第7話
洋はR教大学のある池袋を目指すことにした。美枝子の自宅もあることから、まさかこの近所で山形が手を出すとは思えない。何より山形の動静を最初から見張っていた方が安全な気がした。だが池袋へ行く前に寄る所があった。
「恒夫さんっ」
洋は佐藤家の前まで来ていた。恒夫にも美枝子への脅威を報せておく必要があると感じたからだ。
「岡安か?どうした血相変えて?」
恒夫は昼寝の真最中だったらしく、まだ寝呆けた顔をしていた。のそりと起き上がって洋の方へ来る。
「美枝子が危ない」
「何いっ。美枝子がどうしたってんだ?」
恒夫も洋の顔つきを見て真剣な眼差しに変わった。すぐに洋は事情を説明した。
「あの野郎、うちの娘を襲うだと。許せねえ。おい岡安、俺も行くぜ!」
「恒夫さん!」
恒夫が付いてくることは心強かった。人間の知恵を持つ犬とはいえ、所詮は子犬。体躯の大きなドーベルマンが一緒ならこれに優る味方はなかった。繋がれていない恒夫は門を飛び越えると、洋と共に疾走した。
T電鉄の電車が猛スピードで池袋方面に向かって行くのが見えた。しかし洋と恒夫は人間ではないので、文明の利器を利用することは出来ない。二人は池袋まで道路伝いに走って行くしかなかった。距離は約10km、一時間は掛からない筈だ。ただ主要道路は道幅が狭くてダッシュが効かない。しかも突然の二匹の犬の快走に、道行く人々は仰天した。途中、警察が出動して二人は追い回されたりもした。もしかすると保健所にも連絡が行っているかもしれない。
おかげで池袋到着は二人が思っていたよりも手間取り、もはや夕闇が迫ってきていた。二人はなるべく大通りに出ないようにして、R教大学を目指した。さすがに大きな通りに犬が二匹歩いていたら大騒ぎになる。二人は極力人通りの少ない裏道を進んで行った。そして以前馴れ親しんでいた大学キャンパスに辿り着くと、洋は恒夫を誘導して梅川ゼミの教室へと向かった。薄暗くなった大学構内はもうほとんどの授業が終了しているようで、歩いている生徒もまばらだった。
「うわっ犬だ!」
というような声を出して驚く学生もいたが、大した騒動にはならなかった。構わず二人は奥の方にある教室を目指した。しかし到着した時、教室のドアは既に閉じられていた。
「しまった、遅かった…。もう授業終わったみたいです…」
洋は走り疲れで、舌を出しながら悔しそうに喋る。
「どうする?」
恒夫も対応策がなく、地理に詳しい洋に頼る感じだ。
「うーん…、何軒かよく行く店はありますが、そこにいるかどうか…」
洋も困っていた。授業が終わる迄には辿り着くつもりだった。しかし予想以上に池袋到着にてこずり、大学に着いた時には授業が終わっているとは…。何という犬の不便さか。人間が如何に文明を発展させて生活しているかを身を以て味わうことになった訳だ。
「仕様がねえ、目ぼしい所へ行って見よう」
恒夫の意見に洋も頷く。今二人に取れる手段はそれしか残っていなかった。
『飲み食い処 河童』この日この店で梅川ゼミの飲み会は行なわれた。ここは梅川教授の好きな焼き鳥の皮がおいしい店で、時々ゼミの飲み会で使われている所だった。ここに所属する乙山美枝子もこの会に参加していた。そして洋等が危険視する山形も勿論いた。
「ここ座っていいかい?」
山形は狙い済ましたように美枝子の隣に座る。美枝子も拒絶は出来ず、奴の隣席を許す事になった。
「それじゃあ乾杯!」
老年ながらも未だ酒豪の名をほしいままにする梅川教授が乾杯の音頭を取った。それに呼応してゼミ生十二名が一斉に杯を揚げ、互いのグラスを合わせる。
「乾杯!」
