名無しの仮面
俺がナナシに出会ったのは半月前、兄様の葬式が終わった日の夜。
『おまえの兄を殺したヤツを知っている』
俺はその言葉を鵜呑みにした。
兄様の突然の死、無惨に損壊した肉塊。
それに俺はまともな判断力が無くなっていた。
俺はナナシを伴い、簡単な身支度を済ませて家を飛び出した。
家を出て、町を出て、結界の外に出た。
結界の外は噂の様にすぐさま狂獣に襲われるということは無かった。
だが、他の人が襲われるところに出くわした。
横転した車に群がる数匹の狂獣。
俺はナナシに言われた通りにナナシを手に取り顔につけた。
突如、身体が思いきり締めつけられ苦しくなる。
だが、この程度の苦しみ、兄様の苦しみと比べられはしない。
苦しみは僅かな間に終わり、駈け出す。
すると自身では出せない速さで狂獣に近いていつの間にか手にしていたもので狂獣を殴りつける。
否、斬り裂いた。
身体を二つに裂かれ宙に舞う狂獣に他の個体が気付き狂爪を繰り出そうとしている。
俺はそれを知覚し、自然と自身と得物を回転させて狂獣を全て同時に斬り裂いた。
月明かりに煌めくモノは自身の手にした凶刃、大きな鎌。
『辺りには狂獣はもういないようだ』
ナナシはそう言って俺から外れた。
途端に襲われる疲労感に気合いを入れて身体を動かし、襲われていたであろう人を探した。
人はすぐに見つかった。
車の中に横たわっていた。
俺は声をかけたが反応がない。
俺は横倒しの車の中に入ってその人を外に出した。
俺が掴んでも揺らしても反応がない。
人は生きていた。
ただ、生きているだけだった。
『三島詩歌これが現実だ』
人は精神と魂を喰われ残った肉塊は吐き捨てられていた。
人の精神と魂を喰った狂獣を駆除しても元には戻らない。
昔人は数多くいたそうだ。
だが、次第に狂獣に喰われ、社会が崩れていき、人達はそれぞれ引きこもった。
狂獣が寄り付かなくなる力を放つ結界をある団体が発明し、それを世界に普及させた。
兄様はその団体に従事していた。
その団体は狂獣と戦うこともある。
危険な仕事だと言っていた。
でも人を救える最高の仕事だと。
でも死んだら意味がないじゃないか!
俺は人を抱えて来た道を戻り、町の近くに横たえた。
消してやる!一匹残らず!
その想いを胸に、ナナシと共に放浪の旅を始めたのだ。
連日を通して狂獣と戦闘を繰り返してナナシの力に慣れてきた頃、身体を休める為に町に立ち寄ったが、そこは結界が破壊され、荒廃した様子の町だった。
探索を行なったが人一人いる気配はない。
電気がまだ繋がっている場所もある為まだ廃墟になって日が浅いのだろうか?
ナナシから周囲に町を荒廃させたであろう数の狂獣は感知しないそうだからまだ電気が生きている家屋を拝借させてもらった。
久しぶりに柔らかい布団で眠れると思うと気が緩む。
防災倉庫に常備してあった保存食で慎ましく食事を済ませて俺は水を探す。
水を沸かしてお風呂に入りたいのだ。
さすがに何日もお風呂に入らずに身体を拭くだけでは我慢できない。
大量の水を探す俺にナナシが警告する。
『大量の狂獣が近いてくるぞ』
俺はすぐにナナシを手に取り装着出来るようにして近くの物陰に隠れた。
しばらくすると狂獣の数十匹の大群が走り抜けてくる。
あの数はさすがに捌けないとここ数日の戦闘経験が告げる。
俺はまだまだ力が足りない。
ナナシを持つ手とは逆の手を思いきり握り締める。
『様子がおかしいな』
狂獣の行進を見つめるナナシが訝しむ。
『奴等が近くにいる我々に気付くそぶりもみせず、ただ走り去る…何かに急かされて?まさか、奴等が‘逃げ’ているのか!』
ナナシが叫んだ瞬間に最後尾にいた狂獣が吹き飛び、前の集団に激突して行進が最中で止まる。
狂獣達は逃げ惑う様にお互いを押し退けあい乱闘になる。
俺は狂獣が吹き飛んできた方向に目を向けるとそこには小さな人の様なモノが狂獣に取り付いていた。
遠目ではそれが何なのか分からない。
『詩歌、我を!』
ナナシに従い、ナナシを装着する。
ナナシの力が身を包み俺の能力を引き上げる。
アレは、あの人型は…狂獣⁉︎狂獣が狂獣を食べている?
