8-8 作戦会議
「い、い、言い争う声が聞こえたから何かと思って……! 勝手に入ってごめん!」
いつの間にやら開いていた扉の前には、まさに今部屋に入ってきたらしいサレがいた。思わずといった様子で両手で目を覆っているが、指の隙間からこちらを凝視しているのが丸分かりだ。
半裸で押し倒されているアステラと、同じく半裸で血まみれになっているダガンを目にして、サレは何やら誤解したらしく、慌ただしく言葉を紡ぎ出した。
「血が出てるし、アステラも泣いてるし、もしかしなくても合意じゃないよね? 今、人を呼んでくるから!」
「待ってくれ、サレ。そういうのじゃないから……!」
そういうのとはどういうのだと内心自分で突っ込みながらも、アステラは慌ててサレを呼び止め、ダガンをそっと脇へと押しのけた。
決まり悪い思いでアステラが身を起こすと、サレは驚いたように目を見開く。
「アステラ、声が出るようになったの? それに、体も動いてる! 昨日はほとんど動けなかったよね……?」
目を見開いたサレは、たしかに昨日まであったはずの呪いの痕跡を探すように、アステラの体をじっと見つめた。途端に、ダガンはその視線を遮るように、アステラへ掛け布を被せてくる。
「何するんだよ!」
「いつまでも裸でおらんと、早よ服を着い」
もがもがと布の下で抗議するアステラを横目に、ダガンとサレは淡々と状況を共有していく。
「……せっかく部屋貸してもらったのに、汚して悪かったな」
「ああ、血のことなら別にいいよ。元々怪我人や病人に貸し出すための部屋だから。そんなに血が出るほど何をしてたのかは気になるけどね」
「おかしなことは何もしとらん。身代わりになる物持っとったから、アステラの呪いを移せんか試しとっただけや」
「そう。でもそれ、アステラが泣いてる理由にもなってなければ、君の傷が開いてる説明にもなってないよね?」
両者ともにごくごく事務的なことしか口にしていないはずなのに、妙に寒々しく感じるやり取りだった。サレに至っては、そんなに低い声が出せたのかというくらい、声音に非難の色が濃く滲んでいる。
「無理やり呪い剥がして痛がらせたんじゃないの? 言ってくれれば手伝ったのに」
「いやいや、連れのことで他人にそこまで世話掛けるのは気が引けるわ」
「一時は恋人だった相手だよ。君はともかく、アステラは他人じゃない」
どうにも気まずい雰囲気の中、アステラは布の下から静かに顔を出す。
ひと通り服を着直しても、まだダガンとサレの会話は終わらなかった。怪我の手当てをしながらも、二人はねちねちと嫌味の応酬じみた会話を続けている。ここまでくると、いっそ逆に気が合っているのではないかとすら思う。
「悪魔祓いや解呪だって、神職者の仕事なんだよ? なんで一言の相談もなくやろうとするかな」
「わざわざ自分に話通すことやないやろ。早けりゃ早い方がええに決まっとるやん」
「君の傷だって小さくないって分かってる? お腹の傷、開いちゃってるじゃないか」
昨日は綺麗な切り傷だったのに、と不機嫌そうに呟きながら、サレはきつくダガンの包帯を締め上げる。
「そりゃ君は治りが早いみたいだけどさ、それでも命は大切にした方が良いと思うな。人魚だか魚人だか知らないけど、血が出るってことは、悪魔と違って怪我しすぎたら死ぬってことだろう?」
聞くともなしに二人の会話を聞いていたアステラは、その言葉にぱっと顔を上げる。
「悪魔と違って? 悪魔って死なないのか?」
アステラが疑問を口に出した途端、サレは困ったように苦笑を浮かべ、ダガンは呆れた様子で半眼になった。二人してまるで空って青いのかとでも聞かれたかのような反応をするものだから、居心地の悪さにアステラは唇を尖らせる。
「だって悪魔って魔族じゃん。魔族ってことは生き物だろ。生きてるものは斬れば死ぬ。……よな?」
「何でもかんでも斬ればええと思っとるの、どうかと思うわあ」
「悪魔が斬って死ぬ生き物なら、悪魔祓いに呼ばれるのは神職者じゃなくて戦士になっちゃうね」