山形はわざとらしく美枝子のグラスに自分のグラスを合わせてきた。そっけなく一杯目を飲む美枝子。
「この間はごめんよ」
山形はいきなり先日の件を謝ってきた。美枝子も鬼ではない、
「私こそ平手打ちなんてしてごめんなさい。痛かったでしょう」
と逆に謝り返した。それから山形はうまく最近の流行の話などを持ち出してきたので、彼女もそれに乗せられて相手になっていた。
洋と恒夫はなるべく人目に付かないように飲み屋を探し回っていた。ゼミで行きそうな店を見付けても、中に入る事が出来ないのが犬という生き物の難しいところだった。洋はとりあえず入口のドアを何度も前脚で叩き、店の者が開けた隙に中に入り込んでゼミ生がいないか捜索する手段を取った。この方法は大体うまくいき、店員に追い回されたりはしたものの、小回りと素早いフットワークを使って逃げながら探す事が出来た。しかし数件巡ったものの、未だゼミ生の姿を発見出来ないでいた。
「ここにもいませんね…」
『魚喰い』という店を出た後、洋が呟いた。
「他に心当たりはないのか?」
恒夫も心配そうな顔になってきた。彼も山形には危険な雰囲気があると感じていた。その為、飲み会なんてことになれば娘に危険が迫る予感は外せないようだった。
「うーん…、あ、そうだ『河童』かも」
洋は『飲み食い処 河童』を思い出した。
「よし、そこ行くぞ」
恒夫も少しばかり焦り始めており、洋の出発を促すとすぐにダッシュを開始した。
飲み会は半ばに差し掛っていた。今まで美枝子と向かい合って飲んでいた山形が、突然周りの皆に声を掛けた。
「それじゃあゲームでもしようか?」
「おう、いいね」
ゼミ生の一人が答える。すると周りのみんなが乗ってきた。
「おーし、じゃあNot100いこうか」
それは1から数字を順番に言っていき、最後に100を言った者が負けというゲームだ。数字は一度に三つまで言える。
ゲームが始まった。最初の内は提案者の山形が100になるように引っ掛けられて一気飲みをさせられまくっていた。しかし、段々とゲームが進むにつれて美枝子も飲まされてきた。そしてゲームは次々に変更。ピンポンパンゲーム(ピン・ポン・パンと言いながら指差していくゲーム)や山手線ゲーム(お題に即した物を次々に言っていくゲーム)などで皆が一気飲みを繰り返した。美枝子も相当な量、飲まされて足取りが覚束なくなり始めていた。
そうしている内に解散の時が来た。酔っ払ってただのオヤジと化している梅川教授が
「はーい、それじゃ解散しまーす」
と宣言すると皆は散り散りに別れて行った。美枝子は酔いが回ってまだぼーっとしている。
「おい、大丈夫かい?」
豊田が倒れそうな美枝子の身体を支えた。
「あ、豊田君、だーいじょうぶよ」
答えた彼女は明らかに酔っていた。
「俺、梅川先生の辺りにいたからよくわからないんだけど、そっちはそんなに飲んでいたのかい?」
「うん、ゲームで飲まされちゃった…」
「送ろうか?」
方向は逆だが、豊田は友人として申し出た。彼に限って下心のようなものは全くない。そんな事では死んだ友人の岡安に顔が立たない。彼はそういう性格の持ち主だった。しかし、そこへ問題の山形が登場した。
「豊田ぁ、別にいいよ。俺が同じ方向だから送るよ」
奴は生意気げな面で、豊田の親切を切り捨てる真似をする。
「山形、お前ちゃんと美枝子ちゃんを送れよ。何かあったら岡安の代わりに俺がただじゃおかないからな」
「俺が何するってんだ、おい!」
山形は喧嘩早くて、こんな事でもういきり立っていた。
「大丈夫よ。豊田君、じゃあね」
「ああ。気を付けて」
美枝子と手を振り合うと、豊田は去って行った。
「じゃあ行こうか」
山形は千鳥足の美枝子を支えつつ、歩き始めた。