人型の狂獣は狂獣に食いついては首を引き裂いて落として次に飛び移り首を落とす。
落とした首は丸呑みされていき、首の無くなったしたいが引き上げられた視覚に点々と映る。
狂獣による共喰い。
そのような事があるのだろうか?
『我も初めて見る光景だ』
ナナシの驚愕が直接伝わる。
人型狂獣が乱闘している集団にたどり着くとそれは共喰いではなく、一方的な蹂躙だった。
瞬く間に大群の狂獣を平らげた。
残っているのは人型狂獣ただ一匹。
『これはチャンスなのか?あれだけの数が一匹に減った…しかし、大群を相手に蹂躙出来る程の力を持つ個体に勝てるのか?』
ナナシは迷っている。
俺が力不足なのを気にしているのだ。
ナナシ、俺は奴等を一匹残らず消すと胸に誓った。
だからこそ無駄死にしないとナナシと約束した。
でも、強い奴から逃げたらなにか俺の誓いから、ナナシとの約束から違うと思うんだ。
死にはしない。
ただ確かめるだけだ。
俺が相手にする化け物の強さの高みがどの程度なのかを。
俺は物陰から飛び出し人型狂獣へと疾走した。
人型狂獣はこちらに気がついていない。
気がつかれる前に一撃で仕止める!
人型狂獣にすれ違い、その合間に鎌を奴の首、比較的に脆そうな部分を振り切り一撃必殺を狙う。
鎌は人型狂獣の首元に綺麗な弧を描いて吸い込まれる。
弾かれる。
そう、俺は思っていた。
俺は人型狂獣を抜き去り距離を取って振り返る。
鎌を振り切った腕には手ごたえを感じなかった。
回避されたのか!
思っていた俺だが、結果は違う。
人型狂獣の首は無くなっており、ただ首のない人型となっている。
倒せたのか?
人型狂獣は首を刎ねられながらも動き出した。
己の首があった場所に手を空振りさせ次にキョロキョロと己の首を探す様に右往左往と両腕を彷徨わせる。
そして上から落ちてきた物体、人型狂獣の首が胴体に衝突して倒れた。
何が起きたのか分からない様にジタバタと手足を動かす身体はコミカルな印象を与えるか?
少しして冷静になったのかそれともやっと終わりなのか身体は動きを止めた。
俺は近づこうとした。
そうしたら身体は起き上がり己の首が落ちているところに向かい首を手に取り元あった場所に乗せた。
首はぐらぐらしたがすぐに安定した。
前と後ろ逆だが。
ふぅ、何とかなったと人型狂獣は言う様に額の汗を拭う様な動作をするがそれ後頭部。
歩き出して躓いてまた倒れた。
またジタバタしている。
なんだコイツ?
俺とナナシが今まで戦ってきた狂獣とはかなり雰囲気が違う。
今までの狂獣はただ襲ってくるケモノだが、コイツは何だかただのアホみたいだ。
先ほどと同じく起き上がると人型狂獣は首を180度回して今度こそ元に戻ったやった!と両腕を上げてバンザイしている。
『コイツは先ほどの個体なのか?まるで脅威を感じないぞ』
ナナシが困惑している。
俺も困惑している。
人型狂獣は歩き出した。こちらに一別もしない。
気付いていないということはないだろう。
こちらに意識を向けないのは俺が奴にとって脅威ではないと思っているからか?
だがそれはない筈だ。
狂獣は精神と魂を持つ生物を喰らう。
脅威でもない餌に食いつかない筈がないのだ。
おい!待て!
俺は人型狂獣に声をかけた。
人型狂獣は歩くのを止めて辺りを見る。
俺と目が合うとビックリしたように後ずさる。
コイツ…俺に気付いてなかったのかよ。
オロオロしてる人型狂獣に俺は啖呵をきることにした。
おまえは何だ⁉︎
狂獣相手に言葉を語りかけるのは無意味なことだが、何故かコイツには…。
『は、恥ずかしい〜!人だ〜!』
聞き慣れない高めの声が人型狂獣から聞こえこちらが反応する前に人型狂獣は逃げ出した。
……え?
『……は?』
俺もナナシも混乱した。
何者かの問いに狂獣が言葉を話したとか驚くところだったのだが、相手の恥ずかしい発言にビックリしたのだ。
理由も喋らずに逃げられたしな。
こうして俺とナナシは奇妙な狂獣と出会ったのだ。