序章 雀と松
永暦元年(一一六〇年)
ここに、書き留めておく。
剣と筆を持つ男たちが綴る歴史。その余白に囁かれる、一つの真実を。
都の記録によれば、その辰年は、平治の乱の火もまだ冷めやらぬうちに明けた。かつて玉飾りの御簾の奥で権勢を振るった藤原の一門は、今や言葉を慎んでいた。その絹の衣には、薫物にも劣らぬ濃い恐れの匂いが染みついていた。
戦火の灰の中から身を起こした武者、平清盛。その配下の侍たちは、新たな主になったかのような傍若無人さで、都の大路を闊歩していた。
偉大な男たちの歴史は、戦の勝敗を語るだろう。帝の即位と退位を、婚礼の広間で結ばれ、裏切りによって砕かれた盟約を。
平家が勢いを増してゆくさまを、古き朝廷にゆっくりと、避けがたく迫る黄昏を。
だが、歴史とは広大な海だ。その年代記に記されるのは、大波の頂ばかり。
深みを流れる静かな潮については、語らない。
語ることができない。
米俵のように大きな屋敷の門へ運び込まれ、見たことも聞いたこともないものの嵐に呑まれた娘については、語らない。
黄金の鳥籠に閉じ込められ、その魂まで冬の梅の花のように冷たく、隙なく美しくなった姫君については、語らない。
偉人たちの年代記には、決して記されることのない物語がある。
政の力をめぐるのではなく、縁側の、静かな片隅で紡がれた物語が。水で濡らした筆と、指に刺さった木の棘と、美しい嘘に満ちた都で、それでも本当のことを口にした声の物語が。
それは、飛ぶことを覚えた雀と、空に焦がれた松の物語だ。
私たちの物語だ。
その始まりに、刃の打ち合う音はない。盟約を結ぶ署名もない。
あるのは、ほとんど誰にも聞こえなかった、小さな音。
ひとりの怯えた胸で、必死に打ちつづける鼓動だけだった。




