25.今度こそ引導を
次の日、わたしはアルティスとふたりでケイエルの屋敷に向かっていた。
話がどう転ぶか分からないから、フォンテは留守番だ。万が一不穏な空気になった場合にあの子がいたら、余計にまずい事態を招きかねない。
とはいえケイエルの屋敷までは、馬車で向かえば半日かからない距離だし、そう長いこと留守番させることにはならないだろう。
それに、リリアとヴェンティルが彼についていてくれる。フォンテがぐずったときに備えて、子守り上手のミュゼットも屋敷に来てくれることになった。万全の態勢だ。
けれど、心配なものは心配だった。アルティスとふたりで馬車に揺られながら、小さくため息をつく。
「フォンテ、大丈夫かしら……わたしとここまで長い間離れるのは、初めてですし……」
「問題ない。彼は成長した。君は彼の親なのだろう。彼を信じてやれ」
そわそわするわたしとは裏腹に、アルティスは自信に満ちていた。
「多少寂しがるかもしれないが、帰宅してから甘やかしてやればいい」
彼の力強い言葉に励まされつつ、小さくうなずく。それからおずおずと、切り出した。
「あの……ところで、その服装は……」
「まずは、あちらの出方をうかがいたい。そのためには、いったん私の身元を伏せておいたほうがいいだろう。幸い、前回ネイサンたちには私の顔を見られてはいないからな」
アルティスは、執事の格好をしていたのだ。屋敷の執事たちの中から、寸法の合う服を借りてきたらしい。意外にも、かなり似合っている。……こんなに迫力と気品のある執事は、そうそういない気もするけれど。
とはいえ、彼がそれだけ今回の件に真剣に取り組んでくれているのが感じられて、嬉しくはある。正直な話、今からまたネイサンのところに乗り込んでいくのは、少々怖かったから。
「変装というのも、たまには悪くないな」
向かいに座ったアルティスは満足そうに、そんなことをつぶやいていた。
やがて馬車はケイエルの屋敷に到着し、複雑そうな顔のメイドに案内されて奥へと向かう。案内なんてなくても、この屋敷のつくりは熟知しているのだけれどね。
行先は……やっぱり、ネイサンの私室だ。わたしがこの屋敷にいたころ、数えるくらいしか足を運ばなかった場所。そこに、こんな形で足を運ぶことになるなんて、思いもしなかった。
メイドが扉を開け、わたしたちを中に案内する。そこには、すさまじく不機嫌そうな表情のネイサンが立っていた。
「お久しぶりです、ネイサン様。離婚と再婚は、首尾よくいきましたでしょうか」
礼儀正しくそう尋ねると、ネイサンは思いっきり顔をゆがめてしまった。どうにも醜悪な表情だ。
「首尾よく!? ああ、そちらは首尾よくいったさ。でもそのせいで今、僕は不幸のどん底だ!」
さて、いったい何があったのだろう。目を丸くしながら口をつぐみ、様子をうかがっていると、ネイサンは苦虫をかみつぶしたような顔で吐き捨てた。
「ユナが、子どもを産んだ。男子だ」
「まあ、それは……おめでとうございます」
とっさにそう返しながら、内心首をかしげる。
愛する女が、自分の子を産んだ。それにしては、彼の表情は優れない、というより憎しみすら感じさせるものだった。まさか、これは。
「何がめでたいものか。産まれるのが早すぎる。しかも赤子が大きすぎる。おまけに、僕にもユナにも似ていない。あれは、僕の子じゃない」
案の定、ネイサンは怒りもあらわに、そうまくしたててきた。
ああ、やっぱり。まあ、他人の夫に手を出すような女だし、他の男と二股かけていても驚きはしない。ご愁傷様。
……で、どこをどうすれば、わたしが呼びつけられるようなことになるのだろうか。
視線をそらして考え込んでいたら、彼は突然声を張り上げた。
「君があんな策を使って、すぐに離縁しようと僕をそそのかさなければ、こんなことにならなかったんだ!」
え、どうしてそうなるの。わたし、彼とユナとの浮気には何も関係ないのだけれど。
「僕が言うとおりに、きちんと手続きを踏んで離縁していれば、君との離縁が済むより先にユナが子どもを産み、再婚の話を白紙にできた!」
あ、そういう発想なのね。……よくもまあ、そこまで徹底して他人のせいにできるものだ。
「しかしながら、書類上ユナは僕の妻で、彼女が産んだ赤子はケイエルの跡継ぎだ。ケイエルの血など一滴も入っていない赤子が、だぞ!?」
まあ、そうなるのでしょうね。正直、だからどうしたという感想しか浮かんでこない。
「ユナはもう、修道院に放り込んだ。赤子もいずれ死んだことにして、どこぞに放り出す」
「ええっ!?」
あまりのことに、うっかり声が出た。ネイサンはわたしをじろりと見つめて、低い声で続ける。
「当然のことだ。彼女も赤子も、僕にはふさわしくない」
いくらなんでも、それはあんまりだ。抗議しかけたそのとき、彼がわたしに向かって一歩進み出てきた。
「彼女たちについては、もう忘れることにする。だが、君に対しての復讐が終わっていない」
「復讐……あの、わたしは決して、あなたをおとしいれるためにあの提案をしたのでは……」