洋と恒夫が『飲み食い処 河童』に辿り着いた時にはゼミの飲み会は解散していた。洋がそれに気付いたのは帰宅しようとしている豊田の姿を認めたからだ。
「豊田…」
洋は久しぶりに友人の顔を見て懐かしさを覚えた。
「うわっ!犬だ。何でこんな所に…」
さすがに友人の豊田も、ブルースという犬としての洋の池袋出現にはたまげていた。
「久しぶりだな」
言ってもわからないだろうが、洋は一声吠えた。
「何だ何だ、こんな所で吠えて。危ない奴だな」
野良犬と関わり合いにならぬよう用心したのか、豊田は早足に去って行った。
「豊田…」
去って行く豊田の背中を見て、何となく淋しい気持ちになる。だが、語り合えない以上、長話は無用だ。洋は気を取り直して美枝子の姿を探した。
「知り合いか?」
周囲を見回しながら恒夫が聞いた。
「ええ、大学で一番の友人だった男です。ゼミも一緒で…」
「ということは美枝子もこの辺にいるんだな?」
「おそらく…。何かそれらしい匂いがしませんか?」
洋はあちこちでクンクンと嗅ぐような仕草をする。
「うむ。そういえば美恵子の匂いも微かに…」
恒夫も鼻を効かせて娘の香りを感じ取ろうとする。
「急ぎましょう。こっちだ」
二人は匂いの通じる方角へ再び駆け出した。
山形は、酔っている美枝子を引っ張ってR教大学の方まで戻って来ていた。こちらの方角は夜になると人通りがあまりない。何軒か飲み屋はあるが、外に出ている人間の絶対数が少なかった。山形はわざとそちらの方へ美枝子を連れて行っているようで、最終的には西池袋公園に足を踏み入れた。
公園は静まり返って人のいる気配はない。山形は一度辺りを見回した後、美枝子を誰もいないベンチに座らせた。
「ちょっとここは?」
酔っていても変な場所に来たことは美枝子にもわかっていた。山形には前例がある為、口調が強くなる。
「何処って西池公園さ」
山形は悪怯れる事無く言ってのける。その目は既に狂気を帯びていた。
「山形君、あなた…」
「へっへっへ、お前が悪いんだぜ。素直に俺の誘いを受ければ、こんなことしなくてもいいのによ」
山形は厭らしい笑いを浮かべて手を伸ばしてくる。
「や、やめて!」
必死にそれを避ける美枝子。しかし酔って鈍った運動神経では山形の猛攻をかわすことは出来ない。奴の顔に引っ掻き傷を付けるのが、せめてもの抵抗だった。
「てめえ!」
右頬から血が流れた山形は興奮して男の力で美枝子の頬を張る。
「きゃっ…」
と悲鳴が揚がった。山形は勢いに乗じて力ずくで彼女を仰向けの姿勢にする。ついに美枝子の身体は組み伏せられた。
「へっへっへ」
にやりと笑って舌舐めずりする山形が美枝子の身体を見下ろす。酔って上気した彼女の顔からは涙が溢れている。それをも嘲笑するように山形はその涙を舌ですくった。
「いや…」
拒絶しても馬乗りになられた美枝子は逃げる事が出来ない。足をバタつかせても山形の身体は揺るぎもしなかった。
「へへへ、いただきまーす」
山形は洋服の上から美枝子の豊満な胸を掴み、揉み始めた。そして強引に服を引き裂き、ブラジャーも剥ぎ取り胸をあらわにした。
「お願い…、もうやめて」
悲痛な顔で訴える美枝子だが、山形が聞く筈もなかった。奴は彼女の胸にしゃぶり付く。そしてその手は段々と下半身の方に伸びていった。
「ああ洋君、助けて…」
どうにも出来ない美枝子は、この世にいない者に救いを求める言葉を吐いた。
「バーカ、岡安なんざもういないんだよ!」
乳房に口を寄せながら山形が残酷な言葉を浴びせる。完全に山形は調子に乗って有頂天になっていた。だが奴がショーツを剥ぎ取ろうとした瞬間、




