
一部の者は思う。彼らに助けられた。自分たちは彼らを攻撃した。彼らは抵抗しなかった。
自分達は、正しかったか?
「おいで。」
二人は僅かにふらつきながら立ち上がった。
その場を後にする三人に、声をかけられる者はいなかった。




