第5話
「おめえひょっとして元は人間だったんじゃねえか?」
「えっ!な、何故それを…」
洋は本当にびっくりした。多少なりとも疑念を抱いていたとはいえ、まさか犬のジョンにそんなことを言われるとは思いも寄らなかったのだ。
「やっぱりな。犬にしては動きがぎこちねえと思っていたんだ」
「ジョン、あんたは一体…」
「安心しろ。俺も元は人間だった…」
ジョンの口から衝撃の告白がなされた。今まで洋に吠えていたこの犬は、自分と同じく人間から生まれ変わった生き物だったのだ。しかし驚きはそれだけではなかった。
「あんたも人間…、だったんですか?」
「ああ、近所に乙山って家があるだろう。あそこの家の恒夫って者だ」
「えーっ!」
それを聞いて洋は引っ繰り返る程の衝撃を受けた。ジョンが洋に向かって吠える訳だ。彼は自分の娘に近付く奴に対して吠えていたのである。
「おめえは何処のどいつなんだ?」
ジョンこと乙山恒夫は急に親しみを持ったような顔つきになって、尋ねてきた。洋は迷った。本当の事を言うべきだろうか?もし自分が岡安洋だったと知れれば、このドーベルマンは敵意を剥出しにしてくるのではないかとも思われた。しかし、嘘を言うのも嫌だったので、
「僕は岡安洋という者でした…」
と正直に名乗った。まるで彼女の両親に交際の許可でもお願いする気分だった。
「岡安…?あってめえ、うちの美枝子に手を出していた野郎だな」
予想通り、ジョンはカーッとなった。洋は自分の決断ミスを後悔したが、
「まあ死んだんじゃ仕様がねえな。元人間同士仲良くやろうや」
意外にも恒夫は怒っておらず、すぐに親しげな顔つきに戻った。
「す、すみません」
訳もわからずに洋は謝った。
「おい、美枝子はどうだった?いい奴だったろう」
「はい、僕は彼女の事がすっごく好きでした。今でも…」
洋は犬になって彼女の父親とこんなことを話している自分が不思議に思えた。恒夫はどう思っているのだろう。
「そうか、死んだ奴にまでそんな風に思ってもらえてあいつも幸せだろうよ。俺もおめえに散々吠えたが、決して悪気があったんじゃないってことはわかってくれや」
「はい」
洋は恒夫がいかに娘の事を心配しているのかがよくわかった。美枝子の母が「生まれ変わっても一緒になりたい」と言うだけのことがある人だとも感じた。
「まあ、美枝子の話はおいおい聞かせてもらうとして、おめえはもっと犬らしくせにゃならんぞ」
「えっ?」
「いいか、もしお前が人間から犬に転生した者だってことが、一度も生まれ変わりをしたことのない奴にバレると、二度と転生できなくなるんだ」
「二度と転生できないって、転生って何度も出来るんですか?」
洋は恒夫の言葉に引き込まれた。どうやら彼は転生について詳しい知識を持っているようだ。洋の知識欲が増幅される。
「む、ちょっと待て。おめえの家の奴が来たみたいだぞ」
恒夫は犬特有の嗅覚で人が迫ってくるのを察知した。
「そんな…、話のいいところだったのに…」
せっかくジョンの所まで来て、これから大事な話になるところへ邪魔が入ってはたまらない。洋はその辺に隠れようとした。
「いや待て!」
恒夫はそう言うと立ち上がって、家の門を蹴飛ばした。ギイーッと音を立てて門は開かれた。
「ジョンさん、門を開けてどうするんですか?」
「いいから入れ!」
言われるままに門から庭に入る洋。そして恒夫の指示を待つ。
「そしたら俺に近寄って、親密そうに鳴くんだ」
「えーっ、男同士でそんなこと…」
洋は躊躇した。
「うるせえ、やれったらやれ!」
しかし恒夫は強要する。仕方なく洋は恒夫に擦り寄ってクゥーン、クゥーンと鳴いた。その内に伸枝が門前に姿を現した。
「こら、ブルース!人様の家に入って何しているの!」
伸枝の怒りも何のその。洋はとにかく恒夫の言う通りに鳴き続けた。伸枝が引き離そうとしても、決して離れようとしなかった。しびれを切らした伸枝は玄関まで行き、呼び鈴を鳴らした。
「はーい」
と返事がして中から伸枝と同じくらいの年齢の主婦が登場した。
「あら、篠原さん。どうかしたの?」
どうやら二人は近所同士、顔見知りのようだ。
「佐藤さん、ごめんなさいね。うちの犬がおたくの犬にひっついて離れないのよ」
伸枝は頭を下げながら、洋と恒夫の様子を指差した。すると佐藤さんと呼ばれた女は二人の近くに寄って来て
「こらジョン!離れなさい!」
と、しばらく悪戦苦闘していたが、必死にくっつく洋と恒夫を引きはがすことは出来なかった。
「篠原さん、こりゃダメだわ。しばらく放っておきましょう。良かったら少し寄って行ったら?」
「そうね、ちょっとそのままにしておいた方がいいみたいね。うちの犬、ストレス溜まってるのかもしれないし、ジョンが遊んでくれればちょうどいいかもね。それじゃあちょっとお邪魔してもいいかしら?」
