第115話 再集結と、嵐の前の食卓
王都に戻ったのは、獣人の領域を発ってから四日後だった。
馬車が王都の東門をくぐった時、リゼが窓の外を見て呟いた。
「……空気が変わってる」
俺も感じていた。
出発前の王都には、和平への期待と不安が入り混じった空気があった。今は——不安の方が濃い。通りを歩く人々の足が速い。目が伏せられている。
教団の教書。「和平は神の摂理に反する」。
あの一枚の紙が、王都の空気を変えていた。
冒険者ギルドの本部に馬車を着けた。
正面玄関に——三人の姿があった。
「ナギ先生!」
アリスが一番に駆け寄ってきた。フリルのドレスを揺らしながら、全速力。
「先生! お帰りなさい! フリルの護符、ちゃんと持ってますか!」
「持ってます。ポケットに——」
「見せてください!」
ポケットから護符を取り出した。翠色のビーズが三つ、白いリボンに通されている。少し汚れていたが、無事だった。
アリスの目が潤んだ。
「よかった……」
ソフィアが、少し離れた場所に立っていた。目が合った。
ソフィアは何も言わなかった。だが——小さく頷いた。それだけで、十分だった。
「ナギ様」
セラフィーナが歩み寄ってきた。
聖母の微笑み。だが、出発前とは違っていた。微笑みの下に、戦場を経た者の空気が纏われている。
「お帰りなさいませ」
「ただいま戻りました。……セラフィーナさん、大変だったと聞いています」
「ええ。大変でしたわ。ですが——種は蒔きました」
「芽は」
「少しずつ。レティシアを含め、四名の若い聖職者が、自分の声を取り戻し始めています」
「四名」
「少ないですが、確実に。……一人ずつですわ」
セラフィーナが微笑んだ。その微笑みは、自信に裏打ちされていた。
「利子の件、忘れていませんよね?」
「当然です」
「結構です。では——再会の利息として、今夜の食卓の隣席をいただきますわ」
「淑女協定に抵触しませんか」
「再会特例ですわ」
「そんな条項は——」
「今作りました」
リゼの目が三角になった。
「聞いてないんだけど」
「緊急立法ですわ」
「緊急でも合議制でしょ」
ルゥがアリスの横から飛び出した。
「ルゥもナギお兄さんの隣がいい!」
「順番!」とルナに切り替わり、「……再会の席順は先着ではなく抽選にすべきよ。公平性の観点から」
フランが腕を組んだ。
「そもそも淑女協定v2.3に再会条項は存在しないわ。v2.4への改定動議が必要ね」
「今ここで動議を出します」とセラフィーナ。
「審議します」とフラン。
「反対」とリゼ。
「賛成」とアリス。
「棄権」とルナ。
「賛成!」とルゥに切り替わり。
「……馬鹿馬鹿しい」とディアブラ。だが口元が緩んでいた。
俺は少しだけ笑った。
全員がここにいる。それだけで、胸の奥が温かかった。
*
夜。ギルドの食堂。
長いテーブルに全員が座った。席順の争いは三十分かかった末に、くじ引きで決定した。
食事が運ばれてきた。ギルドの賄い飯。質素だが温かい。
獣人の干し肉と焚き火の飯に慣れた身体には、パンとスープが染みた。
食事の合間に、情報を共有した。
「全種族会議は、十日後。場所はギルド本部の大広間」
フランが資料を広げた。
「出席予定。人間王国——リヒャルト王。魔族——ディアブラ。エルフ——エレノア女王。ドワーフ——鍛冶ギルド長ドルグ。獣人——ラグナ。そして——」
「教団。ガレリウス枢機卿」
セラフィーナが静かに付け加えた。
食卓の空気が、わずかに張り詰めた。
「ガレリウス猊下は、全種族会議の場で和平の是非を問うと宣言しています。教団の代表として出席し、和平が神の摂理に反することを主張するつもりです」
「具体的には、何をしてくる」
フランが聞いた。
「『魂の対話』の技法を使うでしょう。会議の参加者一人一人に、穏やかに語りかけ、共感し、方向を誘導する。……気づかないうちに、全体の空気を変えてしまう技術です」
「ナギの技法の、悪用版ということね」
「悪用ではありません。猊下は、本気で信じているのです。和平が間違っていると。……だから厄介ですわ」
食卓が静まった。
フェンリルの声が、水晶球越しに響いた。
「ドワーフの正式代表団は準備完了だ。ドルグが自ら来る。『面白そうだから見に行く』だそうだ」
「面白そうで来るんですか」
「ドワーフは実利と好奇心で動く。会議の結果がドワーフの利益になると確信しているから来る。心配するな」
「フェンリルさんも来てくれますか」
「当然だ。請求書の最終項目を直接渡す」
通信が切れた。
俺は食卓を見回した。
リゼが肉を頬張っている。フランが資料を整理している。ルゥがパンを千切ってアリスに渡している。セラフィーナが紅茶を飲んでいる。ソフィアがノートに何かを書いている。ディアブラが腕を組んで壁にもたれている。
全員がここにいる。
それぞれの戦場を経て、ここに戻ってきた。
「ナギ」
リゼが俺を見た。
「十日後、大丈夫?」
「わかりません。ガレリウス枢機卿は——俺と同じ武器を、俺より長く磨いてきた人です」
「でも」
リゼが、肉を飲み込んでから言った。
「ナギは一人じゃない。あたしたちが、いる」
セラフィーナが頷いた。フランが眼鏡を光らせた。アリスがフリルの拳を握った。ソフィアがペンを置いた。ルゥが手を挙げた。ルナが目を光らせた。ディアブラが腕を解いた。
八人。
いや——フェンリルと、エレノアと、ラグナと、リヒャルトと、ドルグと。
一人のカウンセラーが積み上げてきた全ての繋がりが、十日後、一つのテーブルに集まる。
「十日後」
俺は言った。
「全種族会議。和平の最後の壁を、越えます」
食卓の全員が、頷いた。
嵐が来る。
だが——この食卓の温かさを、俺は忘れない。
どんな嵐の中でも、ここに帰る場所がある。
それだけで、戦える。




