表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
十五人の葬式  作者: 妙原奇天


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/20

第一話 十五人

 山に囲まれた集落の名は、霧鳴きりなりという。

 三方を崖に挟まれ、唯一の林道は雪崩で途絶えた。ラジオは雑音だけを吐き出し、無線も数日前から返事がない。

 外の世界がまだ生きているのか、それさえ誰にもわからなかった。


 その夜、残された十五人が体育館に集まった。

 ストーブの灯がかすかにゆらめき、折り畳み机を並べて作られた円卓のまわりに、彼らは黙って座る。

 吹き込む風が板張りを鳴らす音だけが響く。誰もが顔を上げない。自分がここにいる理由を、確かめるように指先を握りしめていた。


 臨時統括を務める佐久間が、紙束を持ち上げた。

「――これが、今後の生活に関する規約案だ」

 乾いた声が体育館に落ちる。

「発熱の申告は義務とする。看取りは二名で行う。埋葬は日没後、喪主は一名。亡くなった者の最後の願いを読み上げること」


 読み上げが終わると、看護の雨宮千景が体温計と青いマスクを配った。

 彼女の白い指先は、かすかに震えていた。

「体温は毎朝記録してください。少しでも異変を感じたら、知らせてください」

 それだけ言うと、千景は配給箱のそばに腰を下ろした。

 八重樫弓が穀を秤にかけて、袋に小分けしていく。無言のまま、彼女の眼鏡の奥に光が揺れた。

 神崎律は祠の鍵を胸に下げたまま、顔を上げない。

 寺の桂は柱のそばで鐘の綱を握り、鳴らす稽古をしている。音は出さず、ただ手の感触を確かめていた。


 透は名簿の端に小さく書き添えた。

「妹・柚 欠」

 欠席、の欠。けれど本当の意味は、もういない、だった。

 ほかにも亡くなった家族の名を書き添える者がいた。十五という数字の重さを、皆が知っていた。


 夜更け。体育館の隅に寝袋が並ぶ。

 透の隣には灯がいた。カメラを毛布にくるみ、抱きしめるようにしている。

「もう撮らない」

 小さな声で灯は言った。

「あれは生き残るための道具じゃない。記録しても、誰も見ない」

「じゃあ、俺がやる」透は言った。

「記録係、俺がやる。……最後まで残る人が、きっと必要になる」

 灯は返事をせず、カメラを抱いたまま目を閉じた。ストーブの火が小さくなり、二人の影が壁に溶けていく。


 朝。

 雪がわずかに溶けて、井戸の水面がのぞいた。

 透が汲み上げた桶から、甘い匂いが立ちのぼる。桜餅のような匂い。

 誰かが笑って、「春の匂いだ」と言った。

 だが千景は眉をひそめ、声をひそめた。

「その匂いを強く感じる人は、発症の前触れかもしれない」

 笑いが止まる。空気が冷たくなる。

 透は自分の鼻先に残る微かな香りを、息と一緒に押し込めた。


 昼は配給作業。夜は順番で見張り。

 ラジオの電池は残り二本。薪も二週間分。

 外に出るのは危険だ。けれどこのままでは、何も残らない。

 透は帳面に今日の日付と、十五人の名前を書き込んだ。

 その横に、柚の名を小さく添える。

 亡き者の名も、記録のうちに入れておきたかった。


 夕暮れ。鐘が一度だけ鳴る。

 誰も打っていないのに、かすかな風が綱を揺らした。

 その音を合図に、十五人は旧診療所へ向かう。

 息を引き取った老婆が一人。

 千景が白布をかけ、桂が手を合わせる。

 その静けさの中、律が小さな祠の鍵を握りしめていた。

 祠の奥には、誰も近づけない。そこから吹く風が、いつも甘い匂いを運んでくる。


 「喪主は、桂さんでいいですか」

 佐久間の声に、桂は頷いた。

 老婆の遺品の小箱から、古い帳面の切れ端が出てきた。

 滲んだ文字でこう書かれていた。

 ――祠の水は、遠くへやるな。

 誰も意味を理解できなかった。

 ただ、千景だけが短く息を呑んだ。


 埋葬は日没後に行われた。

 雪がまた降り始める。掘った穴に土を戻すたび、湿り気が手のひらにまとわりつく。

 透は土の重さを確かめながら、思う。

 この重みは、土のせいか、罪のせいか。

 最後の一掬いを落とすと、桂が鐘を鳴らした。

 低く、震える音が谷に響く。

 その音の中に、誰かのすすり泣きが混じっていた。


 夜の帰り道。

 灯がぽつりと言った。

「匂い、まだするね」

「何の?」

「桜餅。あの井戸の。……あたし、昔からあの匂い好きだった」

 透は何も言えなかった。

 彼女の声が、少し熱を帯びていたからだ。

 雪の上に映る灯の足跡が、途中から薄れていくように見えた。


 体育館に戻ると、弓が配給箱を閉めていた。

「今日からは半分。米が足りない」

 佐久間はうなずき、記録帳に線を引いた。

「生き延びることを、まず優先しよう」

 その言葉に、透は無意識に名簿を見た。

 “十五”という数字を指でなぞる。

 ――ここから、数は減る一方だ。

 誰かがその声を聞いたのか、灯が寝袋の中から顔を出した。

「透。ねえ、もし私がいなくなったら、撮ってて。最後の瞬間を」

「縁起でもないこと言うなよ」

「でも、残して。そうすれば、きっと誰かが見つけてくれる」

 透は返事をしなかった。

 彼女のカメラは、まだ毛布の奥にあった。


 夜が深まり、雪がまた降る。

 体育館の屋根に音が積もるたび、人々は息をひそめて眠りにつく。

 透だけは目を閉じられず、帳面を開いた。

 ページの隅に、小さく書く。

 ――第一日、十五人。

 ――桜餅の匂い。

 ――発症、未確認。

 ――埋葬、一。

 文字を書き終えるたび、手が震えた。

 この記録がいつか誰かの手に届くのか、それとも雪に埋もれて消えるのか。

 それさえ、もうわからなかった。


 窓の外、祠の方から光が漏れていた。

 透は立ち上がり、そっと外に出る。

 雪明かりの中、誰かが祠の扉の前に立っている。

 律だった。胸元の鍵が光を反射している。

 彼は扉を見つめたまま、動かない。

「開けるのか?」透が問う。

 律は首を振った。

「開けたら、戻れなくなる。そう言われた」

「誰に?」

「……前の喪主に」

 風が吹き抜け、甘い匂いが広がる。桜餅のような、それでいて鉄のような匂い。

 透の喉が焼けるように痛んだ。

 そのとき、祠の奥で何かが動く気配がした。

 律が顔を上げる。

「聞こえた?」

「何を」

「水の音だよ。……まだ、生きてる」


 翌朝、透は熱を出した。

 千景が脈を取り、薬を口に含ませる。

「休んで。今は無理をしないで」

 透はうなされながらも、帳面を握りしめていた。

 ページの角に、誰かの指の跡がついている。桜色に染まった跡。

 目を閉じると、井戸の匂いが鼻を刺す。

 あの甘さの中に、妹の声が混ざっているような気がした。

 ――お兄ちゃん、迎えにきて。

 その声で、透は跳ね起きた。

 窓の外では、雪が音もなく降っていた。


 その日、村に残る十五人のうち、ひとりが姿を消した。

 灯だった。

 カメラも、寝袋も、そのままだった。

 帳面の十五という数字の横に、透は線を引く。

 十四。

 それは、はじまりの数だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