「ええ、どうぞ」
佐藤に言われて、招かれるがままに伸枝は邸内に入って行った。
「うまくいったな」
恒夫は策略の成功に胸を張っていた。
「ええ、さすがですね」
洋もその機転の効く様に感心していた。恒夫の策がなければ家に連れ戻されていたところだ。
「それで話に戻るが、おめえはどうやって犬っころになったんだ?」
「死んだ後、何か真っ白な所へ行って、不思議な声に『あなたは生まれ変わりを信じますか?』って質問されたんです」
「そうか、じゃあ俺と同じだ。間違いない。転生ってのは何度でも出来るんだよ」
「本当ですか?」
「ああ。俺はもうこれが4度目の転生だ。最初で『信じる』って答えれば、以降はルールを外さない限り、何度でも転生は出来るらしい」
それから恒夫は転生について彼の知る限りの説明を始めた。まず転生のルールとは、自分が生まれ変わりである事実を人に話さないこと(とは言っても恒夫と洋のように互いが生まれ変わりの場合はOK)・自殺をしないこと・悪業を重ねないこと。これらを守っている限りはほぼ永久に転生出来るらしい。よく不思議な現象を扱った話で「私は前世の記憶がある」などと言っている人間が出てくるが、ああいう者はルールを破っており二度と転生出来ない。
死んだ時に必ず声が聞こえてくるとは限らないらしい。声が聞こえなければその時点であの世行きが決定する。これは完全に運によるものらしく、千人(匹)程度に一人くらいの割合らしい。ただし一度資格を得れば繰り返しは可能。また声の正体は不明。
「まあ神様とか天使の類なんだろうな」
と恒夫は言う。洋もあの時の光景を思い出し、同じように感じていた。人外の神秘的な存在としか考えられなかった。
転生する生物は己れの意志では決められない。恒夫や洋みたいに犬になることもあれば蝿や蚊などの昆虫になることもある。その逆で、昆虫だった者が人間になる事もある。一般的に見て最高位は人間であり、これは宝くじで一等が当たるくらいの確率らしい。最低は植物であり、これになるとロクに身動きが出来ずに退屈な日々を繰り返すことになる。
地球上の全ての生物が転生しているのではない。特に人間は転生じゃない者が大半である。だから皆がこの原理を知って生きているのではない。その転生した動物の言語や身体機能は身に着く。だから洋が転生していない犬と話すことは可能。それと両性具有のミミズにでもならない限り、基本的に性別は同一となる。生まれ変わる地域も元々暮らしていた所からそう離れることはない。
「まあ俺が知っているのはこんなところかな」
恒夫は長い説明を終えて、欠伸と共に横になった。
「いやあ驚きました。生きている時から転生ってあるんじゃないかとは思ってましたが、いざこうして事実を話されるとやっぱり不思議です…」
洋は心底から転生の話に驚嘆していた。経験者の恒夫に話されると、この世の原理の複雑さを改めて思い知らされた。超常現象に興味を持っていた自分が、ついに一つの謎を体現して誇らしくもあった。
「だろう、俺も最初は訳がわからなかった。でもあの声を聞いた時、家族の姿が頭に浮かんでな。生まれ変われるものなら生まれ変わりたいと思ったんだ」
「わかります。俺も美枝子に会いたい気持ちで一杯でしたから…」
「そうだな。俺やおめえのような現世に未練があるまま死んだ者が転生できるのかもしれねえな」
「ええ」
洋は恒夫の言う事がよく理解出来た。立場は違えど共に美枝子を愛する者同士、根底に流れる気持ちは一緒だった。
「ところで一つ聞きたいんですが、どうして恒夫さんは転生についていろいろと知っているんですか?」
転生の説明を受けている内に洋が感じた疑問だった。洋自身は転生の際にほとんど説明を受けていなかったから、それが気になっていた。
「あの不思議な声は死んだ時に毎回囁いてくるんだよ。その時に少し聞いたのさ。いろいろ尋ねれば少しくらい教えてくれるんだ。あとは自分と同じように転生している奴から聞いたりした。俺がおめえを転生者だとわかったように、やっぱり経験者から見ると初心者は動きがぎこちなくてすぐにわかるんだよ」
「へえーっ…。そんなもんなんですか」
洋は疑問が氷解してすっきりした。
それからしばらく二人は美枝子の事などを話し込んだ。夕日が傾いてきた頃、伸枝が玄関から姿を見せ、洋を連れて行こうとした。話も一段落して心残りもなくなった洋は、今度は素直に伸枝に従った。
「また来いよ」
恒夫が別れの挨拶を寄こす。洋はそれに応じて
「はい、是非」
と一声吠えて、佐藤家を後にした。同様に人間同士も別れの挨拶を交わしていた。夕日に背中を照らされながら洋は篠原家に帰宅した。