「結果として、君の提案で僕は苦しい立場に追い込まれた。ならば君にも、痛い目にあってもらわなくては」
彼の目には、狂気じみた光があった。これは何が何でも、わたしを罰しなくては気が済まない、そんな様子だった。
これでは、説得も交渉もできそうにない。どうにかして逃げるしかない。
ひるんでしまい、じりじりと下がろうとする。そのとき、冷ややかな声が耳に飛び込んできた。
「君はとことん、妻をないがしろにするのが好きなようだな」
「なっ!?」
声の主は、わたしの後ろに控えていたアルティスだった。静かにたたずんでいた執事が突然無礼な言葉を口にしたことに、ネイサンが思いっきりたじろいでいる。
「最初の妻は何年も放置し、次の妻はすぐに修道院、か……しかも、罪なき赤子を闇に葬るつもりとは」
ネイサンが何も言えずにいるのをいいことに、アルティスはよどみなく言葉を紡いでいく。
「妻を打ち捨てる男と、よその夫を寝取る女。いい塩梅につり合いが取れていると思うが?」
そこまで言い切ったところで、ようやくネイサンが我に返ったように身震いした。
「無礼者! カルミア、君の従者は君に似て、他者への口の利き方がなっていないな。きちんとしつけておけ」
ネイサンはアルティスを一喝すると、またわたしに向き直った。少しだけ考えて、冷静に言い返す。
「そうですね、立場をわきまえたふるまいとはいえないでしょう。けれど言っていること自体は何ひとつ間違っていないと、わたしもそう思います」
それを聞いたネイサンが、さらに顔をゆがめて大股にこちらに向かってきた。
「黙れ、口ごたえするな!」
彼は手を伸ばし、わたしの腕をつかもうとしてくる。しかしそれより先に、横合いから割り込んだアルティスの手が彼の腕をつかみ、止める。
ネイサンが怒りもあらわに、アルティスを怒鳴りつけた。
「主人に忠実なのは結構だが、邪魔をしないでもらおうか!」
アルティスは顔色ひとつ変えずに、空いた手を懐に入れた。銀色に輝く何かを取り出し、ネイサンの目の前に突きつけた。ネイサンがそれに目を留め、眉間にしわを寄せる。
「なんだ、それは……銀の懐中時計? 使用人ごときが手にしていいものでは……」
ネイサンの言葉が、そこでぴたりと止まる。懐中時計には蓋がついていて、そこにはトーラの家紋が刻まれていた。
家紋を刻んだ品々は、その家の当主だけが身につけられる。執事がこの懐中時計を持ち運ぶとしたら、きちんと箱に収めて捧げ持つのが普通だ。こんなふうに、無造作に懐に突っ込んだりしない。
そのことに思い至ったらしく、ネイサンがゆっくりと真顔になっていった。
「まさか……いや、そんなはずは……」
さっきまで怒りで真っ赤だった顔から、すうっと血の気が引いていく。
アルティスはネイサンの腕をつかんだまま、冷静そのものの声で言い放った。
「このような格好で失礼する。トーラ公爵家当主、アルティス・トーラだ。この件の詳細を知るにあたって、本来の身分で動くのは不適切だと判断したのでな、やむを得ず変装させてもらった」
「な、な……」
「カルミアを君から解放するため、一筆書いたのは私だ。だがそのことと、君の奥方の事情とは別物だろう」
驚きのあまり何も言えなくなっているネイサンに、アルティスはさらにたたみかけていく。
「先ほどから聞いていれば、君はひたすらに、他人のせいにしてばかりだ。伯爵家の当主として、その姿勢はいかがなものかと思う」
この口調も物言いも、いつものアルティスとそう違いはしない。彼は大いにあきれているし、お説教をしようと思っているようだけれど、今のところは厳しく問い詰めようとしている感じではない。……ただそれでも、十分過ぎるくらいに迫力があるのだけれど。
でももちろん、ネイサンにそんなことが分かるはずもない。遥か格上の公爵家の当主からのきつい叱責に、彼はすっかりちぢこまってしまっていた。
「まあ、他人の家庭の事情など、どうでもいい。君が二人目の妻をどうしようと、関係ない。だが」
と、アルティスの声音がより厳しいものに変わった。静かだけれど低い声で、彼は続ける。
「もし、ケイエルの赤子が死んだという噂を耳にしたら、私はこの件についての真相を全て、周囲に流す」
ひゅっとネイサンが息を吸ったのは、驚きからだろうか、それとも恐怖からだろうか。
「その子が病気などせず、健やかに育つよう世話をしてやるんだな」
「だ、だが……」
「適当に口実をつけて親戚のところに養子に出すもよし、別の子が生まれたらそちらを跡継ぎにするもよし。逃げ道など、いくらでもあるだろう」
「しかし、ユナは……」
「そちらについては、夫婦で話し合えばいいだけの話だ。じっくりと時間をかけて離縁するもよし、改めて夫婦としてやり直すもよし。ただ、いずれにせよカルミアには関係のない話だ」
困惑しながらのネイサンの言葉を、アルティスはひとつずつ丁寧につぶしていく。
「分かったら、二度とカルミアに構うな。それでは、失礼する」
アルティスはそう言い残すと、わたしの手を引いて、部屋から出ていく。背後のネイサンは、微動だにしなかった。




