87話 11月7日(6)
遥のお母さんは、話す内容を少しまとめてから静かな口調で語り掛けた。
「運転中に心臓発作を起こしたらしく、胸を押さえて一瞬前を見ていなかったんじゃないかって。それで、信号待ちをしていた乗用車と、その前に止まっていたトラックに追突してしまってね。それで搬送先の病院で治療したのだけれど、その日の内に息を引き取ってしまって」
乗用車とトラックに?
「警察の方もこの事故の原因が何だったのか、会社に対して捜査が入って、従業員の労働環境や経営状況等を調べたらしく、結果、お父さんやその他の社員の方も、会社側から過労運転を強いられていた事が判明してね。この事故で会社側の経営責任や運行管理者の責任が問われる事になったの」
お母さんは、目を少し涙で潤ませながら僕にそこまで話してくれた。
僕は何て声を掛ければいいのか分からず、手に持っていたコーヒーカップを口元に運び、喉を潤わせる程度にコーヒーを口に含ませ、お母さんが次の言葉を発するまで待つことにした。
それから暫くして、お母さんは、ひと呼吸してから沈黙していた空気を遮った。
「この事がはっきり解決するまでに大体1年くらいの月日を費やしたけれど、でも遥には、肩身の狭い思いをさせてしまったわ。うううん、遥まだいいわ、生きているんだから。それよりも1番申し訳ない事をしてしまったのが、追突して乗っていた乗用車の人を死に追いやってしまったこと。確かに、最終的には過労運転をさせていた会社側の責任になったけど、でも、お父さんが取り返しのつかない事をしてしまったのは事実だから。高科さんに・・・」
えっ!?高科?今、高科って言ったよな・・・。
僕は何とか震える感情を抑えながら、もう1度尋ねてみた。
「い、今、高科って・・・」
「そう、高科政雄さんと、その娘さんの麻衣さん」
えっ!!麻衣。
僕の頭の中は、麻衣と初めて出会った日から3年前のあの出来事までが、まるでスライド写真を早送りで写し出しているかのように駆け巡っていった。僕はそんな頭の中が整理出来ていない状態だったけれど、無意識のうちに、さらにこの事を確かめるため口を開いていた。
「いつ、だったんですか?」
お母さんは、僕の質問に静かに答えてくれた。
「忘れもしない、7月の・・・5日。その日の夜は、突然雨が急に降り出した日だったわ」
ま、間違いじゃ、ないんだ。遥の、遥のお父さんが・・・麻衣を。
それ以上何も聞く事が出来ず、両手に持っていたコーヒーカップをただ呆然と見つめているだけで、頭の中では、麻衣の名前だけが、繰り返し、繰り返し鳴り響いていた。
丁度その時、スリッパの音がパタパタと階段から下りてくる音が聞こえてきたので、その足音のする方へ目を向けてみると、遥がリビングに戻ってきた。
「絵里ちゃんから何だったの?」
『うん、論文に関する何か良い資料の本があれば教えてって言うメールだったわ』
別に遥は悪くないんだ。そうさ、遥は悪くない。悪くない、悪くない・・・。
でも、悪くないんだけど、遥のお父さんが麻衣を死においやったんだ。
何でこんな時に分かっちゃうんだよ。
ずっと、ずっと前から麻衣を死においやった奴の顔を見てみたい、会って顔面に1発ぐらい殴らないと気が済まないってそんな事をずっと思っていたのに・・・。
どうして遥と出会ってしまったんだよ。こんな事だったら、一生出会わなければよかったのに、どうして、どうして・・・
もう、何が何だか分からなくなってきた。
何だかこの場所に居たたまれなくなった僕は、今が帰るチャンスだと思い2人に話し切り出した。
「夜も遅いし、そろそろ失礼します」
『えっ、もう帰るんですか。う~ん、そうですね。明日も仕事ですもんね』と、自分に言い聞かせるような感じで遥が答えた。
「今日は晩ご飯をご馳走になって、有難うございました」
「い~え。又いつでも遊びに来て下さいね」
さっきまで過去の話しをしていた時の表情と違って、遥のお母さんは笑顔で僕を見送ってくれた。
「はい、機会があれば、ぜひ」
そう言って家から出ると、遥が駐車場まで見送りに付いて来てくれた。
『あっと言う間に時間が経ちましたね』
「うん、そうだね」
『所でさっき私がいない間、お母さんと何を話してたんですか?』
「う、うん」と、彼女の目を見て話す事が出来なかった僕は、ただ曖昧な返答をするのが精一杯で、そのまま車の中にそそくさと乗ってエンジンをかけた。そして、発進する前に運転席側の窓を開け彼女に話し掛けた。
「今日は、ありがとな」
『何とかご期待に応えれるよう次も頑張ります ᕦ(ò_óˇ)ᕤ』
「うん。それじゃあ、また連絡するよ。お休み」
何とか笑顔を作ろうとするも、言葉は素っ気なく聞こえたかもしれない。
「お休みなさい ♪( ´▽`)」
そんな僕に対して、遥は、笑顔で見送ってくれた。
それから僕は、住宅街が建ち並ぶ小高い山の斜面を下りながら、何となく車のルームミラーをチラッと見てみた。すると、遠ざかって行く僕の車の後ろを見えなくなるまで、ずっと見送ってくれている彼女の姿が映っていた。




