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十五人の葬式  作者: 妙原奇天


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3/20

第三話 秤の針

 雪が、また少し積もった。

 朝、体育館の窓から差し込む光が白く跳ね返る。

 外の気温は氷点下を下回り、吐く息が白く壁に貼りつく。

 透は手帳を開き、昨夜の記録を確かめた。

 ――第三日、十四人。

 ――発熱、一。

 ――祠の鍵、消失。

 文字の下をなぞりながら、ペン先を止めた。

 まだ、鐘は鳴っていない。

 けれど、音のない朝ほど、不安なものはない。


 配給の時間になると、雑貨屋の葛城砂が箱を運んできた。

 古びた秤と、赤い鉛筆。

 砂はその秤を机の上に置き、重りを丁寧に並べていく。

「基準が必要だと思うの」

 紙を一枚広げ、配給表に赤線を引いた。

「看取りをした人、喪主を務めた人。危険を負った分、少し多めに渡す。公平でしょ?」

 誰もすぐには反応しなかった。

 薪のはぜる音が、ひとつ。

 その沈黙を切ったのは、大浦沙耶だった。

 彼女は元教師で、眼鏡の奥の瞳に強い光を宿している。

「死を稼ぎにしないで」

 短い言葉が体育館に落ちた。

 砂が顔を上げる。「稼ぎじゃないわ。責任の重さよ」

「誰が決めるの? 重いか軽いかなんて」

「何もしない人が同じだけ食べるの?」

「死を秤にかけるのは、もう死んだ人への侮辱よ」

 空気がきしんだ。

 透は喉の奥にたまった息を飲み込んだ。

 その瞬間、秤の針が微かに揺れた気がした。

 生きるための秤が、違う方向へ傾き始めていた。



 昼。

 外の雪が弱まった。

 沼田の埋葬から三日。

 誰も祠に近づかない。

 井戸の蓋には氷が張り、千景は溶かした雪で水を賄っていた。

 透は灯の手伝いで、屋根から雪を落とす。

 長い柄の棒を振るうたびに、屋根の上の雪がずるりと落ちて音を立てた。

 灯は息を白くしながら、下から見上げた。

「人ってさ、生きることより、分けることのほうが難しいね」

 透は手を止める。「配給のこと?」

「うん。誰かが損して、誰かが得する。どっちも苦い顔になる」

「公平なんて、もうないんだろうな」

 灯は少し笑って、それから空を見上げた。

「ねえ、透。もし外に出られたら、どこ行く?」

「……海が見たい」

「海? なんで?」

「妹が行きたがってた。柚、泳げなかったのにさ」

 灯は頷いた。

「じゃあ、私が代わりに撮る。海の写真。ちゃんと残してあげる」

 その笑顔は、寒さの中でほんの少しだけ暖かかった。



 午後。

 三人目が見つかった。

 古賀真。配送の運転手。

 倉庫の裏手で倒れていた。

 顔に雪が積もっていたが、もう息はなかった。

 喉の奥に赤い泡。

 千景が静かに布をかけた。

 志摩が近づき、古賀の胸ポケットから紙の束を取り出す。

 写真。

 崩落前の林道の風景。

 そこに写っているのは、晴れた日に山の道を歩く自分たちの背中だった。

 撮影者は灯。

 彼女の名前が裏に書かれている。

「……あのときは、まだ……崩れてなかったの」

 灯は唇を震わせた。

 透はその写真を見つめた。

 林道の奥に、ダムの管理路が続いていた。

 古賀は、そこへ行こうとしていた。

 外へ出る道を信じて。

 それを撮った灯も、信じていたのだ。



 埋葬。

 雪は止んでいた。

 空は灰色のまま。

 喪主は灯が務めることになった。

 彼女は写真を棺に入れる前に、ゆっくりと口を開いた。

「わたしが写真を撮って、彼が道を信じたのは、同じ罪です」

