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十五人の葬式  作者: 妙原奇天


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第六話 鐘

 朝、鐘は鳴らなかった。

 雪の降り方が夜よりも細かく、風もなく、空の奥まで白い。体育館の屋根から垂れる氷柱が陽に光っているのを、俺はぼんやりと見ていた。

 桂の姿が見えなくなったのは、夜明け前だった。寺の鐘を点検しに行くと、いつも言っていた。だが戻らなかった。


 志摩と律と千景が寺へ向かった。俺と灯は、後を追う形になった。

 坂道を登る途中で、足跡がふたつ、雪に埋もれかけているのが見えた。

 寺の鐘楼の前に立つと、縄がぶら下がっていた。先のほうが、何かで擦れたようにほつれている。その下に、桂がいた。鐘の綱に体を預けたまま、静かに倒れていた。

 目を閉じている顔は穏やかで、眠っているようだった。綱の先がまだ彼の肩に触れていた。まるで鐘が鳴らない代わりに、桂の体そのものが音を止めてしまったみたいに見えた。


 千景が膝をつき、手を当てる。小さく息を吐いた。

「……もう、冷たい」

 志摩が黙って立ち尽くしていた。律は拳を握って、何度も鐘を見上げたが、誰もその綱を引こうとはしなかった。

 雪の中で、鐘の青い金属が冷たく光っていた。



 喪主は志摩になった。

 遺品は、寺の鍵束と、古い帳面だった。

 帳面の表紙には「供出帳」と書かれている。紙は黄ばみ、角が破れている。開くと、墨が滲んだ文字が並んでいた。

 そこに書かれていたのは、戦時中の記録だった。


 ――旱魃の年、祠の水を井戸に戻し、町へ配った。

 ――その後、原因不明の熱病、死者多し。

 ――以後、祠の水は封ず。供物としてのみ扱うこと。

 最後のページには、印が押されていた。

 「志摩家」。


 灯が口元を押さえた。

 誰も声を出さなかった。

 紙の上の朱印だけが、やけに新しく見えた。


 志摩は膝をついて、帳面を両手で抱えた。

「……俺の家系が、はじめに禁を破ったんだ」

 その声は雪の中に吸い込まれていった。

 律が口を開く。「そんなの、昔の話だ。お前のせいじゃない」

「でも、こうして戻ってきた。記録に残ってる。俺たちは、祠の水で生きて、祠の水で死んでる」

「偶然だ」

「もう偶然じゃない。桂さんが、鍵を持ってて、俺の印が残ってる。物語は……俺たちの理屈よりも早く動く」


 千景がそっと帳面を閉じた。

「記録は記録よ。でも、誰かが語り始めた瞬間に、それは物語になる。誰が悪いとかじゃなくて、人はそうやって自分を守るの。罪を他人に渡すために、物語を使う」

 志摩は俯いた。

 その顔を見て、灯が小さく呟いた。

「……でも、桂さん、鳴らしたかったのかな」

 俺は顔を上げた。

「何を」

「鐘。最後に、鳴らしたかったんじゃないかな。止まる前に、誰かに知らせたかったんじゃないかな」

 鐘は沈黙したまま、雪をかぶっていた。綱が風に揺れ、かすかにきしむ音がした。それが泣き声のように聞こえた。



 埋葬の日、雪が深く積もっていた。

 喪主の志摩は、言葉を絞るように短く述べた。

「桂さんは、ずっと鐘を鳴らしてきた。俺たちが誰かを送るたび、鐘が鳴った。でも、今回は鳴らない。……もう鳴らせる人がいないからだ」

 その言葉に誰も反論できなかった。

 弓がスコップを持つ手を止め、顔を上げた。

「鐘を鳴らすのって、そんなに大事?」

 千景が答えた。「音は、誰かがまだ生きているって証拠になる。音があれば、世界は続いてる。でも音が消えたら、それは……」

「終わり?」

「小さくなる、のよ。世界が」

 俺はその言葉の意味を、胸のどこかで理解していた。

 鐘が鳴らない夜。音がないとき、人は自分の息の音を聞く。息が続いている間だけ、世界は形を保つ。けれど息が止まれば、音も消える。世界も縮む。

 透き通るような静けさの中で、俺は祠の方向を見た。あの中では、水がまだ動いているはずだ。音もなく、泡立ちもせず、ただ地の奥で流れている。音を失った世界の中で、それだけが生きている。



 夜、誰もが眠れなかった。

 灯は火のそばで膝を抱えていた。顔色は悪く、咳のあとが残っている。

 沙耶が寝袋の中から声をかけた。「灯、休んで」

「大丈夫」

 そう言って、灯は笑った。けれど、その笑いは一瞬で消えた。

「ねえ、透。鐘の音って、聞こえたことある?」

「あるよ。桂さんが鳴らすのを、ずっと」

「私、あの音が怖かった」

「どうして」

「鳴るたびに、誰かが減るから。でも、鳴らないと、それも怖い。音がなくなったら、私たちまでいなくなりそうで」

 灯の声はかすれていた。

 千景が鍋の湯をかき混ぜながら言う。「生きてる人の音が、鐘の代わりになる。だから、話して。眠らないで」

 誰かが小さく笑った。沙耶か、弓か、わからない。

 その笑い声が、短い鐘の音のように響いた。



 深夜、志摩が立ち上がった。帳面を持っている。

 俺は目を覚まして声をかけた。

「どこへ行く」

「寺に。桂さんの帳面を、もう一度見たい」

「夜はやめろ」

「やめられない。あれに、もうひとつ印があった。俺の印の下に、別の印があった。薄くて見えなかったけど、多分、祠のものだ」

 灯が上体を起こし、弱々しく言った。

「志摩さん、祠はやめて」

「見るだけだ」

「誰かが行くたび、誰かがいなくなる」

 志摩は返事をせず、ドアを開けた。冷たい風が吹き込んだ。

 外には雪が積もり、足跡がすぐに消えた。

 しばらくして、風の中で何かが鳴った気がした。

 鐘ではなかった。木が軋む音かもしれない。でも俺には、桂がもう一度だけ綱を引いたように思えた。



 朝になっても、志摩は戻らなかった。

 千景が祠へ行くと言ったが、沙耶が止めた。

「もう誰も行かないで。今は待つしかない」

 灯は毛布の中で目を閉じている。唇が白く、息が浅い。

 俺は帳面を開いた。昨日、桂の供出帳を写した紙が挟んである。墨の文字が薄れて、雪のしずくの跡が広がっていた。

 ――供物の水を里へ戻すな。

 ――祠の水、井戸に戻す。

 ――死者、多し。

 ――志摩家。

 その文字が、黒い染みのように重なって見えた。


 灯が小さな声で言った。

「透。もし、私が死んだら、鐘を鳴らして」

「やめろ」

「お願い。鳴らして。音がないと、道がわからない」

 俺は頷くしかなかった。

 灯は安心したように目を閉じた。

 外では風が止み、世界が静まり返っていた。

 鐘は鳴らない。音の空白の中で、皆の呼吸だけが増幅されていく。千景の書くペンの音、弓が木箱を閉じる音、沙耶が紙をめくる音。それらがいっせいに耳に刺さる。


 俺は思った。

 音が消えるのは、世界が小さくなっている印だ。

 かつて十五人の声で満ちていた空間が、いまはわずかに六つ、七つの呼吸音で成り立っている。

 鐘のない世界で、俺たちは息だけを鳴らして生きている。

 だが、息はやがて尽きる。

 そのとき、最後に残る音は何になるのだろう。


 雪が窓の外で落ちていく。

 その音すら、もう聞こえなくなっていた。

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