第二章 車輪のついた鳥籠 (後編)
私は別の下女に引き渡された。その女は、私が硬い刷毛と砂で手足を擦り洗う間、じっと見張っていた。何を言われるより、その沈黙が私を責めた。
渡されたのは、青灰色の無地の着物だった。新しく、まだごわごわと硬い。それでも、これまで触れたどんな衣よりも上等だった。
筋も知らない芝居の衣装を渡されたようだった。それとも、これまでの私という娘を包む、死装束なのかもしれなかった。
洗われ、包み直された私は、杉殿に連れられて迷路の奥へ進み、小さな、何もない部屋に置かれた。
「ここで待っていなさい」
障子が閉まり、薄暗い縞模様の光だけが残った。
私は畳に膝をつき、背を棒のように強張らせたまま、胸の内で必死に祈りを繰り返した。
水、一滴。水、一滴。
葦の簾の向こうに、苔と石の庭が見えた。苦しげに枝を捩った松が、一本。何の役にも立たない、美しいもの。
その先に、別の棟があった。
そして、隙間から、その人が見えた。
一幅の絵だった。
すべてがあるべきところに置かれた、一つの景色だった。
その中心に、身じろぎもせず座る人。淡い梅の色、柳の緑、深い薄紫。幾重もの絹が、その人を包んで流れ落ちていた。
十二単。話には聞いていた。けれど、その途方もない富を目の前にすると、息ができなくなった。
髪は、磨き上げた漆黒の流れだった。長く、長く、床にまで広がり、夜そのものが形を失って流れ出したように見えた。一日たりとも働く必要のなかった人の髪。大切な庭のように、人の手で慈しまれてきた髪。
その人は筆を持ち、ただ目の前のことに心を注いでいた。横顔が見えた。すっと通った鼻筋。肌とは思えないほど白い肌。磨いた石か、白磁のようだった。
その静けさは、崖の縁に置かれた、傷一つない花瓶の静けさだった。今にも壊れそうで、恐ろしかった。
人ではない。理想そのものだった。
水を一滴こぼすこと。足をもつれさせること。土に荒れた農家の手。そうしたあらゆる不完全なものが、あの傷一つない表面と比べられ、足りないと裁かれるのだ。
警護の男たちの低い話し声に、我に返った。
「……平家の侍に突き飛ばされたんだと……清盛様の犬どもは、都を自分たちの犬小屋とでも思ってる……」
「しっ。壁にも耳があるぞ……」
その恐れなら、私にもわかった。
この屋敷は、丸ごと檻なのだ。
背後の障子が開いた。杉殿だった。
「縁側の、この辺りを磨きなさい。私の顔が映るまで」
二人の下女が、桶と雑巾を持って現れた。並んで膝をつき、磨き始めると、二人が囁き合った。
「……千代様の扇が……指一本分、左にずれていて……」
「……ひと月も炊事場へ下げられたそうよ。花はいつも、あんなに気をつけていたのに……」
指一本分。
床を擦る手が、震え始めた。
私の暮らしはこれまで、一握りの種や、地面に伸びる影の長さで量られていた。ここでは、指一本分が、ただ仕えることと、罰を受けることの間に口を開ける淵になる。
それからは、誰も口をきかなかった。
私は誓った。床を磨く影になろう、と。
杉殿が戻ってきた。確かめる目が、恐ろしかった。けれど、不備は見つからなかった。
私の前に立ち、言った。
「変更がありました」
腹の底が落ちた。
「上役の女房が病になりました。あなたを表のほうの仕事に就ける話は、取りやめです」
愚かな望みが、芽を出した。
物置。繕い物。
どうか、忘れてもらえる仕事でありますように。
次の言葉は、処刑の言い渡しだった。
「あなたは、詩織様のお側にお仕えしなさい」
杉殿は、庭を挟んだ向こうの棟へ、わずかに顎を向けた。
近づくことさえできそうにない、白磁のような人へ。私には到底届かない、あの完璧さそのものへ。
世界が崩れた。
罠にかかった獣のように暴れる頭の中へ、今日見たものが次々と閃いた。石のように白くなった明美の顔。水、一滴。置き場所の違った扇。指一本分。私の、どうしようもなく大きく荒れた手。
そして、あの人。
あんなに完璧な人へ近づき、お仕えしなければならない。お茶をこぼすだろう。衣の畳み方を間違えるだろう。息の音が大きすぎるだろう。知りもしない罪を、千も犯すだろう。
これは栄誉ではない。
死罪の言い渡しだ。
ただ、見えなくなりたかった。この大きく美しい絵の隅で、忘れられた染みでありたかった。
それなのに、絵を描く手に拾い上げられ、真ん中の人のすぐ脇へ置かれてしまった。傷一つない絵巻に落ちた、不格好な墨の染みとして。
誰にも知られず生きる望みは、始まる前に終わっていた。あれほど欲しかった静けさが、今は、悲鳴を上げる直前に止めた息のようだった。
喉が塞がっていた。恐怖が固く結ばれ、声も出ない。頷こうとしたのに、頭が動かなかった。
杉殿は、私の顔に張りついた恐れを見た。薄い、残酷な笑みが、その唇に浮かんだ。
「わかっていないのね。ただ、身分の高い姫君のお世話をするだけだと思っているのでしょう」
杉殿が身を寄せた。低く、張りつめた囁きは、怒鳴り声より恐ろしかった。
「詩織様は、ただの姫君ではありません。父君は、亡き惟道様。神々がお命をお召しにならなければ、いずれは関白の座にお就きになったであろうお方です。そのお名と家の誉れを継ぐ、ただお一人の姫君なのよ。今は、おじ君にあたる関白様のもとで、大切にお育てされています」
杉殿の目は、砕いた氷の欠片のようだった。
「藤原の中でも、最も尊い血筋のお方です。お輿入れは、あの方お一人のことではない。揺らぐ帝の御位さえ支えうる、国の大事なの。あなたが世話をするのは、ただの床や、お茶ではありません。この家で最も大切な宝です。たった一つの失敗でも、あの方のお心を少しでも乱すようなことがあれば、あなたには想像もつかないことになるのよ」
杉殿は身を起こした。言うべきことは、言い終えたらしかった。
「失敗は許しません」
大切に育てられる姫君。ただ一人の跡継ぎ。国の大事。
言葉が、頭の中をぐるぐる回った。雲のように掴みどころのない、お公家の言葉。私には、大きすぎてわからない。
けれど、その重さだけはわかった。
あの人は、ただの女主人ではない。宝物だ。政の道具だ。お姫様なのだ。
爪の下にまだ土を残した、不器用な娘の私が、その値もつけられない、壊れやすいものを、壊さずに扱わなければならない。
「わかりましたか」
杉殿が繰り返した。氷の薄片のような声だった。一語、一語が、頭蓋を鋭く叩く。返事をしろと迫ってくるのに、体が言うことをきかなかった。
その声が、強張りを破った。
私は無理やり息を吐き出した。言葉が、喉の内側を擦りながら出ていく。掠れ、砕けた声。神々の餌にされる寸前の、百姓娘の声だった。
「はい」
私は囁いた。
「はい、杉殿」