言葉面こそ違えど、ダガンとサレは二人揃ってアステラの思い込みを否定した。
項垂れるアステラを慰めるように、サレは「関わりがないと知る機会もないもんね」と言葉を足す。
「悪魔の本体は精神なんだ。生き物というよりは、現象に近いんだよ」
陸に生きる魔族の中でも、悪魔は特殊な種族なのだとサレは語った。
「悪魔には決まった寿命もないし、雪男や人魚みたいに種族特有の形があるわけでもない。勝手に生まれて、知らないうちに消えてる不思議な種族なんだよ。分かってることといえば、もともと人間の近くに在ったものが核になっているらしいってことだけ」
長く生きた飼い猫が悪魔になることもあれば、ただそこに在っただけの木が悪魔になることもあるらしい。けれど彼ら彼女らは、人間の前に姿を現す時には本性を露わにすることは滅多にない。
「悪魔って、かわいらしかったり美しかったり、人を惑わす姿をしているでしょう? 契約するときに捧げられた生け贄の死体を使って、理想の器を作るんだって。……人間を効率良く狩るために」
そう言われると、イリヤに見せられた過去の記憶で、アステラの両親はイリヤを召喚するため、山のような死体を積み上げていた覚えがある。
「じゃあ、悪魔の体って、人間の死体ってことか?」
「材料はまあ、そうだね。器を壊せば悪魔は精神体に戻る。でも死ぬわけじゃない。言葉さえあれば関係ないんだ。いくらでも心の弱い誰かを唆せるから。だから『悪魔は死なない』んだよ」
なるほどと頷いた後で、ふとアステラは悪巧みするように目を輝かせた。
「……わざわざ人間と契約するってことは、器がなかったら悪魔だってそうそう派手なことはできないってことだよな?」
「そうだね。直接人を殺すことも、呪いを掛けることもできなくなるはずだ」
頷いた後で、アステラの言わんとすることを察したのか、サレは顔を曇らせた。
「真っ向から戦うつもりなら、やめた方がいい。悪魔だって、苦労して手に入れた器を簡単には奪わせてくれないよ。魅了されたら終わりだし、そうでなくても先に命に関わる呪いを受けることだってある。悪魔祓いでもない人が立ち向かうのは無謀すぎる」
生憎、魅了も呪いも体験済みだ。
ダガンのおかげで体が自由になった今、手っ取り早く正々堂々イリヤと一騎打ちでもしてみようかと思ったけれど、やっぱり無理なのだろうか。
アステラがしょんぼり眉尻を下げていると、「いや、案外そうでもないかもしれへんで」とダガンが口を挟んできた。
「俺に魅了は効かん。アステラが頭おかしなったら引っ叩いてやれる。呪いかて、陸の上ならアステラも蛇に捕まるような間抜けはせぇへんやろ」
ちらりとダガンがアステラを見る。当たり前のようにぶつけられた信頼に、アステラは笑み崩れながら大きく頷いた。
死の呪いを喰らったのは水中でダガンを庇ったからだし、呪いで弱っている状態でさえ、イリヤの拘束に力負けはしなかった。全身が動く状態なら、イリヤにいいようにやられるほどアステラは弱くない。
「空にさえ逃げられなければ、勝算はあると思うんだよな」
「海に落とせりゃ話は早いんやけどな」
「翼さえなんとかすればいいだろ。……いや、すーって空気に消えてっちゃう時もあったっけ。見えない手で掴んだり物を斬ったりもしてたし、イリヤ、魔法でも使えるのかな」
得体の知れない相手ほど恐ろしいものはない。
昨日のことを思い出しながらアステラは眉を寄せたが、ダガンは「幻使ったイカサマや」と極めて冷静に否定した。
「魔法なんてもん、この世にあらへん。あいつが今まで見せたもん全部、夢と幻、あとは呪いと魅了で説明がつく。怖いんはあいつのやり口だけで、やっとること自体は大したことあらへんわ」
アステラの記憶を奪ったのは魅了。首都での事件のでっちあげと大衆の扇動は幻。サレに化けて見せたのだって、幻を見せただけだと言われればそうかもしれない。
「でも、俺の親やダガンを斬ったのは……?」
恐々と尋ねると、ダガンは悪どい顔をして自信満々に返答した。
「――尻尾や」