 その声は震えていたが、まっすぐだった。

 誰も止めなかった。

 桂が鐘を鳴らす。

 土を掬うたび、針のような雪が頬に刺さる。

 透は、手に持ったシャベルの重みを確かめた。

 亡くなった人が増えるたび、土が軽くなる気がした。

 それでも、手のひらの中で確かに重みが残る。

 それが“罪”という名のものなのかもしれなかった。


 遺品の整理で、封筒が見つかった。

 中には町役場の通行許可証の写し。

 朱印が押されていた。

 ――志摩央。

 誰も言葉を出さなかった。

 沙耶が先に口を開く。「これ……どういうこと?」

 志摩は紙を奪い取るようにして見た。

「知らない。俺じゃない。こんなの、偽造だ」

「印鑑、あなたのだよ」

「だから偽造だって言ってるだろ!」

 声が響いた。

 針のように刺すような沈黙が広がる。

 透は、その秤の針がまた動くのを見た気がした。

 誰かが重くなり、誰かが軽くなる。

 そして、秤は傾いていく。



 夜。

 火を囲んで、誰も口を開かなかった。

 灯だけが、古賀の写真を握りしめている。

 透はそっと隣に座った。

「あの写真、きれいだった」

「見たの?」

「ほんの少し」

「……あの道、ほんとに行けたらよかったね」

 灯の目に炎が映っている。

「透。祠の水、飲んでる?」

「飲んでない。雪を溶かしてる」

「私、昨日……少し、飲んじゃった」

「どうして」

「夢を見たの。沼田さんが笑ってて、あの笛の音が聞こえた。……だから、もう一度会える気がした」

 透は言葉を失った。

 そのとき、灯の指先が震えているのに気づく。

 白い指が、薄く紫に染まっていた。

「灯……」

 彼女は笑った。

「大丈夫。まだ、撮れるよ」



 その夜、透は帳面を開いた。

 インクのしみが広がり、文字が少し滲んでいた。

 ――秤は必ず傾く。

 ――亡者の方へ。

 ――生者が軽いのではない、亡くしたものが重いのだ。

 透はペンを止めた。

 音のない夜に、鐘の余韻が漂う。

 遠くで風が祠を撫でている。

 彼はゆっくり顔を上げ、灯りの消えた体育館を見渡した。

 ストーブの灰の中に、かすかに赤い火が残っていた。

 その光が、秤の針に反射して揺れる。

 まるでそれが、生と死を量っているように。



 朝。

 空気が少しだけやわらかかった。

 沙耶が配給表を手にして歩き回る。

 砂は赤鉛筆を握りしめたまま、誰にも視線を向けない。

 秤の上には、昨日の重りがそのまま残っている。

 透はふと思った。

 もしこの秤に自分たちを乗せたら、誰が軽くて、誰が重いのだろう。

 そして、それを決めるのは、いったい誰なのだろう。


 その日の昼、灯が倒れた。

 発熱、三十九度。

 千景が急いで駆け寄る。

「舌が……甘い」

 灯はかすれた声で笑い、透の手を掴んだ。

「見て、透。針が……動いてる」

「何の話だ」

「秤。今、傾いたよ」

 透は涙が出そうになるのをこらえた。

 灯の手が冷たくなっていく。

「大丈夫。まだ……撮れる、から」

 それが、彼女の最後の言葉になった。


 鐘が鳴った。

 四度、静かに。

 透はその音を数えながら、筆を取った。

 ――第四日。

 ――十三人。

 ――秤、亡者の方へ傾く。



 夕暮れ。

 空が群青に沈む。

 雪の上を歩くたび、靴の底が軋む。

 透は祠の前に立った。

 鍵はもうない。

 扉の隙間から、冷たい光がこぼれていた。

 まるでその奥で、秤の針がゆっくり揺れているかのように。

 亡者の方へ、少しずつ。

 音もなく、確実に。

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